の町[10]

 上着の帯に手をかけていたハルヒが一旦動きをとめ、縋るような目を向けてきた。
「灯りを消してもよろしいですか?」
「悪いが、それは却下する」
 すげなく断ると、僅かに困った顔をされた。
「せめて、寝台の灯りだけでも」
「却下だと言っている」
 眉を寄せ、辛そうな表情を浮かべていたが、シャルの気が変わらぬと知ったのか、諦めた様子で衣服を脱ぎ始めた。
 室内の灯りは三つある。入り口付近の壁に取り付けられているものと、小机に置かれている蝋燭。そして寝棚の蝋燭。
 恐る恐るシャルの様子を窺いながら衣服を脱ぎ捨てるハルヒの態度が、全くアヴラルに酷似していて、激しくやるせない気分になった。
 はぁ、と項垂れて溜息をついている間に、薄い夜着のみとなったハルヒが覚悟を決めた顔で寝棚に用意されている透油に手を伸ばした。透油とは伽の最中に肉体の負担を減らすため男娼が使うものだ。
「それはいらない」
「ですが」
 使用せぬと痛みを伴うため、男娼達は無茶を言う客をひどく嫌がる。
「いらぬ」
「……はい」
 きつく言うと、悲しげに従った。その風情がまあ、本当にアヴラルである。
「全部、脱ぎなさい」
 命じると、ハルヒは困惑したような目をした。毛布の中に入りたいという素振りを見せたが、無言で却下する。
 恥じらうというより本気で嫌がっている顔をしたが、それでも逆らわずにするりと夜着を滑り落とした。
 シャルは白い裸を見て、溜息をつく。
「やはりね」
「……え?」
 戸惑うハルヒを寝台へうつ伏せにして寝かせる。
 ――そうではないかと思っていたのだ。
 ハルヒの背を見ながら再び嘆息する。
 鋭い鞭で抉られたかのような傷痕。胸にはそれほどなかったが、局部付近と、背中が特にひどい。
 なぜ先程ハルヒが呪術師の存在に過剰なほど怯えていたのか。娘達の意味深な台詞と結びつけて考えた場合、難しい問題ではない。それに灯りを嫌がる。光の下で身体を見せたくなかったためだ。
「お前、年は?」
「……二十四です」 
 ハルヒは見目こそ整っているが、やはり男娼としては年をとっている。
 この美貌ならば、女の客相手ではなく、男を想定して、幼少の頃から仕込まれているだろう。ならば成人した今も男の客を主に扱っているに違いなかった。女性であるシャルが相手だというのに、無意識に透油へ手を伸ばそうとしたことからも推測できる。あまり女の客を取った経験がない証だ。いや、シャルの性別を誤解しているという可能性もあるが。
 どれほどの美貌であっても、客の殆どは声変わりをする前の華奢な少年を好むものだ。骨格が固まるにつれ、客の選り好みはできなくなる。
 ゆえにハルヒは、異常な虐待を交えた行為を甘んじて受け入れているといったところか。
 恐らくハルヒのように男娼という点において薹の立った者は、暴力的行為を好む客専門なのだろう。中でも彼を気に入ったという呪術師はこうして深く傷痕を残すほど、残酷な行為を強いているのに違いない。哀れなことだと思う。
「背中の傷はまだ新しい」
 シャルは小袋の中から応急処置用の塗り薬を取り出し、そっと背中につけた。こういった物ならば、必ずいつも所持しておく習慣がシャルにはある。魔を狩る者ならば当然の備えだ。
 ハルヒの身体が一度大きくはねる。それを宥めるように軽く髪を撫で、再び傷口に薬をすりこむ。
「なぜ手当をしておかない?」
「……」
 シャルの行動に驚いているらしく、少し顔の位置をずらしてハルヒが振り向いた。
 その暗い眼差しを見て、説明されずとも見当がついた。
 ユージュと似たような事情があるのだろう。
 薬を購入したくとも、買えないのだ。薬は高価なものである。貧しい者が容易く購える代物ではなかった。
 背中の手当を終えたあと、ハルヒに身を起こすよう命じた。
「もう服を着ていい。それとこの薬は餞別にあげよう。他の部分は自分で塗りなさい」
 これでシャルの用はすんだ。
 寝台から降りようとした時、ふとハルヒに腕を取られた。
「傷の手当のために、衣服を脱げと……?」
 当たり前だ。
 ここで男娼遊びをしたなどと、あとでアヴラルに知られた場合、非常に気まずいではないか。いや、アヴラルが悶死しかねないという危険もある。
 大体、アヴラルと同じ目の色を持つ者と、どうこうできるはずがない。そもそもこの目のおかげでいらぬ世話を焼いてしまった自分がいるため、苛立ちも半端ではない。
「これはお前の指名代」
 硬貨を寝台に置くと、驚かれた。
「多いです」
「そうか? 私の町ではこのくらいだったけれどな」
 多少は色をつけている。その程度の心意気ならばある、というより、これで関わりを断ちたいという思いの方が強い。
 そうでないと、ユージュの時と同様、益々抜き差しならぬ羽目になりそうだ。
「ではね」
 帰ろうと踵を返した時、再び弱く腕を引かれた。
「待ってください。お帰りになるのですか」
「心配はいらない。部屋代は払っている。一晩、ゆっくりと休みなさい」
 娼婦達にとって一番好かれる客――それは何の事はない、何もせぬ客なのだ。
 日々肉体を酷使している娼婦達だ。落ち着いて睡眠を取れることなど滅多にない。
「それは――それでは、代金はいただけません」
「あのねえ」
「貰えません」
 なぜ睨まれるのか。
 まるでアヴラルに反抗されている気分になり、微妙に腹が立った。
「同情なさるのですか、私に。一晩のみの憐れみなど、何になりますか」
「身体を休められるだろう」
「また同じ日々が続きます。あなたはもう、いらしてはくださらないのでしょう?」
 責めているのに縋る瞳。しかも緑色だ。
「辛い憐れみです。二度は手に入れられぬ、この一度限りなのでしょう?」
 シャルは目眩を覚えた。アヴラルめ、となぜか怒りの矛先がちびの方へ向かう。
「そんなもの、欲しくありません」
 シャルは額を押さえつつ、遠い目をした。全ての原因はアヴラルだ。
「……分かった」
 顔を上げるハルヒに、苦笑を返す。
「日中の外出は許されているか?」
「はい」
「では、そうだね。明日の正午、迎えにこよう」
「……なぜ?」
「二度目の憐れみを渡そう」
 ハルヒの端正な顔が少し歪んだ。
「薬はそれだけでは足りるまい。私は孔衛団と仮契約をしている。多少の薬を用意できる」
 孔衛団では、魔狩り後ならば薬を無料で譲ってくれるのだ。何、少し暗示でもかけて倉庫の番人の目を惑わせ、薬を渡してもらえばすむ。
「――三度目は?」
「薬を渡したあと、好きな物を食べさせてやろう」
 ハルヒが腰を上げ、シャルの背にふわりと腕を回した。艶やかな香の匂いがまとわりつく。
 成長したアヴラルはこのような感じになるのか、とさりげなく不吉な予感を抱きつつも――
 その前に、お前、服を着ろ、とシャルは顔を引きつらせた。
 
●●●●●
 
 結局その晩は必死に懇願されて泊まることとなった。
 遠慮するハルヒを半ば脅す形で寝台に眠らせ、シャル自身は壁を背にして休んだのだが。
 さすがに多少の身体の強ばりを感じたが、魔や獣の奇襲を警戒せねばならぬ野宿よりは余程楽であるし、不自由な体勢で仮眠を取るのは慣れている。
 朝日が昇る頃、そろそろ帰ってもいいだろうと判断し、健やかに眠っているハルヒの姿を確認したあと、静かに部屋を出た。
 伽処の朝は、夜の狂騒が幻であったかのように静まり返っている。シャルは真っすぐに出口を目指した。
「よう、シャル。早いな」
 店を出る直前、背後から声をかけられ、振り向くと、少し眠たげな顔をしたキカが近づいてきた。こちらも一泊し、シャルとは違った夜を過ごしたらしい。
「楽しんだか?」
 キカが欠伸まじりに笑い、シャルの肩に腕を回してきた。
「……お陰さまで、興味深い夜だった」
「そうか、礼はいらないぞ」
 最早溜息も出ない。
 うんざりしていると、店の奥から片目に包帯を巻いた少年が現れた。娼婦を取り扱う店に相応しく、容姿の整った少年である。
「おや館主もお早い目覚めで」
 キカが気軽な口調で少年に挨拶をした。
 シャルは意外に思い、こちらへ近づいてくる少年の様子を観察した。このように年若い少年が館主なのか。
 それに、どこかで見た覚えのある顔貌だ。
「もうお帰りでございますか」
 少年は柔らかな声音を裏切る老成した空気を発しながら、シャルとキカを見比べた。さすがは館を取り仕切る主というべきなのか、ひどく落ち着いている。堂々としているのに品があり、華もある。ついアヴラルに見習わせたいなどと考えてしまい、まるで親馬鹿的な発想だと気づいて嫌気が差した。
「昨夜はご無礼を」
 館主がシャルを見上げ、微笑んだ。
 呪術師の男を追い払ったことを言っているのだろう。
「いや、こちらこそお騒がせしたようだ」
 シャルの返答に、艶めいた視線を寄越す。片目が包帯で覆われているのが惜しいと感じる妖艶さだった。
 このしどけなさに関しては、アヴラルに真似をさせたくないとまたもや思考をさまよわせてしまい、更に虚しい気分になった。どうも自分はアヴラルを案じていると認めなくてはいけないようだ。
「いえ――ひと時の愉楽を堪能してもらうのが店の主義。ですのに、あなた様にはご迷惑をおかけしたようです。遊華の技を楽しまれてはいませんでしょうに」
 遊華とは、店に籍を置く娼婦達を意味する。
 まあそれはともかく――鋭い館主だ。シャルがハルヒに手を出さなかったことに気づいているらしい。
「疲れていたのでね。一晩ゆっくり休ませてもらった。ハルヒにはよくしてもらったので、礼を言いますよ」
 一応釘を刺しておかねばハルヒの立場が悪化するかもしれないと思い、なけなしの愛想を見せた。
「お客人、お言葉は嬉しいのですが、侘しい館の住人に過ぎぬ私にも愚かな誇りがございます。つまらぬ処と指をさされるのは何よりの不名誉」
 そう大層な意見を述べられてもな、とシャルは閉口した。
 館主は微笑を浮かべたまま、するりとしなやかにシャルの手を取った。
「是非再びの訪れを。私がおもてなしさせていただきますゆえに。身の程知らずは承知の上で――私も多少の技を会得してございます。幾ばくかの愉しみを味わっていただけるかと」
 いやそれは遠慮させてほしい、とシャルは焦った。そもそも己より年下の者に何かをしようとは思わないのだ。
 という以前にシャルは女である。別に性別を偽っているわけではないのに、なぜ誘われているのか理解に苦しむ。
「私では興が乗りませぬか」
 手管とは思わせぬほど悲しげな表情を浮かべて、館主がシャルを見つめる。年の頃は十四、五あたりだろうか。シャルよりも少し背が低い。無理だ。自分はごく普通の趣味の持ち主である。興が乗る乗らないという以前の問題だ。
 内心で力強く否定しつつ、腕に手を絡めてくる館主の小さな顔を見下ろした。
 おや、とシャルはこの時、ようやく気がついた。
 どこかで見たことがある顔と感じたのは当然だった。昨晩、キカの隣に座していた娘の一人に、面差しがよく似ていたのだ。シャルはなぜか面白くない気分になった。
 言い寄る館主を宥めたあと、キカと共に宿舎へ戻ったが――
 全く気晴らしできていない上、結局は自腹を切っているという事実に、シャルは部屋で一人項垂れた。



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