she&sea 48
カシカはやや素っ気ない態度でサイシャからもらってきた薬をオズに渡した。
大人しく薬を受け取ったものの、オズは何度か躊躇うような視線を笹良に向けてきて、すぐには立ち去ろうとしなかった。ここに長々と居座っていたら、誰かに目撃されるかもしれないという不安があったので、「早く戻った方がいいぞ」と目で訴え、軽く手を振ってみた。
「行けよ」
カシカの催促で、ようやくオズが去っていった。カシカは小さな溜息を落としたあと、オズの背を見送って大きく手を振る笹良に向き直った。
サイシャの部屋で安静にする予定だったが、こうして薬をかっぱらってきた以上、笹良が姿を見せるわけにはいかないだろう。
「部屋、戻る」
ガルシアが与えてくれたいつもの部屋に戻る、と言いたいのだ。
「平気か?」
心配そうなカシカの問い掛けに、うむ、と厳めしい顔をして頷いてみた。するとカシカは呆れと穏やかさが混じる苦笑を見せて、またもや笹良の身を抱き上げてくれた。気持ちも行動もとってもありがたいのだが、ちょっぴり複雑な感情を覚えてしまうのはなぜだろう。
「なあ、俺の方で休むか?」
え?
「俺は一応、お前につけられているのだから、別におかしな話ではないだろう」
俺の方、ってことは、カシカの部屋で休養するかという意味だろうか。
そういえばカシカは一体、どこで眠っているのだろう。性別を変える首輪を外していた時があったというのだから、共同部屋で他の海賊達と寝起きを共にしていたとは考えにくい。
視線で問うと、カシカは少し動揺した様子で顔を背けた。
「俺一人ではないけれど。……ゾイさんの船室を借りているから」
ゾイ!?
まじまじとカシカの横顔を凝視したら、怒ったように眉間を寄せているもののほんのりと耳が赤くなっていた。
「お前ね! 邪推するのやめないか! 汚らわしい事は何もしていない」
もう、何も言ってないじゃんっ。
にやにやしつつ無言で見つめ続けると、カシカはこっちを軽く睨んだあと、乱暴に足音を立てながら歩いた。
「俺は女に戻る気はないんだ」
カシカは急に厳しい表情を浮かべて遠くを見据えた。
「男として生きる道を選んだんだ。体調の問題で歓靡の蛇輪を外さなければいけない時もあるが――俺はもう、以前の自分は捨てたのだから」
「どうして?」
カシカの思い詰めたような暗い眼差しにびっくりして、条件反射で訊ねてしまった。
たとえば、心底男性の身体に憧れを抱き、その結果性別を変える決意を固めたというならばまだ理解できるけれど、なんだかカシカの言い方は、そうせねばならないと無理に自分を納得させて歪めているように思えるのだ。
そもそもなぜカシカは性別を偽って海賊船に乗っているのだろう。海上の盗賊とならなくてはならなかった理由が、カシカをこんなにも苦しめているのだろうか。
笹良の視線に気がついたカシカは表情を緩めて少し笑った。
「冥華は警戒心が足りないんだ。海賊家業の奴なんて、なんであれ、信用すべきじゃない」
「でも、カシカ」
「俺のことなんて、かまわなくていいんだ。女だと思うな。忘れているようだけれど、性別を誰かに密告した場合、俺はお前を殺すよ」
カシカの目がすっと鋭利な色をたたえた。
「俺は人を殺せる。勘違いしているようだけれどな、この前の殺しが初めてじゃないんだ。何人だって殺してやれる。十人だって百人だって。容易いことだ、ただ首をかっ切ればいいのだから。人など、こんなものだ。自分のために、相手を壊す。何がいけない? どこが罪だ? どれほど正論を垂れ流そうが、いざという時は皆、他人を蹴散らし踏み越えて逃げるんだ」
カシカまでがヴィーと似たような荒んだ言葉を口にするんだ。
「カシカ、笹良、助ける、してる」
今こうして、動くのが辛い笹良を抱き上げて休ませようとしてくれている。ヴィーやジェルドに睨まれた時、暴行を受けるかもしれないと分かっていただろうに、笹良を救おうとしてくれたのだ。
誰だってきっと、たくさんの人間を平等に助けることなんてできやしない。
でもさ。
たった一人でも助けられたら、それって最高に凄いことじゃないだろうか。
「笹良、嬉しい」
ぽそぽそと訴えつつ見つめると、カシカが一瞬立ち止まりかけて、すぐに落ち着いた歩調で通路を進んだ。
少女のような、少年のようなカシカ。どっちにしてもとても奇麗な横顔だ。
「手軽い奴」
口が悪いぞ、カシカ。一体誰の影響だ?
ちょっとお姉さんぶって、全く、という顔をわざと作ったら、カシカがむっと眉をひそめ、ふと何か悪戯を思いついたようなすこぶる悪党な表情を見せた。
「俺を男扱いしないってわけだな。じゃあさ」
突然カシカが、抱き上げている笹良の耳に唇を寄せてきた。
「お前、身体をろくに動かせないんだろ。大変だよな、湯浴みの時、洗ってやろうか?」
何?
「気にしないんだろ? 見られても平気なんだよな」
こら待て。何だその、王様とジェルドを足して二で割ったようないかがわしい台詞は。
思いっきりさっきの会話をはぐらかした上に、本気で心配している心優しい笹良を怪しい言葉でからかおうとしているではないか。それは神に対する冒涜といっても過言ではない大罪だ。
「奇麗に洗ってやるよ、隅々まで丁寧にな」
遠慮する!
胡乱な目をして睨むと、カシカが耐え切れない様子で噴き出した。許せないな、あとできっちり報復してやる。
そうとも、ゾイの部屋を借りているというならば――ゾイの前でわざと、恋心についてあれやこれやと意味深な発言をする所存だ。
余裕の笑みを浮かべつつ、内心で腹黒い策略を完成させた時、カシカがこっちの心を探るような目つきをした。
「お前、余計な真似をしたら、本当に襲ってやるからな」
恐れ戦くがいいさ、カシカ!
●●●●●
お互いに邪悪な企みを秘めつつ、ゾイの部屋に到着した。
ゾイは不在で、多分、別の場所で下っ端君達の面倒を見ているのだろうと思われた。
船室内は意外にもヴィーの所より広く整理整頓されていて、二つの寝台の間にきちっと仕切り幕が垂らされていた。この辺り、ゾイの几帳面というか硬派な性格がうかがえるな。
おまけに、ジェルドの船室には絶対なさそうな、小難しい系の書物が山ほどゾイ側の寝台横に積み上げられている。文机の周辺にも置かれているしさ。ゾイってかなり頭がよさそうだ。
異世界に落っこちる以前の自分の勉強態度などを思い出して反省していたら、カシカがそっと自分の寝台に笹良を降ろしてくれた。
「何か飲むか?」
カシカはこういうところがよく気がついて、まめなのだ。そうだ、ヴィーの場合、林檎を丸ごと放ってくるとか、とても投げ遣りというか大雑把だったものな。日本で食べていたやつよりかなりデカイサイズの林檎と格闘して腹を立てると、溜息をつきつつナイフでこれまたいい加減にカットしてくれてさ。しかもナイフに乗っけたまま「食え」と差し出してきたこともあったな。
「ちょっと休んでろ。適当に持ってくるから」
ゾイの船室で大人しくしているのならば安心という表情を見せて、カシカが出て行った。残された笹良は寝台の上に転がりつつ室内観察に勤しんだ。木箱や、もとは林檎を入れていたであろう樽なんかを再利用して、そこに色々な雑用品を入れているらしい。壁に黄ばんだ古い紙切れがはり付けてあったり、衣服がかけられたりしていた。感心しつつ眺めていた時、船室の扉が開けられた音が聞こえ、随分戻ってくるのが早いと、カシカであることを疑いもせずに仕切り布をめくった。
「……グラン?」
カシカでもなく、ゾイでもなく、船室に入ってきたのはグランだった。
予期していなかった相手だけに本気で驚き、ぽかんとグランを見つめた。グランの方も、まさか室内に笹良がいるとは思っていなかったらしく、一つしかない目を僅かに見開いて動きをとめた。
なぜここにいるんだ? と問い掛ける瞳に「カシカ、待つ」と事情を説明してみる。グランはそれで納得したらしく、軽く頷き、素早く視線を室内に走らせた。笹良以外に誰もいないのか確認したらしい。
「笹良、一人。グラン?」
今は笹良一人しかいない、グランはどうしてここに来たのだ? と訊ねたいのだ。
ゾイとグランって交流があったのかと新発見してしまった。
「ゾイはいないのだな」
うん。
まあ折角来たのだから隣に座ってよ、という意味をこめて、寝台の端を指差してみた。グランは少し躊躇うように間を置いたあと、指し示した通り笹良の横に浅く腰をかけた。
「その顔、どうした」
問われて、そんなに頬がひどくなっているのかと項垂れそうになった。ガルシアに結構強い力で叩かれたから口の端が切れているようだし、頬も熱を持っている。
「大丈夫」
笑って誤摩化すと、グランはしばし沈黙したあと、笹良の肩に毛布をかけてくれた。
あぁグランって何だか、すごく胸が締め付けられるようなさり気ない優しさを見せてくれるのだ。
「痛みがあるだろう」
訊ねる口調じゃなくて、静かに言われて、鼻の奥がつんとした。
「うん」
どうしたのかと聞かれた時は曖昧な態度でかわせるけれど、こんなふうに事実だけをぽつんと告げられた場合は、嘘をつけなくなる。
「そうだな」
「うん」
涙が落ちそうになって、慌てて下を向いた。
「冥華の判断は、悪くはないだろう」
「……え?」
「ルーアを船に置けば、いずれ殺された。慰み者になるだけではなく、船上で諍いが起きた場合、女が船にとどまっているのが原因だと、不吉な現象や物事の原因を全て押し付けられる羽目になる。本来、女は禁忌の船だ。娼婦として短期間とどまるのとは違うとなれば、船員の目も変わる。特に、王の庇護下にある冥華に手を出せない分、船員達の鬱憤はルーアに向かうだろう。不本意な行為を強いられ、挙げ句殺されるという未来は避けられない。船にとどめぬ方が、本人にとってもよい」
グラン、ルーアが娼船に戻る時のことを誰かから聞いたんだ。
「ルーアも、落ち着けばいずれお前の考えに気がつく」
そうだろうか。
優しい人に嫌われるのは、ひどく辛い。自分はこの世界に許されない存在だと強く感じてしまう。
必死な思いが胸に湧いてきて、グランの顔をじっと見上げてしまった。静かな表情を浮かべるグランの顔の中に一欠片でも真実が隠されていないだろうかと、そういう願望をこめてしまったのだ。
ぽむ、とグランが一度、笹良の頭を撫でた。元気づけてくれているような気がした。
きっと誤摩化し続けて誰にも吐き出さずにいたらどこかでまいってしまったかもしれない。グランは笹良を励ますつもりでここへ来たんじゃなかったんだろうけれど、辛い思いを理解してくれたような雰囲気を作ってくれた。
海賊、悪い人達ばかりじゃない。
笹良が顔を上げて笑えるようになるまでの短い間、グランは隣に座り続けてくれた。カシカが戻ってくる前に、ゾイを探すためか、部屋から出て行ってしまったけれど、とても心が楽になっているのに気づいた。
グランが来てくれたこと、秘密にしようとなんとなく思った。
●●●●●
「――冥華」
誰かに肩を揺すられて、笹良は目を覚ました。短い眠りだったと思う。
「冥華、起きなよ」
楽しそうな明るい声。ジェルド?
すぐには意識が現実に追いつかなくて、何度も目をこすってこっちを見下ろすジェルドの笑顔が幻じゃないか確かめた。
「王が呼んでいるよ」
ガルシアが。
徐々に意識が明確になる。そうだった、カシカに飲み物をもらったあと、寝台を借りて居眠りをしてしまったんだった。
「カシカ」
カシカはどこ? という意味で室内を見回すと、ジェルドの後方に、着替えを持って困った顔をしているカシカと視線がぶつかった。
「支度は早めにな」
ジェルドはそう言って、ひらひらと手を振り船室を出て行った。なぜわざわざジェルドが起こしにきたのか、不思議でならない。
一体何事が始まるのか? とこっちへ近づいてきたカシカを仰ぎ、視線で問うと、緊張とはまた違った躊躇うような表情をされてしまった。
「大丈夫だから」
言い聞かせるように囁かれ、着替えを渡される。
何が大丈夫なのだろう。
「お前は何もしなくていいし、何も見なくていいから」
「カシカ?」
「心配はない。俺の側を離れるなよ」
カシカは真剣だった。何について諭されているのか、全く要領は得なかったけれど、笹良が怯えるような事態がこの先あるのかもしれないということだけは推測できる。
なぜならカシカは、海賊の顔をしていたのだ。
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