の町[9]

 なぜこのような展開になるのか、と頭を抱えたくなるシャルだった。
 シャルの右横には、緑の目を持った美麗な顔立ちの青年が座している。緑だ。緑の目だ。色事には無縁であるどこぞのちびの顔が奇妙なほど鮮やかに思い浮かぶ、緑。呪われているとしか思えない、とシャルは内心で誰にともなく罵った。
 そして左隣には、なぜか十代半ばのこれまたやたらと整った容貌をした娘が座っている。最早いかなる感想を漏らしてよいのか分からず、我が身が置かれている複雑な境遇を振り返って遠い目をするシャルだった。
「いや、仕事の憂さを晴らすには、お前達とじゃれ合うのが一番だな」
 やだぁ嬉しい、と響く高い声に、シャルは力なく顔を上げた。
 向かいに座しているキカの両隣にもあられもない衣装をまとった美しい顔貌の娘が座り、せっせと健気に酌をしていた。無上の喜びをたたえているキカの表情が、この時ほど憎らしく思えた事はない。
 娘二人は鼻の下をだらしなく伸ばして杯を空けるキカの気をひくべく、それはそれは熱心に何事かを囁いたり、しどけなく肩に頭を乗せたり、背中を撫でるような声音で甘えたりと、必死である。
「――どうぞ」
 馬鹿笑いをして娘達をからかうキカに何ともいえぬ敗北感を抱きつつ、ちびちびと杯の酒を舐めていた時、隣に座した青年がひどく抑えた静かな口調で、更に次の一杯を勧めてきた。
 男娼にしては、先程の女が零した通り、年を食い過ぎてる。通常、売春を生業とする者が客にもてはやされ、声がかかるのはやはり若さが輝く間なのだ。特に男娼の場合、花盛りの期は女よりも短く、変声期前までが相場とされている。当然といえば当然であろう。危うい美が匂う魅惑的な少年期を過ぎて、髭そりあとが残り骨格の固まった男臭い男娼など、余程の物好きでない限り、高い金を抛ってまで相手にする気にはなれぬだろう。
 男娼としての盛りを過ぎた者の中で、引導を言い渡される事なく館に留まれるのは、余程の美貌と性技を持っているか、あるいは己の意思では身上を左右できぬほどの差し迫った深刻な事情があるかのどちらかだった。
「奇麗な目ですね」
 と、シャルに話しかけたのは、左隣に座している娘だった。
「珍しい色。紫なんて――」
 シャルが苦笑した時、両脇の娘二人と戯れていたキカがほろ酔い気分といったしまりのない顔で「そりゃ、呪術師特有の色だからな」と口を滑らせた。
「呪術師……?」
 シャルの両隣に座る娘と青年が同時に呟いた。
 理由は分からぬが、どちらも畏怖か嫌悪か――一瞬、身を強張らせ絶句したのだ。
 まあ珍しくはない反応か、とシャルは内心で苦笑し、酒をあおった。
 得体の知れぬ呪術師などと伽をせねばならぬかもしれないという仄かな恐怖。一般の者の多くは、正道から外れた業に怯え、嫌悪するものだ。特に娼婦達には、呪術師は煙たがられる傾向がある。異形の者と同類であると認識し、忌避するのだ。そのような者に身体を預けたいとは余程の変わり者でない限り、思わぬだろう。
 シャルの目と髪は、あまりにも明瞭に呪術師としての特徴を表しているため、逆に偽物だと判断されたに違いなかった。また、興味がなければ色彩の特徴も知らぬ場合が多いので、意識していなかったという可能性もある。
 だがキカの余計な一言で、場が凍り付いてしまった。
 これだけの明らかな色彩、本人の意思に関わらず力量を誇示しているのとある意味、変わらぬのだ。
 別にシャルは隣に座す二人のどちらかを寝台にはべらそうとは考えていないのだが、ここで必死に誤解を解く気にもなれなかった。とりあえず、酒が飲めればいい。
「美しいだろ。俺もその目にとらわれたのだ」
 キカが調子に乗って世辞を言ったが、追従の声はなかった。余計な台詞を口にして、呪術師の怒りを買いたくないと恐れているようだ。
 けれども、どうも過剰な反応のように見えるが。
 嫌悪されるのは事実、しかし、曲がりなりにも客であるのに、ここまで怯えては商売にならぬだろう。
 この町の呪術師は余程嫌われているのだろうか。町によっては、呪術師に対して好意的な雰囲気が漂っていることもある。実際、シャルの故郷などはひどく柔軟な思考を持つ者が多かったのだし。
 妙に白けてしまった空気の中、シャルはいつ頃帰ろうかとそれだけを考えた。
 
●●●●●
 
 しばらく後、客の出入りが激しくなったらしく店が混雑し始め、シャルの隣に座っていた娘が呼ばれ去っていった。娘は謝罪しながらも、これで相手をせずにすむと安堵したのか、嬉しげな様子を隠さなかった。
 いや、本当にはべらすつもりはないんだがなあ。
 残される形になった青年の方は強ばった表情で酌をしてくれる。
「おいお前、安心するがいい。我らが呪術師殿はお優しいのだぜ」
 キカが杯を掲げつつ、またつまらぬ軽口を叩く。
「ねえ呪術師様。人を一瞬で殺せるのでしょ」
 かなり酩酊しているのか、先程まではあれほどぎくしゃくしていた娘二人がキカに寄りかかりながら、何とも返答しにくい問いを投げてきた。
 酔っぱらいの戯言に真剣に返答するのも馬鹿らしいか。
「私よりも余程その男の方が殺しに長けているよ」
 皮肉を存分にこめて、キカに笑みを向ける。
「いうねえ、シャル。女を殺すのは確かに得意さ」
 などと嘯き、キカが娘二人の脇腹をつついた。娘達はひどく歓喜しながら怒るという実に器用な業を披露してくれた。
「呪術師様でも、話ができる人っているのねえ」
「ここに通う呪術師って皆、あんなですものね」
 シャルの砕けた様子に安堵したのか、娘達は姦しくお喋りを始めた。
 おや、先程抱いたシャルの予想は間違っていなかったらしい。この町に暮らす呪術師はどうやら態度の横柄な者が多いようだ。
「ハルヒなんか特に、あんな者に目をつけられて」
 片側の娘が営業用の艶っぽい微笑を消して、嫌そうに口を滑らせた。もう一方の娘がシャルの隣に座す青年を一瞥し、慌てて遮る。
「まあ、お客人ですものね」
「あら違います、シャル様のことではありませんのよ」
 娘達の言葉に、ハルヒと呼ばれた青年が動揺を押し隠すように目を伏せた。
 何かこの店にも裏の事情がありそうだ。
 私には関係ないな、とシャルは内心で冷たく一蹴した。繰り返すが、うまい酒が味わえればそれでいいのだ。
 しかし――アヴラルを連れていないというのに、厄介事の気配がこちらへ近づいてきたようだった。
 通路の方が突然騒がしくなったのだ。女や客達の嬌声による騒々しさとは異なった、揉め事の気配である。
 無事にやりすごしたいと強く願うシャルを嘲笑うかのように、仕切り布が乱暴にめくられる。
「ハルヒ」
 一番最初に相手をしてくれた女が青ざめた顔を覗かせ、ハルヒを呼んだ。
「何事だ?」
 キカがにやけた笑いを顔にはりつけながらも、鋭い視線を女に送る。
「すみません、実はお客様が」
 と、女が狼狽えつつ、通路の方へ一度視線を流した。
「――早く呼んでこい!」
 近い場所から、ひどく苛立ちを滲ませた男の怒声が響く。
「ハルヒを可愛がり、よく指名してくださっているお客様なんですけれど」
 女が早口で説明した時、ハルヒの身体が一瞬震えた。
「――その方も、呪術師で」
 皆の視線が一気にシャルへ集中した。
 頭を抱えたい心境になったが、ここで何かを言えば間違いなく自分も揉め事の炎の中へ身を投じることになると思い直し、視線の一切を無視した。
 ところが星の巡りはどうあってもシャルを巻き込むつもりらしい。
 娘達の悲鳴や男の怒声が再び聞こえたのだ。
 ハルヒが意を決したように立ち上がり、通路へ出て行く。
 勿論シャルは素知らぬ振りをしたのだが、娘二人と女からやけに必死な目で凝視されてしまい、根負けする形で腰を上げる羽目になった。
 どうして私の周りはこういう展開が多いのか、本気で嘆きたくなる。
「お客様、ハルヒは今、別のお客様の相手を」
「黙れ、ハルヒ――ハルヒ!」
 シャルが嫌々通路に出た時、呪術師らしき中年の男が売り子を突き飛ばしてハルヒの襟首を掴み、引き寄せるところだった。
「何だ、あいつ、孔衛団と契約している呪術師だ」
 高みの見物を決め込むらしいキカが通路へ顔を出し、ぽつりとこぼした。
「来い、俺が買うんだ」
 呪術師の男が乱暴にハルヒの腕を取り、引きずっていこうとする。
 可哀想だが商売に関してシャルが口を挟むのは無粋なこと、とあっさり身を引こうとした時、ハルヒが振り向いた。
 緑色の瞳。
 全く、どこかの頼りなく気弱なちびを連想させる目だ。
 孤独と美。壮絶な悲しみを耐える眼差し。
 ――シャルはその目に弱い。
「……ったく!」
 シャルは一度大きく舌打ちし、髪をかきむしったあと、足音荒くハルヒ達の方へ近づいた。
 仕事の全てを終えて帰った時、アヴラルを思い切りこづいてやるという復讐心に胸を黒く染めながら。
「待ちな」
 普段よりも更に荒い口調で、ハルヒを連れて行こうとする男を呼び止めた。
「そいつは私が先に指名した。返してもらう」
「……何?」
 気性の荒い獣のような目を男が向ける。
 赤味を含んだ薄い紫の瞳と銀の髪。これならばシャルの方が呪力の質は高い。
「そいつは置いていけ」
 素っ気ないシャルの言葉に、男が頬を紅潮させ、憤った。
 なぜこういう輩は根拠もなく傲慢で自分勝手なのか、理解に苦しむ。
「俺に喧嘩を売っているのか、それとも、お前も相手をしてほしいのか」
 馬鹿だな、こいつ。
「どうでも別にかまわないが、見なよ。私も呪術師のようだ」
 目に力を込めて、男を見返した。
 シャルの容貌をようやくきちんと目に映したのか、男の顔色が変わった。
「いいか? 私が先に指名したのだ。納得できぬというならば、それでいい。話し合いは面倒だからな」
 なぜか己の方が悪人のようだと内心で項垂れつつ、高慢な微笑を作って、当惑しているハルヒの腕を取り、手首の内側に唇を落とす。
「私はこいつが気に入った」
「何だと、お前――」
「話し合いはせぬ。私の言葉は殺戮を呼ぶ」
 暗に、突っかかってくるならば殺すと脅し、硬直するハルヒの腕を取ったまま、男を睨む。
「呪術師の血は様々に使えるものだ。お前の血は薄まっているようだが、売れぬことはないだろうな。心臓、目、それらも使い道がある」
 間違いなく今の台詞で見物客が引いたな、と自覚しつつも多少は酔っているのか、自分でも意外なほど口が滑る。
「殺しには慣れている。何しろ血塗れの日々を送っているのでね。だが愉楽の為の殺しはまだしたことがない。己の愉しみのために、一度は腕を振るってみたいものだと常々考えていた。どうやら、その機会をお前が与えてくれるようだ」
 この脅迫はとてもアヴラルには聞かせられないと乾いた笑いが漏れた。
 男はその笑いを別の意味に受け取ったらしく、すっと蒼白になり、後退りした。
 ハルヒの身体が細かく震えているのが伝わり、やりすぎたかと悟って、吐息を落とした。
 その瞬間、男が通路に出ていた見物客を突き飛ばしながら、逃げていった。呆気ないものだ。
 さて、ようやくこれでお役御免だ、と振り向いた瞬間、波が引くように、見物客達までもが逃げていく。
 複雑な気分で立ち尽くしていると、一人だけ残っていたキカがにやりと笑った。
「責任を取って、一泊しなきゃな」
 
●●●●●
 
 本当になぜこういう事態を迎える羽目になったのか、理解しがたい。
 場所は変わって、店の上に作られている小狭い伽処である。目的は一つしかないと主張したいのか、室内には天蓋から薄布を垂らした大きめの寝台と小机しか存在しない。見事だ。
 顔を引きつらせつつ、寝台の薄布をめくって腰掛けていると、壊れそうなほどに緊張しているハルヒが盥を抱えて戻ってきた。
「――身体をお拭きになりますか」
「……」
 もう何ていえばいいのか。なぜか先程からちらちらとアヴラルの顔が脳裏に浮かぶのも、実に虚しい。
 しかし、こうなってしまったのは脅迫の台詞を口にしすぎたシャルの責任といえなくもない。
 腹を決めて、腰にさしていた剣を外し、小物や硬貨などを入れている小袋も取る。
「湯浴みは結構。おいで」
 手招きすると、ハルヒは目を伏せて盥を床に置いたあと、従順に近づいてきた。これほど怯えているというのに、全く拒絶しようとしないところまで、どこかの素朴なちびと重なる。
 妙に後ろめたさを感じたが気づかぬ振りをし、ハルヒの腕を取って、寝台に上がらせた。
「服を脱いで、横になりなさい」
 怖がらせぬように囁き声で命ずると、ハルヒは微かに睫毛を震わせ、小さく頷いた。



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