she&sea 41

 病室にいたグランとサイシャとその他の海賊君達に手を振って別れの挨拶をしたあと、笹良とカシカはジェルドの案内でガルシアが陣取っているらしい部屋へと向かった。通りかかった仕事中の海賊君がちらりちらりと興味津々といった視線を投げてくる。とっても微妙な気分だ。ジェルドが今までになくやけに丁重な手つきで笹良をエスコートしてくれているためである。これまでだったら、近所の悪ガキならぬお友達という感じで元気よく手を繋いだり、肩に乗っけてくれていたのにな。笹良の指先をさらりと手に乗せ、こっちに歩調を合わせて歩いてくれているのだ。確かに今履いているきらきらな靴、踵部分がないミュールって感じで、物が散乱する通路を歩くには不向きなため、歩調を緩めてくれた方が助かるんだけれどさ。
 ちなみに今の恰好は、襟ぐりがV字型に大きく開いた袖無しのワンピ型黒ドレス。ひらひらしているけれどボリュームがあるわけじゃない。スカートの下部に花の模様がある。このドレスもハイウエスト部分にレース仕立ての白い帯を巻き、前側にリボンを作って垂らすタイプのものだった。どっちかといえば、えれぇゴージャス! という雰囲気ではなく、割合シンプルな形だと思う。派手すぎるのは嫌だなと密かに悩んでいたのをカシカが察してくれたようで、これを選んでくれたのだ。首元が大きく開いているから、ジェルドがつけてくれた手作りペンダントがちょうどいい感じだった。
 と、徒然なるままに思考を巡らせている間に、ガルシアがいるらしい部屋に到着した。
 ジェルドに続いて中へ入ると同時に、笹良はつい踵を返しかけてしまった。片手をジェルドに預けていたため、逃亡はあっさりと失敗してしまったが。
 もやもやもやっとした情けなさが胸に広がる。あぁ来なきゃよかったな、とかなり後悔した。真っ先に目に映った光景のせいだ。部屋全体の様子を確認するだけの余裕が持てない。
 ごろ寝ができるタイプの、片側だけに肘掛けがある長椅子にガルシアは横たわっていつものごとくお酒を飲んでいた。……椅子に座っているルーアの膝に頭を預けつつだ。
 膝枕してる。
 何ともいえない、というか邪魔できない親密な雰囲気を敏感に察してしまって、理解不能なまま気持ちが沈んでいく。胸がなぜか締め付けられるような、きりっと捻られたかのような、苦しい感情。分からない。
 絶対顔に出しちゃ駄目、と幾分焦りながら強く自戒し、全身に力を入れた。そうしないと栓が抜けたみたいに身体から気力が消えて、へたへたっと座り込んでしまう恐れがあったのだ。全く、自分でも首を傾げたくなるような、不可思議な気持ちだ。誰かに危害を与えたり笹良をへこませたりしない限りは、王様がどこで誰と何をしていようが、全然関係ないはずなのにな。
 ――そうとも、ひげもじゃ海賊の命を軽んじて、何の罪悪感もなく処罰を決めた非情、卑劣な王様なのに。
 処刑は海賊ルールの一つで、彼らにとっては自分の身に降り掛かりさえしなければ非難することじゃないのだろう。笹良が今までの生活の中で培った常識やルールを、まるで正義のように振りかざして彼らに押し付けるのはきっと筋違いなのだ。勧善懲悪の理論がここでは当てはまらない。一概に彼らの考えを悪だと決めつけられずに迷う自分がいる。意志が本当、弱くて困る。
 また、そういった悩みは別として……ガルシアが、怖い。
 怖さの理由は比石みたいに角度によって色を変えているのだ。だけどその色は、比石のように奇麗じゃない。サイシャの隠し部屋で嫌がる笹良を押さえつけ、破廉恥な行為に及んだことは、もう許せないっていう憤りを通り越して、純粋に怖い。普通なら、ガルシアがしたことは、心底憎んでもおかしくない行動だ。顔も見たくないっていうほど嫌悪して鳥肌が立つような行為。嫌わなくちゃ逆に変。
 他にも色々と、拒絶して当然の言動があったし。
 なのにどうして今、こんなふうに別の怖さを感じてしまうのだろう?
 全く、奇妙なのだ。
 気分的に、思いっきり走って何も考えられないほど身体を動かしたあと、ベッドにダイブし眠ってしまいたいかも。
 多分、いつもかまってくれていた王様が他の女の人と一緒にいるのを初めて目にしたから、再婚相手を連れてきた父親の娘のごとく複雑な心情になって動揺してしまったんだろう。それに、ルーアも知らない人じゃないしね。
 うん、そうだそうだ、と胸中で何度も頷いた。
「あぁ、ササラ。おいで」
 ガルシアの視線がこっちを向いた。拍子抜けするほど普段通りの温和な呼びかけだった。本当にガルシアにとっては、この数日間に起きたことなど些末な問題でしかなかったのだと分かり、怒りよりも憂鬱感が増していく。
「どうです、王。いい仕上がりでしょう?」
 ジェルドが親方に感想を求める職人みたいな自信溢れる顔をして、ぎくしゃくしている笹良の手を引っ張りガルシア達の方へと近づいた。
 ガルシアがゆっくりと上半身を起こす。それが合図だったみたいにルーアが静かに立ち上がって、長椅子の側に置かれている低い高さのふわふわな椅子へ移動した。緊張しながらルーアの動きを真剣に見守っていると、思いがけず視線が合ってしまい、にこりと微笑まれた。嫌いになれない奇麗で優しい人なのだ。
「上出来だな。美しい」
「ですよねえ」
 ジェルドは満足げに頷き、滅茶苦茶嬉しいという顔をして笑った。そのあと、長椅子のすぐ側に片膝を立てて座り込む。
 ……ルーアと王様の邪魔をして、いいのだろうか?
 どうしていいのか分からず戸惑っていると、再び横たわって肘で頭を支えるガルシアに腕を取られてしまった。寝そべるガルシアの胸あたり――長椅子のちょっと空いている場所に座らされてしまう。少し見下ろすような感じで、ガルシアの顔がすぐ近くにあった。思い切りくつろいでます、といった感じの呑気な表情を浮かべている。
「比石を使ったのか」
「はい、ヴィーの部屋に落ちていたから、ちょうどいいと思って」
 ジェルドの余計な説明に、笹良は内心で呻き声を漏らした。チクリは禁止だ!
 というかジェルド、人様の部屋にある物を無断で借用するとは何事なのだ。ヴィーもヴィーだ。戸締まりをちゃんとしておかないと空き巣に狙われるのだぞ。
 そもそもジェルドってば他人の部屋へ無断侵入しすぎなのだ。思い出した。いつぞや王様所有の一室を占領して眠る笹良のもとにこそっと現れ、髪を一房切り落としたという前科をジェルドは持っているんだった。成敗するしかないな、あとで。
 自分も以前ヴィーの部屋を好き勝手に散らかしていたという事実は棚に上げて、その時の怒りを再熱させつつ悪意を込めに込めてジェルドを見つめた。が、面の皮が厚いジェルドは華やかな笑顔で、悪意の視線攻撃を跳ね返した。
「ふうん。見事なものだな」
 ガルシアが感心した様子で呟き、ふと手を伸ばして笹良の首にぶらさがっているジェルド特製ペンダントに触れてきた。
 その仕草にどきまぎしてしまって、ジェルドに靴をぶん投げようかという内心の企みが跡形もなくぱっと弾け飛んでしまう。
 やっぱり変だな。とてもおかしい。ガルシアなんて、すごく残忍で冷酷な王様だとさっき再認識したばかりなのに。優しいふりして何も優しくない。他人を一切大事にしないところや、腹黒い考え方とか、知る度に言葉を失う。
 十分すぎるほど分かっていながらも、こんなに意識してしまう原因は一体何なのだろう。
 衣装のせいなんだろうか。それとも、身体が強ばるほど意識してしまうのは、また非情な真似をされるかもしれないという怯えのせいなのか。
 ガルシアは温和な表情で、どんなに惨いことでもやってのけるだろうから。
 ぐっと唇を噛み締め、ペンダントに触れるガルシアの手を見下ろす。
「冥華はねえ、拗ねているんですよ」
 揶揄の響きを滲ませて楽しそうに報告するジェルドへ、ガルシアは涼しげな眼差しを向けた。
「へえ。なぜだ」
「そりゃ、王が女といたから」
 馬鹿ジェルド! 誤解だ、嘘だ、ありえない!
「だがな、それを言うならば、ササラの方が余程他の者に可愛がられているだろう」
 ガルシアが苦笑しながらそう言った。
 別に、別に、ガルシアなんて何も嫉妬したりとかしないじゃないか!
「ルーアもそうだろう?」
 ガルシアの問いに、ルーアが柔らかな笑みを返した。
「――はい。冥華様は偽りなきお方です。許されるのでしたら、お連れしたいくらいに」
 え?
 突然の提案に驚いて、ルーアの顔を凝視してしまう。
 どこに連れて行くの?
「何だ、冥華に客を取らせるつもりか?」
 ジェルドが嘲笑うように言って、ルーアの全身を眺めた。
「いいえ。そうではありません。一旦身をお預かりして、いずれ陸へと」
「ならぬ」
 ルーアの発言を、ガルシアが途中で遮った。
「冥界の娘――海神が寄越した娘を、陸へ預けてどうするのだ」
 む。
「笹良、違う」
 勝手に海神とやらの供物にされては困ると、きっぱりと主張したら、ガルシアに笑顔で睨まれた。
「睨む、駄目!」
 ガルシアの不思議な色の目は、何でも見通してしまいそうで、時々辛くなる。
 咄嗟に手を伸ばして、ガルシアの目を覆ってしまった。
「……ササラ」
 ガルシアの呆れ声がして、はっと我に返り、照れ笑いを浮かべながら手を放す。
「まあ、いい。お前、身体の具合はどうだ」
 今の暴挙をさらっと水に流してくれたのはありがたいが、触れてほしくない話題をふってくるとは、やはり海賊王、底意地が悪いな!
 サイシャがくれた薬のお陰で随分身体が楽だし、血の量も減ってきている。だがそんな説明、絶対にしてやるものか。
 ふいっと顔を背けた時、ガルシアの微かな笑い声が耳に届いた。
「美しく見えるよ、ササラ」
 
●●●●●
 
 ――夜。
 カシカはいつも、笹良が眠りにつく時まで側にいてくれる。他愛ない話をして、笹良がうとうとし始めると明かりを消してくれるのだ。
 でも今日は神経が高ぶっていて、すぐには眠れそうもない。
 多分、ガルシアは今、ルーアといるのかな。想像するととても不安になる。柔らかいベッドが底なし沼に変わって、どこまでも沈んでいきそうな寄る辺ない感じ。
「冥華、疲れただろう?」
「平気、元気」
「嘘付け」
「うぬ」
 憤慨すると、カシカが優しく微苦笑した。もぞもぞと落ち着きなくベッドの上を徘徊する笹良を止めて、毛布をかけてくれる。そして自分は枕元に腰を下ろした。
「大丈夫だ、何も心配はない」
 大丈夫、大丈夫。
 口の中で何度も繰り返した。
「王は誰にも心を預けたりはしない」
 慰めるために言ってくれたんだろうか。しかしカシカよ、本当に慰めるつもりなら、普通は、誰にも心移りなどしない、というべきなのだ。
 待てよ。
 何だかそれでは笹良がガルシアのことをとても好きみたいではないか!
 寒気がして、毛布の中で勢いよく両腕をさすった。くわばらくわばら。何か今、祟られそうな気分になったぞ。
 大体、カシカくんよ、笹良のことよりも自分はどうなのだ? 男の装いをしているというか、身体も男に変えてしまっているが、心は女の子ではないか。それもお年頃な年齢。恋の一つや二つ、しても不思議はない! とつい下世話な好奇心を膨らませ、にやにやと笑ってしまった。
「何だよ、気持ち悪いな」
 失礼な!
「カシカ、恋」
「はあ?」
「恋っ」
 未知の言葉を耳にした、という呆気に取られた顔を浮かべている。笹良は更に不気味な笑みを深めて、こそっと身を起こし、「ゾ、イ」と囁いてみた。
 実は結構怪しいのではないかと睨んでいたのだ。だってゾイ、海賊の中では真面目だし、清潔だし、ものすげぇ冷淡な面もあるけれど卑劣ではないし、見た目も悪くない。お宝もたくさん持っていそうだしさ。
 反応をわくわくと待ってみたが。
 かっきり一分、カシカは硬直し、呆然としていた。
 息、しているか?
 不安になって、カシカの顔の前でゆらゆらと手を振ってみた。するとカシカは催眠術から解放されたみたいに目を見開き、次の瞬間――真っ赤になった。
 やったね、ビンゴだっ。
「なっ、な、な、な、何を……!」
 吃りすぎたぞ、カシカ。
「お前っ、馬鹿なことを言うな!」
「ゾイー、ゾイー」
「冥華!!」
 おっかねえ! 本気で怒鳴られてしまった。
「平気。秘密、守る。安心」
「誤解するな! 何もない!」
「む。ない。ない」
「信じていないだろう!」
 そりゃああなた、そんなトマトみたいに真っ赤な顔で力説されてもねえ。
 口元を手で覆って上品に笑いつつ、カシカをじっと見つめてみた。これぞ乙女の勘というものだ。カシカも真面目なタイプだから、きっとゾイに惹かれているんじゃないかなあと思っていたのだ。
 ゾイはどうなのかな。ヴィーにからかわれた時、平然とかわしていたしなあ。いや、しかし、過去にカシカを庇ったこともあるしなあ。うーん、実に心の読み取りにくい海賊だ。なかなか難攻不落だな!
「笹良、協力、応援。ゾイ、強い。薬。眠る。さらう」
 まかせなさい、精一杯、力一杯、積極的に応援するぞ。どうしてもというなら、ドラマのごとく睡眠薬でも飲ませて監禁してやろうではないか、とほぼ犯罪確定の物騒な策略をいそいそと片言で告げてみた。
「馬鹿、何を考えているんだ!」
 などと怒りつつも、しっかり目が泳いでいるではないか。間違いなく惚れているな。
「そもそもあの人は俺のことなど見ていな――」
 認めたな。
 しまった、という顔でカシカが青ざめ、またまた顔を赤くした。
「命短し恋せよ乙女」
 ぽん、とカシカの肩を叩き、訳知り顔をわざと作って日本語で言ってみた。
「何だ、今の言葉どういう意味だ!」
「秘密」
「冥華っ」
 嬉しいな、切ないね、こういうの。生きてるって感じがするのだ。総司が飲んでいた二色の不思議なカクテルみたいに、心の底の方には青い青い悲しみが沈んでいて、上には生きるための覚悟の色が乗っている。
 死んでしまったら、この時間も灰になるのかな。ひげもじゃ海賊の時間はどうなってしまうのだろうとそんなことを考えた。
 悲しいことも、楽しいことも、この世にはたくさん。
 笑いながら嘆いたり、泣きながら喜んだり。矛盾に満ちている人の思いは、まるで花のよう。奇麗に咲いて、時に枯れる。
 今日はどんな感情を咲かせたのかな。そして明日はどんな色の感情が咲くのかな? 枯れないだろうか、むしられないだろうかと、昨日を振り返って途方に暮れる。明日が今日の延長であっても、今抱く気持ちが時間の経過と共に消えてしまわぬとも限らないから。
 見知らぬ世界に来てしまって以来、こういうことをいつの間にかよく考えるようになった。
 色々な考えを抱きながら、きゃっきゃっとカシカと二人で仲良く戯れていた時だ。
「そろそろ気がついてほしいのだが……」
 笹良とカシカはじゃれあっている体勢のまま固まった。
 片手で頬杖をつきつつベッドの側に屈み込み、複雑そうな顔でこっちを見つめる海賊王の存在にようやく気がついたのだ。
 今回ばかりはガルシアが気配を殺して近づいたためというより、笹良達が奇妙なじゃれ合いに熱中していたので、声をかけられるまで全然分からなかったらしい。

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