花炎-kaen-火炎:31


 こちらへ移ってから三日が経過したが、のちほど来ると言っていたはずのフェイはまだ残務に追われているのか姿を見せなかった。
 未明から降り続けている雪が木々の枝を花のごとくに白く飾り、大地も覆ってしまった。
 何をする気にもなれず、リスカは昼食を終えたあと、ふらふらと湖のある方へ足を向けた。
 まだご立腹中であるのか、セフォーもよく一人でふらりと散策に出掛けているらしかった。もしかしたら周辺に異常はないか見回っているのかもしれなかった。ともにこちらへ来たツァルは、少し元気がない。深い傷を持つ使用人たちの姿を見て、何かを感じ取り意気消沈しているようだった。
 安堵していいのか分からぬところだが、今のところ高位悪魔が出現する気配はない。別の楽しみを見つけ、そちらに熱中しているのかもしれない。かの悪魔にたいしては、事前になんらかの対策を取って防衛するといったことが不可能なのだ。いうなれば最早、人の思惑の中にはおさめきれない突発的な自然災害のようなものである。それも、最大級の災害だ。
 地面を覆う真白な雪の絨毯を踏みながら、リスカは木立の中を一人進む。儚くも冷たい雪を落とす空を見上げて歩いているため、足もとが疎かになり時々つまづいてしまう。
 闇のような濃い色を持つ樹木と目を刺す雪の白、そればかりが存在する。白と闇の二色は天地の始まりの色でもある。耳に響き、そして肉体に満ちるのは、ただただ自分がゆったりと味わうように地を踏む音のみだ。いや、聞こえぬはずの、雪の降る音も今なら捉えられるのではないか。雪の降る音は美しい。それは静寂の音だからだ。リスカは一度足をとめ、静寂の音に耳を澄ましたあと、またゆっくりと歩き始めた。
 冬の匂いに満ちた静謐さが時をも止めてしまったのではないかと錯覚しそうになる。髪に、肩に降る雪のかけら。慈しみの結晶とはいえぬ強い冷たさを持つのに、この景色の一部として自分が存在することだけは認めてくれている気がした。空も大地も、目の眩むような厳かな白さに染まっている。
 この粛然とした気高い真白さは、冬だけに許された特権だ。穢せぬ季節だとリスカは信じている。そして人の胸に蔓延る罪を浄化するのではなく、この白さの中にそっと浮かび上がらせるのだ。
 身体の芯まで凍らせるような寒さは、なんて心地いいのか。冬の帳の中、リスカは身を貫く冷たい大気にしばしのあいだ酔い痴れた。
 しんしんと降る雪を身で受け止めながら歩き続けるうちに、湖面の側まで到着したらしかった。
 水面を凍らせている湖をなんとはなしに見つめつつ、太い幹に寄りかかる。
 ややしてリスカはごそごそと懐を探り、目当てのものを取り出した。
 以前に情報屋の店で購った、上品なつくりの銀の耳飾りである。男性がつけてもおかしくはないものなので、セフォーに贈ろうと思っていたのだが、なかなかどうして、うまくはいかぬものである。
 いつ渡そういつ渡そう、と悩み、結局未だに持ち歩いているのだ。
 それにまだ代金未払いである。踏み倒した場合、あとが恐ろしい。
 どっぷりと重い溜息が自然に漏れた。なぜだろう、周囲を敵に包囲されているかのような実に切迫した心地になってしまうのは。
 いやいや自分の情けなさが問題なのだと耳飾りを懐に戻しながらリスカは反省し、目の縁を乱暴に揉んだあと背伸びをした。
 とりとめのない思考を消して雪を舞わせる空を仰ぎ、寂寞とした白い世界に立つ樹木のごとくただひたすら立ち尽くしていた時だった。
 他に動くものなどなかった世界の端――視界の端を黒い影がよこぎった。
 何度か瞬きして空の白さに同化させていた意識を取り戻したあと、リスカは首を傾げながら慎重に歩き始めた。今、誰かが木陰に回ったような気がした。リスカの立ち位置から見て、左側の木々の方だ。
 セフォーだろうかととっさに考え、やや足をはやめてそちらへ向かう。
「あれ?」
 影がよぎったと思われる場所まで辿り着いたが、誰もいない。目の錯覚だったのかと一瞬首を捻ったが、やはり何者かがこの場にいたのだと気づく。地表を隠す白い雪の絨毯の上に、くっきりと間違いのない足跡が残っていたのだ。
 リスカは身を屈め、その足跡を確かめようと指を伸ばした。
「!」
 不意に背後の空気が動き、リスカは身を起こしかけの中途半端な体勢で振り向いた。
「う、う、ああ」
「――あなた、ミラク!」
 リスカは愕然とし、驚きの声を上げて、その者の姿を凝視した。
 機械人形へと変貌した牢獄の囚人……ミゼン=ミラクがすぐ側に立っていたのだ。
「どうしてここに!」
 リスカはいささか混乱しつつもミラクに一歩近づいた。高位悪魔の気紛れ心にて、その身に精緻な機械を埋め込まれた細工の寵児。魔石をはめた目が怯えたように揺らいでいる。
 ミラクは今まで一体どこにいたのだろう。高位悪魔は、彼の身に細工を施したあとで故意に解放したと言っていた。
 まさかリスカを密かに追ってきていたのだろうか。
「ミラク」
 名を呼ぶと、先ほどよりも怯えたような素振りを見せたが、逃げる気配はなかった。リスカの問い掛けが通じていないのかもしれない。ただこちらが見せた驚きに怯えているようだった。
 質問をいくら重ねてもまともな答えは返ってこないだろうと考えた。すでにして怯えを見せている彼を、更に追いつめたいわけではない。
「ミラク、寒いでしょう?」
 どこで拾ったのか、ミラクは襤褸切れのような布を身体にまきつけているだけという寒々しい風体だった。辛うじて靴ははいているが、爪先に大きな穴があいている。
「これを」
 そういってリスカは、敵意がないことを示すためにゆっくりとした動作で自分の首にまきつけていた襟巻きを外し、不安そうな態度を見せているミラクへと差し出した。ミラクはどこかあどけない仕草できょとんと首を傾げた。
 リスカは笑みを浮かべながら慎重に近づき、びくびくと身をちぢこませるミラクの首に襟巻きをかけた。
「外套も……私のだと小さいでしょうが、肩に羽織るだけでもあたたかいから」
 目を逸らさずに言いながら、脱いだ外套をミラクの肩に羽織らせた。
「う」
 温もりが嬉しかったのか、ミラクが笑った。無垢な子供のごとき喜び方だった。
 ミラクは少しもじもじとしたあと、リスカに手を伸ばした。何かを握っていると気づくと同時に、ぱっとその手が開かれた。
 ミラクが握っていたのは、単なる石だった。河原にでも落ちていそうな、何の変哲もないいびつな石だ。けれどもその石の平らな面に、綺麗な波の模様が浮かんでいる。おそらくは何かの拍子の際に石の表面が削られ、偶然の産物としてこの美妙なる模様が作られたのだろう。
「……私にくださるんですか?」
 たずねると、ミラクはこっくり頷いた。
 天才と呼ばれた細工職人。彼が宿していた才能も正常な意識も、今は失われた肉体の一部とともに消えているのだろう。だが、その身のどこかに、細工に注いでいた情熱のかけらが残っているのだろう。
「ありがとうございます」
 胸にわきあがる多くの感情を殺しながら、リスカは丁寧にその石を受け取った。
 ミラクは礼を言われて嬉しかったのか、肩に羽織らせた外套を大きく揺らしながら全身で喜びを示した。
 細工の寵児は、賞賛や名声を得るよりもまず、誰かを喜ばせたくて美しい装飾品を生み出していたのだろうかと考えた。
 自分には似合わぬからなどと卑屈な言い訳をせず、この世に生み出された装飾品の数々をもっと手にしてみればよかったと、初めて後悔した。人は己のみならず他者にも感動を捧ぐことができるのだと、そう言ったジャヴの言葉が蘇る。
 ミラクは星の数ほどの感動を人々に惜しみなくもたらしたのだろう。彼の作品が人に喜びを生む。購った者は恋人にその品を渡したかもしれない。そして愛を深め、絆を一層強くしたかもしれない。また、その品は、母から娘へ、贈られたかもしれない。ミラクの情熱は、誰かの歴史をより彩りに溢れた実り多きものにしたかもしれないのだ。
 それは――自分の過去にばかり囚われて、頑ななほど理のみを弄んできたリスカよりもなんて深く輝かしい生き方だろうか。
 リスカは今まで、一体どれほど他人を喜ばせられただろう。何度感動を注げただろう。
 他者と関わることで己を振り返り、過ちにも気づいて、そして「次こそは、明日こそは」と希望に満ちた誓いを抱ける。ああ、人は豊かだ。たとえ寒空の下でも、太陽が見えなくても、人という輝きが他者を包む衣となる。
 ミラクはリスカが受け取ったことに喜ぶ。リスカもまた、ミラクが喜びを見せたことに、嬉しさを抱く。
 リスカは笑みを深めた。
 脳裏に、白銀の髪を持つ閣下様がよぎった。
 いつかセフォーにお返しができたらと考えていた。そのために手に入れた耳飾りが今ここにある。
 けれども、いつまでたってもこの耳飾りをセフォーに渡せなかった。
 もしかしたらと都合のいい思いを持つ。渡せなかったのではなく、今この瞬間を耳飾りは待っていたのではないかと。
「――これを、あなたに」
 リスカは懐から耳飾りを取り出し、ミラクの手に握らせた。
「とても、とても素晴らしい装飾品です。あなただけのものです」
 ミラクは不思議そうにその耳飾りを顔の位置まで持ち上げ、まじまじと見つめた。
 己を創りし者のもとへ帰ることができて耳飾りもまた喜んでいるのではないかと、子供じみた戯言のような考えを抱いた。
 ――まだ遅くはないだろうか?
 たくさんの過ちと愚かさが自分の過去に落ちている。この真白な冬から、またやり直すことができるだろうか。過去はどうあっても変えられない。そして未来もまた変えることはできない。未来とは、描き、歩むものだ。生きることを、ではなく、歩む道をもう一度考える、それがリスカにとってのやり直しだ。
 これから、誰かを一時でも喜ばせることができるのなら、それはささやかであっても実りある生だといえるのではないか。
 耳飾りを振ったり揺らしたりして遊んでいるミラクへ、屋敷へこないかと誘おうとした時だった。近くの小枝で羽根を休めていたらしき数羽の鳥が勢いよく飛び立ち、空へと舞い上がった。突如静寂を破った威勢のよい羽根の音にミラクは仰天したようだった。
「あ!」
 ミラクが慌てふためいた様子でくるりと背を向け、逃走し始めたのだ。
「待って!」
 リスカは転びそうになりながらもミラクを追った。だが、追いつかない。
 それもそのはず、魔術師ではなかったはずのミラクは、ごく短距離を瞬間的に転移しながら逃走していたのだ。リスカは冷や汗をかいた。目に埋め込まれた魔石の効果なのか――いや、高位悪魔が施した細工が彼に、わずかなりとも力を与えているのか。
 けれどもミラクは、己の身に与えられた魔力を無自覚のままで操っている。それはとても危険な行為だ。いつ何時、深刻な危機を招くか予想がつかなくなる。
「待ってください!」
 転移の術を知らぬリスカでは、先回りができない。
 短距離を飛ぶミラクを、リスカは焦りながら追った。転移後の地点を定めずに飛べば、他の物体の中に、己という異なる物体を入れてしまうかもしれないのだ。そうなれば当然――己の身は砕け散る。
「――わ!」
 この悲鳴は、リスカではない。
 リスカはぎょっとして足をとめた。恐れていたことが現実になったのかと咄嗟に硬直してしまったのだ。
 だが、そうではないようだった。
「君、どこから湧いたんだ?……いきなり突撃してくるなんて、痛いじゃないか」
 茫然とするリスカの視線の先には、突然現れたミラクに驚き、転倒しているツァルの姿があった。
 
 
「大丈夫ですか、二人とも!」
 リスカは我に返り、慌ててそちらへ駆け寄った。
 ミラクも、転移後、目の前にいたツァルの存在に驚いたらしく、尻餅をついて身を硬くしている。
「リカルスカイ君?……彼は、屋敷の住人かい?」
 雪の色に溶け込むかのような、白く長い髪を持つ少女の姿をとったツァルがきょとんと目を瞬かせたあと、リスカとミラクを見比べた。
 しかしツァルは、リスカと視線があった瞬間、気まずそうに顔を背けた。大地の色をした瞳が潤んでいる。どこかで一人、落涙していたのだと気づき、リスカは動揺した。現在のツァルは雪のごとくに儚い美少女といった風貌なため、尚更胸に迫るものがある。
「うぁ」
 突然ミラクが呻いた。
「な、何だい」
 ツァルがやや身を引き、奇怪な呻き声を上げるミラクに視線を戻した。
 ミラクはなぜかもじもじとしたあと、少し警戒しているふうのツァルの手を取った。
 おや、とリスカは驚いた。
「え?……耳飾り? これを、私にくれるのかな?」
「うう」
 どうやらミラクは、先ほどリスカが渡した耳飾りを、ツァルにあげたいらしかった。
 ツァルは不思議そうに耳飾りを見つめたあと、唇を綻ばせた。
「よく分からないが、雪花の美女のごとき麗しい姿をしている私に惚れたのだね。仕方がないからもらってあげよう! これはなかなかよい細工の耳飾りだし」
 ツァルは多少いつもの調子を取り戻したようで、破顔したあと、そう言った。
 おやおや、とリスカは肩の力を抜き、微笑をこぼした。
 ミラクはひどく照れた様子で立ち上がり、やはり奇声を発しつつも再び逃げ出した。なぜ逃げる、とリスカは呆れ混じりの微苦笑をこぼした。まあ、しかし、今度の逃走は先ほどとは違って羞恥の部分が多いらしく、危険な転移ではなく自分の足で駆けているのだ。なのでリスカは追わぬことにした。
 耳飾りの行方は、どうやらこれで決まったらしい。ツァルの戯言ではないが、まさか本当に、一目惚れなのだろうか。それとも、悄然としているふうだったツァルの気配を感知し、慰めのつもりで贈ったのかもしれない。
 その美麗な細工で人々の心を楽しませてきたミラクなのだ。
 きっとその、人に歓喜と感動をもたらすという精神は、彼の命ある限り燃え続ける。
「リカルスカイ君! ほらほらぼさっとしていないで、地面に倒れて立てぬ可憐な私に手を貸しなさい!」
 なぜか勝ち誇った様子で無邪気にせがみ手を伸ばすツァルに、リスカは笑いながら近寄った。
 冬の冷たさは愛しく、雪の降る音は美しい。
 けれども、人の騒々しさもまた限りなく美しい。
 
●●●●●
 
 それからしばらくツァルとともに周辺を散策した。
 その途中で再びミラクを発見した。元気を取り戻したツァルが騒がしく「発見だ!」と叫びながら駆け寄っていく。逃げるだろうか、と少しはらはらしながら見守ったのだが、予想に反してミラクは動かず、突撃のごとく背にはり付くツァルをもじもじと受け入れている。
 ま、まさか本当に一目惚れ……とリスカは笑いを堪えた。なぜか分からぬが、ツァルもまたミラクをお気に召したらしい。
 解読不可能な奇声を上げつつ雪の上を転がり回る怪しい二人をしばし眺めたあと、あとは若い者同士にまかせ邪魔者は退散しよう、と年寄りじみた気を回して、リスカは屋敷内に戻ることにした。
 長時間外にいたせいか、指先が強張り冷たくなっている。というよりも、外套をミラクに渡したあとも雪に降られていたために、全身が冷えきってしまっている。
 リスカは屋敷に入ったあと、暖を求めて談話室に向かった。屋敷の談話室は一階にあり、ゆったりとした広さを持つ。
 奥の方に暖炉が作られ、赤い炎を舞わせていた。
 室内の中央に据えられた椅子と大卓を迂回し、身体を温めようと暖炉の方へ接近する。
「あ」
 リスカは思わず声を上げた。先客がいたのだ。
 その姿を目にとめた直後、リスカはどう反応していいか咄嗟に分からなくなり、まごついた。
 どうやら湯浴み後らしき閣下様が適当に敷いた毛布や厚みのある座布団に頭を乗せ、だらりとやる気のない猫のように転がっていたのだ。そしてシアまでもが座布団の一つに陣取り、うとうとしている。
 思わずリスカは、冥王の転寝……と失礼千万な発想を弄んだ。
 転がしている色とりどりの座布団や毛布の類いは、どこか別の部屋から無断で持ち込んだらしい。そういえば、リスカの店でもセフォーはよく毛布に包まって居眠りしていた。
「セフォー?」
 おそらく本気で熟睡してはいまいと考え、戦々恐々と声をかけてみる。
 実にだらしない……ではなく、適当に肩にひっかけたらしき室内着の前が大きくはだけていたので、目のやり場に多少困った。鮮やかな明るい緑の色をした光沢のある長衣には、大振りの白い花の模様が描かれている。もしかして、実に華々しいその衣は女性ものなのでは、とリスカは余計な詮索をした。たぶん、目についたものをこれまた適当に羽織ったに違いない。
 呼びかけても返答はなかったが、やはり寝てはいないと思う。というよりもどうしてだか、ふて寝のような姿に見える。
 リスカは覚悟を決めて、そちらへおずおずと近づき、すぐ横に腰を下ろした。
 暖炉の火がぱちりとはぜる。ふわりとあたたかな空気が肌を包んだ。
 セフォーが渋々といった様子でうっすらと瞼を開いた。それから億劫そうに、寝転んだ状態で横向きに体勢を変え、肘で頭を支えた。セフォー、髪の毛がひどくもつれていますよ、と言いたくなった。
「何か」
 突っ慳貪な問いに、リスカは引きつった。
 さてどうしよう、と首を捻る。セフォーと落ち着いて対面するのは、随分久しぶりであるような気がした。
 話したいことは山ほどあれど、実際には言葉にできない。それに、話したいことの中には、かの高位悪魔についても含まれているため、尚更口には出し難い。ここで不用意に名を呼んでしまった場合、悪魔を現実に招きかねないというすこぶる恐ろしい可能性が秘められているためだった。
「髪」
 と、閣下様が端的言葉を紡いで、リスカの髪を見上げた。
 うむ、どうやらこれは「髪が濡れている。今まで外にいたのか」と言いたいのだろう。
 座布団の上で丸まっていたシアが小さく、くぴ、と鳴いた。今のは寝言であるらしい。噴き出しそうになり、リスカは口許をおさえた。多少緊張感がほぐれた。
「はい、暖を取りに戻りました」
 リスカはシアを起こさぬよう、囁き声で返答した。
「腹を」
 とまたしても先ほどの会話と脈絡のなさそうな端的言葉を紡がれた。空腹なのか、という問いではないだろう。おそらくは、腹を立てているのか、と問われているに違いない。
 しかし、セフォーが立腹中というなら意味が分かるが、なぜリスカが聞かれているのだろう。
「いえ……なぜですか」
 質問の意をはかりかねて、問い返した。
 すると閣下様は、微妙に険悪な眼差しを寄越してきた。命を脅かされていますか、私。
「読心術を」
「はい」
「あなたは嫌がっていたから」
「は」
 リスカは顎を撫で、視線を虚空にさまよわせて思案した。
 読心術。リスカは内心で、ああ、と得心した。ティーナの屋敷炎上時、過去を回帰していたリスカの心理を読み取ったことについてを言っているのだろう。指摘通り、リスカは今まで、読心術にて心情を無断で暴かれることをよしと思っていなかった。
 けれども、考えて見れば、そこまで後生大事に伏せておかねばならぬくらい尊い過去など、自分の中には存在しないのだ。
「気になさらず。つまらぬ記憶にすぎません」
 リスカの過去で価値があるのは、友を得た瞬間くらいではないだろうか。
「全てを盗まれても?」
 セフォーがなんとも物騒な発言をする。
 全ての過去を暴かれても本当に立腹しないのか、という意味だろう。リスカはちょっと唸った。さすがに過去全部を把握されるのは、気まずいかもしれぬ。いやはや、自分の人生というのは振り返れば、なんとも情けない場面が所狭しとひしめいている気がしてならない。
「セフォーはどうですか。仮に、私があなたの過去を見ても、腹を立てませんか」
 セフォーは瞬き、考えに耽るような表情を浮かべた。
 しばらく時間を置いたあと、ふいにセフォーがこちらへ手を伸ばした。
「見たいのなら、どうぞ」
 リスカは驚いたあと、少し悩んでからその手を取った。しかし、読心術は使わなかった。
「いえ。できれば、そうですね、あなたが嫌でないのなら、内面を読ませるのではなく、言葉で語ってくれませんか」
 自身の口で語られる過去の方が――たとえそれが故意に歪められた内容であっても――より尊く、真実に近いのではないかとリスカは考えた。
 今の自分は、どんな言葉で語られるのか、それが何より知りたいのだ。



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