she&sea 20

 ああ嵐。
 笹良が恐れる天災ナンバースリー内に堂々と輝く、嵐!
 しかも海の上だ。
 揺れる、間違いなく船は揺れるし、転覆の危機とかを孕んでいる。
 笹良は一瞬、大渦に飲み込まれて海の泡と消える自分の姿を想像し気絶しかけた。
「問題はない。王がいると言っているだろう」
 ヴィーが小馬鹿にしたような口調で言った。
 ガルシアがいたって、嵐を避けられるはずがないではないか。気休めにもならない慰めはやめてほしい。
「我らが海賊王は、船を守るのさ」
 ヴィーはなぜか、挑むような声音でぽつりと言った。
 守るって……どういう意味だろう?
 それに、ヴィーの態度もよく分からない。ガルシアに恭順の姿勢を見せてはいるし尊敬してもいるのだろうけれど、時々、反発とはちょっと違った強い目をする。
「ヴィー、ガルシア、嫌い?」
 戸惑いつつ訊ねてみると、ヴィーが驚いたように目を見開いた。
「馬鹿だな」
 などと憎まれ口をたたいて、誤魔化そうとしているな。
「ガルシア、苦手?」
 この表現が一番相応しいかな、と思ってしつこく聞いてみた。するとヴィーは露骨に嫌そうな顔をして、自分の髪を弄んだ。お、もしかして動揺しているのか? 珍しい反応だ。
「――男ならば超えてみたいと思うのさ」
 笹良はきょとんとした。ガルシアに勝ちたい? 剣の勝負に勝ちたいという意味なのか、それとも海賊王になりたいってことなのだろうか。
 更に訊ねようとすると、ヴィーがいかにも「口を滑らせてしまった」と後悔するような苦い表情をして、八つ当たりっぽく笹良の髪をぐしゃぐしゃと丸めた。人の髪で何をするのだっ。笹良の髪は毛糸でもマリモでもないぞ!
「煩い、餓鬼が余計なことを気にするな」
 あ、照れてるのだな、乗せられてつい本音を零してしまったから!
 ヴィーの手から逃れつつ、笹良は意味ありげなにやにやっとした笑いを顔に張り付けた。ふふん、ガルシアにチクっちゃおうかな。
「冥華、嵐が来るぞ」
 というヴィーの嫌がらせ的発言により、笹良はがくっと意気消沈した。うう、嵐。
 そういえば。
 重大なことに今更気がついたのだが。
「船、どこ、目指す?」
 海賊船なのだから、ただ適当に海上をふらふらしているわけではあるまい。たとえばだが荷やお宝満載の貨物船を襲撃するため、密かに追跡しているとか。それにいつかは陸へ戻るのだろうし。
 当たり前の質問をしたと思うのに、ヴィーは一瞬で真顔になった。突然の変化に、笹良は驚いた。
「――お前に説明しても、分からんさ」
 またまた誤魔化されてしまう。というか、さっきもジェルドとの話を中断させられたし。隠し事ばっかりだ。
 ……何か一つくらい、本当のことを聞きたいよ、笹良。
 そう訴えることも、我が儘?
「ヴィー」
「ああ眠い。誰かのお陰で俺は休みなく動かされているからな」
 わざとらしい!
 と、激しくご立腹した時、いきなりヴィーが底意地の悪い笑みを浮かべて、ぎょっとする笹良の身をぽすっとうつ伏せにベッドへ転がした。
 何だ、戦闘開始かっ? と起き上がって臨戦態勢に入るよりも早く、ヴィーが人の背中に、のたっと頭を乗っけてくつろいだ。重い!
「俺は寝る。静かにしていろ」
 人の背中を断りもなく枕にするとは何事だ! 息が苦しいぞ。
 ばたばたと両手足をばたつかせたが、いかんせん体勢が悪すぎる。
「野放しにしておくと、餌につられてほいほいとどこへでも行くからな」
 何だと? つまり笹良の動作を封じつつ、自分は暢気に眠ろうという一石二鳥的な魂胆だな。
「うー」
 唸ったが、馬鹿にしたように鼻で笑われた。
 しかもヴィーは本当に、人の背中を枕代わりにした体勢のまま惰眠を貪り始めたのだ。
 最終的には笹良もじたばたともがくのに疲れて、息苦しさに悩みつつも微睡み始めてしまったが。
 
●●●●●
 
 目が覚めた時、あれっと驚くほど室内が真っ暗だった。
 ベッド横の壁にかけられているランプの灯りが消えている。こ、怖いじゃん、何も見えないし。
 もそもそと身体を動かした時に気がついたのだが、いつの間にか、笹良はちゃんとベッドの中に眠らされていたようだった。人の背を枕にしていたはずのヴィーの気配が感じられない。
 ええと、確か、寝棚の所に、火付け用の細長い石が置いてあったはずだ。
 笹良は怖々と身を起こしたあと、暗闇の中で目を凝らし、火付け石を探して慎重に腕を伸ばした。確かベッドの脇にあるテーブルの引き出しに入っていたはずだった。
 あった。これだ。
 この石、細長いのと四角いのとでセットになっていて、マッチみたいにしゅっとこすると火がつくのだ。
 笹良はベッドの上に立ち、壁のランプを取ったあと、火付け石で灯りをともした。このくらいはできるようになったのだ。
 ほわ、とオレンジ色の灯りが室内に広がり、ようやく人心地がつく。
 ヴィーはどこに行ったんだろう。
 部屋から出ない方がいいと分かっていたが、どうも何かがおかしいと笹良の勘が告げている。
 ……嵐が来ると言っていたし。
 耳を澄ますと、船の中はキンと耳鳴りがするくらいの静寂に包まれていた。
 しばらくの間途方に暮れていたが、その内ひとりぼっちの恐ろしさにいても立ってもいられなくなり、ランプを片手にこそりと部屋の扉を開ける。
 すると。
 出た瞬間、ちょうど通路を歩いていたギスタと対面してしまった。
 笹良は思わず、何も見なかったことにして扉を閉めようかというセコい考えを抱いた。このギスタという海賊とあまり接する機会がなかったので、二人きりではどうしていいか分からないのだ。
「何をしている?」
 逡巡している間にギスタがすたすたとこちらへ近づいてきて、目の前に立った。ランプの灯りが、訝しげな表情を浮かべるギスタの顔を浮かび上がらせた。
 というか、ギスタ、灯りも持たずに通路をうろうろしていたのだろうか。
「部屋に戻っていろ」
 ……どうして海賊というのは誰もかれも一切のお愛想を排除した高圧的な物言いをするのだ。乙女に対する態度ではない。
「ヴィー」
 ヴィーはどこ? という意味で笹良は言った。
 ギスタは腕を組み、無表情で微かに首を振った。
「俺はヴィーではない」
 見れば分かる。そのままの意味に受け止めてどうするのだ。
「ヴィー。どこ」
「知らん」
 うう、けんもほろろな対応だな、ギスタ。
「ヴィー、探すっ」
 ヴィーを探すので手伝ってほしい、と言いたいのだ。
 次の言葉を探しながら、空いている方の手でギスタの腰帯をぎゅっと握る。ギスタは切れ長の目をゆっくりと動かして、腰帯を掴む笹良の手を見下ろした。
「何をしている?」
 な、なんかテンポの狂う海賊だな。
「ヴィー、探す。手伝うっ」
 一緒に探してほしい。
「俺はヴィーを探しているわけではない」
 そうじゃなくて!
 ううっと笹良は頭を悩ませた。言葉が不足していて分かりにくいのだろうけれど、もう少し察してほしい……と思い、何だかはっと気づいてしまった。
 ギスタの反応が普通なのかもしれない。
 ガルシアやヴィーは、笹良が口にする片言の言葉をよく咀嚼してどういう意味かって考えてくれていたのだ。だから会話が成立しているようにみえた。でも、実際はそんな風にきちんと意を汲んでくれることって、余程親しい人間とかじゃない限り、ありえないんじゃないだろうか。多分、それほど仲が良くない希薄な間柄であれば、片言の言葉を聞き取るのって面倒に感じるはずだ。
 ギスタのように、言葉通りの意味に受け取られるのが当たり前なのだ。こっちのレベルを考慮する義理なんて全くないのだし。
 ああ、言葉を覚えるのってコミュニケーションをはかるのにとても大切な第一歩なんだ。自分から歩み寄る事もしないで、相手の気遣いを待つだけじゃ何も変わらない。
 それはきっと相手の目には単なる怠慢として映るだろう。対等の者として扱ってくれなくても文句は言えないことなのだ。
 目線の高さではなく、意思を伝えたいという思いの高さを合わせなければ。
「笹良、ヴィー、会う……場所、んんん、どこ、探す、お願いします」
 身振り手振りを交えつつ苦心して言葉を紡いだけれど駄目だ、これ以上、異世界語がよく分からない。
 情けない思いでギスタを見上げた。どうすれば通じるだろう。
 ふう、とギスタが小さく息を落とした。厄介だなあと思われたのか。
「ヴィーは上にいるか、あるいは船内の点検で駆け回っているかだ。お前は部屋から出るなと言われたのではないのか」
 ……ええと、眠る前に静かにしていろとは言われたが、外出禁止と注意されたわけではないぞ。
 似たような意味かもしれないが、それは無視だ。予定を話してくれなかったヴィーが悪い。うん、コミュニケーションは大切だな。
「ギスタぁ」
 ヴィーはなぜ上にいるのか、船に何があったのか、なぜこれほど静かなのか、理由が知りたい。けれど笹良の乏しい語彙では上手に伝えられそうになかった。
「――ヴィーに会いたいのか」
 わっ、そう、そうなのだ!
 笹良は勢い込んで頷いた。
「来い」
 と、言ってギスタはいきなり背を向け、すたすたと通路を逆戻りし始めた。
 ……やたらと冷淡というか、随分機械的な反応だが、それでもヴィーの所に案内してくれるようだ。
 笹良は安堵しつつ、たかたかとギスタのあとを追い……見事に転けた。
 危うくランプを落として、船を炎上させるところだった。危機一髪。
「ううー!」
 ランプの無事を優先させたため、自分の身を庇うことができず膝を思い切り通路にぶつけてしまった。笹良が鈍臭いわけではない! 通路があまりにも雑然としすぎているせいなのだ。通行人を転倒させる目的で物を散乱させているとしか思えない汚さ。海賊達、なぜ掃除をしないのだ。
「何を遊んでいる」
 転倒時の物音と笹良の唸り声に、ギスタが振り向いた。
 誤解だっ、これが遊んでいるように見えるのか?
「痛い、転んだ」
 膝だけではなく、通路に転がっていた固い物に、弁慶の泣き所をぶつけてしまったし。恨めしいな、通路め。
 痛みを堪えつつ立ち上がり、薄情なギスタの側へ行こうとして……また、転けかけた。
 くそっ、通路がいつもより薄暗くて、足元があまり見えないのだ! おまけにランプを持っているし、ギスタは足早に進んで行くし。
「遅い」
 悪かったな。
 と不貞腐れた瞬間、ランプを奪われ、更には脇腹を掴まれた。いや、身体を持ち上げられた。
「ぎゃっ」
「叫ぶな」
 何っ?
 ギスタは飄々とした態度で、おののく笹良を小脇に抱え、さくさくっと通路を進んでいく。楽だが、転ばずにはすむが、この抱え方は大いに不満が募るな。
 ねえ、このぞんざいな扱い、本当に……笹良って、王の冥華なのか?
 誰にも恭しく扱われていないと思うのは、気のせいか。
 
●●●●●
 
「――いないな」
 甲板に上がったあと、ぽつりとギスタが言った。ぐてっとしている笹良を小脇に抱えたまま。
 ヴィーの姿がない、って意味だろう。
 が。
 が!!
 ぎゃあー!! と笹良は絶叫した。
 ヴィーどころの話ではない。
「な、な、なななななっ!?」
 唖然、というよりも驚愕、驚異、絶望、混乱の極みだ。
 なぜならば、大気が、空が!!
 荒れ狂っている、間違いなくこれは嵐だっ。
「嫌っ、嫌!! 怖い、嫌!」
「何だ?」
 嵐は嫌だ、怖い、死ぬ、溺れるっ。
 笹良はか細く悲鳴を上げつつ、あたふたとギスタの腕から降りて背中にひたっとしがみつき、隠れた。
 恐ろしいほど天候が悪化しているのだ。
 いつの間にかマストの帆布はたたまれ、ロープで幾重にも固定されており、甲板に出されていた木箱などもしまわれている。きっと錨とかも降ろされているんだろう。それは何の準備かといえば、答えは一つ。嵐対策だ。
 ぴかりと空が光った。
 怒りをたたえて駆け抜ける白い稲妻。爆発音のような雷鳴。すごい早さで厚い雲が流れている。誰かが黒い絵の具をぐるぐるとかき混ぜているみたいに、空模様が怪しく変化する。風はないのに、鳥肌が立つほど空気が生ぬるく、不吉だった。
 そうして――鞭を叩き付けるような、強い雨の音!
 豪雨。
 まるで、海の水が逆さになって天から降っているように。
「嫌、駄目、怖い、総司っ!」
 総司、嵐が、目の前に。迎えにきて、助けて。
 笹良はギスタの背中に顔を押し付け、震えた。海は嫌いだ、どうしようもなく恐ろしくて動けない。
「狼狽える必要がどこにある?」
 ギスタの平然とした声が、信じられない。
 溺れる、息が出来なくなる。
「――王が船を守護しているのに」
 ……え?
「よく見ろ。船は揺れていないだろう」
 はっとした。
 そうだ、これだけ空が暴れていれば、当然波高が高くなり、大波に揺られて当然なのに、船はいつも通り静かなのだ。
 それに、激しい雨音が響いていても、船は濡れていない。風がないのも奇妙だ。
「……ガルシア?」
「船長は水を制する。この嵐がすぐに収まれば、無事に乗り越えられるだろう」
 笹良はびくびくと、ギスタの背から顔を上げた。
 不思議な光景だった。
 まるで――見えざる膜が船の周囲を覆っているように、雨音を残して水滴が弾かれていたのだ。
 横殴りの強い風さえも阻む透明な壁がある。
 笹良はぽかんとした。
 窓ガラスを一枚隔てて、荒れ狂う空を眺めているような感覚だった。見えない膜の外を、滝のごとく雨水が流れ落ちている。
「だからこそ、海賊王だ。海の覇者」
 ふとギスタが船首の方角を指差した。
 その先に――祈りを捧げるように膝をつく海賊王の姿があった。

小説トップ)(she&seaトップ)()(