she&sea 78

 恋話以来、レッドは暇な時、色々とお喋りをしてくれるようになった。
 話してみると意外なことに、レッドは結構純粋というか、まさしく恋する女性だった。なんか、今まで溜めに溜めてきた鬱憤やら悩みやらを笹良相手に嬉々として喋っている気がするぞ。いいのか、それで。しかも、その小粋な美人顔とは裏腹に、可愛いもの好きだ。デレデレなのだ。
 ちなみに今、笹良とレッドは島に建てられているごろっとした外観の建物の屋根で仲良く遊んでいる。なぜこんな場所にいるのかといえば、島に生息している小動物の巣が屋根の上に作られていたためだった。ティラという白い毛をもつ生き物だ。コウモリみたいな羽根と、丸くてリスっぽい尻尾がある。
 レッドは屋根に突き出ている煙突めいた突起に背を預け、豪快にあぐらをかきつつティラを肩に乗っけている。このティラ、可愛いな! 人懐っこくて穏やかな気性なのだ。もぐもぐと木の実を食べる姿が実に愛らしい。笹良もあぐらをかき、ティラを太腿に乗っけてティラと戯れ中だ。なかなかお利口な動物で、笹良が「死んだふり!」と命じたら、ぱたっと倒れる真似のかわりなのか、ぷらーんと腕にぶらさがって羽根を広げてくれる。
「ねえササラ、あなたの部屋にぶら下げている丸いものは何?」
 てるてるぼうずだぞ。雨が降ると海が荒れてしまうので、アサードの船が難破しないよう「日々、晴れよ」と願をかけ、レッドが用意してくれた部屋に窓にぶらさげてみたのだ。
 そうだ、余談だが、ジュエに奪われた袋――カシカにもらった袋――は返してもらえた。半笑い人形、再び戻ってきたな。しぶといぞ。
「あなたの国、変わった風習があるのね」
 レッドはよく笹良の話を聞きたがる。異国の文化や流行を知るのが面白いらしい。ファッション系の話になると、くっきりした二重の目を輝かせて無邪気なくらいに興味津々という顔をする。
 話をせがむレッドの様子を見て、楽しい気持ちになると同時に淡く切ない思いまでもが湧いた。海賊という生業のレッドは、たとえば部下にあたる人間や島の人と接する時は、きりっとした隙のない顔をみせる。荒くれ者が多いために、笹良がこの島でお世話になってから既に二度ほど刃物を持ち出すような喧嘩沙汰があったが、レッドはまるで動じずに揉め事を起こしたゴツイ男たちの顔を力一杯張り飛ばしていた。ちょうどその場面を目撃してしまったのだが、本音を言えばえらく怖かったぞ。だけどレッドは叱った後、ちゃんとフォローもしていた。頬をはられて項垂れる男達に対し、比喩などを使った遠回しな表現ではなく素朴ととれるくらい直接的なあたたかい言葉をかけたのだ。贔屓や誤摩化しを感じさせずに皆の前ではっきりと、すごく大切に思っているんだよってことを伝えるのは、簡単そうに見えて意外に難しいものだと思う。そして彼らにお酒と豪勢な食べ物をふるまう。ガルシアの船にいた時のことが頭にあるため、女性はどちらかといえば軽んじられる世界なのかと誤解していたのだが、この島の住人たちはレッドをよく慕っていた。まさに姐さん! という感じなのだ。
 けれど、それではレッド自身の安らぎは後回しになるのだろう。島が大事という思いが本心であるからこそ、毅然としていなければならない。これまで島の人々には先代お頭の娘、そして現お頭という目で見られているため、たとえ同性であってもあまり打ち解けた話ができなかったらしい。トップの立場にいる自分が皆に弱い姿を早々見せるわけにはいかないと思っているようだ。なので、島の住人とは違う上、厄介な相手に惚れているという共通点がある笹良とは話がしやすいらしく、監視目的という名目でよく顔を見せにくる。
 こういった他愛ない雑談をする時のレッドは幼く映るくらい無邪気な顔をする。レッドが仮に男性であればまた話が違うのかもしれないが、女性だもの、心に柔らかな部分があり、綺麗で可愛いものを愛でたいという思いだって本当はあるだろう。そういう意味では、笹良よりも稚い気がするのだ。
 唐突に切なさが倍増し、思わずよしよしとレッドの頭を撫でてしまった。突然妙な真似をされたレッドが驚いた顔をして笹良を凝視する。深く考えてはいけないぞレッドよ。
「あなた、アサードが戻ってくるまでの人質なのよ」
 無論、それは分かっているぞ。
 重々しく頷くと、レッドはなんとも言えぬ表情を浮かべたあと、上目遣いで笹良を見つつぎこちなく頭をかいた。もしかして照れているのか。というか、そういう上目遣いはアサードにした方が効果ありだぞ。いや、その前に、折角の美人顔だというのに、胡座をかいてがりごりと武骨に頭をかくのはどうなのだ。豪快だな。
「あなたの国の者は皆、そういった感じなの」
 どういう意味なのだ。ここで怪異的とか素っ頓狂とか変人とか言ったら本気で嵐を呼ぶぞ。
「あたしたち、海賊なのよ。お尋ね者の悪人だと分かっているの?」
 分かっているとも分かっているとも。
 ぽぬっと肩を叩いて再び重々しく頷いたら、レッドは更に微妙な顔をした。その後、視線をさまよわせつつ胸元に垂れ下がっている首飾りの紐を指先でくるくると所在なげに回している。レッドの腕にぶらさがって遊んでいたティラが猫じゃらしに飛びつく猫のごとく首飾りの紐に丸っこい前足を伸ばし、ばたつき始めた。可愛いな!
 話は変わるが、やはり海賊というのは原色がお好きのようだ。レッドは今、鮮やかな紫色の上衣を着ている。笹良も似たような恰好だ。ちょっぴり透け感のある細身のチュニックみたいな上衣の下に、シャツっぽい下着を着込んでいる。下はカプリパンツみたいな形のズボンだ。そして腰元には鮮やかな長い帯を巻き付けている。動きやすくて結構可愛いのだ。
 などと考えつつ海賊服事情の話を持ちかけてみたら、意外な事実が判明した。原色の服というか布地が多いのは、どうも好みの問題ではなかったらしい。この世界において、白、とくに純白は希色(きしょく)と呼ばれ、すこぶる高級で希少価値があるようなのだ。ゆえに贅沢色とも言われているみたいだった。そもそも布自体が貴重なのだが、特に純白は作り出すのがすごく難しいらしく、数も少ないという。質によっては宝石よりも高価であるそうだ。そういえば、晶船でたくさんの鮮やかな色を目にしたけれど、確かに純白の布は見かけなかったように思う。
 すると、ジェルドが生け贄用に作ってくれたあの白いドレスは、目玉が飛び出るほど上等な衣服ということになるではないか。確かジェルド自身も、結構上質だというようなことを言っていた気がする。
 つい遠くを眺めてたそがれてしまった。海賊って。
 まあそれはともかく、レッドに色々とききたいことがあるのだ。
「レッド、お父さん、海賊」
「そうよ、あたしの父も海賊。けれども二年前、嵐に飲まれてしまったわ」
 すまぬのだ、軽々しくきいていい話ではなかった。
「気性の激しい人だったけれど、あたしには甘かったわね」
 がしっと頭をさげる笹良に不思議そうな目を注ぎながらも、レッドは過去が書かれた透明な本でも読み上げるかのように起伏のないさらさらとした口調で教えてくれた。
「あたしがまだ幼かった頃はよく船に乗せてくれたわ。でも、成長するにつれ、いい顔をされなくなった。女を乗船させると海神に嫌われるという因習をまだ信じる船乗りもいたからね。父は迷信など信じていなかったけれど、万が一あたしを乗せて排斥されるような事態が起きたら、とそちらの方を懸念していたみたい」
 そうか、全ての海賊が迷信を信じているというわけではないのだな。
 首飾りの紐と戯れているティラのヒゲをいじりながら、レッドが唇を綻ばせた。
「もともとはアサードも、父の下についていたのよ」
 じゃあ、この島の者だったのか?
「いいえ、別の島で暮らしていたらしいの。海賊が支配していた島ではなくね」
 離島の類いが全部、海賊島と決まっているのではないらしい。ロンちゃんが以前言っていた、不当な裁判を逃れるため大陸から脱出した森蛮の末裔ということなのか。
「けれど、その島を海賊に奪われたみたい。生き残った彼を偶然発見した父が拾ってこの島に連れてきたのよ」
 それは何年前の話なのだろう。
「もう十五年にもなるかしら。あたしはまだ十歳程度でしかなかったはず。アサードは……既に大人の男だった。島の男ばかり見ていたから、あの人が来た時、本当に驚いたの。息が止まるくらい格好よくて、紳士に見えたわ」
 そうか、当時のアサードは海賊ではなく、どちらかといえば大陸に住む者に似た空気を持っていたのだろう。十五年前というと、アサードは二十代半ばあたりだろうか。今のレッドと同じくらいの年齢なのかもしれない。
「一目惚れなのよ。この人しかいないと思ったわ」
 笑いを堪えるようにしてそう言うレッドに心拍数が上がった。恋する女性は綺麗なのだ。
「あたしはまだ子供だったし、父の手前もあるし、アサードは優しくて誠実だった。最初は島の者に敬遠されていたけれど、父に付き添って船に乗り、成果をあげるようになってからは皆に認められるようになったわ。そうなると、あの男ぶりだもの、若い娘が騒ぐようになったのよ。あたし、必死で邪魔をしたわ。アサードは苦笑していた」
 懐かしそうに、でも辛そうにレッドが目を伏せた。なんだかその光景が思い浮かぶ。金色の髪をなびかせて必死に背伸びをし、アサードを追うレッドの少女姿だ。そして今よりも若い、穏やかな顔のアサードも。自分に懐くレッドを、もしかしたらアサードは妹を見るような目で可愛がっていたのかもしれない。
「あたしがあんまり傾倒するものだから、父が次第に彼を疎み始めたの。父はあたしを島の男と添わせたかったみたいだから。父の機嫌を察してか、アサードはあえて軽薄な態度を取り、島の娘たちと遊ぶようになったわ。そうすることで、あたしに諦めさせようとしたのね。子供の関心なんて気紛れなものだから、節操のない姿を見せれば簡単に失望すると思ったのかも。けれどあたしは本気だったの。父に何度も頼んだわ。あたしが大人になるまでアサードを他の娘と添わせないで!――今思うと、馬鹿な懇願だったわ。逆効果だったもの。父が余計にアサードを疎む結果となってしまった」
 レッドは不意に両手をあげ、空へと向ける仕草をした。
「アサードと父の関係は修復できないものになってしまった。父が一方的に彼を遠ざけるようにね。お頭だった父に恨まれては、この島で生きていけない。あたしが原因で結局彼は、島を出ることになってしまった。その頃にはもう、彼は一人前の海賊になっていたし、付き従おうとする者も出始めていたから、島を離れることに躊躇はなかったかもしれないわね」
 レッドは目を潤ませて笑った。痛々しい笑顔だ。
「だから、彼に冷たく退けれられても当然だわ。あたしだけは絶対に相手にしてくれない」
 それでアサードは、レッドに対して冷たい態度を取りつつも強気に接していたのだろうか。けれど、笹良が見た限りではアサードがレッドを恨んでいるとは思えないのだが。むしろ、自分のような男に惚れるな、と真面目に諭している気がする。それはつまり、レッドのお父さんに対して誠実であろうとしているのではないか。
 片言の異世界語でつっかえつつもその考えを口にすると、レッドはしばし悩むような顔をしたあと、恐る恐るといった目で笹良を見つめた。
「そうかしら。あたし、憎まれているのではなくて?」
「違う、憎む、見えない」
「そうは思えないけれど」
 とか言いつつもレッドは喜びを必死に堪えるような顔をして、ティラの顔をごしごしと強く豪快に撫でた。照れ隠しの行動なのだろうがレッドよ、ティラが潰れそうだぞ。
「アサードは、自分の邪魔にならない女が好きなのよ」
 ううむ、確かにそんな感じがする。更に言えば、色気に溢れた艶麗な女性が好きそうだな。しかしレッド、そんなにティラの顔をぐりぐり撫でたら毛が抜けてしまうぞ。
「あたし、粗野でしょう? アサードの好みとは違うわ」
 びっくりした。粗野ではないと思うのだ。きっぷのいい姐さんといった雰囲気だが、スタイルいいし美人ではないか。笹良なんてちびとかガキとか馬鹿姫とか、もの凄い言われようだぞ。
 そうか、こっちの女性って顔の造作がはっきりとした美人が多い。レッドだって美人なのに、恋する乙女は悩みが多いのだ。よし、ここは一つ、笹良が暗示をかけてレッドに自信をつけさせようではないか。
「レッド、美、美。綺麗ー綺麗ー」
 レッドの頭頂部に手を置きつつ念じてみた。呆気に取られた表情を浮かべていたレッドが、突然噴き出した。
「嫌だわ、本当にあなた……」
 身を折り曲げるようにして爆笑されてしまったが、本当にティラが悲惨なことになっているぞ。
 こんなふうにレッドと楽しく戯れている途中で、相談事があるらしき島の住人が彼女を呼びにきた。レッドは海賊のお頭の顔に戻り、その住人と一緒に行ってしまった。どうやらレッドはお仕事中にこっそりと抜け出てきたらしい。
 去っていくレッドを見送ったあと、笹良はティラをお腹に乗っけつつごろりと横になった。屋根の上なので、地上に立っている時よりも空が近く感じられる。
 なんとも長閑というか、人質なのにこんなのんびりしていていいのかと思わなくもないが、他にやることがないのだ。たとえば、無理矢理人々の輪に入って仕事を手伝おうとすれば、何の目的があるのかと警戒される。かといって儚げにこの境遇を悲嘆するといった弱々しい姿を見せれば、島の住人たちに軽んじられる。世間を知らない間抜けなワガママお嬢さん、といった無知で図太い振る舞いをしていた方が警戒されず、ある程度の自由を許してくれると分かったのだ。
 実際レッドは、自身の過去や恋話についてはよく喋ってくれるしこっちの話にも興味を持ってくれるのだが、詳しい海賊事情や騎士団関連の問いかけを投げると途端に口が重くなる。ゆえに今の笹良はアサードたちがどうなっているのか、殆ど事情が分からない状態だった。しかし、何もしないというのも乙女がすたるというもの、少し会話をかわすようになったジュエなどに他愛ない世間話を持ちかけて、本当に知りたいことの質問をさりげなく混ぜたためしがある。そういった影の努力もとい策略の成果として、多少は知り得た点もあった。
 この島に住む人々のお頭は確かにレッドなのだが、船乗りを統率し海賊行為をしているのは別の人間であるようだった。レッドの父親の弟にあたる人がどうも実質上のお頭であるらしく、レッド自身が海賊船に乗って指示することはないみたいなのだ。そういえば、アサードと笹良を乗せた船にレッドはいなかった。多分、レッドの命を海で散らしたくないという島の人達の思いや、一部の者がもつ因習などが関係しているのだろう。
 そして元はこの島にいたはずのアサードがジュエを初めとして多数の住人から警戒されていたのは、レッドに従わないという点が大きいのだと思う。なぜここまでレッドが皆に慕われているのかといえば、勿論彼女の性格に惚れ込んでいるという部分もあるのだろうが、それだけではないようだった。彼女の先祖がこの島を整備し、そして祖父と父親が人の住める地に変えたあと、様々な理由で帰る場所をなくしていた皆を導いたという過去がどうも関わっているらしい。ゆえにこの島の人々は、居場所を作ってくれたレッドの家系に深く感謝して忠誠を誓い、大事にしているようなのだった。
 海賊にも色々な人がいるのだな、と笹良は考えを弄びつつ一人頷いた。
 しかし、海賊だからって皆が皆、それぞれの故郷といえる島を持つわけじゃないらしい。言ってみれば観光地みたいな海賊御用達の島があるらしく、乗船しない時はその島で過ごすという放浪海賊も多いようだ。
 このことから、自分が支配する島を三つも持つらしいガルシアは王と呼ばれるだけのことはあり、海上世界でかなりの権力者だと分かる。とはいえ、どうもガルシアは晶船はともかく他の海賊達とそれほど付き合いがなく一線を引いている様子だ。
 どういう事情があっても海賊達が大陸の地を踏めないということだけは共通している。
 笹良は吐息を落とした。こういう当たり障りのない事柄ならば知ることができるけれど、肝心の騎士団についてなどは全然掴めていないのだ。一旦考えを放棄して、お腹の上で丸まっていたティラを両手でそっと抱き上げた。不思議そうな顔をするティラの向こうから太陽が光を放ってくる。いつの間にか、異世界の日差しは顔をしかめるほどきついものではなく、微睡みたくなるような心地のいい光に変わっていた。そうか、もしかするともう秋なのではないか。
 ジュエの船に乗船していた時、大雨に襲われたがその日を境に随分気温が低くなった気がする。夜になると、上着一枚では肌寒く感じるくらいになっていた。日中でも、このチュニックみたいな長袖の上衣を着ないと少し腕が寒い。
 秋か、と笹良は呟いた。もうそんな季節か。確か笹良がこの異世界に乱入する前……日本では残暑という時期だった。あれからどのくらいの日数が過ぎたのだろうか。最初の頃はちゃんと数えていたのに、色々ありすぎて途中から正確な経過日数が分からなくなっている。随分経ったような、そうでないような不思議な気持ちだ。季節の変化を感じると、何だか気が遠くなるほどの長い年月が経過してしまったかのような気持ちにもなる。
 秋は短い。あっという間に冬が来るのだろう。この世界にも雪が降るのだろうか。クリスマスとかお正月とか、お祝いするのかな。
 両手で持ち上げていたティラをお腹の上に戻したあと、あたたかな日差しに目を細めながら、突き抜けるように澄んでいる空を見つめた。両親や総司、今何をしているのだろう。皆も、こうして空を見上げ、風の呼びかけに振り向いて、季節の変化を感じているのだろうか。
 異世界の日の数え方自体は殆ど元の世界と変わりがない。笹良には自動翻訳機能のようなものがあるため、そう感じるのかもしれないが。日本語と英語、その発音の違いというべきか。
 こちらの世界も、冬の最中に新年を迎えるのかな。
 そこで不意に思い出した。来年は受験ではないか。受験という言葉に、なぜか胸を打たれた。いや、純粋にびっくりしてしまったと言った方が正しいだろうか。
「……受験」
 笹良に受験があるのだろうか?
 学校の授業も随分進んでしまっているだろう。そもそも元の世界に戻れるのか。受験という言葉がすごく遠い。教科書の表紙さえ、はっきりと思い出せなくなっている。それこそ、まるで自分とは関係のない異世界の出来事であるかのようだ。そういうふうに感じてしまう自分の心がなんだか悲しく思えた。
 秋。そうだ、総司の誕生日、十月なのだ。十月十日。
「ハッピーバースデー、お兄ちゃん」
 プレゼント贈れなくてごめんね。アルバシュナの海賊島からだけど、心をこめてお祝いだ。
 
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 アサードの出航から既に二十日以上が経過していた。
 島の木々もだんだんと赤い葉をつけ始め、秋の実を重たげにぶら下げている。
 意地悪なジュエに時々「あの野郎、裏切って逃げたんじゃないのか」と悪態をつかれつつも、笹良はなんとか島で過ごしていた。綺麗な赤い葉の中には染料の元や薬になる貴重な種類のものもあり、それを集める手伝いをしているのだ。でもやっぱり余所者という扱いは変わらないので、島の人達と多少は会話するようになったものの、仲良くなるまでには至らなかった。レッドは割合ざっくばらんな様子で話しかけてきてくれるが、忙しいらしくていつも一緒にはいられない。
 許される範囲で島内を探索した時、木々の多い場所で工房のような建物を発見した。伏せたお椀めいた外観を持つ建物だ。ドーム状の小さな工房といった方がいいか。中を覗くと、真っ白いヒゲをした職人っぽい老人がいて、土なのかなんなのかよく分からんものを黙々とこねていた。扉のない入り口に立ってぼうっと見ていたら、いきなりこっちにしかめ面を向けられ「覗くなら手伝いやがれこの野郎」と言われたので、思わず「手伝ってやらぁこのやろっ」と返事をしてしまった。というわけで、笹良は臨時工芸家と化し、実に無愛想な老人にこきつかわれ……ちっ、色々と遠慮なく仕事を言いつけられた。でも物作りは面白いな!
 ただし、この工房は老人の気紛れでたまに休みになるので、そういう日は別のことをして時間を潰さなければならなかった。探せば、結構やることはあるものだ。
 このスゥナ島は海からの侵略者に備えてぐるりと長く高い石壁が築かれており、一定間隔で監視塔のような高い建物があるのだが、桟橋が出っ張っている付近にはドックの役割を兼ねた一画が作られていて、そこは人の出入りが絶えない。最近の笹良の定位置は、この桟橋付近だ。皆の邪魔にならないよう、桟橋からちょっと離れた場所……何に使うかさっぱり分からん木箱や積荷の類いが積み上げられている所をとりあえずの陣地と決め込んだのだ。
 そこで何をするのかというと、まずは語学のお勉強だった。といってもレッドが持っているのは笹良のレベルじゃ到底解読できない本だったし、貴重でもあるらしくて、借りられない。なので、覚えた異世界語、それもほとんど単語ばかりなのだがまあそれはともかく、分かる範囲でせっせと綴り、笹良版絵本を作成することにした。絵なら得意だぞ。
 あとは、編み物だ。こっちの世界の人は既製品を買うというのは滅多になく、布を裁断して自分で服を縫う。もう秋だしマフラーとか編んでみよう、ということでせがみにせがみ、糸と編み棒を借りるのに成功した。ちなみに編み物の先生は工房の老人だ。嫌そうな顔をされたが、仕事を手伝ったあとに頼み込んで少しずつ教えてもらった。基本を理解すれば、あとは一人でも平気なので、陣地と決めた木箱を椅子代わりにして座り、ちくちくと編んでいるのだ。
 今日も今日とて、積み上げられている木箱の上に腰掛け、足をぷらぷらさせつつマフラーを編んでいる。もうちょっとで完成なのだ。しかし、マフラーというよりショールっぽい大きさになってしまったな。まあいいか。糸は一色で、紺に近い深い青だ。
 行き交う島の人々の興味津々な視線を浴びつつも、笹良はこうして時間を過ごしていた。アサード、いつになったら帰ってくるのだろうか。
 
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 それから数日が過ぎても、まだアサードは帰ってこなかった。
 マフラーなのかショールなのか分からぬ代物となった編み物は既に完成したため、現在、定位置の木箱の上で二つ目を作成中だ。ちなみに一つ目の編み物は自分の肩にかけている。
 笹良は一旦手をとめて、海へと顔を向けた。もう夕暮れだった。秋の太陽が海面を木々の葉のごとく赤く染め、水平線の向こうに沈んでいく。色鮮やかなのに、俯いてしまいたくなるほど寂しい光景だ。
 アサードは無事なのだろうか。彼が逃げたとは思えない。船には、島の乗組員も多く乗っているのだ。何かあったのだろうか。海上騎士団とかミマリザジークとか、敵対している船に遭遇し、危険な状況に陥っていたりしないだろうか。
 レッドのおかげで島の住人に乱暴されることはないし、寝る場所も食べ物ももらえているが、この寂しさはどうしても消えない。なぜなら、ここの人達よりもやっぱりアサードの方を信じているためだ。彼がちょうど、自分の父親くらいの年齢であることも大きいだろう。アサードは安心できる。笹良のことを、本当の娘みたいに思えてきたと言ってくれたし、ごく普通に接してもくれた。
 アサード、早く帰ってこないかな。

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