she&sea 74

 どこか高慢にさえ思えるような不気味な笑いをはり付けてにじりよってくる海賊を、薄い敷布を一枚敷いただけの寝台の上で凝固したまま見返した。何だろう、これってもしかすると、ひげもじゃ海賊に襲われそうになっていた時のカシカと同じ危険な状況なんじゃないだろうかと頭の片隅でぼんやり思った。理性の一部は抵抗しない方が与えられる苦痛も屈辱も少なくてすむ可能性が強いと冷静に囁いてくるけれど、自然と呼吸がおかしくなって身体がぶるぶる震えてくる。希薄になっている心を置き去りにしたまま、ただただ身体だけが激しい拒絶反応を起こしていた。
 ごつごつした太い指で腕を強く掴まれた瞬間、無意識に歯を食いしばっていた。力の加減なんて考えてもいないに違いない乱暴な掴み方とその手から与えられる痛みがまぎれもなくこれは現実なのだと分からせてくれるのに、どこかで信じられない、信じたくないという焦りのような思いがあった。どういうことなんだろう、と何度も何度も刻み込むかのように頭の中で繰り返す。室内は薄暗い。海賊が壁のフックにかけたランプの明かりだけが唯一の照明だ。暗い。ここは心が海の果てまで沈んでいくほどとても暗い。この暗さの中で、自分の鼓動が薄闇を叩くかのようにどくどくと鳴っていた。
「ははっ震えてやがる! アサードの手つきのくせに、よくもまあ生娘のような素振りを見せるもんだ」
 海賊の生暖かい息が首筋にかかった。腕を掴む指も汗ばんでいるために温く、ねっとりとしている気がした。薄闇の舌先で舐め上げられているようだと思った。
 帰りたい。どこに、どこに。ガルシアの海賊船に戻りたい。あそこは陽気だった。夏の日差しのよう、とまでは言えないけれど、ガルシアの船には残酷ささえもからりと乾いているような空気があった。こんな、ぬるりとした気配が満ちる雨夜の中で名前すら知らない海賊にひどい真似をされるくらいなら、ガルシアたちに殺された方がよっぽど幸せだ。
 何をされるのか、それをわずかでも想像しただけで、もう生きていけないような暗い思いが生まれた。全身に鳥肌が立ち、痺れさえ伴うような恐怖が芽生えている。その恐怖が、とめる術もなく身体から溢れ出ている。
 ガルシア、ロンちゃん助けて。お兄ちゃん助けて。こんなの嫌だ。
 自分の手で目を抉ってしまいたい。そうすればきっと、何もかも真っ黒になって見えなくなるんじゃないか。
 助けを乞うことしかできない自分に屈辱を感じた。いつもこうだ。何もできやしない。
「安心しな、殺しはしねえよ」
 そう言う海賊の手が、胸の前で腕をクロスさせ縮こまっている笹良の襟元へと移動した。ぶつりという音が聞こえた。首にさげていたジェルド製の首飾りがひきちぎられたのだと分かった。
「恨むならな、節操なしのアサードを恨みやがれ」
 なぜそこまでアサードにこだわる? そう思って目を開いた時だった。
 海賊もまた、なぜか大きく目を見開き、獣のような素早さで振り向いた。笹良が抱く疑問とは無関係な、別の理由でだった。
「な――」
 海賊が振り向いた体勢のままで硬直していた。大雨で揺れる船体、帆綱を軋ませる風、海面を荒らす天からの雫、そういう様々な不穏と不気味さを伝える音が、いつの間にか自分の鼓動の音を隠し、この小さな薄暗い船室に隙間なく充満していた。
 そして何より不穏と言われるべき存在――白銀の光を弾く三日月鎌の持ち主が、嵐を思わせる物騒な気配を凝縮させたかのようにして海賊の真後ろに立っていた。一欠片の光さえ寄せ付けることを許さぬほどに闇を凝縮させた真っ黒い死神衣装の裾が、海の中を泳ぐ魚のひれのような滑らかな動きで軽くはためいていた。
「な……!!」
 海賊が掠れた声を上げ、身を震わせた。
 笹良は胸の中で、ロンちゃん、と呼んだ。
 一際大きい風雨と波に海賊船は船腹を蹴られたらしい。船室に置かれていた調度類の一部が振動でごろごろと床を転がり、耳障りな音を響かせた。その音と大気の咆哮により、海賊がほとばしらせた叫びはかき消された。
 ざんばら髪を揺らす死神は、ふわりと衣の袖を払うかのように優雅な仕草で鎌を閃かせた。たぶん、わざと当てないよう空振りさせて海賊を動かし、笹良から引き離そうとしたに違いない。海賊は言葉になっていない悲鳴を上げ、転がるようにして船室から逃げ出した。そのあとを、空中を滑るようにしてふわふわと死神が追っていった。
 笹良は胸の前をかきあわせているかのような体勢のまま、ぼうっとこの光景を見ていた。すぐには状況を把握できず、意味もなく薄暗い船室を眺め回してしまった。水の匂いにまみれている船室は、まだ濃厚なくらい野蛮な気配を残していた。
 何度も瞬きを繰り返しているうちに、自分の震える腕が目に入った。
 ああ、そうか。助かったんだ。ロンちゃん、助けてくれたのだ。だから笹良、無事なんだ。
 無事なのに、なんだかどうしようもなく泣けてきた。震えがとまらない。何かが起こる前に助けられたはずなのに、立ち上がれないほど辛くなっている。心にぽっかり穴があいたよう、とでも言えばいいのだろうか。何かを失った感じがした。でも、よく分からなくて、しゃくり上げずにはいられなかった。
 どのくらい寝台にへたりこんだまま泣き続けていたのか分からない。
 気がつけば、涙の向こうでゆらゆら揺れる影があった。
「笹良」
 どこか困ったような、低い美声が聞こえた。
「なぜ呼ばぬ」
「……ロンちゃん」
「お前が呼べば、呼ばれてやろうと言ったろうに」
 だって、だって、ロンちゃん、人前に出ちゃいけないもん。
「助けとは、助けを求める時に呼ぶものだ」
 呼んでる、呼びすぎているくらいに心の中で呼んでる。恥ずかしい。こうして傷つき泣く自分が許せない。
 笹良はぐいぐいと目をこすったあと、ふわふわ揺れる黒い衣に手を伸ばした。
「怖かったよう」
「馬鹿者」
 怒られた。怒られたけれど、怒っていない。そういう優しい怒り方だった。
 泣いていたらロンちゃんの骸骨顔が見えないと思って乱暴にぐいぐい目をこすったのに、再び涙が盛り上がりかすんでしまう。だけど、どっちにしても骸骨顔を見ることはできなかった。深淵の一部を切り取ったかのように黒い大きな衣が、ロンちゃんにしがみついて丸まる笹良の身体をぱふっと包んだためだ。
「笹良、もう死んじゃった?」
「馬鹿者、生きている」
 また馬鹿者って言われた。でもいつもみたいに勢いよく言い返せない。自分でもわけが分からないほど混乱している。
 骸骨指の固い感触が頭に乗った。ぽちぽちと後頭部を軽く叩いてくれる。首がちぎれるくらい強くがっしがし撫でてほしいと心底思ってしまった。そうしたらきっと恐怖なんて吹き飛ぶ。
「泣くな、笹良、お前はこのように泣くものではない」
 でも勝手に涙が出てくるのだから仕方がない。
「苦しいか。この船から離れたいか」
 どういう意味だろうと思ってぐしぐし泣きつつもロンちゃんを見上げようとした。骸骨指が頭に乗っているため、ぬぐぐと首に力を入れて仰ごうとしたけれど、そうさせてくれなかった。
「お前はこのまま乗船すれば、やはり傷ついていく。それは私の望むところではない」
 ああ死神、人じゃないのに、人より優しい。
 そうか、笹良はすごく恵まれているんじゃないか。こんなところでちぢこまり死にたくなっている場合じゃない。元気と勇気を出さなきゃいけない。まだまだ最悪な日々ってわけじゃないのだから。
「笹良、平気」
「ひどい顔になっているではないか」
「……可憐な乙女なのだ」
 頑張って冗談を言ったら、もう一度ぽちぽちと後頭部を叩いてくれた。なんて労り溢れる優しい骸骨指だろう。この指に温度はないけれど、笹良を決して傷つけない。優しい、優しい。
「ガルシアの船を探すか?」
 それって、ロンちゃんと一緒にガルシアの海賊船を捜索する旅に出るか、という意味だろうか。
 でも、何日かかるか分からない。残念ながら笹良は生身なため、食べ物や水がないと生きていけないのだ。ロンちゃんとは多分生活習慣が大きく違うだろう。それに、今ただ戻っても、意味がないような気がした。いつだって助けを乞うことしかできず、そして現実に、誰かが差し伸べてくれる救いの手の中で辛うじて生き延びている。そんな自分の身体から生まれる言葉や考えに、一体誰が耳を傾けてくれるだろう? きっと何かを変えてからでなければ、ガルシアのところに行っちゃいけないのだ。奇妙な話だが、こういう怖い目にあったことでようやくそんなふうに考えられた。
 その他にも、このままアサードを置き去りにはできないという思いがある。
「もうちょっとここで頑張ってみる」
 今まで何も頑張らずに楽な思いをしてきただけなのだから、ここでちゃんと踏ん張らなきゃいけない。
「ガルシアたちのような海賊の方が稀だぞ。普通は、お前がどれほど稚くとも斟酌してはくれない」
 うん、と頷いた。そうなのだろう。ガルシアたちは、こっちを生け贄にするという目的を隠し持っていたとはいえ、随分甘やかしてくれた。常識的に考えて、得体の知れない異様な娘が海賊船に保護され苦痛も恐怖も殆ど与えられず好き勝手に動き回れるといった好待遇は奇跡に等しかったのだ。
「ロンちゃん、笹良って結構運がいいよね」
「何を言っている」
 ロンちゃんの古びた黒い衣をこっそり引っ掴んで目元を拭いつつ、小さく笑った。きっと笹良は運がいい。なぜなら、そういう奇跡に等しいはずの好待遇を今まで得られてきたのだ。こういう真実はいつも失ったあとに気づく。
「もっとたくさん、色々なことを知ってから、ガルシアのところに戻りたい」
 ジェルドは、女の優しさや甘さだけでは駄目なのだと言っていた。対等の立場を、というのはちょっと望み過ぎかもしれないが、少なくとも彼らの役に立てるくらいの何かを身に備えていなければ、やっぱり未来を変えることは難しいのだろう。だって笹良は目隠しされた状態でただ可愛がられるというだけではもう満足できないのだ。ガルシアを好きになってしまった。好きな人の役に立ちたい。好きという気持ちは貪欲で、今まで知らなかった目映くも辛い望みを次々と生み出す。
「笹良、乙女だから頑張る」
 自分でも、どんな理屈だそれはと思ったが、まあいい。
 困った娘だ、と呟きながらロンちゃんがヒナリを笹良の顔の前に持ってきた。ヒナリの先端に引っかかっているもの――さっき海賊くんに奪われたはずの首飾りだった。どうやら奪い返してくれたらしい。
 少し考えたあと、首を横に振った。
「預かっててほしいのだ。笹良が持っていたら、盗まれちゃうかもしれないから」
 ロンちゃんは笹良と首飾りを見比べたあと、ふうっと溜息を落とした。死神よ、以前にも思ったが、その目でどうやってものを見ているのだ。
「分かった。だが、次は呼べ。呼ばれてやる」
 ちょっと生意気な言い方だぞ、と思いつつも心にひたひたとあたたかさが滲んだ。
 ロンちゃんは最後にもう一度笹良の頭をぽちぽちと軽く叩いたあと、闇の中に溶け込むようにして消えた。
 笹良は長い時間、寝台にぺたりと座り込んだまま、ロンちゃんが消えた方を見つめた。
 
●●●●●
 
 笹良を襲おうとした海賊についてのことだ。
 彼は死神を目撃したことで半狂乱状態になったらしい。そして、笹良のことを死神の仲間である化け物だと喚き散らしたらしい。
 けれど誰の目にも海賊君の姿は錯乱しているように見えたため、その訴えを心から信じる者はいなかった。大方、この強雨に怯えるあまり幻覚に囚われたのだろうと思われたようだった。それでも、騒ぎの一端を担ったかもしれない笹良は処罰される可能性があった。この強雨で海賊船はかなりの打撃を受けてしまい誰もが刺々しい気持ちになっていたため、ていのいい八つ当たり場所を探していたのだ。しかし結果として、笹良は何も処罰されなかった。
 なぜかというと――錯乱した海賊君が海に落下し死んでしまったためだった。錯乱したせいで海に落ちたのだろうと言われているけれど、彼が喚き散らしていた不吉な言葉は皆の胸に色濃く残っているのではないか。化け物である笹良を傷つけたために船は呪われ強雨に襲われたのだと。この世界の人、特に航海に挑む海賊達は態度には出さずとも結構迷信や古き因習を重んじている節がある。
 この事実は、今の笹良に都合のいい結果を招いたのだ。奴隷扱いは変わらぬものの、前のように殴られたり嫌がらせされることがなくなった。ちょっぴり腫れ物状態だが、とりあえず身の安全だけは保証された形となったようだった。
 
●●●●●
 
 海賊船は不運にもかなり破損してしまったため、まず修理しなくてはいけなかった。笹良もその手伝いに駆り出され、主に船内の清掃をやらされた。
 どうもこの船、それほどしっかりとした強固な造りではないらしい。いや、ガルシアの船が頑丈すぎたのだろうか。
 まあそれはともかく、色々な場所に被害が出てしまったため、船内はごっちゃごちゃでてんてこ舞いの状態だった。船の沈没を回避するため結構な量の荷物や水樽を捨ててしまったことも深刻な問題だった。どうやら目的地まではまだ距離があるらしい。食料の方は辛うじて持ちそうだったが、水不足はいかんともしがたい。それだけではなく、全く不幸なことに、船の修繕を担当する技師くんの殆どが大怪我を負ってしまったようでなかなか修理がはかどらない。ということは益々目的地に到着する日が遅くなる。
 甲板に転がっている木板の屑やちぎれた縄などを集めて掃除しながら、大丈夫だろうかとぼんやり考えていた時だった。
 ごみを抱えて、よっ、と腰を上げた瞬間、頭上が陰った。驚いて振り向くと、アサードと赤茶色の髪の海賊くんが難しい顔をして背後に立っていた。
「お前、浄水樽を修理できるのか」
 と、赤茶くんが腰に手をあててやけに居丈高な態度でたずねた。
 浄水樽? と笹良は首を傾げた。視線をずらすと、アサードがかすかに頷いた。
「おい、聞いてんのか」
 がうっと唸る勢いで詰め寄られたため、思わず飛び退きそうになってしまった。
「てめえ、浄水樽を作ったと聞いたぞ」
 赤茶君が苦々しい顔を作り、ちらっとアサードの方に視線を向けた。浄水樽って、もしかして幽霊船で作った似非蒸留装置のことだろうか。
 びくびくしつつもう一度アサードの顔色を窺うと、目で「頷け」と合図された。
「浄水樽が壊れやがった。直してみろ。だが余計な真似をすりゃてめえもアサードも海に突き落としてやる」
 人にものを頼む態度ではないぞ、とは言えない立場が虚しい。
 笹良は小さく頷いた。ここでその浄水樽とやらを修理しなければおそらく笹良とアサードの待遇は更に地に落ちる……どころか、悪くすれば口減らしみたいな意味で殺されるかもしれなかった。逆に、うまくやり遂げれば彼らの見る目が変わる。
 ということで覚悟を決め、赤茶君とアサードに連れられつつ、その浄水樽がある場所まで行った。きっとアサードが、笹良に蒸留装置を作る知識があると赤茶君に吹き込んだのに違いなかった。ここで知識があると認められればむごい境遇から解放されるだろうと考えてくれたのかもしれない。
 そんなことをつらつら考えつつ浄水樽の側まで来たのだが、現物を目にした瞬間、うっと息を呑んでしまった。
 めっちゃ壊れているではないか、この蒸留装置。そうか、多少の破損なら別に笹良に頼まずとも自力で直しただろう。更に言えば、海賊の誰もが装置を作る知識を持っているのではないらしい。そういえばガルシアの海賊船でも読み書きすらできない者の方が圧倒的に多かった。幹部の殆どは本くらい読めたけれど、ジェルドなんて手先はとても器用でありながら本当にお馬鹿だったし、自分の名前を書くのが限度という有様だったのだ。だから笹良がイラストを描いた時、あれほど大仰に驚いていた。
 それにしても異世界技術、謎が多い。なんというか、魔術やら何やらと不思議な力や物が存在する代わりに、こういった特定の技術に関する分野はすごく遅れている。もしかすると、便利な術の類いがあるために科学的なことが軽視され、文明の発達を妨げる結果となっているのか。矛盾に満ちた摩訶不思議な時代だ。
 うぬ、と笹良はつい唸った。技師の任をまかされている海賊くんの殆どが負傷中なため、笹良にお鉢が回ってきたのだが、果たしてこのブチ壊れている装置を修理できるだろうか。確かに幽霊船で怪しげな装置を作ったが、か弱い乙女である笹良には皆に誇れるほどの専門的な知識があるわけではない。
「早く直しやがれ」
 せっつくな海賊め、と内心だけで反論つつ、まず全体の構造を確かめてみることにした。ガルシアの船にあったものよりもランクは落ちるだろう。殆ど一から作る状態になるが……何とかなるだろうか。いや、何とかしなきゃ明日がないのだ。
 というわけで、笹良は重々しく頷いた。よし、とりあえず、この装置を開発した者に仕組みを聞いた方がいい。
 
 
 ゾイたちには鼻で笑われたものだが、結構笹良は物作りが得意なのだ。乙女というのは手作りにこだわるのだぞ。
 負傷中の海賊技師くんの元まで行き、装置についての詳細を根掘り葉掘り聞き出したあと、仕事に取りかかった。その時、ついでを装い、助手がほしいと頼んでアサードをゲットした。監視するためか、赤茶君も手伝うことになったが。
 最初は赤茶君の冷たい視線に怯えつつ慎ましやかに作業していたのだが、そのうちだんだんと取り繕えなくなってきた。ガルシアのところにあったものほど精巧じゃないとはいえ、装置自体は馬鹿でかいため、道具も大きく力仕事だったのだ。
 早く必要な道具を持ってきやがれっ、と赤茶君に身振り手振りで命じた時、「この野郎……」という顔をされたがかまっていられない。おっかない表情をされる場面ばかりだったけれど、ふと気づいたのだ。海賊達と接する時、おどおどしている方が舐められやすく悪印象に映ると。むしろ、多少不遜なくらいきっぱりとした勝気な態度で行動した方が認められる。さすがは実力主義の世界だ。
 完成までにはおよそ一日半を費やした。徹夜なのだ、眠い。
 それにしても仕組み自体はものすごく簡単だったため、笹良程度の知識でもなんとか切り抜けられたのだ。途中から、無理をして様子を見にきた海賊技師君の力添えも大きかった。難しいところは大体技師君がやってくれたのだ。理科の授業というか、昔総司のプラモデル作りを手伝ったりしておいて本当によかったな。どこで何が役に立つか、人生とは分からないものだ。
 そして、偶然なのだが、よりよく海水の塩分を飛ばす方法を発見した。笹良は正直、この世界にある物がどんな材料で作られているのか詳しくない。そのため、材質の確認を飛ばして目についた適当な道具を選び、羽根という呼び方の、海水を流し込む容器の扉部分を作ったのだが、この羽根というか注入口、単純に普通の薄い板を使うだけでは効率が悪かった。かといって、布ではまずい。そこできょろきょろとあたりを見回し、試しに使ってみたのがグシャと呼ばれる魚の骨とわけの分からん灰と何かの繊維を混ぜ合わせて作ったという弾力のあるスポンジみたいな道具だった。これは本来、船を推進させる仕掛けの一部……螺子の留め具のクッションとして使用するものらしい。まあなんでもいいや、とさりげなくいいかげんなことを考えつつそのスポンジみたいなのを適当な薄さに切り、装置の一部に組み込ませてみたら驚いたことに、熱した時海水内の塩分を快調に吸収してくれたのだった。よし。
 浄水樽完成後も赤茶君の態度が軟化することはなかったけれど、それでも以前よりはましな待遇になったと思う。
 修理を終えた船は、ゆるゆると目的地を目指した。
 赤茶君の目を盗んでアサードが通りすがりにこっそり頭を撫でてくれたのが、嬉しかった。
 
●●●●●
 
 数日が経過し、本格的に食料の残りがやばくなってきた頃だった。
 この時笹良は甲板に出て、怪しい色に変化している皿や布などの汚れ物をせっせと洗っていたのだが、側にいた船員くんが遠くを見つめて嬉しげな声を上げた。何事かと思って様子を窺うと、その船員くんは笹良の目の前をよぎったあと望遠台の側に近づき、どこかの船室に通じているらしき糸電話ならぬ伝達パイプに取り付けられている通話口の蓋をぱかっと開けて、「スゥナ島が見えました」とうきうきの口調で言った。
 スゥナ島? と笹良は驚いた。こっそり仕事の手をとめ、船員くんが眺めていた方を見やると、遠くの海面に小さな黒いシミが浮かんでいるのが分かった。島を目指していたのか、この船。というか笹良、異世界初の島体験ができるのか?
 しばらくすると伝達パイプで報告を受けたらしい赤茶君が甲板に現れて、日差しに目を細めながら島の方を見やった。
「スゥナ島はまだ無事のようだな」
 どこかほっとした声で独白した赤茶くんのデカイ背を見ながら、笹良はどういう意味だろうかと疑問に思った。
 まだ無事、ということは何か海賊の間で問題でもあったのだろうか。

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