she&sea 13

 医務室から退散したあと、ヴィーは不機嫌丸出しの表情を浮かべつつ乱暴な動作で笹良を床に降ろした。
「全く」
 何が全くなのだ。
「冥華様には、髪一筋分も危機感がないのか? それとも、下々の視線など取るに足りんということか?」
 何だその生意気な言い草は!
「ああ、お偉い冥華様には家来が山ほどいるから、己が危機感を抱く必要はないか」
 通路を足音荒く歩むヴィーに、くどくどと嫌味を言われる笹良って一体。
「怒る、なぜ?」
 意味不明の叱責にむっとして、前を歩くヴィーの背中を睨み上げつつ言い返した。ヴィーはでかいくせに身のこなしが軽やかで、足早に歩いていても通路に転がる様々な障害物にぶつかることはなかった。海賊達、ちょっと不精すぎるぞ、人間が歩く場所くらい掃除してほしい。駆け足状態でヴィーを追う笹良は、さっきから頻繁に蹴躓きそうになってひやひやしているのだ。
「なぜ?……全く、お気楽なものだ。お前は己の立場が何も分かっていないな」
 説明になっていないぞ。
「お優しい冥華様は傷ついた戦士がお好みかい? 餓鬼だろうが婆だろうが、総じて女はとんだ勘違いをしやがる。愚か者を慰める己の姿に酔うのさ」
「意地悪! 馬鹿っ」
「そんな言葉ばかりどこで覚える。ええ?」
 馬鹿馬鹿、と笹良は十回くらい連呼した。
 さすがにこれにはヴィーも腹に据えかねたみたいで、すうっと胡乱な目をして立ち止まった。
「悪い言葉ばかり覚えやがって」
 笹良は更に呪詛を吐くがごとく、馬鹿と十回分、追加した。マックでいえばハンバーガーにシェイクを追加だ。大増量キャンペーン中にして、もっと追加してやろうかな。
「態度のなっちゃないお姫様だ。痛い目を見たいか?」
 いきなり両脇を掴まれたと思ったら、その持ち上げられた体勢のまま、背中を壁に押し付けられた。
 間近で見ると、ヴィーの目は酷薄そうな薄い空色をしていた。
「何するのっ、離して、痛いよ、嫌!」
 笹良は美術館の壁にかけられた絵画じゃないぞ!
 咄嗟に日本語で叫んだが、鼻で笑われた。
「さぁな、何を言っているのか分からないな。お姫さん」
 かっとして暴れようとした時、不意に顔を近づけられて、笹良は怯んだ。毒々しいほど華やかな笑みを浮かべるヴィーの目は、不穏な獰猛さを秘めていた。
「餓鬼の相手はご免だが、ジェルドならば手を叩いて喜ぶだろう。お前を食いたくてうずうずしているさ」
 な!
「お前の身体は柔らかいな。周囲の者にかしずかれて何の苦労もなく育ったのだろう。さぞ美味な肉だろうよ。皮を剥いでやろうか? そのくらいならば、俺も楽しめる」
 ざっと音を立てて血の気が引いた気がした。
 鮮やかに蘇るグランの皮膚。背中。
 垂れ落ちる赤い色の唾液と脂汗が血と混ざった時の、吐き気がするような匂い。
 恐ろしい光景が濃厚な匂いまで伴って頭の中に浮かぶ。
「どうした、さきほどまでの我が儘ぶりはどこへいった?」
「……ん」
 喉の奥が震える。目の奥も熱い。耳の後ろも、掴まれている所も、全部、熱い。
 記憶までもが燃えている。血塗れの背中。
 点滅する、血の色。網膜にこびりついている惨劇の夜が、現実を覆い尽くす。
 嫌!
「んんんん」
 ひくっと喉が鳴った。けれど、呼吸ができない。
 何これ?
 自分でも、え? と思った。
 急激に体温が下がり、重心も下がり、全身を捻られたかのような凄まじい痺れが走る。 
 息、できない!
「あっ、う、あ…」
 目を開けていられなかった。突然、変調をきたした自分の身体に、誰より笹良がびっくりしていた。
「おい!」
 慌てた声を上げたヴィーが、すぐに笹良を床へ降ろしてくれた。
 でも笹良、とても自力では立っていられない。何より、気を失いそうなほど目眩がして呼吸がままならないのだ。もがきたくても、手足さえ動かせない。
 ヴィーが焦った様子で、舌打ちする音が聞こえた。
「落ち着け」
 ヴィーは片膝を床につけた体勢で笹良を抱え込み、背中を軽く叩いてくれた。
「息を吐くんだ。急がずに、ゆっくりと」
 耳元で、ヴィーが暗示をかけるように言葉を紡いでいる。
「混乱して身体が拒絶反応を示しただけだ。大事はない」
 その言葉通り、しばらくすると目眩は去っていった。
 身体が弛緩すると同時に、呼吸も楽になる。
 もしかして、これ、過度のストレスで身体機能が低下し一時的に息が出来なくなるってやつだろうか。
 原因を探り当てると、気分がかなり落ち着いた。
 だが、身体の怠さは無視できないほどひどくなり、すぐには動けそうにない。
 その間、ヴィーは静かに背を撫でてくれていた。
 そうだよね、ここで笹良に万一のことがあれば、三途の川へ直行ってな感じの海賊王の制裁を受ける羽目になるだろうし、などと皮肉まじりの自虐的な考えを巡らせる。
「……休んだ方がいいな」
 どこか苦々しげに、ぽつりとヴィーが言った。
 笹良は別に意地悪をしたかったわけじゃなくて、本当に身体が怠かったので返事をしなかった。
 ヴィーは微妙な表情で、ぐったりしている笹良を抱き上げた。今までで一番、丁寧な動作だった。嫌味も言わなかったし。
「あとでサイシャに薬を調合してもらう」
 笹良は微かに首を振った。
 一時的に呼吸が乱れただけなら、薬は必要ない。
 にしては、この身体の怠さは異常だが、そういえばもともと体調がよくなかったのだった。
「……ヴィー」
 応答はなかったけど、視線はちゃんと感じた。
 笹良は目を閉じて、頭をヴィーの肩辺りに預けたまま呟いた。
 見当違いの可能性が強いが、ヴィーにまだ、医務室へ連れて行ってもらった礼を言ってなかったのだ。そのせいでヴィーは怒ったのかもしれないと、笹良は安易に考えた。
「ありがと」
 僅かに息をつめるような気配を感じた。
 もう少し何か言葉を足さなきゃ伝わらないかも、と霞む意識の中で考えた時だ。
「見つけた」
 聞き覚えのある明るい声が聞こえて、笹良は重い瞼を開いた。
「王がお呼びですよ、冥華」
 にっこり笑うジェルドの姿が通路の先にあった。
 
●●●●●
 
 ガルシアが呼んでいるならば、部屋でのんびりと休むわけにはいかないのだろう。
 動き出そうとしないヴィーの髪の毛を掴み、降ろして、と笹良は合図した。
 ヴィーは一瞬、渋面を作った。降ろしてと頼んだのに笹良を抱き上げたまま、歩き出されてしまう。
「笹良、歩く」
「……倒れるぞ」
 平気だもん。
 実は結構ショックだったのだ。自分ではそれなりに打たれ強いと自負していたが、ストレスに身体が降参の旗を振ってしまった。そりゃ笹良、よく泣くけれどさ、涙と我慢強さってあんまり関係ないと思っていたしなあ。
 よし、気を引き締めよう。
 笹良は気合いを入れ直して、ヴィーの腕からよいしょと飛び降りた。
「冥華!」
 声を荒げるヴィーからぷいっと顔を背けつつも、ぐらつく身体を支えるために手を握らせてもらう。迷子防止の意味合いも含まれてはいるが。
 笹良の様子を見て、はははっとジェルドが軽く笑った。
「へえ、ヴィー。冥華に懐かれているじゃないか。いいなあ」
 この兄弟ってば、ちょっと変わっている。ジェルドがヴィーに対して頭が上がらないっていうのは確かなんだろうけれど、どこか他人行儀というかさ。出来のいい兄に対して複雑な感情を向ける弟の図というやつだろうか。
「王に恨まれないよう、ほどほどに」
 軽口を叩くジェルドを、ヴィーは殺傷能力がありそうな凄まじい目で見返した。
 二人に付き合っていたら、日が暮れる。
 笹良はきっぱり無情にそう判断して、ヴィーの手を引っ張った。
 さあ行くよ。
 
●●●●●
 
 ガルシアはいつもの揺り椅子に腰掛け、ゆるりと長い煙管を傾けつつ、海を眺めていた。お仕事は終わらせたようだ。
 王様の姿が見え始めた場所辺りで、笹良はヴィーの手を離した。ここまで来たら、もう迷子になりようがないし。
 うう、今日も海は絶好調に青い。せめて曇り空とか霧がかかっていれば海の青さを消せるのに、と笹良は嘆息したが、ガルシアの髪の毛もやたらと青なんだっけと項垂れた。
 海はどこまでも青く透明だ。遮るものもなく一直線に降り注ぐ日の光が広大な海面を貫いている。空からの光を柔軟に受け入れ、慈悲深く包み込む海は、赤子をさする手のようにゆらりと優しく揺れていた。そのため、陽光が海面に反射して輝いているというより、深い底から透き通った青い光が放たれているように見えた。
 笹良がもし水恐怖症などじゃなかったら、遥か彼方の水平線まで、果てなく敷きつめられた滑らかな青い水の絨毯の上を歩いていきたいという誘惑に駆られたかもしれない。そのくらい、今日の海は穏やかで優しい表情を見せていた。
 時折ぱしゃんと魚が銀の鱗を煌めかせて勢いよくはねたり、白い羽根の海鳥が虚空の高みまで飛翔し、湿った風の門をくぐり抜けて優雅に舞っていたりと、青の世界に少し彩りを加えている。何だかよく分からないけれど、くらりとしてしまうような光景だった。すごく壮大な世界に触れてしまった怖さを感じる。この世界はちゃんと息づいていて、命の鼓動があって、確固たる存在を主張しているのだ。
 だけど海はとても大人しく静かだったので、緩やかな波が船に当たって砕ける音よりも船内を動き回る海賊達の笑い声や威勢のいい錆びたかけ声、床を踏み鳴らす足音の方が余程強く響いた。
 笹良は気を取り直したあと、甲板の中央にどかりと座り込んで漁猟用の網を編んでいる海賊くんを迂回し、煙管を吸ってのんびり煙をくゆらせるガルシアの側へたかたかと近づいた。肘掛けにこそっと手を置くと、空中に溶ける薄い煙の幕を一枚隔てたすぐ向こうで、ガルシアの不思議な色合いを見せる一対の瞳がこちらを一瞥し、ふっと笑うように細まった。
 どうでもいいけれど、海賊って下っ端から幹部まで飾り物とか宝飾品とか好きだよなーと、揺り椅子に腰掛けているガルシアを眺めつつ笹良は感心した。宝飾品といってもダイヤとかのきらきらっとしたものじゃなくて、原色に近い濃い色のバラエティに飛んだ石を細工した感じの飾り物が多いのだ。路地裏に店を構える怪しい占い師がつけてそうなやつ。ガルシアはそんなにたくさんつけている方じゃないけれど、小さな耳飾りや首飾り、腕輪とかはいつも欠かしたことがない。装飾品の数や豪華さで地位が決まるというわけじゃないのだな。個人の好みが反映しているんだろう。
 ふむふむと見つめていると、ガルシアがくすりと笑った。
 グランの時と違って笹良をガルシアの元に預けたら、ヴィーは側を離れてもよかったのだが今日は様子が異なった。
 その辺にいた海賊に、ガルシアは何事かを指示して、立ち去りかけたヴィーを呼び寄せる。
 笹良は勿論、海など目にしたくもないので、さっさとガルシアの足元に座り込んだ。あんまり笹良が甲板にぺたりと座り込む回数が多いせいか、いつの間にかガルシアの足元にはクッションと薄い敷布が用意されるようになった。
 よいしょとクッションを抱え、ガルシアの膝に頭を預けるようにして敷布の上に座る。
 こういう感じでもたれれば、無理矢理膝の上へ乗せられずにすむという姑息な発見をしたのだ。それでも時々は、ガルシアの気分次第でやっぱり持ち上げられるんだけれどさ。スキンシップに飢えているというより、完全にこっちの反応を面白がっている感じだ。
 ああでも、今はさすがにもたれるものがあってよかったと思う。頭、ぐらつきそうなほど気分が悪いのだ。
 本音を言えば触らないでほしかったが、ガルシアは無意識のように笹良の頭を撫でてくる。有閑マダムっぽいぞ、ガルシア。
「ヴィー、たまには付き合え」
 ガルシアは静かに煙管の煙を吐き出したあと、そう言った。普通の煙草と違って、ガルシアが好む煙管の煙は嫌な匂いがしない。どちらかというと、身体の奥にとろりと染み込むスウィートな匂いなのだ。まさか麻薬などに分類される危険な草を煙管の中に詰めているんじゃないだろうな、と最初の内は不審に思っていたが、ガルシアの様子はいたって平常通りだったから、多分違うのだろう。
「こうも海が凪いでいると、退屈だ」
 ガルシアの不穏な言葉に、ヴィーは微笑を返した。
 何かな、と思って視線を上げると、ガルシアの指示を受けた海賊くんが、目の前に五角形の小さなテーブルとお酒やつまみなど、次々と色々なものを持ってきた。
 笹良の目を引いたのは、透明な容器にたくさん入れられた四センチ程度の四角く薄い石だった。赤、青、紫、黒、緑、黄と全部で六色ある。使い方とかは分からないが、ぴんときた。多分、ゲーム用じゃないかな。麻雀と同様に、大人がやりそうな賭け事の道具だろう。
 その推測は大当たりだったみたいで、ヴィーの他にジェルドとゾイが加わった。なぜかわさわさと他の海賊達も集まってくる。
 まあ確かに、海上じゃあ娯楽って少ないだろうしね。
「お前もやるか?」
 ガルシアが、ちょい、と笹良の髪を柔らかく掴んだ。
 できないよ、という意味をこめて、首を横に振った。大体、ちょっと具合が悪いしさ。
「賭けに勝てば、何でも望みを聞いてやろうよ」
 ……あ、やりたい気がする。
 でも、ガルシア達相手に、ビキナーズラックなんてものは通用しないだろう。というか、完璧にイカサマをされそうだしさ。遠慮した方が賢明だ。
「王、望みを聞いてくれるんですか」
 ジェルドの浮き足だった声に、かなり嫌な予感がした。
「言ってみろ、ジェルド」
 ガルシアの馬鹿……と笹良は内心で落胆した。
「王」
 ジェルドは小さな石板を弄びつつ、無邪気な笑顔で宣言した。
「勝ったら、冥華を下賜願いますよ」

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