she&sea 34

 海賊って本当に気配を消すのが得意らしい。
 それにしても、ヴィーやゾイまでガルシアの気配に気がつかなかったというのは意外だった。
 などと呑気な感想を抱いている場合じゃない。いじめ戦法ばかりは考えつくけれど、まだ肝心の妙案がちっとも浮かんでいないのだ。
「ガルシア、来る、駄目」
 ヴィーの膝から慌てて飛び降りたあと、きちんと計画を立てるまで接近禁止! という思いを込めてガルシアをぎゅうぎゅうと押し、閉め出そうとしたが、こいつ、一歩も動かねえ!
「さぁて。どのような謀が進行中なのかな」
 うっ、王様ってば本当に慧眼でいらっしゃること。
「お前は確か、気分が悪いといって飛び出ていったと思ったのだがな、俺の記憶違いか?」
 笑顔で心臓に悪い嫌味をちくちくと言わないでほしい。くそー、もう体当たりで懇願するしかない。
「ガルシア」
「何だ?」
 腰帯を両手で掴みつつ、きりりと勇ましくガルシアを見上げた。
「ガルシア、悪!」
「へえ」
 叱責口調で言ったのだから、少しは動じてほしいのに、海の妖怪のごとく怪奇的な海賊達の頂点に君臨する王様はすこぶる鉄面皮であるらしい。
「約束、破る、悪」
「何の約束だ」
 とりあえず、よくもカシカを許すという約束を破ったな、というところからじわりと攻撃してみる。
「カシカ、許す、約束」
「カシカ? なぜ今頃カシカの話を蒸し返す」
 今頃じゃないだろう。こっちには解決したと見せかけておいて、実際は水面下で悪の裁断を下していたではないか。
「ガルシア、許す、約束、した。なぜ、カシカ、奴隷、部屋、石」
 精一杯怒っているんだぞという厳しい表情を作って、一筋縄ではいかないガルシアの出方を緊張しつつ窺う。
「ふうん」
 王様の目が笹良を見下ろしたあと、すぐにゾイ達へと移った。
「その話を誰かがお前に吹き込んだらしいね」
 話を曲げられた上、何だか精神的にこっちの立場がとても不利になった気がするような。
 ヴィーは全く関係ありませんという素っ気ない顔をし、ゾイはいつものごとく何を考えているのか分からない表情で静かにガルシアの視線を受け止めた。なんて頼りにならない二人なのだ。援護してくれる気はないのか?
「が、ガルシアっ、約束、破る、駄目」
「破ってはいないな。お前の言う通り、カシカを許しただろうに」
「嘘!」
「嘘なものかね。お前はカシカが殴打されるのが我慢ならなかったのだろうが。ゆえに、俺は手をとめた――あの場ではな」
 な、な、なんて屁理屈くんなのだ!
「今度は俺の問いに答えてもらおうか? お前は不調を訴えたのではなかったか」
 すぱっと切り返されてしまい、すげえ崖っぷちに立たされている気分になる。
「俺の目を盗んで逢い引きとは何とも心憎い。お前は誰のものなのだったか」
 笹良は笹良のものだって!
 と、相手の話術に惑わされてどうする。急いで反撃せねば。
「カシカ、許す」
 まずはカシカの安全を守るという点を優先しよう。奴隷くん達が置かれている非人情極まりない過酷な境遇面の改善についてはそのあとだ。
 だってカシカは女の子じゃないか。贔屓かもしれないけれど、女の子がたった一人、奴隷部屋に入れられるのはあんまり厳しい。
「ガルシア」
「駄目だ」
 次の言葉を紡ぐ前にあっさりと却下され、一瞬きょとんとしてしまった。
「な――なぜ!」
「なぜも何もない。よいか、ササラ。あの程度の懲罰ですむと皆に思われてみろ。身が危険にさらされるのはお前だぞ。皆、思うだろうなあ――多少の暴行をお前に加えたとて、深刻な問題にはならぬと。軽い罰則で解放されるとなれば、お前も一応は娘、その面妖さに皆が見慣れた時、果たして何が起こるだろうな?」
 ガルシア、それって間違いなく脅迫だよね?
 なんて口達者なんだろう。探られたくないところをピンポイントですかさず攻撃してくる。こちらを見下ろす瞳は気を許してしまいそうになるほど、甘い。けれども本当は、ひどく冷酷だ。
 ガルシアの言葉って要するに、自分の身が可愛いと思うなら余計な手出しをするなって意味なのだ。
 罪悪感や良心に訴える優しい台詞じゃなく、隠された醜い感情を暴く残忍な言葉。
「……ガルシア、許す!」
 でも簡単には引き下がれない。自分でもなぜこんなに一生懸命になってしまうのか、その理由が霞んでしまい、もう分からなくなりかけていたけれど、自分の行動によってカシカの今後が大きく変化するかもしれないというのだけは忘れちゃいけない。
「駄目だ」
 一刀両断の拒否。鳥肌が立った。
 どうする、どうすればいいのだ。
「……王。先程、痴れ者に冥華が襲われかけたのを、カシカが救ったそうですよ」
 ヴィーが絶好のタイミングで会話に参加してくれた。
 実はこの時も、先程ゾイの話を聞いた時と同じ朧げな、矛盾のようなものを感じたが、今はそれを突き詰めるよりガルシアの決断を覆すことの方が重要だった。
 ナイスだ、ヴィー。
 しかも、通路で笹良が咄嗟に放った嘘を受け入れて通してくれようとしている。そうか、カシカが笹良を助けたということにすれば、恩赦みたいな感じで今回の奴隷部屋行きは帳消しになるじゃないか。たとえ屁理屈だとしても、皆に納得できる理由があればいいんだから。
 これで晴れて解決と胸を撫で下ろしたが、いつの世でも厄介事は、右の穴を押さえれば今度は左に穴が出来るという迷惑な法則を持つらしい。別の問題に気づいてしまったのだ。
 カシカがこれで安全になったとして、悪者のひげもじゃ海賊くんはどういった処置を受けるのだろう。
 ま、まずいじゃん!
「成る程」
 ガルシアが頷いた。
「カシカを救いたいか」
 うん、それは勿論だけれど。ひげもじゃ海賊くんの身が。
「では、許そう」
 えっ?
 ガルシアが微笑んだ。
 なぜか戦慄が走る。
 笹良の懸念は、悲しくも現実となるらしい。
「ヴィー、ならば、その痴れ者を罰さねばなあ」
「あ……」
「首を切り落とせ。そして俺の冥華に手を出せばどうなるのか、皆に示すがいいよ」
 ガルシア。
「一昼夜、その首を帆柱に飾れ」
「――待ってよ!」
 違う、そんな残酷な処置、少しも望んでいない!
「ササラ、お前がカシカを救いたいと請うたのだ。叶えたくば、何かを犠牲にせねばな」
 くらりとした。
「どうする? 俺は寛大なのさ。今の話を聞かなかったことにしてやってもいい。だが、その場合カシカは許さぬ。カシカを救うなら――痴れ者の命は諦めろ」
「なぜ……海賊、仲間!」
 仲間じゃないの?
 多少馬鹿な振る舞いに及んだって、同じ船で寝起きし生活する大事な仲間ではないのか。
 なぜそれほど簡単に、殺そうとするの。
「代わりなど腐るほど調達できる。面倒事を起こす愚者など無用なのだ」
 ガルシアは鮮やかな瞳をヴィー達へ巡らせ、最後に硬直している笹良を貫く。
「俺の庇護下で航海をと志願する者は多い。前に言っただろう、俺は強靭なのだと。周囲をうろつけばうまい汁が啜れると浅はかにも勘違いし、亡者のごとく群がってくるのさ。多少の危険など百も承知と抜かしてな。御苦労なことに仲間を裏切ってこの船に乗り換える愚劣な者も存在する。俺がいかなる者であるのか、知りもせずに――」
 明らかな嘲笑に含まれる、残虐な意思。
「ガルシア……」
 もしかして。
 もしかして、ガルシアは。
「今、楽しい?」
 この状況を楽しがっているのではないか。
 二者択一を迫り、笹良の反応を面白がっているの?
 それだけのために、他人の命を左右するつもりなのか。
 違うと言って。
「あぁササラ」
 にこりとガルシアが笑った。見とれてしまいそうになるほど奇麗な微笑だった。
「よく分かったな?」
 何、この人――
「……楽しいの?」
「愉快さ」
 不愉快だと言って欲しいのに。
「退屈、忘れる?」
「そう、多少は倦怠感も薄れるな」
 冴えているじゃないかササラ、とひどく楽しげにガルシアは肯定した。
 激しい目眩に、笹良は一度瞼を強く閉ざした。海賊達を統率するための戒律や王としての矜持、笹良の身の安全、海賊達への建前――それら全ての理由など本音ではどうでもいいのだと思わざるをえない答え。
 ただ、ただ退屈を少し紛らす、そのために!
「何しろ船上では娯楽が乏しいからな?」
 楽しませてくれないか、と追い打ちをかけるガルシアの声が遠くなった。
 全身が引き攣れるかのように痛み始める。頭も胸も腹部も手足も、じんじんと痛い。心まで痛いと嘆く。
「さて、お前はどちらのために命乞いをするだろう。痴れ者か、それともカシカにするか」
 また笹良に選択を迫るの、あなたは。
 確実にどちらかの命が失われる選択だ。引き金に手をかけるのはガルシアであっても、銃口の位置を決めるのは笹良なのだと。
 ――そんなの、選べるわけないじゃないか!
「冥華、なぜ迷うんだ」
 背後からかけられた投げ遣りな声に、身がすくんだ。ぎくしゃくと振り向くと、ヴィーが理解に苦しむといった表情でこちらを見ていた。
「カシカを救いたいのだろうが」
 当たり前の口調で告げるヴィーの存在までもが恐ろしくなる。
「皆の気を引き締めるには丁度いい。特に今は女が乗っているんだ、浮かれて羽目を外す者がまた出ぬとも限らん。くだらぬ諍いを起こす痴れ者は罰されるのだと、皆に知らしめるいい機会となるさ。迷う必要がどこにある」
 仲間の首を切断してマストに飾るという残忍な行為を、いい機会だというの。
 なぜなの。
 なぜ迷うのか、この人達は本当に分からないのか。
 グランの処罰が行われた夜に、海賊達から言われたからかいの言葉を唐突に思い出す。
 正義を重んじるため。
 娘特有の潔癖さ。
 暴力が許せないため。
 そういった理由で海賊達の行為を糾弾するのかと。
 違う、違う! もっと根本的なことではないのか!
 死刑という究極の罰をただ無闇に排斥しているんじゃないのだ、死を軽く扱う、その心が!
 ――ではなぜ、死を重んじなくてはならないのか。
 不意に飛び込んできた自分の声に、愕然とした。
 分からない。死を重んじる理由が、心の中で砕け散る。拾い切れない、嘘のような正義の主張。本当に正義なのか。
 あぁ、誰か。
 理由を教えて。
「……」
「ササラ?」
 ふらりとガルシアの横をすり抜けた。
 捕まったらもう引き返せない。そんな思いがふとよぎり、寒気がした。血が巡るように身体の中を浸食し始める淡い恐怖に突き動かされ、笹良は全力で走り出した。
 振り向けない。
 振り向いたら、囚われる。
 走れ。
 走らなきゃ。
 通路を埋める様々な物に足を取られ、何度も転倒しかけたが、立ち止まらずに走った。
「――カシカっ!」
 今、カシカに会わなければならないと強く感じる。
 なぜ救いたいと思ったのか、その理由がばらばらになってしまったから。もう一度生み出す為に、カシカに会いたい。
「カシカー!」
 お願い、返事をして。どこにいるの。
「カシカぁ!」
 大声で何度も名前を呼んだ。通路の角から下っ端海賊君が顔を覗かせ、驚いた目でこっちを凝視している。
 早く、早く返事をしてよ。
 捕まる前に、返事を。
「カシカ!」
 自分の叫び声で頭ががんがんした時だ。
「――冥華……?」
 ぞろぞろと集まってきた海賊達の身体の隙間から、唖然とした表情を浮かべるカシカが現れた。
「カシカ」
 驚愕しているカシカの腕に、笹良は飛び込んだ。

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