she&sea 19

「何ってこの通り、爪を切ってる」
 ジェルドが悪戯が成功したような笑顔で答えた。
 やたらと冷たいヴィーの視線がジェルドからグランへ移動し、最後に笹良の所で停止する。
 なな何さっ、何ですげえおっかない目で笹良を睨むのだ!
「ほら……。っと、これで終わり。冥華、足の爪も奇麗に磨いてあげようか?」
 ジェルドは眩しいくらいの笑顔で明るく言い、金縛り状態に陥っている笹良のふくらはぎをするっと掴んだ。
 ぎゃー! どこに触っているんだ、変態めっ。
 と、セクハラ行為に怒り心頭の笹良が一秒後に暴動を勃発させようとした時、ふっと頭上に影が落ちた。
 何だ? と見上げると同時に、こちらへ接近したヴィーの空色の瞳とぶつかった。うう、この冷ややかな無表情、内心では烈火のごとく怒り狂っている証拠だ。お陰で笹良が抱いていた怒りはその静かな迫力に負けて、瞬時に萎えた。怖え。
 戦々恐々としていたら脇の下に腕を回され、ヴィーに片手だけで身体を持ち上げられてしまった。
 仰天する笹良を落とさないよう、ヴィーは軽く抱え直した。落下したら痛いので、笹良は慌ててヴィーの肩にしがみついた。
「靴!」
 笹良、靴を履いていないぞ。
 と訴えたのに、ヴィーは無言、無表情、無視という三大ナッシング政策を取った。落とされたくないので、あまり喚くこともできない。
「何だ、ヴィヴィ。冥華をもう連れていくのか」
 ああ、馬鹿ジェルド、罪のない顔で、禁句を口にしたな。
 ヴィヴィって呼ぶと、ヴィーの周囲の温度は確実に三度低下するのだ。仮に海の温度が三度低下したら、それは地殻変動の可能性があるくらい深刻な問題になるんだぞっ。
 ほら、ヴィーの目が、荒神のごとく凄絶な色に染まったじゃないか。
「ヴィー」
 怒りの冷気を発するヴィーが、にやつくジェルドと無関係のグランを抹殺する前に、笹良はきゅっと金色の編み込みを掴み、冷静になりなよ、って意味で名前を呼んだ。
 ううっ、笹良まで射程距離内なのか? その強烈な瞳の色は何だ。こっちまで犠牲になるくらいなら喜んでジェルドの身を差し出すぞ、と笹良はあっさり裏切る意思を覗かせた。
 ヴィーは大きな溜息をついた。そして笹良を抱きかかえたまま、手を振るジェルドをシカトして、さっさと病室を出た。
 んー、ヴィーが出現する直前、ジェルドが何か言いかけていたんだけれど、とても病室に戻れる雰囲気じゃない。
 何だったんだろ、気になるな。
 というか、ヴィー、もしかして密かに笹良達の話を聞いていたのかな。
 
●●●●●
 
 笹良を抱えたヴィーがどこか苛立たしげな感じで足早に通路を歩いていると、とある船室から青い髪の海賊王と仲間達が出てきた。何の部屋だろ?
 ガルシアはちらっと笹良の方へ視線を投げ、少し唇を緩めただけで、何も言わずに他の海賊くん達と立ち去ろうとした。
 悪戯されるんじゃないかと警戒していたのでちょっと拍子抜けしたが、すぐに腹立たしい気持ちになった。
 何か無視された気分だ!
 許せん。
 笹良は、よし、とヴィーの腕から飛び降りた。
「冥華!」
 驚き半分という感じでヴィーが怒鳴ったけれど、まずは薄情な海賊王を成敗だ。
 あ、そういえば笹良、靴履いていないんだっけ。
 足元に気をつけつつ、海賊王の方へ笹良はよたよたっと近づいた。ヴィーの声を耳にしたガルシアと海賊達が、怪訝そうに振り向いてこっちを見ていた。
「ガルシアー」
 笹良は罠をしかけるため、浜辺で歌う人魚のごとくにこにこと爽やかに笑いかけつつ、ガルシアに腕を伸ばした。不審に思われないよう、無邪気に、無邪気に。
 ガルシアが苦笑して、こっちへ近づいた時――
 征伐開始だ。
 笹良は、えーい! とにこやかな笑みを消してファイティングポーズを取り、ぐーパンチでぼすっとガルシアの脇腹を殴った。ガルシアの背後にいた海賊くんが愕然と顎を落とし、硬直している。
 笹良は仕上げにガルシアの腹部を叩き、弱そうな所を探してつねっておいた。なかなかの運動量で、呼吸が乱れてしまったな。
 ガルシアもさすがに唖然とした顔をして、微妙に息を乱しつつも威張る笹良を見下ろしていた。
 むしょーに腹が立ったのだ。
 いつもは、ササラ、って呼んでくれるのに。
 狡いじゃないか。
 寂しい。
「馬鹿っ!」
 ――寂しくない!
 気の迷いだ、夢だ、幻だ!
 笹良は思いっきりガルシアを睨み上げた。勝つって言いながら、賭けにあっさりと負けたのはガルシアなんだぞ。少しはしおらしい態度を取り、海の底まで潜って反省するべきだ。
 簡単に破られる約束なんて、いらないよ。
 身構えて睨み続けていると、ガルシアは苦笑を深めて髪をかき上げた。や、やるのか、戦うのか?
 ヴィーを盾にするか、とさりげなく卑怯な防御法を考えた時、ガルシアが自分の腰に手を当てて少し身を屈め、面白そうに笹良を見下ろした。
 笹良は内心で焦りつつも、目を逸らさなかった。
 と、そしたら。
 つん、と。
 ガルシアが人差し指で、笹良の額をつついたのだ。
 予想外の攻撃を受けた笹良はつい、よろっとよろめいた。
 何するんだ!
 踏みとどまって、キッと更に睨みつけると、また人差し指で額をつんっとつつかれた。笹良はふらふらっとよろめいた。
 くっ、とガルシアが爆笑を堪えるように喉を鳴らした。
 この!
 笹良は額を押さえつつ、日本語で罵詈雑言をおみまいした。
 よくも乙女の額を攻撃したな! というか果てしなく無礼なその笑いは何なのだ。余裕という感じの空気を醸し出しているところがそもそも気に食わないのだぞ。絶対に処刑してやる。日本の伝統的な拷問は、重い石を膝に乗っけて手足の爪を一枚ずつ剥ぐんだ!
「ガルシアっ」
 ガルシアは軽やかな笑い声を響かせた。背後にいた海賊達もげらげらと笑い出した。
 笹良を侮っているな!
 本気で噛み付こうかと殺意を滲ませた時、ガルシアがこみ上げる笑いで唇を震わせながら笹良の髪を撫でた。
「まだ賭けの期間は過ぎていないからな」
「うう!」
「大人しくしておいで」
 人を猛獣扱いしないでほしい。
「遊んでやれなくてすまないな」
 勘違いするな!
「拗ねた顔も愛らしいな、ササラ」
 海賊達がどっと笑った。
 本気で海賊達を壁に張り付けて、ピンでとめてやろうかな。
 どうして海賊達ってこうも笑い上戸な奴ばかりなのだ。
「日が過ぎれば、また可愛がってやろうよ。ほら、そう睨まずに」
 おちょくると、あとで痛い目にあわせるぞ。真夜中に襲撃して青い髪を真っ白に変えてやる。
「俺の膝に乗れなくて、寂しいのだな?」
 どうしてそんな奇天烈じみた発想が湧くのだ。
「抱きしめてやろうか、ササラ」
 笹良はふるっと拳を握りしめた。思考が腐っている!
 ガルシアは一度笹良の頬を撫で、ヴィーへと視線を向けた。
「ヴィー、ササラを連れて行け」
 ヴィーが激しく消耗した表情を浮かべて笹良に近づいてきた。
 ガルシアがまだ笑いの余韻をとどめたまま、背を向けかけて、ふと振り向く。
 くるりと指を回し、笹良の足元を指して、一言。
「ジェルドに靴を持ってこさせたらどうだ」と。
 笹良とヴィーは凝固した。
 海賊王、前にも思ったけれど、見透かしているな。
 千里眼の持ち主か?
 
●●●●●
 
 で、笹良は再びヴィーに抱え上げられ、部屋に戻った。ヴィーの船室だ。
 ヴィーはなぜかぐったりとした様子で椅子に深々と腰掛け、額を押さえていた。その態度もすっごくわざとらしくて腹立たしいな。
 笹良はベッドの上に乗り、行儀悪く胡座をかいていた。
「お前な……。一体、年は幾つだ」
 む、女性に年齢を訊ねるものじゃないっていうのは日本に深く浸透しているタブーなんだぞ。
「ヴィー、意地悪」
 笹良は恨めしい思いでヴィーをじっと見据えた。加勢して海賊王を成敗してくれなきゃ駄目なのだ。
 ヴィーは異星人でも見るような目をして、しばらく笹良を凝視した。その後、脱力し、疲れた顔でこっちへ近づいてきて、ベッドに座っている笹良の横にばたりと倒れた。ヴィーの体重が乗ったベッドが微かに揺れて軋む。
「ヴィー?」
「お前は本当に餓鬼だな」
 ……ベッドから蹴落とそうかな。
「年頃の女ならば、みだりに足を出して触れさせたりはせん」
 うーん、でも異世界の爪切りって変な形をしていて、使い方がよく分からないのだ。奇怪な裁ち鋏の縮小版みたいな感じだったし。
 笹良が戸惑っていると、ヴィーが身体を横にし、片肘をついて頭を支え、こっちを向いた。
「おまけに、ギスタに喧嘩は売るわ、王に乱暴するわ、とんでもないことを次々とやらかしてくれる」
 それは海賊達の言葉や態度その他が非常になっちゃないせいだ。
「お前は今まで、どういう暮らしをしてきたんだ?」
 んん?
 もしかして、やっぱり笹良とジェルドの話を密かに聞いていたのかな。
「笹良、世界、チキュウ」
 青い青い球体。……ってドラえもんのことじゃないぞ。地球だ。
「日本。日、昇る、国」
「日が昇る?」
 ヴィーが訝しげに眉をひそめた。
「笹良、中学生。勉強。放課後、遊ぶ。色々、お買い物。コンビニ、カラオケ。ピアス、好きー。リングとかペンダントとかたくさん持ってる。白いふわふわスカート欲しかったな。あとサンダルも狙ってた。あ、ケータイそろそろ機種変更しようと思ってたんだ。メール、皆に送ってないや。それと、学校の近くにある博物館、館長のおじちゃんイイ人なんだ。笹良のメル友ー。でね、時々時間外でも入れてくれて、テラスで夕日見るー。前はね、皆でそこで花火したんだ。総司がなんか一緒についてきて、レイちゃんって友達が、おにーさんカッコイーなんて言ってたけれど、笹良信じらんない。レイちゃんのおにーさんの方が絶対優しくてイケテルしっ。でも総司、外ヅラだけはいいしなー、その時はアイス奢ってくれたから許してやらないこともないけどさ。そーだ、アイスといえば、イチゴクレープとチョコパフェ食べたい。あのね、近所の喫茶店、笹良が行くと、パフェ、特大にしてくれるんだ。友達誘って、皆で食べるの。おいしー」
 と、最初の言葉以外はほぼ日本語に変わっていたが、笹良は一生懸命に日本を説明した。
 ところが感謝の心を知らないヴィーは、ひどく虚しいといった表情を浮かべて、首を微かに振っていた。
「分かった、もう十分だ……」
 よし。
 笹良も聞きたいこと、沢山あるのだ。
「ヴィー。船、奴隷、進む?」
 この船は奴隷がいて、彼らの労力で動かしているのかと聞きたいのだ。
「違う。比石を使用している」
 ……ひせき?
 うーん、異世界用語、未知だな。
「比石というのは、海底や特定の孤島でとれる黒い化石のことだ。長い年月をかけて海中の磁力を封じた石で、これが船を動かす源力となる」
 へえ、奴隷に過酷な労働を強要しているのではなかったのか。よかった。
 ヴィーのくつろいだ体勢を真似て、笹良もぽすっとベッドに転がった。実は久しぶりに身体を動かしたせいか、結構怠くなっていたのだ。枕に顎を乗せ、だらっと休憩したら、なぜか呆気にとられた顔を向けられる。
「……お前な」
 何さ。
「全く……。どうするか、このお姫様」
 ヴィーはこめかみを指で押さえて、遠い目をした。何だというのだ、一体。
 まあ、そんなことよりもさ。
「うー……」
「唸るな」
 聞いていいのかな。でも、はぐらかされそうだな。
 さっきガルシアに呼ばれて出て行ったけれど、何の用事だったのかな。すぐに終わって、笹良を迎えにきたらしいが。
 そんな疑問がばっちり顔に出てしまったようだった。
 ヴィーが首をかきつつ少し憂鬱な顔をして、あっさり教えてくれた。
「海流が乱れるかもしれないからな。不備がないか、あちこち点検しに行ったのさ」
 海流?
「大気が大きく乱れる。王がいるが、まあ念のために、警戒はしないとならない」
 よく分からない。
「要するに、嵐がくるかもしれない」
 嵐……!?
 笹良はざあっと青ざめた。
 嵐?
 嵐って!!
 嘘でしょ?

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