砂の町[7]
「ほらシャル。お前の分け前さ」
ゴドーの首を斬り落としたキカが、剣の先で器用に目を抉り取ったあと、シャルに放って寄越した。
ゴドーは、赤眼を持つ。
魔物の目、心臓、血は、価値を知る者の間では高値で取引される。孔衛団からの報酬とは別に、魔物退治ではこういった貴重な戦利品を得られるのだ。
シャルは内心、複雑な感情を抱きつつも、放られた魔物の赤眼を呪布で包んだ。
「血も抜いておくか」
いつの間に吸引器を用意したのか、キカが魔物の肉体を手早く切り裂き、血を抜き取っていた。
よどみのないキカの仕事ぶりと強かさを目の当たりにして、この男はもしかするとシャルよりも魔狩りに精通しているのだろうと思った。
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ともかく、与えられた分の仕事はこなしただろう、とシャルは思った。
孔衛館に戻る途中、誰もが狩りの余韻を体内に残していたため、交わされる言葉はなかったが、疲労感とは別にひどく神経が高ぶっているのが分かった。
戦死した剣士の遺体については晩土(ばんど)という呼称を持つ専門の始末屋に託す。通常の土葬は許されない。魔物の毒を身の中に蓄積している危険性が考えられるため、必ず火葬せねばならぬという規則がある。
帰還後、孔衛団の上官に結果報告をして報酬を受け取る。それが済めば自由時間となり、怪我の手当てをする者、早々と休む者、娼婦の館へ潜り込む者と様々だったが、シャルは軽く湯を使ったあと、部屋へは戻らずに共同食堂へ足を向けた。ユージュの方はどうだったのか、とりあえず気にはなったのだ。
だが、余計な気の回しは失敗だったと後悔した。
先刻、共に魔狩りを経験した、黄封に名を連ねる男が、馴れ馴れしくシャルの前に座ったのだ。
シャルは一人で食卓につき、果物を搾った甘水を口にしていたのだが、その男以外にもちらちらとこちらを窺う者がいた。
顔に出すほど愚かではないものの、正直、シャルは不機嫌だった。
「なあ、お前、凄いじゃないか」
そりゃどうも、とシャルは胸中で皮肉に思った。
「女で、それだけのよ、呪法を操る奴は見た事がねえよ」
では己の無知さを振り返り見聞を広めたらどうだ、と言えるのならばどれほど小気味好いか。
「お前、どのくらい金を貰った?」
馬鹿かこの男、とシャルは杯を食卓に置き、冷たい目で見返した。他の封の者も食堂に詰めかけてきているというのに、素直にぺらぺらと白状するわけがないだろう。
「な、幾つ貰ったよ? 五百ラレィ(※注記)か、七百ラレィか?」
しつこい奴だな、とシャルはうんざりした。何なのだ、こいつは。
「俺なぁ、怪我してよぅ、まずいんだよ」
男は右腕を持ち上げ、盛大に顔をしかめた。大袈裟にまかれた白い包帯を、シャルは一瞥した。
「仕送りしなきゃいけねえのに、これじゃ仕事にならねえわな」
男は情けないほど眉を下げ、媚びた目つきでシャルを見つめた。ふんだんに悲愴感を漂わせた声音が鬱陶しいとシャルは内心、苛ついていた。
シャルの心情などおかまいなしに、男は無精髭が目立つ薄汚れた顔を接近させ、乾いた唇を一度指で乱雑に拭って、すり寄るような笑みを見せた。笑いの形を描く目の奥には、生温い貪欲な光が瞬いている。汚らわしい、とシャルは嫌悪を覚えたが、顔を背けることはしなかった。何かしらの反応を少しでも表せば、骨まで食いつかれそうな予感があった。
「お前、まださ、狩りを続けるんだろ。呪術師だものな、まだやれるよな。なあ、そうだよな?」
頭痛がしてきた。募る嫌悪感を宥めるためにシャルは視線を周囲に流す。いつの間にか隣の食卓にキカが腰掛けていて、こちらの様子を観察していたようだった。視線が交差したが、次の瞬間、キカは何事もなかったかのように無関心な表情を浮かべ、顔を背けた。
かまわない。助けを期待していたわけではない。
ただ、盗み聞きされて、話の種にされるのは腹が立つ。
「まだやるんだよな、狩りを。やるよな、呪術師だよな」
男は幾度も執拗に言葉を重ねてくる。まとわりつくような声音に、戸惑いよりも怒りを覚える。ここで挑発に乗れば突き放す機会を逃す可能性が高いので、もうしばらくの間、耐えるしかない。
「な、頼むよ。少しでいいんだよ、どのくらいってぇのはまかせるからよ、少し、少し貸してくれよ。恩に着るから」
男は恥も外聞もなく繰り返す。呪術師だからまだ狩りを続けるだろう、と。
「俺、こんな腕で、もう狩りは続けられないだろ? ちょっと休まなきゃなあ。だが仕送りがよ。俺のために言ってるんじゃないぜえ。家族が、なあ? お前もそう思うだろ、なあ?」
何を思えと?
シャルはゆっくりと瞬いた。お涙頂戴の苦労話に弱い女相手ならば不憫な家族に同情を見せるだろうと、そして狙い通りに金をせびれると高をくくっているのか。
高潔な魂など今更求めないが、煩わしいのは許しがたい。
「頼むよ、家族のためなんだよ。お前、結構貰ったろ? それだけの術が使えりゃ、次も十分稼げるだろうがよ。いいじゃねえかよ、少しでいいんだよ」
シャルは無言で首を振った。一度同情を見せれば最後、簡単に組み伏せることができると判断され、今後もたかられる。
「困ってるんだよ。お前、冷てえなあ、おい。困ってるって言ってるだろうがよ。俺が狩りで死んだらお前のせいだよ、分かるかよ、なあ」
全身が敏感になるほど、周囲の視線を感じた。成り行きを見守って嘲笑う者、呆れる者、嫌悪する者。いずれもシャルを救おうという気はない。誰もが余計な真似をして災いが飛び火するのはご免だと思っている。
シャルは無感動に冷めた眼差しだけを男へ向けた。言い返せば、悪意よりもたちの悪い言葉の鎖に囚われる。
「魔物のような血が流れてる女だな。人助けも出来ねえかよ、女のくせに。こっちは頭下げて頼んでるんだ」
男はまだしつこく粘着質な目でシャルを見つめている。
――ユージュ。
食堂の入り口に目を遣った時、そこに立ち尽くすユージュの姿を発見した。疲労を漂わせた表情だった。目が合うと仇相手であるかのように激しい目で睨まれたが、決してこちらに近づいては来ない。ユージュもまた、他の剣士達同様、揉め事に巻き込まれるのはご免だと警戒している。
しかし、なぜ刺し殺されそうな目で睨まれねばならないのか。
シャルは怪訝に思って、軽く眉をひそめた。するとユージュは、シャルの表情に怒りを覚えたらしく責めるような顔をしたあと、大仰な仕草で顔を背け、くるりと踵を返して去っていった。
「――な、ならよ、剣をくれよ。お前、呪術師だろ。なのに良い剣を持ってるじゃねえかよ。俺の剣、刃こぼれしちまって、もういけねえんだよ。なあ、あとで返すから、替えてくれよ」
この男はどれほど卑しいのか。
まだ何かを漁ろうと必死に狙う目の前の男を、シャルは静かに見返した。かすめ取れる物ならばたとえ屑でもかまわぬというほどの欲深さに、シャルは少し寒気がした。皿に付着した食べかすまでもを舐めとりそうな、見境のない強欲。周囲の視線やこちらの思惑などに対して、一切配慮はない。男の毒気に当てられ、気分が悪くなる。
「や、じゃあな、見せてくれよ。剣をよ。減るもんじゃないんだから、見るくらいいいだろうよ。いい剣だよな、お前、高価な剣を持っているよな。他に何を持ってるんだよ。見せてくれよ。使ってない武器もあるんだろ、なあ」
これ以上男の声を聞いていたら、苛立ちのあまり手加減なしで吹っ飛ばしてしまいかねないとシャルは危惧した。怪我を負っていないとはいえ、慣れぬ呪法を操ったためか身体が重い。休息を求める時にまで、面倒事に首を突っ込みたくはなかった。我慢しきれなくなったのだ。
「――呪術師の剣に触れたいと?」
シャルは薄く笑った。
男がにやけた笑いを消し去り、濁った目でシャルをまじまじと見返した。
「呪の言霊をまとわせた呪術師の剣に、触れたいのか」
興味本位に耳をそばたてている剣士達にも聞こえるよう、シャルは囁き声ながらも滑舌よく言った。
「呪いを受けてもいいのか?」
脅すと同時にシャルは立ち上がり、男を一瞥した。男は何も言わなかった。だが、食堂の出入り口へ向かった時、シャルの背に小声で罵詈雑言を浴びせてきた。女のくせに。本当は餓えているくせに。折角相手をしてやったのになんて言い草だ。守銭奴。お前が呪われろだの、気味が悪いだの。
もういい。こういう輩を説得出来る台詞を、シャルは知らない。
胸の中に不必要な汚濁を詰め込まれた気分だった。
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「ユージュ」
ユージュの部屋の扉を、シャルは軽く叩いた。
不在ではない。室内には確かに人の気配がある。
「ユージュ」
もう一度、辛抱強く扉を叩く。
しばらく後、ようやく扉が細く開かれ、不機嫌な顔をしたユージュが姿を見せた。
「何よ?」
中に招いてくれる気はないらしい。シャルは小さく吐息を落とした。
「――怪我は?」
「何しに来たのよ?」
なぜこうまで喧嘩腰なのか。噛み付かれる覚えは全くない。
「様子を見にきただけ。無事なら、それでいい」
シャルは全てが面倒になってきた。ユージュの世話を誰かに頼まれたわけではないのだ。
「自慢しに来たわけ? そんなに見せびらかしたいの」
「……はあ?」
気色ばむユージュの険しい表情を、シャルは見据えた。何の話だ。
「何よ、あんたのせいじゃない。自分ばかり美味しい思いして」
「何を言いたい?」
「何で助けてくれないのよ」
「待って。何を助けるって?」
意思の疎通をはかれていない。ユージュが何に腹を立てているのか、さっぱり理解できなかった。
「自分勝手ね。あたしに呪力が足りない事、あんた十分承知しているじゃないの。それなのに、どうして他の封に入るわけ? 孔衛館に潜り込ませてやったんだから、あとは自分で何とかしろって言いたいの? あたしはお荷物なわけ」
矢のように鋭く紡がれる非難の言葉に、シャルは唖然としてしまった。
「……呪術師の数が足りない事はユージュも知っているじゃない。同じ封には籍を置けない」
「言い訳じゃないのさ。あんた、何も働きかけてくれなかった」
確かに――行動を起こしはしなかったが。
「あんたに裏切られたせいで、こっちは散々。笑いにきたんでしょ?」
「笑いに?」
ユージュは長い髪を乱暴に払って、きつい目でシャルを睨みつけた。
「そうでしょ、あんたの方はうまくいったんでしょ。大いに活躍して、皆に認められて、報酬も余分に貰えてさ」
「――」
「あたしはどうなるの。呪力なんて――呪眼なんて、魔物に対抗出来るはずないじゃないの!」
僅かに肩を震わせて激高するユージュを見下ろし、シャルは言葉を失った。
「死ぬかと思ったわよ。使えない呪術師だって見放されて、罵られて。よく生きて戻ってこれたわ、あたし。でも妹の所にはまだ帰れないのよ、ねえ、分かる?」
唇を噛み締めて悔しげに涙を浮かべるユージュの言葉が、突き刺さる。
「――ユージュ」
「もう、どうすればいいのよっ!」
ユージュは震える声で吐き捨てた。
「それなのに、あんたって人は……あたしのことは助けてくれないのに、他の男には報酬を分けてやるの? 何で? あたしの事、そんなに嫌い!?」
「違う、誤解してる」
食堂で男に絡まれていた様子を、ユージュはそのように受け止めていたのか。
シャルは溜息を殺したあと、扉の縁に額を押し付けて涙を堪えるユージュの肩に触れた。
「無責任! 酷い女!」
こちらを向かせようとした瞬間、ユージュが感情の入り乱れる顔を上げ、シャルの腕や肩を乱暴に叩いた。
さすがに、感情的になった女のあしらい方など、シャルが知るはずもない。
「分かったから。悪かった」
「今更、何よ!」
どう落ち着かせればいいのか、方法が分からない。とにかく――アヴラルを宥めるのと同様の要領でユージュを抱き寄せ、強張っている背をゆっくりと撫でた。
「馬鹿みたい、あんたなんか、頼るんじゃなかった」
「――」
シャルは胸中で渦巻く言葉の数々を全て封じ、ユージュの気が落ち着くまで背を撫で続けた。
ユージュも湯を浴びたあとなのか、仄かに香湯の甘い匂いが漂っていた。
「……恐らく、封の変更は難しい。だから、守護を授ける」
ユージュから身を引き、シャルは低くそう告げた。
疑い深げなユージュの顔を見返し、シャルは耳飾りに注目した。
「普段身につけている物に守護を吹き込んでおく。これで、多少は魔物の息吹を跳ね返せる」
シャルは説明しながら、ユージュの耳飾りを手早く外し、また慣れぬ呪法を紡ぎ上げる。狩りの後でまともな休息を取っていないため、汗が滲むほど呪力が消費されてしまうが、不平を零すわけにはいかなかった。
「これでいい。肌身離さずにいること」
「……これだけじゃ、どうしようもないじゃない」
拗ねた声音でユージュが毒づいた。
「剣は得意?」
「どうせ腕力ないわよ」
「鞭は」
「まだ、そっちの方がまし」
シャルは頷き、腰に下げていた鞭を外してユージュに手渡す。確かに剣よりは腕力を必要としない武器なので、ユージュには使いやすいだろう。
「……同情したわけ?」
シャルは返答しなかった。否定しても、肯定しても、深読みされて機嫌を損ねるに違いなかった。
これまでの話の内容からして、ユージュの封は魔物退治に失敗し、報酬を得られなかったのだろう。
だが、シャルが得た金をここで差し出すのも奇妙な話である。今の状態では施しとしか映らず、侮辱と受け取られて益々頑になりそうだ。
「……もう、いいわ」
ユージュが突慳貪に呟いた。心を閉ざした眼差しのまま、帰れ、という気配を漂わせている。
シャルは苦い感情を抱えたまま、ユージュに背を向けた。
通路を曲がる時、シャルはふと振り向いた。
ユージュの部屋を誰かが訪れ、そして扉が閉ざされた。
(注:一ラレィは日本円に換算するとおよそ百円。発行されている硬貨は次の通り。一ラレィ。五ラレィ。十ラレィ。二十ラレィ。五十ラレィ。百ラレィ。ラレィの下には、マドゥドという硬貨があります。一マドゥド。五マドゥド。十マドゥド。五十マドゥド。百マドゥド。形はどれも長方形ですが、それぞれ描かれている模様が異なります。親指の爪より少し大きい程度です。他に銀塊などもあります)