she&sea 18

 アルバシュナは永久の青、とこの世界の人達は言うらしい。
 空の色よりも海の青は美しく荘厳であり、大陸全土よりも海の面積の方が広いことから、畏敬の念をもってそう讃えられている。
 そんなふうに前置きをしたグランはクッションを抱え込むようにして身体を横向きにしたあと、虚空へと視線をさまよわせた。
 笹良は寝台の端に体育座りをして、大人しく拝聴した。
「要である大陸を、総じてこのように呼ぶ。神印の十五図、と」
 ……んん?
 しんいんのじゅうごと?
「十五図の内陸を宝盤の八冠と称し、各国の狭間にある湖を、黎鏡の七涙と呼ぶ」
 んんん?
 ほうばんのやかん?
 れいきょうのしちるい?
 笹良はぽかんと口を開けた。異国語の、更に異国語を耳にした感じだ。
「冥華、魂魄が抜けかけてるよ」
 などとからかってきたのは、ごそごそと医務用品を漁っているジェルドだった。何しているんだ?
 まあ、ジェルドのことは置いといて。
「……グランー」
 全然理解できない。もっと分かりやすく説明してほしい。
 切実な訴えに気づいたグランが微かに頷き、噛み砕いて説明してくれた。
 その言葉を笹良式に変換すると、次のようになる。
 アルバシュナっていうすんげえ広い海の中央に、主要国っていうか今のところ繁栄している大国が八つあるらしい。
 この八国を讃えて「宝盤の八冠」なんてご大層な総称がつけられたということなのだ。
 で、面白いことにこの八国には、笹良の世界……地球上の大陸とは全く異なる特徴があったりする。
 何と各国の面積、形が全て同一なのだ。
 八つの国全て、ほぼ正方形に近い形をしているんだって。すげえ!
 更に、国と国との間には、これまたほぼ正方形のデカイ湖があるらしい。
 つまり国と湖が交互に並んでいる。しかも、この湖の面積まで国と同じ大きさなのだ。
 湖の数は全部で七つあるから「黎鏡の七涙」っていうわけか。
 ふーん。
 正方形の八つの国と七つの湖は、縦に三列、横に五列、かわりばんこに並んでいるので、上空から俯瞰すると全体の形は横長の四角形に見えるらしい。長方形の大陸っていうのは珍しいな。
 この話を聞いて、咄嗟に笹良が連想したのは、市松模様のタイル、だった。
 形と大きさが同じの、白と黒の板が縦に三つ、横に五つ、整然と並んでいる感じだ。
 笹良は頭の中で勝手にそう解釈し、黒い板を国に、そして白い板を湖として考えてみた。
 湖と国の数を合計すると十五になるので、「神印の十五図」ね。神様が海という青い図に、ぽんっと十五個の四角い判子を押しましたってことなのか。
 んー、成る程ね。めちゃ変わった世界だ。
 ちなみに市松模様をした長方形の「神印の十五図」の周囲には、枠線を引いたようにぐるっと細長ーい峻嶺の連なりがそびえ立っているらしい。
 十五図を守るこの枠線的山脈は「アルバシュナの火蛇」というんだって。にょろっと長い蛇が大陸を囲み守護している、とたとえたらしい。
 ちなみに、「神印の十五図」以外にも離れ小島なんかがぽつぽつと点在していて、そこに小国があるらしい。全体の人口は内陸国家と比較にならないほど少ないけれど、勿論その孤島でも独自の文化をもって生活する人々が存在する。
 大国の人々は、一括りに彼らを「蛮族」と揶揄し、見下しているらしい。
 うーん、こういう差別的な考えを確か特権意識とか選民思想っていうんだったか。総司が古代の歴史を取り上げたテレビを見ている時、言っていた気がする。
 深い意味はよく分からないが、とにかく、自分達は優秀で選ばれた人間だ、と大陸に暮らす人々は思っているということだろう。
 ふうーん、と笹良はとりあえず納得した。てっきりこの世界には海しか存在しないと思っていたけれど、やっぱりちゃんと陸があるのだ。
 ……陸が存在するというのに、海のど真ん中に浮かぶ海賊船に落っこちた笹良って一体何だろう、とちょっと虚しい気分になった。なんか海賊達だけじゃなく、運命の神様にも適当に弄ばれている気がする。
 笹良が虚ろな目をさまよわせていたら、ハサミっぽい小道具を発見したジェルドがにこにこと不吉な笑顔を浮かべて近づいてきた。
 何だ?
 ベッドの端に座っている笹良の前で、ジェルドが片膝をつき、しゃがみこむ。
「んん?」
 首を傾げる笹良に、ジェルドが満面の笑みを見せた。
「冥華。手を出しなよ」
「んんん?」
「爪、伸びてる。切ってあげるよ」
 笹良は自分の指先をじっと見つめた。そういえば、ちょっと爪が伸びている。
 しかし、ジェルドに切ってもらうのはすごく恐ろしい。
 迷っていると、ジェルドが更に笑みを深めた。
「自分で切れるの、冥華?」
 ジェルドが手に持っている小さなハサミっぽい道具はどうやら爪切りらしい。ううん、とてもじゃないが、そんな使いづらそうなもので、自分の爪を奇麗には切れないだろう。
「俺、結構手先が器用なんだよねえ。時々、ヴィーのもやってあげんの」
 仲がいいのか悪いのか、謎な兄弟だ。ヴィーが弟を下僕のごとくこき使い、身の回りの世話をさせているという雰囲気じゃないな。ジェルドが嬉々として手伝い、兄は寛容な態度でそれを受け入れているという構図が目に浮かぶ。
「ほら、手、出しなよ」
 何となく気圧された感じで、笹良は恐る恐る手を出した。
 ジェルドは嬉しそうな顔をしてぱちぱちっと笹良の手の爪を丁寧に切り始めた。確かに自分で宣言するだけあって、なかなか上手だ。
「小さい手だなあ。それに、労働を知らない指だね」
 無論だ。乙女の手は、可憐な花を摘むためだけにあるのだぞ。
 ジェルドの指は長くて、それに少し皮膚が固かった。ガルシアもこんな感じだったなと笹良は思い出した。腰にぶら下げている剣とかは飾り物じゃないってことなんだろう。
 グランは話し疲れたのか、水差しに手を伸ばし、喉を潤していた。少し休憩を取った方がいいな。
 ということで、グランが復活するまでの間、笹良は大人しくジェルドに手を預けることにした。
 仕上げにきちんと、爪の先もハサミの背で磨いてくれる。よし、偉いなジェルド。
「ついでだから、靴を脱ぎなよ。足もやってあげる」
 う、うーん?
 それはちょっと抵抗があるぞ。
「自分で出来ないだろ」
 ううん、自信はないけれどさ。
 笹良が眉を寄せて逡巡していると、ジェルドが楽しそうな顔をしたまま、するするっと靴を脱がせてくれた。
 ちらっとグランの方を窺うと、少し懸念するような表情を浮かべている。ジェルド、ちょっと言動が変態っぽいしな。
「本当に小さい足だなあ」
 ジェルドは片手で笹良の踵を掴み、靴職人のようにしげしげと眺めたあと、ひどく感心した顔で呟いた。
「柔らかいし。生まれてから自分で歩いたことがないみたいだな」
 そんなわけないじゃないか。
「細い。すげえや」
 こ、こらっ、あんまり触るな!
 笹良はぎょっとした。
 ジェルドが感嘆しつつ、笹良の足首を軽く掴んだのだ。
「ジェルドっ。馬鹿っ」
 笹良が怒ると、ジェルドが視線を一瞬上げて、ふっと口元を綻ばせた。笹良はその表情に、ちょっと気後れした。害のなさそうな子供っぽい笑顔から一転して、暗闇の中に潜む獣のように残忍な目をするのだ。突然の変貌に、とても動揺してしまう。
 内心の怯えを感じ取ったのか、ジェルドが苦笑した。そして、笹良の踵を、片膝をついていた自分の太腿に乗せ、ぱちり、と爪を切り始める。笹良は緊張したまま、すぐ目の前にあるジェルドの後頭部を見下ろした。
 大丈夫、グランが側にいるのだ。変なことをされそうになった場合、きっと何らかのアクションを見せてくれるだろう……と思いたい。
「なあ、冥華」
 爪先に触れる感触がちょっとくすぐったいと思いつつ我慢していると、ジェルドが作業を続けながら話しかけてきた。
「王が好き?」
 はあ?
 と笹良は呆気に取られた。
 何なのだ、突然。
「王を信用しているかい?」
「う?」
 ふふ、とジェルドが意味深に笑っている。そういうはぐらかす感じ、ご立腹だ。
「冥華は可愛いなあ。俺、どの女よりも興味があるな。王もそうかもしれない。でもなあ」
 片方の足が終わったらしく、今度はもう一方の靴を器用に脱がしてくれた。いやに手つきが慣れているな。脱がすとか剥がすとか、かなり得意そうだ、などと純情な未成年にあるまじき想像をしてしまった。
「まだ、王の飢餓はやまないのだろうな」
 きが?
「王を落とす女っているのかなあ」
 むっとしてしまう。意味不明な話、何のつもりで聞かせるのだ。
 笹良の微妙な視線を感じたのか、ジェルドが栗色の髪を揺らしてふと顔を上げた。ジェルドってやたらと派手だな。服装もアクセサリーもだが、なんか雰囲気が。
「冥華はまだ――オンナの匂いがしないな」
 気味の悪いこと、言うんじゃない!
「オンナってさ、寝たあと、すげえ面倒になる。時々顔の皮を引き剥がしたくなるくらいにさ」
 怖いぞ、ジェルドっ。というか、純粋無垢な乙女にオトナの裏事情を暴露しないでほしい。
「でも身体は好きだな。柔らかくて美味そうで」
 笹良は青ざめつつ引きつった。本物の変態だぞ、それ。美味そうという表現はどうかと思う。
「冥華も変わるかなあ。だとしたら興醒めするかな。案外、面白いかもねえ」
 何が面白いんだ!
 全然話の行方が見えない上、気色悪い。大体、女性に対して無礼、侮辱な発言は聞き捨てならない。
「俺、冥華がどこから来た人間なのかとかって、どうでもいいんだよ。ただ、冥華の不可思議な空気は気に入っている。曖昧で危うくて、印象深い。愉快だ」
 人間扱いしてないな、ジェルド。人権という言葉を油性ペンで額に書いてやろうかな。鏡を覗くたび、その言葉を深く胸に刻むべきだ。
「オンナの身体って、熱くて火のようだ。冥華も――そうかな?」
 ぞぞっと全身に鳥肌が立った。思わず身を引き、グランにヘルプの視線を送ってしまう。
「――ジェルド」
 静かなグランの呼び声に、ジェルドがすっと酷薄そうな視線を向けた。それはすぐに冷然と見下すような色に変わり、いつもの軽薄そうな笑顔で覆い隠された。
「もう少しで終わる。冥華、動かずにね」
 逃げ腰になった笹良を捕えるように、ジェルドがひらひらっと小バサミを見せつけた。
 うう、グラン、しっかり監視してね。
 笹良はかなり居心地の悪い気分で、爪切りを再開したジェルドを見つめた。
 そうだ、話を変えよう。
「グラン」
 グランがどこか厳しい顔で笹良を見返した。怖い。
「あのね。笹良、思う」
「……何を」
「国、八個。湖、七個」
 ふと思いついたことだ。
「湖、一個、少ない。国、喧嘩、ない?」
 たとえばの話だが、地球だったら陸には国境線とかがあって、土地の所有権とか結構明確に取り決められていると思う。
 確か、海も同じのはずだ。何ていうんだっけ……海洋資源? 一応、笹良も学生の身だったのだ。確か学校の授業でそんなことを習った気がする。海で獲得できるもの――漁猟とかの問題があるから、海にも境界線が必要なんだって。
 それにさ、人間ってたとえ不必要なものであっても、他人が所有しているのに自分は持ってないってなると、なんとなく悔しい気分になるものだ。いわゆる支配欲を刺激されるんだろう。他人よりも物をいっぱい持って優越感を得たいって感覚、程度は異なるがきっと誰の胸にもあるだろう。笹良も服とか化粧品とかアクセサリーとかたくさん欲しいと思うし。
 七つの湖が利益をもたらすのかどうかって分からないけれど、一国だけ湖が割り当てられないって事態、さりげなく闘争の種になったりするんじゃないだろうか。聖人君子は立派だけれど、国の支配者としては不適格に違いない。
 それとも、湖はほったらかしなのか。
 更に深読みすればだが、海賊達が自由気ままに航行するアルバシュナって、どうなっているのだろう? 選民思想を持つ国々が、海上船を襲撃し海の益を独占する海賊達をむざむざと見逃すだろうか。貿易船の渡航を守る為の取り締まりとかって普通、あるのではないか? 海ってこっちの世界では、治外法権が適用されるのかな。海上覇権を巡る争奪戦にも警戒しなきゃならないだろうから、各国で航海法とかが制定されても不思議はないと思うが。
 と、笹良が首を傾げた時、突然ジェルドが爆笑した。
 な、何だ。
 驚きつつ、ジェルドとグランを交互に窺った。グランは驚いた感じで少し目を見開き、笹良を凝視していた。
「すげえや、冥華。見直した」
 こら、見直す前は何だと思っていたのだ。
「そう、冥華。着眼点がいいね。あのねえ――」
 ジェルドがやけに喜びつつ、言葉を重ねようとした時だ。
「――何をしている、ジェルド」
 ひどく険しい顔をしたヴィーが、病室の入り口前に立ってこちらを睨んでいた。

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