she&sea 29

 笹良と関わったせいで、ガルシアの制裁を受けたカシカ。
 もう一人の方は、声を聞いただけでは誰なのか判断できない。海賊全員の名前を覚えているわけではないのだ。
 何だか凄く不穏な気配というか、かなり想像したくない内容の会話のような。
 どうすべきかと煩悶し、ちょっとだけ様子を窺ってみようと決めて、こそっと網の隙間から顔を覗かせてみた。
「いい気になるなよカシカ。上の奴らの関心が離れれば、もう今までのように生意気な態度は取れないぜ。今の内にせいぜい尾を振っておけよ」
 どうやらカシカにしつこく絡んでいるひげ面の海賊は、かなり酔っているようだ。確か、顔だけは見た事があるな。下っ端というわけじゃないが、ヴィー達ほどには立場が上じゃないという微妙な位置の船員だ。自分より強い側近達には逆らえないため、溜まりに溜まった鬱憤を部下いじめという陰湿な手段で解消しようとしているらしい、と笹良はサラリーマン社会における上下関係の実態的意見を心の中で述べた。むー、海賊社会も日本のサラリーマン世界とそう大差はないということか。
 それにしても海賊君よ、そのいかにも悪役的凡庸な台詞はどうかと思うぞ。もっとひねりをきかせてみたらどうなのだ、とつい余計な突っ込みを胸中でいれた。たとえば、俺に従わなきゃ地味にじくじくと毎日耳元でお経を唱えるぞ、とか。毎夜、眠っている時に髪を一本ずつ引っこ抜き「いずれハゲ作戦」を実行するぞ、とか。色々あるじゃないか。
「俺が面倒を見てやるって言っているんだ。それとも他の奴らの慰み者になりたいか」
 ぎゃー、出たぞ、「慰み者」!
 笹良は心の中で絶叫した。やはり先程抱いた予感は的中してしまったか。男同士でそんな気色の悪い! というか、そういえばカシカって美少年だったのだ、女性に飢えている野郎共が血迷うのも頷ける。
 カシカが無理強いされていたぶられる図、というのは美少年なだけになかなか背徳的で絵になるが、そのお相手が不細工なひげもじゃ筋肉単細胞というのがいただけない。絶対に却下だ。そんなの誰も望んでいないし構図的にも許せん、と無駄に妄想を膨らませ、激しく憤った。美少年をこよなく愛する全国の乙女達もご立腹に違いない。
「黙れ、俺に触るなっ」
 カシカが全身で怒気を発しつつ、伸ばされた腕を振り払ってひげもじゃ海賊を睨みつけていた。いいぞ、頑張れカシカ。
「自分の立場ってものが分かっていないんじゃねえか、おい」
 ひげもじゃ海賊は単細胞そうなくせに力だけはあるらしく、華奢な体躯のカシカを乱暴に壁へ押し付けた。いかん、戦うのだカシカ!
「……やめろ、離せ!」
 カシカが一瞬息を呑み、ぞっと鳥肌が立っているような荒い口調で訴えた。懸命にひげもじゃ海賊の腕から逃れようとしているが、いかんせんこの体格差には勝てず退路を断たれてしまう。それに、カシカ自身の動きも見ているこっちがやきもきしてしまうほど鈍い。どうやらガルシアに受けた傷がまだ完全には癒えていないようだった。
「やめっ……!」
 カシカの悲痛な声が途中で遮断された。
 や、や、やばいのだ、緊急事態なのだ!
 この馬鹿ひげ海賊くんったら、誰が通りかかるか分からない通路で、カシカを、その、うう、本当に襲おうとしている!
 ケダモノだ、変態だ、犯罪者だっ。
 笹良は蒼白になり、激しくうろたえた。どうする、どうする。このままだとカシカが。
 ひげもじゃ海賊は息を荒げつつ、カシカの身体を通路に無理矢理押し倒して馬乗りになった。じたばたと暴れるカシカの顔を、ばしんと勢い良く叩く。笹良はその音にびくっと身を縮めた。あんなグローブよりもでかく分厚い手で叩かれたりしたら、気を失ってもおかしくないと思う。
 本気で気絶したくなってきた。両足がふるふると細かく震え出してしまう。助けたいけれど、とめさせたいけれど、笹良の力じゃ――
 弱気になった時、びりっと衣服を裂く音が響いた。
 その瞬間、笹良の正常心もびりっと破れた。たとえるならば、あれだ。お菓子の袋を開ける時、力をいれすぎてしまって中身が飛び散ってしまう感じ。
 ガルシアの理不尽な言動、どうにもならない理解不能な世界、不毛な扱い。今まで味わった恐怖や戸惑い、やりきれなさが一気に膨らんで、ぱちぱちとはぜる。望まない現実を押し付けられたという悲しみが、今のカシカの姿に重なった。
 こんなふうに、誰かの気紛れで傷つけられなきゃいけないなんて、そんなの認められるもんか!
 笹良は網に詰めこまれていた空瓶を取ってぎゅっと握り締め、カシカの腰に乗っているひげもじゃ海賊の背後に立った。
「……成敗だ!」
 かけ声と共に、瓶を振り下ろす。
 いきなりの笹良の乱入に、ぎょっと振り向くひげもじゃ海賊の頭に向かって。
 瓶の砕ける音が鋭く響いた。
 負けるもんか、逃げるもんか!
 小さい空瓶だけじゃ致命傷は与えられないと思っていたので、笹良はムエタイ選手になりきってキックをかまし、どつき、網でぐるぐる巻きにしたあと、がしがしっとその辺に転がっている色々な物をぶん投げた。正直、何がどうなっているか、中盤以降は目を瞑りつつ攻撃していたので分からない。手加減したら反撃されるという恐れがあったので、死に物狂いで戦った。
 だって本当は死ぬほど怖い。
 こんなでかい海賊が逆上して掴みかかってきたら、一発であの世行きに違いない。
 しかし、ここでカシカを救えなければ笹良の未来も決定してしまうような気がしたのだ。そもそも、恐ろしい行為を目論むお馬鹿海賊にまともな反撃ができなかったのは、笹良と揉めた時ガルシアに与えられた傷が癒えていないせいだろうし。
 悪霊退散、変態退散、ひげもじゃ撲滅だ!
「――おい! もういい、十分だ!」
 両手足を限界まで振り回しつつ暴れ続けていたら、突然がしっと腕を掴まれ動作を封じられた。
「あう」
 我に返り、ぜえぜえしつつ振り向くと、カシカがどこか呆然とした感じで真後ろに立っていた。
「お前、やりすぎ……、大体、なぜお前がこんな所に隠れて――おいっ」
「カシカー」
 ぼたぼたぼたっと涙が出てきた。
「な!」
「う、う、怖いよぉ!」
「な、なっ」
 呼吸は荒いし、身体は疲れているし、精神は高ぶっているしで、軽いパニック状態だった。仰天するカシカにぎゅっと抱きつき、この恐怖を半分背負ってもらおうという小狡い企みを抱く。
「ううっ、怖かったよぅ。でも頑張ったし、でも手が震えているし!」
 ぐずぐずと泣いて縋っていると、硬直していたカシカが次第に微妙な空気を発して脱力した。
「何だよお前……、変な奴」
 呆れた口調のカシカを見上げる。
「カシカ、服、破れ……」
 可哀想に、変態海賊に襲われかけてどれほど寒気がしただろう、と笹良は深々同情した。
 ――そうなのだ、同情して、だから、破れたカシカの服を少しでも直してやろうと。
「ん?」
 目が点に。
 いや、目が幻を。
 いやいやいや、目が妄想を。
「あれ?」
「何を……」
 ナニかしら、この感触は?
 ふにゃりと、や、わ、ら、かい。
「む、む?………むむむむむむ!?」
「!」
 笹良は凍った。
 カシカと目が合い、お互いに絶叫する寸前の顔で氷と化した。
「カシカ……!!」
 震える指でカシカの胸と顔を交互にさし、大声を上げかけた瞬間、もの凄い勢いで口を塞がれた。
 だって。
 なぜなら。
 信じられんが――。
 
 カシカって、女じゃん。
 
●●●●●
 
 そうなのだ、破かれた服の隙間から覗く胸。巻いていたらしい布みたいのが微妙にほどけていて。
 この感触は間違いなく、女性の胸だ。
「黙れ! 余計なことを喋れば、殺すっ」
「殺すって、でも、これ、胸!」
「うるさい、喋るな!」
 二人で思いっきり混乱し合い、ばたばたとしまくった。美少年が美少女だったのだ、驚かずにはいられない。
 性別がばれてカシカも動揺しているだろうが、笹良だって大恐慌だ、バブル崩壊だ。
 だってカシカってば以前、女が乗船するのは不吉だという理屈のもとに笹良を排斥しようとしたではないか! 
 矛盾しているぞっ。
 あ!
「カシカ、手、貸す!」
「何?」
「これ、海、沈めるっ」
「は?」
 笹良は、網ぐるぐる巻きの刑に処されて気絶しているひげもじゃ海賊を指差し、「海、沈める」という言葉を繰り返した。
 カシカが抱える事情は全く分からないが、笹良が女であることを理由に乗船を拒絶したことを考えれば、このままひげもじゃ海賊を放置しておくわけにはいかないと思う。
 恐らくカシカは皆に性別を偽っている。笹良に見つかってこれほど慌てているし。
 だとすると、ひげもじゃ海賊に服を破かれた時、その秘密を見られてしまっていたら大変ではないか。
 そういう理由により、ひげもじゃ海賊が気絶している内にとっとと海に沈めて証拠隠滅をはかるべきだ、と提案したのだった。混乱のあまり、海に沈める×呼吸不可能=溺死、という過激な方程式を忘れていたのだが。危ない、殺人者になるところだった。
「……いや、服は破かれたが、気づかれてはいないと思う」
 壮絶な勢いで訴える笹良に気圧されたらしいカシカが、呆然としつつもぽろりと説明してくれた。
 何だ、よかった。
 この海賊君、かなり酔っぱらっていたっぽいし。ついでに笹良の奇襲も夢だと思ってほしいところだ。
 それはともかく、笹良さえ口をつぐんでいれば、カシカの秘密は保たれるのだろう。
「笹良、話す、ない! 安心っ」
 暴露したりしないから安心しなさいよ、と言いたいのだ。
 元気づけるためにぽんぽんっとカシカの肩を叩き、ふと気づいて上着を脱ぐ。笹良の上着はもともとぶかぶかなサイズなので、カシカが着ても小さいということはないだろうと思ったのだ。その恰好でもしまた別の海賊君と遭遇したら、今度こそ大変なことになると思う。海賊は野獣、という図式が頭の中で完璧に成り立っている。
「服、着る」
 貸してあげるから服を着なさいね、と言いたいのである。
 カシカは目を見開き、笹良と差し出した上着を見比べていた。
「む!」
 ほれっ、と上着を手に持たせ、着用を催促する。
 カシカは当惑の色を目に浮かべながらも、おずおずと上着を羽織り、吐息を落とした。
 何となく言葉が見つからなくて、お互いに困った顔を見せ合ってしまう。カシカにしてみれば憎い相手に弱点を握られてしまって非常に気まずいという心境だろうし、笹良の方も予想外の展開にどう反応していいか分からないわけで。
 なぜ男装してまで海賊船に乗り込んでいるのか、理由を尋ねても素直に話してくれるとは思えないしなあ。そもそも自分の身に危険が迫ることを分かった上で海賊の中に紛れ込んでいるくらいなんだから、余程の事情を抱えているに違いない。しかし、海賊船内で長く性別を欺くのはかなり困難じゃないだろうか。胸を隠したとしても、着替えを覗かれたりとか、ちょっとした気の緩みとかで簡単にばれてしまうのではないかな。そう疑問に思いつつも、最初にカシカを見た時、奇麗な顔をしていると驚いたのは確かだが、女性の気配というのはなぜか全然感じなかった。口調や態度のせいだけじゃなくて、何というかうまく説明できないのだけれど――
 とまで考えを巡らせ、はたと別のことに気づいた。
 笹良さえいなければ、秘密が露呈するかもしれないという不安を払拭できるのだ。
 いくら真心込めて誰にも喋らないと誓っても、信頼関係など築けていない状態では素直に信じられるはずがない。むしろ不審人物と警戒されているのだ。
 極論を言えば、ここで始末した方がカシカにとっては何より好都合だ。
 誰も事実を知らないのだから適当に言い訳できるし、一番いいのは接触などなかったと振る舞うことだろう。
 問題は、カシカを襲おうとしたひげもじゃ海賊君の存在だが、こやつだって自分が人には言えない下劣な行為に及んだことなど誰にも知られたくないはずだ。海賊王の怒りを買うくらいならば余計な真似をせず知らん振りをした方が得だと気づくくらいの頭は持っていると思う。
 ……つまり、笹良は今、すこぶる切羽詰まった状況に置かれているということだ。
 やべえ、と内心で焦り、顔を引きつらせた。
 全力で逃げ出すか、とこっそり策略を練った時。
「――冥華」
 ぎゃっ、と笹良は飛び上がった。
 カシカも、はっと顔を強ばらせ、笹良の背後に現れた奴を見上げた。
 聞き覚えがありまくる、居丈高なお声。
 このまま無視していれば何もなかったことになるだろうか、などと束の間現実逃避してしまった。
「何事だ」
 あはははは、と冷や汗を流しつつ、笹良は愛想笑いを浮かべて振り向いた。
「ヴィー……」
 背後には、気難しげに眉をひそめたヴィーが立っていた。
 あぁ、絶体絶命、どうしよう。

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