she&sea 56

 なぜサイシャの手伝いをせねばならなくなったのか。
 医務室代わりの船室を目にして理解した。急に怪我人が増えている、その理由。
 ガルシア達は、きっとまた商船を襲ったんだ。
 笹良が他の女性達と、船内にこもって掃除をしている間に。
 今海賊船が進んでいる航路は、商船の行き来が多いのかもしれない。
 
●●●●●
 
 サイシャの手伝いといっても、笹良に割り当てられた仕事はごく簡単なものだった。
 怪我人に直接手当てをするんじゃなくて、調合が簡単な薬を作るとか傷口にあてがう布を用意するとか、殆どそういう雑用に終始していた。
 とても複雑な気分だ。彼らは怪我人だけれど罪のない人達が乗る船を問答無用で襲い、無慈悲に命を奪ったかもしれない悪者なのだ。本当なら深い傷を負っていても自業自得というもので同情の余地などないはずなのに、こうして赤い血を流し苦しそうに呻いている姿を見ると、早く治ってほしいと思ってしまう。
 意識を切り替えて、怪我人に包帯代わりの布をまいているサイシャや助手をしているカシカ、その二人の手伝いに駆り出された年若い下っ端海賊くんたちの邪魔にならないよう船室の隅っこに丸まりつつ、まかされた薬を調合すべく格闘した。小型の秤で分量をはかった粉薬を、実は劇薬の類いなんじゃないのかと疑念を抱きたくなるようなやばい色をした液体にまぜて十分に練り合わせる。うう、この鼻につく刺激臭、ちょっぴりクセになりそうだぞ。
 ちなみに粉薬のはかり方だが、まだサイシャたちのように目見当をつけることができないので、小指の爪の形くらいに小さくカットされているサイコロみたいな「計測石」を秤の受け皿に乗せ、分量を比較している状態だ。なんだか理科の実験に似ている。
 すり鉢のような器で混ぜ仕上げた薬を、保管用の小壷に入れて完成だ。結構この作業に慣れてきたら、今度はもう少し複雑な薬を作るよう指示された。怪しげな生き物の干物みたいなやつを細かく切ったり、空恐ろしさを感じて震えたくなるくらいの不気味な塊を煮詰め、他の素材と混ぜて小さな団子状の薬を作ったりした。これはどう見ても、魚か何かの臓器に違いない。というか、完成した薬、何だか微妙にデカサイズの正露丸を連想させるな。
 正直、触るのに思い切り恐怖を感じてしまう薬が殆どだったが、こうして知識を増やすのはいいことに違いなかった。特に、薬を調合できるっていうのはいつか役に立つかもしれないし。
 白衣の天使のごとくいそいそと仕事に勤しんでいた時だ。
 船室の片隅に陣取っていた笹良の横にある薬棚の前で少し作業をしていたカシカの動きが一瞬とまった。カシカだけじゃなくて、ふっと風が通り抜けたかのように、皆が沈黙したのだ。
 何だろうと不思議に思って顔を上げた瞬間、空色の瞳とぶつかった。ヴィーだ。
 や! と普通に挨拶をしようとして、そういえば最後に会った時不埒な王様みたいな真似をされたんだったと思い出し、敬礼しかけていた手がとまった。しかし、そわそわする笹良からすぐにヴィーが視線を逸らした。今、さくりと奇麗に無視されてしまった気がする。むごいぞ。
「怪我人の手当ては終わったか?」
 ヴィーが医務室を眺めながら、サイシャに訊ねた。怖々と頷くサイシャに、薄らと酷薄な微笑を見せている。ヴィーもやっぱり海賊で、今みたいに無情な表情をごく普通に浮かべる時があるのだ。そういうのを目にすると、なんだか戸惑いが生まれる。人って本当に、別の色をした真実の顔をいくつも持つらしい。
「晶船がそろそろ見えてくる。二日ほど繋ぐから、この後は好きにしていいぞ」
 しょうせん?
 商船、娼船と発音は同じだが、頭の中の翻訳機はどうも違う字をあてている。首を傾げる笹良を置き去りにして、医務室にいた比較的元気な海賊くんたちが喜びの声を上げた。娼船が来た時とはまた違った喜び具合だ。変なたとえをすると、娼船の時は「くふふ」と怪しく含み笑いする感じ、今は「やったね!」と素直に嬉しがっている感じ。
 晶船って、何だろう?
 好奇心がうずうずと足踏みしていた。晶船の正体を是非知りたいが、人前ではあんまりヴィーと対等に話しちゃいけないのだろうかと悩んでしまう。
 ヴィーがいなくなったあと、こっそりと誰かに聞こう。
 企む笹良に、それまでシカト態勢を貫いていたヴィーが短い視線を向けてきた。でもヴィーは何も言わず、伝えるべきことを終えるとすぐに去っていった。なんだかちょっぴり寂しいような、逆に安堵したような、よく分からない気持ちになる。
 頃合いを見計らって、嬉しそうにしている下っ端海賊くんの一人の袖を引いてみた。下っ端海賊くんと一括りにしているが、やっぱり中には意地悪い人や気さくな人など、色々いる。とりあえず、怪我がそんなにひどくなくて、割合親切に教えてくれそうな海賊くんに訊ねてみる。
「しょうせん、何?」
 無邪気を装ってみたら、その海賊くんはあっさりと教えてくれた。
「ああ、冥華は晶船をみたことがないのか? 俺達が利用する商船のことさ」
 襲撃した商船と何が違うのだ?
 更に詳しく訊ねてみると、こういうことだった。
 海賊御用達の違法な商船のことらしい。つ、つまり、強奪した荷を、必要な物品と交換してくれる船なのか。
 なぜ晶船という呼称なのかというと、単純に見た目の問題らしかった。物品を乗せた複数の船を丈夫な網で繋いでいるのだが、それがちょっとした結晶型を作っている場合が多いので、晶船と呼んでいるとか。その規模は、出会う晶船によって違いがあり、遠目からだと小島と勘違いするくらいにたくさん大小の船を繋いでいるのや、結晶型とは言えない形を取っているのもあるらしい。ほんの二、三艘だけのものもよくあるんだって。結晶型、というのはいわゆる基本形のようだ。
 ふむ、でもこれでようやく理解したぞ。海上には存在しない品々や食料をどこで入手しているのかと不思議に思っていたが、こうして出会う晶船を利用し日用品をやりくりしていたのだ。そう考えると、陸にあがらずとも海上のみで十分生きていける。荷を強奪し、それで別の物を購う。
 ガルシア達は、陸が恋しくならないのだろうか?
 
●●●●●
 
 怪我人たちの手当てが終わると、殆どの人が晶船へ出掛けるためいなくなってしまった。
 掃除に戻った方がいいかなと思ったが、一人でうろつくなとカシカに忠告されてしまったので、ここでお留守番だ。晶船、どんな感じなのかちょっと見たかったな。
 でも、一人でうろうろしていたら変な気を起こした海賊くんとばったり出会ってしまうかもしれない危険性があるため、大人しくしているに限る。
 と、決意していたのだが。
 カシカよ、ここにいれば安全だと言っていたが、そうでもないようだぞ。
 今、医務室には笹良の他に、寝台で休んでいる海賊君が何人かいる。どちらかといえば、警戒しなきゃいけないのは下っ端君より、ある程度自由がきいて態度のでかい中堅海賊だ。
 なんか笹良、それほど深手を負っていないのにどういうわけか医務室に残っている中堅海賊くんに、ものすごい熱心に見られているのだ。一応まだ冥華だぞっ、と居直るわけにはいかない。なぜならガルシアが皆の前で、笹良を奴隷に落とすと宣言してしまったためだ。ということは、自分の身は自分で守らなくてはならない。
 危機感を覚えたので、熱い視線を送ってくる中堅海賊くんの魔手から逃れるために、急いで策を練った。どこに隠れようか。カシカの船室……は、幹部のゾイと共同だから無断侵入は駄目だろうな。たぶんヴィーやジェルドも晶船に向かっているだろうし。のこのことガルシアの部屋にいくことは絶対できないし。
 む、やはり掃除を続けているであろう女性たちの元へ戻るのが一番良策だ。きっとそこには見張り番のセリもいるに違いない。そうしよう。
 というわけで、笹良は素早く医務室を脱出した。
 追われたら困るので、ぱたぱたと進路を変更しつつだ。
 が、忘れていた。自分の方向音痴加減と、頻繁に物の位置が変化する忍者通路を。
 ええい、たとえ迷っても全部の道を制覇すれば、いつかは夢の島に到達するってものではないか。
 半ばやけくそで自分を鼓舞し、たかたかと突き進む。実際には、片足に枷をはめているので、細々と小さな歩みではあったが。
 セリの名前、連呼してみようかな。いやいや、思いっきり破壊音立ててみるとか。
 そうだ、あの素晴らしい音を立てる不細工な半笑い人形を探そう。あれで騒音を奏で、セリをあぶり出すのだ。
 騒音を立てればセリだけではなく、危険欲望を持った中堅海賊までもおびき寄せることになるという事実をすっかりすっ飛ばし、意気揚々と半笑い人形を探す冒険に出た。もう既に本来の目的を忘れている気がしなくもない。
 笹良の熱い祈りが天に届いたのか、はたまたあの半笑い人形に好かれているのか、自分でも驚いたことに、以前監禁された狭い船室に短時間で到着できてしまったのだ。乙女の祈りというのは偉大だな!
 自画自賛しつつ、その船室に近づいた。なぜか扉が、笹良がようやく入り込めるくらいに細く開けっ放しになっている。きっと誰かが鍵をかけ忘れたのだろう。いや、それとも天の神様が白衣の天使となって貢献した偉い笹良のために、前もって扉の封印を解いてくれたに違いない。
 深々と頷き、「気がきくな、神様!」と不遜な賞賛を送りながら中に入ろうとして――咄嗟に笹良は屈んだ。
 誰か中にいるではないか!
 すぐ通路に出て逃げればいいものを、飛んで火に入る夏の虫というのか、ついつい狭い一室の中に潜り込み、音を立てないようびびりつつもしっかり隠れてしまった。なぜこんな真似ができたかというと、まず室内が薄暗いということ、狭いといっても荷を置いている船室なのでそれなりの広さがちゃんとあり隠れんぼに適している場所だということ、そして何より、中にいた誰かが扉のあるこちら側に背を向ける形で、ひどく熱心に何かを探していたことが理由だった。
 笹良はがちがちと音がしそうなくらい緊張しつつ、荷を詰めているであろう木箱の影にそうっと移動した。
 どどどうすればいいのだ。
 明らかに無謀な真似をしている自分に焦ってしまった。
 もし、中にいる相手が中堅以上の海賊であったら、いくら鈍い笹良でもこんなに大胆な行動は選択しなかっただろう。
 けれど。
 木箱に触れて何かを必死に、慎重に探しているのは。
 掃除をしているはずの、きつい目をした美人な女性なのだ。
 絶対これ、おかしいはずだ。
 見張り番であるセリの目を盗んで、この部屋に侵入したってことだよね?
 いや、侵入しているのは笹良もなのだが。
 バレたらすっごくまずい。やばいどころの話ではない気がする。
 とめた方がいいのか。それともいっそ襲撃するかっ?
 混乱のあまり物騒なことを考えつつ木箱の影で怯える笹良の指に何かが触れた。ぎゃっと叫びそうになるのを堪えて戦々恐々と、床についていた自分の指の先端に触れた物体を確かめる。
「……」
 脱力した。
 この半笑い人形め!
 そう、それは、笹良が監禁された時、グランに助け出してもらう直前に放り投げた、懐かしの半笑い人形くんだった。ぶん投げたあと、こんな死角となる所に落下してしまったのか。今、笹良を驚かせたのは、もしかして復讐なのか?
 でもこいつは意外な時に役に立つ。そう思い直して、そそくさと自分の懐にしまっておいた。
 などと、感動の再会を果たした半笑い人形と、楽しく戯れている場合ではないのだ!
 捜索に集中している女性に声をかけるべきか、かなり長い時間逡巡していた笹良を更に困らせるかのように、次の災いが到来した。
「――探しものは見つかったかい」
 突然響いたその低い声に、心停止しそうになったのは、はらはらしつつ覗き見していた笹良だけじゃなかっただろう。
 扉に背を向けていた女性が大きく肩を揺らして振り向いた。笹良はすんでのところで、身動きするのを堪えることに成功した。
 この声。
 少しでも動けば、多分こうして隠れていても、声の主に気配を悟られる。必死に息を殺し「笹良は空気、透明人間、即身仏……」と念じてみた。いかん、即身仏はミイラな死体ではないか。死んでどうするのだ。というか、もし声の主が、気配にもの凄く鋭いガルシアだったら、身動きせずともバレただろう。
「あ…わ、わたし」
 女の人の、驚愕と恐怖を含んだ、掠れた声が聞こえた。笹良の場所からは、ぎゅっと身を縮める彼女の姿しか見えない。
 けれど、現れた人物の正体は、声で分かる。
「さて、何をお探しかな」
 セリだ!
 恐れていた事態が現実になっている。たとえ一瞬、セリの目を盗んで逃げられたとしても、海賊がいつまでも自由を許すはずがない。もっと厳しくいえば――多分、セリは意図的に隙を作って、彼女が何をするのか見届けるため、こうして少しの間泳がせたのではないか。その解釈が、一番信憑性がある。
 どうしよう、笹良も出ていって、適当な嘘をでっちあげた方がいいのか。
 相手がジェルドやヴィーだったら、なんとかなったかもしれない。
 殆ど交流のないセリ相手に、笹良の子供じみた言い分が通るとはとても思えなかった。それに今回は、カシカがひげもじゃ海賊に襲われていた時とは状況が全然違う。明らかにこの女性は、何かをこっそりと探していたのだ。
 絶体絶命だ。
「海賊船で暗躍とは、肝の座った女だな」
「ち、違います」
 このままばっさりと切り捨てられるのではないか、こうなったら半笑い人形をセリに投げて気絶させ、彼女を救うか、と悲壮なる決意を抱いた時だった。
「奪われた荷を……っ。母の形見を、取り戻したくて!」
 彼女が叫ぶように言い、なんといきなり、セリに突進する勢いで抱きついた……んだと思う。セリの姿は、位置的に見えないんだけれど、展開はそうとしか思えない。
 思わずぎょっとしてしまう。
「お願いです、もう二度とこのような真似はいたしません。どうか見逃して!」
「へえ。海賊相手に取引かい。じゃあ、それなりの見返りはあるんだろうな」
 いい募る彼女に、セリが余裕を含んだ面白そうな声で返していた。
 セリめ、母の形見を探してたんだから、寛容な心で見逃してやってはどうなのだ!
「見逃してくださいますか」
「相応のものをもらえるんならな」
 なんか、微妙な沈黙が訪れたぞ。
 ……む?
 まさかっ。
 んむぅ! と笹良は内心で悶絶した。この沈黙っていうか、微妙な空気っていうか。
 気のせいじゃなければ、熱く見つめ合っているかのような、濃厚な雰囲気ではないか?
 ぎゃあ、やっぱりそうだ、そうなんだ!
 笹良は気絶しそうになった。
 く、く口づけの音が。しかもえらく濃厚な感じがするぞ。
 ちょっと待ちなさい若人たちよ! ここに未成年の笹良が隠れているのだ、そんな所で怪しい行為はいけないのだ。
 とめるにとめられないし、出るに出られないではないか。
「お願い」
 口づけの合間にだろう、耳をこすりたくなるくらい甘い声音で女性がそう呟いていた。
 笹良はどうすればいいのだ。少しでも女性が嫌々している感じがあれば、ここは一念発起してとめに入った方がいいのだろうが、今の声は、その、うぬぅ。
「まさかこれだけか?」
 と、問うセリの声も、大人の駆け引きな感じだ。
 笹良、本気で卒倒しそうだぞ。
「言わせないでほしいわ」
 いつの間にか敬語じゃなくなっているぞ、女性よ。
「足りないな」
 も、もう駄目だ、笹良にはこれ以上無理だ。
 耳を塞ぎたい。しかし身動きすれば、気配がバレる。
 女性のくすぐるような笑い声が聞こえ、そのあと「素敵な方」とセリを誉め称えるとっても甘い台詞まで響いた。
 確かこの女性、以前笹良に、海賊と睦合うなんてぞっとすると嫌悪していなかったか。だとすると、この恋人同士のような展開って、見逃してもらうための決死の演技なのか。さすがにこういう類いの緊迫した状況というのは、サスペンス系のドラマなどでよく見かけるが、自分自身が直面するのは初めてだし免疫がないため、判断できない。というより、現状を見ると、この女性はなんとか自力で危機を逃れようとしているのに、笹良が余計な口を挟んでしまっては、すっごくまずいのではないだろうか。無理強いかそうじゃないかという点で、大きく判断に迷う。
 分からぬのだ、どうすればいいのだ。
 今の笹良って、もしかすると、覗き魔っぽくないか?
 そんなつもりじゃないのに、と項垂れたくなった。
 こうなれば、頭の中で歌でも歌って誤摩化すしかない!
 実に切なげな吐息とか衣擦れの音が聞こえ始めたので、頭の中で必死に歌った。
 そのうち、セリ達は、清純な乙女の耳に入れるには相応しくないほどきわどい台詞をかわしつつ、仲良く連れ立って出ていった。よかった、途中で場所を変えてくれる気になったらしい。あのままどんどんと濃密な空気が流れていたら、恐らく笹良は我慢し切れずに絶叫していただろう。
 何もしていないのにこの疲労感はどうなのだ。
 別の意味で満身創痍な状態だぞ。
 少しの間、息も絶え絶えにぐったりと木箱に寄りかかった。なんだか途轍もない死闘を繰り広げた直後という気分になってきたな。
 この部屋は鬼門に違いない。次の災いが訪れる前にさっさと出よう。
 よろめきつつ船室を出て、大きく溜息をついたあと、ずるずると歩く。どこへ行けばいいのだろう。掃除をしている女性達の元へ行くつもりだったのに、セリ達はこれからきっと他者立ち入り禁止な大人の時間を過ごすのだろうし。みなしご状態だ、と孤独に浸りつつそっと涙を拭った。待てよ、何も女性は今の人だけではないのだ。他の女性だっているのだ。
 よし、その人達の所へ戻ろう。
 重々しく頷き、気を取り直して再びたかたかと物が溢れる通路を進んだ。
 のだが。
 今日は、日本でいえば仏滅とかにあたっているんじゃないだろうか。大殺界か?
 通路の一つを曲がり、床に転がっている謎の物体に唸った時だ。
 ふと視線を上げた瞬間、認識するよりも早く目に鮮やかな海の青が焼き付き、自然に足がとまった。
 ガルシア?
 一度、瞬きをして、じっと見つめてしまった。
 通路の先に立っていたのは、錯覚ではなく本当にガルシア本人だった。
 ど、どうしてガルシアがここに!
 予想外の鉢合わせに、狼狽を隠せず凝固してしまう。
 だって皆と晶船の方にいっていると思い込んでいたし、またも商船の襲撃を企んだ張本人だし、色々とひどいことをされたし、もうどういう顔をしていいのか分からない。
 何も言えずに硬直していると、ガルシアが以前と変わりなく悠然とした態度でこっちに近づいてきた。
 そして、目の前で立ち止まり、笹良を見下ろす。
「どうした、迷ったのか」
 驚いた。今まで通りの穏やかな声だったのだ。どうしてなんだろう。笹良を奴隷扱いするって言ったのに。
 咄嗟に反応できず、おっかなびっくりという態度で凝視してしまった。
「黙っていては分からぬよ」
 言葉と同時に、長い指先でさらりと躊躇いなく顎を取られた。視線がきっちりとぶつかる。不思議な色をたたえた奇麗な瞳は、薄暗い通路の中にいるためか、甲板で見る時よりも暗く沈んだ輝きを持っていた。
「ササラ?」
「さ、サイシャ、手伝い、終わる。掃除、戻る、今」
 吃りながらも何とか答えた。
「そうか」
 軽く頷かれ、けれどガルシアの指はまだ離れなかった。その指が、懐かしい優しさを持っていたため、もう少しだけと、時間を引き延ばしたい衝動が急激に芽生えた。
「……晶船?」
 ガルシアは晶船に行かなかったのか、と聞きたいのだ。
「もう見てきたさ。お前には珍しいだろうが、俺は数え切れぬほど利用しているから」
 あ、そうか。いわば常連客みたいなものなんだろう。ということは、もう物品交換を終えて戻ってきたのか。
「さて。お前の仕事ぶりでも見ようか」
 何?
 仰天した直後、抵抗する間もなくさっと身体を抱え上げられた。
「が、ガルシアっ」
 悲鳴のような声を上げてしまう。思わず青い頭にしがみついて非難したが、前みたいに大きく暴れることなんかできやしなかった。
 地の底に叩き落とすくらい酷い事をするくせに、こんなふうに抱き上げてくれるから。
 なんだかあたたかい仕草だから。
 胸が苦しくなって、どうしていいのか分からないよ?

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