花炎-kaen-火炎:19


「シア」
 リスカー! という必死な様子でシアが突撃してきた。
 手を伸ばしてはいたが、勢いよく突進されてしまったために受け止めきれない。
 掌に一度衝突し、空中でくるりと一回転したあと、リスカの膝に頭を乗せて仰臥しているジャヴの胸にシアは包みをくわえたままころりと転がった。大丈夫だろうか。
 シアは慌てた様子で起き上がり、嘴から包みを離したあと、羽根をばたつかせて「ぴぴ」と元気よく鳴いた。いつかの時のように、柔らかく優しい手触りを持つ白い毛がぼさぼさだった。
「シア、あなた」
 どうしてここに、とリスカは未だ混乱が続く意識の中、驚きを強く感じながら再び手を伸ばした。シアは嬉しげに羽根を上下させ、リスカの指先に頬をすり寄せたり頭を押し付けたり、身をくっつけるようにしてぺたりとはり付いたりと、忙しない仕草で再会の喜びをまっすぐに示した。絶望の淵に突然舞い降りてきた、か弱くもあたたかさに溢れた小さな鳥の姿に、リスカはわずかの間、惚けてしまった。
 そうだ、突然具現されたかのような救いを前にして、安堵や感謝を抱くよりもまず心底戸惑ってしまったのだ。これは目に見える救い。優しい手触りの羽根でかろやかに舞い上がり、そよ風の囁きに合わせてぴぃと明るく歌う、小さく、だが確実な救いの姿だった。不意に畏怖さえ覚える。人の存在のみならず救いというのもまた、強さの秤などでは十分に語れない。語りきれない、その事実がリスカの心に幾重にも淡い波紋をもたらした。何か別の、思い出したくはない過去の会話に繋がりそうな恐れをぼんやりと感じ取ったためだった。
 思考に溺れるリスカをよそに、ひとしきり再会の感動を表現したシアがどこか誇らしげに嘴を上げ、細い足でぽちりと包みを叩いた。これを開けて、と言いたいらしい。
 リスカは詮無い考えを打ち切り、動揺を押し隠しながら素直に包みを開いた。
「これは」
 クルシアの花びら――治癒の花びらだ。
「どうして」
 リスカは目を疑った。治癒の花びら以外にも数種類用意されている。
 一瞬言葉を失ったが、シアにのんびりと事情を質問している場合ではないと気づいた。
「ジャヴ」
 リスカは治癒の花びらをジャヴの額に一枚乗せた。それから最も深い傷がある腕にも一枚置く。
 薄く輝き、すうっと溶ける治癒の花びら。しみ込む魔力が、呆気ないほど静かに腕の傷を塞いでいく。弱い呼吸を繰り返していたジャヴが緩慢な動きで目を瞬かせ、ほうっと感嘆のような吐息を落とした。冥界に通ずる扉は閉ざされた、とリスカは確信した。死の気配がすっかり拭われた彼の顔を見たあと、今度は青い花びらを額にそっと乗せる。こちらは精神を安定させる効果がある花びらだった。おそらくは乱れていた魔力の流れを幾分か戻すはずだった。
「……どうやら死なずにすむようだね」
「はい」
 リスカは何度も頷き、ようやく笑った。緊張の糸が切れたためか、今頃になってどっと冷や汗が滲む。よかった。間に合った。治癒を施す前とは別の意味で目頭が熱くなり、困惑を覚えた。
「ですが、まだ動かないでください。出血が多かったのです。血がちゃんと巡るまではこうしていてください」
 ふとジャヴが指を伸ばし、小声で注意するリスカの頬に触れた。軽く頬を辿った指が、次に髪の先をぎこちなく絡め取り、つんと引っ張る動きを見せた。
「泣くな、リル」
 リスカは再び何度も頷いた。泣きたくて仕方がない心を必死に宥める。自分にも青い花びらが必要かもしれないと思った。
「泣かないでくれ」
 頬を滑り落ちる涙をジャヴの指が拭う。見つめられるのが嫌で顔を背けようとするリスカの顎を、撫でるようにして押さえる。
「ぴぃ」
 シアまでが心配そうに首をちょんと傾げてリスカを見上げていた。その、いや、ジャヴの額にてこてこと移動して、だ。
「……悪いのだが、別の位置に移動してくれると嬉しいのだがね」
 ジャヴの複雑そうな声に涙がとまり、今度は噴き出しそうになった。きっと彼の美意識に思い切り反するのだろう。
「ぴ」
 人の言葉を解するシアだがわざとらしく聞こえない振りをして、もふりと毛を膨らませ、ジャヴの額を陣地と決め込む姿勢をとった。リスカは堪えきれず小さく声を上げて笑った。シアが来なければ死の翼に抱かれていたためか、深いため息を落としつつもジャヴはそれ以上の苦言を諦めたらしかった。
「シア、どうしてここが」
 なぜリスカの場所が分かったのか。なぜ花びらを持ってきたのか。
 たずねたいことはたくさんあった。シアは忙しい様子で羽根を動かし、ぴぴぴと鳴いた。うむ、おそらく説明してくれているのだろうが、残念ながら内容は全く分からない。シアと意思の疎通ができるらしいセフォーがこの場にいれば詳しい事情が分かっただろうに――そう考えた時、リスカは瞠目した。
「セフォーですか?」
 何の根拠もないのだが、セフォーがシアをこの場へ導いたのではないかと思ったのだ。
「ぴ、ぴぃ」
 肯定しているらしい。ということはリスカが不在の間、シアは彼と行動をともにしていたのだろうか。セフォーはこちらの居場所を察したのか。貝百の気配も? 娼館ではリスカの気配に気づかず一度も振り向かなかったというのに。
 なぜセフォー本人が姿を見せないのだろうか。
 リスカは考えを巡らしながら、説明を終えて満足そうに目を瞬かせているシアの翼を撫でた。シアは多分、店からこの花びらを持ってきてくれたのだろう。既に店は冬期間の休養に向けて整理していたが、その荷とは別に普段使用するものとして、ある程度の花びらを寝室の棚に保管している。その棚から花びらを取り出した時に、毛をぼさぼさにしてしまったに違いなかった。
「ありがとう、シア」
 花びらをつめた瓶の蓋や包み紙などと格闘する小さな姿を想像して微笑んだあと、ジャヴの髪を齧っていたシアの身体を抱き上げ、自分の肩に乗せた。渋い表情を浮かべていたジャヴが安堵の吐息を落とす。いつまでも彼の額にシアを置いていたら後々復讐されるかもしれないし、うむ、ここは一つ自分が大人になるべきだろうとリスカは内心で笑いを堪えた。
「リスカ」
 抑揚のない平淡な声で名を呼ばれ、気を緩めかけていたリスカはぎょっとした。振り向くと、片手に剣を下げているエジがこっちへ近づいてきていた。そうだった、先程勝利の声が上がっていたが、貝百と対峙していたエジ達の方はどうなったのか。
「お前、治癒の術などは使えるのか」
 エジはそうたずねながらリスカの脇に片膝をつき、剣を地面に置いた。魔物の体液の匂いを彼はまとっていた。
「怪我をされたのですか」
「いや、聖衣を破られただけだ。だが隊内に負傷者が出た」
 エジは淡々と答えたあと、仲間のいる方へ視線を向けた。
「魔はとりあえず消滅させた。お前の呪具、役に立ったな。剣先にはりつけて魔の口に突っ込んだら、うっとりしていたぞ」
 その説明を聞いたリスカは、よせばいいのに思わず生々しく想像してしまい顔を引きつらせた。
「治癒の花びらがあります。しかし五枚しか」
「かまわない。重傷の者に与えたい。いいか?」
「はい。……死者は」
 エジは一瞬真顔になったあと、囁くように答えた。九人と。
 リスカは視線を落とした。それだけの犠牲を出せねば貝百の動きをとめられなかったのだ。
 リスカは丁寧な仕草でエジの手に花びらを乗せた。
「騎士隊の中に治癒の業を知る者はいますか」
「残念ながら、薬師は別隊に同行している」
 リスカは少し考えた。
「町の方へ行かれるのでしたら、私達も同行させてもらえませんか。店の方に寄っていただければ、治癒の花びらがまだ残っています」
 冬期間に合わせて様々な種類の花びらを蓄えている。旅先などでも使えるし、途中で路銀が不足した時に売ることもできるためだった。
「それは助かる。酒もあれば嬉しいのだがな」
 エジは酒豪だったとリスカは思い出した。
 こちらへ駆け寄ってきた一人の騎士に、エジは花びらを渡し、傷の深い者に与えるよう指示した。自身も立ち上がり、仲間の元へ戻った騎士のあとを追う素振りを見せたが、ふとこちらへ視線を向ける。
「お前は動けるのか。動けぬようならば馬を用意しよう」
 エジの言葉は、リスカの膝を借りているジャヴに向けられたものだった。意地をはって身を起こそうとするジャヴを窘めたあと、リスカはお願いしますと頭を下げた。シアまでがリスカに倣い、ちょこりと頭を下げるような仕草を見せる。しかし、すぐにリスカの髪の中に潜った。シアの身体が少し震えているのに気づく。騎士が恐ろしいらしい。特にエジは、フェイと同様、初めは敵と言えるような対立する存在だったのだ。そうだ、これほど稚い小鳥を蹴り飛ばし命を脅かしたのはエジだった。リスカは急に腹が立った。花苑で会った時はひどく動揺していたために、忘れていたのだった。
 忘れていた、という自分自身も罵りたい気分になる。ジャヴの命を失いかけたことで、思いがけず感情の起伏が極端になり、過去に受けた負の思いまでもが蘇ったようだった。理性が憤りの大きさに眩まされ、自制の声が遠くなる。ただ、魔術師としての枷があるために、生まれた憎しみを理屈へとすり替えるだけの余裕……あるいは狡さを持てるのだ。
「すみませんが、馬にはジャヴだけを乗せてください」
 リスカは固い声を出した。
 フェイと一応和解をしてしまったため騎士に対する考えも多少は変化していたのだが、またぞろ警戒心がわき起こる。
 突然顔色を変えて険しい目をするリスカに、エジは怪訝な表情を浮かべていたが、髪にもぐったシアがぴいと弱く鳴いたのを聞いて以前の店での行為を思い出したらしく唇の端を曲げた。
「何か誤解をしているようだが、その鳥を蹴飛ばしたのは俺ではないぞ。もう一人威勢のよい騎士がいただろう。あれが蹴ったのだ。俺の方に蹴られた鳥が飛んできたので、ただ見ていたに過ぎない」
「騎士とは謝罪を口にするのは恥辱と考えているのですか」
「何」
 エジはこちらに向き直った。
「既に詫びはしたと思ったが。その上で謗るか」
 それはリスカに対してだ。シアを忘れて自分だけが受け取ってしまった。
 リスカは己の欺瞞を知った。誹られるべきはまず自分なのだ。
「今、我らが駆けつけねばお前達の命はなかった。違うか」
「いいえ」
「では俺に謝罪を求めるよりもまず、お前は敬意を払い、礼を述べるべきではないのか。こちらは死者まで出している。魔術師とは非礼を当然とするものなのか。状況をわきまえずに過去を持ち出し、己の矜持ばかりを気にかける。女々しいことだ。ゆえに俺は、中途半端に賢しらな魔術師など好かぬ。感情を理論と言い張り、狭小な我を正義と疑わぬさまが尚更見苦しい。そもそもからくりのごとき虚ろな理が、この場で何の役に立つ。死者を復活させられるのか、魔を撃てるのか。そしてお前の糾弾は今、何よりも優先させねばならぬほど重要なのか」
 リスカは先程とは別の意味で表情を険しくした。反論など一切できない。エジはまさしく、こちらの虚偽を暴いたのだった。誤摩化しのない正当な指摘に、自分の恥を理解した。
「……すみません、浅はかなのは私でした。そして、ありがとうございました。おかげで助かりました。命を落とした騎士達にも心からの礼と祈りを。御霊が祝福され、名誉の門をくぐりますように」
 エジは嘆息した。
「分からぬ術師だ。己の非を認められる器量を持つのなら、なぜ今更感情的に過去を持ち出す必要があった」
「騎士殿、リルは己に謝罪してほしいのではなく、この鳥に、と言っているのだよ」
 ジャヴが苦笑を浮かべ、口を挟んだ。
「たかが鳥に謝罪せよと。本気で言っているのか」
 驚きさえうかがえる呆れた顔をしてエジが言った。一体何の冗談なのかと本心から不可解に思っているのだろう。
「鳥と一口に言うが、ただの卑小な獣ではない」
 リスカは無意識にジャヴを見返した。ただの獣だろうが何だろうがあの時シアは死ぬかもしれなかった。他の者の目にどう映るかなど関係なく、リスカにとってシアの命は重い。だが、この場で持ち出すべき話ではなかったのだ。
「全く、一体フェイはお前の何に惹かれたのか。愚かしいにも程がある」
 リスカは恥じ入り、視線を落とした。今の話とフェイに何の関わりがあるのかと頭の片隅で考えたが、どうであっても不謹慎だったのは自分なのだ。
 エジは疲れた表情を見せたあと、これ以上の話し合いは無駄だと判断したのか、さっさと踵を返して去ってしまった。
 隠れていたシアが顔を出し、困ったようにぴぴと鳴く。リスカは指先でシアの嘴を撫でた。エジが呆れるのも無理はなかった。今更謝罪を求められても、わけが分からないだろう。所詮はリスカの自己満足なのだった。シアが受けた痛みを全く忘れていた自分を取り繕うため、エジを槍玉にあげ非難したに過ぎなかった。彼の指摘通り、全く状況をわきまえずにだ。死者に敬意すら払わず感謝を忘れるなど非道であり、身勝手に過ぎた。
 こういう己が何よりも恥ずかしい。実が伴わないのは結局見たいものしか目に映さず、弁明や保身を真っ先に勘定するこの狡さが原因なのだろう。
「リル、これからだよ」
 ジャヴが宥めるように告げた。リスカは不意に、奇妙な圧力を感じた。我に返ってジャヴを見下ろす。読心術だ。今の考えを盗まれた。
「ジャヴ!」
「誰でも自分の未熟さに悩む。たとえどれほど老いても尚、日々を生きる限りは過ちと隣り合わせなのだ。己の至らなさ、幼稚な振る舞いを恥じたのなら目を背けてはならない。嘲笑や失望を乗り越えねばいつまでも成長はできない」
「今、あなた、私のっ」
「君に足りないのは、行動だ。己を恥じるばかりで変えようとしない。逃げのための言葉など、まさに愚かしい。取り繕うほど更なる失望と嘲笑を呼ぶ。言葉は盾であり剣。だが真実ではない。論に縋りすぎるな。真理とは、行動そのもの。様々な動きが言葉を生むのだから。そして、言の葉は日々の中で落ちると決まっている。次なる行動により、また新たな葉が生まれるために」
 口を開いたが、一向に言葉が出てこなかった。
「怒るな。読みたくて読んだのではない、今は。治癒のおかげで急に魔力の乱れがおさまりつつあるためだ。私の意識は君に向いていた。魔力が勝手に動いた」
 リスカは羞恥で赤面した。憤りをぶつけたいが、それを実行すれば己の未熟さを益々露呈するようなものだった。
「けれどリル。君は欠けている点が多い分、教えがいがある。よろしければ君の師になってあげようか」
 リスカは何かを考えるよりも早く、膝の上からジャヴを落とした。
 
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 フェイへの配慮なのか、または予想外に懐が広いのか、エジは口論のあとでもリスカ達を見捨てずに馬を二頭寄越してくれた。
 どうやら騎士達は、少し距離を置いた場所に馬を繋いだのち、こちらへ救援に赴いてくれたらしかった。
 現在、リスカたちはそれぞれ馬に乗り、町へと戻っている途中だ。そこはかとなく不穏な空気が流れているのはいたしかたのないことだろう。エジは仲間の騎士を先に行かせ、なぜかリスカ達と並んで馬の手綱を握っているのである。正直、リスカとしては先程のことが頭にあり面目もないしいたたまれないので、エジにも是非先を歩んでほしかったのだが、それを口にするのはさすがに礼儀知らずというものだった。
「天敵を前にした被食者……」
 余計な戯れを呟くジャヴにリスカは剣呑な顔を向けた。だがジャヴも悪びれた様子を見せずに胡乱な目を寄越してきた。どうも、先程膝から落としたことを根に持っているらしい。おとなげないですよ、とリスカは自分を棚に上げ、内心でぶつぶつと反論した。元気になると途端に厄介な人である。
「お前達はなぜあの場にいた」
 エジが平素通りの淡白な声音でたずねてきた。懐が広いというより、面倒事には全く関心がない性格らしかった。
「いたい場所にいただけだが」
 とジャヴが余裕を取り戻した様子で微笑を見せた。精神安定と治癒、両方の花びらがうまく効いたらしく、随分顔色が戻っている。なんだかんだと内心で文句を言いつつも、ジャヴがいつもの態度を見せたことにリスカは深く安堵した。
「魔の居場所がお前の望む場所か」
 エジが淡々とした口調で容赦なく問い返す。本人は理論や理屈に価値を置いていないようだが、語る言葉は余計な装飾を含まぬ分理性的だった。
「魔術師ゆえに無論、魔の生態にも興味がある」
「それにしてはいささか無様な戦いをしていたように見えたが」
「援護を頼んだわけでもないのに礼を求めるような者よりも、無様だったかね」
 リスカは胸中で「ひぃ」と小さく叫んだ。どちらも冷淡に答えているため、余計に恐ろしさが募る。肩にはり付き髪の先を齧って遊んでいたシアも「怖いよ」というように、か細く鳴いた。ある意味、これが本来の騎士と魔術師の正しい図かもしれない。
「皮肉をもって論点をすり替えるのならば、確かに無様かと」
「残念だが皮肉ではなく本心なのだよ」
「歪んでいるな」
「歪みを愛でるのが魔術師だ。我らの属性は闇。物事を正面からしか見ぬ者は、闇はただの穢れとしか思えぬだろうが」
「何でも穿って見ればいいというものではないだろう」
「実に羨ましい。単純明快が許されるご身分なのだね」
 吹きすさぶ言葉の数々に、リスカはだんだん凍り付いてきた。この二人を同時に敵に回すことだけは絶対避けようと誓わずにはいられない。いやしかし、身分を言うなら、ジャヴも元貴族ではなかっただろうか。
「合わぬ」
 ぽつりと決定的な一言をついに口にしたエジに、リスカは青ざめた。それは禁句ではないか。
「ああよかった。相性がいいなどと言われた場合、本気で絶望するかもしれないと思っていたから嬉しいよ」
 ジャヴ、笑顔で物騒な返事をしないでほしい。
 リスカは降参した。駄目だ、刃物のような切れ味を持つこの会話を延々と聞かされるくらいなら、いくらでも愛想を振りまく。
「分かりました、二人とも。私のせいなのですね。今私がお二人の側にいるから、要点を曖昧にしてしか話せず焦れているのでしょう。消えます、喜んで離れますとも、続きはどうぞお二人で存分に」
 と、リスカは馬の手綱をしっかりと握り、二人の側から離れようと目論んだ。一体何について情報交換したいのかをぼかしたために、氷雨降る空恐ろしい会話になってしまったのだろうと思う。ではなぜ曖昧に話す必要があるのかと言えば、それは疑うまでもなく部外者たるリスカがすぐ側にいて聞き耳を立てているからだった。
「ではさらば」とさり気なく挨拶して爽やかに逃亡を図った時、なぜかぐっと身体に圧力がかかった。戦々恐々と振り向くと、貶しようのない美麗な微笑みを浮かべたジャヴが傲慢にも指で「戻れ」と合図しつつ、リスカをしっかり見つめていた。
「リル。気をつかう必要はないのだよ。また趣味の悪い自虐に走っているのかな」
「ひ」
 今の台詞は間違いなく脅迫だ、とリスカは仰け反った。真意は次の通りである。「ここで逃げたら読心術で心を丸裸にするぞ」だ。わざわざ圧力をかけてきたのだから、決して思い違いではないだろう。
「まあいい。お前も関ってしまったのだから、知る義務があるだろう」
 エジ、余計で無用な気配りです、それは。そもそも権利と言わず義務とおっしゃいますか。
「情人であれば、フェイについて知りたいのではないか」
「うぐ」
 言葉の攻撃魔術を浴びせられた気分になり、リスカは呻いた。神よ、これは何の咎に対する罰ですか。
「へえ、情人。君が、あの騎士殿の、情人と」
「ひっ」
 気を飛ばしそうになるリスカだった。ジャヴの微笑みがなんと邪悪に見えるのか。いや、見えるのではなく実際に邪悪の権化だ。
「まさかフェイが男相手と情をかわすとは予想外だったが」
「ひぇ」
「男相手?」
 やめてください二人とも、もうこれ以上の責め苦は。
「男」
 ジャヴがわざとらしく目を見開いて首を傾げたあと、再度「男」と繰り返し、じっくりととリスカを眺め回した。と思ったら、くっと肩を震わせ、笑い始める。
「何がおかしい」
 真顔で聞かないでください、とリスカは本心からエジに懇願した。
「色事には奥手のようだが、それでも口づけくらいは、かわし――」
「そそそういえば、エジはなぜこの場にいらっ、いらっしゃったのですか!」
 リスカは無我夢中で割り込んだ。動揺のあまり、途中で噛んでしまったが。
 シアが「ぴぃ」と何とも言えぬ複雑な鳴き声を聞かせた。



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