の町[5]

 ユージュの家は下級層の民がひしめく一画にあった。
 歪さが目立つ小規模の古い家屋で、そこにはもう一組の家族が同居していた。華やかな貿易都市の、裏側の部分に相当する貧しい暮らしぶりだった。土地代を浮かせるため複数の家族で共同生活を営むのだ。
「まあ、これは確かに、奇麗な子ねえ」
 ユージュと同居しているふくよかな体型の女が両腕を腰に当て、感心した様子でアヴラルを見下ろした。
 アヴラルは質素な部屋の作りを恐る恐る眺めていたが、初対面の女に長く凝視されたのが恐ろしかったらしく、慌ててシャルの腕にひたりとしがみついてきた。
 片腕にアヴラルをぶらさげつつ、シャルはお茶を用意するユージュの妹を観察した。リタルという名の小柄な少女は、ユージュの懸念が納得できる程、愛らしい顔立ちをしていた。漆黒の長い髪に、あどけない赤い唇が目を引く娘だ。年の頃は十三、四か。
 リタルはちらちらとアヴラルに視線を注ぎ、僅かに頬を赤らめた。初々しい反応に、シャルは苦笑が漏れた。
「安心なさいよ。豪勢な食事は出せないけれどね、あたしの妹は信頼できる子だから、ちゃんとその子の面倒を見てくれるわ」
 ユージュが照れもせずに妹を自慢した。余程リタルを溺愛しているのだろうと思う。……シャルと弟も、他人からはこのように仲睦まじく見えていたのだろうか。
 ふと懐古の帳をめくりかけた時――きゅっと腕が引っ張られた。意識を現実に戻し、視線を落とすと、アヴラルが無意識といった様子でシャルの腕を必死に掴んでいた。知らない人間が怖いらしい。
 あまりに必死で不安そうなアヴラルの表情に、シャルはなぜか胸を打たれる。置いていかぬ方がいいのか。本当に、この子を他人に預けて、大丈夫なのか。
「ちょっと、その顔、失礼よ。安心しなさいって言っているじゃないの。第一、その子に何かあったら、あんた、黙っていないでしょ。あたし達、一緒に行動するんだしさあ」
 そうだ。共に行動するからこそ、彼女の身内にアヴラルを預ける気になったのだ。ただ、今になって逡巡してしまうのはなぜか。アヴラルの気配に感化されただけならば、いい。
「そこまで疑い深いと、いっそ見事ね」
 シャルは呆れた。すぱすぱとまあ、好き放題言ってくれる。奔放な女だ。
「そろそろ行かないと」
 リタルから荷物を受け取ったユージュが、こちらへ目配せした。
 と、右腕が突然重くなる。アヴラルが命綱のごとくシャルの腕にはり付き、顔を押し当てている。
「アヴラル」
 離しなさい、という意味で名を呼んだが、アヴラルは石化したかのように動かない。反抗的というよりは、強く慕う気持ちが行動に表れているのだろう。
「……ねえ、向こうに滞在するのって、そんなに長い期間じゃないわよ。それに、狩りのない時は自由行動が許されているんだから、いつでも戻ってこれるし」
 ユージュからすれば、なぜアヴラルが今生の別れのごとく大袈裟な態度を取るか、理解できないのだろう。無論、狩りは危険を伴い、運が悪ければ命を落とす。それでも時間さえ調整出来れば、頻繁とまではいかないがここへ戻り顔を出すことも可能なのだ。
「アヴラル、良い子でいなさい。この人達に、迷惑をかけないように」
「……駄目ですか?」
 アヴラルは少し顔を上げ、まだ同行したいという思いを覗かせて、弱々しい声で懇願してきた。
「駄目。大人しく待っていなさい」
 溜息混じりに告げると、アヴラルの目に涙が浮かぶ。どうしてここで愁嘆場を……とシャルは頭痛を覚えた。しかし、今、怒鳴ったり手を上げたりすれば、アヴラルは精神的衝撃に耐えきれず再起不能になりそうだった。
 まさかこのまま置き去りにされるではと危惧しているのだろうか。全身で孤独を訴える魔の子。淡い色の髪が首元に落ち、光を弾く。幼い身でありながら豊穣な美を宿すアヴラルの存在だけが、周囲を退け鮮明に映る。あぁこの子はやはり人の中に埋もれることができぬ子なのだとシャルは絶望にも似た思いを抱く。突き抜けた美貌はまさに異形であるため埋没を許さず、見知らぬ場所に迷い込んだかのような違和感をもたらす。なんていう寂しさ。
 だからなのか。
 成熟の期が到来するまで身の安全を確保するために、保護欲を抱かずにはいられないくらいの稚く可憐な容貌に化けておくのが魔物の手管なのか。
 成長の手助けをする人間を引きつけるための愛らしさ――狡猾だと理解していてさえ、心が揺り動かされる。
 ごほっ、とユージュが軽く咳払いをしたお陰で、シャルは我に返った。内心の思いはどうであれ、傍観者の視点で言えば、シャルの様子は子供の身を大袈裟に案じ離れがたいと煩悶する馬鹿親として映るだろうと気づき、脱力しそうになった。絶対に嫌だ、その誤解だけは。
「怪我、しないですか?」
「しないしない」
 アヴラルはぐすぐすと泣き、シャルの腕を放さない。
 ……これは何というか、本当に魔物の手管と考えていいのか? そうであって欲しい、むしろそうでなければ困るとつい思ってしまうのはなぜなのか。シャルは背筋が寒くなってきた。
「帰ってきてくれますか?」
「当たり前」
 決死の覚悟、という顔をアヴラルはしていた。正直、ユージュ達の視線が痛い。
 アヴラルにしては珍しく積極的に両手を伸ばし、抱き上げてほしいという懸命な仕草を見せた。ここで突き放すと号泣されそうな予感があったので、シャルは素直にその身を抱き上げた。アヴラルはほろほろと涙を落としながら、シャルの首に両腕を巻き付け、寂しさを全身で表すようにしがみつく。呆気に取られているユージュと一瞬目があったが、微妙にいたたまれなくなり視線を逸らした。いや、私も辛い。
「アヴラル、もう泣かないように」
 その言葉が更に涙腺に触れてしまったのか、アヴラルがシャルの首にすり寄った。涙がぽたりと首元に落ちる感触があった。ある意味、この子は最強かもしれないとシャルは不吉な事を考えた。今後が恐ろしい。
「……寂しいです」
 目眩がする。生き別れになるわけではないのだ。少しの期間離れるだけで、時間があればいつでも戻れるというに。
「……分かった。なるべく顔を見せにくる」
「待っています」
「……そう」
「無事で戻ってきて、くださいね」
「……」
 精神的な疲労を感じて返事をしないでいたら、アヴラルは、んぐんぐと大きく嗚咽の声を漏らし始めた。もう助けてほしい。
「お願いです……」
「……誓う。約束する。戻ってくる」
 間近にアヴラルの瞳を見てしまって、シャルはうっと息を詰めた。こいつ、将来はとんでもなく女泣かせになるのではないかと余計な心配が生まれる。とりあえず、ぽんぽんと背を叩いてやり、心を落ち着かせてやった。
「……もう、いいかしら」
 複雑そうなユージュの声に、シャルは乾いた笑みを浮かべた。
 
●●●●●
 
 孔衛館に到着後、荷を解く間もなく、シャル達はまず鍛錬所へと案内され、手荒い挨拶で剣士達に迎えられた。
 新参者の力量を知るためと言えば聞こえはいいが、実際のところはこちらが女の身であることを見下し、少しひねってやろうといった案配に違いない暴力的な挨拶だった。どこの町にも、性別を理由にあからさまな嘲りと冷ややかな拒絶を示す者が存在する。
 血気盛んな剣士達を相手に、反撃の姿勢を見せるのは得策ではなかった。この場はあくまで剣士の補佐を務められるといった謙虚な態度で、自分の能力を売らねばならない。
 ゆえにシャルは、防戦に徹した。力で相手を打ち負かすのではなく、ひたすら鉄壁の防御を築く。剣士が根気負けするまで、粘り強く風の盾を作ったのである。シャルが持つ呪力の属性はどちらかと言えば攻撃型ではあったが、クルトの徒として活動していた過去、状況によっては守り手に回ることもしばしばあった。不規則な攻撃を繰り出す魔物と比較すれば、やはり人間の速度には限界があり、持久力の差も見過ごせない。防衛の呪術を操れることは、今後における自分の待遇を良くするだろうとシャルは考えた。
 そうして、ユージュには呪眼によって剣士の動作を鈍くさせる。――正直、殺意までは持っていない相手だからこそ、呪眼の威力が発揮されるのだ。仮にこれが魔相手だとした場合、効果の程は期待できない可能性が強かったが、この場において剣士達を納得させるには十分だった。
 力量比べを恙無く終えたところで、中にはどうあっても呪術師に反感を抱く者が存在する。毛虫を嫌がる女と同様、生理的嫌悪というものだ。こればかりはもう変えようのない事実なため、無視する以外仕方がなかった。
「シャルと言ったか? お前、慣れているな」
 幾分、場の雰囲気が和らぎ、シャル達も一応受け入れられた頃、鍛錬所の隅に座って様子を静観していた剣士が、ふと声をかけてきた。剣士というにはどこか雅な印象がつきまとう、若い男だった。
「お前の空気、浮ついていない。魔狩りの経験があるだろう?」
 シャルは荷を抱え、ちらりと視線を上げた。
「ああ、宿舎には俺が案内してやる」
 ならばユージュも、と思い、視線を向けると、彼女は他の剣士に囲まれ、親しげに談笑していた。美人で人懐っこいユージュゆえ、年若い剣士達が我先にと群がるのも頷けた。
「ユージュ。宿舎に行くが、お前はどうする?」
 一応声をかけると、ひらひらと手を振られた。先に行け、という合図だろう。
「ではシャル、来い。他の場所もついでに案内してやる」
 シャルに声をかけた剣士が薄く笑って、背を向けた。
 
●●●●●
 
 割り当てられた部屋へ向かう途中、食堂や浴場、武器具の収納倉庫などについての場所を剣士は説明した。
 剣士は、自らをキカと名乗った。血や汗を流して剣を必死に振るう側の人間には見えないが、他人の詮索をしてもいいことはないと思い直し、シャルは軽く首を振った。友人を作る目的で、臨時雇用に志願したのではないのだ。
 案内された部屋は、予想外に一人部屋だった。ユージュと同室になるだろうと勝手に思い込んでいたので、いささか面食らう。
「賄い方以外で女が狩りに参戦するのは少ないからな」
 キカが苦笑混じりに説明した。成る程、と思う。多少は優遇されているらしい。
 古びた狭い部屋ではあったが、一人で寝起きするのならば十分な広さがあった。とりあえず寝台さえあれば文句はない。
 シャルは持ち運んだ荷物を、寝台横に並べられている文机の下に置いた。その後、ふと気が付き、怪訝に思ってまだ扉に寄りかかっているキカを振り向いた。案内は終わったはずで、シャルにはもう用がなかった。
「到着してすぐに稽古する気はないだろう。飲みに行かないか」
 シャルは呆れた。するとキカは片手を腰に当てて、にやりと笑った。
「まずは互いに、情報交換といこうや。お前だってしばらく孔衛館に寝泊まりするなら、もう少し状況を把握したいだろう」
 異論はないが、こうもあけすけに互いの札を見せ合おうと提案されれば、別の意味で警戒心が芽生える。
「襲いはしないよ。お前の呪力を俺は評価している。個人契約を結んでもかまわないと思うほどには」
 シャルは肩をすくめた。世辞に舞い上がるほど純情ではないが、飲みに行くことには別に非を唱える必要もない。アヴラルの面倒を見ていた間、飲んで憂さを晴らす機会がほぼ皆無だったのだ。
「俺の部屋で――といえば、二度と誘えなくなりそうだな。少し遠いが、他のやつらの目を気にせず飲める店がある。そこへ行こう」
 軽い誘いに、シャルは微苦笑を漏らした。忘れていた感覚だ。クルトの徒であった頃、年配の剣士達にこういったくだらない冗談でよくからかわれたものだった。それは決して心地の悪いものでも、不快なものでもなかった。
 ――そういえば、キリムは無事だろうか?
 目の前のキカに懐かしい友の姿を重ね、シャルは少し目を細めた。
 
●●●●●
 
「参ったな。お前、酒に強い」
 案内された酒場で、数杯酒を体内に流し込んだあと、キカが苦笑混じりにシャルを指差した。
 シャルは軽く肩をすくめたあと、食卓に並べられたつまみの皿を自分の方へ引き寄せた。
「俺の目論みは潰えたなあ。お前を酔わせて、憩処にでも連れこもうと思っていたんだが」
 あっけらかんと白状されたので、目くじら立てて罵倒する気は起きなかった。
「それは悪いね。飲み比べには自信がある」
「へえ。魔狩りよりもか?」
「さあ」
 シャルは小さく笑い、カンの実と呼ばれる酒のつまみを指先で弄んだあと、口の中へ放った。
 酔っていないわけではない。久しぶりの酒が体内に染みこんでいるため、僅かに精神の一部が浮遊しているかのような鈍い感覚がある。けれどシャルは自制を心がけている。狩りの夜を繰り返し重ねていく内、正気を失い足元が覚束なくなる程酩酊することはなくなった。
 そうだ、酒の力を借りて眠ったのは、狩りに慣れぬ最初の間のみだった。毎日が恐ろしくて恐ろしくて、震える身体に無理矢理多量の酒を流し込み、嘔吐しながら眠った夜。今はもう、全てが遠い。
 キカは食卓に頬杖をつき、感情の窺えぬ微笑を浮かべて、ぼんやりと酒杯を回すシャルを見ていた。
「美しいな、お前」
 シャルは片眉を上げただけで、返答しなかった。容貌の美を問うならば、ユージュの方が優れている。
 キカが腕を伸ばし、剣の身を検分するかのような慎重な手つきでシャルの顎を取った。酒のせいで触れられた場所が敏感になっている。しばらくの間、好きなように触らせたが、キカの指が唇を押さえたところでシャルは軽く首を振り、その手を払った。どうしてか、自分でも理解できぬ後ろめたさに襲われたのだ。
「何だ、誰かのために貞潔であれとでも?」
「違う。目的は酒と、情報交換のはずだろう」
「つれないな。思わせぶりな態度は毒だ」
 奇妙な男だ、とシャルは思う。誘いの言葉を放りながらも、口調は決して熱心とは言いがたい。一見華があるようだが、どこかが乾いている。
「お前と組みたいな」
 キカが薄く笑って、食卓に腕を乗せ、そこに頭を乗せた。視線だけをちらりとシャルの方へ向ける。
 酒場内は程よい混み具合で、時折、調子の外れた男達の大声が上がった。ざわめきの中でも、キカの声は不思議と耳に心地よく滑り込んだ。
「決めた。お前と組もう」
「何の話」
「狩りの話に決まっている。他の付き合い方を期待したか?」
「二人で一組なのか」
「そうであるとも言えるし、違うとも言える。大体、六人で一封とするのが通例となっているが、その中でつがいを決めるのさ。つまり、お互いに助け合う奴を。特に女が参加した時はな」
 成る程、とシャルは納得した。クルトの方針とは異なるがそういった暗黙の取り決めは耳にした事がある。封(ほう)、とは少人数で編成された戦闘部隊と同義であり、地域によっては、武、団、とも言う。大抵の魔は一人では狩れないため、複数の封を結成し、多人数で追撃するのだ。報酬は個人の活躍の差ではなく、封全体の働きを計算し支払われるが、寄せ集めの兵の場合、そこで必ずと言っていいほど揉め事が発生するのだった。狩りに精通している者は特に、仲間がどれだけ熟練した技量や力量を持つか神経を尖らせる。たとえ己の能力値が抜き出て高くとも籍を置く封が狩りに失敗すれば、報酬にはありつけない。こういった理由により、経験が浅く足手まといになる者は仲間内から白い目で見られ、荷物扱いされる。酷い時には刃傷沙汰にまで発展する。一封の中で「つがい」を作るのは、迅速な作戦遂行が目的の一つではあるが、実際は連帯責任の意識を与えること、何より仲間同士の殺し合いを防ぐための、苦肉の策に他ならない。
「だが、私と組むと言っても、こちらで勝手に決められることではないだろう?」
 兵の間で勝手に決定できるのならば、誰だとて強く頼れる者と組みたがるだろう。そこでの諍いを防止するため、上の者が兵の能力を判断し指名するのだ。
「俺の勘は当たる。俺は、お前と組む」
 シャルは呆れた。この男、恐らく上の連中に融通を利かせる手段を持っているのだろう。
「なあシャル。俺はお前の能力については疑わないが、他の面ではどうかな」
「何が」
「お前の連れ――どうなるかな」
「――」
 シャルは舌打ちしそうになった。昼間の鍛錬所で、ユージュの力量が危ういと気づいたのか。
「お前、いざという時は庇う気だったのだろうが、そりゃお人好しどころか愚劣というものだ」
 自分の軽率さと甘さを冷笑されて、シャルは唇を引き結んだ。
 分かっている。ユージュの呪力は、足りない。剣の技量については分からないが、男に比肩できるほどの腕ではないだろう。呪力を頼りとせずともよいくらい剣技が優れているのならば、シャルを利用する必要はなかったのだから。
 それを理解しても尚、シャルはユージュを拒まなかった。
 ――妹のために。
 ユージュが放った言葉が、胸の中で重たく主張している。
「……キカ、お前は上の者に顔が利くのだろう?」
「ご免だね」
 全てを口にする前に、冷たく拒絶された。
「狩りは女の遊びではないぞ、シャル。人形遊びとはわけが違う。どれほど美人であろうが、足手まといを仲間に率いれてもよいとするほど、俺は腐っていない。己の命をむざむざ危険に晒す気はないのさ」
 シャルは溜息をついた。キカは、思う以上にまともであるらしい。
「お前が盾になるなどという愚かな案も却下だ。何のために術を行使するのか。狩るためであって、他人の力不足を周囲の目から隠すためではない」
 キカの眼差しが、恐ろしく冷酷だった。
「それにな、シャル。いくら俺が働きかけても、同じ封に二人の呪術師は加えられない。圧倒的に呪術師の数が不足しているんだ。諦めろ」
 シャルはこめかみを押さえた。どうする。封を結成して狩りをするとは考えていなかったのだ。中途半端に整備された部隊というのは、始末が悪い。
「――お前って、よく分からない術師だな。達観しているかと思えば、意外に世を知らず、疎い」
「何だそれ」
 侮辱されたと思い、シャルは声こそ荒げなかったものの、視線を上げた。キカの哀れむような眼差しとぶつかる。
「お前の連れ、そんなことはとうに承知と見たがな。生き残る方法が、なくもないだろ」
 今度こそ、シャルは音を立てて舌打ちした。キカが何を言いたいか、分かったのだ。
 ――ユージュ。初めから、そのつもりで。
 狩りを終えて、懐が潤った兵達の相手をする目的で来たのか。
 シャルは静かに息を吐き、指を組み合わせた。
「やはり、お前、毛並みの変わった呪術師だな」
 出会ったばかりの男に揶揄されるほど、自分は心の一部が温くなったようだ、とシャルは悟った。
 正義の裏には打算の影がちらつき、奇麗事ではすまされぬのが世の理。
 だが、なぜかアヴラルの透明な瞳が脳裏に蘇る。
 あの子に感化されたのかもしれない、とシャルは思った。
 心は柔らかく、目に映るものも映らぬものも同様に美しいと、信じる瞳。
 美しいものを信じる心は弱いのか、とシャルは自問したが、答えは己の内にない。



|| 小説TOP || 砂の王TOP ||  ||  ||