she&sea 64

 でも願わくば、ガルシア。そのしっぺ返しを最後まで、そうであると悟らせないでほしかった。
 都合の悪い真実だけは知りたくなかったと、どうしても失望せずにいられないところが自分の弱さだ。身勝手な信頼を海賊に寄せすぎていたという証でもあるのだろう。
 誰だったっけ。海賊王は水を制するのだと聞いた記憶がある。水の呪い。ガルシアは水を操る不思議な力を持っていた。
 その力は、過去に何らかの事情で海賊船の客人となった冥華達の命によって紡がれていたのか。
 本当にこの世界ってば、笹良の常識を超えている。
 
●●●●●
 
「冥華、起きてるか」
 食事を乗せた皿と奇麗な純白のドレスを持ったジェルドが、いつもの明るいにこにこ顔を見せて笹良の部屋に現れた。
「まずは食事、取りなよ」
 ジェルドは軽い口調でそう言い、ベッドの横に腰掛けて足をぶらぶらさせていた笹良の膝に皿を置いた。
 もうお昼時なのか。
 納得してこくりと頷く笹良の頭を撫でたあと、ジェルドは自分もベッドの上に乗り、抱えていたドレスを脇に置いて気持ち良さそうに寝転んだ。どうやら笹良が食事を終えるまで、そこで待つつもりらしい。笹良は徒然という感じで考えを巡らせつつゆっくりと食事を始めた。
 生け贄とはっきり宣告された日から、およそ数日が経過していた。その間、笹良はトイレ以外の用で船室から出ていない。広い海を漂う海賊船に乗っているのでどこにも逃げ場なんてなかったし、抗う気も起きない。そもそも、どんなに嘆いたところで現実は変わらないのだから、このまま運命を受け入れる以外の選択肢など存在しないのだ。
 顔を合わせるのは、王様が口にした通り、ジェルドだけだった。
 ジェルドって、お祭り好きでちょっぴりお馬鹿だと微笑ましく思っていたが、多分誰よりも心が硬質なんだろう。笹良が殆ど喋らず表情を変えなくなっても、以前と全く変わらぬ朗らかな態度で接してくる。これが、海賊の怖さなのかもしれない。親密になったと思わせ、笑顔で切り捨てる。いや、これってきっと笹良の一方的な解釈だ。
 何の事はない、笹良がそれだけの価値しかなかったという証拠なのだ。死んでも惜しくはないと結論を出されただけ。
 皆、知っていたんだな。王の冥華と呼ばれる意味。
 笹良は、パンみたいな食べ物を小さくちぎり、口の中に運んだ。苦い現実も一緒に飲み込めればいいのにと思う。
 最初から供物として捧げられる娘と見られていたために、皆はそれほどの反感を抱かなかった。
 冥華という呼び名を与えられた笹良の我が儘な振る舞いを、荒々しい気性を持つはずの海賊達が許容できたのは、情が湧いたのでもなく、ましてやどこかの高貴なお姫様ゆえに尊んでくれたのでもなく、いずれこの日が訪れると理解していたためなのだ。生け贄の役を果たすまでは悲観して勝手に自殺せぬよう、せいぜい贅沢させてやろうと考え寛容な態度で見守っていたのだろう。海賊船は本来女人禁制だとされているのに、表立っての排斥や批判が殆どなかったことも、今冷静に考えれば相当矛盾していたのだと分かる。ガルシアと顔見知りらしいルーアでさえ、船に残りたいと言った時には、皮肉混じりの反発をジェルドからもらっていたくらいだし。
 第一、実力主義の船内なのだ、王の寵姫という理由だけでは不公平すぎて誰も納得しないはずだと、なぜ本当に気づかなかったのか。こっちの性格を気に入って純粋に可愛がってくれているのだろうかと、都合のいい考えに傾きかけていた自分があまりにもお気楽すぎたのだ。笹良は彼らの仲間ではなく、海賊船の大事な供物。それだけ。
 もしかして、カシカが最初に「女は不吉」などといって詰ったのは、女人禁制がどうこうという迷信のためじゃなくて、最終的に死ぬ運命なら苦しまぬうちに早く始末した方が笹良にとってはまだ幸せなのではないかと考えてくれたせいなのかもしれなかった。カシカは本当は女性だし、笹良の見た目が幼いことも妙に気にしていたしな。
 不意にカシカが制裁された時のことが蘇った。海賊船に保護されて間もない頃の出来事だ。あの時ガルシアが、笹良を傷つけたカシカに過剰なほどの制裁を与えたのは、単に勝手な行動を取られて憤ったのではなく、また気紛れな残忍さを発揮したのでもなく、水の力を蘇生するのに必要な生け贄の娘を殺されては困ると考えたためなのだろう。二度と勝手な真似をするなという脅しの意味が、あの制裁には含まれていたのではないか。
 そして、笹良についた「護衛」の意味もようやく分かった。我が儘を許してくれた理由と同じだ。空恐ろしい欲望を持つ海賊たちの魔の手から守るためというより、自殺を防ぐためなんだろう。なにせ、水の力が陰り始めた時に見つけた不可思議な娘、供物とするのに最適ではないか。
 物事って色んな見方ができる。正解とか不正解とか、実は大した問題じゃないのかも。本人が、一番何を信じたいかということが未来を動かすのではないか。
 笹良は自分にとって優しい理由を、信じていた。
 周囲の人々は、むごい現実から目を背けたがる笹良に合わせ、優しくしてくれたのだ。大事に、大事に、撫でて、抱き上げてくれて。
 そうなんだね、ガルシア。
 笹良によく、何か望みはないか、とたずねていた。星空の宴会をした翌日、二日酔い状態だった笹良に、甘やかしてやるというような台詞をガルシアは言った。笹良は反抗しつつも無意識に、慈しんでくれることを求めていたのだ。だからこそ得られた柔らかな温もりの全て。それらの優しさは、冥華となる代償だった。
 事実を確認するうちに、食事を続ける気力がなくなった。大半の食べ物が残っている皿を、テーブルに置く。
「もういいのか」
 ジェルドが上体を起こして、笹良の顔を覗き込んだ。頷き返すと、「じゃあ、そろそろ用意をしよう」と言われた。
 どきりとしてしまう。用意ということは。
「ほら、この衣装、ようやく完成したんだよね」
 そう言ってジェルドは脇に置いていたドレスを手に取り、誇らしげに広げた。以前檻で縫い物をしていた時目にしたドレスだ。
 ジェルド、この日のために奇麗なドレスを作っていたのだな。
 ありがとうというのも変なので、小さく頷いて、ドレスを受け取った。
 さすがにジェルドの真ん前で着替えるのはどうかと思ったため、衝立の後ろへと移動することにした。
「大きさ、ちょうどいいと思うんだよね」
 着ていた衣服を脱ぎ、ドレスに手をかけた時、衝立の向こうからジェルドの声が響いた。
 確かにサイズはぴったりだ。ストイックなくらいに白いドレス。裾のみに細かな青い刺繍がある。
 着替え終わって、ふと、ずっとつけたままにしていた首飾りに指で触れてみた。ジェルドが作ってくれたペンダントだ。これ、外そうかな。どうしようか。
 やっぱり、つけていこう。
 そうだ、こっそりとあれも隠し持っておこうかな。
 笹良は少し笑った。あの、意味不明な半笑い人形のことだ。あれを見ていると、なぜか分からないがどんなことでも笑って流せそうな、軽い気持ちになる。だって、半笑い人形、ほんとに不細工なのだ。その、適当な造作加減が、妙に面白い。
 最後の最後くらい、何か一つでも明るいものを側に置いておきたい。
 決心して、こっそりと半笑い人形を手に取り懐に隠したあと、こっちに背を向ける形で寝台に座っているジェルドへ近づいた。気配を察したのか、ジェルドが振り向いた。
「うーん、可愛いね。よく似合ってる」
 うんうんと嬉しげに賞賛するジェルドに、微笑を向けた。脱力するほど悪意のない賛辞だったのだ。
「惜しいなあ。俺、冥華のこと、結構好きだったけどさ」
 好きだったけれど、境遇に同情して逃がそうとは思わない。
 その程度の好意なのだろう。
「あのさ、ここだけの話な。王は今までになくお前を、というか『冥華』を長く側にとどめていたんだぜ」
 どういう意味かと目でたずねてみた。
「王は謎が多いからねえ。なんといってもさ、あの王が、女を供物とするってのが信じがたいんだよな。でも実際、王が持つ力は使えば消耗していくみたいでさ。生け贄の女を捧ぐと、力が戻るというのは確かなんだよ。別に王くらい強ければ、あの力はいらないんじゃないかって思うんだけどな。まあ、さすがに嵐が相手の時は、剣の力など及ばないもんな。海で生きていくにはやっぱり必要な力か」
 と疑問を吐露し、こっちが答える前に結論を出していたが、一体何を言いたかったのだ?
「だからさぁ、今までにも『冥華』はいたんだけど、あくまでそれは供物扱いだったんだよ。どういう基準で選んでいたのかは知らないけどさ、襲った船に女がいて尚かつ供物を必要とする時期だった時は、躊躇なくさっさと贄にしていたんだ。王がこれほど長く、『冥華』という女を船にとどめたのはかつてないことだ。用もない海域を巡ったりしてたものな」
 ううむ、それは単純に笹良の出現が今までの誰より不審すぎたためではないか?
「だとしてもさ。もしかしたら、王は案外、迷っていたのかもしれない。お前を供物とすることに」
 でもさ、ジェルド。
「まあ結局、王はやはり王だってことかな。お前、供物と決まったものな」
 王は王。
 そうなんだ、結果としてガルシアは意思を曲げなかった。笹良にほだされることはなかったのだ。
「それでも、冥華に選ばれたってことは、王の目にとまったということでもある。今までの女は、どことなくだけどさ、何かが共通しているところがあった。お前はその中で特に異色の娘だった」
 心の奥底を覗き見るような目をしてジェルドが面白そうに呟いた。
「残念だね、冥華。王の飢餓はやまなかった」
 飢餓。以前にも聞いた台詞だ。確か、このアルバシュナについて、グランに教えてもらっていたときではなかったか。
 それって、王様が持つ不思議な力を笹良では満たせなかったという意味だったのか。あの時はただ不埒な台詞だとしか思わなかった。いくつもヒントはあったのに、やっぱり笹良はちゃんと見ていなかったらしい。
「冥華、女の優しさ、甘さだけじゃ、男は物足りないのさ」
 ジェルドが笑った。
「お前はまだ、何かが足りなかったんだね」
 再び頭を撫でられて、笹良は目を閉じた。
 
●●●●●
 
 今までと変わりなく、ゆらゆらと奇麗な青を見せる海域だった。
 ジェルドに抱き上げられた状態で笹良は甲板に連れられた。
 マストから幾本も伸びている帆綱を利用して洗濯物が下げられている。帆は風をうけとめ、ふっくらと緩やかな弧を描いていた。甲板にはモップみたいな道具で掃除している下っ端海賊くんがいる。そして、船首楼付近では、通りかかった海賊君に何かを指示しているヴィーたちがいた。
 真っ先に、こっちに気がついたのはゾイの側にいたカシカで、ぐっと奥歯を噛み締めて何かを堪えているような顔をしていた。目が合った瞬間、すぐさま顔を背けられ、足早に去られてしまう。お別れの言葉、言いたかったのにと少しだけ寂しく思った。
「小舟、降ろしたかい」
 笹良を抱き上げたままのジェルドが手すりの方まで近づき、ゾイたちににっこりと笑いかけたあと、気軽な態度でたずねた。ああ、これ、本当に現実なんだ。大声で、嘘だー! って叫んだら笑い話に変わらないだろうかと馬鹿なことを考えてしまった。
「王は?」
「すぐ来られるだろう」
 ジェルド達のやりとりをぼんやりと聞いた。ついでに皆の顔もゆっくりと見つめてみる。
 ゾイはちょっと渋い顔をしていた。でもそんなに普段と変わらないかな。いつも小難しい顔をしているし。今気づいたけれど、ゾイが楽しげな様子で笑みを浮かべるところってあんまり見たことがない。
 手すりに寄りかかるようにして立っているゾイの姿を見ていたら、一言謝りたい気分になった。ガルシアに選択を持ち出されて奴隷の扱いを受けた時のことを不意に思い出したのだ。あの後のゾイはわずかに物憂げな空気を漂わせて、笹良に何の労働を与えるか考えていた。内心は、厄介な展開になったと頭を抱えたい思いでいっぱいだったんじゃないか。なぜなら、こうして『冥華』の役割を果たす日が来るのを知っていたため、比石の研磨や船具の修理をする男性の奴隷くんたちと同様の過酷な労役を与えて廃人にするわけにはいかなかったのだ。
 実は笹良も奴隷生活ってもっと辛いんじゃないのかと不審に思っていたし。掃除は大変だったけれども、特にむごい仕打ちなどなかったので、いささか拍子抜けしていたのだ。
 まあ、それを言うなら、選択を持ちかけたあとのガルシアも胸中ではちょっと困惑していたんじゃないかと思う。まさか笹良が奴隷になる方を選ぶとは思わなかったはずだ。わずかに奇妙な表情を浮かべていたものな。
 ゾイはとりあえず王様の面目を保ち、尚かつ笹良の身が損なうことのないようにと、本当に配慮してくれたんだろう。
 単に笹良の非力さや無知さに呆れていただけじゃなかったんだな、ゾイ。こういうことも、今頃理解した。
 物悲しさを抱いたとき、ジェルドが笹良の身を抱え直した。そこで、今度は視線をヴィーの方へ向けてみた。
 ヴィーは、目を合わせてくれない。ただ腕を組み、軽く俯くようにして、ジェルドと話している。何だろ、胸が痛い。お兄ちゃんのようで、やっぱり違った海賊。レゲエ髪をつくつく引っ張ったり、ぐでんと寄りかかるのが密かに好きだった。いけないのに、また、裏切られたという気持ちがわく。
 そういえば、ヴィーに何度も「甘い」っていう苦言をもらったことがある。もしかすると、それって「海賊を信用などするな」って意味だったのか。
 嵐が来る前に、船はどこへ行くのかと聞いた時、ヴィーは渋い顔をして返答を濁していたのだ。言えなかったはずだ。生け贄として捧げる水窟へ行くなどとは。あんまり笹良が無警戒だったから、余計に言えなかったのではないか。
 比石の部屋に行った時も、色々と言われた。今の立場を理解して、せいぜい王の寵を得ておけと。それは、笹良の軽薄な主張を批判するだけではなく、遠回しな忠告の意味も含まれていたのではないか。ガルシアの心を変えなければ供物となるんだぞっていう忠告。笹良ってばあの時、言葉の裏に隠された意味など全然考えず、目の前の問題しか見なかったのだ。調子に乗って上辺だけの持論を披露してさ。なんか滑稽だ。
 人は裏切るものだと、そんなふうに皮肉なことを言っていたのも思い出した。己の安寧のために他人を見捨てるんだと。その言葉にはきっと、自嘲もこめられていたのではないか。慈悲では作られていない船。犠牲の上に成り立つ海上生活なんだな。
 自分だけはその犠牲の中に含まれるはずがないと、怠慢な考えをいつの間にか持ってしまった。
 笹良の視線に恐らく気がついているだろうに、ヴィーはやっぱりこっちを見てくれなかった。心の中で溜息を落とし、またぼんやりと思考を巡らせる。
 ギスタやサイシャはどこにいるんだろ。
 ギスタにも以前、この未来を示唆するような台詞を言われたことがあった。哀れだと。何度も憐憫の目で見られた。こっちにひたりと向けたられた哀れみの中には、海賊船に迷い込まねば『冥華』となる運命などたどらなかっただろうにという意味がこめられていたのだな。憶測だけれど、海賊の中でギスタが一番冷静に、笹良を等身大の姿で捉えていたんじゃないだろうか。迷い猫のようなものだと納得していたから。
 笹良がその理由をきちんとたずねていれば、もしかしたらギスタは誤摩化さずに教えてくれたかもしれない。だって、王に何か言う事はあるかと、そうきいてくれたんだもの。真実を知るチャンスをみすみすと逃したのは、何にも分かっちゃいなかった自分なのだ。
 セリは、笹良を見てよく嘲笑に似た笑みを浮かべていた。海賊達に懐く笹良の姿が愚かしく映ったのだと、今なら分かる。
 そうそう、奴隷となって掃除している時、いやに皆が顔を見せにくるなと奇妙に感じたものだが、甘やかされた経験しかない笹良が悲嘆に暮れて自傷行為とかに走るんじゃないかと危ぶんでいたためだったんだろうな。ゆえに船医であるサイシャまでも足を運んでくれていたのだ。「護衛」がついた理由と同じ。生け贄の娘が役を果たす前に死んでしまうと困る。ささやかな好意で会いにきてくれていたのではなかった。
 けれど、カシカやサイシャとかのこと、笹良は好きだった。カシカには本当によくしてもらったし、サイシャも薬とかこっそりプレゼントしてくれたし。その温情は多分、本物だと思う。
 性別を歪める歓靡の蛇輪について話をしていた時、突然カシカに謝罪されたことも思い出した。王様に酷い真似をされた笹良が名を呼んだ時に、すぐ救助できなかったことを謝罪しているかと思っていたが、そうではなかったんだろう。
 助けられなくてごめん、と囁くカシカの声が蘇る。
 この運命から助けることはできないのだと、カシカは言っていたんだな。海賊の一員だから、こっちに抱く感情がどうあれ、根底の部分では海賊船を守るガルシアに逆らえない。それは仕方のない事だ。突然現れた笹良より、やっぱり仲間の方が大事だというのは当然の結果だろう。
 彼らの言動には、ちゃんと意味があった。異世界の人だから仕方ないと、心のどこかで切り捨てて理解しようとしなかった自分がいる。差別の壁を作っていたのは、笹良の方だったのだ。これじゃあ、信用されるはずがない。
「――…かな、冥華」
 んぬ。
 自分の思考にどっぷりと溺れていたため、ジェルドに話を振られた事に、すぐには気がつかなかった。
 何だ?
「またさぁ、冥華みたいな『冥華』が現れるかな」
 ジェルドが、よいしょ、という感じで、抱えていた笹良を手すりに座らせた。まさかこのまま突き落とす気なのかっ、と青ざめたが、腰を支えてくれたので違うらしい。いきなりどぼんと海へ落ちるのは遠慮したいため、身体を支えてくれるジェルドの腕に手を置きつつ「何の話だ?」と首を傾げてみた。
「だからさ、俺、冥華のこと気に入っていたんだ、また次の冥華も、お前のような者が来たら楽しいじゃないか」
 ジェルドはにこにこと期待をこめた目で、笹良にそう言った。
 なんかジェルドって、子供みたいだな。駆け引きや戦いには長けていて海賊特有の非情さもあるけれど、日常生活における人間同士の普通の触れ合いは不得手というか……情緒面はすごく偏っている印象がある。もしジェルドが海賊ではなく、笹良がいた平和な世界で育っていたら、すごく素直で優しい好青年になっていたんじゃないだろうか。仲良く散歩したり、遊園地に行ったり、買い物したり。
 だって一緒に楽しくお喋りしていた時のジェルドは、血塗れの剣を振り回しながら平気な顔で他人を傷つけていた時間が幻に思えるくらい、気のいい朗らかな青年に見えたのだ。
 もっと一緒にいられれば、何かを変えることができただろうか。
「お前のように遊べる女だと、面白い」
 ふふっと無垢なくらいの明るい笑みを見せて、笹良の膝に両手を置く。こら、支えてくれないと落ちるではないか。
「また『冥華』みたいな冥華に会えるかな」
 ジェルドってば、困った海賊くんなのだ。
「ジェルド。次、『冥華』、笹良、違う。会う、ない」
 とてっとジェルドの栗色の髪に手を置き、困惑しつつ告げた。世の中には自分とそっくりな人が必ずいるっていうから、笹良と似ている女性もいるだろうけれどさ。仮に次の冥華が笹良みたいな性格の人であっても、それは別人なのだ。海賊船で一緒に過ごした時間を持つ笹良は、この笹良だけなのだと、ジェルドは分かっていない気がする。
 まさか、次の冥華が笹良と似ていれば今の笹良が持つ記憶や時間をその人に繋げることができると信じているんじゃないだろうか。
「?」
 ジェルドが「わけ分からん」という顔を見せた。ああジェルド、本当にそう思っていたのか?
「ジェルド、今の笹良とは、さよならなんだよ」
 うぬぅ、こんな説明をすることになるとは。生け贄となる自分の運命をほろほろと悲しむ予定だったのに、なぜジェルドを宥めているのだろう、不思議だ。正直、生け贄なんて見た事もないし体験した事もないから、どこか現実感が乏しくておおっぴらに悲嘆できずにいるのだ。多分、死ぬのかな、海に投げ込まれるのかなと想像しているが、そもそも命を落とすということがよく分かっていない。今、こんなに普通に呼吸をして、生きているためだろう。
 現状にまだ、心が追いついていないのか。
 さっぱり理解してない様子のジェルドを見て、苦い顔をしたのは、側で話を聞いていたゾイとヴィーだった。
 さて、どう言えば分かるだろう、と苦悶した時だ。
 ガルシアがギスタやオズ達を連れてやってきた。
 
●●●●●
 
 心が追いついていなかったんじゃない。心は単純に、現実を拒絶していただけだったらしい。
 呆気ないものだった。海賊船で儀式やら祈祷やら、魔女の黒ミサめいたことをするのだろうかと思っていたが実際は何もなく、海賊船が難破した時のために搭載されているらしい救命ボートというか、脱出用の小舟に乗せられるのだと分かった。数人しか乗れないような、本当に小さく簡素な舟だ。途中まではガルシアもこの小舟に同乗するらしい。<盲冥の水窟>の入り口ってどうもガルシアしか開けないようだった。
 儀式等はないものの、仕事のない海賊君達が離れた場所にたむろしてこっちをうかがっていた。グランもサイシャも来ている。いないのは、カシカだけか。ああ、きっと彼らは何度か、こうして『冥華』を見送りしているんだろう。なんとなく察したのだが、幹部などごく一部の者以外は、ガルシアの力を満たすための生け贄ではなく、『冥華』は言葉通り海神に捧げる供物だと思われているようだ。人身御供の結果海神は返礼として、ガルシアに力を与えているのだと。最終的には同じ事なんだが、意味合いが違うというべきか。ガルシアはわざとそんなふうに誤解させているのかな。レザンなどは、単純に王が愛でているお姫様と勘違いしていたようだし。
 それにしても異世界ってまさに驚異だ。海神へ女を捧げれば船の安泰が守られるという迷信が彼らの中に生きている。信仰と似たようなもので、善悪を論じることではないのだろう。
「おいで、『冥華』」
 ガルシアに抱き上げられた。なんか、心臓がすごくすごくどきどきしてきた。あ、どうしよう、本当なんだ。現実なのだ。
 口から心臓が飛び出そうだ。震えそうだぞ、というか、吐きそうだし、泣きそうだぞ。
 最初は海賊船になど絶対に保護されたくないと力んでいたのに、今は本気で降りたくない。あぁロンちゃん。今、呼んだら駄目かな。都合がよすぎるだろうか。それに、昼間は弱いというようなことを言っていた。でも、マジで胸がおかしくなってきた。供物だって言われてるんだが、どうしよう、どうすればいい?
 というか、もう! 笹良ってば、この瞬間までやっぱり何かを期待していたのだ。カシカとかヴィーとか! ねえ助けてって叫びたい。ちびって詰られてもいいし、どつかれても馬鹿にされても、荷物のように担がれてもいいから、こんなの冗談だって笑いかけてほしい。
 駄目だ、すごく混乱してきたぞ。
 海なんて嫌い。
 嫌い、嫌い、大嫌い!
 お母さんお父さん、総司、レイちゃん、響ちゃん、ロンちゃん。笹良、なんでこんな現実と直面しているのだろう。
 海賊船の横に小舟が降ろされた。片腕で笹良を抱え上げていたガルシアが、小舟へ降りるための縄の梯子に手をかけた。
 思わずぎゅっとガルシアの肩にすがってしまった。いい匂い。南国系の甘い匂い。優しく撫でてくれた手なのに。
 どうして。
 皆、嫌い!
 嘘つき、裏切り者、海賊なんてすげえ腹黒!
 こんな残酷な仕打ちって、ありえねえ! 信用しちゃったじゃないか、心の一部を預けてしまったじゃないか。返してほしい。
 少しくらい、罵声を浴びせてもかまうもんかっ。
 そうじゃなきゃ、胸が壊れる。
「ジェルド、元気でね! あのね、笹良、部屋、ミニクッション、カシカ、全部あげる、伝えて! サイシャにも感謝。ゾイ、笑顔、時々、笑顔、笑うっ。ギスタ、睡眠、大事! オズ、身体、無理、いけない。グランも、背中、気をつける。……そ、それから、ヴィー……、ありがと! 悔しいけど、お兄ちゃんみたいでっ、だから、ありがと!」
 ああ、何を言っているんだろ。心の底から呪ってやるとか、立ち直れないくらい批判、罵倒してやろうと思っていたのに。
「皆、飲み過ぎ、駄目! 奴隷、いじめる、駄目、それから、それから、殺し合い、駄目、船襲う、よくない! 皆、元気でね。いつか、海賊、やめる。お願い、皆、幸せに!」
 なにさ、なにさ。皆、『冥華』のこと、知ってて黙っていたくせに。
 笹良のこと、馬鹿な子だなって思っていたんだろう。だったら、こっちも思う存分傷つけてやったってかまわないではないか。他人を困らせ、命までも奪う非道卑劣な海賊なのだから。
 ――なのに、なんで、皆の無事を真っ先に思っちゃうんだよう!
 ちょっとくらい優しくしてくれた過去があるからって今の状況を笑って許せるもんかと本気で腹を立て、恐れているはずなのだ。
 笹良、頭悪すぎる。悔しいな、ぼろぼろに泣いて、暴れたいのにな。
 気丈な態度を作ってしまうのって、もう乙女の意地ってやつなのか。
 ばいばいと皆に向かって大きく手を振ったら、海賊幹部たちはそれぞれ千差万別な表情を浮かべた。ヴィーはすごく険しい顔をしたし、ジェルドはよく分かっていない様子で目をぱちくりさせたし、ゾイはちょっと呆れた表情を浮かべたし、ギスタは怪訝そうにした。オズは凝固した感じ、あぁサイシャは何だかすごく顔を歪めている。グランは逆に表情を消していた。
 ガルシアが皆の方を一瞥した。
 けれど何も言わずに笹良を抱え直し、小舟に降りた。
 何かもう色々とぐちゃぐちゃで、頭も心も狂い乱れている感じだけれどさ。
 奇麗な別れの仕方が分からなかった。

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