砂の町[6]
モルハイの西南部側を迂回する形で敷かれた交易路及び北北東部の商道にて魔物の襲撃があったとの報告を受け、狩りの参戦を命じられたのは翌々日の、朝鳥が丁度目覚める黎明時だった。
孔衛団ではモルハイに確かな籍を置く者達で占められた正規の兵とは別に、一定期間の雇用契約を結んだ臨時兵達が存在し、数人ごとに封を結成する事が義務づけられている。
正規兵達の主な任務は比較的安全なモルハイ内の巡察と警備であり、盗賊の警戒や魔物追撃など危険を伴う仕事には雇われ兵があてがわれる。
収穫の季節は魔や獣達の繁殖期とも重なっているため、砂漠を巡回する行商人達にとっては生死に関わる深刻な問題であり、また狩りは通常期より熾烈をきわめる。多数の人員を投入しても出産期をひかえて気が荒ぶった獣を仕留めるのは至難の業と言われているのだ。人死にが最も多く出るのもこの季節で、特に魔は収穫期を狙って道々に出没し、よく人や家畜を食らう。
状況を理解している慎重な剣士はたとえ優れた戦闘力を持っていたとしても余程の切迫した事情がない限り、収穫期の狩りを敬遠する。通常より倍額近くの報酬をちらつかせなければ、収穫時期の狩りに二の足を踏む剣士を引き止められない。
シャルのような呪術師が上の者に優遇されるのも当然だ、と出撃の知らせを持ってきたキカが苦笑混じりに言った。
シャルは手早く参戦の準備を整えながら、昨日の出来事を振り返った。
キカの宣言通り、シャルは同じ封に配属された。ユージュは別の封に加えられていた。
緑と紫は上色とされ、正規兵と決まっているので、他の色がシャル達に与えられた。黒封、赤封、青封というように。シャルとキカは黒封で、ユージュは赤封だった。
一封は六人で編成され、およそ三封で狩りに赴く。ちなみに呪術師がつく封は、少ないという。そのため、異論を差し挟む間もなく問答無用にシャルは猊師として任命された。猊師とはいわば指揮官を補佐する軍師のような存在だが、大仰な役名でありながらも、その階級が報酬を左右することはない。シャルに言わせれば、益もないのに責任だけを背負わされているのと大差なく、実にありがた迷惑な話だった。そもそも寄せ集めの傭兵達の間で、猊師も何もないと思う。このような役名一つで兵達の士気が高まると勘違いされているのならば、笑止の至りだった。
倦怠感を更に強める事がもう一つ、ある。
黒封の指揮を取るのが、キカなのだ。
何とも腹立たしいことだが、シャルは昨日の剣の稽古で、一切の手加減もなく完膚無きまでにキカに打ちのめされた。シャルの剣技はそれほど卑下するものではないはずなのに、全く歯が立たなかったのだ。しかも本気を出していないのは明白で、余裕すら漂わせていた。
素直に認めるのは口惜しいが、渡りの傭兵などに甘んじているのは勿体ない程の腕前だった。溜息も出るというものだ。
「何だよ、まだ昨日の稽古を根に持っているのか」
シャルは支度を終えたあと、入り口の扉に寄りかかっているキカを胡乱な目で見た。
八つ当たりをして喚き立てるほど幼稚ではないが、面白くないと思うのは当然だ。
「行こうぜ。ああ、残念だが、赤封はこちらに同行しない。向こうは商道に出現した魔物退治に回された」
シャルは咄嗟に怒りを覚えた。この男、恐らくわざと、ユージュが配属された部隊を引き離したな。
「丁度よかったろ。お嬢さんが傍にいれば、お前は必ず集中力を欠いたはずだ」
キカの冷たい笑いが憎らしい。
「それはお前の命だけではなく、俺達をも危険に晒す」
シャルは内面の思いを表に出さぬよう、無表情を取り繕った。
「弱い者ほど、いらぬ世話を焼きたがるのさ。それが己の使命だとご大層な勘違いをしてな」
シャルは薄く笑った。
「今のお前のようにか?」
キカの横を通り過ぎる時、そう呟いた。せめてもの意趣返しに。
しかし、子供じみた自分の応酬に、嫌気が差した。八つ当たりできるアヴラルがいない、とシャルは更に苛立ちを募らせた。
●●●●●
キカ率いる黒封と白封、黄封部隊は、モルハイに繋がる交易路の途中に出没した魔物を退治するべく、権力者と兵士達のみに通行が許可された裏門を通って石壁の外へ出た。
魔物が出現した場所までは、およそ十二テルロー(※注記)だという。近い。何としてでもそこで魔物を食い止めねば、モルハイは甚大な痛手を被るだろう。
目撃情報によると、現れたのは一枚羽根を持つゴドーという呼称の魔であるらしい。小柄ではあるが、それは魔物の中ではという意味で、体躯の大きさは成人男性と変わらない。力量的には仕留めるのに困難というほど強大な魔力を有しているわけではないが、ゴドーは必ず十体一組で出現するという厄介な習性があるのだった。更に言えば、その性は浅ましく、特に女を嬲り殺すのを好んでいた。
ゴドーの群れは、モルハイを目指して交易路を進んでいた商隊を襲った。襲撃された商隊にとっては不運であったが、それでも、数人の剣士を同行させていたらしく逃げ果せた者がいた。
従寄を駆って砂地を突き進む途中、シャルの隣に呪術師らしき壮年の男が並んだ。白髪ではなく、灰色をしていた。この痩躯の男は黄封に配属された証として、手首に黄色の飾り糸を結んでいた。白封には、呪術師がいない。
「あんたと俺で、ゴドーの動きを封じ仲間を援護する。いいな、風使い」
シャルは従寄の手綱を操りながら、男を一瞥したあと無言で頷いた。
三部隊も投入されるということは、かなり厳しい状況と見ていいのだろう。恐らく、出現したゴドーは一番力を発揮する成熟期を迎えているのに違いなかった。
前方を駆けていたキカが従寄の速度を調節し、シャルの右側へつけた。入れ替わるように、呪術師の男は黄封の指揮官の隣へ戻った。
部隊の長同士が顔を突き合わせて作戦を練る悠長な時間はなかったため、道中で打ち合わせるのだ。
「まずは白封が先発を務めるだろう。お前はゴドーの魔力を警戒しろ。余力と暇があれば、俺の援護も頼む」
余力と暇。
適当なキカの台詞にシャルは呆れた。
かなりの速度で移動中だというのにキカはこちらへ身を寄せ、シャルにだけ聞こえる声で囁いた。
「白封の長は、愚かさ。手柄を独り占めしたいようだぜ。従わざるを得ぬ仲間は哀れだな。確実に食われる」
おい、と思わず叱責したくなった。
視線を前方に移すと、白封部隊の者達が、他の封を置き去りに随分先を駆けていた。
「で、美味しく人肉をいただいて動作が鈍くなった満腹のゴドーを俺達が狩るわけだ」
にやりと人の悪い笑みを顔にはりつけるキカを、シャルは思わず半眼になって見返した。
「俺も黄封の長も、白封の長とは相性が悪くてねえ」
こいつはわざと、白封を先にゴドーと衝突させるつもりなのだ。一見、手柄を白封に譲った形だが、彼らだけでは狩れないとキカは推測している。まず白封に危険な橋を渡らせ、打撃を受けたゴドーをあとから悠々と退治する算段なのだろう。
舌打ちしかけた時、前方で轟音が響き、砂埃が舞い上がって白い壁を作った。
「お手並み拝見」
キカが嘲笑と共に吐き捨てた。
●●●●●
キカの予想通り、無惨な光景が広がっていた。
ゴドーの数は全部で二十体。つまり二組。
魔物と白封達が暴れ回ったために、粒子の細かい砂が埃のように舞い上がり、薄い霧と化して視界を悪化させていた。シャルは素早く視線を巡らせて、息のある白封の剣士が存在するか確認した。一人。地面に伏しているが、命が危ういという程の怪我はなさそうだ。全滅は免れたらしいが――それにしても凄惨な光景だった。
ゴドーにはらわたを咀嚼されながらも、時折ぴくりと痙攣する白封の剣士の姿が目に止まる。鍛錬所にて、シャルをいつまでも睨みつけていた男だ。
「おい――とてもこの人数じゃ狩れねえ。応援を呼ぶべきだ!」
シャルの背後に従寄をつけた黄封の一人が、小声で強く訴えた。その男が発する怖気が、波紋のごとく仲間へと伝染する。臆病者だと罵るのは容易いが、確かに、誰も二組のゴドーが出現したなどとは考えていなかった。一組ならば、犠牲は出るだろうが狩れたかもしれない。
「間に合わないさ――見ろ、化け物は俺達を食らう気でいるぜ」
キカがこの場の緊迫感を無視して、笑い含みにそう言った。キカの言葉通り、ゴドーの視線は既にこちらを貫いていた。
「俺がモルハイに戻る!」
応援を頼むべきだと訴えた男が、恐怖を滲ませた声で叫んだ。ざわりと空気が動く。一人だけ安全な場所へ逃げ出そうとする者への、怒りと焦燥感。何ていう結束力、とシャルは内心で呟く。さすがは寄せ集めの兵達だ、簡単に仲間を置き去りに出来る。
「……行け。お前のような怯懦な者はいらん」
嗄れた声で冷たく言ったのは、がっしりとした体躯を持つ黄封の指揮官だった。重く、揺るぎのない声を聞いて、この中では頼りになるかもしれないとシャルは判断した。
「シャル――お前、やれるか?」
ふとキカが、真剣な声音で囁いた。
シャルは笑った。
「当然」
死ぬ気はないのだ。
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ゴドーの動作は、一級の腕を持つ剣士に相当する。
四肢の構造は人間と大差ないが、全身が暗い黄土色をしている。髪が生えていない代わりに、五本の雄牛めいた角がある。そして背から伸びる一枚羽。高くは飛翔出来ないが、それでも厄介ではあった。
封の者達がそれぞれ武器に手を伸ばした瞬間、一組のゴドー達が一斉に襲ってきた。
シャルは封の者達全員を守護するだけの、巨大な風の盾を作り、突進してくる一組のゴドーを弾いた。体当たりされた衝撃で、火花と共に風の盾が消滅する。次に、後方で待機していたもう一組のゴドーが羽根を広げ、先程と同様に突進してきた。その攻撃を予期していた黄封の呪術師が護符をもって大気を硬化させ、ゴドーを阻んだが、数体、見逃してしまう。
シャルが風の矢を放つより早く剣を勢いよくふるったキカが、従寄から降り立つと同時に、接近したゴドーの脇腹を突き上げるようにして斬り裂いた。
別の場所から誰かの絶叫が響く。一人、犠牲になったのかと思ったが、振り向く余裕はない。
どうする。散り散りに離れてしまうと、仲間に守護の風を与えられない。けちくさい考えを持たずに前もって一人一人、守りを与えておくべきだったか。しかし、この人数に守護を授けるのは、流石に骨が折れる――。
仕方ない。別の方法を取るか。
シャルは目前に迫ったゴドーを吹き飛ばしたあと、己に風の衣をまとわせ、離れた場所に転がる白封の無惨な遺体に向かって低く駆けた。
「逃げるのか!?」
黄封の誰かがこの状況でシャルの行動を見ていたらしく、糾弾の声を上げた。
シャルは返答せず、ゴドー達の間をすり抜けるようにして仲間の屍に接近する。
――血は触媒となる。
屍の元に到着したあと、シャルは一度キカへ視線を走らせた。
少し、持たせろ。そういう意味をこめて、キカの目を強く見つめる。交錯したのは一瞬。だが、伝わったらしい。キカは一体のゴドーを斬り伏せたあと、仲間へ合図を送った。キカと黄封の指揮官の間ではある程度連携が取れているらしく、全員を素早く後退させる事に成功した。
「時間を稼げ!」
シャルを見て戸惑う者も中にはいたが、指揮官の命令に全員が従った。黄封の呪術師がシャルの意図を察して、もう一度大気の硬度を変化させる。
シャルはその間に、屍の無惨に裂けた腹部へ手を突っ込んだ。
死人の血だと、僅かに効力は落ちる。
シャルは人の血をもって、因の四界を構築するつもりだった。因の四界は一種の聖域であり、その中に捕えた魔物へ圧力を与える事が可能だ。それで魔の動きを格段に鈍くし、魔力をある程度封じられる。
死者に対する冒涜とは思わないし、また利用することへの罪悪感もない。魂が去った肉体に敬意を払う場面ではないのだ。
――踊れ、血の因。
シャルは手に付着した死者の血を少し舐めて、体内に取り込む。そうして内在する呪力に馴染ませ、この血を従属させる。
血と呪力が解け合った頃合いを見計らい、もう一度、シャルは死者の腹部へ手を入れた。
その時、ゴドーが苛立ち紛れに放出した魔力の塊によって黄封の呪術師の護符が裂け、吹き飛ばされる姿が視野の隅に映った。砂地に倒れた呪術師を狙って飛び込んでくるゴドーの脇に入ったキカが、一枚羽の先端を斬り落とす。他のゴドー達が再び群れて、襲撃を始める。
「まだかっ!」
煩い。
胸中で一蹴した時、死者の身体がぴくりと揺れた。
――祖と終焉の愚者の息吹によって編まれた因の呪。面倒なことだ。長い言霊は始まりではなく終わりから、逆さまに紡がなくてはならない。呪法はどうもシャルの肌に合わないのだが、仕方ない。
沸き立ち、律を揺るがせ、血の鬼炎達。
脳裏に描かれた因の配列を声に乗せた瞬間、風と大気が一斉に沈黙した。
誰もがはっと凝固する。温い重圧。
行け。
念じると同時に、死者の血肉が飛散した。
四方八方に散る無数の鮮血の雫が、虫のごとく砂地を駆け回る。気味の悪い光景だ。
血の虫は砂地を好き勝手に巡ったあと、魔物と人間を取り囲むように大きく正方形を描いた。ゴドーが金属音的な威喝の声を上げて飛び退いたが、既に術は成されたあと。
強固な結界の膜が解放を許さない。
「見事!」
キカが、一度、高らかに笑った。
それを合図に、魔物退治が再開された。
因の重圧に四肢を束縛された魔物達にとっては、それは殺戮の始まりだった。
――最終的に、八人の死者を出したが、狩りは成功した。
(注記:1テルローは、1kmです)