she&sea 54

 話があるのか? と思って笹良もオズの方に向き直り、鉄格子を掴んだ。この鉄格子、錆臭いな。
「不思議の姫、その薬はあなたが使え」
 んむ。
「その者達には、別の薬を渡す」
 他の薬、あるのか?
「あなたが昼時に手に入れてくれたものがある」
 あ、忘れてた。そういえば、カシカに取りにいってもらったのだった。
 む、了承したぞ、という意味をこめて厳かに頷いてみた。
 了解の合図をちゃんと出したのに、オズはなんだかじいっと怖い目でこっちを見ている。なぜ皆そんな目で笹良を睨むのだ。バトルを望んでいるのか?
「姫」
 今度は何だっ? と緊張しつつ視線をずらすと、オズと同じ檻に入っているウェーブヘア君が鉄格子のすぐ側まで近づき、笹良と目線を合わせるためか、屈み込んだ。ちなみにこっちとそっちの檻の距離は、一メートルも離れていないのだ。
「なぜあなたがこのような所に」
 ウェーブヘア君のちょっと悲しげな声に、うっと息をつめてしまった。笑って誤摩化そうとしたら、オズにさっきよりも怖い目で睨まれてしまった。やはり喧嘩を売っているのか?
 大体笹良は姫ではないのだが。ドレスを着ているのが敗因かもしれない。
「私達に薬を持ってきたことで、処罰されたのですか」
 それは違うのだ。
 切なげな表情をするウェーブヘア君の質問に、慌ててぶんぶんと首を振った。しかし、もの凄く誤解されている気がするぞ。
「あなたのような方が、なぜ海賊船になど」
 それは全く、笹良も謎だな!
「海賊共に攫われたのですか」
 いや、というより、拾われたといった方が正しい。
「姫君」
 ウェーブヘア君がどこか躊躇いながらも、真剣な目を向けてきた。真顔で姫君と言われると、ちょっぴり恥ずかしいぞ。
「あなたにとっては不本意で、屈辱かもしれぬが、あの王には逆らわずにいた方がよいでしょう。私達のことは気にせず、王の怒りが解けた時は、どうか」
 うぬぅ、これはとんでもなく誤解されている!
 ウェーブヘア君の頭の中では、どうも笹良は海賊に拉致された不幸なお姫様になっているようだ。本気で同情されると、罪悪感が生まれるな。
「いつか必ず、助けが」
 噛み締めるように強く、ウェーブヘア君が言った。
「笹良……大丈夫、元気」
 微笑付きで訴えたのに、なぜかえらく痛々しいといった目で見られてしまった。やべっ、益々勘違いされているではないか。
 笹良はお姫様ではないぞ、と説明しようとしたのだが、はたと気づいた。捕虜の人達がいる前で、それを口にした場合、変な誤解を生むのではないだろうか。なぜならガルシアが、笹良をお姫様扱いした上、皆のために自ら奴隷になると口にしたのだ。ところが、純粋な意思で笹良は皆を助けようとしたわけじゃない。
 それなのに今自分が、姫じゃないといえば、この人達に何だか恩を売りつけているような意味になってしまう。そもそも本当に笹良は高貴な姫ではないのだが、この様子を見ると誰も信じてくれなさそうだし、片言では理路整然と説明できそうにもなかった。
 うう、どうすればいいのだ!
 泡を食ってうろうろと視線を泳がせていた時、ふとウェーブヘア君が、鉄格子の隙間から腕を伸ばしてきた。
「――髪が」
「う?」
 あぁ、ガルシアに少し切られたため、不揃いな部分があるようだ。いいさ、こんなの、シャギーかなんかを入れたと思えば。
 髪を切られても、痛みは感じないもの。
 伸ばされた指を、笹良も同じように鉄格子の隙間に腕を入れ、きゅむっと掴んだ。
「平気、勇気」
 最近、この台詞ばかり口にしている気がするな。
 ウェーブヘア君が一度、痛くないようにそっと力を込めて笹良の指を握り返してきた。その時、もぞりとウェーブヘア君の横に別の奴隷君が近づいてきた。
 比石の部屋で話しかけた老人だ。相変わらず顔色は悪いみたいだけれど、大丈夫だろうか。
 体調はどうなのか聞こうとしたら、その老人もこっちへ腕を伸ばしてきた。ちょっと驚いたけれど、ウェーブヘア君と同じように、きゅっと指を掴んでみた。
 ……あ、今、笑ってくれたよね?
 何だか嬉しくなって、笹良も笑い返した。
 不思議なことに、そのあと、何人かの奴隷君達がこっちに手を伸ばしてきた。分かったぞ、笹良が可憐な美少女だから、皆握手をしてほしいのだな!
 よし、特別サービスなのだ。
 元気、元気、と繰り返しながら、笹良は鉄格子越しに皆の手をぎゅっと握った。
 温かいね、握手って。
 
●●●●●
 
 翌日、皆と同じように、足に枷をつけられた。
 はめてくれたのはゾイだった。素早い動きを禁じるため本当は両足につけなきゃいけないみたいだったけれど、片足につけただけで笹良がよろけたため、両方は免れた。貧弱な、という目で見られてしまったけれどさ。
 昨日連行された人々の大部分は、比石の部屋へ回されてしまった。女の人は数人いたんだけれど、何だか別の場所に連れて行かれそうになり、必死に抵抗していた。もしかして、海賊君達に不埒な事をされるんじゃないのかっ。
「駄目っ」
 ルーアの姿が脳裏に蘇り、必死に女の人の腕を掴んで、ゾイを睨んだ。
「駄目、笹良、一緒!」
 嫌がっている女の人に、変な真似をしちゃいけないのだ!
「冥華、お前には関わりのないことだ。手を放せ」
 嫌だ!
 ゾイがひどく冷たい目で笹良を見下ろしてきた。女の人達は震えながら笹良の方に身を寄せてきた。
「そうか、ではお前が皆の慰みとなるか?」
 慰みって!
 やっぱり海賊君達の欲求解消に女の人をあてがおうとしていたんだな。
「ゾイ、変態っ、いけない、駄目!」
 叫ぶと、思いっきり嫌そうな目で睨まれた。
「俺を何だと思っている。女など」
 ゾイは結構潔癖そうだ。変態と言われたのが腹立たしいらしい。ようし、それならば。
「じゃあ、女の人、許す!」
「俺が求めているのではない」
「ゾイ、偉い。立場、上。海賊、……むむ、従う、させる!」
 ゾイは幹部なのだからその立場を利用して、女の人をいたぶろうとする破廉恥な海賊君を宥めるのだ、と言いたい。
「冥華、お前こそ自分の立場を理解しているのか。お前も奴隷だ、俺に指図はできない」
 そこをなんとか!
 女の人を後ろに庇って踏ん張っていたら、他の奴隷君達を別場所へ連行していたヴィーが戻ってきた。
「何をしている」
「冥華が女を寄越さぬ」
 チクったな、ゾイ。
「馬鹿姫、お前は爪の先まで阿呆か」
 ヴィーがぐしゃっと頭をかいて、大きく息を吐いた。
「なぜ大人しくしない。王の不興をこれ以上買うつもりなのか」
「ちび、お前が見知らぬ女を庇わねばならない義理などないだろうが」
 ゾイとヴィー、二人掛かりで笹良を責めてきた。卑怯だ。
「ヴィー」
 きらきらっとか弱い眼差しを送ってみたが、返ってきたのは逃走したくなるくらいきつい視線と暴言だった。
「無駄だ。そんな顔をしてもお前の態度は腹が痒くなるほど無謀だ」
「ヴィーっ」
「うるさい餓鬼だ、黙らないか」
 ぎゃっ、離せ、離せっ。
 ヴィーに無理矢理腕を取られ、女の人達と引き離されそうになった。
「泣く、笹良、怒る! 呪うぞっ」
「なぜこうまで暴れるんだ!」
「痛い! ひどい、あっち行け」
 腕に噛み付こうとした瞬間、業を煮やしたのか身体を持ち上げられてしまった。
「お前、本当に今の立場が分かっているのか? 王の加護は今のお前にない! 俺が何をしようとも許されるのさ」
 傷口を抉るようなことを言ったな!
 怒濤の攻撃を仕掛けてやろうと一念発起し、ヴィーの髪を掴もうとしたのだが、その行動より早く顎を掴まれてしまった。片腕で笹良を抱き上げた状態でだ。
「んむ!」
「食うぞ、馬鹿姫」
 ぎゃ! 卑劣な脅迫だ。
「お願い、ヴィー、許す」
「それほど女を庇うのならば、お前が相手になるか」
 嫌だ。
 むっと睨むと、近い距離からヴィーに何だか重い目で見られてしまった。咄嗟に怯えが走ってしまうような目だ。
「お前も一応、女の証がきたのだったな。俺は所詮雑食だ、お前でもかまわないさ」
「ヴィー」
 その目、怖い。
「どうしたお姫さん。その女達を守りたいのだろう?」
 顎を掴んでいたヴィーの手がゆっくりと下へ降りていった。どくどくと心臓が激しく音を立てる。
「王の言葉通りだ、お前が庇っても、この女共はお前を見捨てる」
 皮肉に笑うヴィーの唇が近づいてきて、身体が強ばった。長い指が喉を伝って鎖骨の辺りでとまる。
「ヴィー」
 ヴィーを呼ぶ声が情けないほど震えていた。首筋を撫でてくる指を両手で掴んで、ぎゅうっと自分の額に押し付ける。
「ふ」
 ヴィーもガルシアもジェルドもゾイも皆、怖い。
「ふぇ」
「……おい」
 皆、怖い事ばかりする。
ヴィーの指を握り締めたまま、えぐえぐと泣いた。泣かないって決心したのに、的中しない天気予報くらい信憑性がない誓いだ。昨日はとうとう、カシカが側にいたのに、泣いてしまったし。でも何だろう、ヴィーの側にいると泣く率が高いっていうか……我が儘を言えて、安心して泣ける感じなのだ。つい心の紐が緩んでしまうのは、やはりヴィーがどことなく我が鬼兄の総司を連想させるためなのかもしれなかった。
「お前な……」
 ヴィーの疲労感たっぷりといった感じの声が聞こえた。
「――王はまだ、冥華を切り捨てたわけではないだろう」
 ゾイが静かに口を挟んだ。ちらっと視線を向けると、ゾイは少し考えに沈むような顔をしたあと、怯え切って萎縮している女の人をじっくりと眺めた。
「この女達には別の仕事をさせる。それでいいだろう、冥華」
 ゾイ、話が分かる!
「問題は、冥華だ」
 難しい顔で見られてしまった。
「まあいい、女達と同じ仕事をさせる」
 来い、とゾイが女の人達に合図して歩き出した。女の人達は一度こっちに不安そうな目を向けた。笹良は涙を拭ったあと、こくっと頷いてみた。大丈夫、心配いらないと思うのだ。
 この海賊船は本来、女性を禁止しているから、そういった意味でもちゃんと注意していなきゃ駄目だ。娼船のお姉さん達が一定期間留まることとはきっと違うだろうと思うし。
 王様とかジェルドとの約束は全く気持ちがいいくらい信用できないが、ゾイやヴィーなら比較的嘘をつかないように見えるので、安心だ。
 女の人達が出て行ったので、笹良も一緒に行こうと考え、ヴィーに降ろして、と髪を引っ張って合図した。まさかヴィーに担がれたまま、ゾイと女の人達のあとをついていくわけにはいかないだろう。できるならば、この窮屈なドレスも脱いで、以前の楽な服に着替えたいところだ。
 無理だろうけれどさ。
 奴隷だし奴隷だし、と心の中でぐずぐずと考えていたら、またじわりと涙が浮かんできて困った。人生の中で、初めて枷をつけてしまったではないか。いくら貴重な体験とはいえ、全然嬉しくない。
「笹良、歩く……」
 と言いつつも、本音ではこのまま今までみたいにガルシアにからかわれてだらりとしていたいという、すごく怠惰な願いがあった。この現状に対する拒絶反応は、掴んだヴィーの髪を手放せないという方法で、如実に示されている。
 怖いことも痛いことも、辛いことも、絶賛放映中といいたくなるくらい胸中で「お断りだっ」という言葉が溢れているのに、どうしてか現実は、思い通りに進んでくれない。
「ヴィー」
 降りなきゃ、と濃厚な未練を断ち切るため、ゆっくりとヴィーの髪を手放した。
「頼んでほしいか、王に?」
 ヴィーは静かな表情でそう言った。
 頼むって……「こっちの考えが間違ってました」と王様に謝り、許してもらって、以前のように贅沢で悲しい日々を戻してもらうということだろうか。
 でも、そうしたらまた、同じことを繰り返すんだ。海賊だもの、再び別の船を襲って、荷を奪って、抵抗する人々を殺して。
「……ううん、これでいい」
 きっとここが耐え時なんだろう。この先、どう現実が動くか分からないけれど、もう後戻りなんてできないから、たとえ間違っていることがあっても突き進むしかない。
「お前は馬鹿だな」
 ヴィーが溜息をついた。馬鹿とかちびとか餓鬼とか、あんまりな表現だ。
 毛束の一つを引っこ抜いてやろうかな、と物騒な策略を抱いた時、ヴィーに身体を抱え直された。驚いた瞬間、ふと空色の瞳がくっつきそうなほど近づいた。日頃の自分の態度が、少しばかり褒められたものではないという自覚がなきにしもあらずなので、何か恐ろしいことを言われるのかと思い切りびくついてしまい、咄嗟に強く目を閉じてしまった。
 その直後、きゅっと瞼に押し当てられた熱い感触。目に溜まっていた涙を押し潰すように――すくうように。
「あぅ」
 熱を持ったこそばゆさ。その唐突な感触にびっくりして、条件反射で仰け反りかけると、こっちの身体を乗せた片腕から転がり落ちないようにか、もう一方の手で頬の辺りを押さえられた。骨張った長い指は、意外にも優しい強さで笹良の動きを封じている。なぜか、距離をいきなりゼロにされてしまったかのような状況で、少しの間時間がとまった。
 ようやく、軽く音を立てて、瞼を押さえていた唇が離れた。呆然として、すぐ間近にある空色の瞳を凝視した。
 今、今、瞼にキスされた?
 唇が離れたあとでも、なんだかどきまぎするようなくすぐったい感触が瞼に残っていて、痛くはないのにひどくその場所が熱い。王様の時とは違って、ちょっと乱暴で、けれども――。
 ふわりと漂う香の匂いや体温が、手で触れられたみたいに確かな感じを持っていて、こんなのって、変だ。
 な、なんでヴィーが、以前のお気楽煩悩王様ならともかく!
 頭の中で百本の線香花火がぱちぱちと燃えているみたいに、色々な言葉や焦りみたいのが散っていて、声が出ない。
 ヴィーは何事もなかったかのように素っ気ない態度で笹良を床に降ろした。よろめきそうになった所を支えられ、ぽぬっと無造作に頭を軽く押されてしまう。
「早く行け」
 笹良は混乱したまま、暗い通路の先で待っていたゾイ達の方へ、おっかなびっくり歩き出した。

小説トップ)(she&seaトップ)()(