she&sea 77

「そんな色気も何もねえ小娘に骨抜きにされたのか、女たらしで有名なお前がよ」
 うるさいのだジュエ。
 目が悪いのか、色気たっぷりではないかと、しとやかな仕草を心がけ、深窓の乙女のごとく可憐に首を傾げてみたら、ジュエに一瞬不審そうな表情を向けられたあと、あからさまに鼻で笑われた。くそっ。
「確かに色気はねえが、可愛いもんだ。なあ?」
 と邪気のない笑みで、しかもなぜか誇らしげに言われたが、それはフォローのつもりなのか、アサードよ。
 思わずアサードの脇腹をどつきそうになってしまったぞ。仕返しに「お父様ったらもうっ」とドスをきかせて言っておいたが。
「こら、お前なあ……」
「本当にてめえの隠し子なのか」
 笹良があんまりお父様、お父様と冗談で呼ぶためか、ジュエがちょっぴり信じかけてきている。まあ、年齢的に言っても笹良くらいの子供がいておかしくないだろう。顔立ちの違いで嘘だとバレバレだとは思うが。笹良はこんな小憎らしいタラシ顔じゃないのだ。負け惜しみじゃないぞ。
 なにはともあれ、お父様と呼んでぐてっと寄りかかりたくなるくらいアサードの側は安心できる。――嫌な目をしないし、嫌な行為を無理強いしようとしないためだ。
 ジュエあっちいけっ、と念じつつ大層強気の姿勢で睨んだら、「できるもんなら仕返ししてやりてえ!」というような苦い表情をされた。
「ササラ、お父様と呼ぶな」
 ジュエとの激しいガンつけバトルに集中していた時、なにげに傷ついてるっぽい声でアサードがそう言った。
 笹良は視線をアサードに戻し、少し考えた。そうか、隠し子がいるなどという噂が海賊界に流布すれば、綺麗な女の人を口説きにくくなるのかもしれない。でも大丈夫、新しいお母さんをいじめたりはしないぞ、と再婚を望む父親の娘みたいな複雑な思いを抱きつつも、物わかりのいいふりをしてアサードの太腿をぺしぺし叩いてみた。失敬な、なぜ無念そうな顔をして項垂れるのだ。
 アサードは溜息を零したあと、気を取り直すように軽く頭を振り、包帯を巻いている手の甲で、笹良の目元を器用に拭った。
「んぬ」
「ずっと泣いていたな。目の回りがひどくなっているぞ」
 そういえば目のふちがひりひりする。こすりすぎたために赤くなっているらしい。
「アサード、眠る、休む」
「寝てばかりでも疲れるからな」
「眠る、休む」
「添い寝するか?」
 心のままに噛みつきたい衝動に駆られたが、我慢の文字を思い出した。相手は怪我人だ。
 なとど和気あいあいなのか剣呑なのか分からぬ中でお喋りをしていた時、部屋の扉が開かれた。レッドが入ってきたのだ。
「船の用意は終わったわよ」
 こっちに近づき、サイドテーブルの縁に腰を預けたレッドの視線がちらっと笹良に動いた。そうだった、レッドはアサードが好きなのだった。この状態では誤解されてしまうと気づき、慌ててアサードから離れようとしたのだが、怪我人のくせになんて馬鹿力なのだ。逃げようとしたら捕まえられる、ならば押しのけてやれと思い、両手に力を入れても岩のごとくぴくりとも動かない。というか海賊め、なぜ笹良の頭を肘掛けがわりにしてくつろぐのか。小花のごとく繊細で愛らしい乙女に対して、そのぞんざいな振る舞いはおかしいと思わないのか。
「あなたの怪我さえ治ればいつでも動かせる」
「そうか。海上の動きはどうなっている?」
「あたしのところじゃないけれどね、ミマリザの軍に海賊島がまた一つ制圧されたわ」
「軍か」
 アサードが揶揄するように低い声で言い、笑った。こらこら、いいかげん笹良の頭から腕をどかさないか。
「そうよ。騎士団と手を組んでいるのはもう間違いない」
「見返りに何を得るつもりなのか」
「想像など容易いわね」
 レッドが実に嫌そうな顔をして吐き捨てるように言った。
「それで、お前達はどうする。奴らが騎士団と連結しているのなら、狙うのは邪魔な海賊の殲滅だろう。いずれはお前たちの島も標的となる。ミマリザのみと交戦するならばいざしらず騎士団本軍と全面戦争を始めるつもりか? 勝敗の行方は決まったも同然だな」
「分かっているわ。だから、晶船と連絡を取り合っている」
 アサードが笹良の頭から腕を離し、額にこぼれていた髪をかきあげた。この隙に離れようとそっと動いた瞬間、あっさりバレて襟首を掴まれた。だから、この無造作な扱いはどうなのだ! 大体アサードめ、わざとレッドに見せつけようとしているのだな。笹良が憎まれるではないか。
「晶船の中にはミマリザと通じているところも多いのではないか」
「ええ。けれど、ダグの所はミマリザと手を組むはずがないでしょう」
「確かダグはガルシア王の船にいた者だな」
 ガルシア?
 笹良はびっくりした。ええと、ガルシアの所にいた海賊が晶船を……ということは、ダグなる男はもしかして、以前会った海賊少年レザンの父親だろうか。そういえば、あの時食べさせてくれたカングという鳥串みたいな食べ物は美味しかったな。……まともな食事を取りたいのだ。
「独自で動くから戦力面が劣ってしまう。異例かもしれないけれど、未だやつらに懐柔されていない海賊の間で綿密に連絡を取り情報を共有すれば、先回りして対処できる」
「ダグと手を結ぶのか。では、ガルシア王の力を借りるつもりなのだな」
「ガルシア王の島も一つ、襲われたときいた。だからミマリザ側と協定は結ばないはず」
「王は三島を支配していると聞いたが」
「いくら王でも、全ての島を同時には守りきれないでしょう」
「しかし、王の島までがみな制圧されれば致命的となるな。騎士軍に勢いがつく」
「そうよ。大陸の者に海上覇権を奪われるわけにはいかない。ならばどれだけ異例であっても今は海賊同士で手を取り、海界を守らねばならないわ」
 心臓がうるさくなってきた。
 凝固する笹良に気づいたのか、アサードの視線がこっちに一瞬動いた。
「お前は王の島を知っているのか? 大陸の技術――砲弾のみならず、様々な技術を持つ職人を囲っていると聞いたことがある。また、宝玉を生む島も管理しているとの噂があるが」
 知らない、知らない。
「まあいい。ともかく、王が何と答えるかだ。お前達の申し出を無条件で快諾するとは思えぬがな。この機に乗じて王が持つ技術を盗もうと策謀を巡らす者も出てくるだろう」
 レッドが唇を曲げ、苛立たしげに腕を組んだ。
「隠されし技術の漏洩という問題については目を瞑ってもらわねば。たとえ王が強かろうと騎士団と真正面から対決すれば勝つ見込みは薄い。皆と協力するしかないと分かるでしょう」
 ううむ、話をまとめると、こういうことだろうか。大陸VS海、という全面対決。しかし、大陸と一口に言っても複数の国がある。ここで話題にのぼっている海上騎士団とは一体どこの国に籍を置いているのだろうか。まさか全大陸の騎士団が総出というわけではないだろう。
 この質問を今二人にぶつけていいのか迷った。あとでアサードにこっそりきいてみよう。
「アサード、あなたにはダグの所にいってもらいたいのよ」
「何だ、直談判しろとでも?」
「あたしの所……父はガルシア王と敵対していたもの。ダグは王側の海賊よ、あたしたちのところから人を出しても取り合ってくれないわ。けれどあなたはダグと交流がある」
「交流と言ってもな、俺だとてガルシア王と直接対峙したことはない」
「ダグに呼びかけてほしいの」
 話の流れにはっとし、つい懇願の目でアサードを見上げてしまった。ダグというのがレザンの父親なら、笹良もアサードに同行し、ガルシアの元にいきたいと頼み込めばなんとかなるんじゃないかと思ってしまったのだ。詳細は分からぬがとりあえず今は緊急事態らしいので、生け贄として放り出されたはずの笹良が戻っても大目に見てもらえるのではないだろうか。
 アサードがちらっと笹良を見下ろし、嫌そうに吐息を落とした。
「仕方ねえな、そんな目で見るんじゃねえ」
 とまたもや手首でがりがり頭をこすられた。痛いぞ。
「お前には恩がある」
 えっ、ということはそのダグという晶船の頭に会わせてくれるのか。
 アサード、見直した! だてにたらし君じゃないな。お父様最高だ!
「王は拒絶するかもしれねえぞ」
 へこむことを言うんじゃない。
「全くな、俺もやきが回った。うぶな娘一人落とせないとは。懐くくせに惚れやしねえ、憎い娘だ」
 こらこらこら。親愛なるお父様だと思っているのだぞ。
「――駄目よ」
 アサードと互いに半眼で睨み合うという怪しい戦いを始めた時、不意にレッドの低い声が割り込んできた。驚いて視線を向けると、レッドが真剣な顔をしてこっちを見つめていた。
「その子は乗船させない」
 ええ! なぜなのだ!
「おい、人にものを頼んでおきながら何を言う。腕の誓いはどうした」
「あなたの望み通りに船を用意したわ」
 もしや嫉妬されているのか笹良は。大いなる誤解なのだ。
「だけど船を手に入れたあとはあなた、このまま我関せずと考えて逃げるかもしれない」
「信用がないな」
「ないわ。だからその娘は人質として預かる」
 人質とは殺生なのだ!
 ジュエの船にいた時のようにまた奴隷のごとく扱われるのか。あの大雨の夜をまた繰り返せとでも?
 血の気が引き、無意識にアサードの腰帯をぎゅっと掴んでしまった。嫌だもう、あんな思いをしたくない。
「この娘は幸運の魔除けみたいなものだ。連れて行く」
 魔除けとはなんだ。だれにもまともに人間扱いしてくれない我が身にすこぶる憐憫を覚え、運命の神様を恨んだが、それはともかくとして笹良は必死にがくがくと頷き、硬い表情を崩さぬレッドに懇願の視線を送った。
「駄目よ」
 非情な!
「あんたの手下がここに到着するまで、随分こいつをいたぶったと言っただろう。こういった娘に、恩をあだで返すような真似はせぬ」
「あなたが戻るまで、その子の安全は守る。誰かを同行させるのならちゃんとした船乗りを乗船させなさい。それが飲めないのなら、島からは出さないわ」
「話が違うな」
「あたしはあなたの望み通り、船を用意したわ。けれども、それと島から出すこととはまた別よ」
 薄く笑うアサードを見て、笹良は冷や汗をかいた。目が笑っていないぞ、アサード。
 どうしよう。ここでレッドと揉めすぎたら益々事態は厄介な方へと向かってしまう。だけど、我が身も可愛い。レッドは本当にこの島での安全を保証してくれるだろうか。自分の安全と、レッドの言葉と、状況を秤にかけてしばし頭を悩ませる。どれを一番に優先させるべきなのか、よく分からなかった。それでも現実は待ってくれない。ええい、乙女は度胸だと覚悟を決め、じわじわと冷たい気配を滲ませつつあるアサードの腰帯を引っ張った。
「笹良、残る。レッド、信じる」
「おい」
 呆れ目をしたアサードに、片手でガスッと頭を掴まれてしまった。だから本当、どういう扱いなのだ。
「アサード、約束守る。自由、約束?」
 この台詞はレッドに向けてのものだ。アサードが約束を守ってダグに話をつけることができた場合、今後自由を与えてくれるのか、とききたいのである。笹良自身も勿論なのだが、アサードもまたこの島に残る気はないとはっきり宣言している。約束を守ったあとも再び島に押し込められ、どこかに幽閉されるというならば、シビアな話、ここでレッドの命令を素直にきく意味など何もないのだ。
 レッドはぐっと息を詰まらせ、逡巡しているように視線を泳がせた。どうやら笹良とアサードを心底一緒にさせたくないらしい。笹良はガルシアのところに戻りたいのだが。
「笹良、ガルシア……好き。側、行く、したい」
 内心で羞恥のあまり叫びまくったが、これをしっかり自分の口で伝えとかないとレッドに誤解されたままになりそうだ。しかし、こうして恋心を誰かに説明するというのはかなり辛いな。赤面しそうだぞ。
「全くこれだ! 腹の立つ娘だぜ」
 驚いた顔をしていたレッドをじいっと見上げていたら、嫌そうに叫んだアサードに後頭部を指先で弾かれた。痛いではないか。
「――分かったわ。王との協力が得られた場合、アサードの身を自由にするし、あなたも無傷で王の所へ返してあげる」
 よっしゃ! と笹良はガッツポーズを取った。
 というわけで、今後の進退についてはアサードの活躍次第となった。
 
●●●●●
 
 レッドとの会談から日が経過し――アサードの出航の時が来た。
 桟橋と言っていいのか迷う実に簡素な……いや、ある意味デタラメすぎて大胆な作りの渡し板に、現在笹良は立っている。もうそろそろ用意を終えたアサードが来るはずなのだ。
 錨を下ろしているデカイ船の上では荷を積んだり帆縄を確認したりなど、複数の船乗りくんたちがせっせと忙しなく働いている。
 薄い雲を貫いて降り注ぐ陽光に目を細めつつ、また、風を受けて柔らかく膨らむ帆布を見つめながら、笹良は皆の邪魔にならぬよう桟橋の端に座り込み、丸まっていた。海はまだ断然苦手だが、アサードと一緒に行きたかったな。
 自然と溜息が落ちた。晶船は基本、天候を警戒しつつも自由気ままに航海しているため、偶然海上で会うという機会の方が珍しいらしい。なぜはっきりと航路を定めていないのかといえば、海賊の中にもたちの悪い者がおり――たとえば海賊のしきたりを理解しない新参者などのことだが――この海域に居着いていると広く明かしてしまった場合、晶船の荷を強奪されてしまう危険があるためだという。とはいえ、やはり長く海上生活を続けていれば、いやでもテリトリーというか、いつの間にかルートができるものらしい。馴染みの顧客である海賊船だけがそのルートを知り、尚かつ守るみたいだった。
 ダグの晶船は、特定の海賊と契約している小規模の商船と比べれば、航行する海域を広く伝えているようだが、その代わり複数の海賊船に守られている。彼の船を襲った時は、後々、契約している海賊船の容赦ない報復が待っているという仕組みだ。
 レッドがアサードにダグへの伝言を頼んだのは、この暗黙の契約、という理由もあるらしかった。思い起こせば、アサードと初めて出会った場所がダグの晶船内だったのだ。要するにアサードはダグの船の利用者だということであり、ある程度のルートを把握しているのだった。ちなみにレッドはダグの船を利用していない。
 ううむ、海賊事情、色々と分かってくると興味深いものだ。ガルシアたちも笹良を生け贄にするための水窟へ向かう途中、わざと寄り道して晶船が航海している海域を巡ったりしたのだろう。
 などと一人頷きつつ納得していたら、アサードが姿を見せ、こっちに近づいてきた。
「何をしている、お嬢さん」
 すぐ隣に立ったアサードが、暗めのターコイズっぽい色をした海賊帽子を指先で少し押し上げ、にやりと笑った。
 身を起こしつつアサードを見上げ、内心で「お洒落さんめ」と呟いてみた。海賊服の色も帽子とお揃いだった。服の前を留める飾りボタンはいぶし銀みたいな色だ。体格がよく、ちょっぴりタラシ的な男前顔なので、こういう色合いがよく映えている。
「アサード、怪我、もう大丈夫?」
 出航までに日数がかかったのは、やはりアサードの体調が問題だったのだ。肘から下……片腕を失い、義手をつけている。
「平気には見えねえか?」
 とアサードは逆に笑い声で聞き返し、片腕だけで軽く笹良の身を抱え上げた。無精髭剃ってやりたいな、と密かに策略を巡らしてしまった。それにしても海賊というのはどうしてこう皆、馬鹿力の持ち主ばかりなのだ。
 両手を伸ばしてアサードの顔の無精髭をじょりじょりこすりつつ、気をつけるのだぞ、と言ってみた。アサードが目を閉じて低く笑った。
「どうもいけない。お前の気安さにほだされているな」
 そうかそうか、と笹良は好々爺っぽく頷いてみた。髭の感触、だんだん気に入ってきたな!
「暗示にかけられた気分だぜ。お前があんまりお父様といいやがるせいだぞ」
 もしかしてだんだん娘っぽく思われてきているのか、と少し面映い気持ちになった。海賊の義父か。嬉しいような複雑なような。
「いつ、戻る?」
 どのくらいで戻ってこれるのだろうか。
「さてな。天候と運を味方につけられりゃ、二十日待たずに戻れるだろう」
 そんなに日数が必要なのか、と驚いてしまった。海め、広すぎるぞ。
 とりあえず無事に戻って来るのだ、としかめ面をしつつ、アサードの頬やら顎やらを再びぐりぐりと撫でてみた。無精髭ちくちくするな!
 よっ、という感じで笹良の身を抱え直したあと、アサードが目を細め、笑みを作ったまま、こっちの額に唇を寄せてきた。
「んむ」
 軽い音を立てて唇が額から離れた。アサードがタラシ的というより柔らかな目でこっちを見ている。仕方ねぇな! と少しほだされつつ笹良もアサードの頭を引き寄せ、そうっと額に唇を落とした。「よくできました」という微笑を浮かべてアサードが背中を軽く叩いてくれる。
 うまく言えぬのだが、どきまぎするような艶かしい雰囲気ではなくほのぼのとした空気が漂っているため、嫌な気分にはならない。お父様だな。
 ぎゅうとしがみついて別れの挨拶をした。なんだか切ない気持ちになる。たとえるなら、夕暮れの公園に一人ぽつんと取り残されてしまったかのような。
「ちゃんと朗報を持ってきてやる」
 朗報だけじゃなく元気に戻ってくるのだぞ。
 難しい顔を作って何度もそう言うと、また楽しげに笑われてしまった。真剣にきいていないな。笑顔のアサードに、こんこんと説教混じりに訴えていた時、レッドやジュエたちも見送りに現れた。
 笹良はアサードの腕から降り、とてとてとレッドたちの方に移動した。
「じゃあな」
 一言、気軽に別れの言葉を告げたアサードが軽い動きで船に乗り込んでいく。
 帆を広げてゆっくりと大海原へ旅立つ船を、笹良はしばらくの間見守った。お父様、お父様、笹良、帰ってくるの待ってるからね。
 
●●●●●
 
 アサード出航後、笹良は最初のうち、しとやかに自主謹慎をしていたが、次第にやさぐれ度が増してついに耐えきれなくなった。
 そんなこんなでなぜかレッドについて回ることとなり、少しずつだが会話をするようになった。
 ちなみに今は、書き物をしているレッドの側にうずくまり、ニュー海賊服を作成するための型紙を書いている最中だ。驚いたことに、こっちの世界というか、一般の人達は型紙を作らずに服を縫っているという。
「あなたって本当に変な子ね」
 書き物の手をとめたレッドが微妙な目をして呟いた。くそーなぜ皆正しい目で笹良を見ようとしないのだ。
「本当にアサードとは何もなかったのね」
 普段の笹良の様子を見て、レッドはそう確信したらしい。多分、こっちに接する時の態度が軟化したのも、そのあたりの理由が大きいだろう。
「憎もうと思ったのよ、なのに気が削がれてしまっているわ」
 憎まぬでほしいのだ。
 真顔で訴えたら苦笑された。レッドが前髪を軽くかきあげ、ふっと息をついて椅子の背もたれに深く身体を預けた。
「あなた、柔らかな平和の空気をまとっている。あたしたちにはないものよ。それだけでも憎悪の対象となるはずなのに」
 よく分からないが、独白するレッドは少し寂しげだ。
「羨みは妬みとなり、荒みとなる」
「レッド、恰好いい。羨む、笹良」
 ジュエが惚れるのも分かるくらいレッドはナイスバディな美人だ。毅然としているところも恰好いい。ゆえに羨むのは笹良の方ではないか、と言いたいのだ。
「馬鹿ね。容姿の問題ではないのよ」
 容姿だけじゃなくて、性格のことも言っているのだぞ。
「そう、あたしは男に負けないくらい、格好よくなりたいの」
 くすりとレッドが笑った。
「だから、あなたを憎むのはやめたわ。自分を貶めたくはない」
 そ、そうか。
「あなたは地の平和を身に宿している。そのあなたを憎み、結果憎まれるようになれば平和そのものから拒絶される意味を持つ」
 そんな大層なものを笹良は持っていないと思うが、いいのか?
「平和は、己を平和だとは知らないものよ」
 困って首を傾げた笹良を見て、レッドが笑みを深めた。正直、レッドの言う「平和」がどういった意味で使われているのかよく分からない。たぶん、個人の性格についてを言っているのではないだろう。醸し出す空気とか、曖昧な感覚の部分で判断している気がする。そういえば以前アサードが、海賊にとって大陸は恋にたとえられるような憧れの対象だと言っていた。波瀾万丈な海上生活を送る彼らの中では、大陸で暮らす者、あるいは長く暮らしていた者などは平和の象徴となっているのだろうか。
 もしこの想像が正解なのだとしたら、と考え、顔を歪めそうになってしまった。ガルシアの船に乗っている時、散々海が嫌いだと口にしてきたのだ。地上で安全に生きてきた笹良が海を嫌悪する姿を見て、ガルシアたちは何を思っただろう。ロンちゃんが言っていた選民意識に通じるような、憎らしい発言だと解釈されてもおかしくはない。憎しみは拒絶を呼び、新たな憎しみを生む。やっぱり笹良が拒絶したため最終的にガルシアたちから突き放されてしまったのだろう。
「それに、あなたに傷を与えれば、益々アサードに敬遠されてしまうもの」
 と、レッドが少し恥ずかしそうな表情を浮かべてはにかんだ。恋する乙女な表情だ、とその微笑に少し救われた気持ちになった。年上で勝気そうな美人だが、今レッドがとても可愛い女性に見えたぞ。
 レッドの気持ちがよく分かる。好きな人には嫌われたくないものだ。尊敬されたいのではなく、見てほしい。そして、できればやはり、好意をもってほしいと望んでしまう。好きな相手にどんな形でも、たとえ一瞬でも好意をもってもらえたら、それはもう、人生薔薇色と叫んで飛び上がりたくなるほど幸せってやつなのだ。
 そんなことを考えて思わずしみじみと頷き、手にしていた型紙を放り投げたあとレッドの肩をぽむぽむと叩いて互いの健闘を讃えたら、なぜか小さく笑われた。
「あなた、本当にガルシア王が好きなの」
 言うな、人にそう言われると恥ずかしくてたまらんではないか。顔が火照るのが分かり、笹良は奇声を上げつつその場にうずくまった。
「けれど王の贄にされたのだと」
 レッドよ、どん底に突き落とす台詞だぞ。
「それでも好きなの?」
 笹良はつい、レッドを半眼で見上げてしまった。それを言うならレッドだって、すこぶるたちの悪い相手を好きになっているではないか。
 レッドも同じようなことに思い至ったらしく、微妙な顔をした。しばし、互いに変な顔で見つめ合ってしまう。
 全く、男というのは、乙女心を知らぬものだ、というようなことを片言の異世界語で告げると、レッドに声を上げて笑われてしまった。
「そうね、もっと力も強く愛すべき者はいるというのに、いつの間にかたった一人しか目に映らなくなる。それも、なぜこんな男、というような面倒な相手なのよ」
 互いに苦労するのだ、としたり顔をしてしまった。それにしてもなんだか嬉しくなってきた。異世界に来て、こうして恋話に花を咲かせられるとは思わなかったのだ。カシカと少しだけ恋の話をしてふざけ合ったことがあるけれど、その時はまだちゃんと自分の気持ちをはっきりさせていなかったしな。不思議なもので、恋愛話というのは年齢や立場などに関係なく盛り上がれたりする。これって女性ならではの順応力というか、柔軟性ってやつなのだろうか。
「ああ、でも、もしアサードの心を本当に盗んだら、あなたを殺すわよ」
 魂まで青ざめそうになったぞ。それはないので、殺さないでほしいのだ。
 必死に首を振ったら、レッドがちょっぴり海賊っぽい顔をして不敵に笑った。
「いつかあたしが盗むの。だってあたしも海賊だもの。男の心だって盗んでみせる」
 盗まれてしまえアサード!
 レッドは格好よくて美人な海賊なのだ。

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