she&sea 53

 連れられた場所は、海賊船にはまだこんな汚い所が隠されていたのかと驚くほど、狭く重苦しい荷倉だった。
 比石の部屋に近いと思われるこの荷倉にはなんと、デカイ猛獣を飼う牢獄めいた檻が複数置かれていたのだ。空の檻には、薄汚れた毛布やバケツみたいのが放置されている。もしかすると、労働を強要されている奴隷くん達がここで眠っているのかもしれない。
 笹良達は、その中でも比較的大きい檻に入るよう命じられた。殆ど換気されていないのか、なんだかとても蒸し暑い場所で明かりも乏しく、ヴィー達が持ってきたランプがなければ真っ暗だっただろう。
 あ、そうだ。
 皆に倣って檻の中に入る前に気がついた。靴を片方だけ履いた状態だったのだ。一つはカシカに閉じ込められたあと、木箱の蓋をこじ開けようとして壊してしまった。
 新しく捕虜となった人々が怖々と檻に入る様子を見守っていたヴィーに、脱いだ靴を差し出した。片方だけの靴なんて、おかしいし。
「――馬鹿が!」
 ヴィーがひどく腹を立てた顔をして、すこぶる低い声で笹良を罵った。その声があんまり厳しかったから、無関係な捕虜の人々もびくっと怯えて息を殺していた。勿論笹良も、片方だけの靴を差し出した体勢のまま、硬直した。
「お前はどこまで愚かなんだ」
 がつっと鉄格子を拳で叩き、ヴィーがえらくとんがった目で笹良を睨んだ。何だとっ、と怒って仕返ししたくなったが、もうそういう気安い態度を取っちゃいけないのかもしれないと気づいて、今回は自重してやることにした。
 ヴィーと一緒についてきたゾイが、腕を組んで深いため息を落とした。
「冥華、なぜこの者達を助けた?」
 ゾイにもすっげえ恐ろしい目で見られてしまい、一瞬聞かなかった振りをしようかと迷った。
「なぜだ?――何の理由をもって救ったのだ」
 え?
 なんかゾイの問い方って、すごく真剣に責める響きがある。うまくいえないんだけれど……疑っている感じ?
 見破られたのだろうか、笹良がとても汚い心をもっていたこと。
 他の理由が考えつかなくて、狼狽してしまった。笹良の不審な態度を見たゾイの目が、今までになく冷ややかな色を帯びたような気がした。
 やっぱりゾイが責めているのって、そのことなんだろうか?
「おい、ちび! どうなんだ」
 ヴィーに骨が折れるんじゃないかってくらい強い力で腕を握られ、んむぅと苦痛の呻き声を上げてしまった。
「い、痛いっ」
「答えろ、馬鹿姫!」
 もう、皆、ひどい!
 笹良、ほんとにいっぱいいっぱいなのだ。
「ど、どうせ、笹良、汚い! 心、悪いっ。自分、安全、望んだ!」
 ヴィーの腕をぱしぱし叩いてもがきつつ、八つ当たりのように喚いてしまった。
「笹良、怖い……怖くて、だから! 言われなくたって、分かってるから、もうやめてよ、どうすれば心奇麗にできるか、分かんない!」
 うぐうぐと泣いて、更にヴィーの腕やら胸やらを攻撃した。
「……何言っているんだ? お前」
 少しの間のあとに告げられた、ちょっと唖然としたような訝しげなヴィーの声に、笹良は顔を上げて、きっ、と見つめた。
 何って、笹良が後ろめたい考えを持っていたこと、糾弾しているんじゃないのか。
「冥華、何の話だ?」
 ゾイにも奇妙な目で見られてしまった。
「もうっ、ひどい! 笹良、心、悪い、だから、ゾイ、ヴィー、責めるっ」
 そうなんでしょう? と涙があふれる目をぎゅうぎゅうこすりつつ、自分が抱いた疾しい気持ちを白状した。恥ずかしいし、辛いし、いたたまれない。
「……馬鹿、誰がそんなことを聞いた?」
 ヴィーがどっと疲れたような顔をして、遠くを眺めた。
「全く、なぜそういった話になるんだ」
 と、なぜかゾイもまた、疲労感が増したような表情を浮かべている。
 なんなのだ、その反応は!
 ゾイはもう諦めた、というように緩く首を振り、本気で嫌そうな目をこっちに向けてきた。
「まあいい――それよりも、お前のような娘に労働ができるのか?」
 労働って、比石の研磨をするんだろうか、やっぱり。
「こんなちび餓鬼に力仕事がつとまるものか。せいぜい足手まといになるだけだ。おらぬ方が余程はかどる」
 ヴィー、失礼だ。
 ついヴィーには遠慮なく攻撃をしかけてしまいそうになる。というか、実際にぱしっと腰辺りをはたいてしまったが。
「痛たっ」
 しかし、すぐさま逆襲された。ヴィーに首の後ろを掴まれてしまったのだ。
「――何だお前? 口が切れている」
 罵ろうとしたに違いないヴィーが、ふと眉をひそめてこっちの顔を覗き込んだ。カシカに化粧をしてもらって少しは誤摩化せていたけれど、やはり間近な距離から見られると、ガルシアに叩かれたあとに気づかれてしまうようだ。
 嫌だ離せ、と暴れて、首を掴むヴィーの手をなんとか外し、脱出に成功した……と思ったら、またしても腕を取られてしまった。
「その手はどうした。なぜお前は少し見ない内に傷をこさえているんだ」
 うるさいな、皮肉王!
 この手は仕方ないのだ。木箱をこじあけようとした時にできてしまったのだから。
 むっとした時、ゾイがまたまた溜息を落とした。
「とにかく、王の命には従わねばならない。たとえお前であっても、多少は何らかの役についてもらう」
 ゾイがまだ濃厚に疲労感を漂わせつつも、冷静な目をこっちに向けた。
「……うん」
 頷くと、ヴィーがとても渋い顔をして、横を向いた。
 
●●●●●
 
 今日のところはひとまず、檻の中で休んでいいらしかった。
 というより海賊達は今きっと荷箱の中身に夢中なため、こっちにまで気が回らないのだろう。
 捕虜の人達と同じ檻に入れられたのだが、結構長い時間、誰もこっちを見ようとはしなかった。笹良は檻の隅の方で、膝を抱え、丸くなった。それにしても暑いし、このドレス、きついったらない。
 誰も話しかけてこないのをいいことに、笹良は少しでも休んでおこうと思ってうつらうつらと微睡んでいたのだが、結構疲れていたのか気がつけば本格的に寝てしまったようだった。目を覚ますきっかけとなったのは、こちらへ近づいて来る複数の足音だった。
 あぁ、多分、労役についていた奴隷君達が帰ってきたのだ。
 どの程度時間が流れたか分からないけれど、かなり長く眠っていたに違いなかった。もしかすると、今はもう深夜を回っているのかもしれない。ヴィー達が置いていったランプは、あまり長く持ちそうにない感じで弱々しく揺れていた。辛うじて人の顔がぼんやり分かるといった程度の薄暗さだ。
 戻ってきた奴隷君達は皆、この薄暗い中でも分かるくらい、すごく疲れた顔をしていた。皆足に枷をつけていて、身体を引きずるようにして歩いている。
 それぞれの檻に戻る奴隷君の中に、オズの姿があった。まさか手を振って挨拶するわけにはいかないから黙っていたんだけど、ふと顔を上げたオズに気づかれてしまった。
 一応、鉄格子越しに微笑みかけてみた。オズは目を見開き、ひどく驚いた表情を浮かべてこっちを凝視した。
 あ、ウェーブヘア君もいる。彼もまた、オズと同様に愕然とした顔を見せた。
 さすがに気まずくなって視線を他へ移すと、奴隷君達の最後尾に、何度か顔を合わせたことのある下っ端海賊君数人と、サイシャの姿があった。
 海賊君達は何やらでかい鍋と皿を持ってきていた。何だろうと思ってそっちを見ると、海賊君の一人と目が合った。以前、珍しい石をくれた海賊君だ。そういえばあの石、ガルシアにあてがわれた部屋の壁の飾りとしてつかったんだった。
 その海賊君はちょっと悲しそうな顔をしたあと、でかい容器からどろどろしたスープみたいのをすくって皿に盛った。そっか、食事か。
 海賊君達が乱暴な仕草で奴隷君達にお皿を配り始めた。笹良の方へはサイシャが近づいてきて、お皿を渡してくれた。こういっちゃ悪いが、なんて粗末な食事なんだろう。うう、なんていうか、ポテトサラダに鈍い色を足して、尚かつ水っぽくした感じといえばいいか。これはひどい、と盛られた食べ物を改めてしげしげと観察し、眉間に皺を寄せてしまった。
 しかし、サイシャに文句をいうわけにはいかない。大人しくお皿を受け取った時、手の中に何かをこっそりと落とされた。きょとんとしてサイシャを見返すと、ささっという感じですぐさま視線を逸らされる。何だろうと思って渡されたものを見たら、それは小さな貝殻を容器代わりにしている外傷用の塗り薬だった。
 サイシャ、感謝なのだ!
 さすがは船のお医者さん、優しいではないか。評価、断然アップだぞ。
 内心でサイシャを絶賛していた時、今度は以前珍しい石をくれた海賊君が、他の仲間の視線が逸れた時を見計らうようにして、そそっと近づいてきて素早く懐から何かを取り出し、鉄格子の隙間に差し入れてきた。
 うぬ? と思って海賊君を見上げたら、サイシャの時と同様に慌てた感じで視線を逸らされ、逃げられてしまった。
 ……あ、靴だ。
 鉄格子の隙間に差し入れられたものは、カシカがいつも用意してくれる豪華で華奢な靴じゃなく、ぺたんとした動きやすそうな短靴だった。
 ちょっとびっくりして、一言も発することなく去っていく海賊君達の背中を見つめた。最後まで残っていたサイシャが、扉から出る直前、少し躊躇う感じで立ち止まり、ぎこちなくこっちに戻ってきて、自分が手にしていたランプと鉄格子の前に置かれていた切れかけの古いやつを取り替えてくれた。目を合わせてはくれずに、そのまま立ち去ってしまったけれど。
 じいっとランプの明かりを見つめる。それから、靴と、薬と。
 これ、きっと本当は全部、差し入れ禁止の物なのではないか?
 だからあんなに慌てた感じで渡してくれたのだ。
 ううっ、マジ感謝だ。ガルシアにばれたら凄く怒られるだろうに。
 滅茶苦茶感激し、その余韻を長く味わった。
 その後、決死の覚悟という感じに気合いを入れて、見た目からしてまずそうな食べ物を膝の上に置く。しかし、これは一体どうやって食べればいいのだ? ちらっと皆の様子を窺うと、笹良と一緒に連行されてきた捕虜の人々も戸惑った感じでお皿の上の食べ物を見ていた。別の檻に入っている古参の奴隷君達は、当たり前のように手掴みで食べていた。そ、そうか、手で食べるのか。
 よし、食べてみようではないか。
 と、意気込みつつも、最初は小狡く人差し指と親指でちょびっとだけすくい取り、口に運んだ。
 まずー!! と声に出して絶叫できたらどんなに楽か。
 これはまずい! びっくりなのだ。味がしない、というか、青臭い、変な匂い。腐ってるっぽい。
 この食べ物だけでも、笹良が今までどれほど優遇されてきたか分かるってものだ。いつも食べていた物は、見た目こそヤバかったものの、かなり美味しかった。でもその食事にありつけていたのは、恐らく中堅以上の海賊君に限られていたのだろう。下っ端君達は、ここまでひどくはないかもしれないけれど、それでもあんまり豪勢な物を食べていなかったんじゃないだろうか。
 いやいや、我が儘を言っちゃいけないのだ、食べなきゃきっと明日、身体が持たないに違いない。
 どんな仕事を押し付けられるか戦々恐々だが、今は考えないでおこう。
 笹良は滲みそうになる涙をこらえつつ、ちょびちょびと食べ物を口にした。
 しかし、途中でギブアップしてしまった。駄目だ、半分くらいは何とか我慢したが、これ以上はきっと吐くぞ。
 皆はどうなのかと気になって見回すと、やはり今日連れてこられた人々の殆どはこの味がどうしても受け付けないようで、大半を残していた。逆に、別の檻に入っている古参の奴隷君達は最後まで奇麗に食べ尽くしている。
 それにしても、静かだ。誰もお喋りとかしないのかな。
 今日ここへ来ることになった人々に関しては、とても話し合いなどできる心境ではないだろう。目の前で仲間がたくさん殺されたのだ。笹良はどちらかといえば、海賊側の人間なわけで、彼らからすれば憎い敵に他ならない。
 一緒の檻に入っているのはかなり辛いのだ。
 海賊君がくれた靴をとりあえずはき、小さく吐息を落とす。何気なく顔を上げた時、一番近くに座っていた女の人と目が合ってしまった。でも見てはいけないものを見てしまったという慌てた態度ですぐに顔を背けられてしまった。
「あのぅ」
 話しかけるのは心臓が飛び出そうなほど、勇気を必要とした。
 笹良が話しかけたのはその女の人だったんだけれど、なぜか檻にいた捕虜の人々が一斉にこっちを凝視した。皆なんとなく、戦々恐々って感じで笹良を見ている。
「これ……」
 さっきサイシャから貰った薬を、女の人に差し出した。笹良の傷の程度は浅いのだ。このくらいなら、放っておいても平気だと思う。けれど、捕虜になった人々の中には、かなり深い怪我をしている人がいた。
「薬。あげる」
 この量では勿論全員には行き渡らない。どう見ても一人用なのだが、ないよりはましだ。一番傷の具合が深刻な人に使ってほしいのだ。
 女の人は大きく目を見開いたまま凝固し、差し出した薬をなかなか受け取ろうとしなかった。そんなにまじまじと見られても困ってしまうのだ。
「薬、怪我、直す」
 こういう時、片言って本当に不便!
 笹良がもじもじと困惑していた時、ちょっと離れた場所でこつっと音がした。
「不思議の姫」
 振り向くと、隣の檻に入っていたオズが鉄格子のぎりぎりの場所まで近づいていて、こっちを見つめていた。

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