TEMPEST GIRLS:03

 うぐぐぐ、とリスカは実に女性らしくない切実な呻き声を漏らして、目覚めた。
 はて。
 恐る恐る上半身を起こし、周囲の様子を窺う。確か自分は、木の枝に乗っていた影に気を取られすぎて、愚かしくも落下してしまったのではなかったか?
「う、うむ?」
 リスカは放心した。
 一体ここは――どこだろう。
 リスカの目に映る景色、それは何の家具も置かれていない、殺風景な部屋だったのだ。
 
 
 何事が起きてっ……とリスカは混乱しかけた。
 視線を無意識に泳がせたが、はたと一点でとまる。
「な……?」
 何と、見知らぬ少女が前方に倒れていた。
 リスカは慌ててその少女の側へ駆け寄り……目が点になった。
 珍しい黒髪の、小柄な少女である。割合淡白な、といっては失礼だが、不思議な顔立ちをしている。そういえば遠い異国の民族がこういった特徴の顔立ちをしていたはずだな、とリスカは記憶を呼び起こした。いや、そういった余計な認識よりも。
 こここの少女は、もしや、その、娼婦というか、何というか、そういう生業を?
 何ともはや、実に目映い、ではなく、目のやり場に困る過激な衣装をまとっている。きめ細やかな細い脚を大胆に露出しているばかりではなく肩も腕も出し放題な上、辛うじてまとっているような短い衣服はどうやって着込んだのかと思うほどぴったりとしており、身体の線も露――いやいや、いけない、下品な表現は少女に対して失礼である。
 しかし、失神している少女の顔立ちから判断する限りでは、随分幼いように思われる。十二、三歳程度であろうか? いや、もう少し上かもしれぬ。
 この若さで身を売っているのかとリスカは胸を打たれ、深く同情した。人にはそれぞれ目を逸らせぬ深刻な事情というものがあり、一介の術師に過ぎぬ自分などが軽々しく口を挟んでよい問題ではないが、それにしても世の中の荒廃と貧富の差はいかんともしがたく……と、しばしの間リスカはどうでもよい方向へ思考を脱線させて憤った。
 さて、どうしたものか。
「お嬢さん、起きて」
 とりあえずは、起こした方がよいだろう。もしかすると、この少女に聞けば、なぜリスカが見知らぬ部屋に眠らされていたのかという疑問を解決できるかもしれない。
「お嬢さん」
 そっと彼女の肩を揺すってみた。う……、と少女は目を瞑ったまま、眉を寄せた。
「大丈夫ですか」
 繰り返し呼びかけると、少女はぼんやりと目を開けた。瞳まで黒だった。
「お嬢さん……ええと、大丈夫ですか」
 少女は焦点の定まらぬ目でリスカを見上げていたが、徐々に意識が戻ってきたらしく、突然がばっと跳ね起きた。
 そして、強い輝きを秘めた瞳で、まじまじと遠慮なくリスカを凝視する。意外に目の大きな少女で、愛らしい。というより、驚くほどつやつやとした唇……そういう口紅を塗っているのか……をしていて、幼い容貌ながらも奇妙に艶かしい。さすがはそういう仕事をしているだけのことはある、とリスカは胸をざわめかせつつも納得した。
「大丈夫ですか? 意識ははっきりしていますか?」
 警戒されては困るので、親近感を与えるべく笑みを浮かべてみた。引きつってしまったが。
「が、ガイコクジン?」
 見た目の通り、首筋をくすぐられるような甘く稚い声だった。
 しかし……リスカは別の事実に気を取られた。彼女の言葉は、リスカが口にする言語とは明らかな違いがあるというのに、なぜか正しく伝わっているのだ。
 リスカはこれでも数カ国の言語を学んでいる。だが、彼女の言葉はそのどれとも似ておらぬ。
 さてこれは面妖な。想像以上に厄介な事態かもしれない。
「誰?」
 ああこの調子だと、少女も何が起きているのかさっぱり理解していないに違いない、とリスカは判断した。そして、その判断は恐らく正しい。
「ええと、私は、リカルスカイ=ジュードと申します」
 自分でもなぜ名乗ったか分からぬ。少女はリスカの名前を聞きたかったわけではないだろう。
「ここ、どこ……?」
 少女は怯えた様子で室内を見回した。その仕草があんまり儚く、可憐である。もしリスカが男であれば、かなり保護欲を掻き立てられ――と、はたと気づいた。自分、そういえば男性体である!
 まずい、警戒されてしまう。
「すみません、私にも、ここがどこか分からないのです」
 リスカはなるべく、穏やかな口調を心がけていった。放った台詞は何とも心許なく情けないものだったが。
 
 
「やあやあいらっしゃい、迷える子羊さん達」
 
 
 突然、室内に第三者の溌剌とした奇妙な声が響いた。
 目の前に、道化の格好をした不可思議な生物、いや、妙な姿の人間が転移の術でも使ったのか、ぱっと出現したのである。
 少女はあられもない悲鳴を上げてリスカにしがみつき、萎縮した様子で震えた。飛びつかれた衝撃で床にくたりと座り込みつつ、リスカは思い切り動揺した。原因の半分は、露出度がえらく高い少女の格好にあるだろう。うむ、リスカも一応、女性なのだが。
「ふふふふ、見るべきものを見ていない、そんな迷える子羊さん、ようこそ私の迷宮へ」
 いや自分は子羊でなく人間ですが、とリスカは胸中で呟いた。
 この道化が、リスカと少女を奇怪な結界の中に幽閉したのか。
「あの、ここはどこでしょう? あなたは誰ですか?」
 まずは現状を正確に把握したかった。
「ここは始まりであり、終わりの場所」
「はあ……」
「そして私は案内人であり、お仕置き人の<ソウ>」
「そ、そうですか」
 お仕置き人ですか、とリスカは遠い目をした。
「君達は、いけない子。見るべきものを見ないから、こんな場所に迷い込む」
 リスカは眉をひそめた。胸に刺さる台詞に、既視感を抱く。
「お話は分かりましたが……ここから出るにはどうすればよいのでしょう」
 何やら面倒事に巻き込まれているような予感がする。
「出たいかい?」
 道化はにやりと意地悪く笑って、リスカと少女を交互に見つめた。
「出たいというなら、試練を乗り越えねばね」
「こらこらっ、何だその勝手な言い草は!」
 突然、それまで沈黙していた少女が顔を上げて威勢よく叫んだため、リスカはぎょっとした。先程の儚さはどこへ。
 いや、それよりもお嬢さん、こういった手合いに喧嘩腰の口調は非常によろしくないと思うが。
「身勝手は、君の言動だろう?」
 うっと少女は言葉を詰まらせた。どうも彼女は、見た目と性格にひどく落差があるようだった。
「さて手っ取り早く説明しよう。君達がここから脱出するには、元の世界へ続く扉の鍵を探さねばならない。だが、これだけじゃあ、お仕置きにもならないし簡単すぎる。ということで、ちょっと制限を与えよう。一時間以内に鍵を見つけないと、君達は永遠に元の世界へは戻れない」
「ちょっと待った! 卑怯じゃん!」
「……もう一つ、制限を与えようかな」
 お嬢さん、言葉は魔物ですよ、と注意したくなった。
「君達が、誠心誠意、この試練に取り組めるよう、彼に追ってもらおうね」
 彼?
 リスカが僅かに警戒を強めた時、室内に白い獣が出現した。随分巨大な白虎である。リスカは内心で、少し死を覚悟した。
 ぎゃー! と少女が盛大に叫んでくれなければ、リスカは全ての意思を放棄して気絶していたかもしれない。
「ふふふ、やる気になるだろう?」
 いえ全くなりません、とリスカは自分の腕にしがみつく少女を見下ろしつつ、心の中で嘆いた。
 白虎はぐるぐると道化の周りを練り歩き、威嚇の声を上げていた。……だ、誰かに似ている、この戦慄が走るくらいに凄まじい威圧感と凶暴な雰囲気、美麗な毛の色が。
「嫌っ、食べられる間違いなく!」
 何というか、面白いほどこちらの精神をかき乱してくれるお嬢さんだった。好き放題喚いたあと、リスカの背にはり付いてふるふると震えている。
 恐らくリスカ一人であったならば、多少は有益な情報をこの道化から引き出せただろうが、見た目は可憐な少女の罪のない暴挙により、事態の解明がさっぱりできていなかった。
「君達がこの部屋を出たあと、彼に追わせるからね。じゃあ頑張りたまえ」
「全然頑張れない! 何でこんな目に合わなきゃならないのっ」
 お嬢さん、お願いだから、そういう反抗的な台詞は……。
「――それを考えるための、試練だよ」
 道化は意味深な口調で言った。
 試練。
 リスカはふっと眉をひそめ、道化と視線を合わせた。暗示をかけて、心の声を暴こうとしたのだ。
 だが――無効化された。
 何者だ。
 この気配、人間ではないのか。
 慌てふためく少女に引きずられるようにして、リスカは部屋を出た。
 道化が用意した試練とやらに、強制参加させられたのだ。
 
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 道化が出現した部屋の外には、人の気配が一切感じられぬ崩壊しかけの侘しい通路が左右、前方に延々と続いていた。
 長い歳月の中で砂塵に埋もれてしまった神無き神殿のような、荒廃した雰囲気が漂っている。
「笹良、怖いようっ」
 少女が目に涙をためて、リスカの手を弱々しくきゅっと握りしめた。
 リスカはまたも少女に思考を乱されたが、心細げな様子で伸ばされたその小さな手を振り払う気にはなれなかった。
 ササラ、という名らしきこの少女、本人は無意識だろうが、他人を「頼りがいのある人間」に仕立て上げる才能があるようだった。つまり、甘え上手なので頼られると悪い気はしないのだ。実に羨ま……ではなく、得な性格の持ち主であるらしい。
 とりあえず泣き出すササラの手を握り返し、急いで通路を駆け抜けた。
 通路には無数の扉が並び、そのどれもが同じ形をしているので、視覚を惑乱させる効果をいやというほど発揮していた。魔力が介在していないか、念のために探りをいれたが、拍子抜けするほど手応えがない。
 どのような力が作用しているのか、今の時点では全く分からない。
 不用意に扉の中へ駆け込むことはいささか躊躇われたが、少女を伴って歩き回る方が危険かもしれぬと考え直した。少し、思案する時間がほしい。
「えっと、ササラ、さん。とりあえず、こちらの部屋に隠れましょう」
 深く混乱しているらしい少女を、目についた扉の中へ押し込んだあと、先程の白虎が追ってきていないか、気配を窺う。
「ねえ、一体、これ何なの。あの人食い虎に、笹良、食べられる?」
 少女がえぐえぐと泣きつつ、震える声を吐き出した。
 いや、実に見事な泣きっぷりであるため、見ていて逆に爽快な気持ちが芽生える。切迫した危険な状況であっても、何か微笑ましいのである。こう、観賞するのに適してい……ち、違う。
「よく分かりませんが……とにかく、私達は異空間へ連れてこられたようです」
 今の段階で話せるのは、それだけだった。
 この空間は、ひどく頼りないのに生々しい。少なくとも、リスカの世界とはかけ離れた場所である。
「異空間? リッちゃん、どこの国の人?」
「り、リッちゃん……?」
 リッちゃん!
 リスカはひどく衝撃を受けた。この少女の中で、自分は「リッちゃん」なのか。リルやリイと呼ばれることはあっても、まさかリッちゃんとは。いやはや、奇抜な感性の持ち主でもあるらしい。
「私は、ええと、リア皇国の出身ですが」
「りあ? どこの国なの、それ。アメリカから近い?」
「アメリカ?……ササラさんの出身は?」
「『ニホン』だよ」
「ニホン?」
 聞いたことがない。ということは、ササラなるこの少女、全く異なる次元の世界から呼び出されたようだ。
「リッちゃん、これからどうしよう」
「……え? ああ、そうですね。やはり案内人が説明していたように、鍵、を見つけなければ、この空間からは脱出できないようです。しかし、おかしいな。魔力は感じない。結界をはっているというわけではないのか。手応えがないのに、空間は閉じられている」
 そうなのだ、この空間は確かに隔離されたものでありながら、何を仕掛けても反応がなく虚無に近い。結界とは似て非なる何か。人が生み出す力ならば僅かなりとも体温に似た暖かさが感じられるものだが、ここは果てしなく静謐であり澄み切っている。邪悪な気配は感知できないので、どうも心底から警戒する気にはなれない。
「まりょく?」
 不思議そうな声に、一旦思考を打ち切って顔を上げると、少女はぽかんとこちらを見ていた。
「ええ、何者かが魔術により異空間を構築しているのか、と思いましたが、どうも違うようです」
「待ったリッちゃん。魔術って?」
「私、正規の魔術師ではないのですが、一応魔術を使えますので」
 初対面の人間に、わざわざ自分を不具の魔術師だと明かす必要はない。
 ササラの胡乱な目が「この人、怪しい」とはっきり物語っていた。……うむ、感情の豊かな少女だ。普通、娼婦などはどこかに影を持つものだが、ササラにはそういった人生の悲哀や暗さが一切見受けられない。
「ササラさん、これは憶測ですが、私とあなたは別の次元の世界から呼び出されたようなのです」
 余計な説明を省いて単刀直入に現在の状況を教えると、なぜかササラは頭を抱えてよろめいた。
「ふ、ファンタジーじゃん」
 ふあんたじー?
 何の呪文なのか?
「でも何で? 笹良とリッちゃんが、どうしてこんなことに」
「――それを知ることが、恐らく、鍵を見つける<鍵>となるのかもしれません」
 確実なのは、鍵がなければ、出られぬということなのだ――



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