の町[8]

「ご苦労様」
 複雑な感情を抱えながら自分に割り当てられた部屋へ向かうと、扉に寄りかかって全て見透かしたような笑みを浮かべるキカの姿があった。シャルは大きく溜息を落とした。今すぐ休息を必要としているというのに、なぜ誰もかれも邪魔をするのか。ひどく神経が波立ち荒れているという自覚がある。一人になり、ただひたすら自分の為だけに時間を費やして眠りを貪りたいのだ。
「私に何か用が?」
「顔を見にきただけだが。互いの健闘を称え合おうとな」
「どいてくれないか。部屋に入りたい」
「ご機嫌斜めか?」
 シャルは意識を集中させて、静かな動作で部屋の扉を開けた。気を抜くと自嘲をも含む荒れた感情がそのまま行動に現れてしまいそうだったのだ。
「活躍の褒美に酒を奢るぞ」
「遠慮する。眠りたい」
 調子良く誘いをかけているキカを、シャルは厳しい口調で即座に退けた。キカは僅かに肩をすくめたが、懲りずに室内へ入る姿勢を見せた。
「キカ。私は、疲れている」
 褒められた態度ではないと分かっていたがやはり取り繕えず、言外に、かまうな、とほのめかす。
「また余分な力をどこかで落としてきたためだろう」
 こちらの状態が不安定であると悟っているだろうに、キカは追及をやめず意地の悪い笑みを見せた。
「私は自分に与えられた責務を全うしていると思う。ならば他の部分で誰かの忠告や助言を得たくはないよ。また、言動について口を挟まれたくもない」
 キカは苦笑した。その余裕が今はどうしようもなく神経に障る。
「悪かったな。これでもお前を心配しているんだが」
「気持ちだけは理解した」
 何を言っても無駄だと分かったのか、キカは頷き、表情を崩して頭をかいた。
「必要以上の世話を他人に焼かない方がいいぜ。手を切れよ、シャル。モルハイの人間を容易く信用するな。いつか痛い目にあう」
「そうか? お前もモルハイの住人でしょうが」
 吐き捨てたあと、キカの顔色を確認する前に、シャルは扉を閉めた。
 ――疲れた。
 内心で重く呟き、シャルは手荒く自分の髪をかき回して、壁に背を預けた。
 室内は他人の顔をして、シャルを沈黙の中に落とす。冷たい静寂。いつも側に置いていた、ふわりとした鬱陶しいほどの目映い気配はどこにもない。なぜかアヴラルのぽやんとした柔らかな微笑を思い出す。
 あの子は眠れるだろうか、一人で。
 緑色の必死な目を思い出したが、シャルはすぐにその記憶を封じた。
 腰の武器具を手早く外し、上着を床に脱ぎ捨てたあと、倒れるようにして寝台に寝転がる。
 私は眠れるだろう。
 両腕に顔を埋め、シャルはそれ以上の考えを放棄した。
 
●●●●●
 
 二日間、暇が取れたが、アヴラルの元へ足を運ぼうという気にはなれなかった。
 ユージュの妹に会いたくないという思いの他にも、言葉に出来ぬ様々な感情が胸の奥底で燻っている。
 しばらくの間、煩雑な全てを遠くへ押しやり、何も考えずに動いてみたいという強い欲求があった。意識の向こう側からシャルを急き立てる声が聞こえたが、それさえも無視して自由に振る舞いたい気分だったのだ。
 三日目に再び魔物駆逐の依頼を受けた。キカが細工したのかそれとも上の判断なのか、真相を確認はしなかったが、今回もユージュの封とは別行動のようだった。
 狩りの感覚は既に戻ってきている。仲間に死傷者を数名出したが、シャル自身は深い傷を受ける事もなく、魔を退治できた。
 ユージュはまだシャルを許せていないらしく、通路や食堂で顔を合わせても露骨に避ける仕草を見せていたが、耳飾りや渡した武器などは忘れずにきちんと活用しているらしい。気がかりなのは、ユージュを取り巻く剣士達だった。あきらかに誘う素振りを見せており、ユージュの方も拒絶の姿勢を見せずに笑っている。一度忠告すべきなのかと考えたが、ユージュの人生をシャルが保障するわけにはいかないと思い直し静観のみにとどめた。中途半端な関わりは、この場合、諍いしかもたらさない。
 その後もほぼ三日日置きの間隔で、比較的危険度が低く狩りやすい魔が出現した。シャルは現在までで合計五回、狩りに参戦した結果となった。大して負傷もせず、順調に稼げていると思う。
 狩りを終えた翌日の夜、キカが飲みに行こうと声をかけてきた。何度も誘われてその度に断ってきたのだが、あまりのしつこさとこだわりのない態度に、シャルはとうとう降参した。
「ようやく誘いに乗ったな」
 不均等な間隔で並ぶ街灯に目を向けながら、キカが薄く笑った。モルハイの夜は、混雑場所と人気の絶える場所とで明確に区分される。夜中に混み合うのは酒場と娼館、賭博場に限られる。
 シャルはキカに案内されて、酒場と娼館が並ぶ区域に足を踏み入れていた。間違ってもアヴラルを連れては入り込めぬ雑多な場所だ。
「折角「つがい」なんだからな? 付き合いも肝心だぜ」
 よく言う、とシャルは溜息を落とし、軽口を叩くキカの横顔を一瞥した。
「お前、もしかして拗ねてるのか?」
「は?」
 思わず冷たい声を出すシャルだった。キカは心持ち身を屈め、勝手に納得した顔をして、ふっと笑みを強めた。
「この前、食堂で絡まれているお前を助けなかったから、そんなつれない態度を取っているんだろう」
「馬鹿な」
 言われてシャルは、かちんときた。何が腹立つのかといえば、こちらの心理など全てお見通しだと勝手に決めつけ、からかおうとするその誠意に欠けた軽々しい態度だ。勘違いも甚だしい。誰かの手を期待した覚えはないのに、シャルの全てを己が抱く想像の枠に当てはめ、その図が唯一であると思い込んでいる。少しはアヴラルの謙虚さを見習え、とシャルは咄嗟に言いかけて、更に眉間の皺を深くした。警戒心を全くもたない、あの能天気なちびの顔がやたらと脳裏をよぎるのが益々もって苛立ちを強くする。
「いいさ、シャル。好きなだけ奢ってやるよ」
「あのねえ!」
「いいって」
 この男、全力で蹴り飛ばして始末してやりたいとシャルは怒りに震えた。自分の調子を乱され、相手の思惑にはまってしまうのが何より不快なのだ。
「怒るなよ、酒は気持ちよくなるために飲むんだ」
 キカが実に慣れた仕草でシャルの腰へ手を回した。一瞬、本気で斬り捨てようかと考えたが、シャルよりもキカの方が剣技においては上なのだと思い出し、寸前で堪える。
 それ以上くだらぬ悪戯を仕掛けてきた場合には呪力でもって情け容赦なく吹き飛ばすつもりだったが、キカはただ腰に手を添えたまま他愛無い話を繰り広げ、暢気な表情を見せるばかりだった。大胆なのか慎重なのか、余程女の扱いに長けているのか、見事に分からない男だ。
「どこまで行く?」
 こういうつかみ所のない男相手に真剣な対応を求めたり、軽薄な態度を改めるよう忠告するのは愚策と気づき、シャルは諦めて別の台詞を口にした。
「どういう店がいいかねえ。差しで飲むならあの店。騒音が気にならないなら、向こうの店かな」
 よく知っているものだ。
「男娼でも買うかい?」
「キカ」
「分かっている。俺を相手にした方が楽しいってな」
 シャルは額を押さえた。
「なあ、そうしかめっ面していてもつまらないだろうが。いっそ奇麗なものに囲まれて馬鹿笑いするのもたまには必要さ」
「ああ、そう」
 もう反論する気も失せた。
「良い子だ、シャル。なら、あの店にするか」
 と、キカが指差したのは、薄紫の旗を掲げた何ともいかがわしい風情の館だった。
「そんな目で睨むなって。外観は多少しけているが、中はそれなりにまともさ。何より、給仕の奴隷達が見目麗しい。気に入れば、上の部屋に連れ込める」
 しかも相場は他店の娼婦よりも得で良質だ、とキカは生き生きとした笑顔で自信たっぷりに断言した。
「いいから来いって。悪くない事だけは保証する」
 疲労感が強まり項垂れるシャルを、キカは強引に引っ張り、そのいかにも裏店的な館へ向かった。
 こいつ、私が女だという事を忘れているんじゃないか?
 
●●●●●
 
 つくづく思うが、キカはこちらの性別を誤解しているのではないだろうか。
 妙にけばけばしい薄布が幾重にも垂れ下がる淫猥な館の一階。キカはもしかすると常連客であるのか、入り口に垂れ下がる布をめくった瞬間、身体を包むという本来の役割を果たしていないのではないかと心配したくなるほど透けた布で着飾った女達がひらりと裾を翻しつつぞろぞろと迎え出てきて、大袈裟な歓迎の挨拶と共に中へと招かれた。
 呆気に取られるシャルの腕までも女の手に奪われ、気がついた時には奥の間へとほぼ強制的に押し込まれていた。実に逞しい女達だとシャルはいささか気圧された。酒場にはよく出入りしたものだが、さすがに娼館の類いはあまり馴染みがないため勝手が分からない。
 シャルとキカは、つまみと燭台、そして不可思議な甘い芳香を漂わせる銀壷を乗せた小卓をはさみ、向き合って座った。金粉をまぶした透し彫り仕様の小卓は高さが低いため、シャル達は椅子ではなく派手な色の円座に座っていた。
 扉の仕切りはなく、客を招く大広間は低い天井から垂れ下がる布で、細かく区切られているらしかった。シャル達が詰め込まれた奥の一画はひどく手狭で、女を両脇に置けばそれで空間のゆとりがなくなりそうだ。恐らくどの仕切り間も、シャルの場所とそう大差はないだろう。つまり、この狭さは女達の身を密着させ、客をその気にさせるのが目的なのだ。
 垂れ下がる布の向こうから、気分よく酔っているらしい客や愛想混じりの女の笑い声などが、くぐもって聞こえた。
「シャル。そんな目で俺を見ないでくれ。己が卑劣な極悪人だと勘違いしちまいそうだ」
「勘違いして少しは反省した方がいいと思うけれどね」
 皮肉な言葉を大真面目にぽつりと零すシャルへ、やけに楽しそうな目をキカは向けた。長めの髪を両手で適当にかきあげ、ちらりと通路の方へ視線を移したあと、再びシャルをじっと見つめてくる。
「あのなあ、そう仏頂面するけれどな、ここは女の客も意外と多いんだぜ」
「何で?」
「何でってそりゃ、小奇麗な顔の男娼も置いているからさ。ちゃんと呼んでやるから、大いに楽しめ。奢ってやる」
「……」
「どういうのが好みだ。若いのがいいか?」
 シャルは呻きそうになるのを精神力で辛うじて堪えた代わりに、無言でつまみの実を掴み、呪力でキカへ向けて飛ばした。
「おい!」
 キカの額につまみの木の実が命中する。キカがぶつぶつと文句を零しつつ、額をさすった。反省しろ。
 溜息をついた時、酒を持った女が布を払って姿を見せた。いや、何とも見事な愛想笑いだとシャルは感心した。
「ねえ、いつもの娘でかまわないかしら?」
「ああ、いいよ」
 女が膝を折って、手早く酒の用意をしながら、まるで顔見知りのように随分慣れた様子でキカに話しかけていた。やはりキカは何度もこの館に足を運んだ事があるらしい。どうしてまあ、男というのはこう……などと諦めにも似た虚しい感情を抱く。
「こちらの方は、どのような娘がお好み? 新しい娘がちょうど今日入ったのよ。あなたみたいに奇麗な顔の人だったら、皆喜んで付くわ」
 シャルに向かって放たれた全く余計な女の世辞に、嬉々として酒をあおっていたキカが笑いを堪え噴き出しかけた。
「いや、残念だが連れは男じゃないんだ」
「まあ、残念だわぁ」
 シャルは無言と無表情を通した。残念という言葉の意味を深く考えた場合、シャルを肴にして異様に盛り上がる二人の口を頭の裏側まで切り裂いてしまいそうだったため、大人しくつまみを食べる行為に集中した。
「どうしましょうね、今、手のあいている子がなかなかいなくてねぇ」
 女が手を頬に当て、困惑した眼差しでシャルの様子を窺った。
「いや、誰もつけなくていいから」
 とシャルはここぞとばかり即座に遠慮したのだが、それでは恐らく館の売り上げにはならぬため、困ってしまうのだろう。
「誰もいないのか?」
 キカの言葉に、女が視線を上に向け、僅かに眉を寄せた。
「いないこともないのだけど……若い子が皆、この時間は売約済みで。年嵩の子しか残ってないのよね。いえ、勿論顔立ちはいいのよぉ。けれどねえ、もう声変わりもしているし、身体も固まっているしね。そういう子達は別の需要があるんだけれど、あなた、どうもそちらの趣味はなさそうよね」
「……何でもいいよ」
 シャルは諦めて、そう女に告げた。たとえ皺だらけの爺や腹の突き出た筋肉質の男が横に座ろうと、もうかまわないという投げ遣りな心境になりつつあった。かくなればキカの顔色が焦りを帯びるまで酒を飲み尽くす以外に、この館で楽しめる方法はない。
「あら、ありがとう。気前のいいお客さんって大好きよ。すぐに呼んでくるわね」
 女がしどけなくシャルの肩に触れたあと、妙に色気のある仕草で立ち上がり、ゆっくりと布の向こうへ消えた。
「……」
「だから、シャル。睨むなって」



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