she&sea 22

「お前という奴は、少し目を離した途端に動き回るのか」
 船室に戻ったあと、ヴィーにこんこんとお説教されてしまった。
 すぴ、と鼻をぐずつかせ、膝を抱えつつ項垂れて泣く笹良を眺めている内、ヴィーはどうも虚しくなったらしい。ベッドの端に腰掛けたあと、眉間を指先で押さえて、どっと疲れた様子で溜息を吐いていた。
「お姫様、俺は言っただろう。一人で歩き回ったら、見境のない愚か者に犯されるぞと」
 笹良はさめざめと可憐に泣きつつも、気色の悪い表現で脅すヴィーの太腿をばしっと攻撃した。放送禁止用語を清純な乙女に聞かせてはならないと注意したではないか。
 が、美少女の心理に疎い鈍感なヴィーは微妙にめらっと怒りのオーラをまとわせた。
「どうしてやろうか、このお姫様は」
「ヴィー、悪い」
 今回の出来事は笹良のせいではない、ヴィーが全面的に悪いのだ、と言いたい。
「責任転嫁をするな」
「違う、ヴィー、悪い」
 責任転嫁ではない。ちゃんと根拠があるのだ。ごしごしと目をこすって涙を拭ったあと、負けじと声を張り上げた。
 笹良が部屋を出た理由は、寝ている間に消えたヴィーを探すためだったのだ。勝手にいなくなった方が悪い!
 眠れる森の美女と讃えられるべき笹良を暗い部屋に一人置き去りにして行方をくらますなど、全くとんでもない極悪非道な所行だ。これを悪と言わずして、なんというのだ。
 それを片言で切々と訴えると、ヴィーはしばし言葉に詰まったが、やがて遠い目をした。む、そこはかとなく漂う諦観がいささか気に食わないな。
「船に補強を必要とする箇所がないか見回っていたんだ」
 今更言い訳など聞くもんか。第一、もうギスタが説明してくれたし。
「お前の中で、俺が部屋に戻るまで待つという選択肢は存在しないのか」
 残念だが存在しないな!
 大威張りで頷くと、顔をしかめたヴィーに頬をつねられた。痛い。
「静かに寝ていろ。それが何より賢明だ」
 嫌だ。
「反抗するな。服を剥いで外へ放り出すぞ」
「変態、悪魔っ」
 叫ぶと、ヴィーの目がマジで怒りをたたえた。怖え!
「ヴィー」
 本当に放り出されては困るので、とりあえず純粋な振りを装いきらきらっとヴィーを見つめてみた。いや、正真正銘、笹良は純情でいたいけな少女だが。
 まあいい、過ぎた事は水に流してやろうではないか。笹良は偉いな。そう自画自賛しつつも再び置き去りにはされたくないという複雑な感情があったので、ヴィーの機嫌を窺いながらそれとなく他愛無い話を差し向けてみた。そうとも、コミュニケーションの大事さを学んだのだ。
「ヴィー、嵐ー」
「……ああそうだな」
「雨、音、嫌」
「そうだな」
「海、ごーごー。怖い」
「そうだな」
「水、結界、がたがた、音。風」
「ああそうだな」
 その適当な返事は何だ。
「波。大きい。強い」
「そうだな」
「……ヴィー、馬鹿。意地悪。レゲエ」
「何?」
 しっかり聞いているんじゃないか。
 胡乱な目で見つめたら、逆に冷酷、非情以外の何ものでもない強烈な視線を返された。
「何て言った、お姫様」
 あぁ海賊は本当に野蛮だっ。
 その後笹良は無実の罪で、毛布ぐるぐる巻きの刑に処された。未成年に対して本気で報復するなど、大人げないとは思わないのか。いつか再教育してやる。
 
●●●●●
 
 一日が過ぎた。
 けれども、嵐は一向に去る気配がなかった。
 ちなみにだが、こっちの世界の一日って何だか元の世界より長い気がする。時間の単位はほぼ同じだが、カウントの仕方が遅い感じなのだ。
「ガルシア、平気?」
 笹良は不安になって、食事をしているヴィーに話しかけた。
 海賊達は普段、食堂でご飯を食べるみたいだったけれど、笹良のお目付役を言いつかったヴィーは必要最低限しか部屋を出ない。
 フォークみたいな匙でウインナーらしき物を食べていたヴィーは、僅かに目を細めた。匙をくわえたまま、もごもごと口を動かしている。先程まで小ナイフを使い、食べていたのだ。行儀が悪いと口うるさく注意したため、ようやく匙に持ち替えたが。
「……お前が懸念したところで状況は変わらん。それより、食べろ」
 冷たい対応にいじけつつ、渋々ポテトサラダみたいな食べ物を匙でかき回した。食欲ないもん。
「ガルシア、まだ、あそこ?」
 まだ船首の方で船を守り続けているのだろうか。
「食べろ」
「ガルシア、大丈夫? 食事、眠る、してる?」
 ヴィーが匙を笹良のお皿へ突っ込み、一切れの肉をすくいあげた。
 人の食べ物を強奪するのかっ、と思った瞬間、その匙を口の中に入れられた。
「いいから静かに食べていろ」
 笹良は条件反射で口内の食べ物をうぐうぐと咀嚼した。やっと飲み下し、話しかけようとする度、食べ物を口に入れられてしまう。絶妙のタイミングが許せんな。
 ヴィーって横暴だ。
 
●●●●●
 
 また一日が経過した。
 嵐の勢力は未だ衰える気配を見せず、海も空も荒れ続けている。
 ガルシア、ひょっとして船を支える間ずっと不眠不休で何も食べていないんじゃないかな。
 大丈夫なんだろうか、倒れたりとかしていない?
 
●●●●●
 
 嵐が来て五日目の夜。
 船が一度、大きく揺れた。
 この時笹良はヴィーのベッドを独占してうとうとしていたんだけれど、船が横に揺れたため、寝棚に置いていた小物がごろりと毛布の上に落ち、その衝撃で目を覚ましてしまった。
 ヴィーは予備の簡易ベッドの上に座り、書き物をしていたらしい。航海日誌でもつけているのだろうか。
 そんなことはともかく。
 船は一度揺れただけで、またすぐに静けさを取り戻した。
「ヴィー……」
 笹良はとても不安になった。だって船が揺れるということは。
 ガルシアの力が弱まり限界に近づきつつあるってことじゃないのかな。 
「冥華、部屋を出るなよ」
 ヴィーが厳しい目をして低く呟き、さっと立ち上がった。
「どこ、行く?」
「お前はここにいるんだ」
 ヴィーは薄い上着の袖に腕を通しながら、諭すように力強く言った。
 ガルシアの所に行くの?
 ベッドの上にもぞりと起き上がった笹良を一瞥したあと、ヴィーは部屋を出て行った。
 ガルシア、とても疲れているんだろうな。
 いくら海賊王って皆に恐れられ凄い力を持っていようと、何日も睡眠や食事を取らず意識を一定に保つのなんて無理だ。それに笹良が来る前にも嵐が来たと言っていたから、多分そこでもたくさん力を消費しているんだろう。
 水の結界を作るのって、どのくらい体力や気力を消耗することなのか分からないけれど。
 どうしよう、ガルシア。
 笹良は悩んだ。嵐はとても怖い。できればこのまま安全な部屋に閉じこもり、毛布に包まってぬくぬくと避難していたい。
 だが、この安全を守っているのはガルシアなのだ。
 そのガルシアの力が失われかけている。
 海賊達は現実に迫った危機に備えるため、数日前よりも真剣に船の見回りをし始めるだろう。
 笹良は何をする?
 唸り、頭を悩ませたが、いいアイディアが浮かばずパンクしそうになった。
 嵐は嫌。怖い。でも。
 うー。
 えーい! と笹良は勢いをつけてベッドから飛び降り、部屋を出た。通路の先を行くヴィーの背中めがけて、突進する。
「冥華?」
 通路中に散乱する物に足を取られてこけた音で、ヴィーが振り向き、こちらへ手を伸ばした。
 笹良はよろめきつつ、差し出されたヴィーの腕に飛びついた。
「……おい! 俺の話を聞いていたか? 部屋を出るな」
 笹良はぶんぶんと首を振って、厳しい顔をするヴィーを見上げた。
「ガルシア。笹良、行く」
 ガルシアの所に行く、と言いたいのだ。
「お前が行っても何も出来ん」
 その通り、なのだが。
「それともお前は魔女か?」
 いーえ、一般人ですとも。
「部屋に戻れ」
 嫌だ。
「冥華!」
 おっかねえ! 怒られてしまった。
「笹良、行く!」
 頑張れ、笹良、ヴィーの睨みと嵐に負けるな。
 ヴィーは通路に立ち塞がって笹良を行かせまいとしていたけれど、小回りがきくのはこっちなのだ。
 ふふん、噛み付くと見せかけて、するっとヴィーの脇をすり抜けてやった。どうだ。
「ちょろつくな!」
 わっ、捕まるものか。
 笹良は慌てて逃走した。
 が、数歩も進まない内に呆気なく捕縛されてしまった。
「馬鹿姫め!」
 馬鹿姫だと?
「お願い、ヴィー」
「お前な、何でもかんでも下手に出れば許されると思っているのか? 大体、普段のお前は全く態度が不遜だ。こんな時ばかり殊勝な顔を見せても無駄だ」
「笹良、ガルシア、行くー!」
 泣くぞ、言う事を聞いてくれないと。
 ヴィーの名前を連呼して、全力で泣き喚いてやる。更にはある事ない事でっちあげて醜聞を流し、海賊界におけるヴィーの評判を落としてやる。芸能人はスキャンダルが命取りになるのだぞ。
 しつこくせがんで動き回ったのが功を奏したのか、ついにヴィーが降参し両手で頭を抱えた。
「俺がなぜこんな餓鬼に……」
 煩い。
 つべこべ言わず、笹良の命令を聞いた方が賢明なのだ。
 
●●●●●
 
 水の結界が時々、まるで沸騰しているかのように粟立ち、白く濁った。水の表面に油が浮いているかのよう。
 それに、何だか空間が狭まってきている。
 ごく稀に――ぽたりと水滴までが落ちてくる。
 甲板の上にきた笹良は、隣に立つヴィーの腕を両手で握りつつ、怖々と頭上を仰いだ。水滴が頬に当たり、ぱちんと弾けて割れる。
「……駄目だな。明朝までは持たないだろう」
 ヴィーの言葉が現実となった場合、海賊船は高波に襲われる。死傷者とかが出るかもしれない。船自体にも大打撃が与えられるだろう。最悪、船が渦巻く波に飲まれて大破する可能性だってあるのだ。
 航海に挑む者全てにつきまとう天災。
 どこまでもどこまでも広大で穏やかに凪いでいた青い海が、黒く染まって荒々しく唸り、隠していた凶暴な顔を見せる。全ての命を育む美しい青い聖母が雨雲の衣をまとい、稲妻の錫杖を掲げて、波を激しく呼び起こす。空が粛正を促している。
 人智を超えた厳烈な自然の裁きに、誰もかないはしないのだ。
 でも、抗い続けるのが人ってもので。
 ガルシアは船首に屈み込んだ体勢のままだった。時間が停止しているかのように、数日前と変わらぬ背中だった。
「冥華、気が済んだら戻――」
 ヴィーの言葉を最後まで聞かない内に、混乱と恐怖と自暴自棄の最中にいた笹良は、駆け出した。
 ガルシアに向かって。
 ぽたぽたと垂れ落ちてくる水滴。あぁ空と海が逆さま。
 笹良は走る。微かに揺らめく大気の中で一心に祈りを捧げる海賊王を目指しつつ。
 側まで近づくと、ガルシアは目を閉じて、宝物を守るように緩く開いた指の先を合わせていた。指の隙間から覗く空間の中には、不思議な事に、淡く色づく小さな球体があった。まるで、地球をうんと小型にしたみたいな青い玉。ちょっとビー玉にも似ている。
 でもその球体は、時々ぐにゃりと歪み、楕円形になったりしているようだった。そうすると、船を覆う結界もふつふつと粟立ち、乱れるらしかった。
 よし。
 笹良は、やるのだ。
 何を、と言えば、そう。
 ガルシアの背後に立って首に腕を回し、ぎゅうっと抱きしめる。
「……ガルシア、笹良もお祈りするよ」
 背後から覗き込むと、ガルシアが長い眠りから覚めたみたいにふっと瞼を開いた。
「嵐、もう止むからね。あと少しの辛抱」
 嵐、止ませないと恨むことは間違いないな、神様。もう二度と神社のお賽銭箱に五円を入れないぞ、と一応脅しをかけておくか。 
 神様は神様なのだから、寛大な心で暴言を許してほしい。
「空は空に、海は海に戻る」
 今は空と海がくっついてしまっているけれど。
 いつか、光が差すだろう。
「大丈夫。ガルシアのことは笹良が守ってあげるから、こっちのことは気にせず、思う存分船を守るのだぞ」
 日本語だが真剣に協力を申し出たつもりだったのに、ガルシアがなぜかふふっと笑った。意味が分かったのかな?
 ああそうだ。
 笹良は一旦ガルシアから離れて、戦々恐々と空を見上げたあと、両手を差し伸べた。ぽたりぽたりと雨漏りする水の結界。落下する雫を、掌に幾つも受け止める。
 その冷たさに震えつつも、何とかちょびっとだけ水を溜めて、ほら、とガルシアの口に持っていく。二、三日、食事を取らなくとも死ぬことはないだろうが、水分は摂取しないといけないのだ。ガルシアの場合、お酒の方が喜ばれそうだが、船を守るため集中している最中に酔われると困るので、却下だ。
 掌に乗せた水はすぐにこぼれて、スプーン一匙分くらいしかなくなってしまったけれど、ないよりはましだろう。
 更に乾いた唇を指先で潤してやると、ガルシアがちらりと視線を動かして薄く笑った。
 ついでに、ガルシアの手の中にあるミニチュア球体くんにも、水をあげてやろう。
 太鼓並みに重く響く雷鳴に飛び上がりながらも、笹良は再び垂れ落ちてくる雫をせっせと集めた。
 それを球体くんにかけてやる。僅かな水を浴びた球体くんは、冷たさを訴えるように一度ふるふるっと震えた。面白いな!
 しばらくの間忙しく水滴を集めて疲労を覚えた笹良は、一休みするためガルシアの背にぺたりとはり付き、青い頭に頬を乗せた。
 僅かにガルシアが身じろぎし、背後の笹良にすり寄るような感じで身体を預ける。
 力、というものがよく分からないけれど――なぜか霜焼けしたかのごとくに荒れて皮膚が裂けそうになっているガルシアの手を、笹良は上からそっと押さえた。ガルシアの手は冷気をまとっていてとても冷たかった。重ねると、手の内側に流れる血の鼓動が伝わるような、不思議な感覚に襲われる。ふと、ガルシアが息を吐いた。
 大丈夫――だよね?
 
●●●●●
 
 笹良の一途な脅迫に神様が恐れをなしたのか――
 いつの間にか、夜は明けて。
 黒い雲の狭間から、金色に煌めく光がいくつも束になって降り注いだ。
 実は笹良、ガルシアの背に寄りかかったまま微睡みつつあったのだが、それは秘密にしておこう。
 一気に厚い雲が割れ、晴れ間が覗く。
 風の神様が、ふうっと息を吹きかけて黒い雲を追い払ったみたいだ。
 あんなに暴れていた海が撫で付けたように凪いでいく。
 劇的な天候の変化。
 太陽が、海という青い獣を飼い馴らした。
「ガルシアぁ」
 見て、見て!
 空が戻ったぞ。
 誰より笹良が偉いな! 嵐を前にしても逃げなかったのだ。賞賛に値する素晴らしさ。
 生まれ変わったように輝く海の世界。
 海面も空も、きらきら、ゆらゆら。
 光が、満ちる、満ちる!
 喜んでいたら、突然、ガルシアが肩を揺らして笑い出した。
「うう?」
 背後の笹良を押し潰すかのように全体重を預けてくる。
 ぎゃあ! 潰れるっ。
 と思った瞬間、本当に潰された。重い! どいて!
 ぱたぱたっとガルシアの頭を叩き、笹良は必死に訴えた。窒息するではないか。
 と、ガルシアがいきなり体勢を変えて、笹良をぽすっと腕に包んだ。
 不可思議な色の瞳が、ぽかんとする笹良を映す。柔らかな色が滲む甘い眼差し。
 そうして――
「ササラ。猫の子よりも、お前は役に立つのだな?」
 笹良は思わず、ガルシアをどついた。

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