she&sea 24

 というか、ガルシア、抱き上げられたら笹良まで濡れてしまうではないか。
 身振り手振りで「抱えちゃ嫌だ」と訴えてみたが、爽やか笑顔の腹黒い海賊王は、何のその。全身ずぶ濡れのまま、鼻歌でも歌い出しそうな様子でいつもの指定位置である揺り椅子に腰掛け、もがく笹良をすとんと膝に降ろした。
「ガルシアっ」
「ああ、久しぶりだな、お前を傍に寄せるのは」
 暢気なこと言ってないで!
 仕方のない王様だ、とぶつぶつ文句を言いつつ、背もたれにかけてあったガルシアの上着を取り、よいしょと青い頭に被せた。
 ちゃんと拭かないと、風邪をひくのだ。
 笹良はこしこしと上着でガルシアの濡れた髪を拭いた。タオルとかが手近な場所になかったので、上着を使わせてもらったが、まあいいさ。細かい事は気にしちゃいけない。
 ガルシアは大人しく髪を拭かれていたが、絶対に笑っているな。
 ほら、ガルシア、ズボンも着替えた方がいいのだぞ。だが、笹良の前で着替えるのは禁止だ。
 という思いでガルシアをじっと見つめると、悪戯心を秘めた不思議な色の瞳とぶつかった。頭に被せた上着の下、濡れた髪が乱れた感じで顔にかかっている。軽く肘掛けに腕を乗せ、目をゆっくり瞬かせて笹良を見返し唇を綻ばせている。
 何か、無闇に色気を放つ奴だな。いや、こんな能天気海賊に見惚れるなんて笹良のプライドが許さない。
 そうだ、そんなことよりも、濡れたズボンの上に座らされてしまったため、こっちの服まで湿ってきたじゃないか。
 非難をこめて目を細めた時、ガルシアが子供を抱えるように、笹良の腰へ両腕を回してきた。密着すると余計服が濡れる!
 何ていうか、うう、水を含んだボタンのない薄い生地のシャツが肌に張り付き少し透けているので、目のやり場に困るのだ。微妙に胸元がはだけていて、日に焼けた滑らかな肌が覗いている。ごつごつという感じではなく、必要な分だけ奇麗に筋肉が付いた身体だった。正しい運動をしていれば余分な筋肉はつかないっていうのはどうも本当らしい。そういえばマラソン選手とか拳法やってる人とかって、筋骨隆々っていうより細身だものな。
 ……筋肉の話は置いといて。
 女性の服が透けていてどきまぎするのならばともかく、なぜ乙女の笹良が緊張せねばならないのだ?
 猛然と腹が立ってきて、というより動揺を隠すために、笹良は不貞腐れつつガルシアの髪を拭き続けた。王様は笑いを堪えるためか、きゅっと下唇を噛んで神妙そうな顔を作り、ちらりちらりとこっちを覗き見ていた。
 やはりガルシアの髪は、染めているとかではなく地の色らしい。根元から見事に青いものなー。
 どういう遺伝でこんな色が現れたのか、謎だ。
 ガルシアの髪をひとすくい手に乗せ、思わずじっくりと観察してしまう。鮮やかな原色の青。水を含んでいるせいか、今はきらきらと透明感のある瑞々しい輝きを見せている。
 奇麗な髪だ。これだけ強い日差しにさらされているのに、枝毛とかなさそうなのが羨ましい。
 ついつい枝毛探しをしてしまいたくなるのは、年頃の少女の性というやつだ。
「俺の髪が珍しいのか?」
 そうだとも、と青い毛を掴みつつ頷いた。
「お前の髪も珍しいのだがな」
 日本人は黒い髪が多いぞ。
 ガルシアがくすりと笑い、笹良の髪を弄んだ。
「お前も、気分転換に泳いでみるか?」
 ご冗談を!
 大体、海ってもの凄く深いではないか。足が地につかない上、果てしなく広いのだ。溺れたらどうする。
「ササラ、いいものをやろうか」
 何だ?
 ガルシアが身じろぎし、腰帯の隙間に指を入れた。まさか脱ぐのかっ? と乙女にあるまじき不埒な想像を一瞬してしまったが、どうもガルシアは腰帯の間に何かを隠していたようだった。
「ほら、美しいだろう?」
 笹良の手に落とされた、いくつかの丸い粒。
 ――真珠か!?
 笹良は仰天した。親指の爪くらいの大きさをした、丸い粒。でけえ!
 渡された粒は元の世界で一般的によく見られるような銀白色ではなく……海の色を染み込ませたみたいに青みがかかっている。
「ジェルドに預けるといい。あれは中々手先が器用だからな。珠を首飾りにでも細工してくれるだろう」
 これ、どうしたのだ?
「拾ったのさ」
 遊泳中にか?
 真珠って、確か貝の中にできるのではなかったか? ガルシア、一体どこまで泳いでいたのだ。
「珠を作る貝を食う魚が泳いでいたのさ。オルジェという長い尾ひれを持つ魚なのだがな。食用にも適しているので、先程他の者が捕らえていた」
 ということは、その魚をかっさばいた中に、これはあったというわけか。
 あまり深い想像はやめておこうと思った。恐ろしい。
「若い娘ならば、喜ぶ珠の一つなのだが。それにこれほど傷がなく細やかで、光沢のある珠はそう見かけぬだろうな。希少価値があるだろう。そもそもここらの海域で滅多にオルジェは捕えられぬ」
 確かに、奇麗な珠だ。艶っぽい青い色が美麗だ。
 売りさばいたらどれほどのお金に化けるだろう、と小狡く夢のない妄想を膨らませた。気分は悪徳商人だ。
「ササラ……、何を考えているか、想像できる顔をしているな」
 ば、バレたか?
 今更かもしれないが、愛想笑いを浮かべて誤魔化してみた。すると、ガルシアが苦笑して、笹良を不意に抱き寄せた。濡れるって!
「寂しい思いをさせた礼なのだぞ」
 別に寂しがってなどいない!
「俺の傍へ寄れず、落胆していただろう?」
 するもんかっ。
「おや、悲しそうな顔をしていたのに」
 違う、誤解だ、少しホームシックになっただけなのだ。
「俺と戯れるのは、お前、好きだろう?」
 なな、何を言うのだ、このふしだら海賊は!
 恥ずかしい台詞を笑顔でさらっと口にするんじゃない。
 というか、耳元で囁くな、くっつくな。ガルシアの髪の毛が耳にさわさわっと当たってむず痒いのだ。
「素直に寂しいと言えば、望むだけ甘やかしてやろうよ」
 破廉恥だ、気障すぎる、結婚詐欺師だってそんな鳥肌が立つ言葉、言わないぞ。
 笹良は意味不明の奇声を上げつつ、ガルシアの腕から逃れようともがいた。けれども手強い海賊王に、簡単にあしらわれてしまう。
 うう、海臭い、濡れる、馬鹿っ。
「お前は、俺の愛らしい冥華さ」
 ぎゃあっ、耳を塞ぎたい!
 笹良が狼狽えると分かってわざと言っているな、海賊王。
 盛大に唸ると、ガルシアは爆笑しつつ、あやすようにとんとんと背中を叩いてくれた。
「分かった、そう威嚇するな。ああ、ほら、爪を立てずに」
 笹良って海賊達の誰からも年頃の女性扱いされていないような気がするぞ。
 そうだ、ガルシアはこの十日間、何をしていたのだ?
 無理矢理話題を変えてみた。このままだと、ある意味爆弾にも等しいガルシアの邪悪な台詞によって、耳が腐り落ちてしまう。
「ガルシア、十日、どこ、何?」
「どうした?」
 笹良が傍にいない間、何をしていたのかと聞きたいのだ。
 と、ガルシアは唇の端をつり上げて、えらく謀を予感させる不吉な微笑をたたえた。
「――何だ、俺のことが知りたいのか?」
「……」
 あんまり知りたくなくなってきた気がする。なぜか寒気がしてきたし。
「それは無論――お前のことを考えていたさ」
 聞かなきゃよかった。
 がくりと笹良は項垂れた。海賊王のイカレタ頭、誰かどうにかしてほしい。
「なんなら、詳しく教えてやろうか」
 絶対に、遠慮する。
 笹良がもし裁縫の達人ならば、神業的なスピードで海賊王の軽薄な口を縫い上げたに違いない。ちっ。
 
●●●●●
 
 海賊王は激甘だ。
 ぎゃー!! とのたうち回りたくなるくらいの羞恥塗れる台詞を連発する海賊ってどうなのだ。
 ありえない。砂糖を一袋丸呑みしたのか?
 今ガルシアが発した言葉を割り箸でくるくると巻き取ったら、絶対に口が痺れるくらいの超甘な綿飴が作れるだろう。そんな綿飴は袋詰めにして縁日の出店で売ってしまえ!
 というか、ブラック珈琲にガルシアの言葉を入れてかき混ぜたらちょうどいい甘さになるんじゃないか、などと笹良は混乱した頭で食べ物や飲み物とガルシアの言葉をミックスさせ、胸中で悪態をついていた。
 嵐が去って以来、一体ガルシアの中でどんな革命が起きたのか、やたらと笹良にかまってくる。無邪気を装い、実はこっちの反応を楽しんでいるのだ。
「ササラ、何だその微妙な表情は?」
 誰のせいだと思っているのだ。
 ガルシアは穏やかに微笑み、煙管の煙をゆらりとくゆらせる。
 ちなみに今は宵の口ってところで、海賊達は皆甲板に出て、さっきから騒がしく宴会もどきを開いている。無事嵐が通過したのでその感謝祭って感じだ。というか、暇さえあればへべれけに酔って騒ぐ海賊達なので、毎夜適当な理由をつけつつ宴を開いているといっても過言じゃないのだが。
 ガルシアはいつもの揺り椅子に座るんじゃなくて、甲板の上に敷布を用意し、皆と同じ目線の場所にいた。でもやっぱり輪の中心にいることには変わりない。笹良はなぜかガルシアの片膝に座らされている……こそっと逃亡を図る度、ガルシアに取っ捕まってしまうのだ。くそ。
 ガルシアの両隣にはゾイとヴィーが座っていて、最早何も言えない……って表情でお酒を飲んでいた。素知らぬ振りをしていないで、囚われの笹良を男らしく救出したらどうなのだ。
 うう、とゾイを睨むと、薄情な海賊はきっぱり視線を逸らした。クールどころかドライアイス並みの反応だ。
「ササラ、食わぬのか?」
 と、ガルシアに食事を勧められたが、何というかもう、皿の上の食べ物、ごついし、大雑把だし、衝撃的だ。珍食大会に出品すれば間違いなくトップスリーを狙えるだろう。
 ぶつぎりの肉に果物とか、わけのわからないスープみたいのとかが散乱している。ああ、まさにこれぞ海賊って感じの大胆、豪快な食事風景だ。
「そら、口を開けな」
 情けない思いで皿を見つめていると、ガルシアが変な色のパンみたいなやつを細かくちぎってくれて、笹良の口元に運んでくれた。恐ろしく不気味な色の食べ物だが、味は意外にイケている。蛇足だが、何気に緑っぽい色のパンだ。
「これも美味いぞ」
 と、次に肉なのか魚なのか判別できない、これまた微妙な色の食べ物も口に運んでくれた。食感も変に柔らかくてツライが、味は悪くない。しかしガルシア、今更なのだが、手掴みってどうなのだ。箸を使えとまでは言わないから、せめてフォークとか。
 と思ったのだが、右隣のヴィーなんて短剣を使って食べているし、その横のジェルドはガルシアと同じく手掴みだった。いや、誰一人まともに匙などを使用していない。これってまさしく匙を投げた状態、などとくだらない冗談を思う笹良もどうだろう。最早その無作法を注意する気力もない。
「食べろ」
 ガルシア、そんな次々と食べられない!
 口に入れられたアヤシイ食べ物をもごもごと咀嚼しつつ、ガルシアを半眼で見つめると苦笑されてしまった。
「餌付けしている気分だな」
 とガルシアが油に塗れた自分の指をぺろりと舐めながら、無礼極まりない感想を漏らした。
 他の海賊をからかって遊んでいたジェルドは、さりげにその台詞を聞いていたらしく、噴き出した。酔っているのか、少し赤い顔をしたジェルドがだらっとヴィーの膝に乗り上げて、笹良の方へ顔を近づけた。
 ヴィーは膝に転がったジェルドを実に鬱陶しそうな顔で見下ろしたが、酔っぱらいに絡まれたくないと考えたのか、注意しなかった。
「冥華ぁ、ほれ、これ食ってみなよ。美味いし」
 ジェルドがにこにこと笑い、またもや不気味な色彩を放つ食べ物を笹良に差し出した。見た目は薄切りハムとチーズを加えたミニサンドといった感じだが、色合いが、面白いほど食欲を減退させてくれるな。
 嫌だと首を振ってもしつこく勧められるので、渋々ぱくりと食べてみる。どうしてこの色で、こんなに美味なのか。
「うわ、食ってる食ってる。面白い!」
 あははは、とジェルドが馬鹿っぽい笑い声を上げて喜んでいた。
 何なのだ、その態度は。
 ヴィー、礼儀を知らない弟を何とかするべきだ。
 じとりとヴィーを凝視したが、冷たい視線を返された。
「いいなぁ、俺も欲しいなぁ、こういうの」
 こういうの!?
 笹良の扱い、どんどん地に落ちていないか?
 殺戮を開始するべきだろうか速やかに、という笹良の悲壮な決意を察したのか、ガルシアが肩を揺らして陽気に笑い、腰にがっちりと片腕を回してきた。
「酒はいいのか?」
 飲むか、そんなもの!
 あーもう、ガルシア、お酒を零すんじゃない!
 腰帯の端を引っ掴んで、喉を伝うお酒の雫を拭いてやった。こうしないと、膝に座らされている笹良まで被害に遭う。
 ガルシアがくすくすと笑い、盛大な音を立てて笹良の髪の生え際にキスをした。ぎゃー!! 酔っぱらいめ!
「馬鹿! お酒臭い! 破廉恥王っ」
 ばたばたっと必死に暴れてみるが、どんなに頑張ってもガルシアは離してくれない。ほろ酔い加減を装ってはいるけれど、目を見れば全然正気なことくらい分かるのだ。
「嫌っ、嫌!」
「出たなぁ、ササラの『イヤ』!」
 ガルシアがちょっと声音を変えて、『イヤ』と言うと、ゾイとヴィーが同時にくっと笑った。本気で殺意が湧いたが、この場で大量殺人事件が発生しても仕方がないというものだ。
「お姫様の得意は『イヤ』、『バカ』、『ダメ』の三種だ」
 などと、ヴィーまでがガルシアに追従して、笹良の声音を真似して嘲った。すると海賊達がどっと湧く。
「いや、その前に手が出るだろう」
 お酒が入っているせいか、普段は悪乗りしないゾイも口を挟んで笑っていた。あぁゾイまでが悪の手先になりさがった。
「でもなぁ、冥華に殴られたって、虫に刺されるのと変わりないよなぁ」
 ジェルドがしみじみ独白すると、全員、盛大に噴き出した。こ、この海賊達、皆、海に突き飛ばしてやる!
「だが、泣き声は虫以上の威力がある」
 と、ガルシアが更なる暴言を吐いた。最早、憎悪すら感じる。
「おや、ササラ、どうして震えている?」
 怒りのために決まっている!
「寒いか? あたためてやろうか?」
「嫌っ!」
 咄嗟に叫んでしまい、海賊達の爆笑を招いてしまった。
「王、俺も遊びたい!」
 ジェルドがヴィーの膝で笑い転げながら身悶えている。
「冥華、ほら、いいものやるから、来いよ」
 誰が行くか!
 物でつろうとしないでほしい。
「ササラ、唸るな、そう不貞腐れずに」
 ガルシアのせいだ、全部!
「さあ機嫌を直せ」
 とか言いつつ、ガルシアは何を思ったのか、笹良の両手を取り、ふるふるっと小刻みに震わせたり、頬をつまんだりしてきた。
 お、お、おもちゃ扱いを!
「ガルシアーっ!」
 笹良は絶叫した。もう嫌だ!
「ああ、分かった分かった、叫ぶな」
 ぎゅうっと宥めるように抱きしめられたが、涙を滲ませて笑っているじゃないか!
「つい愉快でな。いや、凄いものだ。このような頼りない手足で動くのだから、不可思議よな」
 人の指をぶらぶらさせ、心底感慨深いといった調子で溜息を落としている。笹良、もう発狂しても許される気がするぞ。
 切なく空を仰いでぱちぱちと瞬いていると、ガルシアがしつこくちょっかいを出してきた。瞬く笹良の睫毛に指先で触れたあと、こ、この気違い王様は瞼に唇を押しつけたのだ。ぎゃっと仰け反りかけても全く動じず、何かを確認するように上唇で瞼をなぞり、舌先で睫毛に触れたあと、しっとりと吸う。
 瞼をくすぐる熱い吐息に、喉の奥が痒くなった。いつの間にか腰に回されていた腕が、笹良の手を握っている。苦しいくらい体温を感じて、変に鼓動が跳ね上がった。
「ガルシア、嫌っ、馬鹿!!」
「出た、『バカッ』!」
 ジェルドが腹を抱えて笑った。笹良はもう、表現的には髪を逆立てて怒り出したいところだった。
「冥華、おいでよ。可愛がるからさ」
 濃厚な殺意を漂わせる笹良に、ジェルドが顔をふと近づけ、腕を伸ばしかけたけれど、それよりも早くヴィーが片手で遮った。へらへらと笑っていたジェルドの顔をばしっと掴み、後方に倒したのだ。不意打ちをくらったジェルドはばたりとヴィーの膝の上に仰向けになって情けない表情を浮かべていた。
「畜生」
「うるせえ、俺の膝の上でじゃれるな」
 ジェルドは悔しそうに舌打ちし意味不明の言葉で喚き散らしたあと、突然、ヴィーにがばっと抱きついた。ヴィーは一瞬、持っていた短剣に視線を落とし「一思いに刺してやろうかなこいつ…」という物騒な顔をした。
「気色悪い、俺に抱きつくな」
 もっともな意見だ。美少年ならばともかく縦にでかい男同士の抱擁なんて見たくない。
 しかしジェルドはめげずにがっしりとヴィーを抱きかかえ、切なげに溜息を漏らした。
「あぁ、女が欲しい」
 笹良はぎょっとした。変態めっ。
 ヴィーがもの凄く嫌そうな顔で、肩にはり付いているジェルドを見つめていた。
「禁欲など糞さ」
 ジェルドの情感たっぷりな独白に、輪になってお酒を浴びるように飲んでいた海賊達が「同感」といった感じの吐息を落とし、杯を高々と掲げた。怖い、頭の中にはソッチのことしかないのか?
「もうこの際犯れりゃあ何でもいいや」
 ジェルドが極めて危険な発言をすると、わっと海賊達が同意を示していた。
「いたしますかあ? ヴィー」
 と、悪ふざけなのか、まさか本気なのか、ジェルドが薄く笑ってヴィーの頬に勢いよく唇を付けた。
 気持ち悪っ! と笹良は鳥肌を立てたが、それはヴィーも同じだったらしい。一瞬真顔になったあと、冷気を発しつつ無言でジェルドを膝の上から払い落としていた。ぎゃあぎゃあとジェルドが憤慨した様子で喚いているが、こいつの存在はもうきっぱりと無視しよう。
「何、もうすぐさ」
 突然、ガルシアが含み笑いをしてそんなことを言った。
 もうすぐって?
 笹良が首を捻った瞬間、海賊達が一斉に歓声を上げて手や食器を叩き、帽子やその他よく分からんものを空中へ放り投げて狂喜乱舞していた。怖っ。何なのだ、この熱狂ぶりは。
 どういう意味かと思ってガルシアを見上げたけれど、意味深な笑みだけを返された。ヴィーにも視線を向けてみたが、渋い表情で目を逸らされてしまう。うう?
「ササラ、お前、星の話に興味を持っていたな?」
 ガルシアの言葉につられて夜空を見上げると、きらきら、無数の星屑が瞬いていた。この世界、ただ一つ、いいなあと思うのは、この星空なのだ。今にも降ってきそうな星の輝き。驚く事に、結構頻繁に流れ星が見れたりして、なかなか感動だ。願い事をかけようとしたけれど、流れ星って一瞬で消えてしまう。難しいな!
「ほらササラ、天の星、海の星」
 むぅ? とガルシアが指差す方を見る。ちかちか光る夜空の星達が、鏡のような海面に映っていた。
「美しいだろう? 天と海に煌と輝く夜の宝石さ」
 確かに、まるでこの船、天の川を渡っているみたいだ。星が敷きつめられた波間をゆっくり漂っている。
「俺の船は、瞬く神秘の宝石に抱かれている。この美しさに勝る景色はいかなる世にも存在せぬ。波が踊れば一斉に、天地の星が輝き歌うのさ。永劫の青海、天つ御空に狂い咲く、夜の華。闇とは偽りなき美の絵画。月を彩る金と銀の炎」
 ガルシアって時々、静かな口調でこんなことを言う。全く目を疑いたくなるが、そういう時のガルシアは少し……エキセントリックで反論できなくなるのだ。天と海、ガルシアの瞳も、海の青さと月の色を宿している。
 魅入られてしまうのだ。
 こんな時は、格好いい、の言葉はそぐわなくて、とても典雅に見える。
「なぜ星が空を滑り落ちると思う?」
 それは――宇宙の果てで、死滅する星があって……、などと適当なことを考えた。星のように煌めきを含んだガルシアの目を見ていると、なぜか言葉が出なくなる。
 波の音も海賊達の浮かれ声も、全部、全部、遠い所へ置き去りにしたみたくなって、ただひたすら奇麗な眼差しに囚われる。たくさんの神秘を知っている瞳だ。
「落ちる星。理由は」
 と、ガルシアは一旦言葉を止め、悪戯そうに目を細めた。
「そうさ、理由はな、下界に住むお前に、恋をしたからさ」
 ……何?
「お前を慕って、星も空を滑り落ちる」
 ざわっと寒気がした。
 一秒未満で、ミステリアスな時間も気分も余韻もすっぱりと消滅したぞ。
「恋に堕ちる星。ゆえに、海に向かって落ちてくる。恋情は身を焦がすものと言うだろう?」
 ぎゃー!! と笹良は何度目か分からない悲鳴を胸中で上げた。
 寒い、海賊王、台詞が気障すぎて心も身体も凍り付く!
 側で聞いていたゾイは酒を吹き出しかけていたし、木箱の上に腰掛けていたギスタは微妙に動きを止めたし、ヴィーの顔からは一切の表情が抜け落ちたというのに、ガルシアはどこまでも面白そうな眼差しをして、更なる恐ろしい台詞を紡いでいる。
「人の輝きに、星の美しさも霞む」
 だ、誰か、この詐欺師的海賊王の暴走を止めるべきだっ。
 笹良は粟立つ両腕を必死にさすった。こんな凍える台詞、少女漫画でも使わないぞ!
 心身共に凍結し、気絶しかける笹良の頬を、海賊王はゆるりと掴んだ。
「嘆きの天使すらも、お前を見れば微笑むだろう」
 嘆きの天使!
 げほっと辛そうにヴィーが咳をした。王様をどうにかするのだ、ヴィー!
 窒息する、呼吸が停止する、心臓が石になるっ。
「どうした? ササラ」
 わざとだ、絶対にガルシアはわざと言っている!
 皆が悶え苦しむ様を眺めて笑うつもりに違いない。
「ううううっ」
「何だ、まだ足りないか。もう少し、語ってやろうか?」
 憤死するのでやめてほしい。いや、もう北極並みの寒さに凍死間違いなしだ。恐ろしい、この世のどんな拷問にも勝るスペシャルワード群だ。
「そうさな、月の美貌もお前の――」
「ガルシア! 馬鹿!!」
 叫んでから、しまった、と気づいた。また、『バカ』と口にしてしまったのだ。
 ガルシアが爆笑して、絶句する笹良の肩に額を押し付けた。
「お前は、愛らしいさ。月よりも、星々よりもな」
 そう言って笹良を硬直させたあと、ガルシアは懲りもせず聞くに堪えない壮絶な台詞を繰り出す。
 笹良はこのままだと羞恥で耳が燃え上がると思い、心を落ち着かせるために、ガルシアの杯を奪ってぐいっと一息に飲み干した。
「おお、いい飲みっぷりだ」
 うっ、なんて強いお酒ですこと!
 一気にかぁっとノドが熱くなる。
「ふ、ふあ」
「もっと飲むか?」
 う、ぐ、ぐ。
 頭が、視界が、意識が、メリーゴーラウンドだ。
「……もう顔が赤くなっているな」
 ガルシアが呆れたように笑って、頭をぐらつかせる笹良の額や頬にキスを。
「う、ううー」
 ああ、星が、くるくるしている。
「ササラ」
 言葉と共に、ガルシアが。
「んあ、がるしあー」
 く、口が回らない。というか、ガルシアが五人に増えて見える……。
「ササラ、こら」
 瞼の上に押しつけられる唇を、うー、と指で引っ張った。ガルシアは掴みどころのない微笑をたたえたまま、笹良の腕を器用に押さえつけたあと、視線を外さず手首や指に唇を押し当ててきた。青い獣に食いつかれている気分だ。
「ひや、何をふゆのだ」
「言葉になっていないぞ」
「う、う、うるさひー! ばかー、ささらは、ささらはー」
「何だ」
 この時、意識が全てふっ飛んだ。お酒って、悪魔!
 そのため、自分がこのあと何て絶叫したのか、勿論覚えていない。
 
「おぼれるほどのめー、かいぞくたちー!!」
 
 星降る夜の宴会、とにかく盛り上がったらしい。

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