花炎-kaen-火炎:21


「こういった話し合いになると、途端にいきいきする。御伽噺ではないのだぞ。実際に人が死んでいる。分かっているのか」
 エジの窘めに、リスカは言葉を失った。その通りだ。どれほど言葉で解明しても死者は蘇らない。不謹慎だったとリスカは項垂れた。
「御伽噺か現実か、それが何だという。私にとって世界は愛すべきものではない。正直、どうでもいいのだよ。だが弟子の成長を見守るのは悪くない。可愛いものだ」
 エジには何が何でも対抗したいらしきジャヴが冷然と言い切り、悄然としているリスカに微笑みかけた。些細な言葉に突っ込んですみませんが、もしや本気で私を弟子扱いしていませんか。
「弟子? この者がか」
「可愛いだろう。素晴らしく鈍いが、必死に学ぼうとしている」
「ひ」
 褒められてません、どころか絶対にけなしてますよね、私に何の恨みが、とリスカは気を失いかけた。
「可愛いか?」
 ありえぬ、という紛うことなき全否定の胡乱な目でエジがリスカを見つめた。全力で落涙しても許されるのではないだろうか。シアがとりなすようにぴぴと鳴いてくれたが、なにやらえらく物悲しさが募る。
「あがくさまがよい。自意識が強く驕慢な者よりよほどよいではないかね」
 もう思う存分好きに言ってください。
「どういうことだ。お前はこの魔術師の情人でもあるのか。見かけとは裏腹に随分多情なことだ」
 撤回します、二人とも黙ってください。
「おや。だとすればいかがする」
 リスカは涙目になりながら、平然と嘘を吐くジャヴを見つめた。二人を今すぐ昏倒させ、ついでに身も拘束してしまいたい、と悪党根性を抱いてしまう。
「この者の何がいいのか全く理解できぬ。美貌や色気が皆無というのに」
「美貌ならば自分が備えているのでね。他人には求めないよ」
 二人の口を縫ってしまいたい。こうまで遠慮なく酷評されながらも自分はなぜ彼らとともに行動しているのかと本気で後悔した。今なら魔物の到来だとて歓迎できそうな心境である。
「第一、私よりも数倍は手強い剣士殿がリルの側にいるのだがね」
 馬上でさえなければ、すぐさまジャヴをどついていたに違いなかった。
「近頃は花苑随一の美妓に酔っているようだけれどね」
「剣士。ああ、なるほど。妓王の隣に立っていた無闇に目立つ男のことか? 最近妓王の側に若い剣士が侍り、守護していると聞いた」
 いやもういっそのことエジもはり倒してよいのではないだろうか。リスカの思考は次第に物騒な方へと傾き始めた。悪の道というのはこういう状況から生み出されるらしい。
「妓王ではなく男の方を気にしていたな、お前」
「へえ、リル、やはり妓王を見たのだね」
 うるさい、と叫べたらどれほど気が楽になるだろう。
 ああセフォー今すぐこの二人を駆除してくださいませんか遠慮も手加減も一切いりませんよ、とリスカは強烈な祈りと悲しみを同時に抱いた。シアはとうとうリスカを慰めるのを諦めたらしく、そっと首に寄り添った。
「唯一、無理にでもこの者の美点をあげるとすれば、色事以外の場面で口達者なところのみではないか。それほど理を愛するか。だがそれが何の実となる」
 全然美点になっていません、と内心で大泣きした。はっきり分かった、騎士は魔術師の敵だ。
「理は実ではない。ただひたすらに面白おかしく弄ぶものだ」
 ジャヴは明らかに見下すような目をした。
 だがリスカは気が気ではなかった。ジャヴが事態を引っ掻き回せば回すほど、被害を受けるのはリスカなのだ。
「魔術師は闇の属性を持ちます。ゆえに理で己を引き止めるのです。言葉は暗示となる。己の精神が落ちぬよう、理による言葉で武装せねばならない。なぜなら、魔力は時に災いをもたらす。悪意となって己に返るといえばいいでしょうか。制御できねば、幻覚を見せる。現実を不確かなものにしてしまうのです。それを打ち払うために、解き明かす。私たちはこうして心の狂いをふせぐために、わざと思考を働かせる。考えることで、考えずにすむように、です。最早好みか否かではなく我ら術師にとっては習性といえましょう」
 リスカは、ある程度の真実を含ませて口早に説明した。
「そこまでの苦痛を味わいながらも、魔力を手放さぬのか」
「手放すものではありません。むしろ魔力の方が肉体を支配している」
 この歪な力を望んだ覚えはないのに、どうにも手出しがならない。だとすれば取り憑かれているのだろう。
「まあ、私たちの事情はともかく。事件に魔族が関っているのでしょう。一体どうするのですか」
 リスカは話題を変えた。
「そんなもの。人にも魔にもそれぞれの世界がある。その領域を超えて魔が人の世を荒らすのならば当然、断罪するのみ」
 きっぱりと断言したエジに感心した。揺らぎのない透徹した信念が羨ましい。
「この世はすべからく単純な原理で動いている。害をもたらすならば排除する、それ以外に何がある」
 厳然としていて羨ましいほど迷いがない。きっとセフォーと気が合いますよ、とリスカは思わず言いかけた。
「では今、フェイは魔族を退治に向かっているのですか」
「いや、違う。見世物が催されるはずの場を監視している状態だろう。のちほど合流する予定だ。それで、なぜお前たちが貝百のもとにいた」
 途中で心臓に悪い方向へと話が逸れたが、エジは最初の問いかけを忘れていなかったらしい。
 リスカは少し考えたあと、歯切れ悪く説明した。妙に爽やかな微笑を見せているジャヴに戦々恐々としつつだ。
 花苑の娼館で目を覚ましたあと、なぜか蛾妖に捕まってしまったこと。監禁されていたところをジャヴに助けてもらったが、転移地点を間違えてしまい偶然荷馬車に乗り込んでしまったこと。
 転移地点についてはジャヴの過去が関っているため、単なる事故であるとしたのだ。
 わざと簡潔に説明するリスカへ、エジが怪訝な顔を見せた。
「監禁されていたと」
「はい」
「それでお前、突如行方知れずとなっていたのか。全く、手間を取らせるものだ。フェイが責任を感じてお前の捜索を優先させたために、時間が無駄になったのだぞ」
「はい?」
 リスカは首を傾げた。
「リル。君は一晩以上監禁されていたということだよ」
 蝋の結界内では一晩以上が過ぎていたのか。時間の経過が全く分からなかったのだが、なるほど……と頷きかけて、リスカは青ざめた。ということはその、無断外泊状態だ。
 その間のシアの食事はどうなっていたのか。ツァルとの約束も破ったことになる。それにセフォーは。
 夜になっても戻らぬリスカをどう思っただろう。蝋の結界に阻まれ、セフォーでさえもこちらの気配を感知することができなかったのだろうか。
 それとも、セフォーも店に戻ってはいないのか。
 リスカは表面上平静を取り繕ったものの、内心では激しく落ち込んでいた。結界を出てから随分経つというのに、セフォーは姿を見せない。シアを寄越してくれたのは一欠片の同情心ゆえだったのか。既に関心を失い、こちらの安否などどうでもよくなったのかもしれなかった。
 必死に顔色を変えぬよう、近づく町の様子に目を凝らしていた時、不意にジャヴが馬から降りた。
「さて、お二方。実験台になっていただこうか」
「何」
「何ですか」
 リスカだけでなくエジまでも濃厚な警戒を滲ませた目をして、馬の歩みをとめた。
「随分魔力が戻ってきた。どれ、転移を試してみよう」
 リスカは心底逃亡したくなった。先ほど死にかけていた人が何を言うのだ。
「このまま馬で行けばいいだろう」
 そうですよそうですよと、エジの言葉に強く同意する。
 おそろしい。いくら治癒をしたからといっても、ジャヴの状態は万全ではないのだ。第一、実験台という言い方が不吉すぎる。
「馬など時間がかかりすぎる」
「私は全然かまいません。どうですか、ここは一つ、交流を深めるつもりでのんびりと」
「こちらの騎士殿はフェイ殿と合流せねばならないのだろう。いつまでものんびり談笑している時間はないと思うけれどね」
「うぐ」
「それに、早く部下たちに治癒を施した方がいいだろう。だったら君の店まで転移すればいいのだ」
「転移ができるというのでしたら、あなたが治癒の術を直接彼らに」
「ここまでそれこそのんびりと会話しながら来ただろう。騎士たちは既に町中へ戻っているね。ならば君の店まで転移して、治癒の道具をそちらの騎士殿に渡した方がいい。騎士は本来、魔術師を好まぬだろう。睨まれながら治癒の術を施すなど、ごめんだね。その点、君の治癒の術は便利だ。花びらを用いるのだから顔を合わせずにすむ。命に関わるほどの重傷を負った者には、既に先ほど花びらを渡しているし」
「ぐぐ」
 あっさりとやりこめられて苦悶しているリスカに冷たい視線を向けながら、エジが力強く反撃した。
「この者の店まで転移が成功したとしても、そこからはどうせよと」
「問題ない。馬ごと転移すればいい」
 この言葉には、さすがのエジも絶句した。
「魔力とは厄介でねえ。一度狂うと不安が芽生えるものなのだよ。もう二度と操れぬのではと。時間を置けば置くほど不安は募るものだ。ゆえに、使っていかねばね」
 あなた一人でまずは実験してください、とリスカはつい、おさえきれずに口に出してしまった。
 ジャヴの笑みが深まった。悪魔の微笑に見えた。
「運命共同体、といこうか」
 悪魔めいた宣告に、蒼白になったリスカとエジが逃亡するより早く、転移の術が無慈悲にも紡がれた。
 
●●●●●
 
「リル、顔色が悪いね」
 誰のせいですか、とリスカは内心で反論した。
 場所はリスカの自宅兼店内である。
 現在リスカとジャヴは居間におり、向き合って椅子に腰掛けている状態だった。既にエジの姿はない。治癒の花びらを渡したあと、彼は仲間の騎士がいる場所へと向かったのだった。実はリスカも同行しようと思っていたのだが、それははっきりと断られてしまった。魔術師と行動をともにするのはもうこりごりだと痛感したに違いない。
 蛇足だが、リスカは万が一のことを考えて一応、ある程度の花びらを懐に用意している。
「何を怯える必要がある。転移は成功しただろう」
 お茶をいれた杯を両手で持ちながら、ジャヴが艶美な笑みを見せる。その誇らしげな目がえらく憎い。
 生きた心地がしなかったのはシアもだろう。なにせ、ジャヴが死にかけていた場面を目撃しているのだから、たとえ治癒を施したといっても軽々しく転移の術など行うべきではないと思って当然なのだった。
 可哀想にシア、こんなに震えて、とリスカは自分の膝上で丸まりつつ微妙に涙を浮かべているシアを撫でた。
「なにせ私は恥知らずで不潔で愚か者なのだろう? 望むまま引っ掻き回せばいいと、以前罵っていたじゃないか」
 ジャヴがすこぶる偉そうな顔をして、唇を歪めた。なんて高慢な表情が似合う美貌なのだろう。
「何の話ですか」
「おや、自分の言葉を忘れたのかね」
 リスカは数秒放心した。
 顔だけは無敵の、悪魔の心を持った厄介な魔術師に、いつそんな大それた暴言を吐いただろう。その後の展開が恐ろしすぎると容易に想像できるので、胸中ではともかく実際に声に出していうはずがない。
 胸中で?
 リスカは嫌な記憶を蘇らせた。脂汗だか冷や汗だか判別できぬ冷たいものがだらだらと全身を伝う。
「ま、まさかと思いますが、その、もしや以前、牢獄内で、私に、読心術を使った時」
 ジャヴは返答せず、背筋が寒くなるような整った笑みを顔にはり付けた。
 絶対にそうだこの顔は間違いなく読心術で聞いたのだ、とリスカは確信し、直後卒倒しかけた。椅子に座っていなければ実際に倒れていただろう。
 確かにリスカは劇薬精製の真犯人と間違われて地下牢に入れられた時、読心術を使って圧力をかけてくるジャヴに対し胸中で色々と、その、恥知らずだの不潔だの馬鹿馬鹿だのと散々暴言をまきちらしたのだった。しかしあの罵倒は相手に届かぬことが前提というか無害な腹いせというか、仮に届いたとしても口に出してはいないのだから責められるべき問題ではないはず、とリスカは内心で必死に言い訳をした。
「いやっ、いやですねジャヴ。それはそれ、これはこれで」
「それ?」
「ぐ」
「ふうん」
「ひぐ」
 何も知らぬ者が見れば恍惚としそうなほどあでやかな微笑を浮かべたジャヴが突然椅子から立ち上がり、愛想笑いを凍らせて凝固しているリスカの背後に回った。振り向けない。恐ろしすぎて、とても背後に立つジャヴに顔を向けられない。
 シアあなたが確認してくれませんか、と他力本願な頼みを目に乗せて、膝上のシアを見つめたが、それだけはご勘弁という感じで思い切り視線を逸らされてしまった。ああシア、私がこのまま生け贄になってもいいというのですか。
「こう見えても私は繊細でね、あの時君に罵られて深く傷ついたのだよ」
 と大袈裟な言い方をしつつ、ジャヴが背後からリスカの肩に両腕を回してきた。リスカは椅子に座った体勢のまま、両肩に乗せられたジャヴの腕を戦々恐々と見つめた。
「思い返せば、君には本当に精神を隅々までかき回されているような気がする」
「き、気のせいではないでしょうか」
「気のせい、ね」
「はい、気のせいです」
 やけにジャヴの声が近い。どうやらリスカの肩に腕を乗せるため、身を屈めているらしい。更には威圧目的なのか、わざと耳元で話しているらしかった。
「誰のおかげで、そんな気を持ってしまったのだろう」
「原因とは、必ずしもひとつであるとは決められぬもので、きっと様々な方面から」
「方面か」
「ひ」
 ここで神の助けを求めることは間違いですかいいえきっと正しい判断ですよね、とリスカは胸中で誰にともなく訴えた。
「どんな方面でもいいのだがね。確実なのは、君が大いに関っているということだ。散々私の事情に触れただろう」
「そんなことはないですよ」
「あるんだよ。だが逆に、私の方は殆ど君の事情に触れていない。不公平ではないか」
 そっとジャヴの腕を掴み、拘束から逃れようとした時だった。
「弟子よ、以前とは異なり、どうも本気で君に興味を覚えた。私に、過去の記憶を開いてもらおうか」
「な」
「塔時代の君を、よく知らない。砂の使徒であることは聞いたがね。だが、まともに話した数は少ない。今の君と、噂できいた過去の君は、わずかに違いがある。その理由が見たい」
「嫌です」
 これは悠長なことなど言っていられない。リスカは真剣に拘束から逃れようとした。シアが慌てた様子で羽根を広げ、卓上へと移動した。
「是も非もない。君はなぜ、己に関する感情には目を瞑ろうとするのだろう。そしてなぜ、誰であっても擁護しようとするのだろう。過去がかかわっているはずだ。見せてもらう」
「嫌だと言っているでしょう!」
 暴れたために、椅子から落ちそうになった。
 椅子の脚がずれて硬い音が響く。必死にもがき、逃げ出そうとしたがジャヴは腕を離さなかった。掴み合いの末、とうとう床に転げ落ちてしまったが、それでも逃がしてはもらえない。
「やめてください」
 シアの鳴く声が聞こえた。
「なぜ」
 無慈悲にも聞こえる短い問いに、リスカは激しく首を振った。
「嫌です、嫌なものは、嫌だから」
「答えになっていない」
 混乱し、冷や汗が滲み始める。
 暴かれたくない過去。思い出すにはまだ早い。
 喘いだあと、リスカは強くジャヴの服を握った。
「怖いから。思い出すのは、怖い」
 吐き捨てるように告げ、額を彼の胸に押し付ける。
 しばらくの間、沈黙が流れた。
「怖いか」
 丁寧な仕草で、髪をすかれた。
「では、ここで立ち止まるか?」
 リスカはゆるゆると視線を上げた。
「この先、事件を追っていけば君にとっては嫌な光景が待っているかもしれない。どうする」
 もしかして、ここでリスカを足止めさせるために過去を持ち出そうとしたのか。
 嫌な光景とは何だろう。
 一度瞼を閉ざし、考える。
 きっと炎が待っているのだろう。
「リル」
 立ち止まりません、とリスカは答えた。



|| 小説TOP || 花術師TOP ||  ||  ||