she&sea 62

 レザンの頭には結局挨拶できないまま、晶船見学が終わった。
 後ほど分かったことなのだが、カシカはヴィーではなくグランに笹良のお迎えを頼んだらしかった。
 けれどグランよりもなぜかヴィーが先に迎えにきてくれたわけで。レザンに拉致された笹良を、探してくれたのだろう。やっぱりヴィーって、なんだかんだ意地の悪い発言をかましつつも決して見捨てないところなど、ぶっきらぼうな優しさをくれる総司に似ていると思う。
 本音を言うと笹良は、魔王、鬼兄、と悪口を思う存分披露しつつも、総司が仕方のない奴だなって顔でかまってくれる時間が、すごくすごく嬉しかったのだ。ぐりぐりと大きな手で頭を撫でられた時なんか、怒った表情をいつまでも持続できず、最後にははにゃりと笑み崩れていたんじゃないかと思う。甘ったれだと笑われても、かまわなかった。遊んでほしくて、わざと怒られるような悪戯を仕掛けたことも多い。依存していたのか、それとも単に笹良の独占欲が強かったのか、自分では客観的に判断できないけれど、とにかく一緒にいるのが楽しかった。
 総司は今、何をしているのかな。
 笹良のこと、一度でも考えてくれているかな。
 夜、毛布にぬくぬくと包まり半分眠っている状態でぼんやりと総司の顔を思い出し感傷に浸っていた時、不意に「あれ?」と全然関係ない疑問がわいた。
 本当はグランにお迎えを頼んだってカシカは教えてくれたが、背中の傷、もう大丈夫なのだろうか。
 そういえば一番最初に笹良の護衛をしてくれたのはグランだった。
 毛布から顔を出してぱちっと目を開いたら、眠りかけていた意識が少し働き始めた。
 そもそも、なぜ笹良に護衛がつけられたのだったか。よこしまな企みを抱える海賊達の魔の手から、純情可憐な笹良を遠ざけるためにという理由だったっけ。
 よくよく考えてみると、何かがおかしい気がした。
 奇怪な出現をした笹良の存在を王様がお気に召したため守ってくれたというのは表向きの理由じゃないのか。なぜなら、ガルシアは多少興味を抱いてはくれたものの、そこまで真剣に笹良を大事な存在という位置には置いていないのだ。
 だとすると「護衛」って何のためなのか。
 それに、荷倉に閉じ込められた笹良を助けたというのに、今のところ罰された様子はない。ガルシア、気づいていないのかな。
 突然わけの分からない未知の世界に迷い込んでしまったため、肝心な裏事情をきっといくつも見逃しているのに違いない。いざ真実が明かされてしまえばそれは別段隠されてもいない、とても簡単な理由だったと、いずれ近い未来で痛感するような予感があった。
 嫌な考えだと思い、何だか急に眠気が覚めた。軽く吐息を落とし、もぞりと上半身を起こして何気なく視線を船室内に巡らせる。そこで、笹良は心臓を冷やした。船室内は、あとわずかで消えてしまいそうな燭台を一つ寝台の側に置いているだけだったので、隅の方が闇に押し潰されて見えるほど薄暗い。寝台の周囲のみ辛うじてうかがえる程度の光量といえばいいだろうか。
 笹良がぎょっとしたのは、燭台を置いている小テーブルとセットになっている椅子に、王様がぽつりと座っていたせいだった。
 青い髪の王様は、どこか疲れた様子で足を組み、テーブルに肘を預けて軽くこめかみを押さえていた。
 ガルシア?
 こんな時間にどうしたんだろう。そういう心の声が空中に漏れてしまったのか、ふとガルシアが身じろぎし、こっちに顔を向けた。
「起こしたか?」
 ガルシアはいつものようにゆったりと笑った。疲れているように見えたのは気のせいだったのだろうか。
 いや、考え事をして目が覚めたのだ、という意味をこめてふるふると首を横に振った。ガルシアはなぜ笹良の部屋に侵入しているのだ?
 ガルシアは笑みを深めたあと、椅子から立ち上がり、笹良が潜っている寝台の端に移動した。
「なに、少し思案事があってな。お前が模様替えした奇怪な船室を眺めれば、気分転換になるだろうと」
 どういう評価なのだ、それは。
 何について思案していたのだ?
「様々な事さ」
 端的に誤摩化したな。
「それで、お前の方は何を悩んでいた」
 言っても大丈夫だろうか。
 グランの傷はよくなったのかな。
「グラン? まだ気にかけていたのか」
 少し呆れたように言われたので、むっとした。当然なのだ。
「人の心配よりもお前自身はどうなのかね。晶船で、昼間は大活躍だったのでは」
 ぎゃ、やっぱりバレている。
「本当にお前という子は、前後左右見境なく飛び跳ねるのだな」
 こら、人をボールのように言うんじゃない。
「ある意味、お前の出現は新時代の象徴なのかもな。流転とは時代にもあてはまる」
 新時代?
「俺は古い人間なのさ」
 ガルシア、どうしたのだ。
「お前は古きものを叩き壊す女神なのかもしれぬね。だが、過去の遺物に隠された腐敗は手強いものだぞ」
 よく分からないぞ。
「新世界の女神を掌握しているのが古き俺とは、どういう配剤なのかな」
 ガルシアったら。
 抽象的すぎてあんまり楽しくない話題に思えたため、笹良は完全に起き上がり毛布の上に正座したあと、虚空に視線を投げているガルシアをじっと見つめた。
「ガルシア」
 何を考えているの。
 そう尋ねようとした時だった。
「ぎゃっ」
「今日は冷える」
 突然抱き込まれ、寝台の上に引き倒された。ふがふがと奇妙な悲鳴を上げてしまったが、ガルシアはそれには反応を返さず、毛布を掴んで笹良ごと自分の身にかぶせた。
 なんで抱き枕にするのだっ。
「寒々しいものだ。この水の音。船にぶつかる水滴。腹の奥まで湿り、乾きやしない」
「……?」
「寝台も帆布も衣服も、湿り続ける。疎ましいことだ、冷え冷えと、大気さえも、冷え冷えと」
 どうしたの?
 ねえ、どうしたの。
 抱きかかえられた上すっぽりと毛布にも包まっている状態だったからかなり息苦しかったし、ガルシアの表情もうかがえない。あたたかな体温に触れているのに、なぜかすごく不安だった。どうしてか、不安にならずにはいられなかった。
「風さえも湿っている。全く……」
 唐突に、ガルシアはとても海が嫌いなのではないかと感じた。
「ガルシア、寒い?」
 笹良を拘束する腕の力がわずかに緩んだ。
「そうだな。寒くはないか、お前」
 寒くはない。どちらかといえば、異世界は残暑を迎えている頃なのか夜でも蒸し暑く、じめじめとしている。
 確かに海の上にぷかぷかと浮かぶ船の中で生活しているのだから四六時中湿っぽさを感じるのは当然なのだが、それにしても今日のガルシア、どこかおかしい。
 病気なのだろうか。こんなふうにガルシアがはっきりと投げ遣りな――まるで何かを恐れているような台詞を口にすることなんて、なかったんじゃないか。
「大丈夫、大丈夫」
 なぜかとても慌てる気持ちがわき、こっちの身を抱える腕から無理矢理這い出たあと、急いでガルシアの頭を抱きかかえた。青い、柔らかな髪に顔を埋めて、よしよし、と宥めるように撫でてみる。
「ササラ――お前は、太陽の匂いがするね」
 しばらく後、どこか憧憬を滲ませているような、かすかな声が耳に届いた。
 内心ひっくり返りそうなくらいに緊張している笹良の腕を枕にして、王様は思いもがけぬ静かさを滲ませながら、ゆっくりと眠りの中に落ちていった。
 少しだけガルシアが小さな子供のように思え、悲しみに似た感情が胸をしめた。
 怖い物語を聞いて暗闇を恐れるような、子供のよう。
 
●●●●●
 
 物事は心の隙をつくように、突然変化を見せる。
 運命っていう嵐に巻き込まれ舵のきかなくなった船がどこへ辿り着くのか、それとも座礁して、悲劇の海の藻屑となるのか。
 誰にも分からない。分かったつもりでいても、本当は分からない。
 転機というのは、後々に「ああ、きっとあの時がそうだった」と気づくのだ。
 どんな事象も、突然流転する。
 ほら、振り向いても、さっきまであったはずの平穏は、もう見えない。
 
●●●●●
 
 小島のように巨大な規模を持つ晶船から離れ、一週間近く経過した時のことだった。
 広大な青の原にぷかぷか浮かぶ海賊船に近づく影を発見したのは、甲板で笹良と仲良く縫い物をしていたジェルドだった。
 波間に漂うその影を、水晶をつめた不思議な望遠鏡で確認するガルシアの顔に、今まで目にしたことのない種類の微笑が浮かんだ。
 その表情を目撃した笹良は「あれ、もしかしてガルシアはこの展開を読んでいたのかな」と何の根拠もなく思ったのだ。
 のらりくらりと海を漂っているばかりだと勘違いしていたが、実は海賊船、あの影を目指していたのかもしれない。
 接近する影の正体が分かった時、笹良は多少の不信感を覚えたものの、それよりも強く喜びを感じて歓声を上げてしまった。
 なぜなら影の正体は、一番最初に海賊船と遭遇した小規模の晶船だったのだ。
 あの船には、オズたちが乗っている。笹良は純粋にこの邂逅を喜んだ。いや、もしかしたらガルシアが、オズ達と会わせてくれるようこっそり計画し航路を変更してくれたのかもしれないとまで楽観的に考えてしまった。だって最近のガルシアは様子が違ったから。初めて会った時みたいに怪しい台詞を操りつつも、うっとりするほど優しく、いつも近くに置いてくれたのだ。
 喜怒哀楽をおさえきれず表に出してしまう笹良の影響を受けて、氷で閉ざされた心を持つガルシアも情緒豊かになり、他人に対する情けとか慈愛を大事にしなきゃいけないと、以前よりも感じるようになったのではないか。そんなふうに都合よく解釈して、密かにしめしめと悦に入っていたくらいだった。
 だから、この邂逅が偶然ではなく、生ぬるい情愛が根底にあったのでもなく、単純に一つの目的をもって果たされたものであると理解したのは、色々と事が起きたあとだった。
 
●●●●●
 
 まさか、晶船の船長に、いちゃもんをつけられるとは思わなかった。
「海上の王、あんたとはそれほど長い付き合いじゃないがね、信頼はしていたんだぜ。何しろあんたは無敗の王。あんたのところから受け取った品は、貴族様が持つもんよりも確かだとな」
 場所は、海賊船の甲板だった。
 笹良は、晶船の船長と対峙するガルシアの背にしがみつき、卒倒しそうになっていた。
 オズに会いたいと思っていたのに、その願いを口に出すのがとても躊躇われるくらい緊迫した雰囲気に包まれている。
「見てくれ。あんたんところで仕入れた奴隷、翌日にゃ腐り始めてよ、散々な目にあったぜ。おかげで古くからいる船員にも伝染し、何人か失ったんだ。あんた、海の病を持っていた奴隷を寄越したな」
 晶船の船長は、こっちの様子を遠巻きにうかがっていた海賊くんたちにも聞こえるよう大声で糾弾し、甲板に寝かせてあった長い包みをばっと開いた。その中には、ぎゃー! う、うう、ウジ虫みたいなのがにょろにょろと這っている腐乱死体があったのだ。腐敗の具合があまりにひどく、元の造作が分からない。
 これ、オズじゃないよね!?
 いや、たとえオズじゃなくとも、決して「よかった」とは安心できない。ガルシアのところで仕入れたということは、オズと一緒に移動した奴隷くんなわけで。あぁどうしよう、だって奴隷くん達が晶船に移動することになったのは、笹良が関係しているのだ。
「どうしてくれるんだい。ええ、海上の王」
 晶船の船長が冷たい目でガルシアを睨み上げた。
 そうか、晶船の船長は、海の病を抱えた奴隷を寄越されたとご立腹し、何かしら弁償させるつもりで、この海賊船を追ってきたのか。
 待て、冷静に考えてみよう。奴隷くんは、晶船に移動する前から海の病に冒されていたというのが船長の言い分だ。奴隷君は海賊船にいる間、比石の研磨に従事していた。とすると、海の病って比石の毒によるものなのだろうか。でも、こんなふうに肉体が激しく損傷し腐敗するのか?
「さて、ではどうしてほしい?」
 ガルシアは何の弁明もしなかった。ただ、腹の内をうかがわせない微笑を滲ませたまま、憤っている船長に問い掛けた。一瞬、船長は怯んだように目を瞬かせたけれどすぐに居直った態度を見せ、敢然と「他の奴隷を寄越してほしい」と要求した。更に追加して「今度は自分の目で奴隷を選びたい」ときっぱり訴えてきた。
 ガルシアは――失笑したように見えた。
「なるほど。まあ、よかろう」
 えっ、了承するのか。
 驚いてしまった。てっきり策を弄して船長を手玉に取るとばかり思っていたのだ。やられっぱなしで相手の論を飲むとは予想しなかった。
「ギスタ、船長殿に奴隷達を見せてやれ」
 その言葉にも驚愕した。ここに奴隷君達を連れてくるんじゃなくて、船内の底まで船長を案内するのか?
 ガルシアの背後に控えていたギスタが目礼し、妙に浮ついている様子の船長を伴って船内へと消えていく。
 いいのか? 海賊船内を他人の目にさらして。
 おたつく笹良の様子に気がついたガルシアが、顔を向けてにこやかに笑った。何か、変だ。絶対に何か企んでる。
「ササラ、おいで」
 と、ガルシアに身体を持ち上げられ、王様椅子の方へ連行された。ガルシアは悠々と椅子に腰を下ろし、それから膝の上に笹良を乗せたあと、好々爺のごとく長い煙管を加えて晶船に視線を巡らせた。
 ……あれ、今、晶船の船体に、何かが。
 目を凝らした時、ガルシアの指が、笹良の口に置かれた。「しー」と言うようにだ。
 しばらく経過したあと、ギスタと船長が、数人の奴隷を従えて戻ってきた。その中には、檻に入っている時お世話になったウェーブヘア君の姿があった。
 船長とガルシアが表面上は穏やかに挨拶した。やきもきしてしまったが、側に控えているギスタが何も口を挟まないので、笹良もおいそれとは気軽に発言できない感じだった。
 船長が数人の奴隷君を連れて何事もなく晶船に戻っていくのを見届ける。離れていく船を眺め、何だ想像を絶する危険なバトルが幕を開けるのではないかと内心恐れていたが、それは杞憂にすぎなかったのかと安堵した時だった。
 ガルシア、と声をかけ、その美妙な色の瞳を見つめた瞬間、鼓膜がおかしくなるのではないかと思うほどの轟音が周囲に響き渡った。
 耳鳴りがして、意識も刹那の間、白く光る。
 ぞわりと全身に鳥肌が立った。どん、どん、と巨大な太鼓を打ち鳴らした時よりも重く響く凄まじい音が海を襲っていた。
 何?
 笹良は呆然と、海へ顔を向けた。
 赤い炎と黒い煙。木板の屑をまき散らして――晶船が爆発していた。
「あ……」
 映画で、こういうシーンを観たことがある。爆破し、海に沈んでいく船。乗船していた人達が、なすすべもなくぽろぽろと渦巻く波に落ちていく。
 どうして、突然、晶船が爆発を。
 言葉で明確な解答がはじき出されるより早く、先程視界の端によぎった光景を思い出していた。船長が奴隷君を選びにいっている間、晶船の船体に忍び寄る何者かの影。
 笹良は愕然とガルシアに顔を向けたあと、膝の上から飛び降りて、海賊船の手すりにしがみついた。
 その時、なぜか海面から上がってきて、水を滴らせつつ海賊船の手すりを掴むヴィーとジェルドに気がついた。息を呑む笹良の横に、すとんと身軽な動作でジェルドが降り立つ。そういえば、さっきからギスタやゾイは側にいたけれどヴィー達の姿が全然見当たらなかった。
 まさか、船長に悟られぬようこっそりと海に潜り晶船の船体に忍び寄っていたのって、ヴィー達なのか。
 じゃあ、今の爆発を仕掛けた犯人は。
「ま、こんなもんですか」
 ジェルドが濡れた髪をかきあげつつ、ゆったりと王様椅子に座っているガルシアへ視線を向けた。
 ヴィーが、絶句して立ち尽くしている笹良を一瞥したけれど、無言のまま肌にはり付く濡れた上着を脱ぎ、ぎゅっと絞った。
「爆破するより先に、奴らを皆殺しにした方がよかったんじゃないですか」
 ジェルドが呆気ない口調でそう言った。
「いや、いいのさ、これは一種の見せしめだ」
 ガルシアが微笑をたたえたまま、刃物のように鋭い眼差しを晶船の残骸へと走らせた。
 見せしめって。
 だって、あの船には、オズや、それに女の人、ウェーブヘア君が!
 叫ぼうとした時だった。
 もう一人、海面から上がってきた人物がいた。
 その人と、視線が交わる。
「ご苦労だった。オズ」
 ガルシアがするりと告げた。

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