she&sea 68

 笹良の出現が、予期せぬ事態?
 それは確かに、笹良本人だって異世界乱入など断然予期せぬ事態ではあるのだが。
 こっちに来るきっかけとなったのは何だっけ。
 そうだ、総司がレンタルしてきたDVDをこっそり観てやれと企んだことが原因だった。
 脳裏に、海の場面を映したテレビが蘇った。なぜか荒れ狂う波を映したまま停止したのでご立腹し、ぽこんと叩いたら、画面が壊れ大量の水が溢れ出したのだ。
 水は冥府とも、異界とも通じる?
 つまりそれって、カヒルが精神の均衡を崩して海底の磁場を狂わせた瞬間と、テレビの故障と、笹良が叩いた瞬間が重なったということか?
 自分ではよく分からないが笹良は既にカヒルと仮の誓約をしていたという。そのことも作用して、焦り腹を立てていた笹良の精神のぶれがカヒルの方と通じてしまい、更には水の力も加わって、異世界乱入の結果を呼んでしまったと。
 本気で絶叫してもいいだろうか。すっごい確率で条件が重なったものだ。
 ここまで条件が揃うと、もうそれは定められた運命のように思えてくる。
「私も全てを知るわけではない。お前がいつどのような理由でカヒルと仮の誓約をかわしたのかはしらぬ。だが、磁場の歪みを確認するべく海上を調査していた時、幽霊船で放心しているお前を発見した。我が目を疑った」
 うぬ、笹良も今、耳を疑ったぞ。死神よ、その眼窩に目があるのか。
 違う、現実逃避してどうするのだ。
「お前はわけの分からぬ話ばかりをしていたが、少なくともその髪、目を見、また内部にカヒルと通じる何かを抱いている気がしたのだ。ゆえに、お前ならばその怪異さ、奇天烈さ、理解不能な言動をもって、ガルシアやカヒルの命運に手を伸ばせるのではと期待を――」
 ちょっと待った。
 真剣な説明の途中で悪いが、怪異さ、奇天烈さとは何なのだ。
 こういう場合はもっと別の麗しい表現を用いて誉め称えるのではないか? 救いの天使のようとか、うっとり頬を赤らめるほど神秘的とか、色々と相応しい言葉が無数にあるではないか。本気で噛みつくぞ。
 硬そうな骸骨指を齧る気にはさすがになれなかったが、ここで甘い顔をしちゃ今後も無礼な評価を改めてもらえないだろう。というわけで、大いなる怒りを示すため、指のかわりに黒い死神衣装をがじがじと噛んでみた。
「……食うな」
 誰が食べるかっ。
 大体、死神ってなんで死神なのだ!
 暴れられては困ると思ったのか、ロンちゃんは黒袖に包まれた骸骨腕一本で支えている笹良の身を無言で揺らし、落とすぞと脅した。卑劣だ!
「死神の作り方を知りたいのか」
 作り方ってそんな、料理のレシピを言うかのごとくあっさりと。
 死神は作れるものなのか?
 ちょっぴり育成してみたいと不届きな野望を抱きつつも、海に突き落とされては嫌なので、大人しくロンちゃんの腕におさまっておくことにした。そういえば、幽霊船でロンちゃんと鉢合わせし、しみじみと嘆きつつお酒を舐めた時、どうすれば死神の仲間入りができるのか、たずねた覚えがある。
 ロンちゃんもその時のことを思い出したのか、なんとなく苦笑するような気配を漂わせた。顔に変化はなかったが。
「お前、死神となる方法を問うたことがあったな。私は驚いた。今思えば、その問いこそが私を動かし、お前の命運を歪める原因であったのかもしれない。そのような問いを投げかける生者など、これまで会った試しがなかったのだから」
 死神の作り方が?
 確かあの時、ロンちゃんは怪訝そうにしていたっけ。結局、死神になる方法は教えてくれなかった気がする。
「元は人。非業の命運で死した者、激しい悔いを現世に残し、生者を呪う者が死神だ。冥帝の審判を受け、一つ、刈るべき御霊を得るまで逃れられぬ」
 怨霊か? ではなく、ロンちゃん、こんなに穏やかなのに生者を憎んでいるの?
 元々は人間だったというのも驚きだった。
「御霊を刈るって、誰の魂のこと?」
「分からぬ。冥帝は決してそれを明かさぬ。死神はその定められた御霊を得るまで、幾つも魂魄を集め続けねばならない」
 冥帝って、冥界の神様のことだろうか。いわば、ロンちゃん達死神の上司という意味だろう。
 魂魄の収集作業が死神の主なお仕事なのだな。それにしても冥帝って狡猾なのだ。たくさんの魂魄の中に求める一つの御霊があり、それを得るまで働き続けなければいけないなんて、あんまりひどいではないか。
「仕方のないことだ。魂魄を刈ることで生者の嘆きを飲み込み、己の呪詛を薄めるといった意味もあるのだろう」
 淡々と言われたが、意味もある、って、その「も」が曲者の気がするぞ。
 きっと他の意味も含まれているのだな。
「冥帝は魂魄を食すのだ」
 何?
 思わず仰け反った。食べるのか、食べるのか、魂魄くんを!
「我らが刈る魂魄は、悪しき者。平穏の死、善の多い死など楽土への昇階を許された者の魂魄には関わらぬ。冥帝は邪を滴らせる魂魄を清めるために食らうのだ」
 つまり、その悪しき者って、うぬぅ、海賊くんみたいな人々のことではないだろうか。
「我らは、あまりにもこの世の人々を脅かす生者の魂も、残された寿命を問わず刈る。人の一生には何事も定めがある。幸福の量、憎悪の量、悲嘆の量。その一定量を超えて持つ者は刈らねばならない。無論、例外もあり、あえて見過ごす時もある」
 怖!
 死神、必殺仕事人みたいだな。
「じゃあ、すっごく恨みを持っていれば、悪い心の人でも死神になってしまうの」
 ロンちゃんはどう見てもそんなふうには思えなかった。
「いや、違う。恨みを持つ、高貴なる者のみ」
 高貴?
 どういう意味なのだ。
「要するに血統を守ってきた者、血にそれほど混ざりがないといえばいいか。私は皇裔の者だったのだよ、娘」
 なんだかほんのりと誇らしげに、尚かつ悲しげにロンちゃんはそう言った。
 皇裔って何だろう。
「お前の常識に合わせて分かりやすく言えば、皇家に連なる者といえる。実際には皇家という言い方は正しくないが」
 ロンちゃん、生前はえらく身分の高い人間だったのか!
「ど、ど、どういうことなのだ」
 しまった、そんな身分の高い人というか死神の服をさっき齧ってしまったではないかと戦き、吃りながらもたずねてみた。
「滅亡したレオスオル巫国。それが私の故国だ。レオスオルは王政を敷いていない代わりに、神巫が政を動かしていた。主に政に携わる位高き者を上巫(じょうふ)という」
 神官みたいな人が国の長だったということかな。日本的に言えば卑弥呼時代のような感じだったのだろうか。
「私はな、海賊に攫われ、殺された上巫の末子だった」
 海賊、巫子様までも拉致しているとは凄まじい。
「もうどれほどの月日が流れたのか。当時、各国はまだ交流が盛んではなく、ようやく外遊、貿易などに目を向け始めたばかり。我が巫国は最果ての国との親交を持つために、私と王女の婚約を取り決めた。大陸を横断するのが最も早いが、レオスオルは中国である隣国と睨み合いが続いている状態だった。遠回りではあるが海上国境線のない海路を進むしか最果ての国へ行く方法がなかったのだ」
 以下、ロンちゃんの説明を笹良風に直してみた。
 レオスオル巫国は以前グランから教えてもらった、湖と国が交互に並ぶ市松模様の大陸の、右角にある国らしい。で、その王女様が暮らす最果ての国は一番左端の国だとか。なんでそんな遠い国との国交を求めたのかと言えば簡単な話で、敵国である隣国との開戦を間近に控えていたため、左端の国と共謀し挟みうちにしようと企んだのらしい。
 笹良は、むうっと眉間にしわを寄せた。
 そうなのだ、ここで問題になるのが、以前疑問に思った湖の数である。真ん中に敵国、その両隣に湖が並び、更に湖の右側にロンちゃんの国、逆となる左側に王女様の国があるわけだ。横並びの目線で見れば国が三つ、湖が二つ。湖が一つ足りない。
 そこでロンちゃんの国と王女様の国はそれぞれ自分達が一つずつ湖を所有し、尚かつ敵国の領地も奪って半分に分けてしまいましょうと策謀を巡らした。婚約は国交を結ぶのに手っ取り早く、他国にも示しがつく。
 けれど、その野望を叶えるためというか、婚約した王女の国へ渡るための海路で、ロンちゃんを乗せた船は運悪く海賊の襲撃を受けたのだ。
 じゃあ、ロンちゃんは自分の未来を滅茶苦茶に壊した海賊を恨んでいるのか。
 そこにどうして、ガルシアや水窟に繋がれているカヒルが関わってくるのだろう。
「娘、笹良。今、海賊王と呼ばれるガルシアは――私の息子だ」
 息子?
「ぬ?」
 息子ってつまり、血を分けた実の子。
 ガルシアが息子!?
 驚きのあまり、咄嗟には受け入れることができなかった。
 ぽかんとロンちゃんの骸骨顔を凝視してしまう。ロ、ロ、ロンちゃん、子持ち? 死神で子持ち?
 あれ、でも、待って。
 確か、ガルシアのお母さんは海賊の女だと言っていなかったか。
 婚約者であった他国の王女とはどうなったのだ。わけがわからなくなってきたぞ。
「今でこそこのような姿だが、当時の私は十七歳。若く、それなりに見目が整っていたはずだ。我が子であるガルシアの容貌を見れば、悪くはないと分かるだろう」
 親馬鹿さんめ、とツッコミたいところだがあまりにも淡々と告げられてしまったため、軽口を叩けなかった。
 すっかり聞き流していたが、ロンちゃんの言う「当時」っていつ頃の話なのだろうか。その疑問を口にする前に、ロンちゃんは抑揚のない美声で話を続けた。
「若さは時に傲慢と変わる。十七歳の私は己の身分ゆえに高慢であり、無知でもあった。海賊達に船を襲われ、捕虜となった時、なんと薄汚く礼儀を知らぬ下劣な者だろうと心底見下していた。同じ人間を見る目で、彼らを理解しようとはしなかったのだ」
 なんだか今の温和なロンちゃんを見ているためか、我が儘な少年の姿は想像ができない。
「その選民意識が彼らの逆鱗に触れたのだろう。私は、一人の海賊の女と無理に契らされた」
 今、口からぶくぶくと泡を吹きそうになったぞ。無理に、ってロンちゃん。
「海賊達は私を人質にするのではなく、辱める方を選んだのだよ。どれほど尊い身であれども嫌悪する海賊の女と夫婦になれば、全て同列だと。本当に醜く野蛮な女だった。それまでの私は、屋敷の奥で厳重に守られた高貴な姫達しか知らなかったから、世の中にこれほど醜悪な人間が存在するのかと驚きさえした。顔も心も汚く爛れた女。そういう女を妻とするのは、絶望という以外になかった」
 絶句してしまう。だってロンちゃんの言っている海賊の女って、ガルシアのお母さんでもあるわけで、返事のしようがなかった。
「己の命運を呪わずにはいられなかった。私が一体何の罪をおかしたのかと神に問わずにはいられない。だが事態は、私一人の自尊心の問題ではなくなった」
 ロンちゃんがぽつりと、海賊の女が身ごもってしまったのだ、と告げた。
「こればかりは許されぬ。貴き巫族の血が、海の獣である海賊に受け継がれるなどあってはならぬことだ。ゆえに私は――孕んだ女を殺そうと考えた」
 ロンちゃんは、海面にぱちゃんと飛び出た魚へ一度顔を向けたあと、再び笹良に戻した。
「けれども、かしずかれて育った私に、女とはいえ獣のような五感を持つ海賊を葬れるはずがない。逆に私が殺される羽目に」
 あぁ、それで……ロンちゃんは死神になってしまったのだ。
 でも、でも、ロンちゃん。
「ガルシアは自分がどういう状況で生まれたのか、知っている?」
「おそらく、女が面白おかしく語って聞かせただろうな」
 目を閉じて、耳を塞いでしまいたくなった。
 なんてことだろう。とても、他に言葉が思いつかないほど、悲しい。
 巫子だったロンちゃんもすごく苦しんで、絶望しただろう。だけど、生誕というのは赤ちゃん自身にはどうもできないことだ。お父さんであるロンちゃんに憎まれ、更には、お母さんがロンちゃんを殺し。巡り合わせの残酷さに胸が軋む。
 ガルシア。こんなのってない。
「ガルシア、憎い? 死んでほしいと思っている?」
 身勝手だけれど否定してほしくてたまらなかった。
 だってもし笹良がガルシアの立場だったら、きっと自分も、環境も、肉親も、呪って呪ってとまらないだろう。自分の存在を振り返った時、たとえ無関係な人間であっても幸せそうな顔をしていたら、それこそ命懸けで叩き壊したくなるかもしれない。どうして自分だけが不幸なのって思わずにいられるだろうか。笹良はこの世界に来て何度も、どうしてこんなことに、と嘆いたのだ。
 人の一生は生まれの問題ではなく、どういう道を歩むかだという時があるけれど、それはきっと他人が口にしていい言葉ではないと思う。たとえ将来、幸福を掴めたとしても、過去の痛みや苦しさはなかったことにはならないはずだ。何度も些細なきっかけで過去は現在を覆い、心を打ちのめす。傷ついて、乗り越えて、再び思い出し、悔恨や羞恥を増やしてまた傷つく。その繰り返しなのではないか。幸福は幸福、不幸は不幸、混ざり合わない。
 どうして生まれてきたんだろうと、ガルシアは何度も考えただろうか。
 何を成すか、それを思うよりも先に、何の生なのかと呟いた時があるかもしれない。
 ガルシアは本当に、他人を信じていなかった。慈悲もいらぬと笑っていた。強さも容貌の美醜も感情も、氷の眼差しで見つめていた。
 ただただ、命の奇妙さだけをずっと見つめてきたんじゃないのか。
「分からない。分からない。だが、私は悔やんでいる。生者であるうちに、せめて、そう、たとえ瞬きする時間だけであろうとも、あの子を愛してみるべきだった」
 あっと思った。ロンちゃんだって、ガルシアと同じなのだ。望まぬ運命に翻弄され、血を分けた実の子を殺さなくてはならないとまで思い詰めた。たった十七歳の少年がだ。
 愛情さえもかなわぬ強烈な罪悪感、それこそがロンちゃんの死後を狂わせたのではないのか。
「ロンちゃん、ごめんね」
 咄嗟に謝らずにはいられなかった。
「ロンちゃん、レイロン。巫子のロンちゃんを知らないけど。今の死神、好きだよ。だって、ロンちゃんだけが笹良を見捨てなかった。知らない天使じゃなくてよかったよ、死神ロンちゃんが来てくれて、笹良とても嬉しいよ」
 骸骨顔に変化があるはずがないが、ロンちゃんは少し驚いたような気配を滲ませた。
「ごめんねロンちゃん。期待してくれたのに、何もできなくてごめんね。笹良、神様みたいになれたらよかった。そうしたら、不思議な凄い力で過去に戻って、ロンちゃんやガルシアを助けにいくのに。でも、どうしてもできないよ、ロンちゃん。どうして笹良は神様みたいになれないんだろう」
 何だか泣けてきた。ガルシアとの別れの時には出なかった涙が、水窟の泉に落ちたことでまた心が潤ったのか、ぽろぽろこぼれた。この世界に乱入するという運命が決まっているものだったのであれば、どうしてロンちゃんが生きていた時代にしてくれなかったのだろう。
「ロンちゃん、すっごく辛かったよね。怖かったよね。怖い気持ち、消してあげたいのに手が届かないよ。ロンちゃんは助けてくれたのに、笹良はガルシアの心もカヒルの心も守ってあげられなかったよ。ごめんねロンちゃん」
 自分の頼りなさがもどかしくてならなかった。こうして教えてもらうまで、皆の心に詰まっていたたくさんの苦しい思い、気づけずにいたのだ。
「どうして泣く。私の過去に、お前が犯した罪など一つもない。己では変えられぬ定めを、お前に託そうとした私の過ちではないのか」
「違うっ、笹良は叶えたいんだもの、ロンちゃんの期待に答えられるようになりたいのに!」
 必死に泣いて、必死に叫ぶしかできない自分がなんて狡いのか。
 ええい泣くなと自分の頬を思い切りつねってなんとか我慢しようと躍起になる笹良を、しばらくの間ロンちゃんは見つめていたようだった。
「なあ、娘」
 頭を撫でるかのように慈しみが込められた声を聞いた。
「この世に、どれほど血を吐いても変えられぬことがある。悲嘆というのは、一生の中で幾度も繰り返されるから、人の数よりも多く生まれるものだろう。ゆえに人の過去など、他人が肩代わりできるものではない。けれどもな。たとえ変えられずとも、失意という乾きの中に一滴の水が落ちたのだとしたら」
 ロンちゃん。
「お前のいうように、神の御業のごとく、悲嘆と怨嗟が一掃されることを願った。今でも願う。もしも叶えば、私はどれほど救われ、感謝するだろう」
 心に絶望の幕が降りる。ぼたぼたっと大粒の涙が落ちてしまう理由は、神の御業というものを笹良が知らないためだ。
「だが、その救いに愛しさはないだろう。崇拝し畏怖は抱く、何よりも。しかし、愛しさから知る尊さとは」
 飢えていたのだ、とロンちゃんは早口で続けた。この海の水を全て飲み干しても乾きはやまず、飢えて飢えて仕方がない、かりそめの潤いは傷を深めるのみだ、では一体何が欲しかったのか、それは。
「見る者に哀れみを抱かせる娘よ。なんと無力で哀れなのかと。そう胸の内に、知らず知らず、潤みを生ませる」
「うぁ」
 ロンちゃんはヒナリを自分の肩にひっかけたあと、突然笹良を高く抱え上げた。
 笹良は驚き、目を見張った。まるで、いつかのガルシアにされたみたいに、赤子のごとく高く持ち上げられたのだ。
「お前はおそらく、そういう一滴の愛。悲嘆の最中で未だもがいていても、生きてみようと思わせる、甘い一雫」
 
●●●●●
 
 夕日が傾き、海が赤く染まっていた。
 笹良を担いで海上を飛び続けるロンちゃんは、あまり調子がよくなさそうだった。
 まだ話に続きがあったのだが、昼には弱いロンちゃんの体力を少しでも守るため、休んでからにしようと提案したのだ。
 笹良さえ肩に乗っけていなければロンちゃんは休めただろうにとすまなく思う。海上を漂っているので、泳げぬ笹良をそこらに放置することができないのだ。
 陸まではまだまだ全然遠いらしい。ロンちゃん、大丈夫だろうか。なんとかしたいのに、お荷物になるだけの自分が歯がゆくてならない。鳥みたいに羽根があればよかったな。
 なるべく負担をかけないように、ちんまりと大人しく身を預け、陸に到着するのを待った。
 夕焼けの時間は短い。好きなだけ海を赤く焦がした太陽が、満足した様子で水平線の彼方に沈んでいく。
 ――日が落ちた。
 薄闇が海の青を黒くしていくように、心の中の不安も濃厚さを増していく。なんて長い一日だったのかと振り返る余裕はまだ持てない。
 ガルシア達は今、何をしているんだろう。ランプを囲んで浴びるようにお酒を飲み、陽気に笑っているのだろうか。
 戻りたいな、と思った。
 泣いてばっかりで情けないから、たまにはぐっと堪えることにした。
 でも、これからどうすればいいのだろう。一体どこへ向かえばいいのか。
 とりあえず今は、休憩できる場所を探してロンちゃんに運んでもらうしかないのだが、その後の運命は自分で決めなければならない。
 いつまでも落ち込んでいると、助けてくれたロンちゃんに失礼だ。少しでも気を晴らそうと思い、目の前でふわふわと揺れているロンちゃんのざんばら髪に注目した。不意にヴィーの髪型が蘇る。
 そうだ、三つ編みをたくさん作ってやれ。
 あまり強く引っ張ったら抜けてしまいそうだ、などとすこぶる無礼な心配をしつつ、ロンちゃんの髪を一房掴んでみた。するとロンちゃんが「む?」という感じの気配を漂わせて、ちらっと骸骨顔をこっちに向けた。それにしてもロンちゃんよ、さすが死神だけあって、この薄暗さ、寂しげな時刻が実にマッチしているな。
 せっせと三つ編みを作り、根無し草状態の現状から目を逸らして、溢れる恐怖を誤摩化した。
 力強い輝きを放つ太陽の代わりに顔を出した月が、夜空の頂きに近づいても尚、陸は見えない。

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