砂の夜[9]


 静かな口調で告げられたシャルの言葉に、男は一瞬口を噤み怪訝な顔を見せたが、すぐさま非難の色をたたえた険しい目をした。
「思い違いであってほしいがな、どうもお前の考えは良策とはいえない気がするぜ」
「どうかなあ」
 シャルはさりげなく男から目を逸らし、苦笑した。
 シャルが隠し持つ計画を批判するつもりは毛頭ないが……アヴラルもあまりいい予感はしないという点において、男の言葉に賛同した。その思いがどうやら表情にあらわれたらしく、こちらを向いたシャルの目がすうっと細くなり、冷ややかになった。アヴラルはびくっと怯え、思わず俯いてしまったが、離れたくないという気持ちが今は何より勝っていたため、抱き上げてくれているシャルの首に回した腕を外せないでいた。
「何? 何か文句ありそうな顔をしなかった、今」
 シャルの責め言葉に、アヴラルは動揺し、視線を泳がせた。
「へえ、助けにきたのに早速反抗するわけね」
「そ、そんな、違」
「生意気」
「う」
「腹立たしい」
「あ、ぁ」
「もしかして、助けに来ない方がよかった? 迷惑だと思ってるわけだ」
「違っ、違います! 本当に、ずっと待っていたから、迷惑なんて」
「何それ? 遠回しに、来るのが遅いと非難?」
「!」
 なぜか突然始まった怒濤の責め言葉に、アヴラルは意識が五回転するくらい混乱した。こういった呑気な会話をしている場合ではないのでは、という正常な焦りが、シャルに嫌われたくないという必死な祈りに一瞬ですり替わってしまう。
「僕、ただ、シャルに会いたくてっ、本当にそれだけで、非難とか、反抗とか、全然!」
 言葉を整理できぬまま弁解している内に、またしても涙が溢れてきた。
「あーわかったわかった」
「本当にっ、シャルが、好きで、でも、奴隷になるのかと思って、だけど、怖くて、会いたくて、どうしたら」
「あのねえ……ほら、泣くな」
 嗚咽まじりに切々と伝えたら、シャルが少し困ったような表情を浮かべ、ぐずぐずと縮こまり煩悶の中に落ちていくアヴラルの身を抱え直した。
「シャル、お前、その子を餌にして、こっちの話を誤摩化すな」
 渋い表情を見せる男の台詞に驚き、シャルを見上げた瞬間、小さく舌打ちする音が返ってきた。
「どうせろくでもない策なんだろ? だったらこの際、希望を託してこの場から強行突破してみた方がまだましなんじゃないか」
「こらこら。闇市で騒動を起こせば、死ぬまで追跡されると脅したのはキカだろうに」
 今度は、キカと呼ばれた男が嫌な顔をして大きく舌打ちした。
「シャル! いい加減にしろ。さっさと逃げるぞ」
 キカが眉間に深い皺を寄せ、泰然としているシャルの腕を掴んだ。
「あっ」
 アヴラルは思わず叫んでしまった。二人の視線がこちらに集中し、つい動揺してしまったが、何かを思うよりも早く言葉が口をついた。
「あの、リタルが……」
 リタルはどうなるのだろう。姉のユージュは、リタルが攫われたことをもう知ったのだろうか? それに、シャルに対して随分と厳しい言葉を放っていたが、二人の間で一体何があったのだろう。
 戸惑いをこめたアヴラルの視線に、シャルとキカが顔を見合わせ、僅かに憂鬱そうな表情を見せた。
「さあね。他人の事まで面倒は見切れない」
 シャルの冷めた言葉に、胸がずきりと痛んだ。では、リタルは、このまま見知らぬ誰かに競り落とされ、不本意な生活を余儀なくされるのだろうか。
「そんな顔をしても駄目だ。お前の身だけで、私の手はふさがる。それでも尚、面倒事を背負えと?」
 アヴラルは背を強張らせ、視線を落とした。シャルの言葉が正しい。物事をよく吟味せず何でもかんでも背負うことは、決して正義とは言えない。それではいつか本質を見失うのだと、アヴラルはもう知ってしまった。
 けれど。
 涙が混ざったリタルの悲鳴が蘇る。親しくあった人を見捨てるのは、なんとも苦痛を伴う罪悪感が生まれるものだとアヴラルは落胆した。
「アヴラル」
 シャルの鋭い声に打たれ、アヴラルははっと顔を上げた。
「私が聖人などに見える? どのような困難も当然として受け入れるような慈愛溢れる人間に映るか。そう思うのならば、お前は私を見誤っている。幻滅されようが非難されようが――私は、自分の力が及ぶ範囲内のことしか、可能性をかけようとは思わない」
 苛立ちがこめられたシャルの低い声に、アヴラルは自責の念を抱いた。現実を見据えた言葉を口にするのは、ひどく辛いことなのではないかと思った。そういえば、ユージュも以前、シャルは聖人ではないといった非難を――。
 辛辣なのは言葉の響きではなく、等身大の己を伝えるその意味なのか。
「だからお前達、そんな話はあとにしろ。来い」
 明らかに腹を立てているキカの腕を、シャルは軽く振り払った。
「無駄だよ、もう誰かがこちらに向かう気配がある」
 シャルの静かな説明に、キカは表情を消した。
「お前、時間稼ぎしやがって」
 罵倒によく似た指摘を受けて、シャルは苦笑した。
「逃げればこの先、どこまでも狙われる羽目になるからね。そんなのはご免だ」
 
●●●●●
 
「遅くなりまして」
 先程の競り人がにこやかな笑みを浮かべて戻ってきた。
 不貞腐れた様子で椅子に腰掛けているキカを背に庇うような位置にシャルは立ち、僅かに口元を緩めた。扉が開かれる前に、シャルは抱き上げていたアヴラルの身を床に降ろし、外した仮面を再びつけている。
「実は、今宵の市の総主が、是非挨拶をしたいとの事で、こちらに」
 そう言って競り人が身をずらし、背後に立っていた何者かへ手を差し向けた。総主と呼ばれた者の姿を見て、シャルの唇が微かに動いた。アヴラルもまた、総主の容貌を見て戸惑いを覚えたが、シャルの反応は何か複雑なものを秘めている気がした。
「驚かれましたか、シャル様」
 どこか艶かしさが滲んだ低い声で総主は囁いた。
 どうしてシャルの名を、とアヴラルは驚き、悠然と反応を待っている総主をじっと見つめた。アヴラルより年上のようだが、随分若い。まだ青年の域にも達していないのではないだろうか。何より特徴的なのは、布で片目を覆っている点だった。顔の一部を隠した状態であっても、総主と紹介された少年の容貌が優れているのが分かる。
「そうだね、驚いた」
 シャルは貴人の振りをやめて、普段通りの、やや素っ気なく聞こえる口調で答えた。目の前の年若い総主と以前に顔を会わせたことがあるのだろうとアヴラルは推量した。
「今宵の、ということは、市によって元締めが変わると?」
「モルハイの闇は深いのですよ。私一人の手で動かせるほど容易ではございませぬ。我もまた闇間に漂う欲の糸を絡めとる針の一つに過ぎません」
「しかし、その針は剣よりも鋭いようだ」
 総主と軽く応酬した後、シャルは皮肉な微笑をたたえた。ふと、なぜか分からないが、シャルはかなり……腹を立てているのではないかと思った。
「全くどうしたものかな。私は何だか、あなたに負けた気分ですよ」
 シャルは仮面を外し、明るく笑ってそう言った。
 やっぱりこの年若い艶麗な総主とシャルは顔見知りなのだと確信した。アヴラルと離れている間に知り合ったのだろうが、一体どこでだろう。偏見かもしれないが、総主のしとやかな物腰や身なりは、猛者が集うであろう孔衛団に相応しくない気がしたのだ。
「ではあなたは知っていたのかな。私がこの子を探していると」
 ふとシャルが視線を落とし、きょとっと見上げるアヴラルの頭に手を置いた。
「存じていたかもしれませぬ」
 なぜか疲れた様子で項垂れるキカに視線を投げた後、総主は感情のうかがえない微笑を浮かべ、明言をさけた。
「知っていたと思うけれどね」
「気に留めねばならぬことは無数にありますので、なんとも」
「知らぬはずがない」
 どこか確信すらこめられた執拗なシャルの言葉を耳にして、アヴラルは忙しなく瞬きを繰り返した。総主は少し考えるように、指先で自分の唇を撫でた。
「ねえシャル様。以前、申しましたでしょうに。私が、おもてなしをさせていただくと。けれども、拒否したのはあなた様です」
「……ああ、なるほどね」
 おもてなし? と首をひねるアヴラルを見下ろしたシャルがどうしてか、唇の端を引きつらせた。気のせいかもしれないが、何やら後ろめたい雰囲気、のようなものを、視線を逸らすシャルから感じてしまった。
「まあ、過去はともかく。私がこの子を探すために何をしたか、経過についても館主は知っているということだろう。なのになぜ?」
 館主? とアヴラルは再度首を傾げた。総主ではなくて、館主?
「シャル様は優れた呪術師でございますが、どうも市には不慣れなのですね。あれほど目立つ行動を取っていけば、私でなくともあなた様が何をお探しか、容易く判断できます」
 シャルは憮然としたようだった。
「そもそも、あなた様がこの市へ無事に参加できたのも不思議とは思いませんでしたか。ガラフィーなどの口利きでは本来、我が市に一見の方はお入りできぬのですよ」
「ふうん。じゃあ館主の好意で私達はここにいるわけだ。ならば、その先も期待していいのかな。今、もてなしを求めてもいいのだろうか」
 シャルのどこかとぼけた切り返しに、総主は薄い笑みを作った。
「私とて、寂しく思うこともあるのですが」
「へえ」
「シャル様、ここは市、取引の場なのですよ。ひとひらの夢を紡ぐ娼館ではございませぬ」
 シャルは仮面を弄びながら、鮮やかな紫色の目で、微笑みを絶やさぬ館主を見つめた。
「本当は、二百万ラレィなどお持ちではないのでしょう?」
 見透かしたような台詞にシャルは曖昧な表情を返し、しどけなく映る仕草で黒髪をかきあげた。
「いかに優秀な呪術師とはいえ、この場から無傷で脱出するのは困難だと思われます。私にも頼りになる友人が何人かおります」
「脅されているのかな、私は」
「いいえ、取引でございます」
 にこりと館主は笑みを深めた。
「頼りになる友人は何人いてもいいと思うのです。シャル様のお力は魅力的ですね。それに、あなたは無欲ではなく、しかし貪欲ではない。品性もそう悪くない。どうですか、私と契約を交わしませんか」
「それは、二百万ラレィの代わりとして?」
「はい。悪い話ではないと思いますが」
「この子を返してくれるのかな」
「ええ」
 シャルは変な顔をした。
「こういっては何だけれどね、そもそも私と契約を望んでいたというなら、こういう状況を迎える前に、直接話を通せばよかったんじゃないかと思うんだが」
「さて。そのお考えは、やはりモルハイの者ではないということでしょうね。あなたがどれほどその少年に心を砕いているのか、それは知り得ぬことでしょう。仮に、失っても惜しくはないとお考えの者であれば――」
「ああ、なるほど。大事でない者ならば、攫って売りに出しても私は口を挟まない。この子を売り飛ばすことで、利益も出ると。市の終了後に契約を持ちかけても遅くはないということか。その方が、契約金も値切れるしねえ」
 ふふっと総主はあどけなく映る笑みを見せた。逆にシャルは真顔に変わり、無感動よりも厳しい冷ややかな目を細め、小首を傾げて鮮やかに微笑している総主を見下ろした。どちらかといえば他人との接触を避ける傾向が強い面倒臭がり屋なシャルが、なぜこれほど悠長に腹の内を探りあうような会話を続けるのか分からず、アヴラルははらはらとした。
「私はその程度しか頭が回らない愚者だろうか? 気づかなければ、このまま沈黙を通すつもりか」
「何をでしょうか?」
「話が矛盾していることくらい察している。私がこの子の行方を探していると理解していたのならば、既にどれだけ執着しているか分かろうというものだ。口を挟むことは予想できただろうに、なぜ」
「どの程度の執着かは、判断できかねます。たとえ内心では惜しんでいても、闇市の網にかかったと知れば諦める者も多い」
「呆れる話だ。恩でも売るつもりなのかな」
「どうでしょうか」
「わざわざ市の様子を私に見せようとした理由は?」
 総主は笑った。懐疑的な響きを持つシャルの声に、総主は素直な苦笑を見せた。
「随分な疑惑をもたれてしまったようですが、さすがに私とて、何でも先を予見できるものではないのですよ。そもそも、あなたが最初に我が館にいらしてくださった時は、そのお子を探しているとは知らなかったのです」
「どうかな」と未だ濃厚な猜疑の目を向けるシャルに、総主は少し困惑が混ざった表情を返した。
「困りましたね」
「私が先程訊ねた時、あなたは知っていたかもしれないと答えたのでは?」
「断定してはおりませんね」
 シャルは苦々しい顔を作り、内心の苛立ちを抑えるように腕を組んだあと、一度視線を外した。
「疑いを抱く気持ちは当然でしょうが、闇市の元締めが全ての事情に通じているとは限らないのです。こちらに届けられる奴隷の身上については、あえて不問としている場合が多いのですよ」
「――問題事が発生した時の、足切りのために?」
「仰る通りです。私達は仲介者が届ける『品』を見定めて、求める者に提供するのみ。『品』の背景などに関心はありません」
 嘘か真実か、シャルが些細な点をつついても総主はのらりくらりとかわし、あくまで上辺のみの説明を繰り返すばかりのように思えた。
「ああ、しかし、あなたに市の雰囲気を知ってほしかったというのは、当たっています。奇獣狩りよりは危険も少なく、報酬は高い。悪くはない契約と思いますが。私、シャル様のお力に期待をしているのですよ」
 シャルは苦笑なのか失笑なのか、どちらとも言いがたい様子で笑った。
「それは、館主の目が判断したのかな?」
 どこか意味ありげにシャルは問い掛けた。
 総主は一瞬目を細め、ついでゆっくりと自分の顔に手を置いた。
「やはり気づいておりましたか?」
 総主の指が、片目を覆っていた布を外す。
 露になった目を見て、アヴラルは少し驚いた。隠されていた片目は、薄い紫色をしていたのだ。
「ふうん。珍しいね。片目のみに呪力が偏っている」
 シャルの言葉で、館主もまた呪術師の力を持っているのだと分かった。
「呪力と呼べる程明らかなものではありません。ただ、この目は相手の力量を明確に映してくれるのですよ。気迫というのでしょうか、対象者の気配、それに状態などを捉えるのです」
 シャルは僅かに警戒の表情を浮かべた。
「そのお子は――よく分かりませんね。力があるように思えるのに、映らない。奇妙なことです。……まるで混沌のような」
 総主の目にさらされたアヴラルは無意識の動作でシャルの腰にしがみつき、慌てて背の方へ回って身を隠した。
 大丈夫だろうか、魔の力に気づかれはしなかっただろうかと懸念した。今は人型を維持しているから魔力はこの身に反映されていないと思うが、安心はできない。
「まあ、いいよ。今、あなたの力は関係がない。先程、ここは市であり、取引の場だと言った。ならばそれらしく、取引をすませようか」
 シャルの片腕が、腰部分にしがみついて館主の視線を逃れようとするアヴラルの肩にさりげなく回った。庇ってくれていると気づき、こんな状況であってもアヴラルはほのかな喜びを覚えて胸を弾ませた。
「しかし、シャル様、失礼ながら、実際は二百万ラレィをお持ちではないのでしょう」
 見透かしたような館主の問い掛けに、シャルは一見小気味よいと表現できる笑みを作った。
「物々交換はどうかな。あなたは、私の力を買ってくれているようだ。二百万ラレィの価値はあるとね。それは私にとって都合がいい」
「こちらの提案通り、契約を決めるといった話ではないようですね」
「私自身ではなく、私の力を評価してくれているんだろう。ならば」
 シャル?
 話の運びに不安なものを感じて見上げた時、シャルの腕が肩から離れた。
「よければ、二人だけで話をしないかな」
 シャルの唐突な誘いに、館主は意図を探るような顔をしてかすかに片眉をあげた。
「ちょっと待ってもらおうか」
 口を挟んだのは、それまで静観していたキカだった。ぶっきらぼうな態度で行儀悪く卓に腰を預けていたのだが、二人のやりとりに焦れたらしく、僅かな怒りをたたえた目でシャルを睨み、身を起こした。
「肝心なところで密談という展開はいただけないぜ。ここで話せ」
 脅しとも取れるようなひやりとする冷たい言葉は、どうやらシャルに向けられているらしかった。アヴラルははっきりと「怖い」と怖じ気づいたのだが、言葉の内容に関しては全面的に賛同を示したい心境だった。
「私はどちらでもかまいませんが」
 館主は面白そうな顔で、寛容な返答を寄越した。
 キカのように遠慮なく主張することは無理だったが、アヴラルもぎこちなく「ここで言ってほしい」と訴えるため、ぎゅうっとシャルの衣装を掴んだ。一番は、シャルと離れたくないという思いだったが。
 シャルは微かに憂鬱そうな表情を見せたが、すぐに諦めた様子で軽く嘆息した。
「璃核(りかく)の晶を差し出そう」
 シャルは静かな口調で言った。



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