she&sea 35
「冥華？ 何を一体騒いで――」
「カシカっ」
有無を言わさずカシカの身体にはりつき、ぎゅっと目を瞑る。胸の中でたくさんの言葉と感情が爆竹みたいに弾けて滅茶苦茶に暴れ、呼吸をするのも苦しい。
「あれぇ、冥華ぁ？ 何してんの」
やけに呑気な声が聞こえ、笹良ははっと顔を上げて視線を周囲に走らせた。
笹良の叫び声に引き寄せられた野次馬海賊達の間から、銀髪美女を連れたジェルドが現れ、驚いた顔でこっちを見ていた。
「へえ、冥華とカシカっていつの間に和解したの」
ジェルドが興味深そうに目を細め、薄く笑った。
何だか海賊達が皆、いつもより怖い。ガルシアやヴィーが発した言葉が原因となったのか、心が歪み出し、彼らの表情を得体の知れぬ不気味なものに見せてしまっているのだ。
「んー、むー！」
笹良はすぐにジェルドから顔を逸らし、困惑しているカシカの手をぐいぐいと引っ張った。安全な場所に行きたい。でも海賊船の中で、本当に安全な場所なんて存在しない。ここは海の色を宿したガルシアが支配する凶暴な王国なんだ。
比較的落ち着ける場所は、サイシャが存在する船室だった。あそこにはまだグランもいるだろうし、そもそも当初の笹良はサイシャの所へ行こうとしていたのだった。
「待てよ、一体どこへ……」
カシカが不審げな表情をしつつも大人しく笹良に引っ張られて歩き出す。
「冥華、何か様子が変だね？」
ジェルドが進路を塞ぐようにして少し身を乗り出してきたけれど、視線を合わせぬまま無言で横をすり抜けた。
走って、とカシカの手を強く握り、合図する。笹良が駆け足になると、何かを感じ取ったのかカシカもちゃんと遅れずについてきてくれた。
●●●●●
サイシャの医務室に到着したのはいいが、そこには病人が寝ているため、話をするには不向きだと気づいた。
笹良とカシカが仲良く姿を現した時、サイシャは粉薬みたいのを秤に乗せたり小さな鍋で何かを煮込んでいたりしていたので、邪魔しちゃいけないかなあとぼんやり眺めていたら、気を使ってくれたのか一旦作業の手を止め、身体をぼりぼり掻きつつも、少し諦めた感じで病室の奥にある狭い隠し部屋に案内してくれた。
折角のご招待に無礼があってはいけないと思うが、実に汚く、狭く、雑然としている。畳でいえば四畳くらいだろうか。三方の壁には作り付けの棚があってそこにはびっしりとわけの分からない小道具が詰め込まれており、ちょっとした振動を与えただけでばらばらと爆弾のごとく落下してきそうだった。ここでは絶対ダンスの練習をしちゃいけないだろう。面積的にも無理があるし。
さりげなく目にとまった小瓶には、手足が十本ある珍しい生き物が酒漬けにされていて、気色の悪さに寒気が走った。トカゲっぽいというより、見ようによっては蜘蛛っぽい生き物だったのだ。いや、蜘蛛とトカゲが七対三という割合で絶妙にブレンドされた不可思議生物だ。
気のせいだと思いたいが、人間の眼球みたいなものまで瓶に保管されているような。見ない振り、見ない振り。
どれもセピア色を深く重ねているかのように古めかしくて時代がかかっているせいか、何となく骨董屋に迷い込んだ時と同じノスタルジーの匂いを感じた。ごちゃごちゃとしているのに、妙に落ち着く。ちょっと薄暗いせいもあるのかな。
動ける場所は部屋の中央の空間だけだ。辛うじて座れるというくらいの狭さ。笹良は三方の棚に陳列された道具を眺めつつ、もそもそと体育座りをした。カシカも困惑した表情で笹良の前に片膝を抱えて座り込んだ。爪先がくっつくくらいの近い距離だ。
「今度は何をしたんだ？」
笹良って、もしかしてカシカにも波乱を招く台風の目のように思われているのか？
「カシカ」
名前を呼び、そのあと何を話せばいいのか分からなくなって、戸惑った。笹良自身が分からないのだから、カシカにだってどうすることもできないだろう。お互いに困惑した表情で黙り込んでしまった。
そもそもカシカは笹良の存在が疎ましく不必要だと思っているんだった。しかし、通路で笹良がひげもじゃ海賊を撃退したため、そう邪険な態度を取れずややこしい感情を持て余しているのだろう。
あ、ひげもじゃ海賊。
そうだった。奴隷部屋について色々と問題が山積みなのだった。
カシカは知っているのだろうか、自分が明日、あの過酷な部屋に回され比石の研磨という苦役を与えられることを。
うずうずするほど聞きたいって思うのに、どうしても口に出せない。なぜそんなことを聞くのかって逆に質問された場合、ガルシアとのやりとりを説明しなくてはならなくなるだろう。
どちらを優先するのか。
カシカを？ ひげもじゃ海賊の命を？
カシカが奴隷部屋に連れていかれた場合、その場ですぐ命の危険があるというわけではないと思う。比石の毒は少しずつ身体を冒すとゾイが言っていたし、きっとそれは嘘じゃないはずだ。一方ひげもじゃ海賊の場合は、はっきりと生命の危機に直面している。斬首。しかもその首を見せしめのために、マストに一昼夜飾るという。
ならばまず、ひげもじゃ海賊の命を優先するべきなのか？
でも、カシカは女の子だ。
顔立ちが奇麗だからとか、皆よりも華奢だからって理由が問題ではなく、身体の構造の違いが別の様々な懸念をもたらす。女性にまかせるべきではないこと、逆に、男性にまかせるべきではないことって、やっぱりあるんじゃないだろうか。単純なたとえだが、力仕事は男性の方が向いているだろうし。
男女の差が、こんなにも重くのしかかってくるなんて思いもしなかった。昔はともかく日本は男女平等って謳っているし、仕事や勉強内容も同様に、ってことが前提にある。笹良は学生の身分なので社会のことは詳しく分からないけれど、男女雇用機会均等法なんかが施行されていて、表面的には差別禁止ってなっているんだと思う。学校で日本国憲法とか政治の授業を受けていた時、教科の先生もそんな話をしていたし。
世界そのものが異なるため、日本と海賊達の仕事内容を比較してもあまり意味はないかもしれないけれど、笹良の考えは生まれ育った環境が背景にあるせいか、どうしても判断の基準がここの人達とずれてしまうのだ。
あぁ授業中、居眠りしたり友達にメール打ったりしないで、ちゃんと真剣に勉強すればよかった。そうしたら笹良も少しは皆の役に立てたかもしれないのに。単純にテストの点数を稼ぐための一夜漬けしかしていないものな。
いや、嘆いていても始まらない。今ここにいるのは、学校の先生みたいに頭のいい人じゃなく、中途半端な知識しか持っていない自分なのだ。足りないところは、気力と運で補うしかないだろう。
「俺に何か話が？」
面倒に感じているのか、それともまだ身体の具合が思わしくないのか、カシカは気怠そうな様子で言った。
「カシカ、身体、悪い？」
まだカシカの体調が悪ければ、問題をとりあえずは先延ばしできるかもしれないというなかなか卑怯な作戦に期待をかけてみた。
「別に」
つれないお返事ですこと！
くそっ、こうなったら今ここでカシカを徹底的にボコりしばらく動けなくさせるか、と物騒な計画を内心で企てる。
「お前って、何なんだ？」
「む？」
その質問、何回受けただろう。
今日だけで三回は聞いていないか。ヴィーにもゾイにも言われたぞ。
「お前のように異様な娘、見たことがない……不可解だ」
異様とはどういう意味なのだ。笹良の評価、例外なくひどすぎないか？
どうして誰も、窓辺に佇む可憐なご令嬢と認めてくれないのだ！
ぐれるぞっ、と胸中で不貞腐れつつ、ものうげな表情を浮かべて片膝を抱えるカシカをじいっと見つめる。
「わざわざ俺の体調を訊ねにきたのか」
カシカが皮肉な感じに唇の端をつり上げた。
「お前に暴行を企てたのに？」
無意識に喉を押さえてしまったが、もう痛みはない。
「痛い、ない。平気。カシカ、痛い？」
その件では、笹良よりもカシカの方が余程酷い目にあっている。
「お前の心配など不要だ」
素っ気ない返事にめげず、更にしつこく訊ねることにした。ザ・暗示大作戦だ。痛い痛いと繰り返せば、その内本当に痛く感じるかもしれないではないか。やるぞ。
「痛い。身体、痛い。休む」
「いらぬ世話だ」
「痛い。絶対、痛い。動く、駄目」
「しつこい」
「痛い～、痛い～。痛い、なる～」
「……おい」
「痛い、むー、痛い～。動く、ない～」
「……」
何だか念仏を唱えている気分になってきたが、まあいいか。
カシカが大きく溜息をついた。
「お前、もしかして責任を感じているのか？ 俺が比石の部屋に行くことを知ったのか」
鋭い。
さっと目を逸らして口笛を吹き、誤摩化してみたが効果なしのようだったらしい。口笛がうまく吹けなかったせいか？ 以前、総司に「お前の口笛は音になっていない。幽霊の啜り泣きに聞こえる」と馬鹿にされたことを思い出し、腹が立ってきた。
「なぜお前が気に病む」
「カシカ……女」
恐る恐る言うと、凄まじい目で睨まれた。睨まれるとは思っていたが、実際されると反発したくなるものだ。
「余計なことを触れ回ってみろ。船長に制裁されようと必ず殺してやる」
言わない、言わない方向で努力するから殺害だけはやめてほしい。
「なぜ、船、乗る？」
「お前に関係ない」
嫌そうに眉をひそめてカシカが吐き捨てた。
「――お前のせいで、滅茶苦茶だ」
ぽつりと零された言葉に、うっと息を詰める。
笹良は望んでこの世界に落っこちたわけじゃないが、そういう事情はカシカに無関係なのだ。通常は、女を禁忌としている海賊船。そこへ「娘」の笹良が出現する。美人か不細工かという容貌の美醜はともかく、男しか乗っていない船ならば、「女」の存在を意識せずにはいられなくなるだろう。でも笹良には手を出せない。王様が怖いだろうから。
カシカは皆には男として認識されているけれど、とても奇麗な顔立ちをしている。このくらい奇麗ならば、つい魔が差して襲おうとする者が現れるに違いない。現実に通路で襲われかけていたし。
つまり笹良の存在は、意図せずともカシカの存在を目立たせ、皆を刺激してしまう。
最初に会った時、カシカが笹良を排斥しようとしたのは、存在が奇異だという理由が直接の原因じゃなく、こういった懸念が強かったせいだと思う。
――罪悪感だろうか、笹良がカシカを奴隷部屋へ行かせたくないと思うのは。
女の子だと認識してカシカを見ると、その横顔はとても繊細だった。わざとだらしなくしているに違いない髪を奇麗に整え、まともな服を着れば、すらりとした体型の凄い美少女に変身するだろう。
あぁやっぱりこんな子を、奴隷部屋へは行かせられない。
男だったらいいってわけでは絶対にないけれど、でも。
カシカを優先すれば、ひげもじゃ海賊の命が消える。
またその苦悩の中へ落ちていく。一体どうすればいいんだろう、と泣きたくなる。
心も身体もしくしくと痛み出す。こんな時に、まただ。
「もう、いい。どうせ、俺は」
カシカはひどく疲れた顔をして俯いた。
投げ遣りな態度というより、深い諦観が滲んでいる気がした。比石の毒に冒されてもかまわないと諦めたのか、別の問題があってそれに疲れ果ててしまったのか。
「カシカっ」
ぎゅっとカシカにしがみつく。
「なっ」
「駄目っ、乙女、笑う、仕事！」
可憐な乙女の仕事は一つ、それは笑うことじゃないか。
諦めてほしくない。事情はさっぱり分からないし、余計なお世話かもしれないけれど、悲しそうな顔を見るのは嫌なのだ。
「カシカ、奇麗！ 俯く、駄目っ。笹良、やる」
まだまだ作戦は残っている。そうとも、まずはカシカとひげもじゃを取っ捕まえて、篭城作戦に踏み込むのだ。
ついでに奴隷くん達の労働環境を改善するため、彼らも巻き込んでしまおう。
じゃあ篭城場所は奴隷部屋で決まりだな。なぜならこの船は比石で進むという。その比石を全部かっさらって部屋にこもってしまえば、いかな王様だって焦るに違いない！
結構素晴らしいアイディアではないかと笹良はほくそ笑んだ。
「カシカ、大丈夫。笹良、守るっ」
驚くカシカの手をぎゅっと握り、立ち上がらせた――時。
突然、目の前が真っ白になった。
「冥華！？」
膝から下の力が抜け、がくっと身体が落ちる。
何これ？
カシカが慌てて笹良の腕を掴み、支えてくれた。
意識の消失はほんの一瞬で、ぱちりと瞬きした時には、ちゃんと周囲の景色が目に入った。
けれども。
「冥華」
どろり、とお腹の中で何かが動いた。
痛い。
違う――何だか、重い？
何だろうと、自分のお腹に手を当てた瞬間、熱いものが太腿を伝った。
「……何？」
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