she&sea 14
ご冗談を!
笹良は勢い良く顔を上げた。その拍子に、高熱を出した時のような気持ち悪い浮遊感に襲われて、くらくらした。うわ、何だかさっきよりも悪寒がひどくなっている気がする。
いや、今は悠長に体調の悪さをしみじみと嘆いてはいられないのだ。
ガルシア、もし了承したら、思い切り足を踏むからな!
「ササラをか?」
駄目って言ってよ。
第一、笹良はゲームの賞品なんかではないのだ。そういう軽い扱い、全くもって不満、不服、ご立腹だぞ。
笹良は「駄目駄目!」という固い拒絶と祈りをこめて、焼き焦がせそうなほど強い視線をガルシアに送った。
これほど真剣に心の中でお願いしているというのに、絶対的な決定権を握る王様のガルシアは、ちらともこちらへ目を向けてくれない。
こら!
ぎゅっとガルシアのズボンの裾を握って、合図を送ってみた。
だが。
「いいさ」
……な、何っ!?
思わず起き上がりかけたが、ガルシアの手が肩に置かれて、その場にすとんと座り直す羽目になった。人を押さえつけておきながら、ガルシアは視線を向けようとしない。
「いいんですか?」
嬉しそうに、ぱん、とジェルドが顔の前で手を合わせた。
「よくなーいっ! ちょっと待って、笹良の意思は無視なわけ?」
笹良は日本語で絶叫した。周囲に集まっていた海賊達がげらげら笑うだけで、誰もまともに取り合ってくれない。
この海賊達、網で一息に釣り上げてやろうかな!
基本的人権を知らないのか? 人間には意思の自由が約束されているんだぞ。
「ガルシアの馬鹿っ、嫌だよ!」
あーもう、この世界に来て、何度「嫌」とか「馬鹿」って口にしただろう。
……そう叫ばずにはいられないほど、理不尽な目に遭っているんだな、笹良。
胸中で項垂れつつも、このままなし崩しに賭け事の賞品にされてはたまらないので、ガルシアの膝にすがった。
「ガルシア」
「ジェルドの望みは、ササラで良いのだな」
「はい、王」
「ガルシアっ」
このっ、見境なしの暴君め!
笹良はふるふるっと怒りに震えたあと、ガルシアをどうにかして振り向かせるために、クッションを顔に投げつけた。勘のいいガルシアは、顔に衝突する直前で、クッションを受け止めた。
物見高くこちらを眺めていた海賊の誰かが、ぎえっ、と恐怖に塗れた叫び声を発したが、知るもんか!
……や、少し、まずかったかなと思ったけれどさ。
ああついつい手が出てしまう。
こういう後先顧みない不遜な態度が、海賊達の恨みを買うもとになるんだった……。
我ながら懲りない奴だ、笹良って。
自分の駄目さ加減に閉口していると、笹良が力任せに投げつけた柔らかなクッションを受け止めたガルシアがそれにぽすりと顔を埋め、少し身を前に屈めてくすくすと笑い始めた。
この時の、周囲にたむろしていた海賊達の表情ったら!
紙よりも白い顔って比喩が当てはまる表情、現実で初めて見ちゃったよ。
もし空気に、猫みたく毛が生えていたら、間違いなく戦慄で逆立っていただろう。
やばいな。一応、ガルシアに謝ってやるか。
と、どこまでも偉そうなことを考えつつ、笹良は愛想笑いを浮かべてみた。
「ガルシアー」
ガルシアはクッションに顔を埋めたまま、まだ笑っている。頭の神経、ぶち切れたのだろうか?
「ササラ」
困っていると、ガルシアがクッションに片側の頬を預けた状態で、こちらに視線をようやく向けた。きらきらとした稀な色の目は、笑ったせいか潤んで見えた。
「な、何さっ」
なぜか喧嘩腰になってしまう。反省の色がない自分の尊大な態度に、乾いた笑いが漏れそうだった。
くっと再びガルシアがクッションに顔を埋めて、爆笑している。そ、そこまで笑う?
大丈夫なのか? 頭のねじ、落ちたんじゃないか。
ガルシアの発作的笑いがおさまるまで、勿論ケチをつける海賊はいないため、皆、凄まじく緊張感を漂わせながら、びくびくと待機していた。
はあ、とようやくガルシアが顔を上げ、笑いの余韻をたたえた眼差しを笹良に向ける。
「なあササラ。賭博というものはな」
何さ。
「それなりのものを報賞にせねば、面白味がないだろう」
面白さ追求のダシに、笹良を使わないでほしい。
「なに、俺の座とて、賭けの対象になる」
俺の座?
王様の椅子も、賭博対象にしているのか?
「そうして、俺の命もな」
唖然とガルシアを見返してしまった。
……な、何を考えているのだ。
自分の命を賭けて遊ぶ馬鹿が、どこにいるっ。
ここにいる、というツッコミはなしだ。
「望みというのは途方もない方が、より刺激になるのさ」
刺激を求める前に、自分の人生をもう一度真剣に振り返るべきだ。
一言物申そうとした時、ぽすんと頭の上にクッションを置かれた。
先程自分が思い切りクッションを投げたことは棚に上げてむっとすると、突然、身体が宙に浮いた。いや、浮かされた。
「わっ」
一瞬の後に、ガルシアの膝に移動させられてしまう。
「お前も参加するか」
嫌だ。こんな物騒極まりない賭け事になんか参加したくない。
というより、強制的に笹良を賞品の目玉にしないでほしい。
「あと一人、入る者はいないか」
このゲーム、五人用なのか。
「では、私が」
と、怯える海賊達の間から現れたのは、切れ長の目をした奴だった。グランいじめに参加していた側近だ。
「ああ、ギスタ、お前が入るならば、手を抜けないな」
と、ガルシアは嘯いた。
待て待て、手を抜くつもりだったのか。
「お前の望みは、やはり俺の命か?」
あっけらかんと告げるガルシアの言葉に、笹良はぎょっとした。
「今回は、王との真剣勝負を望みますよ」
「なるほど」
何なのだ、このお馬鹿達は!
思わずぐいっとガルシアの胸辺りの服を引っ張る。
「――負けぬさ」
ガルシアは、ふと笹良の耳に唇を寄せて、殆ど聞こえないくらいの小さな声でそう言った。
知らないのか、勝負は時の運って言うんだぞ!
もし負けて、ジェルドが勝利したらどう責任とってくれるんだ。
「王の望みは?」
ゾイが興味深そうにそう訊ねた。
「さて、俺か」
ガルシアが、笑った。
弾丸のごとく吐き出そうとしていた文句が、喉の辺りですっと消えてしまう。
あー、すっごい悔しいが、一秒後には是非とも忘れたいが……、あれっと驚くくらい、格好いい笑みだった。くそっ。
そんな笑みのまま、ガルシアはふっと笹良に視線を落とした。
「この娘に、歌でも歌わせ踊らせよう」
……負けてしまえ!
●●●●●
で、始まったゲーム。
小さな石板の裏には奇妙な絵文字が描かれている。女子高生御用達の絵文字じゃなくて、ちょっと象形文字っぽい。
よく分からないけれど、ポーカーと麻雀を足して二で割った感じの遊びらしい。
要するに、最終的には、同じ絵が描かれた石板を多く集めればいいみたいだった。
なるほどね、って感じで、ガルシアが集めた石板を奪いしげしげと眺める。
……ちょっと王様、今のところ負けてないか?
笹良は眉間に皺を寄せた。負けたらひっぱたくぞ。
ガルシアは時々、お酒を飲む合間に葡萄みたいな果物の皮を剥き、それを笹良に食べさせてくれた。体調の悪さが原因であまり食欲はなかったけれど、予想外にその果物が美味しくて、差し出されるまま食べていた。美味じゃん、この果実。
ガルシアの親馬鹿的な行動に呆れているのか、ゾイ達がちらちらと笹良を盗み見る。
だってさ、自分で果物の皮を剥いたら手が汚れるじゃん。などとかなり横着というか、もう何様的に傲慢なことを笹良は内心で思っていた。いや、自分で皮を剥いてまでは食べたいと思わない、といった方が正確だ。一見葡萄っぽかったけれど結構皮が固くて剥くのに手間がかかる果実だったので、あまり身体を動かしたくなかったのだ。そんなことで体力を消耗したくない。
ガルシア、剥いてくれるのは嬉しいが、自分は全然食べてないな。
仕方ないなあ。骨が折れそうだが、一つくらい剥いてやるか。何かサービスしなきゃ、マジで手を抜いて、ジェルドに勝たせそうだしな。
と、あくどい策略によるねじ曲がったサービス心を発揮して、笹良は微妙に痺れを伴う頭痛を堪えつつ、果実の皮を剥いた。
ほら、とガルシアの口元に果実を持っていく。
笑いを堪えながら、ガルシアは果実を食べた。よし、これでいいだろう。責務はちゃんと全うしたな。
しかし、濡れた手をどこで拭こう。ガルシアの腰帯で拭くのは流石にヤバイかな、と悩んでいたら、本人がそれで笹良の手を拭いてくれた。
「いいなあ、王」
頬杖をついてジェルドが呟いた。
よくない、よくない。
親切心でやっているわけではないぞ、笹良は。百パーセント、自分可愛さのためだ。滅茶苦茶に利己的な理由のためだ。
本当は好きな人以外に、こんなことしたくないんだぞ。大体、グランをいじめたことでガルシアを恨んでいるし。それに笹良は悪だくみの似合う美丈夫よりも、儚くて温厚な美少年が好きなのだ。そう、控えめな微笑が似合う美少年。
あーそういえば、他のクラスにちょっと気になる美少年君がいたんだよなー、と笹良はついつい現代日本へ思考をトリップさせた。
「あ、俺、『フォン』です」
と、ジェルドが急に表情を緩ませて、宣言した。
フォン、って、滅多に回ってこない悪魔の絵がついた石板で、これ、指名した奴の手持ちの板を総ざらいで無効にするんだよ、確か。
指名された奴は、折角集めた石板を全部捨てて、最初から集めなきゃいけない。
ジェルドがにこりと、ガルシアに笑いかけた。
ガルシアは一つ頷いて、それまで集めていた石板を全部投げた。……くそ、笹良が手の中に隠した石板まで奪われてしまった。海賊のくせにイカサマなしなのか? というか、よく見ていたな、隠す瞬間。
つい唸ると、ガルシアに頭を撫でられて宥められた。獣扱い、やめてほしい。さっきから、ヴィー達の視線が痛いのだ。
で、かなり不利な状況でゲームは進んだ。
●●●●●
おっ、なかなか順調に同じ絵の石板が集まってきたかも。
と密かに喜んだ時、くくっとジェルドが笑いを漏らした。
な、何さ?
怪訝に思って顔を上げると、ガルシアに溜息混じりで名を呼ばれ、ぐいっと引き寄せられた。
ガルシアの胸にはり付く形になり、笹良は慌てた。
「ササラ、お前、頼むから大人しくしていろ」
失礼な! 笹良、何も喋っていないぞ。
濡れ衣だ、と非難をこめてガルシアを睨み上げると、もう一度深く溜息をつかれた。
「先程からお前の顔色を盗まれている。お陰でこちらの手が、全て読まれているぞ」
……。
もしかして、皆にやたらと見られていたのは、そのせいか?
しかし、そんなに表情を変えていないと思っていたのに。
「丸分かりだ。捨て札が回ってくる度に、顔をしかめている」
……。
思わず、しゅんと項垂れた。ま、負けたら笹良が原因か。
「良い子だ、大人しくしていな」
ガルシアはそう言って、笹良を振り向かせないよう……というか、他の奴に顔色を読ませないように、長い腕で抱き込んできた。肩の下あたりに顔を押し付ける形になり、微妙な気持ちが芽生えてしまう。ガルシアからは体臭となぜか南国系な香の匂いがする。体調が万全な時ならば、暴れるだけ暴れて離れただろうが、今は人の温もりと匂いが心地よかった。具合が悪い時って人恋しくなるというか、普段より寂しさが募るものだ。ガルシアは押しても引いてもびくともしないくらい頑丈だし、笹良よりも体温が高く、とても揺らぎない存在に思えて安心してしまった。不覚。
更なる不覚は、ついついそのまま微睡んでしまったことだ。
●●●●●
「ササラ」
ぽんぽんと軽く背を叩かれて、笹良は半覚醒の状態で目を開けた。
ん?
笹良は寝惚けていた。ここはどこ状態だ。
「終わったぞ」
何が、と聞き返そうとして、瞬時に意識が現実に追い付き、絶叫しかけた。
終わったのか?
どうなったの!?
慌てて周囲を見回す。見物していた海賊達はさりげなく意味深な眼差しで笹良を凝視している。
……ジェルドはちょっと不貞腐れている様子だった。
よし、と内心で喜んだ。この表情を見る限りでは、ジェルド、負けたな。
「誰?」
笹良は異国語でガルシアに訊ねた。勝ったのは誰? と聞いたつもりだった。
ガルシアは人差し指をひょいとヴィーに向けた。
ヴィーはじゃらじゃらと音を立てながら石板を容器に戻していたが、視線を感じたらしくこちらへ顔を向けた。
「畜生」
と、ジェルドが剣呑な眼差しをゾイとヴィーに向けた。
勝利したヴィーになら分かるが、なぜゾイまで睨むのだろう。
あ、もしかして、ゾイとヴィー、イカサマをしてジェルドを負かせたんだな。くそ、見たかった。
とにかくジェルドの餌食とならずにすんでよかった。笹良の身は安泰だ。
「ヴィー、何を望む?」
ガルシアは笹良の髪を撫でながら、訊ねた。
ヴィーは一度、冷たい眼差しをジェルドへ流したあと、ガルシアを直視した。
「何でもよろしいですかね」
「いいさ」
「では」
ヴィーは虚空へと視線を逸らし、呟いた。
「冥華を数日、俺に預けてくれますかね」
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