she&sea 10
「どうして? 何でこんな、ひどいことするの?」
グランの頭を抱きかかえたあと、笹良は海賊達を睨んだ。彼等は呆れたり興味深そうにしたりと、それぞれの感情を顔に乗せながら、笹良を取り囲み、見下ろしていた。
これだけは分かる。
誰一人、罪悪感は抱いていないってこと!
笹良はどっちかといえば好戦的な方だし、嫌いな奴が目の前にいたら、あーぶん殴ってやりたいとか、落とし穴に落ちてしまえとか、結構卑劣なことを思うタイプだけれど、少なくともここまで執拗にいたぶってやりたいとは考えない。……いや、想像はするかもしれないけれど、実行には移さない。
それはなぜかって言えば、怖いからだ。
たとえ自分の身に起こったことじゃなくても、その痛みは想像できる。怪我をした時どれほど辛く苦しいかって考えた場合、すごく相手を憎んでいても、傷つけることにやっぱり二の足を踏むだろう。痛みの共感って大体の人が持つ感覚だ。
でも、この人達はそうじゃないのだろう。
血を流せばどれほど苦痛を味わうのか、それを知りながらも平気で暴力を受け入れる海賊達。
まるで釣り上げた魚をさばくように、人間に対しても躊躇いは見せない。
ひどい話。
そりゃ魚より人間の方が高尚だ、とかって考えはちょっと論点がずれているだろうし、生き物の優劣を決めるなんて馬鹿げている話だけれど、でも、今、目の前に広がる光景を見て、残酷だと糾弾したくなる気持ちは抑えられない。
グランはほぼ意識を失っているような状態で、笹良が頭を支えていなければこの場に倒れてしまうだろう。
彼の両腕はお腹の前で縛られているために大きく動くことができないようだったけれど、恐らく無意識の中で笹良に縋ろうとしていて、身体ごとこちらへ預けてくる。
縋りたくもなるはずだ、こんなに残虐な制裁を受けたら。
「ササラ、汚れるぞ」
何かが欠落しているガルシアの余計な一言に、笹良はマジギレしそうになった。ふつふつと怒りが心の奥で燃え立ち、危険な場所に自分も存在しているという事実から生まれる密やかな恐怖を圧倒していた。
「若い娘に、血は似合わぬな」
「ガルシアっ。ぶん殴られたいの!?」
「さて、何を憤っている?」
ガルシアは余裕綽々ってな表情で、髪をかき上げている。
「王、冥華は何を怒っているんですかね」
ジェルドが不思議そうに笹良を見ていた。本気で分かっていない表情だ。ええい、図体だけでかくなっても心が育たなきゃ、立派な大人とは言えないんだぞっ。
「グランを痛めつけたことだろう?」
レゲエ風の髪型をした色黒の男が皮肉そうに笑いながら、首を傾げているジェルドに答えた。
「冥華様は、どうも正義を重んじる女神のようだ」
こ、このレゲエ兄ちゃんめ!
「へえ、冥界の女神が?」
ジェルドが真に受けているじゃないかっ。
「娘特有の潔癖さが原因だろ」
最後の一人、やたらとつれない表情をした男が無感動にそう言った。目尻に青い墨みたいのを入れていて、切れ長の目をしていた。
この海賊達め、本人の前で全く必要ない勝手な分析を始めるんじゃない!
話にならないっ。
「ガルシア! すぐに、今すぐに! サイシャを呼んで」
とにかく、急いでグランの手当てをしなければ。
「サイシャ?」
きょとんとしていたジェルドが、サイシャの名に反応し、笹良と視線を合わせるためか、その場に屈み込んだ。
「サイシャを呼んで、どうするんだ?」
こ、こ、このお馬鹿!
船医であるサイシャを呼ぶ理由など、考えるまでもなく一つしかないだろう。まともな会話がなぜこれほど成立しないのか、頭が痛くなる。海賊達全員、みじん切りにして小魚の餌にしてやりたい。
「もう、早くサイシャを連れてきてっ」
「王、冥華がお怒りですよ」
くるっとジェルドが身を捻り、ガルシアを仰ぐ。
「早く手当てをしないと駄目じゃん!」
強く叫んで睨み上げると、ガルシアは視線を笹良に固定させたまま微笑した。何を笑うのだ、こんな時に!
「ササラ」
うるさいっ。
「俺は、先程からこちらへ来いと言っている」
どこまでもずれた台詞に、思わず目が点になる。
「来い、ササラ」
愕然とする、とはこのことだ。
「な、何をすっとぼけたことを言ってるの? とにかくサイシャを呼んでよ!」
焦れた笹良は日本語で応戦した。引く気なんて、さらさらないぞ!
「ササラ、いい加減にしないと閉じ込めるぞ。俺の冥華ならば、素直に従うものさ」
海賊王の頭を大砲でぶち抜いてやりたい、という物騒な誘惑に駆られる。
「馬鹿! 誰があんたの側へ行くもんかっ」
今、手を離せば、グランは冷たい甲板の上に倒れてしまう。
いや、倒れなくても、ゼッタイにガルシアの側へは近づきたくない。
「従わぬ、という顔だな」
当たり前だっ。
「では、いいのか。夜明けは遠いぞ」
何言ってるの?
「俺が許さねば、サイシャは手当てをしないだろうよ」
この男! 身も心も言葉も腐っている!
笹良は目から弾丸を飛ばせそうなくらい怒りを込めて、傲慢なことばかりを告げるガルシアを見返した。
「誰のためだと思う?」
知るものか!
「お前のためだろう? カシカを罰したのも、グランを罰したのも」
ゆっくりと毒を染み込ませるような、ガルシアの強烈な台詞。
え?
ガルシアの微笑は、ここぞとばかりに、ひどく甘い。
その明らかに作られた笑みを見て、今更ながら、なぜグランが断罪されているのかという疑問にいきついた。
――もしかして、それって。
あの通路で笹良がグランとはぐれて、それが原因でカシカに脅されたため?
迷子になったのはどう考えても、もたもたしていた笹良の責任なのに、グランが処罰されているの?
たったそれだけの過ちで、こんな惨い目に。
すうっと血の気が引いた。
「どうする、ササラ?」
嘘でしょ。
告げられた事実が信じられなくて、放心しながらも、一同の顔を見回した。
笹良のせいなの?
海賊達は、固まっている笹良の表情があんまり間が抜けていると思ったのか、どっと笑い出した。
嘲笑されたことに屈辱を覚えるよりも、さっきまでとは違う恐怖が芽生える。
「ガルシア、本当?」
鮮やかに笑うガルシアに訊ねてみたけれど、返答はなかった。
皆、笑っている。
だけど、ゾイだけは厳しい表情をしていた。
笹良は迷う。
これは真実の話なのか。
別の思惑、隠されていないか?
なぜなら相手は、一筋縄ではいかない海賊達なのだ。
――それでも、グランがこうして重傷を負っているという現実は揺るがない。
やだ、嘘、マジで笹良のせい?
「ガルシアぁ」
ほろほろっと涙が溢れた。
ひどいひどい、ひどすぎる。
「おいで、ササラ」
だって、でも、そうしたら、グランが。
「うううっ、やだようっ、こんなの嫌だ」
「何を泣く? お前の身が傷ついているわけではあるまいに」
そういう問題じゃない。
違うのだ。
「手当て、してよ。お願いだから、グランの手当て、して」
医者であるサイシャの名を、笹良は泣きながら繰り返した。ただ泣いて訴えるしかない――ガルシアの心変わりに期待して縋るしか方法が分からないという自分が、とても悲しかった。
「ああ可愛いなあ、冥華」
まるで見当違いの感想を漏らしたのは、ジェルドだった。
「いいなあ、王。俺、冥華、好きだな」
もの凄く切なくなった。サイシャの言葉が蘇る。泣く女の姿に――、何だっけ?
「王、冥華に飽きたら、俺に譲ってもらえますかね」
ぬけぬけとせがむジェルドの頭を、レゲエ兄ちゃんが結構な力をこめた感じで叩いた。
「痛え」
「調子に乗るな、馬鹿が」
レゲエ兄ちゃんは皮肉な笑みを消し、えらく渋い顔でジェルドを睨んでいる。
ガルシアはそんなやり取りを見て、ただ微笑むだけだった。
飽きた時、この、摂理も心の機微も慈愛も罪悪も気にとめないジェルドに、笹良の身を投げ与えるんだろうか。
ジェルドのような奴が、一番、怖い。
笹良の世界でいうところのサイコ系だ。快楽殺人とか、喜んでやっちゃう奴。
「ガルシアっ」
「おいで」
お願い、グランの手当てをするって言ってほしいのだ。
そうでなくては、そちらへ行けない。
抱えるグランの頭に、ぼたぼたと涙が落ちる。こんなに辛い涙、初めてだ。
「サイシャを呼びますか」
きっかけをくれたのは、ゾイだった。
ガルシアは一瞬、目を細めてゾイを見返したが、すぐに苦笑を浮かべて頷いた。
頷いたのだ!
「冥華、行け」
素っ気なくゾイが呟き、動きようのなかった笹良の代わりにグランを支えてくれた。
「お前――命拾いしたな」
ゾイは、殆ど気絶している状態のグランの耳元に囁いていた。
それは違うじゃん。笹良のせいで理不尽な拷問を受けたのだから。
「ガルシア」
笹良はもつれる足で、ガルシアに近づいた。
伸ばされる腕を、もう安易に払ってはいけないのだと気づく。我が儘を通せば、ガルシアはきっとグランを助けてくれなくなるだろう。
「やはり、血で汚れたな。湯浴みをさせてやろう」
逆らってはいけないのだ、王様には。
片腕で抱き上げられ、涙を拭われる。
怖い人、残虐を好む人。
だから、皆に海賊王と崇められている。
きっとグランを助けてくれたのも、気紛れだ。
なぜかは分からないけれど、まだ笹良を気に入っているから。
絶対的で、徹底的な支配者――それは夜空に輝く白い月ではなく、青い髪の、海賊王。
(小説トップ)(she&seaトップ)(次)(戻)