「うひゃあっ!?」
そっと上に出て、周囲のものに掴まりつつ、海を見ないようゆっくり深呼吸した時だった。
不意に、身体が宙に浮いたのだ!
うわわわわわ、などと変な悲鳴を上げてしまう。
『ああ、生きているな、人間だ』
笹良の目に飛び込んだのは――海すら凌駕する青いもの。
人の、髪の毛だ。
「なっ、なっ」
青い。目が覚めるほど青い。
たとえばそれはきらめきを含んだ青じゃなく、まるで塗り潰したような鮮やかな青。原色の青、といえばいいか。サファイアなんかの宝石を比喩にするんじゃなくて、絵の具の色で言い表したくなる。そんな青。
『珍しい。珍しい娘だ』
ああ、なんて目。
海に映る月。深い、飲み込まれそうなほど深い藍色に、どこか月光を含んでいる。
『面白い。黒い髪、黒い目』
ただ、笹良が青の青さに魅入られたように、そいつも――黒の黒さに興味を示したらしかった。
「……っていうか、誰、誰!! 降ろして、怖い!」
笹良は見知らぬ青い髪の男に、赤子を高く高く持ち上げるがごとく、いきなり掲げられたのだ。
●●●●●
「嫌っ、嫌、降ろして、嫌だよ!」
一瞬、死神に助けを求めそうになったけれど、人前では呼んじゃいけないと思い出して、笹良は唇を噛み締めた。
海の青さでさえかなり気が滅入るのに、その色より更に青い髪なんて不吉以外の何ものでもない。
『奇妙な言葉を話す。何者だろうかな』
思わず「知らないよっ」と反射的に返してしまうが、ふと気づいた。こいつが話しているのはどう聞いても日本語ではなく英語でもない。
なのになぜ笹良は理解しているのか?
青い髪の男は、笹良の言葉が分からないみたいなのに。
「降ろして、降ろして」
暴れると、男は察したらしく、笹良を甲板に降ろしてくれた。
何、誰、この外国人。
死神が呼んだ奴って、この男か。
外国人は背が高い、という事実に笹良は胸を打たれた。それ以前に青い髪の外国人などいるものだろうかと思ったが。染めているのか? 青すぎないか?
でもこんな、猫目石のごとく角度によって金にも藍色にも見える目は、普通じゃない。コンタクトでもありえない。
男前と言っていいのか。妙に雰囲気のある奴だ。いわゆる美少年系とかモード系とかではない。どっちかといえば断然野性系だった。まあ、無精髭を生やしているわけではないけどさ。
死神、人は選ぼうよ、と笹良は内心文句を垂れる。
こいつはどう見ても一筋縄じゃいかないぞ。すごく始末に悪いタイプだ、腹黒そうだ。
『面白いな』
笹良は面白くない。
ああ何で笹良、言葉分かるのよ、などと自分に疑問をぶつけた。
なんていうか……耳はきちんと聞き慣れぬ発音を拾っている。
でも、頭の中ではちゃんと日本語に翻訳されている。
そうだ、まるで映画の字幕を見ているがごとく。
あ、もしかしてDVDのせいでココにきたから、言葉も字幕のように変換されちゃうわけ? などと、とりあえず勝手に納得してみた。
逆にこの男が笹良の言葉を理解できないのは、そう、映画の登場人物には言葉の翻訳なんて無関係なことだもの。
でもさあ、あの映画にこんな怪しい奴、登場しなかった。
「んんん、どうしよう、笹良どうすればいいの」
『何だ? 分からないな。何を言いたい?』
男はひょいと身を屈め、困惑する笹良の顔を覗き込んだ。一層強く香る海の匂いと……ううむ、こう申してはなんだけどさ! 男臭い。
ついつい、こいつをまじまじと見詰めてしまう。
いかにも! な感じの異国の服。ちょっと古びていて、腰帯を長く垂らしていて……ああもう、完全な海賊の衣装じゃん。
ってやはり、この男は海賊さんなのか。
死神、もっと見る目もとうよ、と笹良は強く批判した。
よりによって海賊誘き寄せますか。
しかも、これにて笹良がアメリカとかドイツとかフランスとか、ちゃんと地図上に存在する外国じゃなく、完全にわけの分からん異世界の海上にいるって事実が確定しちゃったじゃないか。
どうするの、笹良に何をしろというのだ。
「大体、おかしい。普通、異世界に迷い込んだ少女というのは王子様とか騎士様あるいは神秘系な人外の存在とか、えらく美男でお金持ちで身分もあって性格よろし、な感じの人に救われて、しかも惚れられちゃって相思相愛、こんな風に、とにかく破格な待遇受けるもんじゃないの?」
ものすごく笹良は不満を感じた。おいおい笹良の場合は、骸骨さんな死神に海賊か、海の上か。絶対間違っている。
『何だ?』
ああ、内心の不満を笹良、つい口にしてしまったのだ。
間違っても男臭い野性系な海賊など、出会うべきじゃない。
第一、笹良は美少年同盟シンパである。
美麗なものが好き。乙女として当然の心理だ。
「今からでも変更してほしい」
溜息が滝のごとく溢れてしまう。
と、男がいきなり無礼にも、笹良の髪に触れてきた。
『お前、いい匂いがするな。甘い。不可思議な香り。異国の香りか』
「ちちちちちょっと、何、何? 何で触るのっ」
そりゃ男臭いアナタからすれば、昨日お風呂上がりに桃の香りのボディローションつけました笹良はいい匂いでしょうとも。自慢にもならねえ!
『何してるんですかね』
またしても抱きかかえられそうになって焦った時、第三者の声がかかった。
『ゾイ。見ろ、面白い娘を見つけた』
青い髪の無礼な男がしつこく笹良の髪に触れつつ、背後から現れた淡い茶髪の男に声をかけた。
茶髪の男の名前は、これで分かった。ゾイ。変だ。一体どこの国出身なのだ。
まあこの男もいやに鋭い目をしている。青い髪の男よりは若干細めの体つきだが、さして身長に変わりなし。随分皮肉な印象というか、鋭利な印象だ。
別に青い髪の男が太って見えるわけではない。細いのだが上背もあるし、強靭な雰囲気も漂わせていて、妙に迫力あるのが悪い。……二人とも、腰に剣を差してますからね。
『船長。何ですか、その奇妙な娘は』
船長!?
この青髪が?
『ああ、やっぱり来てみてよかったな。死の使いらしきものが現れたから何かと思えば』
『……あなたはよくよく、異質なものを見つける』
『まあな、そう、そうだろうさ』
ゾイ(ええい、呼び捨てだ)は深く嘆息している。共感したくなるのは、なぜなのか……。
『どうするんです、それを』
それ。
それ?
「今笹良を! それ、って! 失礼にもほどがある!」
『何だこの娘。一体どこの国の者です』
『さあ。海の女神かもな』
明らかに冗談と分かる口調で、青髪はそう言った。海の女神だと。死んでも嫌だ。海は嫌いなのだ。そんな嫌悪の対象トップに位置する女神の役など、断固お断りする。
「もう、もう、笹良が言葉分からないと思って、好き勝手なこと言うのは腹立つっ」
『何を言っているのか』
『さて。初めて聞く言葉だな。やはり面白い』
『面白がるのは結構ですがね……』
くそこうなったら言葉分からないふりしてこいつらの本音丸聞きしてやる、などと笹良はなかなか悪知恵ならぬ姑息なことを考えた。
……だってさ。
死神、ちょっと人選悪すぎる。
この二人、見た目からしていかにも一癖、二癖ありそうで、笹良を助けてくれるのかさえ判断できない。
笹良をこの後どう扱うのか、すごく不安になるのだ。
『しかし、きな臭い。なぜ無人の船に、娘が一人乗っているのか。罠ではありませんかね』
ち、違う、違う、と否定したいところだけど、ここで首を振れば、言葉を理解しているとばれてしまう。
『罠か。いかなる罠だ?』
面白そうに青髪が笑い、ちらりと笹良を見下ろした。
『さあて。そいつは分かりませんがね。だが、尋常な事態ではありませんな』
『まあ待て。この娘、奇怪ななりをしているからな。海神への贄とされたのかもしれぬな』
贄って、あのねえ。
『一昨日の夜の嵐ですか』
『そうさ。それも昨夜、ぴたりとやんだ。それが面白い』
二人が同時に笹良を凝視した。
うえええ、どうしよう。
『では、この娘、捨て置くべきでしょうね。海神への供物ならば尚更』
待って、それは待とうよ。と言いたいのだ!
『海賊王の名がすたる』
『名、ですかい』
『そうさ』
か、海賊王。
笹良、ついていけない、この展開に。
死神、どうしてこんなとんでもない奴、連れて来たのだ。せめて漁師にとどめといてほしかった。
ううもう嫌だ。海も嫌いだ。海賊も嫌いだ。この状況も嫌いだ。
泣いてやる。
とめどなく、海が天まで増えるほど泣きわめいてやる。
『何?』
笹良は――海賊二人が呆気にとられるほど、大泣きした。