花炎-kaen-火炎:29


 ツァルが向かった先は塔の上階に設けられている、偏屈そうな魔術師の個室だった。容姿は三十代半ばあたりだろうか、扉を叩いたあとに姿を見せたその魔術師はツァルとリスカを見下ろして、不機嫌そうに鼻を鳴らした。どうやらツァルの知人らしいが、少し怖い。
「ちょっと匿ってくれるかな」
「お前はいつもいつも問題ばかり……」
「まあまあ」
 と小言を垂れるその魔術師を軽くあしらったあと、ツァルは勝手知ったる様子で室内に入り、戸惑うリスカを呼び寄せた。
「私は寝る。物を壊さぬ程度に、好きにしろ」
 なにやら微妙な言葉を挟みつつ、魔術師はちらりとツァルに視線を投げてから、さっさと寝室の奥へ消えた。一見突っ慳貪な態度だが、どうもこちらに気を遣ってくれたらしかった。
 ぼうっとしたまま部屋の中央に立っていたリスカの腕を取り、ツァルは長椅子に座るよう促した。手を引かれるまま素直に従い、正面に腰掛けるツァルの顔をまじまじと見つめる。いつぶりだろうか、ツァルとこうして向き合うのは。
「安心していいよ。この部屋の持ち主はね、私に負けぬほど頑固で口が悪いんだ。仮に誰かが追ってきて無理矢理押し入ろうとすれば、即座に殴りつけるくらいの気性の荒さを持っている」
 それにどう答えればいいのかリスカは迷った。ツァルの心はとても読みにくい。今まで知り合った相手の中で、これほど内面を悟りにくい相手はいなかったように思う。
「苦しい思いをしたね、リカルスカイ君」
「――いえ、私は」
 言いかけて、リスカは口を噤んだ。こちらを注視するツァルの表情は柔らかい。リスカは警戒した。一体なぜリスカを助けるような真似をしたのだろう。そこになんの益を見出したのだろうか。
 柔らかく、優しい表情を浮かべる者はもう信用できない。
 それに、助けなど、求めてはいないのに。
 冷静な思考が戻ってきた。愚かな真似をした、逃げてはいけなかったはずだ。ワンスたちとの関係に亀裂を入れてしまう。そうなれば今まで以上に、この塔でのリスカの立場が悪くなる。
 だが――自分は一体、何にそれほどしがみつこうとしているのだろう?
「後ろめたさを感じているの?」
 静かに問われて、リスカは緊張した。
「ねえリカルスカイ君――嫌なことは嫌だと言っていいんだよ」
「私は、別に、嫌だなんて」
 つっかえながらも反論すると、嘆息された。
 ツァルが座ったばかりの椅子から立ち上がり、リスカの前で膝を床に落として、見上げてくる。何をされるのかと身構えた時、ツァルの手が伸びて、乱れていたリスカの前身頃を丁寧に整えた。その手を振り払おうとしたが――どうしてかできない。身体が震えそうになるのを、ただ懸命にこらえることしかできないのだ。
「君は知るべきだ。彼らの幸福や願いのために、君は存在しているのではない」
 つきりと胸が痛んだ。その原因は分からない。
 身を折るようにして頭を垂らした瞬間、ツァルに突然抱きつかれた。
「極論だが聞いてほしい。幸せとは、とても不平等なものだと思う。君の幸福の延長に、誰かの幸福も同じくあるとは限らない。逆も同様で、誰かの幸福の先に、君の幸福もまた存在するとは限らない。誰かの不幸の上に、自らの幸福がある、そういうことはとても多いから」
 リスカの肩に顔を押し付けながら、ツァルがくぐもった声を出した。
「私はね、天の邪鬼な上に自意識も激しいから、皆が幸せであれば自らもまた幸せだ、という言葉を信じきれないよ。ゆえに、私は自分の中で、幸福の降りる場所を厳選してしまいたいと思っている。それはたとえば、愛する者であったり、友人のもとであったりね」
 背中に回っているツァルの手に少し力がこもった。
「身を切るほどに苦悩を続け、自らがどれほど傷ついた微笑を浮かべているのかさえ分かっていない君が、私はとても腹立たしい。内にこもりすぎるな、と背中を叩きたくなるほどに。だから余計なおせっかいをしてしまう。それは結局、君の愚かさが見ていられないほど、好きなのだということだ」
 褒められているのか、けなされているのか分からない言葉だが、リスカは一言も聞き漏らすまいとしてツァルの声に集中した。
「幸せの延長に幸せがないというのなら、私には覚悟がある。君が我慢すれば、さっきの彼らは願いが叶って幸せなんだろう。けれども許せぬ。そんな幸福など私が蹴り捨ててみせる。そして、彼らの不満の上に、君の幸福があるというのなら、喜んで見守る。なぜなら私は、彼らよりも君の方が好きだもの」
「幸せの延長……」
 リスカはぽつりと呟いた。
 過去を振り返り、自分は今まで幸せであったのだろうかと考えた。
 分からない、思いつかない。
 どうしてしまったのだろう、とリスカは混乱した。他人の心を先読みして行動してきたというのに、自分自身の内なる声が分からない。一体何を望んでいたのか、何が嬉しいのか、幸せの意味とは何か、もう全て混同し、見分けがつかなくなっている。
「分かりません、よく分からない」
 リスカは崩れ落ちそうになる。今まで、誰かが求める台詞を口にしてきたというのに、自分を表せない。――それは、他人が自分に向けてくれた言葉をないがしろにし、ただただ先読みばかりを優先させてきたためだ。
 そうだ、リスカは今まで、他者が与えてくれた幾つもの大事な言葉をまったく重んじていなかったのだ! 
 心とは反対の言葉だからそれは虚言だと、覗き見ばかりをして容易く切り捨ててきた。そうではなかった、声に出すということには、もっと深い意味があったはずなのに。
「分からないのです」
 分からない、ということが今のリスカを打ちのめす。
 一心不乱に書物を漁って知識を吸収し、他国の言葉さえ覚えたのに。最終的に、分からない、と認め、敗北するのなら、一体自分は何を得たというのだろう。
「ツァル、答えてください。あなたが私の幸福を選んでくれるというのなら、私はどう振る舞うのが正しいですか」
 リスカは混乱し、視線をさまよわせながらたずねた。
 言ってくれれば、リスカは必ず望まれる通りに実行する。他者の言葉が聞きたい。それが道標となるはずだ。
 痛切な願いだというのに、ツァルは少し身を強張らせ、リスカから離れた。
「ああ、泣きたくなる。君は他人どころか自らさえ拒絶している」
 ツァルは本当に泣きそうな目をした。
「リカルスカイ君、たくさん話をしよう。時間を費やして、他愛ないことも大事なことも、自由に話をしよう」
「はい」
 そうすれば、正しいのだろうかと思った。
「この世はまだ捨てたものではない。ほら、君の前に、私という最高の友がいる」
 泣きそうな目をして子供のように笑うツァルを、リスカは綺麗だと思った。
 
 
 ――その後、リスカは塔を去る決意を固めた。
 ツァルもまた、少し日を置いて塔から脱出するつもりだと言った。
 本来ならば一度入門してしまったあとでは法王認定の正式な書状をいただかなければ塔から離れることは許されない。修業途中の状態で逃亡することを戒道(かいどう)といい、魔道の律に背く行いと判断される。魔術師にとっては大変不名誉なことであり、一度戒道者だと烙印を押されれば、その後改心して塔に戻っても決して位を得られない。
 しかし、砂の使徒であるリスカには位の授与など関係のない話なのだ。ゆえに、魔術師の卵たちの場合とは異なり、ある日突然逃亡してもそうそう熱心に捜索されることはないだろう。
 暗い静かな冬の夜、リスカは必要最低限の荷物だけを持って塔を抜け出した。
 振り返り、闇夜に佇む塔を仰ぐ。
 リスカには大きすぎた塔だ。もうここへは戻らない。戻れない。
 夢を描いて飛び込んだはずの世界だった。けれどもその夢は、自己の喪失とともに粉々に打ち砕かれた。今、リスカは背を向けて逃げる。逃げてもいいのだと、そう言ってくれた友の言葉が胸にある。
 自由だった。自由すぎて孤独だった。
 どこへでも行ける。どこに行ってもかまわない。それは最早、どこにも居場所がないのと同義であった。
 リスカは息を吐いた。夜の中に白い吐息が溶け、塔の輪郭を曖昧にした。
 一瞬、炎に包まれる小屋の幻影が瞼に蘇る。
 そうだった、リスカは世界の真実を知りたかった。けれども、世界はとても曖昧すぎた。漠然としすぎて、結局は何も掴めなかった。もっと重要なことがあっただろうに、それをないがしろにしてきた罪なのだ。
 だから今度は、自分の真実を追い求める。
 リスカは踵を返し、闇の中へと歩んだ――…
 
●●●●●
 
 火炎。
 ――黒煙を踊らせながら赤く赤く舞い上がる炎に、リスカは過去を重ねていたようだった。
 それは一瞬のようでもあり、永遠のようでもあった。胸の底に深く沈めたはずの赤い過去。炎上する屋敷の奥に、自分が埋葬したはずの過去がもがいているような気がした。
 あの頃と、今の自分と、一体何が変わったのだろうかとぼんやり考えた。まだ自分は不具の業火に囚われたままではないのか。記憶をたぐれば、当時、世界のあらゆるものは自分の中に存在すると勘違いしていたように思う。知を抱く言葉ですべて説明できると思い込んでいたのがその証だ。
 けれども、そう、世界のあらゆるものは、自分が触れるものに見えると知り――
 視野一杯に炎の赤がちらつき、リスカは気が遠くなりかけた。知らず知らずのうちに、全身に薄く汗をかいており、不可解な重圧感に苛まれている。
「……セフォー?」
 リスカは夢から覚めた心地で隣に立つ人の名前を呼んだ。
「すみません」
 謝罪されて、理解した。そうか、この胸苦しさを覚える重圧感は、読心術で心を読まれていたためだったのだ。
「リスカさん」
「言わないでください。本当に……自分でもどうしようもない過去ですから」
 見られたことに対する羞恥や憤りよりも、真っ先に罪悪感がわく。こんな過去を見て、セフォーは失望したのではないか。
 リスカはセフォーから視線を逸らし、炎の中で瓦解する哀れな屋敷を再び眺めた。燃えてしまえ、こんな夜。そう言ってリスカを救い出してくれたツァルの声が胸の奥で暴れていた。
 燃えてしまうのがいい。見世物の屋敷など。人は神の玩具であるという。そして人は、人の中に玩具を作る。けれども、従順な態度で屈したくはない。傀儡になる定めの糸など、炎の舌で断ち切ってしまいたい。だからやはり、こうして全て燃えてしまえばいいのだ。
 炎は悪魔の術だという。
 なんて魅力的なのか。悲嘆塗れる定めをも断ち切る強さがあるからこそ、それが邪悪であっても人は魅了されずにいられない。たとえ自身の命まで焼かれてしまうのだとしても。
 人は、一度目にした炎の輝きを、決して忘れられないのだ。
 一際凄まじい轟音が響き、屋敷の梁が崩れ落ちた。結界で囲んでいるため、周囲に飛び火する危険はないが、炎の勢いは予想以上に激しかった。屋敷内から飛び出してきた者がそこここで喘ぎ、誰にともなく苦痛を訴えている。彼らの切れ切れの叫び声に耳を傾けるうち、どうやら屋敷の出火原因は、予想外の事故であるらしいと分かった。多くの人間が集まったのでそこで揉め事が発生し、蝋燭の火を倒した等――原因はいくらでも考えられる。
 救助に向かう騎士の姿が、炎を背に黒く浮かび上がっている。手伝った方がいい、とリスカはようやく頭を働かせた。火傷を負って、地面にうずくまっている者もいる。
 そう考えて一歩踏み出した時、不意に強い力でセフォーに腕を取られ、抱き寄せられた。庇うようなその仕草に、どうしたのかと視線を上げる。セフォーは屋敷の上部を鋭く睨んでいた。その氷のような厳しい視線を追い、リスカは息を殺した。
 竜巻のごとくに燃え盛る屋敷の上に、人影が見えたのだ。
「――妓王!?」
 リスカは咄嗟に叫んだ。
 真紅の色を持つ美しい衣の袖を扇のごとく優雅に翻し、婉然と微笑んでこちらを見下ろすその姿。寒気がするほどの美貌を持つ妓王が、炎の中でこちらを見下ろしている。
 視線が合ったと思った瞬間だった。妓王が笑みを深め、両腕の袖を鮮やかに舞わせた。
 リスカの肩をおさえるセフォーの手がわずかに揺れた。炎にまかれていた屋敷を突き破るようにして、突然巨大な水の渦が噴き上がったのだ。龍の背のごとくうねる水が炎を飲み込む。幼子をあやすかのような鮮やかさで炎を制していく。
 屋敷の周囲に構築されていた結界が弾けとんだ。壮絶な魔力の証である水が、炎のみならず結界までも飛散させたのだ。
 次々に上がる悲鳴と怒号。螺旋を描く水が容易く屋敷の炎を鎮火させた。
「妓王が……かの悪魔だったのですね?」
 水紫の高位悪魔イルゼビトゥル。その容貌は一国を傾けるほど美しいという。妓王の姿が真実のものなのか、それとも変化しているだけなのかは分からない。
 ここへ来る途中のセフォーの言葉を思い出した。セフォーは悪魔とともにいたと白状していたのだ。――ということは、セフォーは元々見世物を催すこの屋敷で妓王といたのだろう。その時、ともに行動していたはずの妓王がリスカたちの所へ影を飛ばした。だからセフォーはリスカの危機を察し、駆けつけてくれたのだ。
 ああ、そうなのだ、きっと。セフォーが頻繁に花苑へ通っていたのは、そこに悪魔たる妓王がいたためだったのだ。ともに行動することで、悪魔が周囲に対して圧倒的な危害を及ぼすことを防いでいたのではないのか。そしてリスカに手出しをせぬよう、見張っていたのではないか。けれど妓王……人に扮した気紛れな悪魔は展開を見守ることに飽き始め、側にいるセフォーの反応を探るためにあえて本人の目の前で己の影を飛ばし、礼拝堂にいたリスカのもとに現れたのだろう。
 リスカは無意識にぎゅっとセフォーの袖を握った。
 浅薄だった自分を恥じる。妓王の虜となったのか、遊び歩いているのかなどと下種な勘ぐりをしていた自分の愚かさにも怒りがわく。娼館で見かけた時、セフォーがリスカの気配に気づかなかったのもこれで納得がいく。彼はそれほど、妓王の一挙一動に集中していたのだ。妓王の気紛れを忍耐強く受け入れることで、最悪の事態を防いでいた。
 唇を噛み締めた時、胸にずんと重い圧力がかかった。
『――また会おう。餞別として、置き土産を少々』
 妓王の声が直接胸に響いた。声を送ってきたのだ。
 見上げた時、既に妓王の姿は掻き消えていた。螺旋を描いていた水の流れがとまり、分裂し始める。
「セフォー!」
 分裂した水が形状を変え、獅子のような獣の姿になった。
「下がっていてください」
 命じられるまま、リスカは後退した。大気を震撼とさせる巨大な威。セフォーが片腕を伸ばし、魔力で練り上げた銀色の刃を生んで、一直線に獣へと飛ばした。獣たちは屋敷の周囲にいた騎士達を襲い始めている。無抵抗な人々が悲鳴を上げ、もがくようにして逃げ出そうとしていた。
「――リル!」
 離れた場所からかけられた声に振り向く。ジャヴだ。
「防壁を作る。君は他の者と、その中に」
 獣の攻撃から人々を守るために、ジャヴが詠唱を始めた。
 リスカは一度セフォーを見上げたあと、ジャヴの方へと駆け寄った。騎士たちが獣を牽制しながら、戦えぬ者たちをこちらへ逃がそうとしていた。
 リスカはジャヴの方へ寄ったあと、セフォーの動きを目で追った。
 彼は両手に白銀の剣を下げ、獣達の方へと歩んでいた。
 闇夜に、閃光のごとく剣が軌跡を描いた。セフォーの刃は、悪魔の使徒すら斬り尽くす。まるですべてを焼き尽くす炎のようだ。恐ろしく、美しく、きっと見蕩れずにはいられない。
 
●●●●●
 
 悪魔の宴が終わりを告げたのは、夜明けが訪れる少し前のことだった。
 負傷した人々は手当てを受けるべく騎士たちに連れられた。まだ全てが終わったわけではなく今後取り調べや後始末などが残っているだろうが、とりあえずいまいまの危機は去ったと言えるはずだった。
 フェイやエジの姿も見かけたが、リスカは声をかけなかった。この場でリスカにできることはないのだ。一人で大半の獣を消滅させたセフォーは本来ならば騎士たちの手助けというべきか……詳細の説明をすべき立場であるだろうが、そこは無敵の閣下様である。他人の指示に大人しく従うはずがない。どさくさに紛れて、というか、場がまだ混乱しているのをいいことに、セフォーが淡々と放った「帰りましょう」の一言でリスカの行動も決まった。
 リスカとセフォーは町外れの店に戻った。
 
 
 懐かしさを思わず感じてしまう自分の店に戻り、扉を開けた時、リスカは異変に気がついた。異変といっても悪しき気配ではない。
 ええと。入り口の前で固まるリスカに、セフォーが溜息を落とした。つい身を強張らせてしまった。
「私は湯を浴びてきます」
「は、はい」
 確かにセフォーの身は、魔物の体液を浴びてどろどろのひどい状態だった。しかし。
「早く行きなさい。私が戻る前に、終わらせなさい」
「はい!」
 思わず良い子の返事をしてしまうリスカだった。セフォー、抑揚のない声音は相変わらずですが、実はかなりご立腹してませんか、と内心で怯えまくるリスカだった。
 ともかく、リスカは命令された通り、慌ただしく階段を駆け上がり、自室へと駆け込んだ。
「……」
 冷えきった室内に、馴染みのある気配が漂っている。
 その気配を察しながらも、リスカはまず、入り口付近にある蝋燭に火を灯し、灰石をすって室内をあたためた。寝台の脇に置いている蝋燭にも火を灯す。
 部屋全体が橙色の明かりに包まれたあと、リスカはゆっくりと衣装棚の隣に目を向けた。そこにはすっぽりと毛布をかぶっている塊がある。
「ツァル」
 まだ冷たい空気に満ちている部屋に、リスカはそっと言葉を落とした。
「ツァル」
 もう一度名前を呼び、毛布をかぶっている塊に近づいて屈み込む。
「どうしたんですか」
 そういえば、花苑で出会った時に随分つれない態度を取り、ツァルの機嫌を損ねてしまったのだったと思い出す。
「すみません、会いに行くのが遅れてしまいました」
 頭があるであろう位置に、静かに手を置いた。
「ツァル、顔を見せてくれませんか」
 しばしのあと、嫌がるように小さく毛布が揺れた。
「お願いです、あなたの顔が見たい」
 毛布を軽く引っ張ると、なぜか「ぴい」というシアの弱々しげな声までが聞こえ、リスカはぎょっとした。しまった、シアも置き去りにしたままだったのだ。
「えっと、シア……?」
 悪いと思ったが、リスカは少し強めに毛布を引っ張った。すると、身をちぢこませて座り込んでいる少女――ツァルの手に、なぜか捕獲されているシアの姿があった。
「ぴ」とシアに恨めしげな涙混じりの目で睨まれてしまった。「窒息しそうだったよ、置き去りにするなんてひどいよ」と明らかに責めている目ではないだろうか。ついつい視線を逃がしてしまうリスカだった。
「ツァル、シアが苦しそうなので、手を放していただけますか」
 俯いていたツァルが不承不承という感じで両手を広げた。拘束を解かれたシアが慌てた様子でぱたぱたと羽根を鳴らし、リスカの髪に潜り込んだ。痛い。ご立腹加減を示すように、シアが嘴でリスカの頭をつついている。
 宥める意味と謝罪をこめて、リスカは手を伸ばし、頭にへばりつくシアを指先で撫でた。しかしなぜなのか、最近の自分は誰もかれもにご立腹されていないだろうか。一体どういう運命なのだろう、と己の言動のまずさを棚に上げ、わずかに恨めしさを抱くリスカだった。
「ツァル、寒かったでしょう、こちらへ」
 未だ身をちぢこませているツァルの手を取り、軽く促してみたが動こうとしない。
「リカルスカイ君、どこへ行っていたの」
「ええ、色々と……」
 さて、どこから説明すべきかと頭を悩ませた。
「寒いし、暗い。君に慰めてもらおうと思って足を運んだのに、薄情な友はこういう夜に限って不在なのだ。私に対する非礼だとは思わないのか」
 いつもよりも刺々しいツァルの声に、リスカは目を見開いた。
「何か、辛いことが?」
「あった。あったから来たんじゃないか。それなのに君はいない。私の傷心を癒すことより重要な用事があるとでも?」
「ツァル」
 リスカは少し狼狽えながらツァルの頬を包んだ。
 ツァルがこんなふうに落ち込み、棘のある言葉を向けてくるのは滅多にない。



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