she&sea 75

 スゥナ島は広い海に浮かぶ小さな孤島だった。
 レッドという名の頭が仕切る、海賊たちの大切な住処らしい。
 笹良とアサードは他の海賊くんたちと一緒に船を降り、スゥナ島に立った。ちんまいジャングルみたいだな。異世界で初めて地面に足をつけたという感慨を抱く間もなく、さっさと歩けと移動を命じられる。本当に小さな島だったけれど、結構な数の海賊くんというか住人が暮らしているようだ。女性や子供もいたし、奥まった方にいけば住居らしき簡素な建物も多く見えた。満足するまで島内部を探検したいという誘惑を覚えつつ、また、赤茶君にどつかれつつも笹良とアサードはレッドの居場所まで歩かされた。
 なんというか、へんてこりんな島だ。およそ島の外側にあたる部分にちょっとした特徴が見られる。不均等な感覚で並ぶ木々の枝と枝が、なぜか丈夫そうな太めの蔓で繋がれている。それも結構高い位置だ。ターザンみたく木々から木々へ飛び移るためのロープ代わりなのかと思ったが、どうも違うらしい。この仕掛けの正体、後々気づくのだが――実は外敵の目をくらますためのもので、高い位置で宙を繋ぐこれらの蔓に布をかけるのだ。そう、海色の。
 島の外周を覆うように青い布を張り巡らせれば、遠い距離から敵船に望遠鏡かなんかで偵察された時、その色が海や空と同化し誤摩化せる可能性がある。いってみれば、カメレオン作戦か。単純な仕掛けだが用心するにこしたことはないだろうし、成功すればめっけものって感じなんだろう。笹良は、うむうむと内心で頷いた。
 そんな観察はともかく――住居やお店らしき天幕が多く並ぶ区画を越え、更に歩いたあと、愛想のないごつごつとした造りの建物の前に到着した。いや、愛想がないのではない。「ま、崩れ落ちたら落ちたで、かまわないさ」というてきとうな思念が漂ってきそうな、実に大雑把で大胆な造りなのだ。全体的には横長で、歪な煉瓦というか、岩の破片で建築したらしい。その建物の裏側には木々が密生している。
 建物の内部も実に簡素な造りで、ごちゃっとしていた。他船を強奪した時の荷なのか、それとも単に不要となった道具を詰めているのか、薄暗い通路にたくさん木箱が積み上げられている。ううむ、それにしても海賊たちは絵が下手だな。壁に絵画らしきものが飾られているのだが、なんなのだこの似非ピカソのような絵は。あとでこっそりいじってやれ。
 間違った方向に憤りを覚えながら階段を上がり、一番上にある部屋に近づく。建物の外観は非常にいいかげんだったが、内部はなんだか雑居ビルのような雰囲気だ。しかし、普通の雑居ビルの廊下には、なんの生物だかとても判別できんリアルな骨や刃物の類いがいくつもぶらさがってはいないだろう。ここは人食い鬼の住処か? ええい、骨を廊下に飾るのは禁止だ!
 笹良たちを先導していた赤茶くんが、色褪せている木製の扉をどんどんと叩いた。中からくぐもった声が聞こえた。赤茶君が扉を開け、笹良とアサードに目で「入れ」と合図した。笹良は一度アサードの方を見たあと、大人しく命令に従った。
 部屋自体はそんなに広くなかった。硝子なしの窓が奥にあり、でんと中心に大きな黒いテーブルが置かれていて、壁際の方に衣装タンスみたいなものがある。殆ど調度類が置かれていない部屋に――テーブルの縁に腰を軽く預けて、こっちを見ている人がいた。
 あれっ、と笹良は目を見開いた。たぶんこの人がレッドなのだろう。
 屈強そうなごつい男海賊、という想像を裏切って、レッドはナイスバディな短髪美女だった。マジでボンドガールとかに余裕で抜擢されそうな美人なのだ。
 なんて羨ましい体型、と思わず凝視し、感嘆してしまったがそんな場合じゃなかった。気の強そうな鋭い眼差しが、笹良とアサードを交互に貫く。
 レッドは軽く息を吐き、組んでいた腕を降ろして、入り口付近に立ち尽くしているアサードに、指で「来い」と呼んだ。
「久しぶりね、アサード」
「ああ」
 やっぱりこの二人は知り合いだったらしいが、なんとなくその、漂う気配に不吉な憶測をしてしまいそうになるぞ。
「なんて体たらく。海賊の頭が捕虜のようになって」
「実際、捕虜だがな」
 うぬっ、笹良の思い違いでなければ、このレッドなる美女海賊はアサードに気があるのではないか。でもアサードはなんとなくかわし気味というか、その気がない雰囲気だ。ちっ、たらし海賊め、こんな美女を前にして冷たい態度を取るとは何事なのだ。ここでうまくやれば待遇が変わるではないか、とかなり卑劣な考えを抱きながらアサードの背を睨んでしまった。
 不意にレッドの目が笹良を捉えた。
「それで、この娘は何」
 レッドの目が実に複雑な色を宿している。それもそのはず、アサードと一緒にいるのだから何か関係があると踏んでいるはずだが、笹良の容貌はレッドの警戒心を刺激するものではないのだろう。勿論、誰に全力で否定されようとも笹良は自身を、白い羽根の似合う可憐な美少女だと信じている、しかし、おそらく妖艶美女好きに違いないアサードの趣味から大きくはずれているため、色恋関係ではないのでは、という、ある意味無難な結論にどうしても行き当たってしまうのだろう。くそ、くそっ、悔しくないのだ!
「まさか、隠し子なんて言わないでしょうね」
 地球の裏まで魂飛ばしそうになったぞレッドよ。それともここで「お父様」と叫び、恥じらいながらアサードにしがみつくべきか。
「いや、命の恩人さ」
 とアサードが苦笑しながらそう述べた。レッドが思い切り不審そうな顔をして笹良を凝視している。美女に熱く見つめられると照れるのだ。
「実際、わけの分からねえ娘です」
 となぜかしみじみとした声で赤茶くんが会話に割り込んだ。ここでも不審人物扱いされる笹良って一体何なのだ。
「ただの娘かと思いきや、意外な知恵を持っている。そのくせ言葉はたどたどしく、警戒心が薄い。更に言えば、決して卑屈ではなく貴族野郎のごとき尊大な振る舞いを見せるにも関わらず、立場にとんと頓着しない。全く意味不明な娘です」
 このっ、どういう評価なのだ、どつくぞっ。
「どこの娘なの」
 レッドがわずかに視線を厳しくして、腰に片手をあて、アサードを見つめた。ちなみにレッドはめりはりのきいた男物の服を着ている。身体の線がくっきりはっきりと出ているために、えらく目のやり場に困るぞ。その胸の盛り上がりは、一体何を食べてどう鍛えればできあがるのだ……!
「さあな、俺にもよく分からないね。初めて会ったのは晶船にてだ。その時は貴族の娘に見えたが」
「どういうこと」
「もとはガルシア王の船に乗っていた娘だ。かの王の寵姫であったらしいがね、王の船は生け贄を捧ぐという噂がある。おそらくはこの娘、生け贄として海に捨てられたのだろう。俺はその時、裏切り者どもに船を襲撃された。この娘は生け贄として海上をさまよっていた時死にかけていた俺を見つけ、救ったのさ。これ以上のことは知らぬ」
「ガルシア王の寵姫?」
 こらこらレッドよ、その明らかに「絶対嘘だろ、信じねぇ!」的な、疑惑に満ちた失礼な視線は何なのだ。以前、レザンにも同様の視線を向けられたぞ。
「王の寵姫というのが仮に事実としても、なぜあなたを助けたの」
「俺に聞かれてもな」
 そうだぞレッド、なぜ笹良本人に聞かないのだ。
「あなた、名前は」
 んぬ、ようやくレッドが笹良にたずねた。笹良は内心の憤りを堪え、なるべく清楚で無害に見えるよう注意して、そっと答えた。
「笹良」
「……ササラ?」
 レッドは発音しにくそうに名前を繰り返したあと、額に落ちた髪を指先で払い、怪訝な顔をした。きらきらと光こぼれる見事な金髪で羨ましいのだ。
「変わった名前ね。一体どこの国のお嬢さんかしら」
 日本出身だと正直に答えていいのだろうか。困って首を傾げると、レッドが細い指先で自分の形のいい唇に触れ、少し考え込むような顔を見せた。
「ああ、言葉がよく分からないのかしら?」
「いや、話すのは苦手なようだが、言葉の意味は大体理解しているようだ」
 アサードがちらっと笹良を見下ろして説明した。
「そう。変な子ね」
 くそっレッドが美人じゃなければ本気でこの憤りを指先に集中させてどつくのにな!
「ガルシア王の寵姫だったというのは事実なの」
 これまた答えにくい質問なのだ。ガルシアの船に乗っていたというのは事実だが、寵姫だったとは決して言えない。どちらかといえばペット扱いだったぞ。み、認めたくねえ!
 更に困惑し、曖昧に首を振ったら、レッドに大きく溜息をつかれてしまった。
「王の船にいたというのは本当なのね?」
 うぬ。
「ではなぜ、アサードを助けたの」
「アサード、溺れる。死ぬ、よくない」
 あの時、ほっといたらアサードは今頃死んでしまっていただろう。一応顔見知りと言えるので見捨てることはできなかったのだ。
 ということを身振り手振りをまじえて説明したら、レッドにはっきりと奇妙な表情を浮かべられた。
「海賊を助けるの?」
 海賊は助けちゃいけないのか?
「そもそも、ガルシア王の生け贄にされたのだとしたら、もとはどこかの国に暮らしていたお嬢さんだったのでしょう。そういう娘が海賊に情を持ったの?」
 もしやレッドにまで、笹良はよんどころない理由により海賊にさらわれた哀れなお嬢さんと思われ始めているのではないだろうか。多分笹良の容姿が海賊らしくなく、奴隷にしては卑屈な様子がないためにそんな考えを持ったのだろう。
「まさか、アサードに気があるのかしら」
 その台詞をレッドはわずかに皮肉な声音で告げた。口調は軽いが、目は真剣だ。
 笹良は真顔になり「いやいやまさか」と即座に手を振った。ついでにぶんぶんと首も振って全力否定した。実際、アサードとは何もないぞ。
 健やかといえるほど淡白な態度に、レッドは疑いを解いたらしい。よし、とりあえず恋敵だとは思われずにすんだ。なぜかアサードが複雑な顔をしているが、何なのだ。誤解されるよりいいではないか。
「この娘、一人前にガルシア王に惚れているのさ」
 ちくしょっ、アサードめ、余計なことをばらすんじゃない。
「この俺が側にいたというのに、全くなびかねえ」
 突然、てやんでぇ口調になってアサードが唇を歪め、ちょっと腹立たしそうに笹良を睨んだ。なぜ腹を立てるのだ、女好き海賊め。
「あら、あなたがまさかこのお嬢さんに気があるの」
 レッドが眉間に皺を寄せ、低い声で言った。とんでもない、とアサードの代わりに笹良は首を振って否定しておいた。
「気はなくとも、若い娘にこれほど無関心な顔をされるとな、男としての矜持に関わるだろう」
 そんな矜持は海の底に沈めた方が今後のためにいいと思うのだ。
「馬鹿な男ね」
「愚かでなければ海賊などやれぬ」
 ちょっとアサード、この場の主導権を握っているに違いないレッドに真っ向から対抗してどうするのだ。ここは商売人のごとくに手をもみ、したてに出てレッドのご機嫌を損ねないよう振る舞うべきではないのか。
「惚れてはいないが、失うのは惜しい。そういう娘だ」
 げんこつでアサードの顔を殴りたくなったぞ。
 レッドがはっきりと顔色を変えたではないか。
「惚れるよりもたちが悪いじゃない」
「そうかね」
 うう、嫉妬を向けないでほしいのだ。笹良は全く無関係だと分かってほしい。
「それでレッド、俺とこの娘をどうする気だ。奴隷として使うつもりか?」
 そうか、アサードが余裕の態度を見せるのって、レッドに好かれていると知っているためなのだ。状況的には不利だが、心情的には優位に立っている。
「てめえ、レッドさんを侮辱すんのか」
 アサードの態度にかちんときたらしい赤茶くんが、目を怒らせて凄んだ。おそらくここの海賊くんたちは、レッドを色々な意味で慕っているのだろう。なので、レッドになびかぬアサードに随分ご立腹しているようだった。
「助けてほしい? なら、あたしのものになりなさい」
 うう、レッド、一見高慢に聞こえる台詞だが、なんか必死な様子がいじらしいな。ちょっぴり二人の様子に自分とガルシアの図を重ねてしまい、切なくなった。本当に男ってのは、一途な乙女心を理解せず泥まみれの靴で平然と踏みにじるのだから腹立たしい。まさかこれが、惚れた方が負けってやつなのか。
「前にも言ったがな、俺は女の下に甘んじる気はない。海の男が、一人の女に縛られるなどという真似ができるか」
 赤茶君、アサードの成敗を許すぞ、今すぐやってしまえ。
 駄目だ、本気でアサードの態度に腹が立ってきた。この軽薄者、破廉恥者! たとえレッドを振るにしても、もう少し穏便な傷つけない言い方ってのがあるではないか。
 なんとなく関係図が見えてきたのだ。多分以前からレッドはアサードに告白しているのだろうが、それをけんもほろろに冷たくはねのけられているのだろう。こういった事情があったため、幽霊船から赤茶くんの船に移る時、アサードだけではなく笹良まで無下に扱われる結果となったに違いない。アサードはここの住人たちに思い切り反感を抱かれている。
「アサード、悪い! 態度、よくない! 浮気者っ」
 思わずキッと睨み、アサードにもの申してしまった。ところが非情なアサードは余裕綽々の冷たい微笑を浮かべて笹良を見下ろし、腕を組んだ。
「お前は俺の女じゃねえだろう。それともガルシア王を諦めて俺に惚れるか」
 うるさいお父様。笹良は今絶好調にガルシアが好きなのだ。そんな簡単に諦められるか。
 と、思わず日本語で対抗してしまったが、なぜかアサードはちょっと怒っているように見えた。この会話に、というより、レッドたちに苛ついているような感じだ。
「この娘には恩がある。ここに来るまで、お前の手下に随分手荒な真似をされていた。俺は馬鹿な野郎は嫌いじゃないが、これはいただけない。少なくとも気に入った娘をこうまで傷つけられるとな、面白くはない」
 アサードが冷たい笑みのまま、びっくりしている笹良の顔に触れ、レッドと赤茶くんを睨んだ。
「それとも俺を殺すために島へ連れてきたのか」
 アサードにとってもこの挑発は命運を左右する賭けなのかもしれなかった。もしレッドの気が変われば、ここで処刑されるかもしれない。けれどもしレッドの中に未練があるのだとしたら、アサードも笹良も殺されずにすむかもしれない。それでおそらく、アサードは素直にここまで来たに違いなかった。
「……あたしも海賊よ。情だけであなたを見逃すとでも?」
 レッドが気丈な態度でアサードを見返した。でもその目は心情を隠しきれずに揺れている。
「レッド、俺は交渉しにきたのさ。船が欲しい」
「あたしに見返りは? あなたはあたしの下につく気がないと言ったわ」
「下につく気はないが、協力はする」
 どういうことなのだ?
「俺だけではなく、他の船も組織的に襲撃されているんじゃないのか」
 わけが分からないぞ、詳しく説明してほしいのだ。
 つくつくとアサードの腕を引っ張ったら、アサードがレッドを見つめたまま小さく笑った。
「海賊は基本、仲間以外と群れはしない。とはいえ、暗黙の了解ってやつは存在する。己の島を抱え、仲間を養う者も多いのさ。海上にて同じ獲物を狙う時には一戦まじえもするが、根城となる島を襲撃するには余程の理由がなくちゃいけねえ。無節操に島を奪い占領すれば、危惧を抱く他の海賊たちに総がかりで始末される。ところが――近頃ではその不文律をあえて無視し、我が物顔で海界を荒らす裏切り者が多くなり始めた。レッド、お前たちの船も何度か危機を味わったんじゃないのか。お前のところは先々代からこの島を抱えている。守らねばならぬ者が多いだろう。それでも真っ先に標的とならずにすんでいたのは、それほど目立った行動をしていないためだ。まず襲われるのは、よく名のあがる者、勢いの盛んな者だ」
「あなたの島、ミマリザジークに奪われたそうね」
「ミマリザジークだけになら負けはしなかったさ。性根の腐ったハディが奴と手を組み、どの派にも属さぬ海賊たちまでもを手懐けて襲撃してきやがった。俺はその時、島を離れていた。奴らは根城を奪ったあとに、数でもって襲ってきやがったぜ」
 アサードが怒りをたたえた目をして口早にそう説明した。
 海賊の掟はよく分からないが、仲間以外の海賊と普通は手を組んで島を襲ったりしないらしい。たとえは悪いが、詐欺師はあくまで素人さんのみを標的とし、同業者を狙わないだろう。それと同じことが海賊にも言えるのではないか。
 ミマリザジーク、ハディ、その二つの名を以前耳にしたことがある。晶船にてレザンが口にしていたのだ。恐ろしい容貌を持つミマリザジーク、あの海賊がアサードから全てを奪い、暗躍しているのか。
「やつらはこちらの動きを読んでいやがった。――面白いことに、ガルシア王のみが扱えていたはずの砲弾を船に積んでいたぜ」
 砲弾?
「砲弾は、確か大陸の技術……海上騎士団も使用していたはずね。ではガルシア王が騎士と協定を?」
 まさか! ガルシアもまた、海賊の裏切りは許し難いというようなことを言っていた。
「そうは思えぬ。ガルシア王は何らかの事情がない限り、同業者には手を出していなかった。むしろ同業者の捕縛を狙って海上を航行する騎士団の駆逐を焦点にすえて動いている節があった。それゆえに海賊どもが王と呼ぶ」
 ガルシア、今まで騎士団を追い払っていたのか。
「あなたが標的になったということは、王の島もまた狙われているのでは?」
 ガルシアの島?
「さてな、お前のところに情報は入っていないか?」
「今のところはないわね。というよりも、あたしたちの船も一隻沈められて、そちらの対応に追われている」
「誰が沈めた」
「騎士団よ。島の海域近くにまで現れたわ。場所を知られてしまえば、一巻の終わり。なんとか追い払ったけれどね、気を緩められる状況じゃない」
 二人の深刻な会話を、笹良は目を白黒させながら聞いていた。話についていけん!
「大陸の鬼畜どもが、海の制圧にとうとう乗り出しやがったか」
「どういうことなの」
「簡単さ、大陸の者の奸計にはまった裏切り者がいるというだけの話だろう。やつらが目の前にぶらさげた餌に食いつき、同業者の情報を売った愚か者がいる」
 それがミマリザジークやハディという海賊のことなのだろうか。な、なんだか随分不穏な雲行きではないか。
「というわけだ、仲間は失ったが、俺は顔が利く。やつらがこちらの事情を探っているのなら、こちらも同様に探ってみるべきだ。騎士団の動向を知る必要があるだろう」
 レッドが唇を引き結び、品定めするような目をしてアサードを凝視した。
「それとこれとは話が別ね。あたしのものにならない男に、無償で船を渡せと?」
「のめぬのなら、殺せ。俺は女の奴隷となる気はない。そのくらいなら自ら死を選ぶ」
 ぐっとレッドが息を殺し、悔しげな顔をした。
「この野郎!」
 と赤茶くんが顔を真っ赤にして怒鳴り、アサードに掴み掛かった。アサードは冷ややかと言えるような表情で赤茶くんを見つめ返していた。その冷たい反応に尚更腹を立てたらしき赤茶君が腕を振り上げて殴り掛かった時、レッドが制止の声を出し、感情を殺すように一度ぎゅっと目を閉じて、片手をテーブルに置いた。
「あたしを選ぶくらいなら死んだ方がましなのね?」
 自分の言葉に傷ついた目をしながらレッドが囁くようにそう聞いた。
「お前の素質に問題があるのではないのさ。俺個人が抱く誇りの問題だ。お前は、惚れた相手が悪いだけのこと」
 アサードが軽く赤茶君の胸を押し一歩引いたあと、まるで誘いをかけるかのような甘い表情をして弁明を口にした。
「俺は、いい女は騙さないし、遊ばない」
 本気なのか嘘なのか分からないが、アサードは視線で絡めとるかのようにじいっとレッドを見つめた。レッドの頬が一瞬でかあっと赤くなる。
 笹良は少し呆気に取られた。もし笹良がアサードのことを恋愛の意味で好きになっていたら、その台詞ってばかなりイケズというものではないだろうか。狡いって分かっていても恨めなくなる。海賊をやめても結婚詐欺師として活躍できそうだぞ。
「船を貸せ、レッド。無論、必ず礼はする」
 レッドは俯き、逡巡するように視線を泳がせながら親指の爪を噛んだ。
「あたしのものにならない男に無償で船を貸すなど、下の者に示しがつかない。あたしはこれでも先代の頭の娘よ」
 悲しいほど健気に見える表情でレッドがきっぱりとそう言った。
「分かっているさ。お前の父親もいい男だった。俺は彼と交流があった。随分便宜も図ったはずだ。お前も知っているだろう。ならばそれに免じて、のんでくれないか」
 ええと、つまりレッドのお父さんも海賊の船長で、アサードと親交があったという意味か?
「てめえ勝手なことを言うんじゃねえ! ミマリザのような骨なしにまんまと負けた野郎に貸せる船などあるか!」
 赤茶君がひどくいきり立って痛罵の声をあげた。
「では試してみるか、お前のような愚図にこの俺が負けるかどうか」
 アサード、思い切り挑発してはいかんのだ!
 慌ててアサードの腕を引っ張ったが、こっちを見てくれなかった。もしかして、またわざと相手を怒らせてるのか。
「愚図だと!? てめえ殺してやる!」
 ぎゃ!
「威勢だけはいい。だがお前一人では俺にかなわぬ。船内でもそうだったな、俺と差しで向き合うのが恐ろしくて、手下どもを必ず側に置いていただろうが」
「女を追い回すしか能のねえ下種を俺が恐れているというか!」
 怒りを露にして言い返す赤茶くんに、アサードが小馬鹿にした笑みを向けた。
「ジュエ、おやめ!」
 突然レッドが何かを察したような顔をして割り込んできたけれど、ジュエと呼ばれた赤茶君は怒り心頭のために聞いていなかった。アサードの挑発に完全にはまってしまっているのだ。
「てめえこそ、おっ死ぬのが怖くて奴隷のごとくせこせことしていやがっただろうが」
「愚図の相手など馬鹿らしくてできぬからな」
「俺の力がてめえに劣るはずがねえ!」
 ジュエ! とレッドがもう一度慌てた様子で口を挟んだけれど、ジュエの勢いはとまらなかった。
「そうか、では差しで勝負しろ」
「何だと!?」
「それとも逃げるか、俺を恐れて。達者なのは口だけか!」
「言いやがったな!」
「受けてたて、ジュエ!『腕の誓い』を!」
 アサードが高らかにそう言い放った直後、ジュエが即座に「切り刻んでやる!」と叫んだ。
 ジュエ、とレッドが顔を歪めて呟いた。
 アサードが、してやったりという勝利の笑みを浮かべている。その微笑を見たジュエが、我に返った様子ではっとし、顔を強張らせた。
 ええと、もしかしてアサードは故意にジュエを挑発し、何かを誓わせることに成功したらしい、とは分かるのだが。
 痛いほどの沈黙が続いたのでしばし待ったのだが、好奇心は殺せなかった。
「……『腕の誓い』、何?」
 ある意味、この緊迫感に相応しくないほど呑気に響く笹良の質問に、アサードが声を上げて笑った。

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