she&sea 42

 ガルシアの登場に恐れをなしたのか、カシカが自分の部屋に帰ってしまった。カシカも個人部屋を持ってるのだろうかと不思議に思ったけれど、その辺は詳しく教えてくれなかった。下っ端海賊君達が寝起きしている共同部屋で生活しているのかな? ううむ、しかしいくら歓靡の蛇輪をつけて性別を変えていたとはいえ、あれだけ奇麗な顔をしているんだし、笹良が出現する前にも色々と嫌な目にあったりしていたんじゃないかなあと心配になる。その首飾りを外している間は特に危険だろうし。一体どういうふうに誤摩化していたのか、謎だ。
 カシカは慌てた様子で退室したわけだけれど、去り際、一度「大丈夫かな」という不安そうな目をこっちに向けた。心配ないぞ、もしまたガルシアに非道な真似をされそうになったら、海賊船が大揺れするほどの悲鳴を上げて抵抗するつもりなのだ。
 ガルシアはカシカがいなくなったあと、まるで自分の部屋のごとくくつろいだ態度で笹良のベッドに乗り、枕を背にしてだらりと半分寝そべる感じで座った。というかもともとはここもガルシアの部屋なのだが。
 何しにきたんだろう、ルーアの所に行っていたんじゃないのかなと狼狽しつつ、クッションを盾にしながらベッドの隅に丸まり、ガルシアの様子を慎重に窺った。よからぬことをされそうになった場合、すぐに飛び退いて逃げられるよう一応は警戒の姿勢を取ったのだ。
「端に座っていたら、落ちるぞ」
 ガルシアの手招きに内心どきりとしたが、いつまでも意固地に拒絶しているとそれこそ不吉な事態を迎えてしまうかもしれないと思い直し、渋々と飛び跳ねつつ少しだけベッドの真ん中に寄った。うっ、余計な動きをしてしまったせいで、微妙にお腹が痛くなった。反省しよう。
「それにしてもまあ、すっかりお前の色に染まったな、ここも」
 ガルシアがひどく感心した様子で室内を見回した。当たり前ではないか。多少なりとも清潔を心がけ、ついでにできる範囲で改造してみたのだ。夜、寂しくて眠れなかった時、壁にお花とか太陽、星、月を描いたり、ふかふかクッションをたくさん並べたり、洋服を飾ったり、はたまた布の端切れでお手製のミニミニハート型ぬいぐるみの群れとかを作ったのだ。余談だが、壁に描いた星の幾つかは絵じゃなくて、以前、下っ端海賊君に貰ったなかなか奇麗な石をはりつけたものだったりする。下っ端君達の中には、結構気さくでいい奴もいるのだ。これぞ芸術。海賊船革命、笹良ダダイズムだ。
 ガルシアは興味深げな顔をして、寝棚に並べていた香水の小瓶や容器を手に取り、しげしげと眺めていた。
 壊しちゃ駄目だぞ。
「これはどうした? 贈った覚えがないな」
「ルーア。笹良、宝物」
 ルーアに貰ったものなのだ。宝物だから、盗っちゃ駄目なのだ。
「お前は本当に、先を予測できぬ娘だな」
 ガルシアが何だか呆れと驚きの色を半分ずつ浮かべたような目をして、香水の瓶を悪の手から救出しようと奮闘する笹良を見下ろした。
 どういう評価なのだ。いつもは笹良の感情、丸分かりだって侮っているくせにさ。
「返す、宝物」
 ガルシアの手から香水を奪い返すことに成功してほっと安堵したのも束の間、また取り上げられてしまった。何の意地悪なのだ! あんまり動くと、さすがに辛いのだぞ。
「奇妙なものだな。お前は特に、自ら物が欲しいと強く働きかけはせぬのに、気がつけば様々な物を施されている。首飾りも香も、そうだな。飢えるがごとく求める者には与えられず、執着のない者には授けられる。奇怪な話だ」
 あれ……、なんかそういう話、ヴィーもしていた気がする。何だっけ、確か、望まない人には与えられて、願う人には与えられない、それが慈悲というものかって。
 どうしてそんな頭が痛くなるような小難しい話を笹良にするのだ?
 もしかして皆、口に出しては言わないけれど内心では笹良のことを、かなり深遠な思考力を持つ聡明、博識な美少女哲学者だと正しく理解し崇拝しているのか? 嫌だなもう、照れなくてもいいのに、あらゆる言葉を駆使してはっきりと直接的に褒めてくれてかまわないのだぞ。賛辞の言葉というのはたくさんもらっても腐ることがないしな。
 いささか間違った認識だと思わなくもないが、深く追及するのはやめて意気揚々とガルシアに笑いかけ、ぽんぽんと腕を叩いてみた。
 よーし、熱烈な要望にお応えして利口なところを見せてあげようではないか。
 香水を無事に再救出したあと、笹良はミニミニクッションの一つを高く掲げ、手を放してそれをぽてっとベッドに落とした。
 これぞ林檎の落下を見て閃いたという説で有名な、ニュートンが発見した万有引力の法則だ。むう、よく考えれば、異世界にも万有引力の法則がこうして適用されているではないか。世紀の大発見だ。
「ニュートン! 林檎っ」
 賞賛の拍手を期待して自信満々に物質の法則を語ったというのに、期待はずれなぽかんとした表情をされてしまった。出来の悪い生徒だな!
「お前は全く、未知なる子だね。痛めつけられてもなぜそう笑えるのか」
 ガルシア、自分が半端なく卑劣な振る舞いをしていると承知していたのだな、やはり。
「俺にも多少の揺らぎを与えるとは、大したものだ」
 何?
 ミニミニクッションシリーズを、一号、二号、三号……といった感じで、寝そべるガルシアのお腹にさりげなく積み重ねていたのだが、その一つを人質にとられてしまった。ガルシアがミニハートを両手で軽く押し潰し、弄んでいる。
「ルーアはともかくも、ヴィヴィローズやゾイまで動かすとは。おまけにカシカだ。お前は予想外に深い」
 疑問も持たずに笑顔で恐怖政治を強いるガルシアの方が、笹良よりよっぽど不可解な危険人物に見えるぞ。もっといえば、船を浮かべるこの広大な青い海の方が更に強烈で深い。
「俺に怯え、時に嫌悪するというのに、逃げぬ」
 間違えてほしくないな、逃げようとしても放してくれないじゃないか。まるきり執着なんてしていないのに、手慰みレベルで束縛するんだ。
「何も考えていない痴れ者なのか、それともやはり女神か」
 こらこら、何気なく、痴れ者などと呟いて人を愚弄するんじゃない。
「さあて、お前の頭の中には一体何が詰まっているのか」
 ガルシアが押し潰していたミニクッションで、つむっと笹良の頭をつついた。
 どうして誰もかれも、自分のことは省みずに笹良だけを不審人物扱いするのだろうか。本当に無礼千万だと思う。笹良はごく普通に、単純な考えを持っているにすぎないのだ。いじめられれば辛いし、痛い思いは心底したくないし、優しくされれば嬉しい。笑ってくれたら楽しくなる。これだけしかない。とても簡単なのだ。
「おいで」
 ほら、また脱走するより早く、取っ捕まえられてしまう。
 笹良は胡乱な目でガルシアを見つめた。腕の中に捕獲されてしまったのだ。
「まだ血の匂いがするな」
 変態だ!!
 何て奴だ、デリカシーの実を一度お皿一杯食べたらどうなのだ、とガルシアの脇腹を数度攻撃した。
「無闇に暴れるな。お前の思考は謎だね」
 煩いのだ。
 というかガルシア、何だか微妙に様子がおかしいぞ。もしかして落ち込んでいるのか?
 そうとも、たまには海底の深海魚が見えるくらいに深く心の奥まで潜って反省するべきなのだ。いつもいつも誰かを傷つけるようなことを平然と繰り返してきた罰と思うがいい。他人の胸にある喜怒哀楽を、刃のような恐怖で操るなんて最悪なのだ。
 急に怒りと悲しみが膨れ上がって、抑え切れなくなった。
 ぱちっと両手で軽くガルシアの頬を挟むようにして、叩く。こっちを静かに見据えているガルシアの顔が、溢れた涙で歪んだ。けれど、その涙を落とす前に瞼を強く押し我慢したあと、もう一度きちんとガルシアを見る。カシカが側にいないから、ようやく言える。
「ガルシア、ひどい、悪い。たくさん、悪い!」
 もう絶対にひげもじゃ海賊は戻ってこないんだぞ。思い知れ!
 笹良も本当に嫌なことを色々とされたけれど、命の危険があるような行為じゃない。でもひげもじゃ海賊は違うのだ。
「お前、俺を平気で叩くのだな」
 どこが平気なものか! 辛くて悲しいに決まっているではないか。
「分からぬよ。なぜ本気で嘆く必要があるのか。お前には関わりのない命であったろうに。好かぬ者まで憐れみの対象にするのか」
「ガルシア、なぜ、分かる、ない? 笹良、好き、関係ない。でも、誰か、好き、悲しむ」
 通じるだろうか、片言の台詞で。
 笹良は確かにひげもじゃ海賊のことが好きじゃない。けれど、笹良の知らない誰かはひげもじゃ海賊に好意を寄せ必要としていて、その死に涙を落としているかもしれないじゃないか。
 人の繋がりって、当事者同士しか見えない大切な何かがきっとある。
「人、傷、与える、ガルシア。笹良、悲しい」
 簡単に他人を傷つけて虫けら扱いをするガルシアは嫌だ。こんなに曇りのない奇麗な目をしているのに、どうして冷たい場所しか見ないの。
「俺に慈悲を説く気か、ササラ。見当違いも甚だしい」
 奇麗な笑みを浮かべているのに、温もりの感じられない乾いた眼差し。見ているのがたまらなくなって、昼間みたいにまた手でガルシアの目元を覆ってしまった。なぜこの人のことを本気で憎めないのだろう。
 全力で憎もうと決意してもうまくいかなくて、足がとまってしまう。
「何の呪いだ?」
 呪い。そうか。
「魔法」
「ササラ?」
「ガルシア、目。温かい、ない。熱、あげる」
「馬鹿な子だね」
 ガルシアが溜息をついて、瞼に乗せている笹良の手を無理矢理外そうとした。抵抗して、また覆ってみる。
「おやめ」
 しつこいと感じたのか、僅かにガルシアが苛立った声を上げる。ガルシアだって、嫌だと思うこと、ちゃんとあるじゃないか。
 両手を奪われてしまったので、何もできなくなってしまった。すぐ間近にガルシアの冷めた瞳がある。なんて寂しい冷たさだろうと、ふと思った。
「寒い、辛い。あたたかい、嬉しい」
 何だかまるで、甘いは辛い、辛いは甘いと囁く魔女みたいな気分になってきたが。
 ガルシアがゆっくりと瞬きした瞬間を見計らって、そっと瞼に息を吹きかけてみる。北風と太陽の話を思い出してしまった。旅人の衣服を脱がせようと、冷たい息吹を吹きかける北風。でも逆に旅人は寒いと感じて、しっかりと服を着込んでしまう。太陽は光を注ぐ。旅人は衣服を脱ぐ。
 心を溶かすのはやっぱり、寒さじゃなくてあたたかさだと思う。
「お前という子は」
 ガルシアに両腕を強く掴まれた。カシカの時みたく暴力を振るうつもりなのだろうかとさすがに恐ろしくなったが、まだ耐えられると自分を鼓舞して、じっとその不思議な色の目を見返した。
 ええい、ボコられる前に、この際言いたい放題訴えさせてもらおう!
「奴隷、ひどい。か……かん…環境、悪い。駄目。清潔、一番。休む、二番。手当、三番。食事、四番」
 CMのカステラ一番、電話は二番、というのをつい連想してしまった。
「服、五番。毛布、六番……」
「……」
 いや、CMというより野球人の背番号を読み上げている気分になってきたな。そうだ、野球だってボールとかバットとか、色々ちゃんと揃わないと試合できないじゃないか。労働だって同じだと思うぞ。
 なんだか怒る気力が失せたという顔をされてしまった。その間に、勝手にガルシアの手を奪い、指切りをして一方的な約束を取り付けた。 
「指切りだぞ、嘘ついたら針千本なのだ」
「何だって?」
 あ、日本語で言ってしまったか。
「もう眠りなさい」
 むっ、突然何だ。手っ取り早く面倒事を葬るために笹良を寝かせようとしているな。断固抗議だ。スト決行。
「ほら、ササラ」
 鼓膜に届く前に、耳たぶで言葉を蹴飛ばしてやる。
「我が儘を言うな」
 言うとも。
「歯向かわずに」
 スト中なのだ。
 大体、ガルシアは何をしに来たのだろう?
 ちょっとだけ、ほんの少しだけ、心配して来てくれたのかと思ってしまったじゃないか。
「困った子だ」
 笹良は困らないもん。
 ガルシアが眉をひそめて吐息を落とし、ベッドから降りる素振りを見せた。
 ――あ、嫌だ。
 行かないでよ。
 笹良は無意識にガルシアの帯を引っ張ってしまった。少し驚いたようにガルシアが視線をこちらへ向けた。
 動揺を隠すために、もぞりと動いて、ガルシアの膝に頭を乗せる。
「ササラ」
 ガルシアが苦笑する気配。
 髪を撫でられた時、ガルシアばかり膝枕してもらって狡い、という思いのせいでこんな行動を取ってしまったんだと自分に言い聞かせた。

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