she&sea 49
笹良は忘れていたのだ。
いや、正確には、忘れていたというより未知ゆえにきちんと把握できていなかったのだ。
海賊。
彼らは長閑に航海を楽しむ無害な旅人などではなく、尖った剣と野望を鞘に隠している強奪者なのだった。
そう、笹良は彼らがなぜ海賊を名乗っているのか、この瞬間まで深く理解していなかったのだろう。
王様達は海の支配者。
海賊の本性を、初めて目にした。
******
カシカが用意してくれたドレスは、ぎょっとするほど鮮やかな真紅の派手なものだった。笹良が華美なドレスはちょっと遠慮したいと密かに困惑しているのを知っているのに、それでもこれを身に纏えという。勿論、威圧的に「着れ!」と命令されたわけじゃないけれど、どこか拒否できない強い気配を感じた。だとすると、笹良がこのドレスを着ることに何か意味があるのだと考えるべきだった。
本当にどこかの高貴なご令嬢が着そうなドレスだ。コルセットみたいなやつをつけ腰元をきつく締めるタイプのもので、細かい刺繍がスカート部分全体に施されている。むき出しの両腕には透ける素材のショールっぽい布をかけて、ドレスと同色の長い手袋をはめる。
ジェルドがくれた首飾りは奴隷君達が命をすり込むようにして研磨した比石を利用していたから、何だかお守りみたいに思えて手放せなくなっていた。色が踊る奇麗な石を眺めていると、不思議と心が落ち着くのだ。
その首飾りをつけ、きらきらと輝く黄色の大きな耳飾りを垂らして、完成。この恰好、娼船のお姉さん達にも負けないくらい豪華だと思い、ふとルーアが最後に見せた表情が脳裏に蘇って胸が痛んだ。
もう一ついえば、お腹部分がきつめなので結構立っているのが辛いかもしれない。
着替えを終えて船室を出る前に、カシカがパウダーみたいのを笹良の頬にぱたぱたとはたいた。ガルシアに叩かれて頬が少し赤くなっていたから、目立たなくするためにパウダーを使ったんだろう。
カシカに導かれて甲板に出ると、空はいつの間にか夕日の色に染まっていた。日中の海は目が覚めるほど鮮やかな青い色を見せていたのに、今は見事な茜色に染まっていた。
カシカの手を杖代わりにしながら周囲の様子を眺め、ふと違和感に気づく。
何だか変な感じだ。何が奇妙なのかと首をひねり、マストの帆布を何気なく見上げてぎょっとした。
丈夫さだけが取り柄といった小汚い帆布が、なぜか貴族船で掲げるような、華やかな紋章を施した発色のいい緑色の新帆に取り替えられていたのだ。それだけではない。船尾や船首の飾りなども、悪魔みたいだった禍々しく厳つい像から、金色をした清雅な龍へと替えられている。更に掲げられている船旗も、烏の翼めいた黒旗から紋章付きの真新しいものへ、変わっていた。
唖然として視線を巡らすと、船のふちにもタペストリーに似た色鮮やかな布が外側へと垂らされているようだった。海賊船、あまりに小汚いから、船員達がようやく心を入れ替えて隅々までリフォームしたのかと疑わずにはいられないような急の変化だ。帆布の緑と黒い船体の対比は逆に見事な調和をもたらし、本当に海賊船というより身分の高い人達が乗船するような恰好いい船に様変わりして見えた。
「ササラ、おいで」
突然呼びかけられ、はっと視線を正面に戻す。
ガルシア。
王様の声を聞いた瞬間、身がすくむような怖さが胸の中にざっと広がって、今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られたけれど、一歩も足を動かせなかった。少し離れた場所に立つ王様の姿に、目が奪われたのだ。
痛いことをされて、泣きたい程辛かったはずなのに、どうしても視線を外せない。
ガルシア――恰好いい。
いつもの適当な服じゃなかった。それこそ貴族の人間みたいなきりっとした衣装を身に纏っていたのだ。
落ち着いた光沢がある黒の上着で、ふちの部分には青色の刺繍が施されている。襟元からちらりと覗く薄い色の服はシルクっぽい感じだ。固い革製のベルトが腰に巻かれていて、その留め具に二本の剣をさしている。
肩には灰色がちょっと混ざった白い毛皮をひっかけていた。髪の毛も後ろで奇麗にまとめられていて、耳の辺りに豪華な宝石が垂れ下がるタイプの輪のような髪飾りをはめていた。青い髪に銀の輪がよく映えている。
靴もちゃんとしていた。ウエスタンブーツをちょっと連想させるようなかっちりとした長靴だ。
一体、どうしたんだ?
「見蕩れたか?」
ガルシアが、昼頃笹良に加えた暴行を全く忘れたような普段通りの態度で、面白そうに顔を覗き込んできた。
笹良もどこか排他的で冷たかったガルシアの言動などなかったことにしてしまいたいという狡い気持ちがあったから、急いで辛い記憶をかき消し、わざと胡乱な目をして睨み上げた。これはこれで、またも自分の無価値さを痛感することになるので心がきりりと痛んだけれど。
「見蕩れる、ない! が、ガルシア、笹良、見蕩れる!」
つい生意気な態度で、ガルシアこそどこからみても優雅なお姫様的笹良に見蕩れただろう、と憎まれ口を叩いてしまう。
「ああ、そうだな。なかなかのものだ」
ガルシアが笑い含みに言って両手を自分の後ろに回し、上品な紳士のごとく奇麗に背を伸ばしたあと、笹良の全身をしげしげと眺めた。
あんまり長々と見られたら、減るではないか。
どうしてか分からないけれど緊張している時みたいに胸がざわめき、羞恥心に似た思いを抱いてしまう。ガルシアの方をまともに見れないなんて、変だ。
「王、準備は整いましたよ」
俯いて黙り込んでいた時、あっけらかんとした明るい声が聞こえた。一切悩みがなさそうなこのすっとぼけた声は、間違いなくジェルドだ、と確信し、安堵するような思いで顔を上げた。今の王様と向き合っているのはなぜか心がとても落ち着かなくて、苦痛にすら感じていたのだ。
「ジェルド……!?」
驚くべきことにジェルドまでもがいつもの崩れたパンク風なスタイルから貴族然とした雅な恰好に変わっている。ワインレッド系の色でまとめられた衣服だ。
「どぉ、冥華。俺、恰好いい?」
その余計な一言さえなければ素直に賞賛してあげたのに、という目で思わずジェルドを見上げてしまった。
「――おい、まだ紅弾の用意が終わっていないぞ」
と、怒った声を上げてこっちに近づいて来たのはヴィーだった。
どうしたんだ一体。皆でコスプレしたのか、と仰天せずにはいられなかった。ヴィーまでもが高級感溢れる衣装を纏っていたのだ。
目を見開いたまま凝固していたら、ヴィーに不審な顔をされてしまった。
「何だ、その阿呆面は。文句があるのか」
「どうしたの、皆」
咄嗟に日本語で訊ねてしまったが、顔色で何を言いたいのかヴィーは理解したらしい。けれども親切に説明してくれる気は全くないらしく、少し小馬鹿にしたような微笑を浮かべてこっちを見下ろした。恐るべし、豪華な衣装の威力。まともな恰好をしているせいか、小憎らしい笑みがどきりとするような艶かしいものに変化して見える。ちなみにヴィーは濃い青をメインにした衣服だった。
「なあ冥華、どっちが男前?」
と、高鳴る胸を一気に冷やしてくれるような、お馬鹿な問いかけをしてきたのは勿論ジェルドだった。呆れた表情を浮かべるヴィーの肩に、片手を腰に当てつつわざとらしく寄りかかってちらりと笹良を見つめる。
いかにも「褒めて!」とポーズを決めてわくわく期待する目に、何だか負けてしまった。
「む、ジェルド、男前。大人!」
「だよねぇ! 俺、なかなか上等に見えるだろ。ヴィーよりも数段精悍だよな」
いや、精悍という意味でならヴィーの方が、と内心で思ってしまったが、夢を壊しちゃ悪いな。
「じゃあさぁ、王とどっちがいい? 俺の方が……」
とジェルドが調子に乗って更に軽口を披露した瞬間、ヴィーの鉄拳が舞った。ぱこっとジェルドの後頭部を叩いたのだ。
「阿呆が」
「痛ぇ! 妬んでるんだろ」
ヴィーの気配が後退りしたくなるほど危険なものへと変わった気がするぞ。
「ジェルド、悪いが、俺の方が見事だろう?」
何? と驚き、振り向いた。
ガルシアまでが与太話に参戦するとは! 天変地異の前触れか?
「どうだ、ササラ。お前、見惚れていたな?」
まるで女性を口説く時のような、凄艶な微笑を浮かべてガルシアがそう言った。
何を言っているのだ、と確かに憤慨する気持ちがあるのに、頭がぐらぐらするほど沸騰しそうになった。
「――ジェルド、最高!」
おっ、とジェルドが楽しそうな顔を見せた。
「ひどいな、俺の冥華だろう?」
「知らないっ」
「ははぁ、気恥ずかしいのだな」
カシカ、針と糸を持ってきて、爆弾台詞を投下するガルシアの口を縫い上げてしまうがいい。
「やっぱり俺が一番だよなぁ」
勝ち誇ったような笑みを浮かべて深々と頷くジェルドを、かなり冷たい目で見つつヴィーが無理矢理引っ張っていった。そういえば「コウダン」というよく分からない言葉をさっき言っていたな。
「こちらへおいで。沈みゆく日が美しいよ」
ガルシアはまるで優雅をまとったように柔らかく微笑み、どこかへ去っていくヴィーとジェルドを見送っていた笹良の腕を取って、王様椅子が置かれている方へと歩き出した。
戸惑いながらちらっと振り向くと、後ろに控えていたカシカが軽く頷いた。その仕草に安心感を得て、ガルシアに導かれるまま大人しく王様椅子の方へ向かう。
「コウダン、何?」
王様椅子がある場所へ到着したけれど、ガルシアは座ろうとはせず、船の手すりにのんびりと寄りかかって、側に立つ笹良に視線を投げてきた。
「紅弾か? 小型の破裂弾のことさ」
破裂弾?
破裂弾という言葉もあまり馴染みがなくて想像しにくいのだが、何となく爆弾関係の一種なんだろうということは理解できる。けれど、どうしてそんな物騒なものを用意しているのだ。
「ガルシア……?」
「案ずることはないさ。お前に襲撃参戦を命じはしない」
襲撃?
益々分からなくなった。ただ、濃厚な不安が高波のように胸に押し寄せてきた。
「まあ、見ているがいいさ」
夕日の輝きに目を細めて笑うガルシアの顔は、奇麗に整っている分、ひどく不吉なものに見えた。
******
海の彼方に太陽が沈んでいく最中――
「さぁお前達、稼ぎ時だ!」
ジェルドが高らかに宣言した。
海に、ぽつんと、黒点が一つ。
「用意はいいな、お前達」
いやに着飾った海賊達が皆、ガルシアに向けて恭しく礼をとった。
黒点が近づいてくる――違う、船だ。あれは、船。
「ガルシア」
笹良、何だか怖い。あれ、娼船とは違うよね。
ぎゅっと胸を押さえて恐る恐るガルシアを見上げると、耳元に唇を近づけられた。
「ササラ、笑え」
「なんで……?」
「笑って、向こうの船をおびき寄せろ」
おびき寄せる。
どうして。
「お前は異国の姫。我らは姫の護衛団さ」
何、その設定。
どうしようと思う。おかしい、なんか、皆、おかしいよ。
どういうことか誰かに説明してほしくて、皆の顔を見回したけれど、誰も答えてくれなかった。カシカもヴィーも、笹良の知らない目で接近してくる船を凝視していた。
「荷船で間違いありませんね。女も複数乗船しているようです」
大きな円盤型の水晶をはめた望遠台の前に屈み込んでいたギスタが、ガルシアに聞かせるような感じで素早く告げた。
「貴船じゃないのか?」
ジェルドの問いに、ギスタがもう一度望遠台の覗き口に近づいた。
「――貴船にしては規模が大きい。ただの遊船ではない。王の読みが正しい。貴船を装った荷船だ」
「結構なことだ」
ガルシアが軽く手すりを叩き、低く笑った。
「さあ、ササラ。向こうの船も、こちらを観察しているだろう。貴族の姫らしく、上品に、しとやかに笑え」
「でも、でもっ」
ガルシアの指が、すっと笹良の顎を捉えた。
「可愛い姫君。お前はその無垢なる笑みで、人を誘惑するのだろう?」
「ガルシアぁ」
ガルシアの指が偶然を装って、首に触れた。その瞬間、全身が粟立った。凄い力で首を押さえつけられた時間が蘇る。
「言う事をおきき」
拒否を許さぬ眼差しで、笹良を射抜く。
「なあ? ササラ」
ガルシアが背後に立って、笹良のお腹に両腕を回した。温かい腕、きっとガルシアは穏やかな微笑を浮かべている。
あぁそうか、人形のように笑っていなくちゃ駄目なんだ。
心が震えるせいで、身体も震えるんだと、そう思った。
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