she&sea 28
こうして海賊船へ戻ったあと、選んだ奴隷くん達は、ゾイによって笹良達とは別の場所へ連れて行かれた。
それでもって、海賊船ではもう恒例となっている大宴会が開かれた。
女性達に気をつかったのか、湿っぽい甲板ではなく割合広くて小奇麗な船室を開放し、そこでやんやと酒盛りが始まったのだ。といっても、海賊全員がこの船室に集まったわけではない。下っ端君達は仕事を放り出して遊ぶ事はできないようだ。見張りも当番制なのでサボれないだろうし。この船室でお姉さん達を侍らせてくつろいでいるのは、海賊の中でも古参の者、あるいは幹部達に可愛がられている若手の者達に限定されていた。
ガルシアの隣には、笹良とルーアが座った。で、ガルシアから近い場所に幹部達が陣取っている。
ルーアは慣れた様子でガルシアに寄り添い、時々お酌をしている。ガルシア、時代劇に登場する悪代官みたいだぞ。
身の置き所がない感じがして、笹良は静かに果物を齧りつつ、浮かれ騒ぐ海賊達を眺めた。あぁもう、未成年の笹良が同席しているというのに、奇麗なお姉さんによこしまな悪戯をするんじゃない!
とにかく、ジェルドは嬉しそうだ。ヴィーやギスタにもダイナマイトボディなお姉さんがぴたりと抱きついている。
いつもと違う、悩ましい雰囲気の宴。頭ががんがんする。
……こういうの、嫌だな。
うまく言えないけれど、何か辛い。
嬌声や、酒の匂い。また体調を崩してしまいそうだ。
グランの所へ行きたいよ。
目頭が勝手に熱くなった。何だか、怖い。こういうの、怖い。
派手な口付けの音とか、お姉さん達の誘うような甘い声とか。そういう音が聞こえるたび、強く耳を塞ぎたくなるのだ。
目が痛い。きらきらなドレスが右に左に揺れている。
――笹良、ここで何をしているんだろう?
息が苦しくて、窒息しそう。
「……顔色が、よくないわ」
ふと聞こえた柔らかな声に、笹良は顔を上げた。ルーアが心配そうにこっちを窺っていた。
あ、優しい人なんだ。
奇麗なドレスや美人顔に圧倒されていたけれど、声音がとても柔らかくてくすぐるような感じだった。
大丈夫、と笑い返そうとしたけれど、多分泣き笑いのように歪んだ顔を見せてしまったかもしれない。
「ねえ、こちらへいらっしゃい」
優しく手招きされ、笹良は素直にルーアの方へ近寄った。
ルーアの細い指が、頬に触れる。
「少し熱があるのじゃなくて?」
ううう、優しい!
嬉しくない刺激と緊張感に満ちた日々を送っていたせいか、こういう包み込むような優しさにとても餓えていたのだ。
感激なのか悲しいのか自分でもよく分からなくなり、思わずルーアにぎゅっとしがみついてしまった。いい人だ。
「ササラがルーアを射止めたか」
ガルシアがくだらない冗談を口にした。
「そのようなこと!」
ルーアが僅かに頬を赤らめ、唇を小さくとがらせる。
「王、冥華に盗られましたねえ」
銀髪美女を膝の上に乗せていたジェルドが上機嫌な顔で口を挟んできた。
それをきっかけとして、ルーアに遠慮していたらしい他のお姉さん達が次々とガルシアに誘いの言葉を投げかける。いっそ明快とも言えるような誘惑の声に対しては、ガルシアは何も答えず、ただ艶っぽい微笑を返していた。
「海上の王、そちらのお姫様はどうされたの」
お姉さん達が興味津々といった態度で笹良を見つめた。哀れむような、面白がるような――それでいて見下ろすような視線達。悪意が含まれないため反発する気にはなれず、ただ戸惑いばかりが強まる。
「俺の冥華さ」
「まあ、王。――何人目の冥華様?」
何人目――?
身体が強張った。
何て、今……何を言われたのか。
耳鳴りがする。
ルーアのドレスを掴む指が震える。
どうしよう、こんなのって。
こんな心細さ、怖い!
「さてな」
ガルシア、笹良はおかしくなりそうで。
「ひどい方。こんなに幼いお姫様まで捕えるなんて」
「可愛がっているさ」
「どのように?」
「知りたいか?」
「是非とお答えしてもよろしくて?」
口の中に溜まる唾液が、残っている果物の味が、甘ったるくてやりきれない。気持ちが悪くなって吐きそう。
「……王、本当に冥華様はご気分が悪くていらっしゃるのでは」
ルーアがそういう柔らかな声で、女性達の奔放な言葉をとめてくれた。
「どれ、ササラ。酒に酔ったか? お前は酒乱の気があるからな」
軽口に言い返す気力はなかった。
ガルシアがこちらに手を伸ばし、顔を上げさせようとしたけれど、笹良はルーアの腕に必死で顔を押し付け、耐えた。ルーアが宥めるように笹良の背をゆっくりとさすってくれる。
ルーアの身体は柔らかであたたかく、切ないと感じる分、安心感ももたらしてくれる。この優しさがほんの少し、お母さんを思い出させたのだ。
「ササラ、意固地にならず、顔をお見せ」
ガルシアの言葉に、お姉さん達が笑った。それは別に嘲笑ではなかったけれど、だからこそ胸が苦しくてたまらない。
「休ませて差し上げた方がよろしいのでは……」
「ササラ、逆らうな」
控えめに紡がれたルーアの言葉を、ガルシアは遮った。
きっとガルシアは普段の笑みを浮かべている。
怖いよ、笹良。
「先程お前の我が儘は十分叶えてやったな。次は俺に従え」
怒声でもなく、荒い声音でもなく、穏やかなのに、ひやりとする。
返事をせずにいればこんなに優しいルーアにまで被害が及ぶのではないかと、危惧の念を抱いた。
なぜなら、笹良を庇っている。
以前の、グランやカシカに与えられた残酷な処罰が脳裏によぎる。
「ガルシア――。笹良、胸、変。部屋、行く」
胸焼けがするから、部屋に下がりたいと言いたいのだ。
……本当は、グランの所に行きたい。
一人ではいたくない、けれどここにはいられない。
「冥華、拗ねているんだろ?」
銀髪美女の項をくすぐりながら、ジェルドが何でも見通したような目をしてそう言った。
違うのにな。
でも、笹良の様子はそういうふうに、周囲の人達には映るのだろうか。
だとすると、ジェルドの言葉は正しいのかもしれない。笹良の内心がどうであれ、単に拗ねていると他人に判断されるのならば、それは真実と呼べるのだろう。物事なんて、そんなものなのだ。真実は、それぞれの価値観によって別の顔を見せる。
――そうか。ならば、本当に拗ねてみせた方がいいのだろう。
そう思った瞬間、くらりとした。何て嫌な考え方だろうか。頭がぼんやりしてきて、胸が重くて、お腹がしくしくと痛む。心はこんなにも身体に影響を及ぼすらしい。
「ガルシア……、サイシャ、行く」
本当に身体がやばい感じだ。グランの所というより、船医であるサイシャの側にいたいという気持ちの方が次第に強くなってきた。不思議な事に、薬を飲まなくてもお医者さんが近くにいるっていうだけで安心できるのだ。
立ち上がろうとした瞬間、まるで肩をがくがくと思い切り揺さぶられたみたいに視野がぶれた。
「全く、軟弱なお姫さんだ」
ヴィーの皮肉そうな溜息が聞こえ、無意識にそちらへ視線が向いた。
嫌味を言うくせに、ヴィーは腕に張り付いていたお姉さんを素っ気なく突き放して笹良の腕を取る。
もしかしてサイシャの所へ連れて行ってくれようとしているのだろうか。そう気づくと同時に、なぜか笹良は首を振り、ゆっくりとヴィーの腕を押し戻してしまった。ヴィーが訝しげな顔を見せた。
「わたくしがお連れしましょうか」
遠慮がちに名乗りをあげてくれたルーアにも、笹良は微笑を浮かべて、平気、と首を振った。
「皆、楽しい。お酒、美味しい。……折角の宴、笹良のことは気にしないで楽しむのだ」
片言の異世界語に焦れてしまい、途中から日本語を使ってしまった。
ただ一つ、問題はガルシアのお許しを得ないと退席できないってことで。
笹良は従順な微笑を作り、そろりとガルシアの指を取って握ってみた。
「笹良、休む。元気、戻る。来る」
少し休んで、具合が良くなったらすぐに戻ってくる、と言いたいのだ。
誰の送り迎えもいらない。
ササラ、とガルシアが呼ぶ。
お願い、とめないで。
許しは得られないと直感で悟ったが、我慢の限界だった。
「いざ、さらば!」と叫び、ぎょっとする海賊君とお姉さん達に、テレビで見て覚えた軍隊式の敬礼をきっちり決め――
制止の声がかかる前に、艶かしい宴の部屋から脱兎のごとく逃げ出した。
●●●●●
……で、迷子になった。
蜘蛛の巣的通路のお陰で、ばっちり迷子である。サイシャの部屋どころか、ガルシア達がいる所へも戻れない。というか、通路で迷子になるのは一体何度目だろうか。毎日通っていても、それこそ日々通路の小汚さが変貌するため、どうしても道順を覚えられないのだ。天井や壁からぶら下がる網、衣服、不気味な装飾品、また足下に転がる用途不明の様々な物を目印にしようとしても、誰かが移動させたのか翌日には別の場所に置かれていたりする。
やってられねえ! と笹良は薄汚い通路の途中で立ち止まり、やさぐれた。
大体、なぜ誰も追いかけてきてくれないのだ。いや、送り迎えなどいらないと恰好つけてしまったのは笹良だが、そこはそれ、乙女の微妙な心理というやつではないか。
映画とかでは、さっきみたいに美少女がうちひしがれて「来ないでっ」と部屋を飛び出した時は、「行かないでくれ!」と憂い顔のイケテル美青年がすぐに追ってきて、さっと抱きしめ慰めてくれるというのがお約束パターンなのに、これは一体どういうことなんだ。笹良が現在置かれているこの状況、たとえ寛大な心で映画とは多少ずれている設定を見逃してやったとしても到底納得できないぞ。
ロマンスを解さない海賊達にそういう乙女チックな行動を望むのはちょっとどうかと思わなくもないけれど、多少のときめきというのも必要ではないか! 迷子なんて展開、絶対間違っている。儚さも可憐さもハラハラドキドキ感も皆無だ。別の意味でハラハラしているが。
シリアスになりきれない自分の間抜けさ加減に物悲しさを覚えてしまい、お陰で先程までの切なくきゅんとした胸の痛みは薄れつつあった。 嬉しいような虚しいような、複雑な気分だ。
それにしても、困った。
もしかして夢を見ているのかも、と現実から無理矢理ばっくれようとして周囲をもう一度見渡してみたが、やはりどよんとした小汚い道が存在するだけだった。
「ありえねえ……」
笹良はぽつりと独白した。言葉遣いも乱れるというものだ。
よろっと壁にしがみつき、乾いた笑いを漏らす。笹良って、一体。
役に立たない海賊達を恨むか、それともことごとく外した展開を披露してくれる神様を足蹴にするべきか、本気で迷った時。
くねくねっと続く通路のどこかから、何か苛ついた感じの声が微かに聞こえた気がして、笹良は青ざめた。
宴会に参加できず密かに憤っている海賊君が人目のない所で暴れているんだろうかと、実に嫌な想像が浮かぶ。巻き添えをくうのはご免だ。さっさと逃亡するべきかもしれないと姑息な決意を固めて反対側の道へ後退りする。
「……む?」
何か様子がおかしいな。
漏れ聞こえる声は、どうも一人じゃないようだ。
揉め事の空気を感じ取り、益々関わりを持ちたくないと十字を切った。……が、すっかり忘れていた。以前、敬虔なクリスチャンでもないのに十字を切って、騒動を起こしてしまったことを。
そろそろっと忍び足で退却しようとした時、言い争う声がこっちに接近してきたのだ。
まずい、このままでは間違いなく飛んで火にいる夏の虫状態になってしまう。
逃げ道はないかと慌てて通路を見渡す間にも、どんどん声が近づいてくる。ええい、忍者のごとく隠れるべしと決断し、通路の壁にだらっと垂れ下がっている空瓶や破れた帽子なんかを詰めた網と小汚い誰かの上着の後ろに身体を滑り込ませた。周囲は薄暗いから、運が良ければこのまま見つからずにやりすごせるかもしれないという淡い期待を抱く。
どうか発見されませんようにと必死に祈りつつ、笹良は息を殺した。
「――やめろっ」
低く抑えた拒絶の声にぎょっとしてしまう。この声って。
「船長に言いつけられたいのか!?」
「その船長は女遊びで忙しいんだよ」
むぅ?……一体、何の会話なのだ。
「俺にかまうな!」
「何だよ、親切に傷の具合を見てやろうって言ってるだけじゃねえか」
触るな、と叫ぶ、その声。
もしかして、と笹良はひきつった。
……カシカ?
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