TEMPEST GIRLS:02

 というわけでリスカは、かの剣術師様に問答無用で担がれて、自室へ連れ戻された。
 大変である。今夜はやたらとセフォーを怒らせてしまったような気がする。
 お、恐ろしい……とリスカは、先程のセフォーの眼差しと一気に冷気へと変化した空気を思い出して、身震いした。
 周囲のものを一瞬で凍り付かせるかのような威圧感を漂わせる閣下様は口論のあと、なんと、幸せな眠りの中にいる小鳥を起こして、今宵リスカが酒を酌み交わす予定だった相手の偵察を命じたのだった。
 ああごめんね小鳥さん、とリスカは深く反省した。「リスカ……」と、心地よい眠りから叩き起こされた小鳥はとても恨めしそうな目をしていたが、セフォーの脅威に負けて、夜空の彼方へと飛び立った。
 うううう、さすがに、セフォーに内緒で家を出ようとしたのはまずかったか。
 リスカは寝台の上であぐらをかき、小さく唸った。
 日中、以前世話になったことのある若者が店に訪れて、ついつい話が弾み、よかったら今夜飲みにいかないか、と誘われたのである。気のよい若者だったので、一つ返事で「行く」と約束したのだが、あとになってセフォーはそういえば酒が苦手だったと思い出したのだ。
 その事実に気がつくまでは、セフォーも誘おうと思っていた。しかし、酒が飲めないのならば、共にいてもつまらぬだろう、と考え直し……、そして、何だかこの話をした場合、間違いなく引き止められるのではないだろうかという危機感を抱くに至り、こっそり夜中に抜け出そうと無謀にもついつい企んでしまったのだった。
 が。
 やはり、見つかってしまった。
 最悪である。セフォーはえらくお腹立ちのようである。
 ただ酒を飲み世間話をするだけなのだが、どうもセフォーには別の考えがあるらしい。
 参ったなあ、とリスカは頭をかいた。
 約束をしていたのに、何の連絡もいれず反故にするのはかなり後ろめたいのだ。好意を持って誘ってくれた相手に対し、失礼である。
 せめて断わりの連絡だけでも、と思うが、セフォーは聞く耳を持たない。いや、話し合う余地すらない。
 あの氷で作られた矢のような瞳で一睨みされると、リスカは恐怖のあまり言葉を失ってしまう。はっきり言って、正視できない。
 どうすればよいのか、リスカは悩んだ。
 若者は、リスカを男と信じて誘っているのだ。何も問題などないのに、セフォーは自覚が足りぬと言って非難の目を向ける。
 こちらの言い分など、全く無視して、ひどく冷たい眼差しを静かに向けるのだ。
 この状況、たとえるならば、頑固な父を持った年頃の娘の葛藤、である。
 言わせてもらうが、リスカは知っているのだ。セフォーだとて、時々、夜中にどこかへ外出していることを。
 リスカはそれについて、一度もセフォーを責めたことはない。自分にはセフォーの行動に口を挟む権利などないと思っている。……たとえ、誰と会っていようとも、だ。
 ならば、その逆――今回のような場合はどうなるのか?
 やはり、セフォーとは対等の関係を築けないのだろうか。自分の弱さ、臆病さ、無力さが、どうもセフォーを目にすると全面的に前へ押し出され、容易いはずの判断にも迷いが生じてしまう。
 何だか以前もこういったことを考えたが……セフォーにしてみれば、これほど面倒を見てやっているのだから、リスカが従順に命令を聞くのは当然で、反抗されれば心外どころか腹立たしくさえ感じるのだろう。
 セフォーに守られているという事実は、十分すぎるほど理解しているのだ。感謝の念を忘れたことなどないし、反抗するつもりも困らせるつもりも、毛頭ない。
 できればリスカとて、何でもよいのでセフォーに礼を返したいと密かに思っていたりする。それは見返りなどの打算的な思いではなく、ただひとえに快適な日々を守ってくれることへの感謝として、セフォーを喜ばせたいという心情である。
 セフォーは何気ない日常の中で様々なものをリスカに施してくれるが、彼が自分のために何かを望むことは殆どない。強く望ますとも、セフォーならば特に努力を必要とせず簡単に叶えてしまえるだけの優れた力量があるのだから、他人に願うことなど何一つないのだろうし時間の無駄にも感じるのだろう。
 人とは、時間の無駄と知りつつ足掻くもの、という矛盾に満ちた現実、セフォーにはきっと不可解に思えるだろうな。
 実は、酒の席で他愛無い話の間に、男性はどういった贈り物を喜ぶのか、ということを若者に聞きたかったのだが。
 セフォーに直接その質問を投げかけると、何やらとんでもない凄絶な答えが返ってきそうで怖い。た、たとえば、抉ったばかりの心臓を口にしたいとか、悪魔の角が欲しいとか、憂さ晴らしに殺戮の宴を開きたいので山ほど人間を連れてこいとか……、などとやけに生々しい凄惨な妄想を膨らませて、ひえっと一人、叫んでしまった。
 このようなことを考えていたとセフォーに知られたら、それはそれで恐ろしい。火に油を注ぐようなもの、とリスカは随分失礼千万な思いを抱き、そわそわと部屋の扉を窺った。セフォーは今、調査に出掛けた小鳥の帰還を待って、階下にいる。
 はあ、とリスカは溜息をついた。
 ああ月光よ自分はひょっとして墓穴を掘ったのか、とリスカは窓枠にもたれて、しみじみと月を仰いだ。
 別の意味で感慨に耽っていたのだが、ふと視線を窓の側に立つサクラの木へ移動させた。何かが一瞬、枝の上で動いたような気がしたのだ。目の錯覚だろうか。このような遅い時刻、木の枝に何者かが隠れているはずもないが。というより、たとえ日中であっても、人の家の側に立つ木に登っている時点で十分に怪しい。
 枝の上で鳥が羽根を休めているのかもしれぬ。だが、それにしては随分大きな影だった気が……と、リスカは真相を確かめるべく窓の外へと身を乗り出した。
 うむ?
 やはり、何かが木の枝に乗っている。
 もう少し、リスカは身を乗り出した。
 何だ?
 ついつい身を乗り出しすぎて、あわや落ちかけ――得体の知れぬ影と、ばっちり目が合った。
「ひええええ!」
 リスカは思わず悲鳴を上げた。そして身体を支えていた手を、愚かにも離してしまったのだ。
 体勢を大きく崩してしまったために、窓の外へ投げ出された身体が落下し――
 意識が暗転した。



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