she&sea 40

 翌日。薬をもらいに、サイシャの部屋までカシカと一緒に向かった時のことだ。
 カシカとはとっても親しくなれた気がする。結構笑い顔とか見せてくれるようになったし、軽い冗談を言えるようにもなったし。いい感じだ。
 仲良く手を繋いで医務室に入ったら、いつものごとく怪しい薬品をいじっていたサイシャが何ともいえない複雑な表情を浮かべて笹良達を出迎えた。
「薬ー」
 訴えると、サイシャは小さな包み紙に粉薬を選り分けたあと、渡してくれた。その間、カシカがてきぱきと薬を飲む為の水を用意してくれる。カシカはずっとサイシャの手伝いをしていたというので、どこに何が保管されているのか熟知しているらしい。てっきりゾイの従者として付きっきりだと思っていたのだが、そうじゃないんだなあ。
 医務室にはまだグランもいたので、まずい薬を飲んだあと、たかたかと近づいてみた。
「グラン」
 傷の具合はどうなのだ? と身振り手振りで訊ねてみる。
 グランは緩く曖昧に首を振ったあと、困ったような色を一つしかない目に浮かべ、笹良をじっと見つめた。
 あ、急にこういう華美なドレスを着始めたから、変だなあと不審に感じているのかもしれない。
 でもきっと、大体の事情は把握しているんだろうなあとも思った。笹良はちょっと笑って、ドレスの裾を軽く摘んでみた。
「笹良、似合う?」
 自分では正直なところ、服に着せられているという感が否めないのだが。
 グランはやはり何も言わなかった。むー、グラン、本当に無口だな。
 褒めてほしいと思いつつ、裾を摘んだままくるりとゆっくり回ってみた。どうだっ、可憐な姫君っぽいだろう!
 笑みを深めた時、突然、ぽむっと頭の上に手が乗った。
 恐る恐る視線で窺うと、寝台から身を起こしたグランが笹良の頭に手を乗せていたのだった。
「……」
 労るような感じで大きな手に一度撫でられる。何だろう、少し目頭が熱くなった。その曖昧な熱を誤摩化す為に何度も何度も忙しなく瞬きした。
「あぁ冥華、やっぱりここにいた」
 ふと明るく軽い声が響き、笹良はきょとんと振り向いた。微妙に青ざめて固まるサイシャの脇を軽快な足取りでジェルドが通り抜け、笹良の前で立ち止まる。
 ジェルド、その職人みたいな恰好は何なのだ?
 衣服自体は普段と変わりないのだが、小汚い布製の手袋をはめているし、前かけなのか作業着なのかよく分からない衣を上に重ねているし、ヤバイ作りの見ようによってはゴーグルっぽいものを首からぶらさげている。
「完成したんだ、結構力作なんだよね」
 などと何の話か理解不能のまま、薄汚れた手袋をはめているジェルドに軽く引っ張られて、近くの空台に座らされる。
 笹良達の様子を、グラン達がじっと見守っていた。カシカなどはあからさまに心配そうな顔をして笹良に視線を送ってくる。
 ある意味、唯我独尊的なジェルドは周囲の懸念など一切眼中になしという態度でにこにこと嬉しそうに笑いつつ、空台にぽてりと座った笹良の前に屈み込んだ。
「ほら、これこれ」
 と、ジェルドが染みと汚れが付着している危険な色の作業着から、薄い奇麗な布の包みを取り出して、笹良の膝にそっと置いた。
「開けてごらんよ」
 包みを開いた瞬間に人間の欠片とか正体不明の骨とか虫の剥製とか飛び出てきたら気絶するぞ、とあながち的外れとは言えない恐れを抱きつつ、渋々言われた通りにしてみた。
 んむ?
 これって。
「青珠の首飾り。夜通し作業したんだよね。どぉ?」
 お褒めの言葉を待つ飼い犬のようにきらきらと期待した目で見上げられてしまった。
 笹良は指先で、ジェルド特製青珠の首飾りを摘んでみた。
 宝石を鑑定できるような目はもっていないが、確かに――これは自慢してもいいくらい見事な作りだ。
 どちらかといえば短めな二連の鎖はとても繊細で細く、不均等な間隔で砕いた小さな石が飾られている。鎖は中心部の石に絡まり、複雑な感じの模様を描いていた。肝心の青珠は中央に飾られた石を引き立たせるための脇役に回っている。真ん中にボリュームを置いたタイプの首飾りだ。
 主役となっている中央の石って……、比石を加工したものではないか? よく見れば鎖部分に装飾された小さな石も、比石が使用されているようだった。もしかしてこの比石、笹良が奴隷部屋から無断で持ってきてしまったやつではないだろうか。
 うう、煌めいている、輝いている!
 これをどこかに出品すれば何かしらの賞をもらえそうだと首飾りをまじまじと見つめつつ、笹良は悪巧みの人となりかけた。売れる、これは間違いなく高値で売り飛ばせる。
「冥華ぁ、褒めてくれないの?」
 ジェルドが焦れたように急かしてきて、拗ねた顔をした。しまった、宝石の誘惑にまんまと踊らされ、一瞬ジェルドの存在を忘れていた。
「ジェルド、凄い。器用。上手。偉い。奇麗」
 とりあえず思い浮かんだ賞賛の言葉を口にし、ジェルドの髪をわさわさっと両手で撫でてみた。
「だろー? 我ながら上出来だなと思うんだよな」
 うーん、本当に人は見かけによらないものだ。日々適当、好みは乱闘、時々無精、遊びに命を懸けてます、といった実に誠実から程遠い軽薄そうな容姿なのに、美的センスがあってこういう優れた特技を隠しているとは。侮れないな、海賊。
「嬉しいかい?」
 さっきはついつい狡猾な考えを巡らせてしまったが、こんな高そうな物を笹良が貰っていいのか? それに、奴隷くん達が命を削って必死に磨いてくれた比石を飾り物などにしてしまっていいのだろうか。
 煩悶が顔に出てしまったらしい。
「冥華って、意外に生真面目というか頭が固いよなぁ。これ、他の女に渡せば目の色変えて喜ぶのにな」
 少しずつジェルドの気分が下降し始めてしまったらしい。素直に礼を言って喜んだ方が、徹夜で作ったらしいジェルドにとっては嬉しいんだと気づいた。
 そうか、折角の贈り物にけちをつけられたり渋面を見せられたりしたら、笹良だってきっと落胆すると思う。
 よし。ありがたく受け取ろう。この比石に関しては、心の中で皆に謝罪しとこうか。
「嬉しい。奇麗。ありがとう。ジェルド、偉い。よっ、世界一!」
 最後の台詞だけは日本語になってしまったが、ぺこりと頭を下げて笑いかけると、気分をよくしたらしいジェルドが破顔し、笹良の膝に手を置いた。大型犬に懐かれた感じだな。
「で、それだけ?」
 むぅ? と笹良は首を傾げた。お礼の品を期待しているのだろうか。しかし、笹良は何も持っていないのだ。なにしろこっちの世界に迷い込んだ時、タンクトップとだぼだぼゆるゆるズボンという完全な家着だったのだ。ちなみにその服は、ちゃんと大切に保管している。
 物が欲しいわけじゃなくて、何か叶えてほしい願い事でもあるのだろうかと思いつき、眼差しで訊ねてみた。
「普通、こういう時はさぁ、娘ならば感謝のしるしに口づけくらいしてくれるんじゃないかなあ」
 何?
 思わず半眼になってしまった。
「男心が分かってないねえ」
 そっちこそ乙女心を理解していないな。
「あのねえ冥華。俺はそんなに優しくないんだよ。わざわざ時間をかけて作った物を、滅多に女には配らないんだけれどな」
 いきなり娘さん扱いされても困るのだ。そりゃあ、体調に変化はあったわけだけれど、でも笹良の内面は以前と何も変わりがない。周囲の態度の方がよっぽど変化してしまって、とても戸惑ってしまうし密かに怯えも感じている。
 大体、物をもらう度に、相手に口づけなど普通はしないと思うぞ。
「冥華の考えって、やはりお姫様だよなあ」
 違うぞ、キスというのは基本的に好きな人とするものなのだ。いや、もし、もし、百万円くれるとか言われたら少しばかり気持ちが揺れ動いてしまうが、などと実に狡辛いリアルな想像をしてしまった。
「してよ」
 お馬鹿!
「頑張ったのになあ。お姫様のために」
 どうしてそう不埒な企みしか考えつかないのだ、清廉な心で笹良に献上しようという気はないのか? などと自分の小狡い思考は棚に上げて、妙に艶めいた笑みを見せるジェルドを睨んだ。
「……もういいでしょう」
 様子を見かねたのか、カシカが緊張した顔をして笹良を庇った。
「煩いよ、お前」
 ぎゃ!
 ジェルドが笑みを絶やさぬまま、かなり寒気のする冷たい視線を一度、カシカに向けたのだ。怖え!
 やはり海賊船内では、カシカとジェルドの立場は明確に差があるんだろう。ジェルドってば普段は本当にちゃらちゃらとしていて子供っぽいのに、時折もの凄く残酷な表情をする。
 カシカは一旦口を閉ざしたが、何だかかなり覚悟を決めたような顔をしてこっちに近づいてこようとした。いかん、カシカ。その正義感と友情は胸が熱くなるくらい感激だが、ここで更にジェルドの神経を刺激すると、またしても流血の海を予感させる波乱の事態を招いてしまうことになる。
 笹良は慌ててジェルドの手を取った。
 おや? という感じでジェルドが視線を戻し、面白そうな顔をする。よいせよいせ、と笹良は小汚い手袋を外してやった。
 ジェルドに微笑みかけたあと、その指先にちょこりとキスをした。こ、これじゃ、駄目か?
 ジェルドが目を見開き、しばしの間笹良を凝視した。やがて表情が緩み、苦笑に変わる。
「何か、負けるなあ」
 思う存分負けてほしい。
「まあ、許してあげるよ。俺、冥華を気に入っているからね」
 心の天秤が、こう言っては悪いが、嬉しくないという方に大きく傾いたぞ。
 首飾りをつけてくれるジェルドを、複雑な思いで見つめる。
「似合うよ」
 笑い返しつつも、今度からジェルドにものを頼むのだけはやめよう、と笹良は深く誓いを立てた。
「折角だから王にも見てもらおうよ」
 無邪気に提案され、ぱきっと笹良は固まった。嫌だ。
「いいのか? もたもたしているとルーアに王を寝取られるよ」
 下品な発言は禁止! と笹良は思わず手を伸ばし、むきゅっとジェルドの唇を摘んでしまった。一瞬ぎょっとするジェルドを見て自分の無謀な行動を振り返り、やばっ、と胸中で叫ぶ。
「本当に冥華って……面白いよな」
 よ、よかった。怒っていないようだ。
 愛想笑いを浮かべ、無垢な乙女を装うために小首を傾げて、恐る恐るジェルドの出方を窺った。すると、我慢できないといった感じで爆笑されてしまった。
「ほら、行こうよ」
 立ち上がったジェルドに無理矢理手を取られてしまう。
 カシカが止めにはいろうという素振りを見せたけれど、笹良は軽く首を振って、大丈夫と頷いた。
 たとえば相手がヴィーやサイシャならば、もっと我が儘が言えたかもしれない。けれどもジェルドは駄目だと思う。一見、ジェルドの方が社交的で柔軟そうだが、実は逆で、ひどく排他的なように感じられるのだ。本当はとても人間嫌いで、そう容易く自分の領域に他人を立ち寄らせないんだと思う。
 あまりガルシアには会いたくないが、これも一つの試練と思えば大丈夫。
 きっと。

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