she&sea 39

 ひげもじゃ海賊が処された日から、海賊王は以前よりも側近の誰かを伴って海図室とかその他のよく分からん部屋に向かうことが多くなった。
 勿論、ずっと顔を合わさないわけじゃなかったけれど、薬を服用してもお腹が痛かったので、笹良は殆ど甲板には行かず部屋で鬱々と丸まっていることの方が多かったのだ。それに、もうだぼっとした着心地のいい服は取り上げられてしまい、強制的にお姉さん方みたいなドレスを着なくちゃいけなくなったので、自分の姿を皆に晒すのがとても躊躇われたこともあって尚更部屋を出にくかった。
 ひげもじゃ海賊のことを思い出すと、とても苦しい。弔いたいって気持ちがある反面、名前を知るのが怖かった。それでも、普通に日常を過ごせている自分が不思議だった。
 ちなみに生理三日目。ルーアから手当の仕方を学んだので、自分でできるようになった。
 ルーアは時々顔を見せにきてくれて、色々なものをプレゼントしてくれる。下着とかアクセサリーとか香水みたいのとか。王様に頼まれたためっていうより、もしかして娘とか妹みたいに思ってくれているのかなあと、ちょっとくすぐったい気持ちだ。
 カシカは余程のことがない限り、笹良の側にずっとついていてくれた。
 驚くほどカシカの態度が柔らかくなっていて、実際はまだ波乱の出来事から数日しか経っていないのに、随分長い時間が流れたような錯覚を抱いてしまう。
 カシカを前にすると、なんだか命という言葉をとても意識してしまい、敬虔な気持ちになった。多分それは、ひげもじゃ海賊の命もカシカの中に見ていたせいかもしれなかった。カシカがたまに側を離れて一人になると、それまで何の予兆もなかったのに、いきなりぽろぽろと涙が落ちたり、立てなくなるくらい目眩がしたりした。変だと思う。だからあまり一人にはなりたくなくて、随分とカシカに甘えてしまっている。
 笹良にとってカシカの存在は、揺るぎない罪であり、厳かな生そのものであり、現実であり、正気を保つ奇跡だった。
 
●●●●●
 
「冥華、また残してるな」
 昼食時だ。
 カシカが洗濯物を干しながら、振り向いて眉をひそめた。
 本当は洗濯物、外に干した方がすぐ乾くんだけれど。笹良に気を使って下着とかは室内に干してくれているんだ。自分で使ったものくらいは洗えるって主張しても、動くな! とすげえ怖い目をされ全部取り上げられてしまった。同性だとはいえ、他人に洗濯物をまかせるのはなかなか恥ずかしいのだ。
 洗濯物についてはちょっと騒動があったりした。ルーアとカシカで、どっちが洗うかって軽く言い争ったのだ。ルーアはカシカを異性だと信じているので、女性の下着などに手を触れるのは駄目だって思っている。多分、笹良をどこかの国のやんごとなきご令嬢なのだと誤解しているせいだろうな。でもカシカは、自分が世話をまかされているって理由で、ルーアの主張をきっぱりと退けてしまった。
 うーん、困ってしまうのだ。気持ちはとてもありがたいのだが、やっぱり自分が汚した衣服なんかは自分で洗いたい。こそっと訴えても、ヴィー並みにくどくど説教されてしまい、かなり耳が痛い。というか、怒りつつも何だか悲しそうな顔をするので、つい降参してしまうのだ。カシカって強敵かもしれない。
 まあ、それはさておき。
「冥華、誤摩化そうとするな。口笛を吹いても愛想笑いを浮かべても嘘泣きしても逆上しても駄目だ」
 き、きついぞ、カシカ!
 笹良の攻撃パターンを全て看破しているな。恐るべし。
「もう少し食べろ。お前、急に痩せたみたいだぞ」
 皮肉の帝王ヴィーならばここで、益々貧弱に見えるとか意地の悪いことをちくちくと言いそうだ。
 ところがカシカの場合は、むっとしつつも不安そうな目をする。たちが悪いな!
「満腹」
「嘘付け」
 カシカの奇麗な顔が僅かに曇る。
「ほら、口を開けな」
 嫌だ。
 食べ物をすくった匙を差し出されて、笹良はふいっとそっぽを向いた。食べたくないのだ。
「我が儘言うな」
 何も言っていないぞ。無言の我が儘というやつだ。
「じゃあ何だったら食べられそうなんだ?」
 聞かれても困る。海賊料理の品名なんて知らないのだ。
 つんっと逆方向に顔を背けたあと、もぞもぞベッドの上で身じろぎし、クッションに寄りかかった。
 はあ、身体が怠いのだ。世の中の女性達は毎月こういった下腹部をじわじわと侵蝕する不気味な怠さを味わっているのか。大変なものだ。
 あれ。
 そういえば、カシカはこういうこと、どうしているのだろう?
 ちらっと様子を窺うと、カシカは微妙に落ち込んだ表情で溜息をつき、笹良の隣に力なく座り込んだ。カシカって言葉遣いは乱暴だけれど、根本的にとても素直な奴なのかもしれない。
 無礼とは思いつつも、じいいっとカシカの胸元を凝視してしまった。うーん、やはりおかしい。胸が真っ平らに見えるのだ。いくら布を巻いて隠しているんだとしても、もう少し身体の線に柔らかさが出そうなものだが。
「何だよ?」
 聞いたら怒られるだろうか。
「お前の視線って、本当に何を考えているか分かりやすいよな」
 ぎゃっと思い、慌てて両手で目を覆った。視線から感情がぼろぼろと漏れているのか?
 必死に目を隠して感情の漏洩を防いでいると、ふうっと溜息をつく音と共に、しゅるしゅると布をこするような音が聞こえた。何だ? と怪訝に思って、恐る恐る指の隙間からカシカの様子を覗き見た。
「ぎゃあっ!!」
「何だよ」
 な、な、何だよって、カシカくん!
「見た方が早いだろ」
 そういう問題ではないぞ、というか、ええ!?
 強い目眩と驚き、そしてなぜか微妙に胸が高鳴った。いや、違う、鼓動がはねた。カシカが上着を脱ぎ、上半身を晒していたのだ。
「む、胸がない!」
 目の錯覚かと思って、まじまじとカシカの胸元を凝視した。嘘だ、だってこの前はちゃんと膨らみが!
 信じられないことに、カシカの胸は少年のごとく真っ平らだった。
「何で、どーして、人体の神秘!」
「何を喚いているんだ」
 カシカが呆れた顔をして、仰け反る笹良を一瞥した。
「……歓靡の蛇輪をはめているんだ」
 カシカがひどく声音を抑えて低く言い、自分の首にはめている首飾りの一つを指先でとんとんと叩いた。他の首飾りに比べて、ちょっと古い作りで、黒っぽい石が中央に一つ収まっている。
 かんびのじゃりん?
 今、未知語が空中に漂ったぞ。
「昔々の話さ。とある愚劣で好色な王がな、町一つ分の後宮を作った。あらゆる世界から美男美女と謳われる者達を強制的に呼び集めて、囲ったのだ」
 何て羨ましい、違う、何て卑怯卑劣、性根の最悪なお馬鹿王様なのだ! 
「そこで登場するのがこの歓靡の蛇輪だ。当たり前の伽に飽いた愚王は、性別を変えて愉しみたいと考え、時の魔術師に百人の処女の血を捧げ、性の律を歪める呪具を作らせた」
 ふぁんたじー!
 しかも変態王様の邪悪な願いを叶えるために、百人の乙女が犠牲になったのか? 凄まじいぞ。もし笹良がその乙女として生け贄の運命を押し付けられたら、絶対に心穏やかには成仏できない。恨みに恨んで悪霊と化し、三大怨霊と噂の高い菅原道真とか平将門と無理矢理にでも手を組んで、世のため乙女達のために、その王様にとりつくと思うぞ。
 うん? ならばそういう怪しい呪具をはめているカシカも。
「歓靡の蛇輪を装備すれば、性別が変わる。内から異なる性へ変化するんだ」
 じゃあ歓靡の蛇輪をはめている間のカシカは本当に少年ってことなのか。そ、それを聞くと、本当の性別は女の子って分かっていても、下着とかを見られるのはとても気恥ずかしいのだが。
「ただし、これは、慣れぬ内は身体に相当の負担を与える。また、長期間使用し続ければ、肉体を歪める。ゆえに体調の悪い時などには、一旦外す。お前と通路で出くわした時、俺は歓靡の蛇輪を外していたんだ。――王に制裁を受けた時から」
 成る程。笹良はある意味、もの凄いタイミングでカシカの秘密を知ってしまったというわけなのか。
 いや、それよりも、長期間の使用は肉体を歪めるって。
「さあね。具体的にどう歪むかは知らないよ」
 しつこく訊ねても、カシカは詳しく教えてはくれなかった。言葉に詰まる笹良を一瞥したあと、素早く上着を整える。
「歓靡の蛇輪は、使用者の体内に眠る力を糧としている。つまり女から男へ、あるいは男から女へ変化する時、本来の性を食らうのだと伝えられている」
 食らう?
「お前が聞きたかったのは、俺に月障期があるか否かということだろう? 歓靡の蛇輪を使用している間、俺の性は食われている。だから月障期は関係なくなるんだ」
 カシカは生理になったことがないって意味なんだと思う。
 ああ、それで笹良がなった時、対処法が分からなくてすごく狼狽えていたのか。
 ううん、よく考えれば性別を偽っている間に生理になったら大変だと思う。海賊達ってケダモノっぽいから血の匂いとかにすぐ気がつきそうだしさ。
「さあ、話してやったんだ。今度は俺の言うことをきいて、もう少し食べろ」
 海賊って、本当に取引とか得意だな……。しかもいつの間にか言いくるめられてしまうしさ。
 渋々と匙を手に取り、食べ物を口に入れる。
「冥華」
 何だ? と匙をくわえつつ、顔を上げた時。
「お前、そういう態度、やめろ」
 笹良の態度にけちをつけるとは何事なのだ! と眼差しで威嚇してみた。失敬な奴だな!
「無理しているの、丸分かりなんだよ、お前の表情。俺を恨みたいなら恨めばいいじゃないか。泣きたいなら泣けばいい」
 視線を自分の手元に落とすカシカを見て、はっとしてしまう。
「信じられないんだろう、人をこれだけの理由で殺すことを。見たこともないんだろうな。だったら、お前みたいな子供が、何も感じずにいるものか。本当は納得などしていないんだ、あいつを殺したこと。責めればいい。俺はかまわない。いちいち他人の思いなどに振り回されたりなどしない。無理して普通に振る舞われる方が、不愉快だ」
 心臓がひどくどきどきとしてきた。
「お前だって十分に嫌な思いをしているだろう。今までどのような暮らしをしてきたのか知るよしもないが、恐らく健やかに育ったんだろうな。ならば不満があるだろう。許せぬことも、罵りたいことも、無数にあるはずだ」
 カシカは顔を少し歪めて笑った。
 もしかしてわざとそんな偽悪的態度をとって、笹良を楽にさせてくれようとしているのかもしれないと思った。
 でも、やっぱりここで泣いてはいけないのだ。
 カシカは平気だって言うけれど、何も心が傷つかないなんて嘘だよ、きっと。だって笹良にもこういう経験がある。仲のいい友達に知らないところで陰口を叩かれ、発覚したあと、ごめんねって謝罪されたその時は「大丈夫、気にしてないよ」って笑って誤摩化したけれど、悲しい気持ちの欠片がことりと胸に落ちるのだ。今とは全然状況も深刻さも違うが、根本ではそう変わらないはずだ。
 笹良はひげもじゃ海賊よりもカシカを必要としたのだと、多分、信じてくれているから。
 ならば最後まで、選択に後悔はないという一貫した態度を貫こうと思う。実際、カシカを助けたいと願ったのは事実なのだ。
 一応は仲間であるひげもじゃ海賊を、その手で殺さなければならなかったカシカの方が、よっぽど苦しくて辛い気持ちになっただろう。
 本当に笹良は、軽率な言動でとんでもない事態を招いてしまったのだ。非情な王様のせいばかりではないんだろう。
 残酷な思いが、こんなにも自分の中に存在する。逃げ出したくても出口はなくて。夜、眠る前に目を瞑ると、瞼の裏の闇に、恨みをこめた目を向けてくるひげもじゃ海賊の首が浮かび、心臓が壊れそうなくらい音を立てる。カシカも眠る時、何回も何回も、絵に描くより鮮明にひげもじゃ海賊の最期を瞼の裏に見て、その恐ろしさに打たれ、飛び起きているんじゃないだろうか。
 笹良が招いた現実。怖さと罪悪感で埋め尽くされ、飛び火してカシカの現実をも塗り替えてしまった。
 ここで謝っていいのかさえも、判断できない。
 それでも、もし笹良のことを気にかけてくれるのなら。 
「カシカー」
 匙を置いて、ぎゅうっとカシカの手を握る。恐怖さえ、力に変えてしまいたい。一人ではとても支え切れないけれど。
「カシカ、無事、生きる」
 そうすればとても嬉しいような、救われた気持ちになるのだ。
「一緒、笑う。生きる」
 野蛮な海賊達の中に咲く可憐な乙女ではないか、笹良達は!
 厳かに、罪深く、どこまでも生きよう。
「馬鹿だよな、お前」
 どうして笹良が真面目に答えると、皆、馬鹿っていうのだろう。かなり虚しいぞ。別の意味で泣きたくなってきたな。
 カシカが手をそっと握り返してきて、不意に身を寄せた。こつっと軽く額を合わせられる。
「ごめんな、助けられなくて」
 何の話だろうと不思議に思い、もしかして王様に卑劣な真似をされ、名前を呼んだ時のことを謝っているのだろうかと戸惑う。
 カシカと友達になれるかな。なれたらいいな。
 合わせた額があたたかい。
「カシカ……」
 よし。笹良もここは一つ、海賊に倣って取引を持ちかけようではないか。
 広い心で許してあげよう。その代わり。
「食べ物、残す。いい?」
 にやっと笑って反応を窺うと、なぜか虚をつかれたという表情をされたあと、しみじみと溜息を落とされてしまった。

小説トップ)(she&seaトップ)()(