she&sea 83

 島の住人たちの協力で、航行に必要な荷の類いをすべて船に運びこめた。
 んでもって、やっぱり海賊船にはこれがなきゃ、という念願の笹良的必須アイテムも一つ、用意してもらった。
 ガルシアの海賊船にあった、アレだ。甲板に、揺り椅子。
 くそっ、ガルシアの船に乗っけてもらっていた時はなんで船の上にわざわざ揺れる椅子を置くのかと正気を疑ったりしたわけだが、今となってはこれがなきゃなんだか落ち着かない気分なのだ。完全に海賊思考に染まっているではないか。
 そんな憤りを抱えつつも、甲板にぽつっと置かれた飴色の揺り椅子を見て、笹良は、よし、と厳かに頷いた。誤解を招く前に説明しておこう。笹良がこの椅子に座りたいわけではないのだ。椅子の足元に座る、というのがすでに笹良のポジションになっている。この位置が落ち着くなんて果たしてそれでいいのかと本気で遠い目をしたくなるが、あまり気にしないでおこう。
 クッションとか置いとこうかな、と真剣に考えながら揺り椅子を指先でつついていた時だった。
「冥華ー」
 のほほんっとした朗らかな声が聞こえ、笹良は振り向いた。別の船に乗るはずのジェルドがにこにこしながら甲板に顔を見せ、こっちに近づいてきた。なぜかギスタも一緒だ。
 少し離れた場所で帆柱のロープを確認していたアサードがこっちを向き、険がうかがえる表情を見せた。ここで揉め事が起きたら目も当てられないので笹良は「平気だから、安心して」の意味をこめてアサードに軽く手を振ったあと、ジェルドたちの方へとてとてと足を向けた。
 近づいた笹良を見下ろしながら、なぜかジェルドがぷっと笑った。
「冥華、海賊服似合ってる」
 そうだろう、そうだろう、と笹良は胸をはって頷いた。ちなみに今のジェルドの台詞、語尾が「にあってるぅ!」とどこぞの若者のごとく右上がりに伸びていた。本当に海賊っぽくない軽さだぞ、ジェルド。
 まあともかく、笹良も他の海賊くん同様に、かちっとしたズボンとロングブーツと丈長めの上着なんかをせっせと着込んでみたのだ。帽子もほしいところだが、それに関してはあとでアサードのものを奪おうと、虎視眈々と狙っている。
「でもさー、折角なんだからもっと娘らしく可愛い恰好すればいいのに。あー、俺、作ってあげようか」
 服職人さんめ、と笹良は笑った。ジェルドも笑いながら笹良の両手を取り、子供みたいにるんるんと揺らした。うう、図体はでかいし腰元に物騒な剣をぶらさげているが、この無邪気なそぶりがちょっぴり可愛くなってきた。
 ジェルドは本日も派手派手なおしゃれさんだった。日本でいうカチューシャみたいな髪留めで前髪をあげていて、毛先にぱちぱちと石の飾りをたくさんくっつけている。で、手首、指にもがっちゃがちゃにアクセサリーをつけている。ジェルドの海賊服は、いかにも、というオーソドックスなタイプじゃなくて、あきらかにラフに気崩した感じだ。鮮やかな黄緑色のズボンと青い上着の組み合わせが似合うなんて、ある意味才能だぞ。
 などとついつい服装チェックをしてしまうのは、乙女のサガというものだ。ギスタも意外や意外、ジェルドほどじゃないけれどなかなかの数のアクセサリーを身につけていた。鳥の羽根を使った長いペンダント、ほんのり民族風な感じがあり、なおかつきらびやかで、可愛いな! そもそも暗い薄桃色の長衣など普通似合わないと思うのに、妙にはまっているのだ。裾の部分に施されている刺繍の色が黒だから、甘くなりすぎず決まっているのだろう。ちなみにズボンは小豆色。たぶんこれ、ギスタの趣味じゃなくて、ジェルドの見立てだと思う。プロだな。
 目映い思いでギスタを見上げる。あ、目尻の青い入れ墨、変わっていない。そういえばガルシアの海賊船にいた時、ギスタとはあんまりたくさんお喋りしたことはないけれど、それでも結構側にいた時間はある気がした。大抵はギスタ、近くで惰眠貪っていたな。だから、ギスタの謎めいている不思議な気配には慣れているし、なにげに好きだったりする。もしかするとジェルドも同じ気持ちなんだろうか。こっちがどんな感情を抱えていてもギスタは影響されない。そんなところが安心するというか。
 じーんと嬉しくなり、はにかんだら、それまで甲板に置かれた揺り椅子を凝視していたギスタに突然両手で脇の下を掴まれ、ひょいっと身体を持ち上げられた。なんだこの動物持ちといった抱え方は。
 ぷらんと持ち上げられ、しばし唖然としたが、相手はギスタだ。とやかく言うまい。
 久しぶり、久しぶりっ、という気持ちで手を伸ばし、ぽすぽすとギスタの頭を軽く叩いたら、なぜかふうっと気怠げに溜息を落とされた。
「減っているな」
 何?
「そうそう、冥華ちょっと重量減ったよなー、減らなくていい部分がさぁ」
 したり顔で横やりをいれるジェルドに笹良は剣呑な目を向けた。まさか、ギスタの「減っている」という言葉は笹良の体重を示しているのか? というよりジェルド、減らなくていい部分とはなんなのだ。開戦宣告するぞ。
 この、乙女を乙女と思わぬ傍若無人な物言い、懐かしさを通り越して激しい怒りが芽生えるな。
「きみたちに、教えたい。笹良の世界には、セクハラ、という言葉があることを」
 心のままに答えたら、ギスタがちょっと驚いた顔をした。
「お前、言葉が滑らかになってきているな」
「うん」
 異世界翻訳機能だいぶんレベルアップしたぞ、と誇ったら、ギスタが珍しくも! 唇を綻ばせて微笑した。うわっなんか貴重な瞬間を目にした! 普段不動明王のごとく顔色が変わらぬ人が笑うと、かなりどぎまぎする。
 微笑は一瞬で、余韻に浸る間もなく甲板の上におろされてしまった。なんともマイペースなギスタは、一体何しにきたのだか、そのままくるっと背を向けて去っていこうとした。挨拶に来ただけなのか?
「なあ、俺やっぱこっちの船に乗っていい?」
 ジェルドがしぶとくギスタにそうお願いしていた。ギスタはちらっと振り向き、駄目だというように首を振って、それから本当にさっさと船を降りてしまった。ジェルドがおおいに不貞腐れている。
「あーあ! せっかく会えたのにさあ。冥華だって俺といたいだろ?」
 それはそうだがレッドとの取り決めがあるし、アサードが許してくれないだろう。蛇足だがこの船の船長は、島のナンバー3であるごっつい禿頭の男だ。アサードは副船長みたいな立ち位置であるらしい。
 仮にジェルドがこの船に同船すれば、毎日空恐ろしい諍いが勃発するに違いなかった。
「攫ってやろうかな」
 こらこら。
 仕方なさそうに肩をすくめて、ジェルドも船から降りる動きを見せた。だが一瞬振り向き、笹良を刃のような目で見据えた。
「な、冥華。王や、俺たち以外にほだされんなよ。お前は王の冥華だ。傷も嘆きも与えるのは俺たちのみ」
 な、何を言うのだ。
 笹良はぎょっとし、ついでどうしたことか、かあっと頬が熱くなった。ジェルドの台詞、優しい意味ではなくて明らかにガルシアたちの所有物なんだからお前に自由はない、という傲慢で勝手なものなのに、まるで力強い独占欲を見せつけられたような錯覚を覚えたのだ。
「お前、あの気障野郎や女海賊にちょっと情を移したろ。すげえ腹が立った。だから、懐くのはほどほどにしておけ。王だってきっと許さない」
 絶句する笹良から腹立たしげについっと顔を背けたあと、ジェルドもまた足音高く去っていった。笹良は思わずふらっとよろけ、揺り椅子にへたりこんだ。
 なんてことを言ってくれるんだろう。生け贄とか簡単にしちゃうくせに、そんなふうに笹良を特別であるかのように扱わないでほしい。本当に、海賊ってたちが悪い。
 ほてりのおさまらない頬をてのひらでばちばちぶん殴っていたら、こっちを眺めていたらしいアサードと視線がまじわった。見下すような、冷たい眼差しだった。
 
●●●●●
 
 ――そうして、数隻の船は航海に乗り出した。
 
●●●●●
 
 航海術には無縁の笹良は、特にすることもなくぽつりと揺り椅子の下に座っていた。
 船員達は皆、忙しなく甲板を行き来して働いている。手伝わなくていいのだろうかと少し躊躇ったが、なんとなく皆に敬遠されている気がしたので、言い出せなかった。おそらくはジェルドたちと親密に話していたために、やはり余所者なのだと一線を引かれたのだろう。別にこっぴどく排斥されているわけではないし、事実、笹良はどちらかといえばやはりガルシア側の人間だ。だから、皆の思いを否定しない。
 先をゆくジェルドたちの船を追う形で、この海賊船は海の上を進んでいた。
 笹良はぼんやりと真っ白な雲をはりつける青空を見上げた。なんだか不思議な気持ちだ。まさかこうして再び呑気に航行することになるとは。
 島はあと一歩で壊滅する危機を味わい、多くの命が失われたというのに、空も海もけちのつけようがないほど穏やかだった。まるで夢でもみていたかのようだとすら思う。
 実際は抜き差しならない状態なんだろう。大陸の騎士団がミマリザジークという卑劣な海賊と手を結び、海上世界を脅かしている。覇権を奪われる危機を阻止するために、海上界で力を持つガルシアの助力を得ようと動いている。
 目まぐるしい展開だというのに、島で味わった深い恐怖から離れたためか、今この時間がとても平穏に思えた。
「――お嬢さん、何をしている」
 うつらうつらとしていたら、ふいに声がかけられた。
 さっきまで航海士と何やら話をしていたらしいアサードが目の前に立って、揺り椅子の下に座っている笹良を訝しげに見下ろしていた。
「なぜ椅子ではなく、下に座っている?」
 ごもっともな疑問に、笹良はちょっと笑った。こうやってアサードとは普通に話をするけれど、やはりどこかにぎこちなさがあり、以前のように屈託なくは振る舞えない。
「王の、椅子だから」
 笹良の椅子じゃないんだよ、と答えたら、アサードは少し目を見張ったあと、嫌悪がわずかに滲むきつい顔をした。
「王とは、誰のことだ」
 それは……、というか、アサードはわかっているくせに聞いている。ガルシアの椅子だとはっきり答えるのはさすがに溝が深まりそうだったし、かといって嘘を言ってもバレると思ったからなんとなく婉曲的に王と表現したのだが、逆効果だったようだ。
「お嬢さんは事実、王の寵姫だったのだな」
 疑っていたのかこのやろ、と思ったが、こっちを見下ろすアサードの眼差しは触れたら凍りそうなくらいに冷ややかだった。しかし、なぜそんな目をするのだろう。笹良が冥華と呼ばれ、ガルシアの船に乗っていたことはとっくに知っているのに、立腹される理由がわからない。それにガルシアのことを好きだというのも伝わっているのだ。
「健気なことだ、空の椅子を守るとは」
 笹良は困惑した。別に守っているつもりではなく、ただ単純にこの位置が落ち着くだけだったのだが。
 ――でも、そう言われてしまうと、誰かが断りなくこの椅子に座るのは、いやかもしれない。
 自分の気持ちに首を捻りつつ、手を伸ばしてそっと揺り椅子の肘掛け部分を撫でた。するとアサードが義手の腕を伸ばし、背もたれ部分を押して、椅子を揺らした。見上げると、整った冷たい笑みを向けられた。
「お嬢さんは、船員たちを刺激したいのか? この船は王のものではないのだぞ」
 あっそうか、島の船なのに、王のための椅子だと皆に思われたら駄目なのだろう。不快に感じる者が出てくるに違いない。
 それにしても、なんだか変だ。アサードがさっきからずっと気障な口調で会話しているせいだと思う。
「アサード、何に怒っているの」
「腹を立てているのではなく、お嬢さんに警告しているのだが」
 そう言いながらもアサードは不愉快そうな顔をした。
 その時、航海士がこっちに寄ってきてアサードに何事かを告げた。アサードはもう笹良を見もせず、航海士と連れ立ってこの場から離れた。
 
 
 夜になった。
 笹良は食事を取ったあと、黒い色に変わった夜の海を進むジェルドたちの海賊船の船灯を時々確認しながら、相変わらず揺り椅子の下に座っていた。
 通りかかった船員には実に不審そうな目を向けられるものの、正面きって問いただす者はいなかった。そういえば、アサード以外の人間と話してないや。
 などとちょっぴり寂しく感じていた時、タイミングよくというか、またアサードが近寄ってきた。
「まだここにいたのか、船室で休め」
 笹良は曖昧に笑った。勿論、一人部屋なんてもらえない。でもその辺はレッドの配慮だろうか、実は島でお世話になった薬師が船医として乗船しているのだが、その彼と同室なのだ。だから他の船員たちと同室にされるよりは気まずい感じが少なくてすむ。
「本当に意固地なものだ。寝ずの番をして、誰にも座らせぬ気か」
 そういうわけじゃないのだが、結果的にそうなっているような。
「船長が気にしていたぞ、お嬢さんの椅子を」
 えっそうなのか?
「たずねられたらどうする。私の時と同様、王の椅子と答えるのか」
 うぬ、実は幽霊くんが座っているとか言ってみようかな。
「ただでさえ、ガルシア王との交渉と聞いて、皆、気を尖らせている。余計な波紋を広げる真似はよせ」
 でも、この椅子がないと笹良、落ち着かないのだ。船の中に居場所がなくなる。
「お嬢さんが王の女だったという話が皆に伝わっている状況だ。王の側近と親密な場を見れば、船員の目も変わる」
 うう、なんだかまずい状況になってきたのだろうか。
 戸惑いつつ見上げたら、アサードは揺り椅子を鋭い目で睨んでいた。確か、ヴィーがずっと前に、ガルシアを超えたいというようなことを言っていたが、アサードも同じようなことを感じて意識しているのだろうか。不思議なものだ、アサードは笹良よりずっと年上で大人なのに、こんなふうにあからさまな態度で誰かに対抗心を燃やしている。男の人って何歳になっても負けず嫌いなのだろうか。
「アサード?」
 呼びかけても、こっちを見てくれない。話題を転換した方がいいのだろう。
「あの、アサード、聞きたいこと、ある」
「――立って話せと?」
 何?
 きょとんとしたら、アサードが礼をするかのように身を屈め、笹良の顔を覗き込んで微笑んだ。一見お色気モードだが、ぴりりとした緊張感が隠されている。
「座らせてくれるのか、冥華」
 アサードに冥華と呼ばれ、無意識に眉をひそめてしまった。他人行儀というよりも何かを試されているかのようだ。
 本音を言えば、この椅子に誰かを座らせるのはちょっと抵抗があった。けれども、と考え直す。アサードはもともと別の船の船長で、島の人々とは長く疎遠になっていたはずだ。笹良と同じように、船員たちと接するのはどこか気まずいものがあるのかもしれなかった。
 だったら、いいか。色々あったけれど、レッドのことを最終的に好きだと思ったように、アサードも嫌いにはなれない。
 見つめ合ったあと、笹良はこくりと頷き、椅子の肘掛けをぽんぽんと叩いた。よかろう、よかろう。
 座りやがれ、と合図したら、アサードはわずかに驚いた顔をした。なんでびっくりするのだ。
 しばしの間凝視されたが、ふっと吐息を落とされ、それからやや乱暴に座られた。揺り椅子が一度、音もなく揺れた。
「……それで、何を聞きたい」
 低い声で問われた。無精髭、じょりっと撫でたいけれどもう触らせてくれないのかなあと寂しく思いつつ、笹良は口を開いた。
「あのね、ギスタ、捕虜を尋問した。どんな話、聞けたの?」
 たぶんガルシア側のギスタたちだけではなく、アサードたちも捕虜が白状しただろう話を耳にしているに違いない。
 アサードは呆れた顔をして、椅子の下に座っている笹良に視線を投げた。
「お前はまったく娘らしからぬ話を聞きたがるものだ」
 あっちょっぴりべらんめえっぽい口調になってきた。そんなに椅子に座りたかったのかな。
「騎士船が海界に放たれているという」
 ええ! というかアサードよ、なんだろうその、害虫が放たれましたと言いたげな恐ろしい口調は。
「王の所有島が一つ制圧されたのは前に聞いただろう」
「ぬ」
「どうもな、王の配下から情報が漏れたようだ」
 それってまさか。
「裏切り者がいたのだろう、王のもとに」
 だ、誰だそんなやつ! 笹良が呪詛をふりまいてやる!
 ミマリザジークの仲間だけじゃなくて、あのガルシアの足元に裏切り者がいるというのか。
 だってそんな、笹良の知っている海賊くんたちが裏切り者って可能性があるということになるではないか。
「誰?」
「さあな。捕虜は所詮、駒にすぎない。詳細までは知らなかったようだ」
 ガルシア、今どんな気持ちでいるんだろう。裏切りを容赦しない王様だ。まさかと思うが、仲間を全員嬲り殺しにとかしていないだろうな。かなり不安になりつつも、もう一つ気にかかっていたことを聞いてみる。
「あの……どうして、手紙、くれなかったの?」
 もじもじしながらたずねた。だってアサードったらガルシアのところへ交渉に旅立ったきり、手紙一つも寄越さなかったのだ。ちょっぴり薄情だぞ。もし帰還する前に一度でも手紙を送ってくれていれば、笹良だけじゃなくて島の人たちも随分安心しただろうし、あの恐ろしい戦いだって多少は有利に動けたのではないか。責めるつもりはないけれど、それでも少しばかり疑問に思ってしまう。連絡用の海鳥、連れて行くのを忘れたのだろうか?
 アサードが眉間に皺を寄せたあと、かすかに脱力した感を滲ませながら自分のあご髭を乱暴に片手で撫でた。
「お嬢さんは、いいところを突きやがる」
 そんな恨めしげに言われても、褒められた気がしないぞ。
「文を飛ばしたさ」
「え? でも……」
 島には届いていなかったはずだ。だからレッドや他の皆もすごく難しい顔をしていたし。
「おそらくは途中で奪われたんだろう」
 文を結んだ海鳥を、敵側に奪われたってことか?
 しかしそんなことできるだろうか。連絡用だと他者に悟らせないために、海賊たちは大抵、よくみかけるタイプの海鳥を馴らして飛ばすのだ。
「できぬことはない。人に馴らされた海鳥は、決まった路を選んで飛ぶ。そしてどこで羽根を休めるのかも。ある程度我らの内情に通じているのなら、海鳥の休憩場所を掴めるだろう」
 もしかして、と笹良は泡を食った。
 敵側がアサードの飛ばした海鳥を捕獲したとする。アサードのことだから、万が一のことを考えて文に詳しいことは記さなかっただろうけれど、それでも海賊事情に精通している者が目を通せばなんらかの情報を読み取るだろう。
 もし笹良がその敵だったらどう動くか。
 わざとその海鳥を解放して、スゥナ島までの路を知ろうとする。
 じゃあ、島がタイミングよく襲撃されたのは――
「ああ、そうだ。その可能性が強い」
 アサードが嫌そうな顔をしながら舌打ちした。忸怩たる思いがあるんだろう。
「アサード、海鳥をどこから飛ばしたの」
 笹良の質問に、アサードはこっちを睨むような顔をした。
「本当に、腹立たしいところを指摘しやがる娘だ」
 皮肉な笑いを作りながら、アサードが軽く自分の膝を叩いた。
 うう、責められてしまったが、気になるじゃないか。だって、いくら海鳥が決まった路を飛ぶといってもさ、放したポイントが分からなければ途中で捕まえようがないはずだ。だからアサードが海鳥を放す前に、誰かが先回りして動いたんじゃないか。さすがにアサードの船を直接追尾すれば気づかれるだろうから。
「王との交渉の場は、ダグの晶船だ。無論、その場から飛ばした」
 ダグの晶船は確か、中立の立場じゃなかったか。
「そうとも。中立ゆえに敵対する者も多く出入りする。だが、仕方のないことだ。こちらにしても、有利な点がないわけではない。いずれにも属さぬ海賊どもに協力を呼びかけられる」
 あっ、もしかして色々な海賊君を勧誘していたから、ちょっと帰りが遅くなったのか。
「あれ、でも今、目指しているのも、ダグの晶船なんじゃ……」
 いいのだろうか、あきらかに敵側がいる場所じゃないのか。
「そうだ、だからこそ行かねばならない、というのがあいつらの心情だろう」
 そう言ってアサードは視線を、夜の海を先に進むジェルドたちの船に向けた。あいつらとは、ジェルドたちのことだろう。
 笹良は考えた。だからこそ行かねばならない――そうか、飛ばした海鳥が届いていないとアサードが分かったのは、島に到着したあとなのだ。それはジェルドたちにも言える。
 当然、笹良がこうして気づいた点などギスタあたりはすぐさま察しただろう。ならば一刻も早くガルシアのもとに戻って報告しなきゃならないはずだ。ガルシアはまだ、交渉の場となったらしいダグのところにいるのかもしれないから。平然とした様子でいたが、内心はガルシアたちの身を案じてやきもきしているんじゃないだろうか。なぜなら、ギスタは確か、レッドと対談していた時、すぐにでも出航したいようなことを言っていた。そして、レッドたちに余計な工作はするなとも口にした。島の住人の中に裏切り者が潜んでいるかもしれないと警戒したのだ、きっと。
 くー、と笹良は内心で呻いた。いくら連結しようとも、海が広すぎるために、そして移動手段や連絡方法が限られるために、どうしたって海賊たちの動きは後手に回ってしまうのだろう。笹良の世界のようにメールで手早く連絡を、なんて方法がないのだ。くそっこの世界に携帯電話を流行させたい!
「大陸の者が海賊どもにちらつかせる餌は甘い。反して、我らの集結目的は、やむをえず、という理由にすぎず、なんらかの益と繋がるわけではない。崩れやすいのは我らの方だ」
 自嘲を見せるアサードの横顔に、焦りと悲しさを抱いた。夜風がアサードの髪を弄んでいる。
「時代の転換期を前にしているのかもしれぬ。淘汰されるのはやはり我らか」
「――だ、大丈夫!」
 立ち上がって拳を握る笹良に、遙か彼方に浮かぶ月を見つめていたアサードが目を丸くした。
「海は、海賊のもの。陸賊なんかに渡しちゃ駄目っ」
 立ち上がれ海の猛者ども、卑怯卑劣な手段も厭わず勝ち進め、と悪巧みをひそませて思わず熱弁したら、唖然としていたアサードが目尻に皺を寄せてゆっくりと苦笑を作った。
「お前、陸の豊かさを知っているのに、海賊を選ぶのか」
 無論! と厳かに頷き、腰に手を当てて誇ったら、アサードが声をあげて笑った。
「そりゃあいい。地の恵みを知る娘、この暗き海にも平穏を振りまけ」
 できるものならやるけどさ!
「うん、笹良、海に、荒れんなこんにゃろうって訴えとく。だからアサード、陸賊撲滅、ガンバってっ。きっとアサードならできる!」
 などと調子のいいことを口にし、視線を逸らしてごまかそうとしたら、ふいに身じろぎしたアサードに腰を引っ張られた。
 ぎゃっと叫んだ時にはもう、アサードの膝の上に乗っけられていた。それは懐かしい場所を思わせた。
「なるほどな、王の女とは、こういうものか」
 何?
「面白い。ただ追従するのみではなく鼓舞し、時に知を見せ、時に甘える。そして男を王にするための椅子を作るか」
 なんなのだ?
 仰天しつつ、アサードの様子を窺った。アサードは一度、海風に乱れた髪を無造作にかきあげ、それから笹良の顎に触れた。
「酔いも計算もなしに男を立たせ、いい気分にさせる女は貴重だ」
 こらっ猫のごとく顎を撫でるとはなんなのだ。
 ともの申して頭突きしたいところだが、なぜ急に本格的なお色気モードに入っているのだろう。いや、というか、覇気を取り戻した野性的な表情のような。よくわからんが、鬱屈状態から浮上して元気になったのか?
 戦きつつも、そのタラシな顔を見ていたら、実に憎らしい感じに笑われた。
「惜しいねえ、お嬢さん――これでもう少しな、全体的に色っぽけりゃあ」
 くそっ、全力で、成、敗、だ!

小説トップ)(she&seaトップ)()(