she&sea 82
出航準備のために二日ほど取ることになった。
実のところ、修理を必要とせずすぐに動かせる船もあったのだが、負傷者が多数だったことや一番被害を受けた桟橋周辺の片付け、その他諸々の事情があり、日を置く運びになったのだった。とはいえ、決して悠長に構えていられる状況ではない。一応は敵船との争いに逆転勝利した形となったが、いつまた同様の危機が訪れるともしれないのだ。前よりももっと堅固で慎重な警備が必要となる。なにせ島ごと安全地帯に移動するのは不可能だ。
そして、騎士団の存在を背後に隠す敵対者達が一体どの程度こちらの内情に通じているか探ることも必要だった。
捕虜達の口を割らせる役は、本人の宣言通りギスタに決まったらしかった。ただし、彼だけでなく島の住人――レッドと部下数人――も尋問の場に同席するらしい。
で、その間、笹良はどうするのかというと――アサードの監視下でほぼ軟禁状態だった。破壊を免れた建物の一室に、抵抗虚しく閉じ込められてしまったのだ。
「そう拗ねるな」
うるさい、うるさい。
笹良は現在、先に述べた通りとある部屋に設えられている固い寝台の上で厳粛なオーラを放ちつつきっちりと正座している。ささくれだっている感情のままに暴れないよう自戒の意味をこめ、こんな固い座り方をしているのだ。
ちなみにアサードは寝台側の壁に寄りかかり、こっちの意固地な様子を見て苦笑している。
煤けた赤褐色の壁は、窓代わりの通気口として一部が丸くくりぬかれていた。余裕で顔が入るくらいの大きさだ。多分通り抜けも可能だろう。ここが二階でなければだが。暖房が必要となる冬期間に突入した時には、寒風を遮断するためその通気口に簾のような板を取り付けるのだという。
「おい、そろそろ返事をしやがれ」
しやがらないのだ。無言の反抗なのだ。
人質というか、取り引きの道具にされたこと、ちょっぴりへこんでいるのだぞ。しかし、状況が状況だったし、そうした理由も理解できるからこそここで見当違いな憤りをぶつけぬよう我慢しているのだ。
「てめえなぁ……全く、厄介な娘だぜ。結果として、お前も五体満足のまま王に面会できる運びにしただろうが」
そんなことは分かっていると胸中で小さく答えたあと、壁にもたれているアサードから背を向けるようにして、もぞっと身体の向きを変え膝を抱えた。正座をずっと続けていたら足が痺れてきたのだ。
「こらお嬢さん、言いたいことがあるならはっきり言え」
滅多にきけない弱り切ったようなアサードの声が、丸めた背中にぶつかった。別に言いたいことなんかないもん。
「誤解しているようだが、先ほどの場で王の手下がどう出ても、お前を殺すつもりはなかったんだぞ」
「そんな嘘いらない。笹良、ここでその話を鵜呑みにするほど阿呆じゃない」
落ち込みつつもぼそっと低く答えたら、背後にいるだろうアサードが一瞬沈黙し、その直後舌打ちをした。
「こちらを向け」
「お断りなのだ」
「いい加減機嫌を直せ」
「別に怒ってない。笹良の機嫌なんてかまわなくていい」
振り向きもせず淡々と返答したら、しばしの間のあとアサードが自ら動き、寝台に斜め向きに腰掛けてこっちの顔を覗き込もうとした。思わずぷいっと顔を背けてしまったが。
「この俺が年端もいかぬ娘の機嫌を取るとは――まったく、たまらねえ話だ」
「笹良、無断でここから出たりしない、あっち行け」
またもや淡白な口調で言うと、アサードは溜息をつき、億劫そうな素振りでこっちに少し身を乗り出した。
「なあお嬢さん――」
「本当に構わなくていい。誰にも迷惑かけない。言われた通りにする」
そう言い捨てて、更にぎゅっと膝を抱えた。
アサード達が切り札のようにして冥華という存在を取り引きの材料にした点は、ちゃんと理解できている。けれども、頭とは別のところで落胆も確かに生まれている。乙女の純情さというのは時に途方もなく独善的なものなのだ。一度優しくされたら、今後も無条件に受け入れてもらえるものと何の根拠もなく一心に思い込んでしまう部分がある。そんな都合のいい展開、現実には絶対にありえないと知っていてもなおだ。これはきっと相手に対する信頼といった誠実なものではなく、単に世間を甘く見ている我が儘な人間の主張にすぎない。ああ本当、分かっているのに嫌な態度を取らずにはいられない自分の幼さが腹立たしい。
それに、目前に迫った問題として――冥華という役割を再び担ってしまった今、いったいどんな顔をしてガルシアに会えばいいのかと思う。自分の意志でガルシアのところに乗り込むのとは違うのだ。生け贄がどうこうという前に、こんな足手まとい状態で顔を合わせたくなかった。
笹良はぷるぷると軽く頭を振った。駄目だ、どうしても自分の心を中心に考えてしまっている。それでは今までと何も変わらない。背負うことになった役割の中で、果たして何ができるだろうか。たとえ誰かに与えられた立場であっても、この世界で生きている以上、責任はすべて自分のものだ。放り捨てられる現実なんて一つもない。
そういえば、アサードにお帰りの挨拶をちゃんと述べていなかった。約束通り無事に帰ってきてくれたのだから、ここで労いの言葉一つ言えねば乙女ではない。
「アサード、お帰り」
胸の中に蔓延る悪質な感情を振り切るため、座り直してアサードに目を向けた。
「無事で安心した。島の人たちも喜んでるのだ」
不愉快そうな表情を作っていたアサードが一瞬目を伏せ、次いでゆっくりと笹良を見た。何か言おうとしたらしく口を開きかけたところで、突然厳しい目を壁の丸い通気口に向ける。
ぴぴ、となぜか可愛らしい鳥の鳴き声が響いた。野鳥の類いが建物の外にいるのだろうかと首を傾げ、通気口に近づこうとしたら、さっと動いたアサードに腕を取られ、行動を阻まれてしまった。
と、いきなり通気口に何かが飛び込んでくる。百合の花のような形をしたかぎ爪が勢いよく通気口の縁に引っ掛けられたのだ。敵襲か? とおののいてしまった。そのかぎ爪には頑丈そうな太いロープがついていた。
敵がここから建物の中へと侵入するつもりなのだろうかと焦り、バトルの相手はまかせたぞっ、という実に卑怯な願いのもと、アサードの顔を見つめたのだが、険しい表情を浮かべているものの動こうとはしない。
何なのだ? とおっかなびっくり固まっていた時、ざりっと壁をこするような音が耳に届いた。
「よう、冥華」
「ジェルド!?」
なんと通気口にロープ付きのかぎ爪を引っ掛けて外の壁をよじ登り、顔を見せたのはジェルドだった。驚きつつも急いで通気口の方に駆け寄ると、実に屈託のない明るい笑顔を向けられた。
「よっ」
と軽く声を上げつつ通気口に身体をねじ込んで室内に侵入しようとするジェルドに、思わず引きつった笑みを向けてしまった。軽業師か? ロープ一本あればどんな家でも潜り込めそうだぞ、ジェルド。
「うわ、きつい」
通気口は割合大きく作られているとはいえ、人が通り抜けることを想定していないのだ。尚かつジェルドは長身なので、実に狭く感じるだろう。
危ないぞっ今体勢を崩して落ちかけたな。通気口と格闘するジェルドを見守っていたら、アサードに再び腕を掴まれ、目で「下がるように」と指示されてしまった。そうか、拉致の可能性があるために本当はまだジェルドと会っちゃいけないのだろう。
「あー危なかった」
通気口の狭さに勝利したジェルドがなんとも呑気な独白をしつつ室内に乗り込んで、ぱたぱたと衣服の汚れを払い体勢を整えた。
「やっぱ本物だねえ、冥華」
この底抜けに明るい笑みとあっけらかんとした口調。ジェルドも本物だ。鬱屈していた心がじわじわと晴れ、目映い光を持つ感動が生まれる。
「おいで冥華」
と楽しげに言って、ジェルドがこっちに近づいてきた。しかし喜びのままに駆け寄っていいのだろうか。
どうすればいいのか戸惑う笹良の前に、アサードが壁のごとく立ち塞がる。けれどジェルドは足をとめず、微笑を浮かべたままアサードに視線を向けていた。ようやく立ち止まったのは、警戒を滲ませるアサードとほとんど顔がくっつきそうな位置まできたあとだった。メンチきってはいかん。
「お前、どけ」
その冷たい微笑が本気で怖いぞジェルド。うう、普段はあんなにお馬鹿で天真爛漫なのに、ギャップがすごい。
「両腕ともかぎ爪をつけたいか?」
戦闘意欲に燃えちゃいけないのだ。
「道理を知らぬ小僧を斬る趣味はない。すぐに戻るのならば見逃してやるが」
アサードまでが冷たい微笑を作り、一歩も引かずにそう言った。こらこらこら、口調は気障なものに戻っているが態度はえらく好戦的だぞ。
「俺はどけと言った」
「私は戻れと命じたのだが?」
至近距離で火花を散らしてどうするのだ。二人とも縦にでかいから迫力満点だぞ。
「ここであんたを殺せばすむ話さ」
「低能な小僧だ。王の家来は礼儀を知らぬようだな」
「くそくらえ。礼儀も非礼も殺めるのが海賊の流儀」
そんな流儀は初めて聞いたぞジェルドよ。
冷ややかな舌戦に、口から魂を飛ばしかけている場合じゃなかった。このままじゃ本当に流血沙汰のバトルが勃発してしまう。うう、大人なアサードならここでジェルドを軽くかわし、うまく場をおさめてくれると思ったのに、いやに荒んだ対応をしている。長旅の疲れがたまっていて気持ちを抑制できない状態なのかもしれない。
「己の血を飲ませてやろう、小僧」
いかん、本当にやる気だ。いや、殺る気だ。
ジェルドの突き抜けた野蛮さ……違った、出鱈目な戦闘力を舐めちゃいけないのだ。殺人を躊躇わない、容赦も見せない、自分の身も顧みない、状況や立場さえ抑止とならない、そういう残忍で一貫した精神を裏切らない強さを持っている。アサードだって強いのだろうけれど、歯止め役がいない今のジェルドが相手ならば、やはり分別を持つ分不利になるだろう。
やべぇ! と青ざめる間に、二人が同時に腰の剣に手をかけた。
ここは笹良が仲裁するしかない。というか、笹良以外の人間がここにいない。何を言ってもジェルドが戻ることはないだろう。ならば状況に理性を添わせることができるアサードに少し堪えてしまうしかないのだ。なぜなら、ここでアサードがジェルドを万が一にでも殺めてしまった場合、とんでもなく深刻な事態を招く結果になりかねない。ジェルドは海上の王であるガルシア側の人間だ。そして今のアサードはレッド側の人間だ。立場的に言えば、助力を乞うレッド側の方が弱い。その状態で、いわば使節代わりであるジェルドと刃をまじえたら――。
「――ジェルド!」
笹良は叫び、アサードの背後から飛び出して、今にも剣を抜こうとしていたジェルドに飛びついた。
「うわっ」
「ジェルド、あ、遊ぼうっ」
剣を抜かせないようにするため、ジェルドの腕ごと抱き込む形でしがみついた。
すこぶる刺激的な沈黙が訪れた。漂う空気が拷問の色を持っている気がするぞ。
「いいけどさぁ、こいつ殺したあとに」
「いかん、今遊んでくれなければ船に穴あける!」
どんな脅迫だ、と自分に突っ込みを入れたくなった。
「あれ、冥華。なんか前より話し方が流暢になってないか」
あ、そういえば。
そうか、とうとう異世界翻訳機能もフランクな喋り方を取り入れたようだ。よし。
「えらい、えらい。進歩してる」
と、アサードに対する殺意を忘れ、ジェルドが手を叩いて無邪気に喜んでくれた。笹良は素直なジェルドが大好きだぞ。
「遊べ、遊びやがれっ」
「あーすげえ、やっぱ本物の冥華だ!」
いきなり身体を抱き上げられてしまった。殺意を引っ込めてくれたのは嬉しいが、わふわふと大型犬にじゃれつかれている気分だな。
ご満悦な表情を浮かべるジェルドの頭をぎゅむっと抱えつつ、あとでこの髪飾り奪ってやろうとも企みつつ、唖然としているアサードに視線で「ここは堪えるのだ」と訴えてみた。アサードは唇を歪めて苦笑の形を見せたが、こっちを睨む目は仰け反りそうになるほど冷たかった。
「なんか俺、すげえ嬉しいかも。冥華よく生きてたよな、というかさ、冥華にされた女が死なずに戻ってくるのって初のことだ」
すごかろうっと思わず威張ってしまった。
「どうやって生き返ったのさ。水窟のなかってどんな感じ? 化け物に会ったのか?」
目をきらきらさせつつ質問攻めをするジェルドに、にやっと笑いかけてみた。
「秘密」
「えー、何だよ。ずるい」
ああ懐かしいこのお馬鹿なノリ。ジェルドは本当に、普通にしていたらとても気のいい遊び友達なんだけれどな。
「さ、行こうぜ」
「待った!」
笹良を担ぎ上げたまま部屋を出ようとするジェルドに慌ててストップをかけた。アサードの視線が厳しい。
「あのね、笹良、ここから出ない」
「なんで」
「ほら、レッドとギスタ、約束したでしょ。笹良が今ジェルドと外に出てしまうと、約束破ることになる」
「別に俺が約束をかわしたわけじゃないし」
一気に機嫌が悪くなった様子のジェルドに笑いかけ、寝台を指差した。
「ジェルドが会いにきてくれたのは嬉しい。だから、この部屋で遊ぼう」
ジェルドの侵入は予想外だったが、笹良がこの部屋から出なければ、アサードは辛うじて見逃してくれるだろうと思ったのだ。理性ではきっと、ジェルドを負傷させたりしてはいけないと分かっていると思う。勿論、ずっと離れずに監視されるだろうけれどさ。
ジェルドはちょっと驚いた顔をして、笹良が指差した寝台とこっちを交互に見た。突然その眼差しが、未成年お断りと注意書きしたくなるほどエロ臭いものに変わる。
「何、冥華。俺と寝たいの?」
馬鹿者め、二人並んで腰掛けられる場所が寝台しかないから指差しただけだ。思わずジェルドの額に軽くチョップを入れてしまったではないか。
基本、人嫌いであり、邪魔さえされなければ完璧に他人の存在を無視できてしまうらしい性格のジェルドは殺意を引っ込めた今、疲れた様子で小卓の椅子に腰を下ろしてこっちに冷たい目線を向けるアサードをスルーし、うきうきと寝台に近づいた。笹良を担いだ状態でだ。
「ジェルドっ」
寝台に笹良をぽいっと転がし、ためらいなく押し倒そうとするジェルドの頭にもう一度チョップを入れてしまった。急いで腕の下をくぐり、きちんと座り直す。
「何だよ、誘ったのは冥華なのに」
誘ってない、誘ってない。
面白くなさそうな顔でこっちの肩に腕を回してくるジェルドに小さく笑いかけてみた。
「いいだろ別に。俺結構冥華のこと好きなのにさ。なんで拒むわけ」
ううむ、どうすればいいのかこの単純明快さ。教育をし直すべきか。
「そもそも冥華って、一度生け贄にされたんだから、もう冥華じゃないよな?」
え、そうなの?
「だったら別に、俺が手を出しても」
いやいや待った。『冥華』としてガルシアとの取り引きに使われるんだから、そうはならないだろう。
というか、色々様々な問題は一旦脇に置き、聞きたいことが山ほどあるのだ。
「海賊の皆、元気?」
「まあ元気じゃないか。それよりさー、冥華は俺に興味がないのか」
不貞腐れてる、不貞腐れてる。
「俺は脱いでも凄いけれど?」
どう突っ込めばいいのだその台詞に。
「だってさあ、冥華がいなくなったあと、すげえ退屈で。一気に静かになったもんな。別の意味では騒がしくなったし、忙しくもなったけれど」
別の意味って何だろう。
「俺に会いたかった? それとも冥華はそっちの気障な野郎になびいたわけ」
いきなり睨まれてしまった。なびいたわけではないが、アサードのことはちょっぴりお父様みたいだと思ったりもしていたのだ。
「なんか腹立つ。横から獲物をかっさらわれた気分だ」
獲物扱いするんじゃない。
「お前のこと可愛いと思っているんだよ。色気はないし肉付きもないし、言動もおかしいし、美しくもない奇怪な容貌だけれどさ」
頭突きするぞ。全然褒めてないではないか。
「お前、俺の女にしてやる」
威張っていうんじゃない。そもそも笹良の性別は元から女だ。
髪の毛燃やすぞ、と半眼で睨んだ時、肩に置かれていた腕に力がくわえられ、ぎゅうっと抱き寄せられた。苦しいのだ!
「もっと見る目を持て。俺はいい男だぜ」
耳元で囁かれ、条件反射でぎゃっと叫んでしまった。えろくさい手つきで人の髪を梳くんじゃない。
「特別に、気を遣って抱いてやる。傷つけぬようにさ、それならいいんだろ。あー俺ってやっさしいー、俺えらーい」
そんな気遣いは無用だ。えらくない、やさしくない。
なんというか、これほど誠意の感じられない気遣いがかつてあっただろうか。いや、ない。そして即物的すぎるために口説かれている感じが全くしない。
「おい、この状況で俺の脇腹をどつこうとするか、普通」
痛いのだ、仕返しに髪を引っ張られたのだ。今、一本くらい抜けた気がするぞ。
「――確認は済んだだろう、戻れ」
なぜかジェルドと掴み合いの喧嘩に発展していた時、アサードの冷ややかな声が降ってきた。
確認? とジェルドの髪の毛を引っ掴んだまま振り向くと、アサードが実に情けない子を見るような目を向けてきた。
「うるせえな、やっぱ殺すか?」
いかんと言っているではないか。物騒な独白をしたジェルドの耳を引っ張った。ジェルドは不貞腐れた顔をしつつも最後の攻撃のつもりか、睨み上げる笹良の両頬を思い切り掴んだあと、するりと寝台から降りた。
「ま、いいさ」
頬痛い! と涙目になって押さえる笹良に、ジェルドが勝ち誇った笑みを向け、また来るよと言い残して意外なほど呆気なく去っていく。壁の開口部ではなく堂々と扉からだ。
なんなのだ、随分あっさり帰っていくじゃないか。どういうことなのだと八つ当たりを兼ねてアサードを見据えたら、つまらなそうに嘆息された。
「当然、お前が本物か確認にきたのだろうに」
そうなのか?
「何より、お前が本物であっても、完全にこちら側へ心変わりしたのかを探りにきたのだろうが」
驚いてしまった。ただ遊びに来ただけではなかったのか。
「実際質問されていたじゃねえか。どのように蘇りを果たしたか、お前は俺の方になびいたのかと」
えっそれって単純にお馬鹿な思考ゆえではなく、笹良の気持ちが以前と変わっていないのか探りを入れていたのか!
「お前は初めの問いに、秘密だと答えただろう。それで疑念を持たれ、ちょっかいを出されたんだ」
うう、この程度も分からんのか、という感じのアサードの視線が辛いぞ。
「そ、それで、ジェルドは最終的に、どんな判断を?」
既に去っていたジェルドの姿を追うようにして扉に目を向けた時、アサードが失笑した。
「取り引きの要となっているのはお前だ。そのお前がこちらになびいていたと感じたならば、それこそ用なしだ。贄なのだから、無論この場で殺されたんじゃねえのか。ついでに目障りな俺も手にかけてな。向こうにすればもともと乗り気ではなかった交渉なのだから、お前を無価値と判断すれば島に留まる意味もない」
ぽかんと口を開けてしまった。海賊心理が一筋縄じゃいかないってことをまたもやすっかり忘れていた。
「殺されずにはすんだ。これが結果だろう」
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そして、いよいよ出航日が訪れた。
数隻の海賊船が桟橋付近にずらりと並ぶ光景は映画のひと場面のようで、なかなか圧巻だった。
笹良はアサードに腕を掴まれながら、船の一つに乗り込んだ。なぜこんなにアサードがぴったりくっついているのかというと、お気楽青年なジェルドがたびたびちょっかいを出してくるためだった。ジェルドったら隙あらばアサードに喧嘩をふっかけようとするし。
甲板に上がったあと、同船する顔見知りの島人に、笹良の荷物を運んでもらった。大した量ではないが、中にアレが入っている。そう、舞い戻ってきた半笑い人形だ。その他、着替えや乾燥させた薬草、編み物など。色々と詰めておいた。
甲板の縁に近づいて、桟橋に立つ人々を見下ろした。ここでようやく警戒を解いたらしきアサードが腕を離してくれた。
ちなみにアサードも、派手系を好むジェルドとは違った意味でおしゃれさんだ。以前船を出した時は暗めのターコイズブルーな色をした海賊服を着込んでいたが、今日は深いオレンジを主体とした服だった。背丈があるし、大人な貫禄もあるからそういう色の服を着ても実に様になる。くそっ、海賊帽子、奪いたいな。
などとつい意識を脱線させてしまうのには、ちょっとした切ない理由があった。桟橋に立ってこちらを見上げるレッドが原因だ。
ジェルドたちと再会した日から、レッドとは顔を合わせることはあってもろくに会話をかわしていなかった。どう接していいかわからなくて、つい避けてしまうような素振りを取ってしまったのだ。レッドはここのお頭で、皆を、というか海上覇権を守るために冷酷な判断をしなければいけないわけで、だから笹良がいつまでもうじうじと利用されたことを恨みに思うのは間違っている。そうだ、笹良がガルシアを優先するように、レッドはレッドの守りたいものを優先しただけのことだった。けれどもやはり、小さな寂しさが心に残ったままだった。
いや、いけない。
だって笹良は結局のところ、レッドが好きなのだ。
交渉の道具として使われるのは悲しいけれど、レッドと仲良くなりたいという気持ちも未だ捨てられない。
笹良が、もっともっと利口になってレッドの信頼を得られれば、きっと利用などされなくなる。
笹良は、うぬ、と一つ頷いた。しばしの別れだ、レッド。笹良、絶対成長して帰ってくるから。そんでもって、アサードが浮気しないよう見張るから。
だから、いつか、また必ず会おうね。
笹良は思い切って船のふちに身を乗り出し、無表情でこっちを見上げているレッドに大きく手を振った。
レッドが驚いたように目を見開く。また一緒に、屋根の上で日光浴をしながらティラをぐりぐり撫でてお喋りしたい。
じいっとこっちを見ていたレッドが困ったような、悲しそうな顔をした。それから周囲の者に気づかれぬようにするためか、ほんとうに小さく、笹良に向かって手を振った。
その戸惑いが滲む小さな仕草が、飛び上がりたくなるくらい嬉しかった。
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