花炎-kaen-火炎:23


 リスカはすこぶる複雑な感情を抱いていた。
 なぜかといえば――現在、リスカは馬の背に乗っているのである。しかもすぐ後ろにジャヴも騎乗している状態だった。
「あの、フェイやエジたちの所へ行くのですか」
「いや、それはあとだ」
 とあっさり質問をかわされてしまい、リスカは見咎められないのをいいことに、眉間に深く皺を寄せた。
 場所は、夕暮れの気配が漂い始めた人気のない通りである。おそらくは花苑の方角へ向かっているのだと思うが、なんともはや、なぜ別々の馬に騎乗しないのだろうかと妙なところに動揺してしまうリスカだった。背に当たるぬくもりや衣服にたきしめているらしい仄かな香の匂いに、えらく緊張感を抱く。
 よほど親しい者ならばいざ知らず、リスカはもともと他者との他愛ない触れ合いにすら困惑してしまう。おそらく羞恥とはまた違った、警戒に近い感覚だろう。
「リル、気をたかぶらせるな」
 思わず、誰のせいですかと内心で呟いたが、実際口にした場合、どれほどからかわれるか分かったものではない。
「転移をすれば早いのでは」
 遠回しになぜ馬での移動を選んだのかとたずねた。
「魔力の発動を悟られたくないためだ。蛾妖を追跡した時、それで看破されてしまったからね。同じ失敗は繰り返したくない。残念ながら私は隠匿の術にはそれほど通じていない」
 なるほど、理にかなっている。
「花苑に向かっているのですか」
「そうだ」
 花苑近辺が最も賑わうのは宵の後であり、この時刻はまだ人影も乏しく閑散としている。花苑の関係者や荷馬車が時折通る程度で、一時の愉楽を求める客の姿が増えるのはもう少し時が回り、夜の勢いが強まってからだろう。
 西日にさらされる町は、どこか滅びを前にした哀れな世界を連想させた。鮮やかだが、その荘厳な華々しさは、燃え尽きることを前提にした最後の抵抗のように見えたのだ。
 しばらく馬に揺られたあと、今度は徒歩での移動に切り替わった。馬は、途中、通りかかった小店の主に幾ばくかの謝礼を渡したあと、預かってもらう。
 最終目的地は一体どこなのかと首を傾げるリスカを促したあと、ジャヴは通りの奥まった方へと歩き出した。どうもこの周辺は、一般の町民が気軽に立ち寄って遊べる類いの店はなく、主に貴族などの上流階層が利用する高級娼館が並ぶ区域であるらしかった。どの館も造りが豪奢であり、敷地もまた充分なゆとりがある。隣館との距離が大きく取られているのだ。荷馬車の行き来を配慮してか道幅も広く作られている。
「騎士殿たちは今、不法な見世物小屋の摘発の方に重点を置いているが、私自身は花苑の客を死に至らしめる原因の調査と解決を頼まれているのだよ」
 わずかに遅れて歩くリスカに振り向き、ジャヴは淡々とそう説明を始めた。
 そうだった。不審死の解明についての協力をフェイから頼まれたと言っていたのだ。リスカは足をはやめ、彼の隣に移動した。
 こんな時に何だが、性別転換の花びらを使用するのを忘れた、と不意に気づいた。今のリスカはもとの身体のままである。
「まずは、そちらを片付けねばね」
「見当がついているのですか」
「ついたね」
 端的な返答にリスカは当惑した。荷馬車内では確か、別の妖が花苑に潜伏している可能性があるために蛾妖を泳がせたと説明されたはずだった。その時点ではまだ別の妖魔が潜んでいる場所を確認できていなかったという意味ではないのだろうか。ならば一体いつ、蛾妖以外の妖魔の居場所を特定できたのだろう。
 どうにも気になってしまい、詳細を話してほしいという思いをこめて隣を歩くジャヴの横顔を注視した。リスカの視線に気づいたジャヴが小さく笑い、わずかに歩調を緩めた。
「蛾妖に囚われた君を救出するため、蝋の結界を壊した時のことだ。その後、蛾妖の逃亡を阻止するため、また、無関係な者の巻き添えを防止するために、周囲一帯に薄く防壁の結界を構築した。私が操る魔力に気づいた何者かが『視線』を飛ばしてきたのだよ。あの『視線』からは人間のものではなく、魔の気が匂っていた」
「そうだったんですか」
 リスカは感心した。蛾妖とジャヴのやりとりに集中していたため、何者かが飛ばす『視線』には全く気がつかなかったのだ。
「蛾妖に魔術を仕掛けるところまで覗き見されていた。その『視線』がどこから飛ばされているのか探ったため、蛾妖に向けた術の構築に時間を要してしまった。結果、君に怪我をさせたことはすまないと思う」
 少し気まずげな顔をリスカに向けながら、ジャヴがそう言った。
 リスカは驚きを浮かべつつ、あぁ、いえ、うむ、などと言葉を濁すようにしてもごもご返答した。あの時、蛾妖を消滅させるための高等魔術を操っていたから己の身を守る守護系の術まで手が回らなかったのだろうと考えていたのだが、そうではなく『視線』を追う方にも実は力を割いていたのか。
 いいな、とリスカは淡く羨望を抱いた。これが塔の貴石と呼ばれた魔術師の力か。
 理性的、客観的な目で物事を見定めたいと考えながらも、リスカはやはり目前で発生している出来事だけに気を奪われてしまい、他の様子までは丁寧に神経を配れない。無論、遠方から向けられる『視線』の場所を特定するには高度な感知能力も備わっていないと不可能であり、勘の鋭さ、鈍さとはまた別次元の話となる。残念だが決して秀でているとは言えないリスカの感知能力では慣れ親しんだ気配、またはごく近距離のみしか拾えないのだった。
「とはいえ、複数の『視線』があったからね。さすがに全ては無理だった。掴めたのはただ二つだけ。蛾妖に魔力を奪わせたあとだったために魔力の消費が……というのは言い訳だな。やはり、塔を離れてから術の研究が疎かになっている。散々不誠実な生活を送ってもきたためか、調子が戻っていないようだ」
 照れ隠しなのか、どこか気難しげに見える表情を浮かべてジャヴが付け足した。
 複数の『視線』があったのか、とリスカはびっくりした。ということは、ジャヴはあの時、蛾妖に仕掛けた魔術以外に、幾重にも力を行使していたのだ。普通は系統の異なる術を幾重にも仕掛けるなど、容易くできない。
「なんだ、リル。変な顔をして」
 無意識に眉を寄せていたらしい。『視線』の一つにすら全く気づかなかった自分がなんだかひどく矮小な存在に思えて落ち込んでしまったのだ。
「私はこれでも以前、塔からの指示を受けて魔に関する事件をいくつか扱ったことがあるのだよ」
 慰めるつもりなのか、ジャヴが穏やかな眼差しを見せ、柔らかい口調で言った。上位魔術師ともなれば塔に持ち込まれる妖魔関連の災害や事件を担当することがあるという。そういった問題を解決し功績を積み重ねていく中で、国を動かすねじを握る貴人との繋がりを作るのだろう。
「力が全てではないさ、リル。仮に百の力を身に溜めているとしても、その半分すらろくに使えぬ者もいよう。ならば身の内の力が五十しかなくとも、それを最大限に引き出せる者の方が優れていると言える。要はどれだけ自分を知り、またその限界に近づけるかだ。そして限界とは、近づくほど遠ざかる幻のようなもの。人の身には限りがあるが、抱く意志に終わりなどないと思うよ」
 リスカは、はっとし、その直後視線を揺らした。蛾妖と対決した時、力だけでは計れないと言ったのは他の誰でもなく自分自身だったはずなのに、すっかり惑わされている。本当に力とは、心蕩かせる類稀な美貌のように蠱惑的なものだった。どれだけ自制し身を正しても、不意に強く誘惑され――辛うじて打ち勝てたとしても、次には愛らしい幼子のごとく後ろから手を引かれてしまい、とうとう振り向いてしまう。我に返った時、手を握っていたのは無垢な幼子ではなく、願望と欲望を抱きすぎて哀れなほどに歪んだ自身の影だと気づくのだ。
「落ち込むな」
 とあっけらかんと言われ、つい半眼で見上げた時だった。突然ジャヴが足をとめ、リスカの腕を掴んで引き寄せた。
「お食べ」
 えっ、と思った時には、口の中につるりとした小さな粒を押し込まれていた。
 甘い、と感じた瞬間、全身が総毛立った。あまりの不味さにだ。
「うぐ」
 リスカは本能が命じるまま、口の中で凄まじい味を広げる元凶となった粒を吐き出そうとした。ところがその行動を察知していたらしいジャヴの手でしっかりと口を覆われてしまう。飲み込みたくない。涙目で見上げ、必死に訴えたがジャヴの微笑は冷酷だった。飲み込むまで手を離してはくれない。
 口内で微妙に溶けてじゃりじゃりとした食感を残す怪奇的な味の粒を、リスカは観念して飲み下した。寒気がする。
「よろしい」
 嚥下したのを見届けたジャヴが満足そうに頷いた。リスカは慌ててジャヴから一歩離れ、警戒態勢を取ったあと唸った。
「ひどいです、今のは本当にひどいです」
 私の質問を封じるための姑息な作戦ですか、と思わず内心で疑った。
「何だね、その目は」
 余程情けない顔をしてしまったのか、ジャヴが苦笑し、未だ寒気に襲われているリスカの頭を引き寄せ囁いた。
「玲薬(れいやく)という気配を隠す呪薬だよ。魔物は魔力の匂いに敏感だ。不用意に接近すれば逃げられる」
 魔力の気配を消して魔物の潜伏地に乗り込み、囮捜査を決行するつもりなのか。
 飲み込んだ薬が腹の内で燃えているようだった。
 よろめきそうになるリスカを支え、赤く燃える空にジャヴが視線を移した。
「さて、この奥あたりであったはずだが」
 既に魔物へと意識が切り替わっているらしきジャヴを横目で見ながら、本当にこの人についてきてよかったのだろうかとしばし悩んだリスカだった。
 
●●●●●
 
 その後、ジャヴは魔物の潜伏場所へ直行することはせず、不可思議な寄り道をした。
 なぜか一旦もときた通りへと戻り、遠回りとなるような裏道を何本も通ったのだ。リスカはきょとんとした。一応術師ではあるし魔物の類いと幾度か対峙した経験もあるが、本格的な討伐作戦に参加するのは初めてだったので、彼が何をしたいのか行動を掴みきれない。
「何をしているんですか」
 路地裏の、誰も目にとめぬような片隅で――身を屈めて石畳の隙間に何かを詰め込むジャヴの姿を見ながらたずねた。
 ジャヴが身を起こし、背後で見守っていたリスカに顔を向けた。それから少し笑い、片手をリスカに差し向けた。彼の片手には、玩具のように小さな瓶が乗せられていた。ごく小さな瓶の中に液体が入っており、それが暗い緑色に染まっている。まさか、香水ではないだろう。
「これは?」
「私が作ったものでね。原液は聖水なんだが、それに少し細工をした」
「聖水に、細工」
 リスカはそわそわとしながら、面白そうな顔を浮かべているジャヴと小瓶を交互に見つめた。駄目だ、好奇心が疼く。
「どういうものか、知りたいかね」
「はい」
 こっくりと頷き、ジャヴを凝視する。
「弟子よ。ご教授願えますか、の一言は?」
「はい?」
 この人は本当に、とつい項垂れそうになったリスカだった。胡乱な目で見つめそうになったがふと考え直す。失った関係を未だ夢見、必死に追い求めているのかもしれない。路地裏の片隅に佇む美しく孤独な魔術師を改めて見返す。手探りで生きているのはリスカだけではなくジャヴもまた同様なのだろう。寂しさと戸惑いを同時に覚え、視線を落とした。師を失った魔術師、そして師を知らぬ自分。どういう関係を築くのが正しいのだろうか。正しさが必要なのか。
「あの……教えていただけますか」
 ちらちらと視線を向けたりさまよわせたりしながら、小声でそう言うと、ジャヴは何も答えず軽く片眉を上げた。不服らしい。
「ジャヴ、その」
 やり直し、というように指の節で額を小さく小突かれた。何やら腹立たしいというよりも照れや羞恥の方が強くなってきた気がする。先を急ぐべきであるのに自分たちはここで何をしているのだろうか。いや、ジャヴの中では魔物討伐よりも今の方が重要なのだろう。幼き頃のジャヴもシエルにこういった感情を何度も抱き、面映くなったことがあるに違いなかった。
「ええと」
 狼狽えるリスカをじいっと見つめながら、先を促すようにジャヴが「師よ」と言った。
「ええ、はい、師よ」
 どうしても師と言わせたいらしいジャヴに負けた。
「知を授けていただけますか、と」
「……知を、うう」
 恥ずかしい! とリスカはなぜか悶えた。普通に「教えてください」と頼むのは別段恥辱も何も感じないというのに、どうしてだかひどく羞恥を煽られている気がしてくる。いや、何も恥ずかしい台詞ではないはずだ。
 顔が火照ってきたことに気づき、リスカは卒倒したくなった。すると焦れたのか、再び額を小突かれた。
「続けて言いなさい」
 なぜこの人は平気なのだ、とリスカは胸中で叫んだ。回避方法としては単純に小瓶の正体を諦めればいいというだけなのだが、最早どうにも引き下がれぬ状態である。
「師よ、ど、どうか私に知を授けてください」
 言い切ったあとで思い切り身悶えたくなった。やれるものなら石畳に両手を打ち付けて転がり回りたい。
 その言葉でようやく満足したのかジャヴが笑みを深め、恥ずかしさに硬直しているリスカを気にもとめず、平然と説明を始めた。知れば知るほど厄介で複雑な人だ。
 けれども、求めるままに言葉を費やしてくれる者が存在するというというのは、なんと贅沢で満ち足りたことなのだろうか。恐ろしいほどに、勿体なくも思えるのだ。いつまで言葉を注いでくれるかと、そう不安さえ抱く。
「魔物の中には決められた道筋に固執するという習性を持つものも多い。己の領域を強く意識する傾向を持つといえばいいか」
 それは確かに聞いたことがあった。人間も同様で、慣れた道、場所を無意識に選択するものだ。特に魔物の場合は、その固執加減が極端なのである。なぜかといえばやはり人間よりも魔物の方が感覚が鋭敏であり、その延長で危機を察知する能力にも長けているため、己にとって過ごしやすい場所や道を発見した場合は執拗なまでにこだわるのだった。縄張り意識を魔も持っているのだ。
「魔物が通る道筋――つまりは逃走経路ともなり得る道を知るために、以前この聖水を幾つかの地点に隠しておいた。この聖水は、魔物が近くを通った場合、その魔力に触れれば色が変化する仕組みになっている」
 ジャヴの手の中にある小瓶をリスカはまじまじと見つめた。
「変色しているだろう? ここはどうやら魔物の通り道であるらしいね。ならば、もしもの時を考えて、一つ罠を仕掛けておく」
 と言ってジャヴは石畳を指差した。そこは先程何かを埋め込んでいた隙間だった。そうか、仮に魔物と対峙して逃亡された場合のことを考え、足止めとなるような仕掛けを用意したのだろう。遠回りをしていた原因がこれで理解できた。
「変色している聖水の場を繋げば、魔物が寄り着く幾つかの点を知り得ることができる」
 どうやらここに至るまでの日々の中で、ジャヴは地道にこうして魔物が通う地点を探していたらしい。一度に数多く仕掛けてしまえばさすがに魔物の勘が動くため、発覚せぬよう時間を費やして少しずつ経路を絞ってきたのだろう。
「見てごらん、聖水がひどく変色している。おそらくは魔物がこの道を通って間もないためだ。だとすると、この周辺のどこかに魔物の根城があり、そこから移動して娼館に潜り込んでいる」
 数日前には向こうの区画にある裏道の聖水が変色していた、とジャヴが視線を別の方向へ向けた。次々と魔物の通り道となった地点をあげ、それを線として繋いでいく。すると、魔物の動向が見えてくる。聖水の変色の経過から、魔物の行動周期もまた知ることができるのだ。人が安息を求めて屋敷を構えるように、魔物も巣を作る。
 花苑にて発生した不審死は様々な場所で見られたため、犯人の特定が困難であったという。客が生前通った店を根気よく調査すれば何らかの結果を出せるだろうが、その前に魔物は宿替えしてしまう。たとえ馴染んだ場所に固執していても、何度も身近に危機を感じれば離れざるを得ないと判断するはずだった。ゆえに面倒ではあるもののこうした下調べが必要となってくるに違いない。魔物討伐とは予想に反して地味な戦いらしかった。
「では、魔物の根城となる場所は掴んだのですか」
「まあね」
「花苑内にある?」
「いや」
 リスカは首を傾げた。
「その根城をまず叩いた方がよいのでは?」
「そうもいかない。先に根城を潰してしまえば、娼館に潜伏しているすべての魔を封じることができなくなる。何しろ複数の魔、そして別種が蠢いている。種族によっては行動時間に差があるだろう」
 そういえば、蛾妖、貝百と既に二種の魔が存在しているのだった。根絶するためには一つ一つ潰していくしかないのか。
「魔物の習性を利用するのだよ。今、花苑に蠢く別の魔と不意に接近し、叩く。行動範囲は絞れているとあえて分からせるのだ。そうすれば他の魔も警戒し、当分は根城に隠れようとするだろう」
 また『視線』を飛ばしてくるという意味らしい。
「蛾妖と対峙した時の『視線』のおかげで、現在、魔がどのあたりに活動しているかという大体の場所を掴めたからね。また、貝百の時にもわずかな間ではあるが覗き見されていた。私が死にかけたことで、これ以上の詮索は必要なしと思ったのだろうかね、途中で消えたが。ゆえに今、魔物は警戒を怠っているだろう。おそらくは場所を変えていない。そこを叩くのだから、魔物は慌てる」
 なるほど、逃げ帰ったところを一網打尽にするというのか。そして、拠点へ戻るまでの間に、道々に仕掛けた罠が魔の力を削いでいく。恐慌状態で逃走するのならば、固執していた道を無意識に辿る可能性が強いのだ。
「何しろこちら側は動ける者が少ない。無作為に魔物を叩いて、暴れ出されては被害をとめられなくなる」
 少数で複数の魔と対戦する場合、相手を見定めることがまず先決なのだろう。
「種族による行動時間の差があるのならば、根城もまた複数存在するのではないですか」
「ゆえにこうして魔の通り道を探っている。そしてこちらに向けられた『視線』、行動時間、周期。条件を重ねていけば拠点となる場所が見えてくる」
「はい」
「リル、忘れたか。蛾妖も貝百も、本来ならば持ち得るはずのない不相応な魔力を持っていただろう。偶然手に入れた力というならば、もっと華々しく活動したはずだ。ところがこの魔物たちは、まるで統制されているかのように動いている」
「とすると――」
「異なる種族、通常ならば行動を共にはしない。だが、例外もある」
「例外ですか?」
 答えを求めるリスカに、ふっと重い目をジャヴは向けた。
「習性ゆえに行動時間、通い道は異なるが、拠点は同じらしいね」
 どうも例外の正体についてはぐらかされた気がする。
「その拠点となる場所には罠を仕掛けないのですか」
「あぶり出すために仕掛けない。掴んでいるのは行動範囲と潜伏地のみと思わせねばね」
 なるほどなあ、とリスカは頷いた。魔物討伐は心理戦でもあるらしい。
 その後ジャヴとともに様々な小道を練り歩き、緊縛の術を仕込んだ罠を用意して回った。全ての作業を終える頃には夕暮れの気配が完全に消え失せ、不透明な夜の色が周囲に満ちていた。空には釣り針のごとくに細く削られた鋭利な月が浮かび、霧めいた薄い雲に覆われ霞んでいた。未だ人気は少なく、明かりもまた乏しい。どこか遠方の方から娼婦が奏でているのだろう雅やかな楽の音が響いた。
「さて。仕掛けは終えた。魔と対面するか」
 鋭い月を仰ぎ、ジャヴが薄い笑みを見せた。
 
 
 ジャヴが足を向けた先は、屋根の左右が飛び跳ねた魚の尾のように反り返っている古びた筒状の館だった。異国の館を模倣しているらしく、煌めく砂を塗布した石材で外壁が作られている。入り口となる濃緑の扉の上部には、鏡のごとくに向き合う二羽の鳥の模様で透かし彫りが施され、なんとも典雅な様相を見せていた。窓もまた鮮やかな色硝子がはめ込まれている。
 そして、往来に向けての催しを考えているのか、緩やかな傾斜の外階段が壁を上へと這っており、およそ二階ほどの位置に大きく露台が設けられていた。娼婦のお披露目にも使用されているのだろう。
 不可思議な外観だが、優美だった。一見の者や平民が遊べるような館ではない。場所的にも花苑の奥まった位置に存在する。
 ここでジャヴは自らの顔を隠すようにして外套の帽子をかぶった。リスカにもそれを強要する。『視線』を飛ばしてきた魔物にと対面する直前まではなるべくこちらの存在を気取られたくないためだろう。一見実に怪しいが娼館を訪問する客として考えた場合、顔を隠すという行為は特に珍しくもない。それも当然で、中にはこういった場所で顔を晒したくないと考える者や、知人の類いと出会った時気まずいと思う者が結構いるのだ。ゆえに室内へ案内されるまでは顔を多少隠していても不自然にとられない。逆に堂々と顔をさらして遊び倒す豪快な貴人もいるが。うむ。
 怖じ気づく様子もなく門を通って、迎えに現れた女主の探るような挨拶に笑みを向けるジャヴの背を、ついつい半眼で見てしまった。それにしてもジャヴの態度はえらく場慣れしている。
 一欠片の虚しさを抱きながら、女主に館内へと案内されるジャヴのあとを追った。前に目にしたララサの館と内装は似ていた。天井からふんだんに垂れ下がる花の照明。雅で色気に満ちた女たちがゆったりと歩き回っている。
「指名はできるか?」
 二階の部屋に案内されたあと、外套を預かろうとする女主を制してジャヴがいった。室内の造りに感心していたリスカは慌てて視線を戻し、ジャヴの様子を見守った。
「先程、入り口付近にいた黄色の衣の女がいい」
「承知いたしました」
 その娼婦に先約は入っていなかったのだろうか、と少し疑問に思ったのだが、なぜあっさり話が通ったのかすぐに理解できた。色気たっぷりの眼差しで微笑むジャヴと、頬を染めてうっとりしている女主を見てだ。しかもいつの間にか、女主の髪が彼の指で弄ばれている。
 恐ろしい人だ、とリスカは隠しようもなく顔を引きつらせた。本当にジャヴは自分の美貌を知っており、尚かつ有効利用も躊躇わない。
 よろめくようにして女主が部屋を出ていったあと、あっさりと笑顔を消して平然とこっちを見るジャヴへリスカは胡乱な目を向けた。
「どうした、変な顔をして」
 なんだかジャヴの態度が恨めしくなってきた。



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