she&sea 31
「う?」
緩いウェーブヘアの奴隷くんに容器を取り上げられた上、ひどく真剣な目でじぃぃぃぃっと見つめられてしまい、笹良は狼狽えた。何だ、まさかバトルを望んでいるのかっ?
意識をさり気なく戦闘モードに切り替えた時、今度は娼船で反抗的な態度を見せた白髪の奴隷くんが立ち上がり、ひょいっとウェーブヘアくんから容器を奪って、許可を得るようにゾイへ深く頭を下げた後、すたすたと部屋を出て行ってしまう。扉を出る瞬間、一度だけちらっとこっちを振り向いたが、その目が何だか呆れているような、面白がっているような色を宿しているみたいに思えた。
仕事を横取りしたのかっ? と密かにご立腹したが、呆気に取られた様子で白髪くんを見送っていたウェーブヘアくんがこっちを再び見下ろし、そっと自分の腕で笹良の汚れた手を拭った。
「むう?」
ヴィーだけじゃなくて、ここの人達にも容器を運べないくらい軟弱だと思われているのだろうか。ちょっと切ない。
「手伝う。できる、ある。邪魔?」
もしや邪魔くさい奴とうんざりされているのかもしれないと気づき、ここは一つ同情心に訴えかけようと姑息な決意で訊ねてみた。
けれどウェーブヘアくんは何も言わず、ただ小さく首を振ったあと、丁寧な仕草で笹良の背を押し、ヴィーの方へ行かせようとした。嫌、嫌、と足を踏ん張り抵抗したが、なぜだかとても必死な目で「行きなさい」と切願されている気がした。
「馬鹿ちび!」
いきなりヴィーに怒鳴られて、ぎゃっと飛び上がってしまった。
ちびとは無礼な!
むきぃっと唸って怒りを主張すると、ものすげえきつい目で睨まれてしまう。怖え! 負けた。
本気で怒っているらしいヴィーにどつかれたくないと焦り、慌てて逃亡しようとしたが、ほんの一歩踏み出しただけであっさり捕まってしまった。いつもより乱暴な手つきだ。やべえ、マジ激怒している。
「お前は阿呆か? 挑発に容易く踊らされて出来もせぬ事をするな!」
語気荒く説教しながらヴィーが上着を脱ぎ、怯えて縮こまる笹良に着させようとした。
「どこまで単純なんだ。少しは考えて行動しろ」
などとヴィーは更に罵倒しつつ、でかい服に戸惑う笹良の手を荒い動作で拭う。ヴィーの服までも汚れてしまうけれど、いいのか?
「ちょ……、挑発、違う」
うぅ、挑発っていう言葉の発音、難しいな!
「いちいち反発するなと言っているのだ!」
「違う。ヴィー、言葉、言う、届く、胸、考える」
ヴィーが口にした言葉、ちゃんと胸に届いて、色々と考えたのだと言いたい。
「来る、ココ」
またここに来てもいい? って聞きたいのだ。
天使の微笑を装ってみたが通用しなかったらしく、ヴィーは更に目を怒らせて盛大に舌打ちした。レゲエ大魔神だ、恐ろしい。
「どいつもこいつも! 余計な真似ばかり」
ヴィーはひどく苛立たし気な眼差しを一度ゾイに向けたあと、何と、か弱い美少女である笹良に、中指と薬指、二本も使ってでこぴん攻撃をかました。
「痛いっ」
加減なしででこぴんしたな! 普通、でこぴんというのは指一本でやるのだぞ。
許せん、と反撃の体勢を取った瞬間、腕を強く掴まれてしまった。
「痛!」
「よく見ろ冥華、お前、くだらぬ態度を取り続ければどうなるか。奴隷の身に落ちたいか? 胸に刻んでおけ、こいつらの姿を。哀れみを抱く内が花、放り捨てられた時には己の身も哀れむか? 上辺のみの憐憫などに何の価値があるという。お前はただ気紛れに、こいつらをかき回すことしかできぬだろうさ。好奇心が災いと変わらぬよう、静かにしていろと言っているのだ」
やはり、笹良があんまり生意気な態度を取り続けるから、反省を促すためにここへ連れてきたのだろうか?
いつかお前もこうなる可能性があるぞと脅すために。
「哀れみを受ける立場となった時、己の愚かさが分かるだろうよ。人など所詮、餌のためにどうとでも変貌するのさ。慈しみなどで堕ちた心は救えぬ、欲のみが力だ。他人などに救えるものか。お前の甘さにはうんざりだ。今の立場を理解し、せいぜい王の寵を受けておけ」
「ヴィー」
こんなに腹を立てて饒舌になるヴィーは珍しい。笹良の言動の何かが、ヴィーの精神を荒らしたのかもしれないと思って、戸惑いと不安を覚えた。
「こいつらはな、今日の食い物のためなら、何の躊躇いもなくお前を殺すぞ。お前だとて、同じ境遇に立てばそうなる。底の浅い甘さも、ようやく他者を葬る毒へと変わるだろうよ。それが唯一の真実だ。罪悪よりも飢えと痛み、人を動かすのは獣の心のみ」
厳しい台詞に気圧されそうになるけれど、踏み止まる勇気を持たなきゃいけない。
「でもヴィー、笹良は知っているよ。優しい気持ちは、いつか誰かを支える杖になるって」
「お前の言葉など分かるか!」
そうだった、日本語では伝わらないのだ。頭を悩ませ、ゆっくりと異世界語を舌に乗せる。
「心、優しい、杖、光」
片言では分かりにくい、そう思って、自分の胸を一度、とんと叩き、両腕を広げる。
「そんなものが食えるとでも?」
「身体、食べる、ない。心、食べる」
優しさは身体で味わうのではない。心が食べるものだ。栄養にはならなくても、心を動かす食べ物になる。それは、すぐに力と変わりはしないかもしれない。けれども不意に蘇り、心と身体に希望を注ぐ。カイロのようにあたたかく、使用期限はない。
笹良は学んだのだ。教えてくれたのは、ヴィー達ではないか。寂しくて辛くて泣いた時、側にいてくれ、薬をくれた。優しいって思った。すきま風が吹く心を、毛布で包んでくれた。歩けない、何も知りたくないって嘆く心の杖となったから。
「愚かしい。この世は善悪を叩き潰せる者が蠢き、財の海で泳ぐが理。嘆く者には鞭を与え、慈悲を乞う者から命を搾取する。俺は阿呆のように潰されるなどご免だ。愉楽を望むのなら、それを手中にしている者を引きずり落とせばいいだけのこと」
ヴィーが腕を伸ばし、笹良の襟を乱暴に掴んで引き寄せる。
本当にそう信じているなら、自分にも笹良にも言い聞かせる必要なんてないことだ。
海賊として生きていくしか道がなかったのかもしれない過去がほんの少し、言葉の裏に覗いている。望む望まないに関わらず、選択肢が他に存在しない環境にヴィーの運命は投げ込まれてしまったのだろうか。
きっと涙までも啜らねば生き残れなかったほどの惨い過去を持っているんだろう。
日本という平和な世界で、家族に守られて生きてきた笹良には想像できないような、過酷な日々を背に負っているんだと思う。代わりに背負うことなどできない過去だ。そう思うのは恐ろしいほど傲慢で無知。ただ一時慰めるだけの手なんて、何の救いにもならないとヴィーは見下している。いや、侮蔑よりも色濃い憎悪が、心の中に根をはっているのだ。
でも、未来はどうなんだろう。
「糞の塊に希望があるとでもいうか。這い上がれぬなら手足など無用、正義を求める目など抉ってしまえ。鼻は宝を嗅ぐためだけにあるのさ、口は女と餓鬼の血肉を貪るために」
怒りに濁るヴィーの瞳を変えたくて、笹良は深呼吸する。だってヴィーの目は、ちょっと冷たそうだがとても澄んだ奇麗な空色なのだ。
空を見つめる強さがあるから、空の色に染まっている。
空には何がある?
太陽。
光の海。
空って、太陽が泳ぐ海!
「食らい尽くせ、この世界。俺はくだらぬ憐れみなどいらぬ。他者の痛みに歓喜を知る者、外道の覇者に」
「――希望!」
笹良は叫んだ。
驚いて言葉を途切れさせたヴィーを見つめながら、自分の両手に向かってもう一回そっと「希望」という言葉を落とす。
目に見えない言葉を指で摘み、む! とヴィーの口に放り込んでみた。
「希望、あげる」
「――」
笹良は次に「優しい」という言葉を手に落とした。またまたその言葉を摘み、呆然とするヴィーの口に入れる。ついでに「健康」と「交通安全」も入れてやろうかな。いや、「素直」とか「笹良への敬いの心」とか。
襟を掴んでいたヴィーの手から力が抜けたのを見計らい、笹良はたかたかと移動して、室内にいる奴隷くん達を見回した。なぜか皆、作業をやめてこっちに視線を向けていた。
よし、皆にも言葉のお歳暮だ。出血大サービスだぞ。
目に映らぬ透明な言葉は、心に落ちたあと、華やかに色づく。
美味しいね、きっと。
言葉は別の言葉と組み合わさって、三ツ星レストランも大絶賛な料理になるよ。ぴりりと辛く、ふわりと甘く、そんな調味料が決め手だね。
そうだ、この部屋は暗いから、「光」をあげよう。
「光」
笹良はまず言葉を自分の手に落として、さっきみたいに指で摘む動作をして、一番近くにいた緩いウェーブヘアくんの腕をぱしぱしと叩いて屈ませ、口の中に放り込んでみた。
「言葉、食べる」
ウェーブヘアくんはどこかぽかんとした顔で、それでもこくんと言葉を飲んだ。いや、ただ単純に、息を呑んだみたいに見えたが、まあ、許してやろう。
「元気」
「笑顔」
「楽しい」
「奇跡」
「勇気」
「強さ」
皆の口に次々と言葉を放り込む。くそー、異世界語、もっと真剣に勉強すべきだったな!
あとどんな言葉がいいかなあと悩んだ時、ふと研磨を終えた比石が目に映った。穢れが取り除かれたダイヤモンドカット状の比石は、オパールみたいに優しく、また激しい色を宿していた。
一つを手に取って、眺めてみる。角度によって神秘的に色が変化した。光を浴びた海を抱いているようだ。きらきら、奇麗。確か遊色っていうんだったかな。たくさんの色が石の中で揺れ、踊り、遊んでいる。
「奇麗」
毒をまとっていたとは思えない輝きだった。この石が、船を動かしているのか。
比石をぎゅうっと両手で握り締めながら、奴隷くん達を見回し、最後にウェーブヘアくんへ顔を向けた。悔しいがウェーブヘアくんも背が高いな! 笹良より低い奴はいないのか?
「毒、怖い、苦しい。石、凄い。船、動く」
あーホントに片言って不自由だ。
「石、けぐ……んむ、けず…、削る、皆、偉い。辛い、出来る、偉い」
何だこの単語の羅列は! と自分でも思うが、きちんと喋ることができないのだ。
石を削ると毒をもらうことになるけれど、それでもこうして仕事を続けている。たとえ強要された労働であっても、彼らが磨いた比石が船を動かしていることには変わりない。物を動かすって、すごい働きを必要とするんだ。
「辛い心、石、移る。奇麗」
比石がこんなに奇麗なのは、きっと皆の涙や痛みや、辛い気持ちが宿っているからかもしれないと思う。
「石、ある。あなた、船、守る。皆、生きる」
船を動かし、守っているのは彼らだ。比石を削る彼らの存在なくして、笹良達は生きられない。
ここに来てよかった。怖いけれど、知ってよかったのだ。
「ありがとう。嬉しい」
ウェーブヘアくんにえらく凝視されたので、密かに怯えたが、目を逸らさずに見つめ返した。
「あなた、皆、守……しゅ、んむむむ」
むぅ、皆は船の守護者だねと言いたいのだが、異世界語に変換できない。
呆れられたかな? と内心どきまぎしつつ、ウェーブヘアくんの腕にしがみついてみた。何でもいいから一言返してほしいのだ。馬鹿でも、うるさいでも、いい気なもんだという批判の言葉でもかまわない。……いや、馬鹿はちょっと嫌だが。
喋るのは不自由だが、聞く方はばっちりなのだ。
「――あなたの、名前は」
む?
予想に反して、名前を聞かれてしまった。
冥華と答えるのは何だかご立腹だ。よし。
瞬きもせずに笹良を見下ろしているウェーブヘアくんに、笑いかけてみた。余計なお世話だが、瞬きしないと目が乾くぞ。
「名前、笹――」
と喜んで答えようとした時、不意打ちのように、ぐいっと後ろへ引っ張られた。何だ、背後からの攻撃は卑怯だぞっと驚きつつ振り向くと、ヴィーが人の襟首を掴んでじっと睨んでいた。ぎゃっ。
まだヴィー、怒っているようだ。
立ち尽くしているゾイへヘルプの視線を送ってみたが、僅かに困惑しているような顔を見せるだけで、助けてくれる気はないらしい。ゾイ、クールすぎるのだ。
片手に持っている比石をヴィーにぶん投げて、その間に逃走しようか迷ったが、あとが恐ろしそうなのでやめておこう。
「ヴィー」
きらきらっと比石と並ぶほど瞳を純粋に輝かせて、愛想笑いを浮かべてみたが、無言で見下ろされてしまう。無表情で怒らないでほしい。
「ヴィー、怒る、胸、痛い」
たくさん怒ると胸が痛くなるものだと思い、手を伸ばしてヴィーの心臓あたりをすりすりと撫でてみた。
掌に、とくとくと命の鼓動が伝わる。どうしてか、鼓動を感じると、嬉しく切ない気持ちになるのだ。
ヴィーもそういう風に思うこと、あるのかな。
しかし、乙女の胸を触らせるわけにはいかないぞ、と間違った考えを抱きつつ、ヴィーの胸にこてっと寄りかかってみる。
「胸、痛い?」
訊ねておいて何だが、そういえば笹良自身、どうも胸が苦しい感じだ。また寝込みたくはないな、気づかなかったことにしよう。
「ヴィー?」
そんなに怒らなくてもいいじゃないかと不貞腐れかけた時、ヴィーの顔が歪んだ。
「――お前の甘さ、殺したくなる」
殺意を抱かれている!
仰け反って、全速力で逃走しようとした瞬間に、思い切り身体を掴まれた。というより、きつく抱きしめられた。まさか絞め殺すという何とも苦痛溢れるおっかない作戦か?
「それはお断りするのだ!」
撲殺も銃殺も絞殺も嫌だ。全身に鳥肌を立てつつ、ヴィーの腕から逃れようと必死に暴れてみたが、こいつ、びくともしねえ!
殺すなんて殺生な。今すぐ態度を改めるので思い直してほしい。
「あう」
命の危機に震える笹良の身を、ヴィーは抱き上げた。もしかして、砲丸投げのごとく笹良の身を壁に投げつける気なのか、それもものすごく痛そうで嫌だ。
「……暴れるな、馬鹿姫」
「むっ」
悪口に反応し、ついついヴィーの髪を引っ張るという暴挙に出てしまい、やばいと血の気が引いた。更に殺意を煽ってどうするのだ。
今のは軽い冗談、単なるスキンシップ、と誤摩化そうとして、恐る恐るヴィーの顔を覗き込んでみた。
「何て顔をしているんだ。益々、不細工だ」
不細工、というところに力を入れられ、笹良も確かな殺意を抱いた。
やはりこの比石をぶつけてやろうかな。
でも、ヴィーの目が元通りになっている。
虚脱するほど安堵して、くてりとヴィーの頭にもたれかかった。うぅ、正直、恐ろしかった。
……む?
何だか、少し、いつもと違うような。
身体を支えてくれるヴィーの腕が、あたたかい。いや、いつもより体温が高いという意味ではなく、感覚的な、とても曖昧な部分が、違う気がするのだ。
当惑して、こそりと様子を窺おうと企んだのに、身体を支える腕の強さが普段と違う――んむ?
あんまり強く抱えられると、動けない。
ヴィーの髪をつんつんと弱めに引っぱり合図をしたが、全くの無反応だ。
名前を呼んだり、待ってほしいと頼んでみたが、結局ヴィーは全ての訴えを完全無視して、困惑する笹良を抱き上げたまま部屋を出た。
ウェーブヘアくんに名前を伝えられなかったし、皆にお別れの挨拶もできなかった。部屋を出る直前に、ただ手を振るのが精一杯だったのだ。
比石も一つ、無断で持ってきちゃったしさ。
仕事、手伝わなくてよかったのかな?
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