砂の夜[14]
周辺の廃屋や孔衛館などを捜索したが、いずれにもガラフィー達が立ち寄った形跡は発見できなかった。
モルハイは光と闇の部分が明確に区分されている町である。逃亡中であることを考えればガラフィーは追跡者の目を誤摩化すために貧民達の住居が並ぶ通りに身を潜めている可能性が高い、そちらを集中的に探すべきではないかと提案したキカに対し、シャルは一瞬頷きかけたが、ふと思索に耽る顔を作った。
「もう一カ所、彼が行きそうな場所がある」
その言葉のあと、向かった先は、アヴラルにとっては災難の始まりとも呼べる場所――ユージュの住居だった。
まさかそんな場所にいるはずがないという皆の予想を裏切り、シャルの考えは的中した。
ガラフィーたちが室内にいたのだ。
殆どの家財が消えて廃屋と変わらぬ状態になってしまった殺風景な部屋に、アヴラルは驚いた。確かにユージュたちはあまり裕福な暮らしをしていなかったように見えたが、不在の間にこれほどまで変わり果ててしまうとは。
シャルは居間として使用されていた部屋に向かったあと、視線を巡らせ、二階へ足を向けた。アヴラルとリタルが寝泊まりしていた部屋が二階にある。
ユージュは家財が消失した部屋を眺めて絶句していたが、すぐに我に返った様子でシャルのあとを追った。キカやグイレたちも無言でついてくる。
部屋の扉を開けたシャルの背が、一度ぴくりと震えた。すぐに室内には入ろうとしないシャルの様子に戸惑い、アヴラルはこそりと彼女の背にしがみつきながら室内を覗き見た。
不意に強く捉えた血の匂いに、硬直してしまう。
シャルが無言で室内に足を踏み入れた。しがみついているアヴラルもつられて入る結果となった。
毛布が剥がされた寝台の上に、ハルヒという青年が寝かされている。もう一つの寝台にはリタルが横たわり、その下で数人の子供達が身を寄せ合うように眠っていた。アヴラルとともに商品とされた少年達だった。
そして、ハルヒが眠る寝台の脚に、ガラフィーという男が背を預けて床に座り込んでいた。きつい血の匂いは彼から漂っている。その証拠に、吐血したらしきあとがあり、彼の服を黒く染めていた。口のまわりが血を貪ったかのように赤く汚れているのだ。
アヴラルは濃厚な死の気配もまた感じていた。治癒の術を施しても最早遠ざけられない冷酷な死の翼がガラフィーの身を包もうとしている。
キカ達も室内を目にして、少し息を呑んだようだった。寝台上のリタルを見たユージュが小さく叫び、駆け込んでくる。
振り向いて、リタルを抱きしめるユージュに意識を向けた時、シャルがガラフィーに近づいた。血の匂いにびくついていたアヴラルは彼女の背から手を離してしまった。
「そうか、お前、私達が騒動を起こしている隙に、ハルヒたちを助け出したのだね」
シャルは呟き、ガラフィーの前で片膝を床についた。死にかけていたガラフィーの瞼が開き、これから死を迎えるとは思えぬ、きらきらとした鮮やかな目でシャルを見返した。とても烈しく凛然とした眼差しだった。アヴラルは驚きとともに、彼の顔を凝視した。これほど清廉な目の色を持っている男だっただろうか。
「――負けた。私には皆を救えなかった。お前の勝ちだよ」
シャルの掛け値なしに優しい声を聞いたのは初めてだった。思わず耳を疑い、身を屈めているシャルの背をどこか信じられない気持ちで眺めてしまった。
ガラフィーが晴れやかといってもいいような嬉しげな笑みを見せた。しかし、途端に大きく咳き込み、喉を鳴らして大量の黒い血を吐く。同時に掠れた悲鳴のような喘ぎが速い感覚で漏れ始めたが、手の施しようがないのは誰の目にも明らかだった。
シャルがそっと手を伸ばし、ガラフィーの額から流れる汗を拭った。
ガラフィーはそのまま、一言も発することなく、身体の痙攣をとめた。
一瞬前まであれほど強く輝いていた目が、石の珠に変わってしまったかのような、虚ろな冷たさを見せる。
シャルはしばらくの間じっとしていた。その後、先程の声音と同様に、ひどく丁寧な優しい手つきで彼の血を拭い、静かに横たわらせたあと、高価そうな自分の長衣で身を包んでやっていた。
この場でできる清拭を終えるまで、シャルは一度もこちらに顔を向けなかった。
涙を流してはいないようだが、彼女が本心から彼の死を嘆き、悔やんでいるのが分かった。
●●●●●
「……姉さん?」
一番最初に目覚めたのはリタルだった。不思議そうに瞬き、夢見心地の顔でリタルの側についていたユージュを見つめ返していた。
「リタル、無事ね」
「うん」
すぐには状況を把握できない様子で、返答もいつもより幼い声音だった。けれどアヴラルの姿を捉えた時、記憶が一気に蘇ったのか、大きく目を見開き青ざめた。
「あ、あたし」
「大丈夫よ、落ち着いて」
震え出すリタルの頭を、ユージュは何度も撫でて宥めた。
「ごめんねリタル。怖い思いをさせて」
がたがたと肩を震わせ、大粒の涙をこぼして泣き出すリタルを、ぎゅうと抱きしめるユージュもまた、感情の高ぶりを示すように目を潤ませていた。
「ひどい、姉さん、あたしを売っ……」
「違う、コロノに騙されたのよ。自分の妹を裏切るはずないでしょう」
「ひどいわ、あたし、もう駄目だと思って、もう!」
身を捩って激情をぶつけるリタルを見ているうちに、アヴラルも感化されて恐ろしさを思い出した。きらびやかな薄い衣装をまだ身にまとっている。そのために、あれは悪い夢だったと誤摩化すことができない。俯いて懸命に震えが走るのを堪えていると、シャルの手が突然肩に触れてきた。驚いて見上げると、シャルは普通の顔でユージュたちを眺めている。けれど、肩に触れた手が、次の瞬間には、宥めるようにアヴラルの頭をぽんぽんと叩いていた。この仕草だけで、ほうっと身体の力が抜けていく。シャルが側にいる、もう何も怖くはないのだと心の中で繰り返した。
そのうちに、他の子供達も目を覚ました。皆、不安そうな顔をして身を縮めていた。泣き出す子もいたが、一人として家族の元に帰りたいと訴える者はいなかった。以前少年が語った、父親に売られたという言葉がアヴラルの胸で重く沈んでいる。帰りたくとも帰れぬ悲しい事情を、子供達は涙を流さずにはいられぬほど辛い中で、きちんと理解しているのだった。
少年達の今後はどうなるのだろうと暗澹たる思いを抱いた時、グイレが彼らを引き取ると口にした。ラシスがちょっと渋い顔をしたが、子供達の様子を見て、諦めたようにグイレへ視線を投げた。まだグイレたちについて分からない部分が多いが、それでもなんとなく安心できる気がして、アヴラルは表情を緩めた。流浪の民になったとはいえグイレは身分が高く裕福らしいので、子供達が飢えたり寒さに震えたりすることはないだろう。
ハルヒはなかなか目覚めなかった。命に別状はないようだったが、身体のあちこちに怪我があるらしかった。シャルは寝台の端に腰掛けて、意識のないハルヒの手当を素早くすませた。どうしてだか、怪我の手当てをしているだけだというのに、シャルが彼に触れると、心にちくりと針が刺さったかのように痛む。なんて意地の悪い考えだろうと、アヴラルは自分が少し嫌になった。落ち込みつつ、それでもやはり我慢できなくて、寝台の空いている場所に腰掛けるシャルの方へそろそろと近づき、見つめてしまう。できるならば隣に座りたいが、邪魔だと思われたり鬱陶しいと拒絶されたりしないだろうかという恐れがあるため、側に近づくだけで限界だった。どうしようとシャルを見つめたまま凝固してしまう。
するとシャルが微苦笑し、何も言わずアヴラルの腕をとって隣に座るよう促した。じわじわどころか、一気にふわっと体温が上昇するほど嬉しくなったのだが、ここで調子に乗るとやはりうんざりされるかもしれないと思い、大人しくシャルの隣に腰を下ろした。しかし、一体どうしたのだろう。シャルが以前よりも、その、ひどく優しい。勿論嬉しいが、後々落とし穴にはまるのではないかとつい怯えてしまうアヴラルだった。
恐る恐るシャルの脇腹にしがみついてみたのだが、振り払われないどころか、ちらりとこちらを見下ろしたあとで頭に腕を回してくれる。なんとなく頭を肘掛けにされている気がしなくもないが、これはもしかして、今の自分はシャルに受け入れられているのではないだろうかと驚愕の中、期待をしてしまった。いや、期待をするなど図々しいだろうか、でもこの状態は、などとアヴラルは喜び一色に染まりそうな自分を必死にとめ、顔色を変えぬようつとめた。思わず身体に力が入り、顔が熱くなっている。揺れ動く思いを宥めているうちになぜか涙目になってしまい、そんな自分に慌てて、更に動揺してしまった。
深く葛藤していた時、ふとリタルと目が合った。隠せぬ嫌悪を滲ませた、複雑な眼差しを寄越される。そういえば、リタルは何かを誤解して、アヴラルを責めていたのだ。
動揺したり硬直したり、びくっと肩を揺らしたりするアヴラルの忙しない様子に不審なものを感じたのか、シャルが目線を追って、リタルを見つめた。
リタルはユージュに抱きつきつつもシャルの視線を受け止めて、非難するような色を目に浮かべた。
「アヴラルは、本当の弟じゃないんでしょう?」
リタルの問い掛けに、奇麗な恰好をした子供達を側に置いて楽しそうな顔をしていたグイレや、その様子を呆れた目で眺めていたラシスとキカの視線が、アヴラルたちに集中した。
シャルはなぜそんなことを訊ねるのかというように、訝しげな表情を作ってリタルを見返した。
「お姉さん、アヴラルを買ったの?」
嘘を許さないような厳しいリタルの声音に、シャルは少し首を傾げた。彼女の台詞に隠された感情などを推し量るようにしばしの間視線を虚空へ投げ、直後、何かを察した様子で頷く。
「この子は確かに実弟ではない。だが、この容姿が気に入って買ったわけでもない。私は保護者だよ。この子の親に、世話を託されたといえばいいか。アヴラルの母親は出産直後、死を迎えた。私はその場に立ち会った」
皆が驚いたように、シャルを凝視した。
「……本当?」
「勿論。あぁ、事実を曲げて弟と紹介したのは、その方が色々と面倒がなくてよかったためだ。しかし、そのせいで誤解を生んだようだね。まあ、アヴラルの容姿も無駄に美しいぶん、余計に周囲を混乱させたんだろう」
シャルはおかしそうに言って、萎縮しているアヴラルを見つめた。
「あたし、ごめんなさい、勝手に勘違いしちゃって!」
リタルが再び目を潤ませて、ユージュの腕から身を起こし、アヴラルの方へ近づいてきた。
「ごめんねアヴラル、あたし、てっきりお姉さんがアヴラルを買ったんだと思って」
「い、いえ……」
よく意味が分からなかったが、シャルの説明で誤解はとけたらしい。リタルと仲直りできるのだろうかと思った瞬間、ぎゅっと手を握られた。
「嫌な態度をとったこと、許してくれる?」
柔らかな手の感触にどきまぎしつつ、アヴラルはこくこくと頷いた。リタルが嬉しそうに泣き笑いの表情を作った。
「……もしかして、お前も誤解していたのかな」
不意にシャルが身を捩り、ハルヒの方へ顔を向けた。
あっとアヴラルは驚いた。いつ目覚めたのか、ハルヒが瞼を開けて、戸惑いの表情を浮かべていたのだ。
シャルの手が、彼の前髪を優しく横へ流す。それだけの仕草なのに、やけに艶かしく見えた。
「私の本当の弟は、既に届かぬ世界へ旅立っているよ」
「……シャル様」
ハルヒがぎこちなく腕を伸ばし、シャルの手を取った。触れてほしくないという利己的な思いが急激に膨らみ、その狼狽を隠すためにアヴラルは下を向いた。何だろう、この気持ちは。ひどく暗い。
「覚えているか、気を失う前のことを」
ハルヒは身を起こそうとしたが、シャルがとめた。まだ随分と顔色が悪い。
「はい。……シャル様は、きっと市に行くのだろうと思って、それで」
「この子を助け出そうとしてくれたのだね」
「わ、私は」
泣き出しそうな顔をするハルヒに、シャルが小さく首を振った。
「言わなくともいい。お前にも事情がある。結果として、ハルヒはこの子を救ってくれようとした。感謝している」
どうしよう、シャルが優しくなったのは、彼の存在があるためなんだろうか。
なぜそれがこんなにも苦しく――憎しみめいた思いが広がるのだろう。
自分自身が信じられない。シャルの言葉によると、ハルヒは自分を助けるために動いてくれたらしい。だが、心に生まれるのは感謝ではなく、なんて醜い感情なのか。ここまで酷い感情をアヴラルは初めて抱いた。
「すみません」
「謝ることはない。逆に、謝罪をせねばならないのは私の方だ」
シャルはじっとハルヒを見つめたまま、真剣な顔をした。
「ガラフィーが死んだ」
ハルヒはその言葉を受け止めるように、ゆっくりと瞬いた。
「市の倉庫に侵入した時、私は警備の者に見つかってしまいました。捕われたところにガラフィー様が現れたのです。ガラフィー様は、私や子供達を追っ手から守ってくださいました」
「私がハルヒを巻き込んだせいだ。住処を訊ねたことで、お前に彼を裏切らせるような真似をさせてしまった」
「違います! 私はガラフィー様を、憎んでいました。いつも苦痛ばかりを与えられて…!」
ハルヒは片腕で体重を支えるように上半身を起こし、動揺を隠すためか切羽詰まった表情で言い募った。その激高を静めるように、シャルは彼の太腿を軽く叩いた。
「だが、お前は愛されていたようだよ。受け入れろとは言わないが、認めてはほしいと思う。最期の彼を見た時、尊敬したよ」
穏やかなシャルの声を受けて、ハルヒは狼狽え、顔を背けた。
「命を懸けてハルヒや子供たちを救った。彼の亡骸は、私が弔おう」
シャルは音もなく立ち上がり、布に包んだ状態で床に置かれているガラフィーの亡骸を見下ろした。
「手伝うか?」
近くの壁に背を預けていたキカが視線を上げ、密やかに言った。
「気持ちだけ受け取る。彼は呪術師だ。ならばその弔いは、同類である私の役目。呪術師の葬儀は陰なるものであり、他者の目に触れさせぬのが決まり」
言外に、同席はならぬと匂わせて、シャルは風の力を借りてガラフィーを抱き上げながら部屋を出て行った。
アヴラルに関しては同行が許されるかもしれなかったが、ただシャルの背は、一人で弔いたいと語っているように見えた。その姿はどうしてか、孤独を思わせた。
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シャルは長いこと、戻ってこなかった。
狭い寝室に全員が集まり押し黙っているのは気鬱だとグイレが呟いたので、この部屋よりは広い階下へ移動することにした。ハルヒはまだ具合がよくないようだったが、それでも身を起こして皆のあとについてきた。
部屋を移ったのはいいが、重苦しい空気は完全に払拭できなかった。シャルが側にいないのが不安だったし、ガラフィーの死も切ない。また正直なところを言えば、アヴラルはユージュが恐ろしいのだ。彼女の虚言で、アヴラルは人買いの元へ行く羽目になったのである。それに、ハルヒの存在も強く意識せずにはいられない。
苦悩を顔に出さぬよう苦心していた時、ハルヒと目が合ってしまった。
「……あなたに、失礼なことを」
壁際に座っていたハルヒが体勢を変え、儚い声音でアヴラルに謝罪した。
アヴラルは何と返答すればいいか分からず、もぐもぐと口を動かしたあと、困り果てて首を振った。
「私は、あなたを羨んでいたようです。――シャル様が、優しいから」
ハルヒは俯き、悲しさを思わせる微笑を浮かべてそう続けた。やはり、胸の中に雑音が湧く。シャルを優しいと評価する者はあまりいない。どちらかといえばぶっきらぼうな態度をとることが多いシャルの、見えにくい優しさを知る人間は少ないのだ。けれどハルヒはその秘密を知るくらい、シャルと接しているらしいと気づき、心の一部が冷えた。
どうして自分はこれほど卑怯な考えを抱くようになってしまったのか。
魔の力を解放したことで、心が少しずつ濁り始めてしまったのかもしれない。
「あの……」
アヴラルも慌てて体勢を変え、床にぎこちなく正座したあと、ちらちらとハルヒの方を窺いつつ意を決して口を開いた。
「どうして、僕を羨むのですか」
するとハルヒは困ったように自分の両手を膝の上で組み合わせた。
「そりゃあ、お前の外見が、惚けるほど麗しいからだ。未だ幼くはあるが、血迷ってもいいかと思うほど美しい」
口ごもるハルヒに代わり、キカが苦笑しながらそう言って、アヴラルの横に座った。至近距離から無遠慮な眼差しで見つめてくるキカにぎょっと怯えつつ、視線を虚空へ逃がし、思案する。
自信があるか否かはともかく、複数の人間に容姿を繰り返し賞賛されれば、そうか自分はどうやら美しいらしいとアヴラルだとて理解できる。しかし、たとえ人心を惑わすほどの美貌であっても、シャルが興味を持たねばアヴラルにとって容姿の美醜は誇りの対象とはならぬし、逆に騒動の種となる厄介で不要なものでしかない。
そもそも、アヴラルの容姿がなぜ、ハルヒの心情に関わってくるのだろうか。以前に会った時、ハルヒはひどく荒んだ激しい目でアヴラルを拒絶していた。その怒りは先程、保護者であると説明したシャルによって溶かされたのだ。思い返せばリタルもまた、彼と似たような厳しい態度を取っていた。なぜ彼らの様子が急に軟化したのか、理由をアヴラルは考える。確か、それまでは、最初に実弟だと思っており、次に、シャルに買われたのかと誤解を――そこで二人が、唐突に嫌悪を見せたのだ。リタルは、汚い、とまで言った。
アヴラルは眉をひそめた。奴隷だと思われ、嫌悪されたのだろうか? アヴラルの中では、奴隷となれば他人に買われ大事な人と離れる、あるいは貧困に喘ぐ、自由を失う、重い労働につく……そういった理由のために、辛く寂しく、救いがないと感じ恐怖していたのだが、彼らが覗かせた嫌悪とは少し質が異なるように思える。
一つ一つ冷静に考えた時、なぜか不意に、血の気が引くような嫌な記憶が蘇った。人買いであるウサリの館で、身体を撫でられた時の驚愕と恐れだ。だが、魂に亀裂が入りそうなほどの拒絶感を抱きながらも、全く別の見知らぬ感覚の中へ突き落とされたのも事実で、自分自身の不可思議な変化に絶望したのだ。
頭が痛くなってきた。他人に触れられるのは気持ちが悪い。アヴラルははっきりとそう思い、かすかに身を震わせた。
「全く、大した美貌なんだが。どうかな、私の所へ来ないかな」
冗談まじりにグイレがそう笑い、横に控えているラシスに睨まれていた。
「あの、お聞きしたいことが……」
「おお、何?」
話しやすそうなグイレにきちんと顔を向けて、アヴラルは躊躇いつつも口を開いた。ラシスが額を押さえるほど、グイレは相好を崩していた。
「奴隷とは、何ですか」
自分が想像していたものと実は違うのだろうか。
たずねると、なぜかキカ達のみならず、グイレの側に座る子供達までが複雑そうな顔をしてアヴラルを見返した。
「……信じられないでしょ。この子、本気で聞いているのよ。シャルったら一体どんな育て方をしたのかしら。普通、この容姿で、ここまで無知ってありえないわ。どれだけ大事にされてるのよ」
ユージュが溜息まじりに呟いた。
「やめてよ姉さん。アヴラルはただ無垢なのよ。ほら、怯えちゃったでしょっ」
リタルが慌てて庇ってくれたのだが、アヴラルは落ち込んできた。自分は他者にもはっきりと分かるほど、無知であるらしい。
「シャルは悪くないんです、僕が何も知らないだけで……」
「ね、尋常じゃないでしょ。シャル一筋、徹底しすぎよ。思い切りいじめたくもなるわよね。この世界で、こんなふうに育てるなんて――狡いじゃないの」
「姉さん、駄目よ!」
あきれ果てるユージュを、リタルが叱った。
「奴隷にも色々と種類があるんだよ」
グイレが至極真面目な顔で言った。途端に非難の目が彼女に集まり、アヴラルはどうしてなのかと緊張した。
「お前のように美しいとね、やはり」
真顔で説明しかけたグイレに、なぜかラシスが恐ろしく冷たい視線を向けて腰を上げようとした時だ。
「――悪いが、そういう話をこの子に吹き込まないでほしいな」
シャル。
微妙に顔を引きつらせたシャルが部屋の入り口に立っていた。