she&sea 23

 碧天。
 やっぱり空は、晴れ渡っていないと!
 ふわぁ、と笹良は両手を天空へ広げ、身体を伸ばした。
 長い嵐が過ぎ去った翌日、笹良の体調もほぼ元通りになって、気力もすっかり復活だ。
 ついでに、ちょっと贅沢して盥に水を汲んでもらい、髪や身体も洗って清潔、すっきり。
 忘れていたけれど、賭けの期間――十日が経過していた。
 
●●●●●
 
 嵐の日々が夢であったかのように、海は優しく凪いでいた。
 海面はきらきらとした銀の葉を乗せているみたいに陽光を反射させ、奇麗な波模様を見せている。
 甲板を歩く船員達の足取りも軽く、なんとなく和やかな様子だ。
 笹良は護衛のヴィーに先導されつつ、王様専用の揺り椅子が置かれている場所へいった。やはり、どんなに海が奇麗でも、この広大さに少しばかりびくつかずにはいられないので、ヴィーの腰帯を握り締めていたが。ヴィーはもう慣れたのか諦めたのか、笹良の行動を咎めようとはせず、梨みたいな果物を黙々と食べていた。たまにナイフで切った果実の欠片を食べさせてくれる。美味しいな。
 揺り椅子まで到着したのはいいけれど、肝心の、青い髪の王様は不在だった。色褪せた飴色の小テーブルの上には、飲みかけの果実酒が乗せられていた。
 どこに行ったんだろ?
 揺り椅子の背もたれには、ガルシアの上着がかけられている。
 首を傾げて、ヴィーを見上げてみた。
 ヴィーは果物の芯をぽいっと海へ投げ捨て、無造作に口元を拭ったあと、目を眇めて遠くを眺めた。
「泳いでいるのだろ」
 ふむぅ?
 笹良は戦々恐々と、船の手すりに近づいた。
 所々斬りつけた跡が残されている手すりにしっかりとしがみつきつつ、そっと海を見下ろしてみる。
 休憩中の海賊達が数人、気持ち良さそうな感じで海面にぷかぷか浮かんでいた。水死体みたいだな。
 目を凝らしてガルシアの青い髪を探してみるが、見当たらない。海中に潜っているのだろうか。
「ガルシアー」
 呼びかけてみても、返事はなし。
 笹良の隣に立ったヴィーが、手すりにもたれて僅かに唇を綻ばせた。
「その内戻られる」
 ガルシアは魚並みに潜水できるのか? などと失礼な疑問を抱いた。ありえそうで怖い。何しろ、水を制御する王様だしな。つくづく計り知れない奇々怪々な世界だと思う。
「――これで、俺はお役御免だな」
 複雑な思いで海を眺めていた時、ヴィーが手すりに肘を預け、静かな声で告げた。
 陽光をきらきらと弾くヴィーの髪を見つめながら、一体何の話かと一瞬悩み、賭けの日数が過ぎたことを言っているのだと気づく。
「お前の我が儘からこれで解放されると思うと、気分がいい」
 笹良は無言でヴィーの腕を引っ掻いた。
 笹良は我が儘なのではない、自分の感情に正直なだけだ。素直だ、純粋だ。「清楚」と書いて「ササラ」と読むのだ。間違いない。
「どうしてお前がそこまで偉そうにできるのか、全く分からん。そもそも威張れる根拠すらない」
 ま、乙女の繊細な気持ちを簡単に理解できるはずがないではないか。
 でも、ヴィー。
 グランはまだまだ身体を休ませなきゃいけないのだし。
「ヴィー、笹良、護衛?」
 そう訊ねると、ヴィーはちょっと驚いた。
「……さて、どうかな」
 違うのかな?
 折角、ヴィーには馴染んできたのだ。やや横柄だが、食べ物くれるし。
 ヴィーは、迷惑だろうか。
 よく考えれば、ヴィーは賭博に勝って笹良を十日間預かったわけだけれど、それで何か得をしたのだろうか。笹良ってば熱は出すしナイーブにはなるし、とどめに嵐の襲撃で迷子になるしで、ただヴィーを困らせただけのような気がする。
 しかしなあ、わけも分からずこっちの世界に落とされてしまったので、お礼にあげられる物とか持ってないのだ。
 むむ、と笹良は腕を組み、頭を悩ませた。
「どうした、腹でも下したのか」
 ……他に言いようはないのか、ヴィー。
「またくだらん企みを抱いているのか?」
 笹良を何だと思っているのだ?
「余計なことを考えるなよ。騒動を起こすな」
 ……あんまりな評価だ。
 まあ、気を取り直して。
 うーん、ヴィーにはお世話になったしなあ。
 そうだ。
 笹良は周囲をきょろきょろと見回した。よし。
「こら、どこへ行く」
 走り出そうとした瞬間、呆れ顔のヴィーに襟首を掴まれた。無礼であるぞ。
「動き回るな。ちょろちょろするな。お前、俺の注意は無視か?」
「ヴィー、ここ。笹良、あっち。来る、駄目!」
 笹良がよいと言うまでヴィーはついてきちゃ駄目、と言いたいのだ。
「何だ?」
「笹良、用事。来る、駄目」
「あのな」
「駄目、駄目っ」
 ヴィーが半眼になったけれど、ふふん、笹良に勝てると思うのは大間違いなのだ。
 
●●●●●
 
 しばらくの押し問答の末、当然のごとく笹良は勝利した。
 で、場所は変わって、ヴィーの部屋。
 と言いつつ、部屋の正当な持ち主であるヴィーは通路に閉め出しているが。
 許可を出すまで、立ち入り禁止なのだ。
 ヴィーは呆れ果てていたけれど、まあ、そこはそれ、あとのお楽しみ。
 笹良はサイシャに借りたハサミっぽいアイテムと、ガルシアの部屋から持ち出したたくさんの奇麗な布を前にして、よしっと腰に手を当てた。
 始めるか。
 
●●●●●
 
 丁度作業が終わった頃、部屋の扉が乱暴にノックされた。
 ちなみに扉を無理矢理突破されないよう、つっかえ棒をして侵入を防止していたので、ヴィーは相当ご立腹だろう。
「冥華、そろそろ出て来い。王も船に戻られた頃だ」
 扉の外から、ヴィーの刺々しい声が聞こえた。
 笹良はつっかえ棒を外し、こそっと扉を開けて顔を出した。少し不満顔のヴィーが腕組みをしてこちらを見下ろしていた。
「行くぞ」
「ヴィー、こっち」
「何だ」
「入る、部屋っ」
 変な顔をするヴィーの腕を引っ張り、室内に連れ込む。
「あれ、あれっ」
 笹良はいたく誇りつつ、ベッドを指差した。
 そこに何があるかと言えば。
 ふふふふ、笹良お手製、布版お花のベッドだ。
 小学生の頃、奇麗な布を何枚も重ねて、お花を作ったりしたことを思い出したのだ。学校行事時など、壁や黒板の縁によく飾られるお花、誰でも一度は作った経験があると思う。要するに折り紙みたく布を切って、たくさんお花を作り、ベッドの上に置いただけなんだけれど。結構、壮観な眺めではないか!
「可愛い、お花!」
 可愛いだろう嬉しいだろうっ、と笹良は自信満々に胸を張った。色とりどりの布で作ったのだ。大きさも工夫したぞ。
 海の上にずっといたら、地上に咲く花とかを見られないではないか。
「笹良、お礼」
 これ、色々と面倒を見てくれてありがとう、という笹良の感謝の気持ちだぞ。
 ヴィーは眉を寄せて、かなり奇妙な表情でベッドに咲いた無数のお花を凝視していた。
「……何だ、これ?」
「お花! プレゼント……ううん、ええと、あげる、ヴィー」
 嬉しくない? と笹良は困った。ちょっと乙女的すぎたか?
 笹良は布のお花を一つ手に取り、いささか唖然としているヴィーの手に乗せた。
「お花。偽物、だけど、枯れる、ない!」
 本物じゃないけれど、その代わりずっと枯れずに咲いているよ。花は癒しの効果があると言うしな!
「ヴィー」
 手招きをして、ぐいっと腕を引っ張り、無理矢理ヴィーを屈ませる。
「色々、アリガト」
 少し放心しているヴィーの髪を、一つ、撫でてみた。
 と。
「お前なぁ……!」
 突然、怒り出したと思ったら。
 身を起こして顔を背けたヴィーの耳が赤くなっていた。
「照れてるー!」
 と叫んだら、ヴィーに思いっきり睨まれた。
 素直じゃないな、海賊っ。
「嬉しい、嬉しい?」
 しつこく答えをせがみまとわりつくと、殺人的なほど凶悪な顔をしたヴィーに乱暴な仕草で抱え上げられてしまった。
 わっ。
「煩い! いいからお前、もう王の所へ行け」
 なぜかご立腹のヴィーに、笹良は誘拐された。天の邪鬼だな!
 
●●●●●
 
 で、再び、王様専用の揺り椅子がある場所へ強制連行されたのだが。
 まだ王様は遊泳中らしい。
 手すりから覗き込むと、さっきは見えなかった青い頭が海面に浮かんでいた。
「ガルシアー!」
 大声で呼ぶと、どうやら耳に届いたらしく、ガルシアがこちらを見上げた。
 戻ってくるかな。
 ガルシアは船上の笹良に手を振ったあと、また海中へ潜ってしまった。
 発色のよい髪が海の青さと混ざり、すぐに見えなくなってしまう。
 あれっと笹良は手すりに両腕を巻き付けつつ、緩やかに揺れる海面をじっと凝視した。ジェルドとかも泳いでいて、こちらに両手を振っていたけれど、海賊王の姿は影も形もない。とりあえずジェルドに手を振り返し、はて? と首を傾げた。ガルシア、まだ泳ぐのか?
 しばし海と戯れている海賊達を眺めていた時だ。
 ついっ、といきなり後頭部をつつかれて、全く警戒していなかった笹良は仰天し飛び上がった。
 馬鹿っ、海に落ちたらどうするのだ!
 壮絶な憤りをあらわにして笹良は振り向いた。てっきりヴィーが意地悪をしたと思っていたのだ。
 が。
「怒るな、ササラ」
 背後に立っていたのは、全身ずぶ濡れの海賊王だった。
 んん?
 どこから出現したのだ?
 まさか笹良を驚かせるために、わざわざ背後に回ったのか?
 この海賊って!
 笹良がダークな気配をまとわせると、ガルシアが低く笑いつつ濡れた髪を両手でかき上げた。
 ズボンをはいたまま泳いでいたのか。いや、丸裸で泳がれても凄まじく嫌だが。
 上着は脱いで揺り椅子の背にかけていたけれど、その下に着用していたらしい薄いクリーム色の七分袖みたいな服はたっぷりと海水を含んで身体にはり付いている。服を来たまま泳ぐなんて器用な奴だな。
「ああ、ヴィー、ご苦労だったな」
 ガルシアが髪をいじりながら、ヴィーに視線を向けた。
「どうだった? ササラは面白いだろう?」
 というガルシアの言葉に、激しく不満を覚える。どういう意味だ、面白いとは。
 何の会話をしているのか一瞬理解できなかったが、賭けの事を言っているのだと少し遅れて気づいた。
「傍に置くと、中々癖になるだろう」
 その表現は絶対におかしいぞ、ガルシア。
 頷いたらぶってやる! と誓いつつ笹良はヴィーに剣呑な視線を送った。
 ヴィーはなぜか微妙に顔を引きつらせつつ、ちらりと笹良を一瞥した。
「十日間、ヴィーによくしてもらったか?」
 んんん、まあ、お世話にはなったな!
 厳かにこくりと頷くと、ガルシアは好々爺のように笑った。
「では、そろそろ、俺の元へ帰っておいで」
 人を家出少女みたいに言わないでほしい。
「ヴィー、しばらく休んでいいぞ。ササラの相手をするのは、それなりに大変だっただろう?」
 それなり、とはどういうことだ!
「いえ――」
 ヴィーはさりげなく視線をさまよわせながら、曖昧に答えた。む?
「おや」
 ガルシアが愉快そうに眉を上げた。
「離れ難いか?」
 何っ?
 ヴィーはあからさまに目を剥き、凝固していた。その反応、えらく失礼だぞ。
「いえ。……俺は少し休ませてもらいます」
 と、不自然な感じでヴィーは会話を打ち切り、さっと踵を返して行ってしまう。
 ガルシアは足早に立ち去るヴィーを見送りつつ、爽やかすぎて逆に怖い笑みを浮かべていたけれど、下っ端海賊くんが通りかかった時に、新しいお酒を持ってくるよう言いつけていた。また昼間から酒盛りか?
「ササラ、おいで」
 こら、人を猫の子のように抱え上げるんじゃない!
 と、内心ご立腹だったが、なぜかそれを口に出す気にはなれなかった。
 水を弾いて輝く首飾りよりも目映い海よりも、こっちを見て笑う海賊王の目の方が、印象的だったせいだ。

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