she&sea 12

  というわけで、笹良はサイシャが管理する医務室へ向かった。
 向かったというか、気乗りがしない様子のヴィーに無理矢理連れて行ってもらったという方がより正確だが。
 以前は気がつかなかったけれど、この医務室って隣の病室みたいな部屋と続いているようだ。壁に大きな薄汚い布を垂らしていて、それをめくると、隣室と繋がっているという仕組みだった。ガルシアの部屋と、ちょっと造りが似ているかもしれない。
 サイシャは何やら暗黒の儀式を行う魔女のごとく怪しげな薬を煎じていたみたいだったけれど、笹良を抱えるヴィーが姿を見せた瞬間、冗談じゃなく本当に「ぎゃっ」と叫んで仰け反り、硬直した。
 失礼な、まるで化け物にでも遭遇したかのような反応だ。
「奴の様子は?」
 ヴィーが挨拶をするでもなく、いきなり本題に入った。
「起きているのか?」
 うーん、やっぱヴィーの立場って、この船の中じゃかなり偉い方なんだろう。見上げるサイシャの目にありありと恐怖が浮かんでいるもんな。しかし、ヴィーは他の海賊達みたいに、腰に剣をぶらさげているわけじゃない。小さいナイフみたいなのは隠し持っているみたいだけれど、この前、それで干し肉を切っていたしなあ……。
 ヴィーも強いのかな?
「まだ目は覚めていないのか」
 石化しているサイシャの様子に焦れたヴィーが、がたんと近くの小汚いテーブルの脚を軽く蹴った。乱暴なっ。
 普段のヴィーはもしかすると、いつもこんな風に尊大でやさぐれているんだろうかと少し疑問に思った。海賊って謎だらけだ。
 テーブルの上には、飲んだらゼッタイ即死するというか悶死するに違いないヤバい色の液体が入っている容器とかがあって、ヴィーが蹴っ飛ばした衝撃で、それが少し床に溢れてしまった。
 予想外に短気な面を持っていたヴィーは、硬直のとけないサイシャに腹を立てた様子で、テーブルじゃなくて本人を蹴ろうとした。
 こらっ、お医者さんに手荒な真似をするんじゃない!
 日本じゃ医者の地位は高いんだぞっ、特に妙齢の女性達の間で、理想の結婚相手にランクインされるんだからな!
 という微妙に現実的かつ打算的な憤りを胸に秘めつつ、サイシャが蹴り飛ばされる前に、ヴィーの髪の毛を引っ張った。
「駄目っ」
「……」
 このヤ・ロ・ウ! ってな恨みがましい目でヴィーに睨まれてしまったが、それは軽く無視しよう。
「サイシャ」
 ヴィーに脅されて可哀想なサイシャの気をほぐすため、にっこり微笑み手を振ってみる。
 それでようやくサイシャがちょっとだけ立ち直り、ゼンマイ人形みたいながちがちの動きで笹良とヴィーを見比べた。
「大丈夫、ヴィー、ひどい、なし。ね」
 片言しか喋れないって不便だな。
 何か妙に、サイシャから縋るような目を向けられるんだけど。
「我らが麗しき冥華様様が、高貴なる御身をあえてこのような下々の者が蠢く汚らわしき場所に置いて、神々の恩赦すら届かぬ忌まわしき罪人の容態を、その類い稀な慈愛をもって案じてくださっているんだ、とっとと答えな」
 ヴィーはえらい早口で、そんな台詞を全くの棒読みで告げた。
 こ、こいつっ、今のは笹良に聞かせるためにわざと言ったな。
 もう、意地の悪い奴だな!
 髪を掴む手にじわっと力をこめると、ヴィーに噛み付かれそうな目で見られてしまった。喧嘩上等だっ、と闘志を燃やして唸ると、ヴィーの目の色が「かまってられない」という実に投げ遣りな感じのものへ変化する。なぜそこで疲れたように首を振るんだ。
「まだ、グランの奴はそこにいるのかい」
 と、ヴィーは汚い布を垂らした壁に視線を投げた。
 がくがくっとサイシャが壊れたように何度も頷く。
 ヴィーは僅かに唇を歪めたあと、密かに金色の編み込みをいじって遊んでいた笹良を抱え直して、ぱっと布をめくった。
 笹良はヴィーにしがみつきつつ、怖々と中を覗き込んだ。
 結構、広いじゃんか。
 それをベッドって言ったら本物のベッドに失礼だってなくらい薄汚く滅茶苦茶古い横長の寝台が、いくつか部屋に並んでいた。寛容な心で許してやればの話だが、まあ、病院で言うところの病室と思えなくもない。室内全体、うようよと病原菌が漂っているんじゃないかと思うくらい手垢に塗れ飴色になっているが。キノコとか生えていてもおかしくないな。探せば絶対あるに違いない。
 寝台には療養中らしい二、三人の海賊が横たわっていて、一番手前にグランの姿があった。カシカは、いなかったけれど。美少年は自室で安静にしているのかな。
 降ろして降ろして、と笹良は軽くヴィーの髪を揺らした。ヴィーは盛大に文句を言いたそうな顔をしたけれど、とりあえずは無言で笹良を床に降ろしてくれた。
 足を床につけた拍子になぜかくらっと目眩がして、そういや笹良ってばさっきまで具合が悪かったのだと気づいた。
 まあいいや。そんなことより、目的はグランの安否だ。
「グランー」
 傷口に響くといけないので、笹良は静かに呼びかけ、とことこと寝台へ近づいた。
 眠っているのかなと思ったけれど、うつ伏せに寝転んでいたグランは、笹良がこそりと呼びかける声に、ぱちりと目を開いた。
 グランの片方しかない目は、不思議な若草色をしている。
 顔色はまだまだ優れないけれど、とにかく命に別状はないようで、よかった。
 笹良は安心して、うん、と一人頷き、素早くグランの背中を観察した。恐ろしい色をしたゼリー状の薬を背中に満遍なく塗布していて、その上にガーゼみたいな薄い布を被せていた。
 うう、思い出してしまった。背中の皮膚、見事に剥がされていたんだっけ。ちょっと吐き気を覚えてしまう。
 グランの目を覗き込むと、以前のように落ち着いた色を取り戻していた。なんて立派な人なんだ! 笹良だったら苦しくて恐ろしくて腹が立って、発狂している可能性大だろう。そして必ず百倍返しにしてやると復讐を誓う。
「グラン、痛い? 痛いね?」
 あーもう、日本語が通じたらな!
 やきもきする笹良を、グランは無言で見つめている。
「えっと、痛い、痛くない……ううっ、それは違うじゃん……えーと、早く、痛くない、治る」
 ……いや、つまりさ、早く怪我が治って痛くなくなったらいいね、って言いたいわけなんだが。
 日本語と異世界語を微妙にミックスさせてしまったので、グラン、聞き取れなかったかもしれない。一応、視線はこっちに向けてくれるけれど、全然無反応だし。
 というわけで、笹良は最終手段に出た。
 成人した男相手にどうかと思ったけれど、他に激励するための妙案が浮かばなかったし。
 様子を窺いつつ、ゆっくりとグランの髪を撫でてみる。
 笹良自身、頭を撫でられるのは嫌いじゃない。相手にもよるけどさ。
 あとは、薄らと額に汗をかいていたから、手近な場所に置いてあった桶の水へ比較的奇麗そうな布を浸して、おしぼりを作った。それで、汗を拭いてあげる。
 笹良、今まで怪我人の看護に関わったことがないので、要領とかよく分からないのだ。
 他に何をすればいいんだろ。
 うーん、と見回して、空になっていた水差しに気づく。
 そうか、こんなに汗をかいていれば、きっと喉が乾くよね。
 飲める水がどこに置いてあるのか分からないので、補充は後方に控えていたサイシャに頼んだ。
 ついでに、背中を下にして眠るわけにはいかないけれどずっとうつ伏せのままでは辛いだろうと思って、笹良が着ていた上着を脱ぎ、それを簡単にたたんでグランの顎の下に入れてあげた。
 だって、この寝台、木製で、しかも薄い布を一枚敷いているだけなのだ。 
 これはあんまりだと思うぞ。怪我人に対して過酷すぎる環境だ。ある意味、試練っぽいぞ。
 よし、今度は枕を持ってきてあげよう。笹良の部屋っていうかガルシアの部屋には、ふかふかしたクッションみたいなのがたくさん転がってるし。一個くらい失敬しても、バレるもんか。
 でもあまり厚ぼったいのだと、首が仰け反るだろうしなあ、布を丸めたくらいの厚さが一番負担にならなくていいかな。いやいや、それよりも汚れたシーツをどうにかしたいな。
 グランは大人しく、笹良が差し込んだ服の上に右の頬を乗せた。ほら、やっぱ寝台が固すぎて、顔乗せるの、辛かったんだ。笹良、偉いな!
 ……じゃなくて。
 もともとは、負わなくていい怪我だったのだ。
 一気に気分が沈んだ。もし自分がこんな目にあったら、なかなか立ち直れないと思う。
「ごめんね」
 グランの頭を撫でつつ、笹良は誠心誠意、謝った。
 ああごめんなさいって言葉、本当に悪いと思っている時には、すごく口にするのが重いものなのだ。
「痛い、笹良、悪いです、ごめんね」
 もう、笹良ってば何人? という感じの端的な話し方だ。
 グランの身体から薬のきつい香りと体臭、そしてまだ濃厚な血の匂いが漂ってくる。どう考えても数日で治る怪我ではない。麻酔とかなしの状態で皮膚を剥がされるのって、想像を絶することだ。
 おまけにそれを、口の中に突っ込まれて。
 普通は、絶望する。
 ちょっと涙が出てきた。
「グラン、ごめんね」
 どんなに怖かっただろうな。
「たくさん、休む。眠る、治る」
 ……安静にして怪我を治してね、と言いたいのだ。
 グランは何も答えなかった。やっぱり笹良のこと怒っているよね。いや怒るとかっていうレベルじゃなくて、憎悪を抱くよなあ、この場合。殺意が湧いて当然なのだ。
 そういう憎い相手が目の前にいたら余計に具合が悪くなるかも、と気づいて、笹良はもうそろそろ辞去しようと思った。
「さよなら。グラン」
 すごく暗鬱な気分だったけれど、ここで笹良が落ち込んでいる姿なんて見せたら、まるで同情を誘っているみたいだと誤解されるかもしれない。なので、なるべく穏やかに穏やかに部屋を出て行くべきだろう。
 内心で結構葛藤しつつ、背を向けかけた時、ふとグランが身じろぎした。
 ん?
 振り向くと、何だかグランはもの言いたげな顔をしていた。責める雰囲気じゃなくて、ただひたすらに思い詰めた目をしている。
 何だろう?
 驚いて、グランを凝視してしまったけれど、何も言ってはくれなかった。
 グランは一度だけ笹良の背後に佇むヴィーの方へ視線を走らせて、諦めたように瞬きした。
 ヴィーが近くにいたら話せないことがあるのだろうか。
 そう察して、いっそヴィーに離れてほしいと頼もうか逡巡した時、先手を打たれてしまった。
 突然、またもやヴィーに抱え上げられてしまったのだ。
「気はすんだな」
 ヴィーめ、肝心な時に邪魔をしたなっ。
 ついつい睨んでしまったけれど、素知らぬ顔をされた。大人って!
 笹良は猫の子じゃないぞ!
 と、抗議してもまるきりシカトされる。
 暴れてみても、呆気なく封じられて、グランの側から引き離されてしまった。
 恐る恐る出迎えてくれたサイシャの横を通り抜けて、ヴィーはさっさと医務室をあとにした。

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