she&sea 69

 夜の訪れとともに強い疲労感に襲われ、ロンちゃんの三つ編み頭にぐてっとしがみつきつつ眠気と戦っていた時、遠くの方から爆発音がかすかに聞こえた気がした。
 その音がまだ記憶に新しい晶船の爆破音と重なり、不吉な現実の到来を予感させた。まさかという驚きに、堪え性もなくくっつきかけていた重い瞼がさっと開く。
「ロンちゃん、今の音」
「行かぬ方がいい。争いの気を感じる」
 夜の到来により少し身体が楽になったらしいロンちゃんが諭すような声音でそう言った。
 争いってどういうことなのだろう。もしかしてガルシア達が他船と交戦しているのか。
「お願い、ロンちゃん。こっそりと近づいてほしい」
 平身低頭の姿勢で頼み込むと、骸骨顔こそ変化はないものの渋々といった気配を漂わせつつ「近づくだけならば」と了承してくれた。
 もし今の爆破にガルシア達の船が関係しているのならば、生け贄として突き出されたはずの笹良が無傷のまま戻るなど言語道断な話だと本当は分かっている。まだ、皆の前に平気な顔で姿をさらせる勇気はない。今戻って対面した時、「帰ってくるな、生け贄として死ね」とガルシアやヴィー達に再度きっぱり言われたら、ショックで吐いてしまいそうになるかもしれない。
 けれども、皆が無事なのか、どうしても知りたいのだ。今の爆発、ガルシア達が乗船している海賊船じゃないだろうかと思うと心配で、いてもたってもいられない。
 遠くから確認するだけ。船が無事だと分かればそれでいい。
 こぼれそうになる本音を押し殺し、三つ編みだらけになっているロンちゃんの頭にまたしがみついた。レゲエ死神だな、と意識を一旦逸らすため故意に別のことを考えてみた。
 ロンちゃんはスピードを上げて飛ぶためなのか、肩に引っ掛けていたヒナリを笹良に預けた。落とさないように気をつけてぎゅっとヒナリの柄を握り締めた時、ロンちゃんのまとう黒衣の裾が大きくはためき、夜の匂いをしみ込ませているぬるい風をひらりと切った。
 ヒナリの白い刃が磨き上げた鏡のごとく、夜空に光る透き通った金の月を一瞬、映した。柄を抱え直すために軽く掲げたら、刃の軌跡が生まれ、まるで星屑のように幾つもの煌めきを放って夜気の中に散っていった。
 
●●●●●
 
「ガルシアの船ではないな」
 ロンちゃんが、遠くに去っていく輪郭の曖昧な船を見つめて呟いた。
 去っていく船があるとは教えてもらったが、もうかなりの距離が開いていたし夜の気配も強すぎたので、笹良の目にはただの黒い闇しか映っていなかった。でもロンちゃんがそう言うのだから間違いないのだろう。
 笹良は闇から視線を転じて、目の前の海面に注目した。なだらかな様子で揺れる波の上には、まだ火をつけている木板の残骸が飛散していた。その向こうには無惨な有様となっている壊れた船がぷかりと浮かんでおり、やはり所々が燃えていた。マストは折れ、船腹におそらくは修復不可能だと思われる大きな穴があいている。海面に力なく垂れ下がる数本の帆布に、誰かの死体が絡まっているようだった。
 黒い海に浮かぶ火の色は、鮮やかなだけに禍々しさを持っている。
「生きている人、いる……?」
 血の気が引くのが自分でも分かったが気合いで恐怖を堪え、無理矢理言葉を絞り出した。
 笹良自身がロンちゃんに助けられている状態だけれど、もし生者が残っているのだとしたらなんとか救助したい。
 月明かりの中、目を凝らし、ある一点にふと気を奪われた。手すりから垂れ下がっている破れた帆布。この色と模様を知っている。
 レザンの言葉が脳裏に蘇る。灰色の帆布は確か。
「アサードの船だ!」
 びっくりしてしまった。笹良の大声に、ロンちゃんも驚いた様子でびくっと肩を揺らした。落とさないでほしいぞっ。
 信じられない、いちゃもんをつけてきた海賊達を余裕綽々という態度で軽くあしらっていた、あのアサードの船が何者かに爆破されたのか。全然親しい仲ではないものの、晶船の骨組みから落下した笹良を一応は助けてくれた人だ。お洒落な海賊帽子をかぶり、無精髭も生やしていた甘い目を持つ大人な海賊。あの人が、誰かと交戦して負けたというのか。
「生きている者がいるようだ」
 愕然としていた笹良の耳に、ロンちゃんの静かな声が飛び込んできた。骸骨指が指し示す方角に慌てて視線を向けると、ゆらゆら揺れる海面に浮かんでいる木板に、誰かの上半身が引っかかっているのが分かった。
「ロンちゃんっ」
「ふむ」
 ロンちゃんが空中を滑るようにして動き、その人の方へ近づいてくれた。
「アサード!?」
 血を滴らせながら木板にぐったりと寄りかかっている人物の横顔を見て、笹良は再び大声をあげた。それが原因なのか、気絶しているらしきアサードの身体が木板からずるりと落ちて、海の中に沈みかけ――。
「待った!」
 思わず笹良は預かっていたヒナリを振り回し、刃の先端にアサードの襟首を引っ掛けた。海の藻屑となってはいけないのだ!
「ん、んぬぅ!」
 が、しかし。か弱い乙女の力ではガタイのいいアサードの体重を支えることなどできるはずがなく、ロンちゃんの肩から落下しそうになった。笹良が海の藻屑となりかけてしまったぞ。
 ぷるぷると手を震わせながらヒナリの柄を握って奇声を上げる笹良を哀れんだのか、ロンちゃんが途中で選手交代してくれた。
「怪我をしているな」
 とりあえずヒナリの先端にひっかけたアサードの上半身を海中から出して酸素を確保してくれたロンちゃんが淡々と告げた。
「首を刈るか?」
 いかん!
 ロンちゃん、真顔でそんな空恐ろしいことを聞かないでほしいのだ。いや、そもそも骸骨顔なため、真顔でなくとも空恐ろしいが。というか、表情が変わらぬために冗談なのか本気なのか判断できないではないか。
「助けるっ。とりあえず、船に乗せなきゃ」
「だがあの船、既に浸水し始めている。そう時を待たずに沈没するだろう」
 困った。なぜなら、ロンちゃんは首を刈れても普通の人間に直接触れることができないのだ。接触可能なのはヒナリのみである。笹良の力では体躯の立派なアサードを抱え上げる事ができない。今の季節が冬ではないとはいえ、ずっと海中にいれば体温を奪われて身体を損なうだろうし、怪我をしているなら傷の手当ても必要だ。
 どうする、どうする。
「そうだ」
 必死に考えたあと、閃いた。ガルシアの船には脱出用の小舟が用意されていた。それはアサードの船も同じなはずだ。
 ロンちゃんに頼んで、海面に浮かんでいる木板からアサードの身体が落ちないように固定してもらい、一旦側を離れることにした。その後、砲撃されたかのように至る所破損している海賊船の周囲をぐるっと回ってもらう。
「あった!」
 逆側の横腹に回った時、縁の下部辺りに太い縄で固定されている小舟を発見した。よかった、小舟は破壊を免れたようだ。
 ロンちゃんにヒナリで小舟のロープを切ってもらう間、他に生存者がいないか確認するため甲板に降ろしてもらった。まだ沈没までには猶予がありそうだったためだ。
 甲板の上も酷い状態だった。おそらくはアサードの仲間であっただろう海賊くんの死体がいくつも転がっている。以前の笹良ならこの凄まじい光景だけで絶叫し、真っ先に気絶していただろうが、今は弱音を吐いていられない切羽詰まった状況な上、不気味なにょろにょろ蛇に追っかけられたり何だりと色々非現実な経験をしたために、嬉しくない免疫が多少はついたらしい。血塗れの長剣など恐れないぞ!
「誰か、いる!?」
 叫びながら、様々な船具や残骸が散乱している甲板を走り回り、船内に続く昇降口を降りてみた。まるで暴風でも通過したような惨状の通路を、意を決して突き進む。
 いるかもしれない生存者に呼びかけつつ船倉区画を駆け回っていた時、この船を襲撃した何者かがどうやら途中で運び出すのを諦めたらしい重たげな長箱を発見した。ふと気を取られ、中を覗いてみれば、衣服の類いや丸められている地図などが入っている。この船を襲撃した何者かはおそらく、それほど荷物にならず高価である貴金属の類いだけ多分運んだのだろう。
 そのまま放置していこうと思い、次の瞬間、考え直して足をとめた。今後のことを思えば、衣服や布がきっと必要になるはずだ。笹良の服は濡れていないからいいけれど、怪我をしているアサードは着替えさせた方がいい。
 手に持てるだけ持とうと思った時、ロンちゃんが突然するっと姿を現した。味方だと分かっていてもその死神姿は心臓に悪いぞ!
「そろそろ船から脱出した方がいい」
「アサードは?」
「小舟に乗せておいた。あとはお前が乗るだけだ」
 そうか、どうやらアサードをヒナリに引っ掛けて小舟に移動させたらしい。
「うん、でもちょっと待って」
「生存者を捜しても意味はない。この船には最早人の気配がない」
 はっとした。死神ゆえに、近場に存在する魂の温度を感知できるらしかった。
「ロンちゃん、もうちょっとだけ待って。衣服とかできるだけ持っていきたい」
 それに、水が必要だった。アサードの手当てをするための道具もなんとか運び出したい。
 ロンちゃんはちょっと考える素振りを見せたあと、頷いた。一緒に必要なものを探してくれるのかと喜んだら、なんとロンちゃんは「まだ船内に留まっている魂魄を集める」と何気ない声音で教えてくれた。死神って。
 というわけで、笹良とロンちゃんはそれぞれの目的を果たすために別行動をした。既に浸水しているので、船の最下部には降りるなと注意された。
 物の類いは凄まじいまでに散乱しているが、ガルシアの船みたく忍者屋敷っぽい作りではなかったので、ちょっと助かった。基本構造は多分、どの船も似通っているはずだ。あたりをつけて貯蔵室を探してみようかと思ったが、諦めた。収納室や貯蔵室の類いって大抵船底に近い場所に作られているのだ。
 まずは急いで船室を回ってみる。医務室みたいな部屋があったが、残念ながら薬品の種類をじっくりと確認する暇はなかった。とりあえず、目について、笹良でも分かるものを何点か失敬する。手頃なバッグというか、大きめのズタ袋みたいなのを拾ったので、その中に薬とさっき見つけた衣服類、自分の手首に巻き付けていたカシカ特製の袋を詰め込んだ。結構重いな。
 その後、調理場を発見したが、既に床には海水が溜まり始めていた。怯えつつも覚悟を決め、ふくらはぎの近くまで上がってきている海水の中に足を踏み入れる。水袋や火打石はどこなのだ!
 悪いとは思ったが今は緊急事態。手荒に木箱や棚の中を引っ掻き回した。そこで発見したのは火打石、非常食用の干物、蝋燭だった。水は大樽の中に入っていたため、壁にかかっている水袋を一つ奪い取り、急いで汲み取った。その樽の横にお酒の入った瓶を発見したので、それももらうことにした。本当は水袋をもう一つ持っていきたいところなのだが、さすがに重くて無理だった。カシカがくれた袋の中にもミニ水袋が一つ入っているのだ。
 よいしょっとズタ袋を抱え、調理場を出る。あと必要なものは何なのだ。こういうサバイバルな時って一体どれを持っていけばいいのか分からない。
 この重い荷物を抱えて貯蔵室を探すのはできないだろう。
 焦りを抱きながら通路を進む途中、鞘から抜けかかっている一本の剣を見つけた。きっと誰かが剣を抜こうとした時、襲われたんじゃないか。
 ちょっと考えて、それも持っていくことにした。布を切る時とかに使えるだろうと思ったのだ。剣をきちんと鞘におさめたあと、少し苦しいのを我慢して腰の帯に差し込んだ。長い剣なので、ズタ袋には入らなかったのだ。
「笹良、もう脱出せねば」
 昇降口を上がった時、再び瞬間移動で出現したロンちゃんと鉢合わせして、仰天した。死神よ、いきなり登場するのは骸骨くん姿なだけに、とびきり心臓に悪いのだぞ。というか、魂魄収集、終わったのか?
 思わず胡乱な目で見上げた時、ロンちゃんが抱えているヒナリに、物をつめているらしき袋が引っかかっているのに気づいた。
「食べ物が必要だろう」
 ロンちゃんってば、浮遊しているという魂くんを探していただけじゃなくて、食べ物も集めてくれたのか!
 感激なのだ、感謝するのだ!
 きっとヒナリを使って集めてくれたんだろう。死神、恰好いいぞ。顔は骸骨だが。
 きらきらと乙女の輝きを飛ばしつつ見つめたというのにロンちゃんはあっさり無視して、ズタ袋を抱える笹良の身をひょいと担いだ。こらこら、たとえ緊急場面でもこういう時は、麗しの乙女に見蕩れて花びら舞散るロマンス展開を作るのが男ではないのか。
 死神め、死神め、とぶつぶつ嘆く笹良に不審そうな気配を放ちつつもロンちゃんはふよふよと飛翔して、アサードを横たえている小舟に向かった。
 笹良が無事小舟に乗り込んだ時、岩を削るかのような、もの凄い音が響いた。船が沈没し始めたのだ。
 ロンちゃんがヒナリの先端を小舟の先にひっかけて、ずるずると引っ張ってくれた。一応、オールらしきものもあるのだが、笹良が漕いでもおそらく、船を飲み込んで渦巻く波の威力に負けてしまっただろう。
 十分な距離まで離れたあと、笹良は振り向いた。アサードの海賊船は、仲間の死体もろとも海の中へと深く沈んでいった。
 
●●●●●
 
 とりあえず、月の光だけでは手元がおぼつかないので、歪な形をしている蝋燭を小舟の縁にくっつけ、明かりをともしてみた。
 気絶しているアサードをきちんと横たえ、物を詰めたズタ袋を置いてしまうと、もう空いたスペースがなくなってしまうくらいすごく小さい舟だ。そのため笹良は場所を取らぬよう、アサードの頭を膝に乗っける形で座っていた。ちなみにロンちゃんは、船頭のごとく舟の後方……角の部分に乗っている。こういっちゃ何だが、ロンちゃんの先導で進んでいるため、まるで黄泉の国へ向かっているような怪しい雰囲気だぞ。死神、夜の海にマッチしすぎなのだ。
 などと失礼な冗談を言って虚ろな目をしている場合ではなかった。
 出血が多いのか、それとも濡れた衣服をまとっているためか、アサードの唇は紫色に近かったし、時々小刻みに震えてもいた。うう、まずい。すぐに手当てをしてあげたいのだが、なにぶんこの舟は小さい上、明かりも乏しいため、不用意に身動きすると大きく揺れて転覆しそうになるのだ。それに、意識のない長身のアサードを着替えさせるには、ある程度身体を動かせるだけの広さを確保せねば、笹良の力では無理だった。
「アサード、しっかり」
 気絶しているので励ましの言葉など届かないと分かっていたが、一言声をかけずにはいられなかった。晶船の庇から落下した笹良を助けてくれたのだ、今が恩返しする時に違いない。
 おろおろとしたあと、ふと気がついて、自分の手を蝋燭の火に掲げてみた。熱っ、と内心で叫びつつも十分な熱が掌に伝わるまで少しずつ角度を変えてあたためる。
 その後、「襲うわけじゃないぞっ」と無用な言い訳をしてからアサードの胸もとをはだけさせて、心臓のあたりに温めた手を置き、ゆっくりとさすってみた。んぬぅ、アサードの身体、氷のごとくすごく冷えている!
 何度も手を火にあぶして、首元や肩、胸など、腕が届く範囲の場所をぺたぺたと触れ回り、温めた。その途中で、肩から右胸にかけて斬られているというのに気づき、慌てて止血しようと布を押し当てる。アサードの上着、海水を含んで黒っぽく見えていたため、血の匂いはするものの一体どこに傷を負っているのか照明の少ない状態では分からなかったのだ。
「ロンちゃん!」
 駄目だ、これは本格的にやばい。すぐに手当てをして身体を温めないと、アサードが死んでしまう。
 笹良の顔色を見たロンちゃんが、髪を揺らして首を傾げた。たくさん作った三つ編みがほどけかけていて、前よりもふわふわになっている。
「待っていろ」
 ロンちゃんは骸骨顔を少し遠くの方へ向けたあと、ふわりと浮いて、何も説明せずに飛んでいった。ロンちゃん、ここに置き去りにされるのはかなり辛いぞ。
「アサード、頑張れ、しっかり」
 血の気を失っているアサードの険しい顔を覗き込み、何度も囁いた。
「大丈夫、助かるからね、大丈夫だから」
 本心ではこっちの方が「大丈夫」と慰められたかったが、この場に他の人間はいない。ならば自分が二人分の大丈夫を言って気張るしかないのだ。
 ロンちゃんがどこかへ飛んでいってから、どのくらいの時間が過ぎたのか。それはほんの数分だったかもしれないし、何時間も過ぎていたのかもしれない。混乱していて時間の経過がよく分からなかった。
 泣きたい思いで月を仰いだ時だ。
 月光の下をふよふよと浮遊し、接近してくる黒い影を発見した。
 ロンちゃん!
 笹良はぶんぶんと腕がちぎれそうになるほど大きく手を振った。
 近づいてきたロンちゃんが、きらりと輝くヒナリの刃を聖なる導き手のごとく後方へ向けた。
「船を発見した。そちらへ移れ」
 船。
 ロンちゃんの後方、ゆるく揺れる海面に浮かぶ、一隻の船。
 明かりは灯っていないようだった。
 帰還したロンちゃんがヒナリの先端を舟の先に引っ掛けて、その船まで引っ張った。
 目の前までその船に接近した時、笹良は驚いてぽかんと見上げてしまった。
 斜めに傾いでいる帆柱、破れて垂れ下がる帆布、なぜかきいきいと寒い音を響かせている。
 これって、これって。
「幽霊船じゃん!」
 笹良がこの世界に来て初めて目を覚ました場所――ある意味、全ての元凶というか――船は船でも無人かつぼろぼろな、全く嬉しくない懐かしの漂流船と再会してしまったのだ。
 ロンちゃんよ、もしかして天然ボケなのか? と胸中で真面目に突っ込まずにはいられなかった。

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